【 岐阜・ホームレス殺害事件】“俺の父さん県警本部におるで”
渡邉さんとAさんが暮らしていた河渡橋西詰のテント(筆者撮影)
3月に岐阜市で起きた、ホームレスの渡邉哲哉さん(当時81歳)が襲撃され死亡した事件。加害者は当時、地元の朝日大学の学生2名を含む19歳の少年5人という、未成年の事件で殺人や傷害致死の容疑で逮捕された。
前編である《岐阜・ホームレス殺害事件》少年らの犯行をつぶさに見てきた「生き証人」の告白》では、渡邉さんと生活をともにし、事件当時もずっと一緒にいた“生き証人”であるAさんに、生々しい話をうかがった。
ふたりは3月だけでも少なくとも4度、少年らから投石を受け、その都度110番するために1キロほど離れたコンビニまで走っていた。そして3月25日未明、またも少年たちは石を投げつけ、執拗に2人を追いかけ渡邉さんを死に追いやった。
◆ ◆ ◆
事件後に警察から渡された便利な通報器
Aさんの話を聞けば聞くほど、「渡邉さんは死なずにすんだ」と思えてくる。警察の対応についても、疑念が深まる。
渡邉さんが命を落とす5日前、3度目の襲撃の夜も、二人は必死でコンビニまで走り110番通報していた。通報を受けて、パトカーでやって来た岐阜県警中署、北署の警官たちは、どやどやと近づくなり、護身用の鉄の棒を持っていた渡邉さんに向かって大声で「(棒を)おろせ!おろせ!」と、怒鳴るばかりで、「大丈夫ですか」と被害を案じる言葉もなかったという。
それを見たAさんは「でも、私は女性だから、身を守るために何か持ってないと不安です。女性は、何か持ってないと自分を守れないんです」と、警官たちに訴えたという。Aさんは、話の中で「私は女性だから」という言葉を、何度も繰り返した。女性が路上で生きていくことはいかに大変か、常に性的な暴力の危険にさらされる恐怖があるのだと、叫んでいるように思えた。
護身用の棒の件で、Aさんが悔しがるのには理由があった。事件後、渡邉さんが亡くなってから、Aさんには、女性刑事が「保護のため」と称して張りつくようになり、「護身のために」と、非常通報装置『ココセコム』を渡され、常に首にかけているようにと、言われた。
ボタンひとつで、セコムを通じて、警察に通報できるという「便利なもの」だった。でも、そんな「便利なもの」があったなら、なぜ、コンビニに走って通報していたとき、あるいは、護身用に「何か持っていないと不安なんだ」と訴えた自分に、「大丈夫です、これを持っていてください」と差し出してくれなかったのか。今になって、なぜ渡すのだろうか。あまりに口惜しくて、Aさんは女性刑事に、「あのとき、あなた方(警察)が、私にこれを渡してくれていたなら、渡邉さんは死なずにすんだのではないですか? 」と、問いつめたという。
すると、「まあまあ、そんな責めんといてよ」と傍らにいた男性刑事が笑い、女性刑事は「あれこれ理屈をこねて言い訳するだけだった」と、Aさんは吐き捨てるように言った。
「今度のことで、警察でも検察でもいろんな人に会った。いい大学を出て勉強はしてきた人たちかもしれないけど……ほんまに“社会音痴“やと思った」という。さらに言うなら、「人として」の痛みへの感性、共感力が欠落した「人間音痴」かもしれない、と私は思った。
長く、ホームレス支援に関わるなかで、私自身、野宿の人たちから学ばされたことは多い。路上で生きる人たちは、多くの場合、襲撃を受けても、自ら通報したり被害届を出さない。警察に訴えても「市民扱い」されず、「ここで野宿しているほうが悪い。出て行け」と、追い払われるのがわかっているからだ。
かつてに比べて野宿者も襲撃の数も、激減しているが、私が取材を始めた1995年から現在までの25年間で、渡邉さんを入れると23人の野宿者が、少年や若者らによる襲撃で亡くなっている。そのなかでも、この岐阜の事件は異例中の異例だった。
通り魔的な一過性の襲撃ではなく、同一犯とみられる加害者が、連日、計画的に、標的を定めて襲いに来ている。つまり予測できた事件であり、被害者自らが何度も通報し、警察に捜査を求めていた。それだけ強く、リアルに「命の危険」を感じていたからだ。
そして多くの場合、野宿者は、ひとりで寝ているところを襲われ、孤独に亡くなり、「死人に口無し」となってしまう。一緒に生活し、被害に遭い、状況をここまで証言できる生存者がいるということは、本当に珍しい、というか初めてのことだった。
逮捕の決め手になったのが防犯カメラ。でもそれも、渡邉さんが亡くなる以前、4度の襲撃の夜も作動していたはずだ。渡邉さんが死んでからではなく、少年たちが尊い命を奪ってしまう前に、通報を受けた時点ですぐに本気で防犯カメラを確認し、捜査していたら、エスカレートする暴行も食い止められたのではないか。なぜ死人が出てからでないと、真剣に動かないのか。遅すぎた警察の対応に、責任はないのだろうか。
警察側は「対応は適切だった。落ち度はない」という。しかし、疑念はさらに深まる。
少年の家族に警察関係者がいる可能性
実は、事件の日、襲ってきた少年の1人が、こんな不可解なことを渡邉さんに言ったのを、Aさんは聞いている。
「わたなべ~、アパート入るらしいなあ~? ここ出ていくらしいなあ~」
と。Aさんは、いったい何を言っているのだろうと不思議でならなかったという。
その謎が解けたのが、事件後、Aさんが生活保護の手続きのために、役所を訪ねたときだった。対応した生活福祉課の担当者が「実は、渡邉さんにもアパートをご用意していたんですよ。ですが、まさかこんなことになるとは、残念でした。もっと早く入っていただけたらよかったのに……」と言うのを聞いて、Aさんはそのとき初めて、合点がいった。
「(犯人と)いたちごっこになるから、ここを出て行け」と言っていた警察もしくは行政関係者が、渡邉さんをアパートへ入居させるための手筈を、本人も知らない間に水面下で進めていたのだと、と思い至った。
「でも、渡邉さん本人も私も知らないことを、なんであのとき、犯人たちが知っていたのか? いくら考えてもおかしい」と、Aさんは首をひねる。
もしAさんが聞き間違えたのではなければ、逮捕された少年の誰かが、警察もしくは行政関係者の動きを事前に知っていたことになる。そしてその日は、特に「今日はババアに用事がある!」と執拗にAさんを追いかけ回したのも、2人がアパートへ入居すれば最後の襲撃になると思っていたからなのか? と疑念もわいてくる。
また、別の日の襲撃の際には、こんな犯人の発言もAさんは聞いていたという。
「上から石を投げてきた男の1人が、“俺の父さん、県警本部におるでー(おるで=いるから)”と、威張るように言っていた。私と渡邉さんに言ったのか、仲間に言ったのかは、わからないけど、たしかに、そう言っていた」という。
渡邉さんが亡くなる事件前の一連の襲撃には、男女10人ほどが関わっていたとされる。そのため、逮捕された5人以外の発言かもしれないが、もしそれが事実であれば、犯行グループの中に警察関係者の家族がいることになる。少年らが在籍していた朝日大学には、実際「警察OB」が少なくないことも気になる。
事件後、取材に訪れるマスコミ、記者たちに、Aさんは同じことを伝えている。が、警察からは「記者にいろいろ話すな」と言われ、記者には「その件は裏が取れない、書けない」と言われたという。
確かに私も「裏は取れない」。逮捕された時点で未成年であった少年たちは、20歳となって成人同様に起訴された被疑者も含め、氏名も明かされず、詳細は不明である。真偽はまだわからないし、審理を待つしかない。でも、だからといって被害者のAさんの「証言」がこのまま闇に消されてしまってはならないと思う。Aさん自身は、こう主張している、という事実を、せめて私は伝えたいと思う。
そして、警察への疑念だけでなく、「教育」の面でも、この事件を未然に防ぐ重大な機会が、何度もあったことがわかってきた。
まず、10年前に、渡邉さんは放火の被害に遭っていた。渡邉さんの写真はないかと、Aさんに尋ねたところ、「写真もあったけど、10年前、テントに放火され全部、燃えてしまった」というので驚いた。留守にしていたときに何者かが火をつけたらしく、後ほど「未成年が補導された」と行政関係者から聞いたそうだが、地元ニュースにもならなかったという。「一般市民」の家が放火で全焼したら、大問題にされたはずだ。このときもやはり「ホームレスのテント」だから軽視されてしまったのではないか。
かつて姫路の橋の下で野宿していた人が、テントの中へ少年らに火炎瓶を投げられ、焼死した事件を取材したことがある。やはりそのときも、人が死ななければ報道もされなかった。
誰にでもホームレスになる可能性がある
さらに、放火事件の数年後には、近くの市立小学校の児童が渡邉さんに石を投げる事件も起こっていた。児童の年齢も人数もわからなかったが、教師2名が謝罪に来て「二度とこのような事が起こらないように、しっかり指導します」と約束したという。
この時点で、地域の学校、岐阜市すべての小学校・中学校で、「ホームレス」問題の人権教育に取り組むことができていたらと、残念でならない。「ホームレス」襲撃は、弱い立場の者を攻撃する「いじめ」と同じ根を持つ、重要な人権課題であると位置づけ、教育委員会・学校が率先して、襲撃防止の教育実践を推進していたなら、岐阜県全体の教育にも影響を与えたことだろう。なぜなら、過去、そのようにして、取り組んだ地域では、実際に襲撃が激減、または止まっている、からだ。
子どもの投石を軽んじてはならない。投石は、いわば蔑視と憎悪の塊だ。最初は小さな石が、次第に大きな礫となり、エスカレートし、暴走していく。さらに、相手が、身の安全を守れる家を持たない「ホームレス」の人となれば、いくら「殺すつもりはなかった」といっても、突然、あっけなく命までも奪いかねない。
その危険性を、親も教師もリアルに理解していない。子どもを加害者にしたくなければ「近づかないようにしましょう」という差別を助長するような「指導」ではなく、本気で貧困の構造を教え、本気で子どもたちの抱えるストレスの解消に、向き合うべきなのだ。
人は、なぜどのように「ホームレス」状態になるのか。本当に働くのが嫌で、好きこのんで野宿しているのか。ほとんどの人が廃品回収や日雇い労働などで働き、仕事を求めている。それぞれの人に、リストラ、失業、借金、事故、病気やケガ、天災、家族の死や離縁、家庭内暴力……など、野宿に至った背景があり、発達障害や知的障害など、見た目では理解されにくい障害を持っている人も少なくない。
そしてまさに「コロナショック」の中で、今後さらに職や家をなくす人々が急増するだろう。誰にでも「ホームレス」になる可能性があり、たとえ職を失い、家をなくし、税金を払えなかろうが、人としての権利と尊厳が脅かされることがあってはならない。
今回、逮捕された少年5人は、高校時代は甲子園を目指して汗を流した球児だったという。野球を続けるために入った大学、その先には実業団への就職など、を夢見ていたかもしれない。なのに、なぜ、こんな非道な「ゲーム」を繰り返すようになったのか。
今この自分に価値があると思えない自尊感情の低い人間は、その不安と劣等感から、より弱い立場に誰かを置いて攻撃し、貶め、支配しようとすることで、優越感を保とうとする。学校や職場のいじめも、DVも、「ホームレス」襲撃も、すべての「弱者いじめ」の根底に、無意識にせよ、加害者の劣等感、自己否定感がある。
彼らがどんな劣等感を抱えていたかはわからない。おそらくそれが自覚できていれば、こんな事件は起こさない。「勝てない自分には価値がない」という、自己否定が、「稼げない人間には価値がない」とみなす競争社会の中で「経済的敗者」に見える野宿者への憎悪と侮蔑を助長したかもしれない。
加害者少年たちの背景については、今後の公判のなかで解明されてゆくことを期待したい。
◆ ◆ ◆
5月下旬、『岐阜・野宿生活者支援の会』はじめ、私が関わる『ホームレス問題の授業づくり全国ネット』など4団体で、本事件にかかわった少年らが在籍していた朝日大学に、「ホームレス」問題の人権教育の実施などを求める要望書を、提出した。
そして、6月初旬、朝日大学において、要望書を提出した私たちとの話し合いの場が持たれることになった(私はリモート参加)。授業の時期はまだ確定できないが、岐阜の野宿支援者を中心に、教材DVD『「ホームレス」と出会う子どもたち』を使った授業の実施など、大学側もできることを前向きに検討したいといっている。
渡邉さんに起こった悲劇が二度と繰り返されないよう、子どもたちがこれ以上もう加害者にならないよう、岐阜の教育にとって、小さくても重要な「はじめの一歩」となることを願っている。
事件後、関係のない学生たちまでネットでの攻撃や誹謗中傷を受けるなど、多くの学生たちが傷ついてもいるだろう。「私刑」と称して、真偽が判らない「犯人の実名と顔写真」を晒すなど、おぞましい攻撃性も噴出している。それはたとえば「ホームレスは社会のゴミだから掃除しただけ」と、「ホームレス狩り」をある種の「正義」として正当化するような加害者の心理と地続きではないか。
暴力を、暴力で裁くのは、もう止めたい。私たちの社会は、これからさらに、光も闇も濃くなる。コロナ禍で、分断・紛争が激化する一方で、世界が模索している「もうひとつのやり方」、非暴力の方法で、いのちへの襲撃を、弱者いじめの連鎖を止めたいと、私は願う。
誰が、何が、渡邉さんの命を奪ったのか。少年らの罪が正当に裁かれ厳しく罰されることは当然のこととして、少年らだけが裁かれて解決することではない。
この社会を構成している私たちひとりひとりの意識、社会の共犯性を省みながら、少年らの審理を今後も追っていきたいと思う。そうして、過酷な被害を生き延びたサバイバーである女性Aさんが、今後、何を望むか、被害届を出して法に訴えたいか。彼女自身の意向に沿いながら、支援していきたいと思う。
今後とも、ひとりでも多くの方の、ご支援ご関心を、よせていいただけたら幸いである。
北村年子(きたむら・としこ)◎ノンフィクションライター、ラジオパーソナリティー、ホームレス問題の授業づくり全国ネット代表理事、自己尊重ラボ主宰。 女性、子ども、教育、ジェンダー、ホームレス問題をおもなテーマに取材・執筆する一方、自己尊重トレーニングトレーナー、ラジオDJとしても、子どもたち親たちの悩みにむきあう。いじめや自死を防ぐため、自尊感情を育てる「自己尊重ラボ Be Myself」を主宰し、自己尊重ワークショップやマインドフルネス講座も、定期的におこなっている。2008年、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」を発足。09年、教材用DVD映画『「ホームレス」と出会う子どもたち』を制作。全国の小中学・高校、大学、 専門学校、児童館などの教育現場で広く活用されている。著書に『「ホームレス」襲撃事件と子どもたち』『おかあさんがもっと自分を好きになる本』などがある。
外部リンク
津田寛治、名バイプレーヤーのデビュー秘話「たけしさんが休憩している合間に」
津田寛治 撮影/高梨俊浩
「映画が好きで、小学生のころからよく見ていました。最初にハマったのが『がんばれ! ベアーズ』というアメリカの少年野球チームの奮闘を描いたコメディー。あとは『小さな恋のメロディ』とか洋画を中心に見ていました。邦画だと角川映画全盛期だったので、むさぼるように見ていましたね(笑)。
そこから映画の仕事をしてみたいと思い、最初は監督を目指そうと思ったのですが、敷居が高いと周りから言われ諦めまして。じゃあ、俳優ならできるかなと思って目指し始めたんですけど、そこからが大変でした(笑)」
正義感あふれる刑事や、狂気の犯罪者、心やさしき夫など振り幅の広い演技でさまざまな作品に出演。いまや名バイプレーヤーとして引っ張りだこの津田寛治。しかし、下積み時代は長く、苦労も多かったと話すが、ある人と出会い自らを売り込んだことで人生が変わる。
「25歳のころでした。録音スタジオの喫茶店でバイトをしていたんです。そこに(ビート)たけしさんが『あの夏、いちばん静かな海。』の仕上げのため、よくいらっしゃっていて。当時、『その男、凶暴につき』『3-4X10月』を見て、たけしさんって芸人だけでなく、監督としてもすごい方だなと思っていたんです。なので、たけしさんが休憩している合間に、緊張でしどろもどろになりながら手紙とプロフィールをお渡ししたら“わかりました”と受け取っていただいて。すごく紳士的に対応していただきました」
北野組の現場の魅力
すると北野組から声がかかり『ソナチネ』(1993年)で念願のスクリーンデビュー。
「初めての映画の撮影はとてつもなく楽しかったです。北野組は台本があってないようなもので、次の日何を撮るかみんな知らないんです(笑)。だから、“明日どんなの撮るんだろう”ってみんなで盛り上がったりして、ベテランや新人もなく、みんなで一生懸命楽しく映画を撮っている現場だった。映画は何が起きるかわからない楽しいものというたけしさんのメソッドが、いまでも僕の俳優としての芯の部分になっていますね」
たけしとの出会いで演じる楽しさを知り、テレビに映画、舞台など数々の作品に出演してきた津田。そんな彼は10月8日公開の映画『ONODA一万夜を越えて』で遠藤雄弥とW主演。フィリピン・ルバング島で終戦を知らされないまま約30年間任務を遂行し続けた小野田寛郎さんの壮絶な人生を描く本作で、小野田さんの成年期を演じる。
「13kgくらい減量して撮影に臨みました。カンボジアでロケをしたんですが、見たことのない虫もたくさんいる状況。日常生活でジャングルにずっといることなどないので、心が欠落していくというか、無に近づいていく感覚になるんです。小野田さんもそういう状況になったんだろうなと気づきましたし、30年間も自分だったり、いろんなものと向き合って生きてきたんだなって演じていて思いました」
役にストイックな津田だった。
自身をいちばん知っている芸能人について聞くと──。
「羽田美智子さんです。『花嫁のれん』や『特捜9』とか、夫婦役だったり刑事役だったり本当にいろんな作品でご一緒させていただいて。普段も“元気?”とか、たまに連絡を取り合ってます。『特捜9』メンバーはわりとみんなで連絡取っているんですよ。イノッチ(井ノ原快彦)も“ユーチューブで面白いのを見つけました”とか動画を教えてくれたり(笑)。15年近く一緒だからみんな仲がいいですね」
(元記事:週刊女性2021年10月19日号/Web版は「fumufumu news」に掲載)
外部リンク
有吉弘行、新MC番組も「乗り気じゃない」
有吉弘行
10月現在、“有吉”と名のつく番組がいくつあるかご存じだろうか。CSやラジオも含めてその数12本。
「大ブレイクからの人気低迷という地獄を味わったことのある有吉弘行さんは、よっぽどのことがない限り“仕事は断らない”スタンスなんです」(テレビ局関係者)
10月7日からまた新しく、彼がMCを務める『有吉の世界同時中継~今、そっちってどうなってますか?~』(テレビ東京系)がスタートする。
「これまで不定期番組として4回放送され、1回目の放送ではギャラクシー賞テレビ部門で'20年8月の月間賞に選出されるなど話題になりました。前番組の『主治医が見つかる診療所』の視聴率はここのところ4%を下回ることがあり不調が続いていました。番組としての伸びしろもないので、終わらせようという動きは少し前からありましたね」(同・テレビ局関係者)
ただ、この新番組のキャスティングは難航したという。理由はほかでもない。番組の顔である有吉の意向によるものだった。
妻・夏目三久との時間が作れない
「新番組は、スタジオと各国を中継で結び、世界のリアルな今を伝えるという内容。そのため、向こうの昼間の時間に合わせると、日本では深夜からの収録になることが多くなってしまう。有吉さん本人が乗り気じゃなかったそうなんです……」(同・テレビ局関係者)
来るものを拒まずの姿勢を貫いてきた有吉に、いったい何があったのか─。テレビ東京に事実確認すると、
「そのような事実はございません」
とのこと。だが、有吉の知人はこう話す。
「夏目三久さんと4月に結婚してからも、お互い売れっ子として最前線で走り続けてきました。夏目さんが芸能界を引退することで、有吉さんはようやく“夫婦の時間がつくれる”とすごく期待していたんです」
そのため、深夜の収録というのは新婚の有吉にとってはハードルが高かったようだ。
「当初は出演に前向きではなかった有吉さんですが、夏目さんの“周りから求められているうちは、期待に応えたほうがいい”というアドバイスもあり、オファーを受けることを決めたようですね」(同・有吉の知人)
9月いっぱいで日本テレビ系で放送されていた『有吉反省会』は終了したが、10月スタートの有吉の新冠番組はこのほかにもう1本。テレビ朝日系で『有吉クイズ』がスタートするのだ。
有吉の多忙ぶりにネットでは、《反省会終わって、2つ増えるってバケモンかよ》《有吉が仕事減らすために番組整理しだして反省会を終わらせるとかいう記事出てたのに、増えてるのは笑う》と驚く声が集まっている。
妻が思う以上に、テレビ局から求められまくり?
外部リンク
小室圭さんが行うべき「秋篠宮ご夫妻へご挨拶」の行方
眞子さま('18年10月)と秋篠宮さま('20年2月)
「26日が入籍日になるとは全く予想しませんでした……。
23日は眞子さまがお誕生日を迎えられるため、当日は宮内庁がご本人の近影を公表したり、宮内記者会に対して、この1年での出来事と近況を報告するレクチャーを行う会が必要となります。
そういった宮内庁の事情と、眞子さまがかねてから30歳までの結婚にこだわっておられたことを鑑みて“入籍は23日までに済ませるだろう”というのが大方の予想だったのです」(皇室担当記者)
「これ以上は耐えられない」
眞子さまと小室圭さんは、10月26日に結婚されると正式に発表された。ただ、その入籍日に驚きを隠せない皇室担当の報道陣。
このことについて、事情を知る宮内庁関係者は、
「眞子さまは今秋の結婚にこだわっておられたが“30歳になるまでに”というお気持ちではなかった」
と、26日が入籍日になった理由を次のように明かす。
「10月中の結婚は、眞子さまが譲れなかった部分が大きいです。しかし、23日以降であれば、11月や12月など、小室さんが受験したNY司法試験の合否が出た後、アメリカ生活の準備をしっかりとなされてからの入籍でもよかったはず。
どうやら、先日宮内庁が公表したように『複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)』だと診断された眞子さまは“これ以上の批判には耐えられない”というご心境で、早く皇室を離脱されたかったという思いが強かったようです。
10月17日までは『国際陶磁器フェスティバル美濃'21』の名誉総裁を務めていらっしゃるので、17日までの入籍はない。10月のうちで18日以降の『大安』は20日と26日だけです。皇室は吉凶を占う『六曜』を重んじることから、26日を入籍日に選ばれたのでしょう」
『大安』であるならば、20日の方がお誕生日に際する稼働がなくなるため、宮内庁側からしても都合がよかったはず。なぜ、20日を避けられたのか。
「20日は上皇后陛下、美智子さまの87歳のお誕生日です。同日にご自分が入籍すれば、国民の注目がおばあさまの慶事に向かなくなるおそれがあるので避けられたでしょう。これまでも皇室の方々のお誕生日には、ほかの行事が重なることがないように気を遣われてきたのが皇室の慣例ですからね。
10月中に結婚されたかったのは、秋篠宮さまのお誕生日が11月30日に控えているから。お父さまのお誕生日には事前に行われる記者会見の内容が公になります。
眞子さまのご結婚問題について最終的なコメントを出されるのは間違いありません。そのときには眞子さまが渡米しており、騒動がひと段落していることが望ましい。日本にいればご本人に取材が殺到したり、国民感情を刺激しかねませんから。
そういった理由で、パスポートやビザの取得で1か月必要だと考えれば、10月中の入籍はマストになるのです」
「結婚を認めた」ことになるおそれ
入籍日と同日に予定される、眞子さまとの共同会見のために帰国された小室さん。“義父母”となる秋篠宮ご夫妻との面会は果たされるのか。
「“普通なら”小室さんからご夫妻へのご挨拶は当然あって然るべきですが、どうやら暗雲が立ちこめています……」
そう話すのは秋篠宮家関係者。
「小室さんが秋篠宮ご夫妻と面会する“機会”自体がなくなってしまったのです。会見は入籍後に行われるとのことですが、婚約内定会見やお誕生日会見が行われてきた赤坂後用地内の『赤坂東邸』は使えません。ここは皇室の方々が使用することが前提であり、慣例です。
入籍後の眞子さまは民間人なので会見で皇室関連の施設は使えず、都内にある高級ホテルなどの外部施設が使われることでしょう。小室さんがご夫妻と面会するなら、入籍前に『赤坂東邸』で会見を行う機会しかないと言われていましたが、その可能性は事実上なくなってしまったのです。
おそらく、あくまで民間人となった“小室眞子さん”としての会見を望まれたのは秋篠宮家の当主である殿下なのだと思います」
昨年のお誕生日会見で“今までの経緯をきちんと話すべき”と述べられているとおり、殿下はおふたりにケジメをつけるための会見を求められてきたようだ。
「ただ、殿下としては憲法で保障されている結婚の権利は認めざるを得ないにしろ、家同士の問題である婚約は認めていないことから、皇室関連の施設で会見を開くことは許されなかったのでしょう。だからこそ、入籍後の会見になったということです。
国民感情を踏まえると、小室さんが秋篠宮ご夫妻に挨拶するためだけに秋篠宮邸を訪問すれば“秋篠宮さまが小室さんとの結婚を認めた”となりかねません。秋篠宮ご夫妻としては、結果的に小室さんとの面会を“拒否”しなければならないという非常に難しい状況にあると思います」(同・前)
秋篠宮ご夫妻に挨拶してもしなくても、国民感情を刺激してしまうおそれのある小室さん。義父母に対して、どのように筋を通すのだろうか。
外部リンク
長谷川京子と別居夫・新藤晴一「自室にこもりきり」な現在の暮らしぶり
長谷川京子と新藤晴一夫妻('18年4月)
長谷川京子とポルノグラフィティのギタリスト・新藤晴一に別居報道が出た。長谷川が家を出てマンションを借り、週末だけ子どもと会っているのだという。報じた『女性セブン』には“結婚13年目で離婚を決意”とのタイトルが。
‘08年に趣味の俳句を通じて知り合い、3か月でスピード結婚。12歳の長男、8歳の長女をもつ長谷川だが、ここ数年で「雰囲気が大きく変わった」との印象を抱く者も少なくない。
「寡黙な雰囲気ながら、ずっと“かわいい系”のイメージがあった長谷川さんですが、ここ数年でかなり“女性的な魅力”が増したように思われます。服装もぐっと露出が多いものになりました。また、テレビや雑誌などのメディアで“女としてみられたい”といったことを言うようになり、変化はビジュアル面のみならず発言にもあらわれるように。その急変ぶりはちょうど、新藤さんが起こしたあの一件と重なりますね……」(スタイリスト)
その一件というのが’15年に報じられた夫の浮気“疑惑”の報道だった。札幌のすすきのエリアのバーに仕事関係者と訪れた新藤がその後、小西真奈美似の美女と待ち合わせて夜の街へと消えたという内容。
脚本づくりにのめり込んで
「イケメンミュージシャンの新藤さんですから、そりゃ当時からだいぶモテました。しかし、“まさか北海道で撮られるとは……”と相当驚いたようで、あの一件からは落ち着いたように思われます。現在は音楽活動に加えて、もうひとつ新たなチャレンジに没頭しているんです。それはミュージカルの脚本づくり。ロンドンで『メリー・ポピンズ』を鑑賞してから、歌劇を作りたいという思いに駆られたようで、関係者に自ら“やりたい”と申し出たんだとか。
2年ほど試行錯誤を繰り返しながらのチャレンジで、なかなかうまくいかないことも多いらしく、脚本作りがはじまってからは自室にこもることも多くなったみたいですよ」(音楽業界関係者)
ポルノグラフィティでは『アポロ』や『サウダージ』『メリッサ』といった代表曲の作詞を担当してきた新藤は、これまで2作の小説を発表するなど、文筆家としての一面もある。学生時代から小説をよく読み、文学に親しんできたようで、過去のインタビューで地元・広島で過ごしていた高校時代をこのように振り返っている。
《嫌な友だちや嫌な先輩、田舎の閉塞感がある中で、小説が見せてくれた世界は自分の中で大きかった。だからこそ、いつか自分で作る側になってみたいとずっと思っていました》(『TSUTAYA News』 2017年11月10日配信)
同インタビューでは小説の担当編集者に多くのアドバイスを受けながら二人三脚で作品づくりに励んできたことを語っているが、今回の初挑戦にも“パートナー”がいるようだ。
演出家との打ち合わせに熱が入って
「作ったプロット段階の台本を担当の演出家の方にみせたところ、だいぶ辛辣なダメ出しを食らい、ショックを受けた様子でした。ですが、芸術家肌の晴一さんですから、“なんでも吸収してやる”とばかりに、もがきながら執筆に励んでいるそうです。
コロナ禍に入ってからライブなどの音楽活動がめっきり減って落ち込んでいた彼にとって、このチャレンジはまさに光明。演出家にアドバイスを受けて直したものをまた見せにいく日々を送っているのだそう。かなり充実しているそうです」(音楽業界関係者)
新しいチャレンジに没頭している様子の新藤だが、家族との関係はどうなっているのだろうか……。
「周囲には一緒に暮らしているお子さんの成長ぶりについて話すこともあり、家庭的なパパの一面もおおいに感じられます。しかしながら、晴一さんは最近、肉体改造もしているようで、独自のメニューを口にする。別居しているといいますから、あまり一緒に食事をする機会もないんじゃないでしょうか」(同前)
報道によれば長谷川が住むマンションはプール付きだとの記述もあった。子どもたちが休日をママと過ごす間に、新藤は机に向かう『ヒトリノ夜』──。
皆が納得していれば意外と幸せな家庭なのかもしれない。
外部リンク
森七菜、“先輩のバーター”で連ドラ復帰
森七菜
今年1月、前所属事務所のホームページから突然名前が消えたことで、事務所移籍トラブルを報じられた森七菜。そんな彼女が、久しぶりに連ドラに出演するという。
「来年1月期の日本テレビ系『土曜ドラマ』枠で放送される、成田凌さん主演作品のヒロイン役に決まったそうです。人気漫画が原作の医療サスペンスドラマで、成田さんは医師役を演じます。森さんは現在、成田さんが所属する事務所とエージェント契約を結んでいる関係から、“バーター(束売り)”に近い形で出演することになったとか」(日本テレビ関係者)
前事務所の女性マネージャーが'16年に大分県内の飲食店で森をスカウト。高い演技力でオーディションを勝ち抜き、アニメーション映画『天気の子』のヒロイン役を務めるなど、話題作に相次いで出演してブレイクした。ドラマ評論家の北川昌弘氏も、森を絶賛する。
「岩井俊二監督に抜擢された映画『ラストレター』ではメインキャストの広瀬すずさんに負けない存在感で、末恐ろしい子だなと思いました。当時は大手事務所ではなかったのですが、出演作品が絶えなかったのも納得でしたね」
クリーンなイメージが一転
そんな彼女が移籍トラブルを起こした背景には、事務所の事情と業界に疎い森側の考え方に違いがあったようだ。
「売れるまでは仕事やオーディションのたびに大分から上京していたこともあり、交通費や宿泊費など先行投資も多かったそうです。主演を務めるようになってからも給料が低かったのは、“先行投資を回収してから”という理由だと聞いています。しかし、そんな業界の事情を知らない森さんの母親は、仕事量ともらっているギャラが見合わないと、前の事務所に不信感を持ってしまったようですね」(テレビ局関係者)
昨年はドラマ『この恋あたためますか』(TBS系)でゴールデン初主演。高い評価を得ただけに、移籍トラブルがあったとはいえ、バーター出演とは意外だが……。
「騒動前までは数多くのドラマや映画のキャスティングに候補として名前が挙がっていましたが、ほとんどが立ち消えになってしまったみたいですね。テレビ局やスポンサーは金銭トラブルをかなり嫌がります。まだ契約期間が残っていた中での、強引な移籍劇だと報道されたのが痛かった」(同・テレビ局関係者)
契約途中に降板したり揉めたら困るため、起用が見送られていたようだ。
「これまでずっとクリーンなイメージで売ってきただけに、一度真逆な印象がついてしまうと払拭するのに時間がかかるでしょう」(広告代理店関係者)
次のドラマの反響次第かもしれないが、森にとっては依然として逆風が吹いていることに変わりはない。今後も厳しい状況が続きそうだが、前出の北川さんは「心配ない」と断言する。
「事務所移籍トラブルは犯罪ではないですからね。次のドラマの評価次第では、NHK『朝ドラ』のヒロインになれる逸材だと思います」
日本テレビに1月期ドラマ出演が事実かを確認するも、
「まだ1月期ドラマの担当者が決まっていないため、何もお答えできません」
ドラマ復帰で、“いつでもスマイル”できる日々が戻るといいが……。
外部リンク
結婚できない独身女性にも影響する「親ガチャ」問題
子どもは、親を選ぶことができません。どんな親の元に生まれるかわからない。それを、お金を入れると何が出てくるかわからないカプセルトイの“ガチャ“に例えて、“親ガチャ“という造語が生まれ、最近ネットニュースなどで話題になっています。また、どんな親の元に育ったかは、その後の恋愛観や結婚観に大きな影響を与えます。仲人をしながら婚活現場に関わる筆者が、目の当たりにした婚活事情を、さまざまはテーマ別に考えていく連載。今回は、親子関係と結婚観について考えていきましょう。
子どもの恋愛・結婚に“親ガチャ”は影響する?(写真はイメージです)
恋愛できないのは、両親のせい
先日、都内でOLをしている31歳のまゆこさん(仮名)が、入会面談にやってきました。面談ルームで、開口一番にこんなことを言ったのです。
「歳を考えたら、そろそろ結婚をしないといけないと思うのですが、今まで一度も男性とお付き合いしたことがないんです。どちらかといえば、男性は、避けて生きてきたので、異性を好きになる感情がわからない。こんな私でも、結婚できるでしょうか」
なぜ、男性を避けて生きてきたのか。それは、育ってきた環境にあると言います。
「私が小学校に入学する前に、両親が離婚したんです。母は、父の両親と同居していたのですが、離婚して私が大人になるまで何かにつけて、『結婚していたときは、地獄だった』という話をしていました。父は、些細なことでキレて暴力を振るう人でした。私も幼な心に、母が父に殴られているのを見た記憶があります。祖母は、父が母を殴っていても、見て見ぬ振り。母が逃げようとすると祖父が前にはだかって、逃げ道を塞いていた。離婚をして、母と2人暮らしになりましたけど、そんな話を何かにつけてされるので、男の人がすごく怖い存在に思えていました」
それなのに、なぜ婚活をして結婚しようと思うようになったのでしょうか?
「コロナが蔓延したことが大きいです。私、不要不急の外出をなるべくしないようにしていました。私が外で感染したら、母にうつしてしまう。母は、基礎疾患があるんです。もしもコロナになって死んでしまったとしたら、私はひとりぼっちになる。そう考えたら、絶対にコロナにかかれなかった。そして、母の死が現実にいつかは起こりうることとして考えたら、急に心細くなって、人生を一緒に過ごせるパートナーが欲しいと思ったんです」
そして、入会後にまゆこさんはお見合い婚活を始めたのですが、どうしても恋愛を頭で考えてしまう傾向にありました。これは恋愛経験のない方の特徴です。自分を素直に開示できずに、頭で考えた答えを出してしまうから、お付き合いに入っても1、2度会うと、“この相手は自分とは合わない”と感じて、交際を終了にしてしまうのです。
ただ何事も経験です。お見合いの回数をこなしていくうちに、男性と対峙してお話ししたり、お食事したり、デートしたりすることにも慣れていくでしょうし、そんなときに波長の合う男性が出てきたら、好きになると思うのです。時間はかかるかもしれませんが、お見合いで出会い恋愛する楽しさやドキドキ感を知って、そこから結婚に向かっていってほしいなと思っています。
男にだらしない母親が反面教師
さちえさん(30歳、仮名)には、26歳のときから4年お付き合いしていた男性がいました。30歳を目前にして、“そろそろ彼と結婚したい”と思っていた矢先に、その恋人から、フラれてしまいました。フラれた原因は、彼の心変わり。3か月前に婚活アプリで出会った女性とさちえさんを二股にかけ、結局新恋人を選んだのでした。
入会面談に来たさちえさんは、時折涙をこぼしながら言いました。
「私の母は、男性にだらしない人でした。小さかったときに母に連れられて出かけ、父ではない男性とファミレスでご飯を食べた記憶もあります。その男性が、ときどき変わるんです。それが、浮気相手だったとわかったのは、小学校中学年のころでした。私が家で1人で留守番できる年齢になると、母はだんだん私を連れて行かなくなりました。それからは深夜帰宅したり、帰ってこなかったりが続き、とうとう離婚になりました」
離婚は、さちえさんが中2のときだったと言います。
「父は、母の浮気を知っていたと思います。夫婦でどんな話し合いをしていたか、私はわからないけれど、母の帰りが遅いときには、父が夕食を作ってくれました。そんな優しい父を置いて、私のことも放っておいて、男性に走っている母が腹立たしくてならなかった」
離婚後、母親はほかの男性と暮らし始めたそうです。
「そんな母を見て育ちましたから、私は、自分が好きになった男性は裏切りたくない、大切にしたいと思っていました。だから、彼と4年お付き合いしていたときも、ほかの男性に目移りすることもなかった。彼だけを見て、彼だけを大事にしていたんです。それなのに浮気されちゃって。私が、『あなただけしか見ていなかったのに』と言ったら、『そういうところが重くて嫌なんだよ。これまでも、たまに浮気していた』っていうんです。父が母からされたことを、私は恋人からされたんですよね。正直者がバカを見るというか」
そして、こう続けました。
「私が結婚に望むものは、パートナーを大事にできるごく普通の生活です。口先だけの調子のいい男性ではなく、ひとりの人を大事にできる男性を探したいです」
さちえさんは、見た目にこだわるよりも、とにかく誠実な男性を探したいと、今は、果敢にお見合いに取り組んでいます。世の中には、平気で浮気や不倫をする人たちもいますが、ひとりの人を大切にして生涯愛し続ける人もいます。さちえさんには、後者の男性に巡り会ってほしいなと思います。
母親にいつもダメ出しをされながら育った
あきえさん(41歳、仮名)は、婚活をして半年になります。真剣に婚活をしていると、疲れが出てくる時期です。あきえさんが、3度ほどデートをして、いいなと思っていた男性から、先日交際終了が来ました。そのお断りの理由がこうでした。
「“私なんか”が口癖で、自分に自信のない発言が多くて、結婚しても楽しい時間を過ごすことができないと感じました」
あきえさんは、有名私大を卒業後に公務員になり、年収も安定していました。とても優秀な人なのに、私と面談しているときも、ネガティブな発言が目立ちました。また婚活がうまくいっていなかったので、さらにネガティブ発言が多くなっていたのでしょう。
交際終了が来たことを伝えたあとに、私はあきえさんに言いました。
「婚活に一番大事なのは、マインド設定なんですよ。生きていれば、何か問題にぶつかりますよね。そのときに、ポジティブに考える人は、1歩前に進める。ネガティブに考える人は、1歩後ろに下がるんです。そして、何か問題が起こる度にそれを繰り返していくと、ポジティブな人は前へ前へ、ネガティブな人は後ろへ後ろへと下がっていくから、人生に大きな差が出てしまうんですね。
婚活もそうですよ。前向きに考えている人は、いい結果が出なくても気持ちを切り替えてどんどんお会いしていくので、ご縁を引き寄せられるんです。でも、マイナス思考の人は、ひとつの失敗にクヨクヨしていて、後ろ向きな気持ちを抱えてお見合いに行くから、暗い雰囲気しか出せない。そして、発言もネガティブになる。そうなると、いい波がきていても、ご縁が素通りしてしまうんですよ」
こういう私に、あきえさんは、言いました。
「母が幼いころから私に、ダメ出しばかりする人だったんです。テストで70点を取ると、『どうしてこんな悪い成績なの』、90点を取ると、『なんで100点が取れなかったの?』と。良くても悪くても、否定されるんです。そういう母に育てられたから、私どこかで自分に自信が持てなくなったのだと思います」
あきえさんは、自分がネガティブ思考であると分かっていました。でも、その考え方が辞められないのです。そこで、私はこんなアドバイスをしました。
「ネガティブな感情を抱いたら、いったんそれは自分の中で受け止める。紙に書いてみるのもいいですよ。そして、それがどうしたらプラスに転換できるのか、その方法を考えてみたらいいんじゃない? あと、物事ってどの角度からそれを考えるかで、プラスにもとらえられるし、マイナスにも考えることができると思うんです。
例えばドライブデートで、渋滞にハマったとしますよね。“お昼前に目的地に着けると思っていたのに、ついてないな”と思ってしまったら、まずはその感情を一度自分で受け止める。で、そこから“あ、でも、渋滞に巻き込まれたおかげて、車の中で話す時間がたくさんできたわ。いい機会だから、彼の結婚観をじっくり聞いてみよう”と思えば、渋滞もポジティブに捉えられるようになるんじゃない?」
私の言葉は、あきえさんにどこまで響いたかわかりませんが、今も婚活を続けています。結婚できる人は、どういう人かというと、諦めずに会い続けた人です。あきえさんもお見合いを続けていくうちに、結婚できるお相手に巡り会えるはずです。
識者によると、性格は、生まれ持った気質(遺伝)と育った環境によって形成されるのだそうです。ならば、親の影響は絶大です。ただ個々が意思ある大人なのですから、自分の性格とうまく向き合いながら、自分に合った結婚相手を探せばいいのではないかと思っています。
鎌田れい(かまた・れい)◎婚活ライター・仲人 雑誌や書籍などでライターとして活躍していた経験から、婚活事業に興味を持つ。生涯未婚率の低下と少子化の防止をテーマに、婚活ナビ・恋愛指南・結婚相談など幅広く活躍中。自らのお見合い経験を生かして結婚相談所を主宰する仲人でもある。新刊『100日で結婚』(星海社)好評発売中。公式サイト『最短結婚ナビ』 YouTube『仲人はミタチャンネル』
外部リンク
『おかえりモネ』コロナは描かれる? 今後の行方は
ヒロインを演じる清原果耶
今月、いよいよ最終回を迎える朝ドラ『おかえりモネ』。菅波とはどうなる? 未知は? コロナは描かれるのか?今後、ラストに向けてどんな展開になっていくのかーー。注目すべき点を、放送コラムニスト・高堀冬彦氏が解説する。
「俺たちの菅波」現象も
NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』(月~土曜午前8時)が佳境に入った。10月29日放送が最終回だ。
この朝ドラを当初、「暗い」と評する向きがあったが、逆にこれほど見る側の気分をブルーにしない朝ドラは珍しいのではないか。
悪人が1人も登場しないからだ。ヒロインを裏切ったり、騙したりする人間は出て来ない。衝突した人同士もやがて分かり合う。古典的な朝ドラとは違った。
一方、愛すべき登場人物は多い。まずは何と言っても青年医師・菅波光太朗(坂口健太郎)である。言うまでもなくヒロインのモネこと永浦百音(清原果耶)の恋人だ。極端なまでにシャイで、恋に不器用であるため、好意を抱いていたモネとの距離をなかなか縮められなかった。
菅波はモネと第1話(2014年)から宮城県登米市の米麻町森林組合内で一緒に働いていながら、やっと好意を示せたのはモネが上京した後の第80話(2016年)。モネを抱き寄せ、抱擁した。
それまで視聴者側はじらされ続けた。菅波も自分をふがいなく思っており、自虐的に「小学生か」とつぶやいたこともある。2年以上、手も握れなかったのだから、その言葉もあながちオーバーではない。
半面、シャイで不器用だからこそ、視聴者は菅波のファンになった。「俺たちの菅波」と称して応援する声がSNS上に溢れた。この現象は制作陣も予期せず、驚いたという。
森林組合と東京の大学病院を往き来していた菅波は第85話(2017年)を最後に森林組合に常駐することになった。東京で暮らすモネとは遠距離恋愛に。現在(2019年)はモネが気仙沼市亀島に帰郷し、一方で菅波が東京勤務なので、離ればなれが続いている。
「距離が愛を冷ましてしまうのではないか」と危惧する声がSNS上で見られるが、心配は無用だろう、2人は第85話で固く結びついた。
遠距離になる前のモネは恋の行方に不安を抱いていた。だが、菅波は忙しく、それについて話し合えなかった。やっと会えた菅波に対し、モネは「離れちゃって大丈夫なんですかと聞きたかった」と告げる。ちょっと拗ねながら。
直後にモネは預かっていた菅波の部屋のカギを投げて返した。菅波は右脳の働きが弱く、投げられた物を捕れないのだが、それを忘れていた。
ところが、菅波はしっかりと掴み取る。そして直後にこう約束する。
「結論から言うと、大丈夫です。今後は何を投げられても、あなたが投げる物なら、僕は全部捕ります」
これに感激したモネは菅波に抱きついた。この時、2人は距離を超越できる存在になったと見ていい。
コロナは描かれるのか?
今後が不透明なのはモネの2歳下の妹・未知(蒔田彩珠)だ。宮城県水産試験場の研究科に勤務する未知は東京国際海洋大学の研究室から誘われている。101話(2019年)で分かった。高温に強いワカメの種苗を発見するなど優秀だからだ。
未知はモネに対し「公務員やりながら研究するほうが安定している」「東京、苦手だし」と大学行きを否定したものの、行きたい気持ちもあるようだ。秘かに2020年度入学のAO入試の要項をネットで調べていた。
未知は高卒後に就職した。第33話(2015年)で父・耕治(内野聖陽)は進学を勧めたが、「私はすぐに働きたいの!」と突っぱねた。それなのに大学に心が動き始めたのはモネが帰郷したから。
未知は自分のせいでモネが高卒後に亀島を出ていったことを知っていた。モネが東日本震災時に島にいなかったことを責めたからだ。だから、自分は島に残り、家族と一緒に暮らさなくてはならないという使命感を抱いていた。
もっとも、姉妹は第94話(2019年)で8年半ぶりに和解。だからモネは家に帰ってきた。これによって未知は解放された。ただし、片思いを続けてきた漁師の及川亮(永瀬廉)との問題が残されている。
耕治は2020年4月から勤務先のみやぎ銀行で本店営業部長になることが決まっている。母・亜哉子(鈴木京香)はモネと未知に向かって「本店の営業部長ってすごいのよ」と説明したが、確かに実際の銀行でも大抵は役員コースだ。
栄転後の耕治は仙台に単身赴任する予定だが、ここにきて家業であるカキの養殖業を継ぐ可能性も出てきた。「私が継ぐ」と言い始めた未知を自由にしてあげたいからだ。
亜哉子は耕治が反対しているものの、亡き義母・雅代(竹下景子)の跡を継ぎ、自宅で民宿を始めるはず。雅代のようになることが目標だからである。
2020年は永浦家にとって新たなスタートになりそうだが、それは困難な日々の始まりかも知れない。誰もが知るとおり、同年1月から日本はコロナ禍に見舞われたからだ。
この朝ドラの脚本を書いている安達奈緒子さんはNHK『透明なゆりかご』(2018年)などを過去に手掛けてきたが、持ち味の1つはリアルな作風。この朝ドラも現実離れしたエピソードがなかった。モネらが間もなく迎える2020年も描くとすれば、たぶんコロナ禍から逃げないだろう。
コロナ禍も盛り込まれるとしたら、永浦家はどうなるのだろう。耕治は予定どおり単身赴任するのか。亜哉子は民宿をやれるのだろうか。もちろん医師の菅波も気になる。物語では既に2019年後半。コロナ禍突入の直前で終わったら、それも不自然だろう。その後の永浦家や菅波の苦労を想像してしまい、かえって悲しくなる気がする。
撮影は9月3日に終わっているものの、今後の物語はトップシークレット扱い。どの朝ドラもそう。どんな結末が用意されているのか注目される。
まだ気になることがある。モネと未知の祖父・龍己の体調だ。第91話(2019年)の突風で壊れたカキ棚を直そうとしなかった。気力、体力ともに衰えたように映る。
「残った棚だけでやるのが今の俺にはちょうど良いんだよ」(第101話の龍己)
龍己は永浦家の背骨のような存在で、家族を精神面で支えてきた。まだ元気でいてほしい。
高堀冬彦(放送コラムニスト、ジャーナリスト)
1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立
外部リンク
小室圭さん、リアル『SUITS』になれるのか
アメリカから飛行機で成田空港に到着した小室圭さん('21年9月)
眞子さま(29)と小室圭さん(29)が大安の10月26日に結婚されることが宮内庁から正式に発表された。婚姻届を提出後には2人そろっての会見も予定されており、眞子さまはその後、パスポートやビザを取得し、渡米するとみられている。
眞子さまと小室圭さんに疑念も
だが、この発表と同時に眞子さまが「複雑性PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)」の状態にあることも明らかにされた。
宮内庁の会見には眞子さまの担当医師も同席し、結婚の発表と同時に病気公表するのは眞子さまの強い意思だったとし、「自分自身と家族、結婚相手と家族に対する、誹謗中傷と感じられる出来事が長期的に反復され、逃れることができないという体験をされた」と説明。
「周囲の方々の温かい見守りがあれば、健康の回復は速やかに進むと考えられる」とまで言及した。
「遠回しに、『小室さんと眞子さま、さらには秋篠宮家に対する批判のせいで精神的に追い詰められた、そうしたことがなくなれば回復するので、黙って見守ってください』といっているわけです。
しかも、そのような状態であっても結婚や渡米の準備には支障なはいというのですから、言われた国民としては素直に祝福する気持ちにはなるのは難しいと言わざるを得ません」
そう話すのは皇室記者だ。一方で、皇室ジャーナリストは「眞子さまは精神的にかなり追い込まれているのでは」と話す。
「一時金も辞退し、皇室も離脱することになるのだから、一日も早く小室さんと結婚して日本を離れたいという思いが強いのかもしれません」
昨年11月に眞子さまは小室さんとの結婚について、「生きていくために必要な選択」と強い表現で自身の考えを示したが、まさに文字通りの「生きていくために必要な結婚」なのだろう。
眞子さまと小室さんが結婚生活をスタートさせると言われているのは米・ニューヨーク。
小室さんの弁護士ライフはどうなる?
小室さんの就職先といわれているのはマンハッタンにある法律事務所だ。米国内に5か所の拠点があり、350人以上の弁護士が所属する大手事務所で、小室さんはM&A(企業の合併・買収)など主に企業法務を担当すると紹介されている。
ニューヨークの大手法律事務所で働く新人弁護士といえば、あの人気リーガルドラマ『SUITS』と同じ舞台だ。いわゆる法廷ドラマではなく、小室さんが担当する企業買収やら株取引、特許などが絡む企業弁護を中心に描かれている。
「あのメーガン妃もパラリーガル役で出演していたことで有名ですが、職場は実力第一主義で気の抜けない競争社会です。ファッショナブルでセレブ感満載ですが、収入を得るにはそれ相応の結果を出し続けなければなりません。
事務所の代表の判断で、いつでも解雇できますし、大手であればあるほど『ハーバード・ロースクール卒』という人材ばかりです。
学閥の繋がりが少ない小室さんは、最初こそ『妻は日本の元プリンセス』と注目されるかもしれませんが、相当の結果を求められると思います。結果が出なければ翌年は半分以上いなくなっているというのが現実です」(テレビ局関係者)
マンハッタンでの新生活で眞子さまの健康が回復するのであれば何よりだが、懸念材料も少なくなさそうだ。
外部リンク
デヴィ夫人が中国で炎上も「無礼ですわよ」と一蹴
'19年にデヴィ夫人のブログに掲載されたツーショットが波紋を呼んだ
《この女性は誰ですか》
《悪名高い反中右翼夫人》
このようなやりとりが行われているのは、中国版ツイッターの微博。今、中国のネット上ではデヴィ夫人に非難の声が集まっている。
「彼女はインドネシアのスカルノ初代大統領と'62年に第3夫人として結婚。'65年に大統領がクーデターによって失脚した後は、日本に帰国してタレントとして活動を始めました」(芸能プロ関係者)
いったい、何があったのか。キーマンとなったのが、張哲瀚(チャンジャーハン)という、日本ではあまりなじみのない中国の若手俳優だった。
「彼は端正な顔立ちで“公主(プリンセス)”と呼ばれるほどのイケメン。今年2月に主演した中国の時代劇ドラマ『山河令』は大ヒットし、たちまち人気俳優になりました」(スポーツ紙記者)
しかし、8月に彼の運命は一変する。
中国のネットユーザーが敏感に反応して
「張さんが'19年に来日した際に観光で靖国神社を訪れたり、乃木神社で行われた友人の結婚式に参加した際の写真が、ネット上に流出したんです。靖国神社は太平洋戦争のA級戦犯を祀っていますし、乃木神社は中国の支配権をめぐった日露戦争で指揮を執った乃木希典大将を祀っていますから、現地では忌み嫌われています。たちまち炎上し、瞬く間に彼は芸能界から追放されてしまいました」(中国に詳しいライター)
彼が列席した結婚式に、偶然居合わせたのがデヴィ夫人だった。彼女は自身のブログに張とのツーショット写真を掲載。今回の炎上でその写真が発見され、彼女のブログの内容が中国のネットユーザーにも知られることに。
「夫人はたびたび歴史問題に関する発言をしています。過去のブログでは、首相の靖国参拝を支持して“日本の誇りを取り戻しましょう”と綴ったりもしていました。それを知った中国の人たちが、敏感に反応したのでしょう」(同・ライター)
冒頭の夫人への攻撃にはこういった経緯があった。とんだとばっちりだが、当の本人はこの騒ぎを知っているのか。9月下旬に取材を申し込むと、すぐに彼女から電話がかかってきた。
「私、明日から『イッテQ』の撮影でロケに行きますの。ご用件は?」
中国での炎上騒ぎを伝えると、たちまち不快感をあらわに。
「まったく知りませんでしたわ。本当に無礼ですわよ!」
自分が“反中人物”なんてとんでもない、と憤慨する。むしろ、中国との友好関係を築くことに尽力したという。
「1960年代はスポーツと政治が密接な時代で、共産主義国家の中国はオリンピックに参加できませんでした。そこで夫は'66年に『新興国スポーツ大会』をインドネシアで開催し、中国を招待するなど、スポーツを通して交流を進めてきました。中国を国連の加盟国にしたのも夫です。彼は常々“真の民族主義は、他民族を尊敬することから始まる”と申しておりましたわ」
張と夫人のツーショット写真が、日中友好の証と受け取られることを願いたい。