SOUL REGALIA   作:秋水

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※20/02/02現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第三章 嵐だけが大樹を倒す
第一節 火の粉を集めよ


 

「やれやれ。今度は一体何が起こってるんだか……」

 最後まで異常事態(イレギュラー)に振り回された『遠征』も、何とか山場を越えた。

 そう思い、一息ついていたらリヴィラの住人が血相を変えて飛び込んできて。

 よく分からないまま彼らに連れられ、街へと出向けば、見慣れない不気味な怪物が数体暴れていた。

 巨大な頭部。赤く発行するいくつもの眼。奇怪な腕。極めつけは、口と思しき場所から無数に生え、手招きする手。

 状況をつかめなまま討伐したら、今度は思わぬ真相を聞く羽目になった。

「ろくでもないことなのは確かだのう」

 豪放磊落なガレスも、流石に今回ばかりは顔をしかめている。

 何しろ、足元に倒れているこの怪物はモンスターではない。

 それどころか冒険者のなれの果てだという。

「ボールスたちの言うように、呪詛(カーズ)と見ていいとは思うけど……」

 地上からこの一八階層までの間、どこかの階層でその呪詛(カーズ)を受けたのではないか――と。

 それが、ボールス……というより、この街に定住する治療師(ヒーラー)達の見立てだった。

「だが、こんな悍ましい呪詛(カーズ)は聞いたことがない」

 死体……いや、遺体を見分しながら、リヴェリアが呻く。

「例の『暗い穴』でもなさそうだ。……亡者とは姿が違いすぎる」

 アンデッドなら、僕らも遭遇している。

 あれの見た目はあくまでも干からびた死体だ。少なくとも、人間としての原型は保っている。

 こんな、どこからどう見てもモンスターにしか見えないような有様にはならない。

 例によって異常事態(イレギュラー)と判断するしかない。

(さて、どうしたものか……)

 五二階層では怪人(クリーチャー)および奇妙な人影。

 五八階層ではデーモン。

 五九階層では穢れた精霊。

 そして、帰り道では妖毒蛆(ポイズン・ウェルネス)の大量発生。

 立て続けに起こった異常事態(イレギュラー)によって、消耗かかなり深刻だった。

 特に妖毒蛆(ポイズン・ウェルネス)。これに遠征隊の三分の一以上が侵され、今も寝込んでいる。

 その結果、部隊は機能停止。

 主力の一人であるベートは、毒に対する特効薬を買い集めるため、つい先ほど地上に向かったばかりだ。

 現状で動ける人員を数えていると、ガレスが言った。

「どうする、フィン。調査に行くか?」

 行くとしても、今すぐは無理だ――と。そう言って首を振るより早く。

「いいえ、それはいけません」

 たおやかな声が、僕達を引き留めた。

 視線を向けると、そこにいたのは白い装束に身を包んだ女冒険が立っていた。

 ……いや、彼女は本当に冒険者なのだろうか。

 その装束は上等な仕立てで、衣服として見ればなかなかのものだと思う。

 ただ、戦装束(バトルクロス)として見るなら、少々心許ない。

「これは、古い王がもたらす災い。かの王の怒りが静まるまで、人に成す術はありません」

 その衣装のせいだろうか。

 彼女の姿は古代に神託を伝えた巫女のようにも感じられた。

「この呪詛(カーズ)について、何か知っているのかい?」

「あまり、詳しいことは」

 彼女は小さく首を振ってから、続けた。

「ただ、(わたくし)の生家には、古代の書物がいくらか残っておりました」

「その中に、この呪詛(カーズ)についての記述があったと?」

 リヴェリアの問いかけに、彼女は小さく頷いた。

「神々の天敵たる【闇の王】。かの王は深淵と異形を従者に現れる」

「【闇の王】だと……?」

 リヴェリアが小さく呟いた。

 それは、確かクオンを意味する二つ名だったはずだけど……。

「それでは、この異形は……」

「断言はできません。ですが、この方たちには、その書に記されている特徴がいくつも見られます」

 冒険者たちの亡骸を視線で示し、彼女はそう言った。

「では、その深淵とやらを消すにはどうすればいい?」

「深淵が従うのはただ【闇の王】のみ。生じるも消えるもかの王の御心一つと」

 人に成す術がないとはそういう事か。

「その闇に、みだりに近づいてはなりません。いかに強い信仰であれ、いずれ飲まれてしまうでしょう」

 それだけを言い残すと、彼女は立ち去って行った。

「彼女は何者だい?」

「詳しくは知らねぇよ」

 胡散臭そうな目で彼女を見ていた、ボールスに問いかける。

 何だかんだ言って彼こそがここの大頭だ。知らないはずがない。

「だが、時々姿を見せちゃ、ああやって胡散くせぇ話をしてきやがる。しかも、何をトチ狂ったか無料(タダ)で怪我人の手当てまでしやがって」

 商売あがったりだ――と、ボールスが呻く。

 とはいえ、貴重な治療師(ヒーラー)を追い出す気にもなれないらしい。

「『施し』というものか」

 リヴェリアが、小さく呟いた。

「ああん?」

「『古代』の聖職者たちが、自らの慈悲や慈愛を示すために行っていた寄付だ。……実際には布教の手段だったようだがな」

 私も、さほど詳しいわけではない。そう言ってから、リヴェリアは続ける。

「魔法が私達魔法種族(マジックユーザー)だけの物だった頃。傷病治癒は呪い師(シャーマン)か聖職者の領分だったという」

 傷や病を癒すことで、自らの神の力を示し、帰依すれば更なる救いがあると説く。かつて存在した聖職者たちはそう言った手法を用いたらしい。

 ――と、概ねそのようなことを彼女は説明した。

「今さら布教もクソもねえだろ。神どもなら地上にいくらでもいる」

 リヴェリアの講義にしては簡潔だったものの……それでもボールスは辟易したらしい。

 げんなりとした顔で、そう吐き捨てた。

「ああ。だから廃れた」

 気にした様子もなく、リヴェリアもまたきっぱりと頷く。

 曖昧に笑うしかないのは僕だけだった。

 ……個人的に、これは本当に相槌に困る話題だ。

 何しろ、僕達小人族(パルゥム)の凋落は、神々の降臨こそがきっかけなのだから。

 降臨した神々の中にフィアナが存在しなかったこと。

 いわば信仰を否定された結果が、今日の有様だ。

「ところで、彼女はどこの派閥なんだい?」

 興味というべきか。それとも素直にやっかみというべきか。

 少し意地の悪い気分で、ボールスに問いかける。

「本人から聞いたわけじゃねぇが、【クァト・ファミリア】だって話をよく聞くな。……奴らはそう言うもの好きな集団だからな。多分、間違いねぇだろ」

「ああ、そんな話を聞くね」

 その派閥には覚えがある。

 もちろん付き合いがある訳でもないし、特別に目立った功績を持つ派閥でもない。

 精々がよくある中堅派閥でしかない。……少なくとも、ギルドの査定ではそうなっている。

 ただ、主神がわざわざ架空の神を『ろーるぷれい』しているという物珍しさから時折話題に上る派閥だった。

 ダイダロス通りを中心に、炊き出しや傷病者の手当て、冠婚葬祭などの儀式を受け持っているとかいないとか。

 ……それとは別に、少々きな臭い噂を耳にすることもあるけど。

「それで、フィンよ。どうするつもりじゃ?」

 改めて問いかけてくるガレスに、肩をすくめて見せる。

「行くとしても、今すぐは無理だね」

 答えは先ほどと変わらない。

「攻撃を仕掛けるならまだしも、探索となると人手が足りない」

 未知の呪詛(カーズ)を使う呪術師(ヘクサー)を相手にするには、もう少し態勢を立て直す必要がある。

 あるが、そのためにはまず妖毒蛆(ポイズン・ウェルネス)の毒をどうにかしなくてはならない。

「一応、この街にいた冒険者が何組か調査には向かってるぜ」

 告げると、ガレスより先にボールスが返事を寄越した。

「奴らも素人じゃねぇ。もうしばらくすりゃ、戻ってくるだろ」

 やべぇ事が起こってるのは分かってるだろうし、油断はしねぇだろ――と、ボールス。

 確かに、リヴィラにいる時点で、最低でもLv.2以上。

 住人の中で最高ランクはLv.3のボールスだが……『下層』以降に挑む二級冒険者以上が滞在していることも珍しくはない。

 それに――…

「ここは一八階層だ。冒険者の往来もそれなりにある」

 その通りだ。調査に行った冒険者か、地上から新たに冒険者が訪れれば、情報も手に入る。

 情報が手に入れば、もう少し状況も見えてくる。

(態勢を立て直しつつ、情報を待つか……)

 消耗が深刻な今のパーティを考えれば、それ以外の選択は思い浮かばない。

(エニュオか闇派閥(イヴィルス)残党の仕業の可能性は充分にある)

 少なくとも、呪詛(カーズ)を用いる誰かが関与していると考えていい。

 では、呪術師(ヘクサー)がいると仮定して、その狙いは一帯何か。

 これほどの呪詛(カーズ)だ。存在が露見したなら、ギルドが黙っていない。

 すぐにでも【ガネーシャ・ファミリア】に調査を命じる。

 それどころか……

(変容した冒険者たちに共通点はない)

 変容していた冒険者は九人。それぞれが別のパーティで、もちろん派閥も違う。

 それらの派閥ないし冒険者同士を結び付ける何かがあるとは思えないというのが、ボールスの見立てだ。

 つまり、彼らは無差別に呪詛(カーズ)をかけられたということになる。

 手当たり次第に襲われるなら、他の派閥とて黙ってはいない。

(もう準備は最終段階に入っている?)

 もはや、隠し立てする必要がない。

 計画がその段階に入っているなら、事態は極めて深刻だ。

 また、その仮定が正しいなら、障害となる僕達をダンジョンに閉じ込めておくために仕掛けてきたという可能性も出てくる。

(それとも……)

 クオンがいよいよ本気になったのか。

 素性の怪しい派閥の一団員の言葉をどこまで当てにしていいかは分からない。

 しかし、今までオラリオで確認された事のない脅威には、概ね彼の影がちらつくのも事実だった。

(仮にこの呪詛(カーズ)がクオンによるものだとして)

 そのうえでギルドが動かないとするなら、一連の事件をウラノスが裏で操っている可能性も一気に現実味を帯びてくる。 

「何かあったら、また知らせてくれ。それと、念のためリヴィラも守りを固めておいた方が良い」

 もっとも、今の時点では判断に足りる情報はない。

 それよりも、目の前の状況に対する術を考えた方が有益だろう。

「またこの前みてぇに、新種でも襲ってくるってか?」

「ああ。それに、調査に行った冒険者が異形になって戻ってくるかもしれない」

 頷いてから、告げるとボールスは舌打ちした。

「なら、てめえらもここに泊まりゃ良いだろうが」

「宿泊料金の面倒を見てくれるならね」

「よぉし! リヴィラの外の守りは任せたぜ!」

 あっさりと手の平を返すボールス。

 もっとも、ここは分散しておいた方が良い。

 基本的に最大戦力がLv.3のリヴィラと消耗したとはいえ、Lv.6やLv.5が複数存在する僕達の野営地。

 この二つを天秤にかけ、無差別に狙うならリヴィラの方が狙いやすい。そして、リヴィラが狙われたなら、こちらも背後から奇襲できる。

 逆に、あえて僕達を狙うならエニュオ絡みという可能性が高まってくる。

(防衛は少々厳しいけど……)

 最悪は負傷者だけでもリヴィラに撤退させるという手を打てないわけでもない。

 ベートが戻ってこない限り、完全な回復は望めないが……リヴェリアを含む治療師(ヒーラー)達の活躍で、多少は毒も緩和されていた。 

 それくらいの無理は何とかなる。

 もちろん、両方が同時に襲われることも考えられるが……その時はお互いに戦力が分散した幸運に感謝するとしよう。

「やれやれ、相変わらず現金な男だ」

 肩をすくめるリヴェリアに苦笑してから、ひとまずリヴィラの街を後にした。

「それで、どうするつもりじゃ?」

「ひとまず、野営地の防衛強化かな」

 振り返り、リヴィラの街を囲う防衛壁を眺める。

 自己修復するダンジョンでは基本的に『地表に置く』という方法しか取れない。

 従って、リヴィラの防壁も決して堅牢とは言い難い。

 だが、一方で時間さえあれば無限に資材が手に入るという利点もあった。

 今動ける人員だけでも、阻塞(バリケード)……簡単な馬防柵のようなものなら作れるはずだ。

「椿とも相談しよう」

 武具といえば武具だ。何か良い知恵を貸してくれるかもしれない。

 

 そして、それから。

 

「ううむ……。やはりいまいち……。やはり手前が一から……いや、材料が足りんか」

 多少ならず本人は不満そうにしていたが……ひとまず椿監修の元で野営地には堅牢な防壁が設置された。

 元々人員が足りていない状況での作業だ。

 地上の時間でも一日近くの費やしたわけだが――…

 

 ちょうど一八階層にも『夜』が訪れた頃。

「誰も戻ってこない?」

 再びボールスに状況を聞きに行ったところ、思わぬ返答が返ってきた。

「いや、戻ってこねぇわけじゃねぇんだが……」

 がりがりと頭を掻きむしりながら、曖昧に呻いてから。

「戻ってきた奴らは、全員これといった異常を見つけられてねぇ」

呪術師(ヘクサー)と遭遇した冒険者は全滅した?」

「それなんだが……ちょいと妙でな」

 言葉を探すように、多少迷ってから、ボールスが続けた。

「地上に戻って情報を集めてくる。そう言った奴らが軒並み戻ってこねぇ。ギルドに伝えたらすぐ戻るって言った奴らもな」

「かなり浅い階層に潜んでいると?」

「俺もそう思ったんだが……一階層への連結路前で別れた奴らまで戻ってきてねぇらしい」

「それは、妙は話だね」

「だろう?」

 ボールスの――あるいは、その冒険者たちの証言が確かなら、呪術師(ヘクサー)が潜んでいるのは一階層ということになる。

 あるいは――…

(すでに地上で行動を起こしている?)

 地上の住民があの異形に変えられている。

 それは、我ながらゾッとしない考えだったが……流石にそれはあり得ない。

(ロキは無事のはずだ)

 この身にはまだ『恩恵(ファルナ)』が宿っている。

 正確には、まだ【ステイタス】が機能している。

 なら、ロキは無事だ。ボールスの主神も。もちろん、神ヘファイストス同様に。

「地上で足止めをされているということか……」

「ギルドにか?」

「ああ」

「……本気かよ?」

「正直、少し自信がないかな」

 この場合、ダンジョンが完全に閉鎖されたということだ。

 異常事態(イレギュラー)が発生し、特定の階層以下への立ち入りが制限されることなら時々ある事だが……

「何しろ、完全閉鎖なんて前例がない」

 調査隊なり討伐隊が派遣されるまでの短時間ならともかくとして、現時点でほぼ一日が経過している。

 これほどの長時間となると前例がない。少なくとも、僕が知る限りでは。

 遥か昔から厄災の根源、怪物の母体と恐れられてきたダンジョンだが……今や、オラリオの大切な財源でもある。

 冒険者達が持ち帰る魔石や迷宮資源こそがオラリオを潤すものだ。

 長期化すれば、中小派閥どころかギルド自体にも……いや、オラリオ全体にまで影響が及びかねない。

「……こりゃ、ちょいとマジで警戒しといた方がよさそうだな」

「同感だ」

 通常なら、あのロイマンが下すような決断ではない。

 ()()()()が動いたか。それとも、ロイマンをしてその決断をせざるを得なかったか。

 いずれにしても、予想が当たっているなら、僕らは前例のない危機に晒されていることになる。

「ひとまず、一七階層と結ぶ連結路周辺に簡単な監視所を構築しよう」

 とはいえ、お互いにできることは決して多くはない。

 その中で、できることからやっていくよりないだろう。

「監視所だぁ?」

「何かが来るとしたら、それは上からだ。件の呪詛(カーズ)に侵された冒険者もね」

 リヴィラの街中で暴れられるよりは被害が少なくて済む。

「ダンジョンの中に立てこもるってか?」

「少なくとも、明後日までは」

 ボールスの言葉に頷く。

「今、ベートが地上に向かっている。帰還予定日は明後日だ。……いや、もう一日前後するかもしれないが」

 何しろ、必要な特効薬は希少品だ。

 一日か二日は間違いなく……三日以上かかってもさほど不思議ではない。

「三日待って変化がないなら次の手を打つ。ただ、その間に状況が悪化する可能性もある」

「だろうな。何があっても良いように、子分どもに準備させておくぜ」

「そうしてくれ」

 

 リヴィラの街から野営地へ戻る途中、今手元にある物資をざっと思い浮かべる。

 建築資材は、まだ少し余裕がある。

 それに、切り出すのはさほどの手間ではない。

(監視所の建設と並行して食料を確保する必要があるか)

 元々手持ちの食糧は底が見えてきている。

 事態が動く前に蓄えておかねば、足元をすくわれかねない。

(仮に余ったなら、リヴィラで売ればいい)

 食料だけではなく、用済みとなった阻塞も、リヴィラの街にとっては使い道がある。

 不壊属性(デュランダル)の武器に大量の魔剣。

 協力してくれた【ヘファイストス・ファミリア】への報酬。

 そこに加えて妖毒蛆(ポイズン・ウェルネス)の毒に対する特効薬の買い占めだ。

 下手をすると、この遠征は赤字決算ということにもなりかねない。

 例え小銭でも稼いでおきたいというのは、団長として偽らざる本音だった。

(それに、地上の様子。何より、ギルドの動きが気になるけど……)

 それ次第で、神ウラノスが黒幕(エニュオ)だという可能性も出てくる。

 場合によっては、リヴィラこそが最後の拠点となるかもしれない。

 ……モンスターの真似事をするのは少々複雑だが。

(次の手を打つのは、ベートが戻ってきた時だ)

 明日がベートの帰還予定日。その翌日を基準に設定する。

 予定日を過ぎても戻ってこないなら、何らかの深刻な異常事態(イレギュラー)が発生しているのは間違いない。

 戻ってきたのなら、何かしらの情報が手に入るはずだ。

 

 

 

 ヘスティアたちがダンジョンに向かってからしばらく。

 見るともなく、欠けた月を見やりながら、ただ静かに時が過ぎるの待つ。

 どのみち、下界では大したことができない。こうして、無事を祈っているしかないのだ。

 

 神が何に祈るのか――と。

 

 それを真正面から聞いてきた男が、一人いたのを思い出す。

 

「あいつがいてくれたなら、もう少し安心できたんだが……」

 もっとも、あいつは俺の眷属ではない。

 誰の眷属かすら知らない。

 いや……。 

 おそらく、だが。彼は例の【正体不明(イレギュラー)】と同じ――…。

 

「武神が憂い顔とは、今宵は血の雨でも降るか?」

 不意に、背後に気配が生じた。

 ……腑抜けている。いくら下界とはいえ、ここまで接近を許すとは。

 いや、この男相手なら、それも止む無しか。

 振り向いた先にいるのは、一八〇Cを超える体を()()()()()()()()()()()()()極東風の大鎧で覆った男。

 無論、腰には刀を……それも、随分と物騒な()()を放つ刀を帯びている。

 

 俺自身が知る限り、彼こそが()()()()()()()だと言っていい。

 彼こそが【剣聖】だと。そう呼んで差し支えないと、心からそう思う。

 子供(ひと)がこれほどの境地に至れるとは……と、感動と安堵を覚えたほどだ。

 

「久しぶりだな。戻ってきたのか?」

「うむ。今日は妙に警備が固くてな。少々難儀した」

 もっとも、彼について詳しいことは何も知らない。

 長く剣の道に生き、とある国に仕え、出奔し、その後であった剣士を探している。

 知っているのはそれだけだった。

「探し人でも見つかったか?」

 ただ、その声がどこか弾んでいることくらいは分かる。

 何が良い事でもあったのだろう。

 ……まさか、本当に血の雨が降ることを望んでいるわけでもあるまい。

「いや、残念ながらそうではない」

 彼は、首を横に振った。

「だが、少々面白い戦を見てな。武神殿と()()()でも酌み交わしながら、語り合うのも悪くないと思うたのよ」

 一体どこで手に入れたのか。大徳利を片手に下げて、彼は言った。

 酒など飲めば太刀筋が鈍る――などと謙遜を言う癖に、実のところ大層な?兵衛だ。

 ……いや、飲むのは酒ではなくあくまで()()()だが。

「いや、すまん。今は飲んでいられないんだ」

「そのようだな。何かあったのか?」

 気遣い……ではない。

 戦の気配に、ほんの僅かばかり高揚しているらしい。

 未だ無念無想の境地とはいかないようだが……こればかりは武人の(さが)か。

「実はな……」

 簡単に事情を説明するが……やはりというべきか。

 彼の反応は鈍かった。

「確かにあまり褒められたことではないが……。しかし、戦場ではよくある事であろう?」

「それは、まぁ、そうなんだが……」

 常在戦場を体現するこの男に言われてしまえば、反論の余地などない。

 武神として、確かにそうだと納得する自分を自覚していた。

 ただ、その一方で、その声が遠くて小さいことに、不思議な感慨を覚えてもいた。

「時にお前はダンジョンの中を通ってきたんだろう? それらしいものは見なかったか?」

 見かけたなら、流石に見殺しにはしない。……と、思う。

「白髪で赤い瞳の少年で……名前は、ベル・クラネルと言うんだが」

 あわよくば連れてきてくれていたりしないものか。

 それくらいの気分だったのだが……。

「何だと?」

 珍しく、彼は驚いたようだった。

「詳しく聞かせよ」

「お、おう」

 不覚。ぎらつく気配に、ほんの少しだけ気圧された。

(いかんいかん。武神が狼狽えてどうする)

 その気配に負けたのではない。俺の心が元から乱れていたせいだった。

 打てる手はすべて打った。後はどっしりと構え、天運を待つのみ。

 それに、主神たる俺が命たちを信じてやれずしてどうする。

「詳しくといっても……」

 整息し、心身を正してから、改めてその問いかけと向き合う。 

 ベル・クラネルという子供を、いったいどれほど知っているか。

 記憶を辿るが……当然ながら、大したことは知らない。

「俺の眷属(こども)ではないからな。ほとんど何も知らん」

 主神のヘスティアとは親交があるが……眷属同士の面識はない。

 あったなら、こんなことにはならなかっただろう。

「ただ、一ヶ月半という驚くべき速さでランクアップを果たした新人(ルーキー)だ」

「新人? まだ新兵だと?」

「ああ。冒険者になって、まだ一ヶ月半だ」

 ……いや、しかし。

 僅か一ヶ月半で『器』を昇華するとは、自分で言っていても俄かには信じられない話だ。

 無事に戻ってきて、謝罪を済ませたなら、ぜひ言葉を交わしてみたいところだった。

「ふぅむ……」

 珍しく困惑した様子で、その武人は唸った。

「どうかしたか?」

「いや、おそらくそれは壮挙なのだろうが……」

 ……やはり、この男は【正体不明(イレギュラー)】や、ヘスティアの新しい眷属(こども)と同じらしい。

 この様子なら、案外と他にも何人かいるのかもしれない。

「五九階層までたどり着ける者どもが賞賛するほどなのか?」

「……お前、一体どこに住んでいるんだ?」

 単独で五九階層まで行けるとは、まさに【正体不明(イレギュラー)】にも見劣りしない。

(ダンジョンの中に住んでいると聞いているが……)

 まさか、五〇階層とは言わんだろうな――と、呻いてから。

(いかん。ありそうな気がしてきた……)

 むしろ、この男の立ち振る舞いからしてできない理由を探す方が難しい。

 武神としてのそんな見識は……この際、錯覚だと思っておくことにしよう。

「気になるなら、会いに行ってみたらどうだ?」

「ほう。私を駒として使おうとは……」

 流石は武神。抜け目がない――と、その男は喉を鳴らした。

「……いや、別にそういう訳ではないんだが」

 もっとも、そんな思惑が全くなかったといえばそれもまた嘘になるが。

 地上に最も近い安全階層(セーフティ・ポイント)は一八階層。

 仮にそこに住んでいるとしても、ベル・クラネル達がいる階層は通過しているわけだ。

 援軍として、心強いことこの上ない。

「しかし、その通りだな。その神託は有り難く受け取っておくとしよう」

 ここで死なれてもつまらぬ――などと。

 なかなか不吉なことを言いながら、その武人は手にした大徳利を差し出した。

「預かっておいてくれ。ついでに、あのひよっ子どもも拾ってこよう」

 それだけ言うと、その武人は再びバベルへ向かい歩き出した。

 

 …――

 

 ダンジョンの異常は、まだ完全に収まったわけではないらしい。

「すみません、ありがとうございます!」

「おう、気をつけな、嬢ちゃんたち」

 ……いやまぁ、キラーアントは対応をしくじると、普段から普通に面倒なことになるが。

 いかにも新人といった風体――つまり、擦れていなけりゃやさぐれてもいない。何より狂暴になっていない――の、しかも女ばかりのパーティに軽く手を振りながら、見送る。

 ここが酒場なら……そうでなくても、地上なら酌の一つも頼んでいただろうが、生憎とダンジョンの中だ。

 それに、今は【ガネーシャ・ファミリア】の連中が目を光らせている。ついでに、かなり殺気立ってもいる。

 ……主力の【フレイヤ・ファミリア】がどういう反応を返すかは微妙なところだが、まかり間違って睨まれたらそれこそ終わりだ。

 惜しいが、ここは大人しくしておくべきだろう。

 冒険者たるもの、危険には敏感でなくてはならない。

「あの牛人(カウズ)の子、胸デカかったよなぁ」

「あのピンクの子もなかなか可愛かったわねぇ……」

 確かに。やっぱ酌くらいさせておくべきか……。

「……お前達。不埒なこと考えていると、また返り討ちにされるぞ?」

 スコットとガイルの言葉に内心で頷いていると、『落穂拾い』――ホークウッドの野郎が露骨にため息を吐いた。

「されるわけねぇだろ?! ありゃ、どう見てもまだLv.1だぞ?!」

 槍持った嬢ちゃんはともかく、他の二人はマジものの素人だった。

 ダンジョンが閉鎖されていた間、ずっと稼ぎがなくて貧窮し、やむにやまれず調査隊の後をつけて深入りしてきたクチだ。

 何故なら、そういう内容の会話が向こうからまだ微かに聞こえてくる。

 ……ちょいと不用心すぎるだろ、あの嬢ちゃんたち。

(オイオイ……。ンなことしてっと、マジでカモられるぞ)

 もう少し警戒しろ。モンスターだけじゃなくて、同業者にも。

 どっかのクソ生意気な新人(ルーキー)と違って初々しい……というか、初々しすぎる。

 おかげで、つい柄にもないことを考えてしまった。

「この前、酒場の給仕に泣かされて帰ってきたのはどこの誰だったかな」

 相変わらず一言多い奴だな、この野郎。

「そもそもだ。お前達みたいな荒くれ相手に、女だけで切り盛りできている時点で少しは警戒しろ。危険には敏感になれ」

「うるせぇよ!?」

 確かにその通りだけどな!

(くっそー…。やべぇのはあの女将だけだと思ってたんだがなぁ)

 適当に切り揃えた髪を片手で掻きむしっていると、ホークウッドの野郎が言った。

「しかし、ダンジョンに行くと聞いた時は、調査隊とやらに参加するのかと思ったが……」

 それなりに長い付き合いだ。ンな殊勝な性格じゃねぇことくらいわかってんだろうが――と。

 そんな言葉を返す前に、奴が続けた。 

「閉鎖が解放された途端、リヴィラの街とは。……お前も可愛い奴だな。そんなにあの街が心配か?」

「かわ……っ?! 不気味なこと言うんじゃねぇ!!」

 しかも、その陰気な顔と声で……あと、陰気に笑いながら。

「つーか、誘っといてなんだがよ」

 舌打ちしてから、さっさと薄気味悪い話題を変えることにした。

「何だ?」

「もう夜だってのに、ついてくるのかよ?」

 あの【正体不明(イレギュラー)】が朝から呼び出されて対処に向かったのだ。

 昼過ぎには解除されると思っていたのが……予想に反してこの有様だ。

 そんなことを愚痴ったら、こいつにはやたらと呆れられたが。

「……今回だけは特別だ」

 不機嫌そうに、ホークウッドは吐き捨てた。

 相変わらず、よく分からない野郎だ。

 ダンジョンが閉鎖される直前……たまたま地上に戻っていた俺達が、例の奇妙な呪詛(カーズ)の噂を耳にした頃。

 何時になく真剣な顔で決してダンジョンに立ち入るなと言いに来たかと思えば、今度はこれだ。

 

(まぁ、つっても。それを言うなら、そもそも何を知ってんだって話だがな)

 無精髭を一本引き抜きながら、胸中で呻く。

 

 出会ったのは、ダンジョンの中。よくある鉄火場の最中だった。

 そんなだから、詳しいことは忘れたが……確かちょいと欲をかいて深く入りしすぎただったか。

 スコットとガイル(いつものふたり)となりふり構わず逃げている途中、ついうっかり囲まれて、こりゃいよいよ年貢の納め時かと呻いていた時だった。

 

「ああ、お前達。どうやら、まだあがいているみたいだな」

 

 確かそんなような台詞だったような気がする。

 どんな言葉を返したのだったか。……どうせ罵詈雑言だったはずだ。

 それに手伝えだとか助けろだとか、泣き言が混じった気もする。……というか、それは間違いない。

 飛び込んできたそいつは、奇妙な身のこなしと、驚くほどの剛剣でたちまちモンスターどもを全滅させた。

 

 リヴィラの街で傭兵まがいの事をしていると知ったのは、その後の事だ。

 何故なら、きっちりと料金を請求されたからだが……それからも、ちょくちょく声をかけてはこうしてパーティを組んでいる。

 馬があったとでも言えばいいか。なんやかんやあって、今ではすっかりお得意様だ。

 とはいえ、他所の派閥……少なくとも、主神が違う事に変わりはないが。

 

 つっても、これだけの実力者だ。

 一度だけ、俺らの派閥への改宗(コンバージョン)を持ち掛けた事がある。

 

「確かに、俺は逃げ出した身だがな。それでも、あいつらと酌み交わしたこの血だけは手放せないらしい」

 全てが偽りでも。それでも、あの時交わした誓いは俺達の誇りだったんだ――と。

 

 返ってきたその言葉の意味など分かるはずもない。

 だが、それは決して無理強いしてはならないものだという事くらいは分かった。

 ……そして、知っているのはその程度の事だった。

 

(主神は狩猟の神(エブラナ)つったか。うちの主神は知らねぇとかぬかしやがったが……)

 訳アリなのは察している。だから、それ以上のことは探ってもいないが。

 

 エブラナとかいう神を主神とするLv.3の冒険者。

 知っているのはその程度で、その辺りならリヴィラの連中なら大体知っている。

 そして、本当かどうか怪しいことだった。

 

 ただ、それなりに長い付き合いだ。

 

「まぁ、美人らしいからなぁ。悪い虫が突いちゃ困るってか?」

 肩に腕を回し、笑ってやる。

「そういう訳じゃないがな」

 リヴィラの連中の知らなそうなことの一つくらいは知っている。

「……はた迷惑な女さ。やっと死ねると思ったんだがな」

 鬱陶しそうに押し退けながら、ホークウッドが嘯く。

 ふとした弾みで零したことだが……オラリオで行き倒れていた時に、何とかいう女エルフに拾われたらしい。

 ついでに言えば、今も世話になっているようだ。

 顔どころか後ろ姿すら見た事がないが……エルフとは美人の別名だと言っていい。

 まったく、羨ましい話だ。くたばっちまえ。

 ……とはいえ。どうやら、そっちの美人は美人で何やら訳アリらしいが。

 結構稼いでいるはずのこいつが安酒ばかり啜っているのも、夜には地上に帰りたがるのも、その辺に理由があるに違いない。

 もちろん、細かい事情なんぞ一つとして知らねぇが……やっぱ、くたばっちまえ。

「まぁ、いいや」

 何であれ、余計な詮索などするもんじゃねぇ。

 世界の中心。神々すら魅了する熱い街――などと言ったところで、全員がその栄誉に授かれるわけではない。

 むしろ、そんな奴らはごく一摘まみ。大体は俺達のように、英雄になり損ねた日陰者だ。

 日陰者同士、わざわざ傷を抉りあうこたぁねぇ。

「どうやら、まだ祭りは続いているらしい」

 確かに目的地はリヴィラだが……どうやら、先行隊が何かしら異常事態(イレギュラー)に巻き込まれたようだ。

 なら、一四階層以下に進むのはまだ少しばかり危険か。

「せっかくだ。ガッツリ稼がせてもらうとしようぜ、相棒」

 それとは別に、まだ一三階層の異常発生の後始末もまだ続いているらしい。

 そりゃ、あの【猛者(おうじゃ)】ですら殲滅できなかった数だ。そう簡単にどうにかなるはずもない。

 油断はできねぇが……なに、今なら最悪は調査隊の奴らを巻き込めばいい。

「誰が相棒だ、誰が」

 大体、こいつは腕だけは立つ。それに、どっかでパーティでも組んでいたのか、意外といい指揮をする。

 腕が立ち、頭が切れる奴がいれば儲けが多くなる。そして、今の稼ぎ場はいい感じに温まっている。

 それだけ分かってりゃ、それでいい。

 このよく分からねぇ奴の過去だとか、ダンジョンの中で起こっている何かだとか。

 そんなのはしがない冒険者にとっちゃ、どうでもいい話だった。

 

 

 

 バベル前の大広場。その隅に置かれたベンチを一人で占拠する。

 ほら、うちは神様やし。……それに今は夜だ。利用する奴は、もうほとんどおらん。

(こらもうしゃーないことなんやけどなぁ)

 次々とダンジョンに潜っていく第三次調査隊を遠目に見やり、内心でぼやく。

 今度の調査隊の中核を担うのがあの腐れおっぱい(フレイヤ)の眷属がいうのは、やっぱ少し面白くない。

 というか、ぶっちゃけ、フィン達がおらん今、うちらに投げられたなら結構本気で困る。

 ガネーシャもあっちこっちに戦力を分散させとるせいで、うちらと大差ない。

 んでもって、放置できんヤバい状況いうことも認めるしかない。

 あの腐れおっぱいのところに話が行くのは、こらもう完全に仕方がないことだった。

 ただ、間接的にとはいえフィン達を助けてもらう形になるのがちょいムカつく。

 ……もちろん、うちからも団員を派遣してはいるけど。

(でも、残っとる子らだとなぁ)

 流石に【猛者(おうじゃ)】をはじめとする【フレイヤ・ファミリア】の精鋭を差し置いて、調査隊の中核には食い込めない。

(ベートもおるけど……)

 地上にはベートも残っているが……愛用の≪フロスヴィルト≫がおかしなことになっている。

 もちろん、普段ならフィンが用意した双剣だけで充分だろう。

 ただ、流石に今の状況だとちょい不安だった。

(それに、特効薬を届けてもらわなあかん)

 もっとも、今は例の呪詛(カーズ)対策でオラリオ中の治療師(ヒーラー)薬師(ハーバリスト)がギルドに集っている。

 依頼した分は何とか都合をつけてくれそうやけど、ちょい遅れるかも知れんらしい。

 ベートは他の心当たりを当たるとか言って出ていったけども……。

(ま、この状況ならうちの子だけを使い潰すような真似はせんやろ)

 今はオラリオ中が注目しとる。

 そんな中で被害を出しては、自派閥の名に傷をつけるだけだ。

 あの【猛者(おうじゃ)】が、わざわざフレイヤの顔に泥を塗るわけがない。

(フィン達と引き換え、言うなら少しは可能性もあるやろけどな)

 とはいえ、これ以上気を揉んでいても仕方がない。

 全てはフレイヤの采配一つ。そして、あの女神(おんな)の気まぐれは本気で気まぐれだ。

 いくら天界屈指のトリックスターなどと呼ばれたところで、元から理屈も道理もないものは流石に読み切れない。

 ベンチから立ち上がり、行先を決めることなく路地を歩く。

 街の中は、まだちょっとだけピリついた空気が残っていた。

 それも仕方がない。

 例の呪詛(カーズ)の犠牲になった子らが、街の何ヶ所かで確認されたそうだ。

 すでに全員討伐――と、言うのは少し気分が悪いが――済みだが……しばらくはこんな調子だろう。

 いつもなら?兵衛どもが屯しているはずの道も、今日はほとんど人気がない。

(どうしよかなぁ)

 流石のうちも酒を飲む気にはなれんかった。

 かと言って、フィン達がいないのでは、エニュオやら怪人(クリーチャー)やらの調査もできん。

 本拠地(ホーム)に帰っても、どうせ管を巻くくらいしかやることがない。

 時間を持て余したまま、ざわめく街を当てもなくぶらつく。

「あら、ロキ」

 そして、ある意味、今一番会いたくない奴と出くわしてしまった。

「どうしたの、こんなところで?」

 道の先にいるのは、フレイヤだった。

 フィリア祭の時と同じく、全身をローブで覆っている。

 まぁ、これは『美の神』の宿命といえば宿命だが……。

「そういう自分こそ、こんなところで何しとるんや?」

 重心を落とし、何が起こってもいいように警戒する。

 何しろ、この腐れおっぱいは前科が多すぎた。

「今、ブーメラン乙!――とか言って笑った奴一歩前に出ろや。奥歯ガタガタ言わせたる」

 そもそも、うちはここんとこ真面目に普通の神様やっとるわ!

 ……少なくとも、オラリオでの『まともな神判定』なら、合格ラインより上におるはずや。

「……急にどうしたの?」

 割と本気で心配した様子で、フレイヤがうちの顔をうかがってくる。

 急に訳分からんこと言いだしたなら、そらそうやろ。

「いや、気にせんどいて」

 何か突然におかしな伝言(メッセージ)を受信してもうた。

 悔恨の念と共に片手で顔を覆い、一息ついてから。

「んで、真面目に自分はこんな時間に何しとるん?」

「見て分からない? 街をぶらついているのよ」

「ずいぶんと呑気やないか」

「あなただって、私のことは言えないでしょう?」

 ……冷静にここまでの自分の行動を俯瞰し、反論の余地が全くないことに愕然とする。

「それに、今はみんな仲良くダンジョンに潜っているもの。今日は人通りも少ないし、羽を伸ばすいい機会だわ」

「そーやってお供もつけんと歩き回って、危うくうちらと全面抗争が始まりそうになったことは忘れんで欲しいけどな」

 確かにうちらも警戒して団員を派遣したのは事実やけど、先に誤爆したんはこの腐れおっぱいの眷属の方だった。

「そんなこともあったかしらね♪」

 その時の焼き直しのように、笑って誤魔化すフレイヤ。

(この女神(アマ)。もう一度拳ぶち込んだろか……!)

 今にも『禁断の業(テヘペロ)』をぶちかましそうな気配に、うちもあの時と同じく硬く拳を握りしめる。

 オラリオの一角で、今まさに二大派閥の最終決戦(ラグナロク)が始まろうとしていた――

 

 ポーへー!

 

 ――が、鳴り響いたのは角笛(ギャラドホルン)ではなく、どっかの屋台の客引き用のラッパだった。

(そら、向こうだって商売やからな! 特に今日は客入りも悪いやろし、仕方ないことやけども!!)

 気の抜けた……そのくせ、微妙に切羽詰まったその音に、一柱(ひとり)で勝手に力尽きてから。

「いや、でも。真面目な話、ちょい不用心すぎん? うちも言えた義理やないけど」

 あの呪詛(カーズ)の影響を受けた子供が、他にもいないとは限らない。

 お互いに、ついうっかりで天界に還れるほど身軽ではないし……あの異形に殺されれば、天界に還れない可能性も充分にある。

「大丈夫でしょ。珍しく彼が本気になっているもの」

「彼?」

「クオンよ。あの『闇』がよほど危険なのか……それとも、何か良いことでもあったのかしらね?」

 ベートの話からすれば、多分両方正解だろう。

(アレはいっつも独りやと思っとったんやけどなぁ)

 ソラールとカルラとか言ったか。ギルドには姿を見せなかったけど……。

 いや、それはともかくとして。

「なぁ、フレイヤ。ちょいとここらで、うちと腹割って話さん?」

「あら、珍しいわね。どんな話かしら?」

 退屈しているのはお互い様――とは言い切れないが。

 ただ、食いついてはいる。

「アレ……。【正体不明(イレギュラー)】クオンについてや」

 あとは、話題が気に入るかどうか。

「いつうちらを殺しに来てもおかしくない。それは分かっとるやろ?」

 下手をすれば、うちよりもフレイヤの方がより目の敵にされている。

「真面目な話、自分はアレをどう見とるんや?」

 その割に、この女神はアレを気にかけているように感じられた。

 ……もっとも、いつものようにちょっかいを出してはいないようだが。

 まさか自重するようなタマでもないだろうに。

「いや、自分の目には、アレがどう見えとるんや?」

「そうね……。どこか美味しい葡萄酒(ワイン)のあるお店に行きましょう」

 思いのほかあっさりと、フレイヤは頷いた。

「話の続きはそこで。いいでしょう?」

 どうやら、ひとまず釣り上げることには成功したらしい。

 

 んで、それから。

 

 この腐れおっぱいがお気に召すほどの葡萄酒(ワイン)を出す店は、流石のオラリオでも限られる。

 そこに加えて、個室があり、店員の口が堅い店を選ばなくてはならない。

 結構な無理難題だが……うちの酒飲みの端くれ。日々の情報収集は怠っていない。

「あら。こんなお店があったのね」

 表通りから少し外れた場所にあるこの店は、どうやら合格だったらしい。

 出された葡萄酒(ワイン)に口をつけてから、フレイヤは素直に言った。

「そうやろ。これも日々の努力の賜物や」

 もちろん、フレイヤの事だ。

 酒の味だけではなく、建物の内装にもこだわるだろう。

 その点においても、この店なら問題はない。

 足りない光量は、揺らめく蝋燭の火が補うことで、部屋全体が柔らかな雰囲気で包まれている。

 真っ白い上質な布地のテーブルクロス。

 上物の花瓶には邪魔にならない程度に薔薇が飾られ、よい香りがほのかに漂う。

 あえて光量が抑えられた魔石灯。

 椅子もまた良い意味で時を重ねた上品なものだ。

 部屋の片隅には、名工の手で作られた大洋琴(グランドピアノ)

 今は無人だが、手配すればその音色を堪能できる。

 もちろん、主役は酒であり、また料理であり――そして、何よりそれに舌鼓を打つうちらだ。

 すべてはそれを引き立てるために。何より、心地よい時を送れるように。

 一本筋が通ったものは、それだけで美しさが宿る。

 この店は、その中でもさらに洗練されている。

 ましてその主役が『美の神』たるフレイヤがならば、おおよそ完璧だった。

 いや、全てがフレイヤの配下となり完成させるのだ。

 彼女の引き立て役が務まる時点で、この店の内装は見事だと言っていい。

「努力はいいけれど……。酔ったまま路地で寝るというのは、私よりもずっと不用心じゃないかしら」

 それを一体誰から聞いた。

「文句がないなら、そろそろ本題に入ろか」

 余計な弱みをさらけ出す前に、さっさと本題に入ることに決めた。

「いいけれど。彼について知っている事なんて、多分あなたとそんなに変わらないわよ?」

「ホンマにか? 自分かて独自に何か探らせとるやろ?」

「それはもちろん。神なら誰だって気になるでしょう? 『未知』の塊だもの」

「アレに関しては、そーいう呑気なことは言ってられんと思うけどな」

 クスクスと笑うフレイヤに、思わず毒づく。

「それはとりあえず置いとく。んで、自分の目にはアレの魂がどう見えとるん?」

 魂の色を見抜く能力に関して、フレイヤは一流だ。

 得体の知れないあの存在の魂を、どのように見ているのか。

「黄金か。それとも宝石か?」

 この女神(おんな)が気にかけるような何かが、本当に見えているのか。

「そうね……」

 手に持ったグラスの中の葡萄酒(ワイン)を回してから、フレイヤは言った。

「例えるなら、黒曜石かしら」

 少なくとも、黄金ではない。彼女はそう言い切った。

「黒曜石?」

 確かに磨いて装飾品にされることはある。

 宝石といえば宝石だが……。

「また随分と平凡やな。何でそんなものを自分が気に掛ける?」

 しかし、そこまで珍しいものでもない。

 火山の傍か、かつて火山だった場所の傍に行けば、それなりに転がっている石だ。

「確かに、どこにでもありそうな魂よ。実際、元々は平凡なものだったのでしょうね」

「今は違ういうんか?」

「ええ。冷たくて、どこまでも暗くて……でも、何故か目を離せない。不思議と、手を伸ばしてみたくなる」

 その時のフレイヤは、今まで見た事がないような表情をしていた。

 恍惚ではない。興奮でもない。静かで……例えるなら、暖炉の前で微睡む幼子のような表情だった。

「そして、もちろん()()()()()()()()()()()()()

 もっとも、それは一瞬の事だった。だから、単なる錯覚だったのかもしれない。

「触れば切れてしまいそう。それとも、その前に彼の方が砕けてしまうかしら?」

 ……それは何となく分かる。

(アレは、酷く危うい)

 今にも擦り切れ果てそうな……あるいは、何かが爆ぜてしまいそうな気配が常に付きまとっている。

 そして、爆ぜた先に何が起こるのか、それが見えない。

「元々は、多分どこにでもあった魂。でも、彼はそれを丹念に磨き上げた。それも、私達を殺せるほどに鋭く」

 あの暗くて穏やかな『魂』は何なのかしら?――今度こそ恍惚とした様子で、フレイヤが呟く。

「うちらを殺せる言うのが問題なんやけどな」

「あら。あなたもヘルメスと同じことを言うのね」

 ……それは、何か若干ムカつく。

「それに、私もまだ彼の真価が見えないの。彼は、一体何者なのかしら?」

 正体不明。誰が最初に呼んだかは覚えていないけれど、いい二つ名(なまえ)ね――と。

 フレイヤは小さく笑った。

「真価やて?」

「彼は、何かとんでもないものを隠している。それが何かが、まだはっきりとは見えないけれど、ね」

「……まぁ、まだ力を隠しとるはずとは、うちの子らも言っとったけど」

 その辺は、多分【猛者(おうじゃ)】こそが勘づいているはずだ。

 なら、隠し立てする必要はどこにもない。

 うちの相槌が聞こえているのかいないのか――

「いえ、それとも迷っているのかしら」

 あるいは、躊躇っているのかも――と、フレイヤは言った。

「あの魂が燃え上がったところを見てみたいのだけれど……なかなかいい方法が思いつかなくてね」

「そーいう火遊びはやめとけ。いや、マジで」

 下手すると本気でオラリオそのものが炎上しかねん。

「大丈夫よ。イシュタルの二の舞にならないように気を付けているもの」

「まっっったく安心できんわ!?」

 いかん。この女神(おんな)を放っておくと、マジでオラリオが大炎上するかもしれん。

「でも、私のちょっかいなんて控えめな方よ」

「ああん?」

「私の眷属(こども)達に悪戯をしていた誰かがいたのは知っているでしょう?」

「リヴェリアを呼び出した時の話やな」

 あれは、『歓楽街』が焼け落ちる少し前の事だ。

 内容的にも、無関係であるはずがない。

「確か、アン・ディールとかいう奴やったか」

「ええ。今なら分かるわ。彼の狙いは初めからイシュタルだった」

「アレが自分らと決着をつける気になった。イシュタルにそう錯覚させたいうことやな」

 この女神(おんな)とイシュタルの確執は、随分と長い間続いている。

 オラリオ中の神どころか、ギルドですら知るところだ。

「んで、イシュタルはそこに一枚噛もうとしたいうわけや」

 それこそが狙いだと、イシュタルは最期まで気づかなかったに違いない。

「ええ。私達はあくまでも餌。そして、襲撃者はきっと真面目な子ね」

「真面目やて?」

「私達と騒ぎを起こして、イシュタルを焚きつけろ。出された指示は、きっとそんなところでしょうね」

「何でそう思うんや?」

「だから、私の眷属(こども)を誰一人として殺さなかった。それどころか、何人かは自分で治療院に届けている」

 どんな子なのかしら。素直なのか。融通が利かないのか。優しいのか。甘いのか。

 いっそ惑わすように、フレイヤは自問した。

「それとも、いつでも殺せるという自信の表れかしら」

 ……多分、さほど気にかけていないのだ。

 アレがうちらのことを、もうあまり気にしていないのと同じように。

「何であれ、イシュタルがもう少し上手くやれたなら、お互いに危なかったわね?」

「……そうやな」

 何しろ、イシュタルは【麗傑(アンティアネイラ)】というとびきりの切り札を持っていた。

 やり方次第では、ギルドを出し抜いて抱え込むことすら不可能ではなかったはずだ。

 そして、自重を知らないのはイシュタルも同じこと。

 アレを手に入れたイシュタルが、その後で何を企むかなど想像もしたくない。

「んで。ンな危険な火遊びをしでかしたアン・ディールは何者や? 当然調べとるやろ」

「あら。知っていたとして、教えると思う?」

「はいそうですかと引き下がれる状況やない」

 神々の王すら恐れた【闇の王】だの、デーモンの『飼い主』だの……。

 うちらすら置き去りにして、何やとんでもないことが起こりつつある。

「その中心にいるのが神とその眷属(わたしたち)でないのが気に入らない?」

 内心の呻きを見透かしたように、フレイヤが笑った。

 今蠢いているでっかい何か。その中心にいるのは、多分アレだ。

 ……それは、認めざるを得ない。そんなことは、分かっているつもりだ。 

「何でそう思う?」

「さっきも言ったでしょう。ヘルメスと同じ顔をしているんだもの」

 訳も分からず、顔を覆いたくなる衝動にかられた。

 その衝動に抗えたことは良かったのか悪かったのか。

(そらまぁ……面白くはないなぁ)

 面白くはない。……ような気がする。

 ただ、それが何に対する感情なのかは分かりかねた。

 フレイヤの言う通りなのか。あの胡散臭い優男と同じと言われた事か。

 それとも、何か別の理由なのか。

 ……そもそも、その感情の表現は『面白くない』であっているのかどうなのか。

「彼が何者かはともかく、私と同じことを考えているのでしょうね。四年前から、ずっと」

「……アレの()()()()()()()()()()()()()()いうことやな」

 アレは力を隠しているのではなく、何らかの理由で発揮できないでいる。

「あら、気づいていたの?」

「当たり前や」

 ……リヴェリアの話からするとそれしか考えられないだけだが。

「いったい何が彼の魂を陰らせているのかしら……」

 それは、完全にフレイヤ自身に向けられた呟きだった。

「あの淀み。念入りに施された枷。芯すら蝕み、砕きかねないほどの何か。どうすれば取り除けるのかしら……」

 つまり、そう言った陰りがアレの魂には見られるという訳だ。

 そして、その陰りが【闇の王】とかいう大仰なもんを封じ込めている。

「トラウマっちゅうやつかな?」

 だとしたら、随分と可愛いらしいものだ。

(うちの子らが聞いたらブチ切れそうやけどな)

 どんな過去だか知らないが……それに縛られ、折角の力を失うなど。

(少しはうちの子らを見習えっちゅうねん)

 ……いや、見習われても困るか。今でも好き勝手やりすぎだというのに。

 反撃の手が見つかるまで、もう少し大人しくといてもらおう。

「それはどうかしらね」

 しかし、こら本当に過去こそがアレの弱みになるかもしれんなぁ――と。

 思わぬ情報に胸中でほくそ笑んでいると、フレイヤが言った。

 まさか呟きが聞こえていたとは。流石に少し驚いた。

「隠すまでもなく、いくつものトラウマを抱えているみたいだけれど……」

 ……いや、確かに。

 何かそういう話はリヴェリアとかラウルからよく聞くけども。

(犬が嫌いとか、カエルはあかんとか、車輪は怖いとか、何やよう分からんトラウマ抱えとるらしいなぁ)

 犬とカエルはともかく、車輪って何や。そこはせめて馬車とかやないんかい。

「でも、それは彼の魂を陰らせるほどかしら。私にはそうは思えないわ」

 彼はもう、そんな子供(にんげん)らしい繊細さ(よわさ)など捨て去っている。

 それを理由に足を止めることはあり得ない。

 フレイヤはそんなことを呟いた。

「むしろ、『枷』を嵌めているのはウラノスの方じゃないかしらね……」

「何でそう思う?」

「四年前、もう少しで爆ぜそうだったあの子の魂から、すっかり火が消えてしまったのはウラノスと接触を持ってからだもの」

 ……まぁ、イシュタルの眷属(こども)達にたくさん愛されたからかもしれないけれど。

 と、フレイヤは特に気にした様子もなく付け足した。

「意外やな。自分が興味持った男にそんな態度をとるんは」

「流石にあの子たちに手を出したなら、その日のうちに殺しに来るでしょうね」

 フレイヤは、実にあっさりと肩をすくめる。

 もっとも、それに関しては全く同意見だった。

 というか、イシュタルの奴が犯した最大のミスは絶対にその辺にある。 

(いや、でも生贄言われてもなぁ……)

 アマゾネス絡みでそういう呪詛(カーズ)の類がないか簡単に調べてみたものの、まったく手ごたえなしだった。

 大体、アマゾネスは種族的にどちらかというと生贄(強い雄)を求める側だ。

(あー…。逆も成り立つんかな?)

 自分を返り討ちにした強い雄にベタ惚れしているアマゾネスには心当たりがあった。

 アレの方もそういう感じなのかもしれない。

「それに、さっきも言ったけれど、彼の真価を見定めきれてないっていうのもあるわね。今はまだ『未知』に対する純粋な興味でしかないわ」

 神なら誰もが抱えているものでしかない――と。

 フレイヤはそう言った。

「そら分かるけど……。自分なら、『魅了』して吐かせられるんちゃうか?」

 これほど執着している相手に、この女神(おんな)がいつまでも堪えていられるかどうか……。

 いや、流石にそんな無粋な真似はしないか。

 何故だか不満そうなフレイヤの顔に、そんなことを思っていると――

「効かなかったのよ」

「はぁ?」

「だから、『魅了』できなかったの」

「……それ、本気で言っとるん?」

 フレイヤは文字通りの意味で『傾国の美女』だ。詳しくは知らないが、その実績を持っている。

 つい最近も、近くの砂漠の国で大暴れしてきたらしい。

 例え同性であろうと関係ない。

 生きとし生きるものなら、魅了されずにいられない。

 例え『神の力(アルカナム)』など使わずとも。

 それがフレイヤ――『美の神』という存在だ。

「『美人なんだろうが、俺の好みじゃない』ですって。失礼しちゃうわ」

 その渾身の『魅了』を前に、アレは真正面からそう言い放ったらしい。

「あ~…」

 完璧に拗ねているフレイヤを前に、意味のない言葉だけが零れ落ちる。

 何だろう。間違いなく驚天動地と言っていい出来事のはずなのだが……何でか、あんまり驚けない。

 ただ、何でフレイヤの眷属が上から下まで揃って殺気立っているのかはよぉく分かった。

「何が気に入らないのかしら……」

「……貞淑さが足りんちゃう?」

 不貞腐れるフレイヤに、思わず呟いていた。

「なら、イシュタルの眷属(こども)はどうなるのよ?」

「いや、それをうちに聞かれても……」

 アレの好みになんぞ欠片も興味あらへん――と。

 ますます不貞腐れるフレイヤに、ため息を飲み込んでから呻いた。

 ただのアマゾネスならまだしも、戦闘娼婦(バーベラ)だ。

 流石に貞淑とは言い難いとは思うが……。

「なら、単純にうちらが神だからやろ」

 我ながらかなり投げやりな返事だったが……他に理由が思い浮かばない。

 と、いうか。真面目な話、他にいったい何があるというのか。

「それも、少し疑問が残るのよね」

「はぁ?」

 アレとそういう意味で噂になってる神はおらんはずやけど。

(ファイたんはちゃうしなぁ……)

 アレがどう思っているかはともかく、ああいう不誠実なのはファイたんの好みではないらしい。

 他は……イシュタルは殺されたし、ガネーシャとウラノスは男だ。

 さて、アレとまともな接点のある神は他に誰がいたか……。

「彼が大切にしている『火』があるでしょう?」

「火?」

「多分、魔法の触媒になっている『火』よ」

「ああ、あれか」

 魔法を行使する際に、アレは手に『火』を纏わせる。

 その『火』のことらしい。

「あれは、多分、私達の力が関わっているわ。それも、女神がね」

 神創武器と呼ぶには、彼の体にすっかり馴染み切っている。

 恩恵(ファルナ)のようでいて、そうではない。

「何でそう思うんや?」

「もちろん、女神(おんな)の勘よ」

 ……絶妙に説得力がなさそうでありそうな理由だった。

「少なくとも、神なら問答無用で皆殺しにするという訳でもないはずなのよ」

 でなければ、ウラノスやガネーシャが無事なわけがない。

 フレイヤの言葉に、別の女神の言葉を思い出した。

うちら(かみがみ)子供(にんげん)達を良いように扱うのが許せない、か……」

「急にどうしたの?」

「ん。ファイたんが言ってたことや。そういう事をしないのが、アレと上手くやるコツらしいで」

「そう……。ヘファイストスが……」

 知り得る限りのアレの行動を振り返ってみても、その指針はブレていないように思える。

 多分【麗傑(アンティアネイラ)】が関係する『ドでかいミス』を何とかやり過ごしたとして。

 それでも、『生贄』という方法を良しとした時点で、イシュタルが()()()()()()可能性は皆無だったわけだ。

 だからこそ、イシュタルが選ばれたのかもしれない。

(うちが目の敵にされとる理由はまた()()()()気もするけどな)

 別に難しい話ではない。

 うちらの場合は、ド直球にこちらから一方的に喧嘩を売ったせいだった。

 色々事情があったとはいえ、結果的にそういう事になってしまったのは、認めざるを得ない。

(それもアン・ディールの思惑通り言うんがマジでムカつく)

 まんまと『利用』される。

 それは、全知全能を標榜する神にとって、どうしても我慢ならない恥辱だった。

 しかも、これは化かしあいですらない。

 アン・ディールという魔導士にとっては、別にうちらでなくてもよかったのだ。

 その役割さえ演じてくれるなら。あるいは何かの条件を満たすなら、どこの誰でも良かったに違いない。

 たまたまちょうどいいところにうちらがいただけ。そのせいで、危うく使い潰されるところだった。

 これほど腹立たしいことはない。

(……その条件いうのがよく分からんのやけどな)

 神々が云々いうのがアレ個人の信条なら、うちらが満たした条件はそれ以外の何かだ。

 アレ個人がどう思おうが敵対する以外の選択肢はあり得ない。

 おそらくはそんな条件が整ってしまっている。……多分、今も。

(まあ、アレ自身にとって、普通に迷惑いうことも、ないとは、言い切れん、ような……)

 事の始まりに関わっている眷属……本人たちの名誉のため、具体的な名前を上げるのは避けるが……。

 例えばツンデレ狼は当時から喧嘩売って歩くのが日課だったし。

 知らんうちに辻斬り常習犯になっていた金髪幼女(当時)は今も若干狂戦士(バーサーカー)気質だし。

 狂戦士(バーサーカー)気質なら、何だか他にも色々いるし……。

「変な顔して、どうかしたの?」

 不都合な真実から目をそらしていると、怪訝そうな顔でフレイヤが言った。

「べーつーにー。ただ、自分がフラれたのはやっぱ貞淑さが足りんからやと思っただけや」

 その台詞は単なる八つ当たりだった。

 別に根拠もないし、さほど本気でもない。

「ふんだ」

 グラスを一息に空にしてから、新しい葡萄酒(ワイン)を手酌で豪快に注ぐ。

 何だか居酒屋の方が似合いそうな……『美の神』にあるまじき蛮行を前に背筋に冷たい汗が伝った。

(あかん。これは、あかんヤツや……っっ!!)

 今すぐに逃げるべきだ――が、しかし。

 完全に据わった――もとい、拗ねた目に射抜かれ、それもままならない。

「ねぇ、ロキ。せっかくだもの。今夜はゆっくり語り合いましょう? もっと楽しい話が良いわ」

 夜は長いものね――と。

 その返事に許された答えは『はい』か『YES』だけだった。

 というか、それ以外の返答は意味がない。

(う、迂闊やった……)

 フレイヤは『美の女神』だ。

 その女神にとって、寵愛とは向けられて然るべきもの――というより。

 寵愛を向けられてナンボの存在が『美の神』たちだと言えよう。

 大いに与え、また大いに与えられる寵愛こそが彼女達の存在意義(レゾンテートル)

 それをアレの一言がその矜持をどれだけ傷つけたことか。

 まして、その古傷を抉ろうものなら……。

 

 YOU DEAD

 

(おのれ、『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』! 眷属(こども)達どころか、うちらの矜持まで簡単に踏みにじりよってからにぃいぃぃぃぃぃ!!)

 何かそんな空耳さえ聞こえてくる状況に、内心で絶叫していた。

 

 そして、それから。

 何というか……不貞腐れた女神というのはつくづく面倒臭く、そこに酒が入れば完全無敵だという事を改めて思い知らされたのだった。

 一晩かけて、念入りに。丹念に。……いや、うちかて女神の一柱(ひとり)やけども!

(これからは、酔いに任せた無茶ぶりは少し控えよう思いました、まる)

 完全に燃え尽きた心身を引きずって愛しの我が家に向かう途中。

 すっかり白んだ空を見上げ、そんなことを誓ってしまうほどに。

 

 

 

 一八階層の『夜』が明けた頃。

 即席の阻塞(バリケード)を並べた臨時の監視所は完成していた。

 ボールスが人員を回してくれたおかげでもある。

(ベートは戻ってこないか……)

 完成した監視所を見回しながら呟く。

 帰還の予定日だが、ベートはまだ戻らない。

 ギルドに足止めをされたか、それとも単に特効薬が集まらないのか。

(もしくは件の呪詛(カーズ)にやられたか)

 今の時点では、それもまた可能性の一つとして考慮せざるを得なかった。 

「フィン……」

「ああ、分かっている」

 いずれにしても、次の手を打つ必要がある。

(リヴィラに動きはない)

 とはいえ、地上に向かった同胞が帰還しないことや、新しく冒険者が来ないことを訝しんでいる。

 もう一押しあれば、全面的な協力関係を結べる可能性も出てくるが……。

(そのためには、脅威の存在を確認しなければならない)

 想定するのは、件の『人斬り』ないし『赤黒い人影』だ。

 情報を持ち帰るには、それらと遭遇しても生還できる者を送らなければならない。

 となると、流石に人選はごく限られてくる。

(僕とリヴェリア。ガレス。アイズにティオネ、そしてティオナか……)

 ランクだけ見るなら、椿も候補に挙がるが……彼女は【ヘファイストス・ファミリア】の団長だ。

 この状況下で斥候を依頼できるわけもない。 

(僕達としても団長と副団長を揃って失うのは流石に避けたい)

 それとは別に、毒に苦しむ団員がいる。

 リヴェリアにはここで治療を続けてもらう必要があった。

 仮に僕が帰還できなかった場合、そこに加えて全軍の指揮を執り、異常事態(イレギュラー)に対応してもらうことになる。

(流石に厳しいか)

 できないとは言わない。

 だが、それは緊急事態と言っていい。

 ほとんど状況が見えない今の時点で、それを前提として動くのは悪手にすぎる。

(動かせるのは、ガレス、アイズ、ティオネ、ティオナの四人だな)

 この四人から二人を選び、二人一組(ツーマンセル)のパーティを編成する。

 人的な余裕もない。索敵はこの一回で確実に成し遂げる必要がある。

 ……最悪は、どちらか片方が犠牲になってもだ。

「なら、順当にまずは儂じゃな」

 顎鬚を撫でながら、気楽な様子で言ったのはガレスだった。

「ようやく育ってきた若造どもに万が一の事があっては困るからの」

「引退するにはまだ早いと、遠征前に伝えたと思ったけど……」

「なぁに、死ぬ気などないわ。それに、どこぞの小人族(パルゥム)が言うには、身体だけは頑丈なようだからの」

 不敵に笑うガレスに、頷き笑い返す。

 実際、今のオラリオにおいて最硬の『耐久』を持つ冒険者はガレスだと言えよう。

 確かに『敏捷』は高いとは言えないが、それでもLv.6だ。

 よほどの事態にならない限り、問題にはならない。

 唯一の懸念は――…

(『魂喰らい(ソウルイーター)』か……)

 あの人影もまず間違いなく、魂喰らい(ソウルイーター)

 魂そのものに影響する力を前にしては、『神の恩恵(ファルナ)』とて十全に機能しない。

 まったく無意味だとは思わないが、いつもよりは確実に脆くなる。

 前衛壁役(ウォール)殺しの能力と言っていいだろう。

(……それを理解していないガレスではないけど)

 彼は鈍重な壁ではない。数多の死線を超えてきた熟練の戦士だ。

 弱点を突く攻撃だとして、そうたやすく敗れることはない。

「なら、私も」

 次に名乗りを上げたのは、アイズだった。

 リヴェリアの眉間のしわが深くなる。多分、僕自身もそうだろう。

 ……少なくとも、眉間にしわが寄っているのは自覚している。

「脚の速さには、自信があるから」

 それに気づいているのかいないのか、アイズは重ねて言った。

 それもまた、間違いではない。

(エアリエル)』を纏ったアイズは、瞬間速度においては派閥最速であるベートをも上回る。

 そうでなくとも、ベートに次ぐ素早さを誇っていた。

 ……いや、Lv.6となった今なら素の状態でもベートより速いかもしれない。

 斥候は脚が速ければ速いほどいい。そして、ガレスとLv.6なら、戦力的にも何の問題もない。

 条件だけ見れば、この上なく理想的な人員なのだが……。

(性格が向いていないんだよね)

 ダンジョン内――戦場において、アイズの行動の基本原則は『必見必殺(サーチアンドデストロイ)』の一言に尽きる。

 幹部に抜擢してから、多少は堪えてくれるようになったが……あくまで多少だ。

 息をひそめ、気配を殺し、状況によっては感情を押し殺して――今回で言うなら、例え冒険者が目の前で件の異形へと変えられたとしても――情報収集に徹する。

 斥候に求められる行動とは見事なまでに真逆だった。

 ガレスとリヴェリアと視線だけでやり取りを交わし、ため息を吐いた。

「なら、条件を一つ。ガレスの指示には、絶対に従う事。いいね?」

 直情径行にあるのは、ティオネとティオナも変わらない。

 なら、その中で最も脚の速いアイズがやはり適任だ。

「分かった」

 素直に頷くアイズ。

 だからと言って、不安が完全に払拭できたとかと言われると返事に困るけど……。

「さて、それじゃ次はゴライアスをどうするかだけど……」

 遠征出発からすでに二週間が過ぎている。

 そろそろ新たに産出されている頃だった。

「どうせ帰り道の邪魔になるからの。いっそ儂らだけで討伐するか」

 いかに階層主といえど、Lv.6が四人。Lv.5が二人いればそこまで手間ではない。

「そうだね。今日のうちに仕留めてしまおう」

 一度仕留めば二週間は産出されない。

 今日のうちに仕留めておけば、充分な休息を取ったうえで索敵に向かえる。

 問題は往路に続き、二軍に経験値(エクセリア)が回らないことだが……こればかりは仕方がないか。

 ゴライアスとの戦闘中に異常事態(イレギュラー)が起こらないとも限らない。

「ティオネたちと……あとはレフィーヤを呼んで、速攻を仕掛けよう」

 野営地に伝令を向かわせようとしたその時――

 

『――――――ォォォォォ!!』

 

 ――連結路の向こうから、そのゴライアスの咆哮が届いた。

 鈍くて重い振動が怒涛の如く響き渡る。

 それが何を意味するのか、分からないはずもない。

 

(誰だ。いや、()()……?)

 冒険者か、あるいは他の『何か』が一七階層に侵入し、ゴライアスと遭遇、交戦している。

 いや、交戦とは言い難い。

(おそらく、強行突破している)

 ゴライアスの攻撃音は、徐々に近づいてきている。

 その誰かはほぼ間違いなく、この連結路を目指していた。

 ベートかもしれないし、そうではないかもしれない。

 いずれにせよ、たった今炸裂したゴライアスの一撃さえ無事に乗り切っているなら――…。

(情報が手に入るか……)

 そして、正気であるなら間違いなく何か情報を持っているはずだが。

 祈るような気分半分、警戒半分で連結路の出入り口を見つめる。

 果たして、その何者かは最後の鉄槌を免れていたらしい。

 とはいえ、それだけだ。決して無事とは言い難い。

 衝撃波に翻弄され、連結路の中から文字通り転がり出てくる。

「え?」

 地に倒れて動かないその三人一組(スリーマンセル)のパーティを見た瞬間、アイズが走り出した。

「アイズ?!」

 止めている暇もない。急いで、その後を追って走り出す。

「彼は……」

 倒れているのはヒューマンの男が二人。同胞(パルゥム)の少女が一人。

 その中の一人に、見覚えがあった。

(ベル・クラネル……?)

 Lv.1でありながら、単独でミノタウロスを撃破して見せた新人(ルーキー)

(ランクアップしているだろうとは思ったけど……)

 この惨状から察するに、何かしら異常事態(イレギュラー)に巻き込まれた結果だとは思う。

 だが、それでもランクアップから二週間足らずで一八階層に到達するなど――。

(この二人が、Lv.3なら……)

 充分に可能だろうが……しかし、どう見てもこの二人の方が重傷だった。

 大体、Lv.3の同胞がいるなら知らないはずがない。

 だが、この少女には見覚えがなかった。

「仲間を……助けてください……っ!」

 こちらに気づいたのか、彼は最後の力を振り絞りアイズの足首を掴んだ。

 それも当然だろう。彼もまた、半死半生といった有様だ。

 割れた額から流れ出る血が、草原を赤く染めている。

「フィン……」

 アイズの問いかけに頷く。

「ああ。保護しよう」

 彼には間接的にとはいえ、五九階層の戦いで助けられている。

 何より、地上から一七階層にかけての情報を持っているはずだ。

 ……それに、個人的にも少し興味がある。

「ただ、しばらくは野営地から少しだけ離れた場所に隔離する」

 件の呪詛(カーズ)に侵されていないと判明するまでは、そうせざるを得ない。

 本当なら、この監視所で周辺で隔離したいが……彼らの傷は深い。

 そして、元々少ない治療師(ヒーラー)をここと野営地で二分するのは厳しい。

「アイズ、先に野営地に戻って指示を出してくれ。調査に出向くのは彼らから話を聞いてからでいい」 

「うん、分かった!」

 走っていくアイズを見送るまでもなく、リヴェリアに指示を出す。

「あの天幕で、まず簡単な確認と治療をする。任せられるか?」

「やってみよう。少なくとも『暗い穴』なら、見れば分かる」

 その頃には、ラウルが天幕の中の物資を運び出していた。

「覗くなよ」

 リヴェリアが簡単な仕切りを作り、その向こうに同胞の少女を運び入れた。

「分かっているよ」

 その手前にベル・クラネルと赤髪の男冒険者を寝かせ、ひとまず装備を外す。

(さてと……)

 やはりというか、どうやら彼の派閥は【ステイタス】に(ロック)をかけないらしい。

 黒いインナーをまくり上げると、そこには神聖文字(ヒエログリフ)が刻まれたままだった。

 だからこそ、それが読めてしまうアイズを先に帰したわけだけど――…

(ンー…。もう少し真面目に神聖文字(ヒエログリフ)を学んでおくべきだったかな)

 そのうえで、思わず呟いていた。

 幸か不幸か、僕自身はそれを解読できない。

 スキルが発現しているらしいことは――位置的に見て――何となく察せられるが、それだけだ。

 倫理(マナー)違反は承知の上だが、少し惜しく感じてしまうのは仕方ない事だった。

「傷以外の異常は特にないみたいだけど……」

「うむ。こっちの若造も同じじゃ。傷は深いが、呪詛(カーズ)の予兆らしきものは見当たらん。少なくとも儂には分からんの」

「こちらも同じだ。傷だけでなく、疲労も深刻だがな」

 垂れ幕の向こう側から、リヴェリアの声がする。

(ひとまず、問題なしか)

 万が一に備え天幕の外を取り囲む団員達に、ひとまず合図を送る。

 まだ断言はできないが……あの呪詛(カーズ)に侵されていないなら、彼らは客人だ。

 それも、多少なりと情報を持っているであろう大切な。

「アイズが戻ってくる前に、特に目立つ傷だけは癒しておこう」

「ああ、任せるよ」

 杖をかざし、詠唱(うた)を紡ぐリヴェリアを見ながら、小さく息を吐いた。

 多分、安堵だろう。

 情報が手に入りそうなことと、あとは未来有望な新人が無事だったことに対する。

(それにしても……)

 まさか二週間弱で一八階層進出とは。

(君はつくづく驚かせてくれるね)

 ティオネたちが知ったら、また興奮しそうだ――と。

 自身もまた高揚しているのを感じながら、苦笑した。

 

 …――

 

 天幕の中に、静かな寝息が重なる。

 穏やかとは言えないにしても、特に苦しんでいるようには聞こえない。

 その静かな響きは、油断すると膨れ上がる不安を鎮めてくれていた。

(大丈夫、だよね……)

 リヴィラの街で暴れていたモンスター……あの異形の正体は、すでにフィンから聞いている。

 元凶の呪術師(ヘクサー)が潜んでいるのは、地上から一七階層の間。

 彼らが遭遇していないと、今の時点では断言できない。

(リヴェリアは、大丈夫だって言ってた)

 それでも、傍らに置いた愛剣(デスペレート)を握る手に力が入るのは止められない。

 決して、今ここでそれを抜くことを望んでいるわけではない。

 ただ、こんな時に縋れるものを他に知らなかった。 

(もう、半日は過ぎた)

 リヴィラで変容した冒険者たちは、その頃には異常を見せていたという。

 その前例に従うなら、今も平静を保っている彼らは呪詛(カーズ)の影響下にないはずだ。

 ……眠っていて話ができない今、本当に問題がないとも言い難いけれど。

(傷の方も、大丈夫だよね)

 白い髪に隠された額。そこには、真新しい包帯が巻かれていた。

 真っ先に目を惹いた傷はそれだったけど、実際にはそれと大差ない傷が体中にあった。

 とはいえ、それらはほぼ完治している。

 正確な手当てと、リヴェリア達の強力な治癒魔法のお陰だ。

 残っている傷は、元々軽傷だったもので、そちらも余っていた軟膏や包帯で治療してある。

 あとは、充分に休めば目を覚ますはずだ。

 前髪を梳くように撫でながら、しつこくざわつく心を宥めていると――。

「……っ」

「!」

 静かに閉ざされていた瞼が、僅かに震えた。

 息をのみ見守る中で、その向こう側から深紅(ルベライト)の瞳が現れて――

「リリ!? ヴェルフ!?」

 ――しばらくの覚醒していない様子で、ぼんやりと天井を見つめてから。

 目に確かな意思の光が宿ると同時、彼は仲間の名前を呼びながら勢いよく体を跳ね起こした。

(あっ、そんなに急に動いたら……)

 なんて、そんな心配をしていると、少年はそのまま体を丸めて悲鳴をかみ殺し始めた。

 案の定というか何というか……激痛に身もだえるその姿に思わず声をかけることを躊躇ってしまう。

「大丈夫?」

 とはいえ、いつまでも躊躇ってはいられない。

 意を決して、声をかけると――

「え?」

 時間でも止まったように、少年の体が停止する。

 そして、一拍置くと再びがばっ、とばかりに体を起こした。

 手を伸ばせば触れられる距離。深紅(ルベライト)の瞳に、私の姿が映り込んでいた。

「え、はっ、えぇっ……?!」

「……平気?」

 目が合った途端、奇声と共に百面相を始めるその姿は……まぁ、見慣れていないとは言わないけれど。

 でも、どことなく正気を失っているその様子は不安を煽る。

 何故だか自分の手を見ながら、顔を赤くしたり青くしたりしているのでなおさら。

「ど、どうしてここに……?!」

 ただ、とりあえずちゃんとした言葉が返ってきた。

 ホッとしながら、一つ頷く。

「今は、『遠征』の帰りで……少し問題が起こって、この一八階層にとどまってて……」

 こういう時、口下手な自分が恨めしい。

 リヴェリアならもっと簡潔に説明できただろう。

 そんなことを思いながら、大切な質問を口にした。

「体は、平気? 気分が悪かったり、何か変な感じはしない?」

「は、はい……。あちこち痛いですけど、それだけです」

 治癒魔法と言っても、決して万能ではない。

 傷が塞がっても痛みが残るのは、よくある話だった。

「えっと、なら、ダンジョンの中で何か――」

「僕の仲間は―――!?」

 言葉を重ねる前に、不意に表情を引き締めた少年が身を乗り出してきた。

 ようやく、動揺が抜け切ったのだ。

 ただ、体はやはりまだ本調子には程遠かった。

 床についた手に体を支えるだけの力がまだなく、肘が折れる。

 急激な動きの変化に、傷つき疲弊しきった体は全く無力だった。

 前のめりに倒れ込んでくる少年を前に、反射的に体が動いていた。

「……」

「……」

 両手を伸ばし、そのまま抱きとめる。

 ぽふ――と、小さな音と共に少年の顔が胸元にぶつかる。

 もちろん、衝撃を逃すことも忘れていない。

 だから、痛みはなかったはずだけれど……。

(もしかして、胸当てが……)

 鼻にぶつかったのだろうか。

 またしても動かなくなってしまった少年に、少し焦っていると――

「スいマせンっッ!?」

 奇声と共に、少年が体を大きく後ろにのけぞらせた。

「あ、急に動くと――」

 と、言っている暇もない。

 今度は後ろにひっくり返り、そのまま後頭部を床にぶつけた。

 その勢いで体に残る痛みまでがぶり返したのか、声にならない悲鳴と共に少年は全力でのたうち回っている。

 こうなっては、もう成す術がない。

 無力なまま、ただ見守っていると――

「ぁ……ヴェルフ」

 少年は、背後に眠っている仲間に気づいた。

 痛みを我慢しながら、彼が体を起こす。

「リリも……」

 ヴェルフと呼ばれた青年の隣に眠る小人族(パルゥム)の少女の名を呟く。

 二人が確かに呼吸をしている姿を見届けて、少年は安堵したように脱力した。

「二人とも、大丈夫」

 まずは、この言葉から始めたら良かったのではないか。

「リヴェリア達が、治療してくれたから」

 今まで見聞きしてきた少年の姿を思い出し、今さらながらにそんなことを思う。

「二人の傷も酷かったけど、君の傷も危なかったよ……」

 憑き物でも落ちたように、落ち着きを取り戻した少年の額に触れる。

 労わるように、包帯の上からおでこを撫でる。

 少年は顔を赤くしたけれど、もう奇声を上たり逃げようとしたりはしなかった。

「平気?」

 改めて、問いかける。

 とうとう耳や首までが真っ赤になっているけれど……。

「あっ、ありがとう、ございます……。助けて、いただいて……本当に……」

「ううん」

 良かった――と。

 少年は相変わらず白いままだという事に、心から安心した。

 

 …――

 

 運び込まれた少年――ベル・クラネルとその仲間たちの治療を終えてから、およそ半日。

 細々とした用事を済ませて、天幕に戻ってからのことだ。

(しかし、またおかしなことになってきたものだ……)

 ダンジョン内では異常事態(イレギュラー)が起こるものだとはいえ……いい加減、今回は打ち止めにしてもらいたいところだ。

 ため息を吐きながら、懐からひとつの首飾りを取り出す。

 大粒の紅玉(ルビー)らしきものに飾られてこそいるが、華美ではない。

 装飾品というより『お守り(アミュレット)』のような雰囲気がある。

 それはいい。縁起を担ぐ冒険者は別に珍しくもないことだ。

 あの少年がそうだったとして、何がおかしいわけでもない。

 ……それに、その首飾り(ペンダント)そのものに見覚えがあったからだ。

 仮に本来の持ち主があの娘だとするなら、この少年と知り合いでも特別おかしいとは思わない。

 そこまでなら、さしたる問題はない。 

(この紋章は……)

 問題は、ペンダントトップの裏側に施されたその紋章だ。

 見覚えがあった。忘れるはずもない。

 これと同質のものを、つい先日、別の相手から見せられている。

(まず、前提として)

 少なからず、動揺している。

 魔導士としてあるまじきことだが……急激に放り込まれた情報の塊が、心に波紋を生んでしまっている。

 ならば、その情報の塊を解体するだけだ。

(あの少年、ベル・クラネルはエルフではない。間違いなくヒューマンだ)

 額に深い傷があったため、念入りに頭部は確認している。

 彼は間違いなくヒューマンだ。ハーフエルフですらない。

 それは、絶対に間違いない。

 つまり、あの少年は本来の持ち主ではない。

 持ち主だったとするなら、まず間違いなく意味を知らないまま持っている。

(いや、本当に?)

 一つだけ気になることがある。

 この少年が転げ落ちてきた時。アイズが駆け寄る前。

 彼は、その手にほんの一瞬だけ『火』を宿していた。

 ミノタウロスとの戦いでもだ。

 あれは、間違いなくクオンが魔法を行使する際に手に宿す『火』と同じものだった。

(しかし、それは特別に驚くほどの事か?)

 いいや、違う。

 そう結論するのは簡単だった。

(確か、恩人の孫だと言っていたか)

 いずれにせよ、クオンはあの少年を気にかけていた。

 ならば、あの少年に何かしら教えを施していたとしても何の不思議もない。

 他に驚くようなことがあるとするなら、それは――…

(奴の魔法は、()()()()()()()()()()()()のか?)

 今の時代、魔法は『恩恵(ファルナ)』……『神の血(イコル)』によって発現する。

 それが『経験値(エクセリア)』を糧とする以上、それぞれの魔法はそれぞれの術者だけのものだ。

 ……もちろん、レフィーヤという例外もいる。

 だが、あの少年がレフィーヤと同じかと言われるなら――…

(違うだろうな)

 あの少年が特別なのではない。

 大体、奴自身が時々口にしていたことだ。

 師に教わったと。

 あれが、私がレフィーヤに施しているような教えではなく、文字通りの意味だったとするなら。

(奴の魔法は()()()()と結論してよさそうだな)

 それは、何人ものエルフ達が研鑽し、形とした『古代』の魔法と同質ということだ。

 だが、それとて驚くほどの事ではない。

 奴は『恩恵(ファルナ)』を施されていない。いわば『古代』の英雄の再来だ。

 なら、その魔法が『古代』と同じだったとして、何を驚くことがある。

 ……いや、驚くべきことだが。それ以上に興味深くもある。

 ただ、それは私情の部類だ。今は置いておこう。

(そう。『古代』の英雄の技術に触れる機会はあったはずだ)

 彼自身がその意味や価値を理解しているかはともかく。

 確実に、彼はクオンを介して私達の知らない『何か』に触れている。

 あの少年は、その程度に深い関係をクオンと結んでいる。

(これが事実『お守り(アミュレット)』だとするなら……)

 あの少年が持っている理由は、まさに『お守り』としてではないだろうか。

 時間的に考えても、彼らが『中層』に挑むのは今回が初めてだったはずだ。

 その安全を祈願して、あの娘から借りていたとしても不思議ではない。

(さて、この首飾りの()()()()()()は誰だ?)

 懸念が形となる。

 どういう経緯を経てこの少年……あるいは、あの娘の手に渡ったのか。

 それとも、よく似ているだけで全く別物なのか。

(まずはあの少年に訊けばいい)

 それで、誰から借りたのかははっきりするはずだ。

 次はその誰かに接触を取るなり調査するなりすればいい。

(問いかけるべき事柄は概ね整理がついたか)

 それに伴い、精神の動揺も静まる。

 落ち着いて考えれば、願ってもない好機だった。

 上手く行けば、抱えているいくつかの厄介事に解決の糸口が見えてくる。

(幸い、あの少年は腹の探り合いが得意そうには見えないからな)

 彼には悪いが、探りを入れることは難しくあるまい。

 少なくとも、クオンの口を割らせるよりはずっと楽だ。

(その結果、何が出てくるかの方が問題だな)

 何であれ、心の準備だけは念入りにしておく必要がある。

 躊躇いもなく、とんでもない劇薬を投げかけてくる可能性は充分にあるのだから。

 もちろん、彼には何の悪気もないとしても。

「リヴェリア様。団長がお呼びです」

 自分に言い聞かせていると、外から団員の声がした。

「分かった。すぐにいく」

 おそらく、あの少年が目を覚ましたのだろう。

 思ったよりも早い。おかげで、首飾り(ペンダント)を返しそこなってしまった。

(適当に言い訳を考えておくか) 

 もちろん、別件かもしれないが――これ以上予定外の何かが起こられても困る。

 できれば、それくらいは順当に事が進んで欲しいところだった。

 

 …――

 

「こっ、こっ、この度は助けて頂いてっ、ほほほほ本当にありがとうございました……っ!?」

 文字通りに平伏し、完全に上ずった声で少年が言った。

「そう畏まらないで、どうか楽にしてくれ。冒険者とはいえ、こんな時くらいは助け合おう」

 その先で、フィンが肩をすくめて苦笑している。

 

 あれから、しばらくして。

 

 何とか動けるようになった少年を連れて、私はフィン達の天幕へとやってきていた。

 それは、元々言いつけられていたことだし、少年にも理由を説明してある。

 それでも、少年がすっかり委縮してしまっているのは、多分その途中の光景のせいだ。

(分かってても、ちょっと嫌かも……)

 少年の少し後ろに座りながら、小さく呟く。

 天幕を出た途端、目に入ったのは物々しい阻塞(バリケード)の群れ。

 でも、その理由は一応簡単に説明してある。

 ……私も、まだよく分かっていないから充分ではなかったかもしれないけど。

(大丈夫だって合図したのに……)

 周りで警戒していた皆に大丈夫だと頷いて見せたのだ。

 念のため、少年と手を――それも利き手を繋ぎながら。

 ……なのに、何故だか、みんな余計に殺気立ってしまった。

(ひょっとして、あんまり信用されてない……!?)

 何だか、急に不安になってきた。

 そして、その不安を煽るように――

『アイズたんは、ポーカーフェイスできへんもんなー』

 何故だか急に、この前やらされたババ抜きで大惨敗した時にロキに言われた言葉を思い出した。

 もしかして、あのせいで(アイズ)はこの少年にも騙されてしまうほど頼りなく思われてしまったのだろうか――!

 ガァーン!――と。衝撃の事実に幼いアイズが、少年を真似るように地面に突っ伏す。

「それに、アイズの知り合いと聞いておきながら見殺しになんてしたら、彼女に恨まれてしまう。夜を安心して過ごすためにも、君は何としてでも助けておかないと」

 何だか酷いことを言われている気もするけど……ここぞとばかりにポーカーフェイスを決めて見せる。

 ……何だか、二人とも笑っていた。

(ど、どうして……?!)

 昔は『人形姫』とまで言われていたのに……!

 別に愛着のある呼び方ではないけど、それはそれとして何だか納得いかない。

「別に宿代という訳ではないんだけど――」

 苦悩する私を他所に、フィンがいよいよ本題を切り出した。

「少し、情報交換をしたいんだけど、いいかな?」

「あ、はい」

 肩の力が抜けたらしい少年が、再び居住まいを正しながら頷く。

「ひょっとしたら、アイズから少し話を聞いているかな?」

「ええと……。悪い呪術師(ヘクサー)がダンジョンの中にいるんですよね?」

「多分ね。僕達が足止めをされているのは、帰り道でモンスターにもらった厄介な『毒』のせいなんだけど」

 それには、専用の特効薬がいるんだ――と、その前置きをしてから。

「その薬を求めてベート……【ファミリア】の中でも足の速い団員が地上に向かっている」

 予定では二日ないし三日。そういう見積もりを立てていたらしい。

「でも、まだ戻ってこない。元々希少な薬だから、必要量を集めるためにもう一日くらいかかるかもしれないが……」

 そちらの影響かもしれない――と、その言葉に少年は首を傾げた。

「でも、【ロキ・ファミリア】の方の障害になるような冒険者なんて……」

「ひょっとしたら、そういう事態が起こっているんじゃないかと警戒しているところなんだ。それに相手が冒険者とは限らない」

 確かなことはまだ言えないけどね、と。

 フィンの言葉に、少年は音を立ててつばを飲み込んだ。

「僕達がいた天幕の周りに阻塞があったのも……」

「ああ。念のため警戒させてもらった。ただ、見たところ君は正常のようだ。安心したよ」

「リヴィラの被害者は、半日と待たず言動がおかしくなったという。だが、フィンの言う通り、お前にはその兆候が見られない。おそらく、他の二人も問題はあるまい」

 フィンの言葉に、リヴェリアも頷いて見せた。

「その呪詛(カーズ)の影響なのか、どうやら地上の出入り口が封鎖されているようなんだ。少なくとも、この数日の間に地上から訪れる冒険者は君たち以外にいない」

「そんな……。ダンジョンが、閉鎖……?」

 愕然とした表情で呻いてから、

「あ、でも、それなら……」

 何かを納得したように、小さく呟いた。

「何か、心当たりがあるのかい?」

「いえ、心当たりではないんですけど。リリが……僕の仲間が、多分一五階層より上で何か起こってるんじゃないかって」

 ダンジョンの中が静かすぎる――と。

 あの小人族(パルゥム)の子がそう言ったらしい。

「他に何か妙なことはなかったかな?」

「中層は初めてだったので、あまりよく分からないんですけど……」

 モンスターとの交戦中に、縦穴(おとしあな)に落ち、現在地を見失い、地上への帰還が困難になった。

 少年から聞いた話ではそういう事だった。

 大筋で言えば、私の予想通りでもある。

 よく耳にする事態だし……多分、誰にも伝えることができなかった冒険者はもっとずっと多い。

 少年たちが陥ったのは幾度となく繰り返され、その多くを飲み込んできた過酷だ。

 だから、少なくとも、この呪詛(カーズ)とは無関係のはず――…。

「アルミラージの『強化種』に襲われました」

 ……それ、私も聞いてない。

 呪詛(カーズ)とは無関係とはいえ、予想外の言葉に思わぬ衝撃(ショック)を受けた。

「あ、いえ。多分、『強化種』だったと思うんですけど……」

 躊躇うように、少しだけ言い淀んでから、少年は妙なことを訊いてきた。

「『強化種』は胸の魔石を砕かれても平気なんでしょうか?」

「……何だって?」

「そんなはずない……と、思うけど」

 フィン達が顔を見合わせる中で、思わず口に出していた。

 魔石はモンスターにとって絶対の急所。それを砕かれたなら、それが階層主であっても即死する。

 ただ、その少年がそんな嘘を言うはずもないとも思う。

 やっぱり、極限状況で何かを勘違いしたとか……。

「確かに砕いたのかい?」

「ええ、そのはずなんです。でも、なんだか妙な黒い靄みたいなものを纏い始めて……」

 慌てて飛びのいたのだと、少年は言った。

「君はそれに触れたかい?」

「いいえ、触れていません。僕も、僕の仲間たちも」

 多分、それこそが呪詛(カーズ)

 となると、その『強化種』こそが全ての元凶だったのだろうか。

 ……何だか、いよいよ話が不穏な感じになってきた。

「それで、その後すぐに、まるで『強化種』を狙ったようにダンジョンの天井が崩落して……」

「その『強化種』を圧し潰したと?」

「いえ、それが……。何ていうのか、まるで()()()()な感じでその『強化種』を包み込んで――」

 何でこの子の周りでは、そんなよく分からない異常事態(イレギュラー)ばかり発生するのか。

 今までは大体あの女神様の仕業だったのだと思っていたけど、何だか違う気がしてきた。

「それは、一五階層にあるのかい?」

「いえ、その後すぐに孵化して追いかけてきました」

 何でも、()()の魔石のようなものを鎧のように体中から生やしていたらしい。

紫黒(しこく)というのは、間違いないかい?」

「はい。いつもの魔石より、黒っぽかったです。それに、ずっと硬くて……」

 フィンが念を押すけど、どうやら『極彩色』ではないらしい。

 硬さは……どうなんだろう。多分、『極彩色の魔石』はそこまで変化していないと思うけど。

「その『強化種』は、まだダンジョンを彷徨っているのかな?」

「いるとしたら、多分一七階層の……階層主のいる空間(フロア)だと思います」

「何故、そこまで細かく特定できる?」

「どうしても振り切れなくて、また戦闘になったんです」

 その時は、相手の加速を利用して完全に頭を潰したらしい。

 ……その『強化種』尋常ならざる素早さを持っていたのは、少年のたどたどしい説明からも明らかだ。

「それで、仲間に助けられながら、何とか倒したと思ったんですけど……」

 もちろん、敵の特性を見抜き、ミノタウロスの石斧を手渡した仲間たちの機転も見事だけど……。

 動きを読み切り、機微(タイミング)を合わせられるとは。

(本当に、強くなったんだね)

 何だか誇らしいような、何故かむず痒いような。そして、ちょっとだけ寂しいような。

 不思議な気分に身を委ねていると――

「でも、今度は妙な乾溜液(タール)みたいなのが体から出てきて……」

 その少年は、またしてもとんでもないことを言いだした。

「待って! リヴェリア、それってひょっとして……!」

 リヴィラの街に現れた牛頭のデーモン。

 その体から生えてきた……多分、あのデーモンに寄生していた『汚泥』。

 五八階層で、ガレスたちも同じ存在と遭遇したと聞いている。

「ああ。可能性はあるな」

「儂らが出くわしたデーモンからも出てきた奴じゃな」

 フィンやリヴェリアどこか、ガレスまでが険しい顔で唸る。

 というか。そんなものが寄生していたとなると、そのアルミラージはひょっとして……。

「あの、デーモンって、もしかしてフィリア祭で暴れたっていう……?」

 今さらながらに顔を引きつらせて、少年が呻く。

 確かに、彼はあの時デーモンとは遭遇していない。

 全く予想外だっただろう。

 ……それは、私達もだけど。

「ああ。……今更だけど、君の質問に答えておこう。魔石を砕かれてなお生きていられるモンスターは存在しない。少なくとも、僕達が把握している限りはね」

 それどころか、本当にこの呪詛(カーズ)の原因だったのでは……。

「君たちが遭遇したのは、ただの『強化種』じゃない」

「それどころか、モンスターと呼んでいい存在かも怪しいところだ」

「中層に進出した日に一八階層到達。しかも、階層主どころかデーモン擬きのおまけつき。なるほど、確かにこの未熟者(わかぞう)は面白い!!」

 フィンがため息を吐き、リヴェリアは眉間を押さえ――そして、ガレスは豪快に笑い飛ばした。

 一方で、少年は青ざめた顔を盛大に引きつらせている。

 私は……何だかこのまま床に突っ伏したい気分だった。

「では、一七階層にいるというのは――」

「はい。その後で、そこまで追いかけてきたんです」

 その時はもう、逃げるのがやっとでした……と。

 まるで恥じ入るように、少年は小さく付け足した。

「なるほど……。あの時ゴライアスが狙っていたのは、それか」

「はい。多分、僕達を狙ったのは連結路前の一発だけだと思います」

 一つの疑問が氷解した。

 少年たちは、どう見てもゴライアスの攻撃を連続して避けれるような状態にはなかった。

 攻撃音が複数回響いてきたのはどうしてなのか、ずっと不思議だったけど……。

「恥じることはない。むしろ、よく生き延びた」

「いえ、そんな……」

 リヴェリアの言葉に、少年はますます体を縮めてしまう。

「いや、リヴェリアの言う通りだ。君たちが生き延びてくれたおかげで、僕達も助かった」

「うむ。今の状態でデーモンとやりあうのは、流石に少ししんどいからの」

 特に今度のデーモンは今までと違って魔法を使ってきそうだ。

 二人だけでは、流石に厳しい戦いになる。

「……あの『強化種』みたいなのは、フィンさん達のいう呪詛(カーズ)のせいで生まれたんですか?」

「多分ね。少なくとも、元凶そのものではないと思う」

 まだランクアップしたばかりのLv.2でも対峙できる相手。

 それが元凶なら、流石にダンジョンそのものを閉鎖するとは考えづらい。

 ……地上には、あの【猛者(おうじゃ)】がいるんだし。

「じゃあ、あの変なモンスターも、ただの『希少種』じゃなかったのかな……」

 思わずと言った様子で呟かれたその独り言に、 流石のフィンも少しだけ口元を引きつらせた。

(……まだ何かあるの!?)

 この子たち、実はとんでもない大冒険をしてきたのではないだろうか……!

 幼いアイズなんて、もう隅っこの方でガタガタ震えている。 

「……その『希少種』についても、念のため聞かせてもらえるかな?」

 遭遇した場所と、外見の特徴を――と、フィンの言葉に頷いてから、

「ええと、遭遇したのは一三階層で、何か凄く不気味な外見でした。大きな頭に、紅い眼がいっぱいあって、口からは何か手みたいなのが生えてて……」

 フィンが天を仰ぎ、リヴェリアが眉間を押さえ、ガレスまでが口元を引きつらせている。

 何だか昔から凄く見覚えのある光景だった。

 つい最近も見たような見なかったような……。

「あの、ひょっとして……」

「話を聞く限り、呪詛(カーズ)の被害者の変容によく似ているね」

「じゃあ、あれは……あれは、人間……だったんですか?」

「……だとしても、あまり気に病まないことだ。ああなっては、私でもどうにもできん」

 人を殺したかもしれない。その真実に怯える少年に、リヴェリアが静かな声で諭す。

 対人戦闘……『人殺し』を経験する冒険者ばかりではない。

 かつての『暗黒期』ならまだしも、それが終わったこの数年の間はなおさら。

 特に、この少年には最も向いていない戦闘だと言っていい。

「あれほどの変容だ。【戦場の聖女(デア・セイント)】ですら元に戻せるかは分からん。呪詛から解放してやるというのも一つの救いだ。誇れないにしても、負い目を感じることでもない」

 私達も、リヴェラの被害者をそうした。

 リヴェリアの言葉にも、少年は曖昧に頷くばかりだった。

「それに、君の話からするとモンスターも影響を受けるとみていい。何か、他に気になることはなかったかな?」

 落ち着いて思い出してごらん――と、フィンが促す。

「……あまり詳しいことは分からないんですが」

 少年もまた、その言葉に素直に応じた。

 記憶を探るように、ゆっくりと話し始めた。

「その時一緒にいた別のパーティの冒険者が、それを見てアルミラージだって言ったんです」

 それだけでは、何だかよく分からなかった。

 それを察したのだろう。少年も少し慌てた様子で、すぐに後を続けた。

「ええと……その人は、それまでずっと近づいてくるモンスターを正確に教えてくれていたんです」

 他所の派閥の方なので、詳しいことは分からないんですが……。

 少年は改めて、そう付け足した。

「……なるほどね」

 フィンが頷く。

 私にも彼の言いたいことが、今度こそ分かった。

(魔法。それともスキルかな)

 いずれにしても、その冒険者は索敵系の能力を持っていたのだ。

 そして、その能力者が現れた異形をアルミラージと呼んだなら……。

「ならば、それは本当にアルミラージだったモノだろう」

「ああ。どうやら、今回の冒険はよくよくアルミラージと縁があったようだね」

「そう、なんでしょうか……」

 曖昧に呻く少年に、つい声をかけていた。

「フィンの言葉は、気休めじゃないよ?」

 フィンが気休めを言葉を口にすることはない。特にこういう状況では。

「リヴィラの街で暴れていた異形と、私も戦ったけど……」

 彼らは元々Lv.2の冒険者だったらしい。

 ただ、実際に交戦した感触からすると、Lv.3以上の力量だった。

 仮に彼らが『中層』で遭遇した異形がそれと同格だったなら、彼らの冒険はそこで終わっていたかもしれない。

 少なくとも、多少の苦戦では済まないのは間違いないことだ。

 そんなことを、拙いながらも精一杯説明する。

「ああ、アイズの言う通りだ」

 私の言葉に、リヴェリアもまた頷いた。

「お前が遭遇した異形は、どの程度の力量だった?」

「普通のアルミラージより、少し強い、くらいだったと思います……」

「なら、間違いあるまい。どういう理屈かは分からないが、()()()()()()()()()()()()()()()()らしい」

 例外もあるようだが、とリヴェリアは付け足すけど……。

 リヴィラの異形は、魔石を持っていなかった。これは、絶対に間違いない。

 魔石があったなら、それは間違いなく元々モンスターだった存在だ。

「それが元冒険者なら、その程度の力量ではない。そして、人間が変異した個体は魔石を持ってはいない。それは保証する。信じろ」

「は、はい」

 少し強引に、リヴェリアが言い聞かせた。

 ひとまずは納得してくれたのだろう。

「あの……すみません。ありがとうございます」

 恥じ入るように――でも、さっきとはまた違う感じだけど――少年が頭を下げた。

「なに、これくらいは慣れたものだ。それに、ウチのはねっかえりどもと違って素直でいい」

 少しは見習わせたいものだと、リヴェリアは笑った。

 ……私を見る目は全く笑っていなかったけど。

 幼いアイズはすでに近くの木箱の中に籠城を決め込んでいた。ずるい。

「それにしても、本当に助かったよ。貴重な情報をありがとう。改めて礼を言わせてもらう」

「そんな……」

「本当さ。おかげで、元凶がいる場所にも大体見当がついた」

「そうなんですか?」

 目を瞬かせる少年に、フィンは小さく笑って見せた。

「簡単な話だよ。君たちが一二階層……上層最下部まで進む間、ダンジョンはいつも通りだった。そうだね?」

 少年が頷くのを見届けてから、フィンが続ける。

「その後一三階層で件の異形化したアルミラージと遭遇。一五階層に落下してからは、アルミラージの『変異種』――仮にそう呼ぶけど――と交戦した」

 ただ、そのどちらも元凶とは言い難い。

 あくまで、元凶から生み出されたものでしかないはずだ。

「一三階層ないし一五階層からここまでの区間、君たちは運よくその元凶と遭遇しなかったのか」

 暗中模索の状態で、さらにその幸運に恵まれる可能性はどの程度か。

「ないとは言い切れない。でも、ただ単に素通りしただけだと僕は考えている」

「素通り……。じゃあ、フィンさんは……」

「ああ。一四階層に元凶がいると見ている。それも多分正規ルートから少し外れた……いわゆる『穴場』かな」

 モンスターと戦いやすく、あまり知られてない空間(ホール)

「正規ルートからかけ離れたところだとするなら、犠牲者が多すぎる。逆に正規ルート上に存在するなら少なすぎるからね」

 おそらく、『一四階層の正規ルートから程よく離れた距離』に元凶は存在する。

 フィンはそう結論を結んだ。

「敵の所在や能力が見えてきた。特に場所はかなり絞り込めたと言える。全く何も分からない状態から一転してね。礼を言わないわけにはいかないよ」

「あ、ありがとう、ございます……」

 天幕に入った時と同じような感じで、少年が頷いた。

 それ見て、フィンももう一度苦笑してから。

「地上に戻れるまでに間、君たちを客人としてもてなそう。……まぁ、そうは言っても配分できる物資には限りがあるけどね」

「い、いえ! むしろ恵んでいただけるだけで充分です!」

「周囲ともめ事を起こさないなら、君たちのいる天幕は好きに使ってくれていい。団員達には僕の口から伝えておくよ」

 うん。それは急いだ方が良いと思う。

 そして、地上に戻ったらロキに復讐(リベンジ)を挑まなくては……!

 幼いアイズが勢いよくトランプを切り出し……そして、手を滑らせて盛大にばら撒いた。

(ま、負けられない……!)

 信用を取り戻すためにも、絶対に――!

 不吉な光景から全力で目をそらし、心に誓う。

「取り囲んでいる阻塞は、二人の正気が確認出来たらすぐに撤去させるよ」

「すみません……。何から何まで……」

「なに、これでお互いに貸し借りなし。そういうことにしておいてくれ」

 フィンは、最後にそういって笑った。

 

 

 

「あ、あれ?!」

 フィンさん達の天幕からの帰り道、アマゾネスの姉妹……ティオネさんとティオナさんと出会ってから。

 まだ眠っているリリ達の看病を……というか、その真似事をしながら、念のため自分達の装備を確認する。 

 いくら恵んでもらえるとは言っても、【ロキ・ファミリア】は遠征の帰り道。

 ここよりずっと先にある『深層』。さらに奥深くでの冒険を終えた後だ。

 やっぱり物凄い激闘があったらしく、物資は残り少ないとフィンさんも言っていた。

 できる限り、分けてもらう物は少なくしておきたい。

 そう思って、天幕の片隅に置かれていた僕達の装備を一つ一つ点検していたのだけれど……。

「ない?!」

 霞さんから借りた首飾り(ペンダント)がない。

 反射的に胸元に触れるけど、当然ながらそこにもない。

 ズボンのポケットを漁っても、辛うじて残っていたレッグホルダーをひっくり返してもない。

「そ、そんな!?」

 い、いや。落ち着こう。

 ひょっとしたら、アイズさん達が預かってくれているかも……!

「すみません、リリ達のこと、お願いします!」

天幕の出入り口を遮る垂れ幕を跳ね上げて、外へと飛び出す。

「え? どうしたっすかぁ!?」

 入り口の傍にいた黒髪の優しそうな男の人にひと声かけてから、とりあえずアイズさんを探す。

 目覚めた時に傍にいたのがアイズさんという事もある。

 何より、大派閥である【ロキ・ファミリア】の中で、知り合いと言えるのもアイズさんくらいしかいない。

(た、多分いいよね!? 知り合いだと思うくらいなら……!)

 恐れ多いような気もするけど、ここは全力で無視しておく。

 じゃないと、誰にもまともに話しかけられそうにない。

 何故だか殺気じみた威圧感をひしひしと感じながら、野営地の中を適当に走り回っていると――…

「そんなに慌てて、一体どうした?」

 落ち着いた、そして玲瓏な声に呼び止められた。

 別に鋭い声ではなかったけど、自然と足を止めていた。

 それどころか、動揺していた思考までが不思議と落ち着きを取り戻してきたような……。

「まさか、件の呪詛(カーズ)の影響でも出たか?」

「あっ?!」

 鋭い死線に、今さらながらに周りの殺気の原因を理解した。

(そりゃそうだって!)

 今の僕達は、あの黒い靄――が、呪詛(カーズ)の正体だとするなら――の影響がないと言い切れない状態なのだ。

 変なことをすると、僕どころかリリ達まで危ない。

「いえ、違います! 平気です!!」

 大慌てで、周りにも聞こえるように叫ぶ。

 ……いや、これも挙動不審なのかも?!

「なら、少し落ち着け。深呼吸をしろ」

 言われるがままに、大きく息を吸い込み――

「吸ったら吐け。まったく……」

 肺が限界を超えて、げほっ!――と、思い切り咳き込んだ。

 咳き込みながら、呆れたようなリヴェリアさんの声に頷く。

 ……うう。さっきから醜態ばかり晒している気がする。

「それで、何があった?」

「ぼ、僕! ここに来た時に首飾り(ペンダント)をつけていませんでしたか?!」

 そう言えば、治療してくれたのはリヴェリアさんだ。

 ひょっとしたら、知っているかも――!

「ああ、していた。そう言えば、先ほど返せばよかったな」

 ローブのポケットから、リヴェリアさんは僕の……というか、霞さんの首飾り(ペンダント)を取り出した。

冒険者用装身具(アクセサリー)ではないようだったから、傷つかないように布か何かで包んでおこうと思ったんだが……」

 すまない、色々と立て込んでいてうっかりしていた。

 そう言ってリヴェリアさんが小さく頭を下げた。

「あ、いえ、そんな……!」

 リヴェリアさんはさっきフィンさんから副団長だと紹介されている。

 もちろん、それくらいならまだ駆け出しの僕でも聞いたことがある。

 遠征中なら、特に忙しいだろう。

「すみません、ありがとうございます!」

 リヴェリアさんから首飾り(ペンダント)を受け取り、首から下げてしっかりとインナーの内側に入れる。

 首に感じる微かな重さに安心し、首飾り(ペンダント)ごと胸を撫でおろした。

「ずいぶんと大切なもののようだな」

 リヴェリアさんが、小さく笑う。

「なるほど。……なかなかどうして、隅に置けないらしい」

「え?」

「それは、女性物だろう? 良い人でも貰ったか」

「ち、違います! 違いますから?!」

 何だか一番誤解されちゃいけない人に誤解された気がする!

 謎の危機感に慌てて否定する。

「そう照れることはないだろう」

「いえ、だから違うんです。話を聞いてください!?」

 慌てるあまり、何を話せばいいのかすら分からなってたりするわけだけども!

「なら、お前たちの天幕の中で聞くとしよう」

「ええ?!」

 何でそんな大げさに?!

「なに、ただのついでだ」

 リヴェリアさんは肩をすくめると、周りの団員に手を振って何かの合図を送った。

「団員に安全だと納得させるには、私が直接確認するのが一番楽だ」

 今のお前達が挙動不審な動きを見せたとあってはな――と、少し咎めるように横目で睨まれた。

「あ、そうですね……。本当にすみません……」

 またしても迷惑をかけてしまった。

「そこまで気にすることもない。元々様子を見に行こうと思っていたところだ」

 身を縮め項垂れる僕に苦笑してから、リヴェリアさんは天幕に向かって歩き出した。

 その背中を追って、僕も借りている天幕に戻る。

 結構走り回った気がしたけど、まっすぐ帰ればそこまでは離れていなかった。

 特にエルフの団員の方が不審そうな目を向けてくるけど、それは仕方がないことだ。

「ふむ。特に問題はないようだ」

 天幕に入ってすぐ。

 慣れた手つきで、リリとヴェルフの傷を確認したリヴェリアさんが言った。

「さて、それでは話を聞かせてもらおうか?」

 少し後ろで正座している僕に、リヴェリアさんが小さく笑う。

「え?」

「のろけ話を聞いて欲しいのだろう?」

「だから違うんです?!」

 少し意地の悪いその笑みに、リリ達が寝ているのも忘れて叫んでいた。

「これは、霞さんが貸してくれたんです。『中層』に進出する前に、『お守り』だからって――…」

 と、そこまで言ってから、ふと思い至る。

(あ、ひょっとしてクオンさんの名前を出したらマズいんじゃ……?!)

 理由はともかく『神殺し』だ。

 リリからもあまり名前を出さないようにと言われている。

「霞? もしや、クオンのマネージャーか?」

「ええと……」

 曖昧に呻くものの……その翡翠色の瞳を前に、隠し事などとてもできそうにない。

 まるで神様に見定られているかのようだ。

 これが、王族(ハイエルフ)の威厳というものなのだろうか。

「別に気にすることはない。奴とは、それなりに因縁がある」

 今さら奴が『神殺し』を犯したところで、驚く気にはなれん。

 零れ落ちた深いため息は、演技でも何でもなさそうだった。

 それこそ相槌に困り、曖昧に顔を引きつらせる。

「ああ、だが。君が耳にしているかもしれない私と奴の関係は、明確に否定しておく」

「はい!」

 掛け値なしの本気。

 Lv.6にして王族(ハイエルフ)たる威厳を前に、背筋を伸ばして全力で返事を返す。

「それに、彼女とは私も何度か言葉を交わしている。直近で言えば、今年のフィリア祭でな」

 モンスターやデーモンが暴れるまでは一緒にいた。

 思わぬ言葉に、目を瞬かせる。

「よく似ていると思ったが、本当にあの娘のものだったか」

 リヴェリアさんは、小さく肩をすくめてから、

「私としてはむしろ、お前が奴と関りがある方が驚きだな。何があった?」

「村の……僕の故郷の恩人なんです」

「恩人?」

「はい。二年位前なんですけど、僕達の村にコボルトの大群が攻めてきたことがあって――」

 いつだったか、神様に話したようにクオンさんとの出会いをリヴェリアさんに説明する。

「なるほど。……まぁ、外のコボルトなどいくら集めても奴の敵にはなるまい」

「それで、お祖父ちゃんが、お礼にしばらく泊まっていくといいって……」

「恩人の孫というのは、そういう意味か」

「ええ。助けてもらったのは僕達の方なんですけどね」

 一宿一飯の恩義だと、クオンさんは笑っていたけど。

「もしや、その『火』はその時に?」

「ええと……」

 間違いなく、≪呪術の火≫の事だと思うけど……。

「いや、すまない。少々不作法だったな。他派閥の冒険者の【ステイタス】を問うなど……」

 そう言えば、治療の際に背中を見られてはいないだろうか。

 リヴェリアさんも神聖文字(ヒエログリフ)は読めるだろうし……。

「ミノタウロスと戦っていた時に、奴と同じ魔法を使っていたからな。気になっていたんだ」

「村で、ではないです。村では簡単な剣の振り方と、『冒険の仕方』を教えてもらっただけで……」

 それに、もう物凄くお世話になっている。

 今回だけじゃなくて、ミノタウロスの時も、僕とリリの傷を癒し、地上まで運んでくれたのがリヴェリアさんだと神様から聞いている。

 なら、僕に答えられるだけのことは答えるべきだ。

「冒険の仕方?」

「水を手に入れる方法とか、火を熾す方法とか、危険を見落とさないコツとか、とっさの時に身を守る方法を。あと、少しだけ剣の扱い方も……簡単にですけど」

 その中で、猪に追い回されたり、蜂に追い回されたりしたけど。

「……あいつにしては、随分とまともだな」

「そうなんですか?」

「アイズの時もそうなら、私達の……【ロキ・ファミリア】との関係ももう少し違っただろう」

 もっとも、それに関しては自業自得なのだが――と。

 眉間を揉みながら、リヴェリアさんが呻く。

「まぁ、今さらではあるが。三割はアイズのせいだ。残り二割はロキとベートだな」

 残り半分がクオンさんのせいなんだろうな……とは思ったけど。

 流石に口には出せず、それについては沈黙を守ってから、

「『火』はオラリオで、冒険者になってからです」

「やはり、奴と同じ魔法だったか」

 奴の魔法は、他者に教えられるのか……。

 僅かな驚きを宿した声で、リヴェリアさんが小さく呟いた。

「時に、お前はそれを誰かに伝えられるのか?」

「え?」

 問われて、思わず目を瞬かせていた。

 クオンさんが僕にこの≪呪術の火≫を分けてくれたんだから、僕だって誰かに分けられる。

 そして、【ぬくもりの火】だって誰かに教えられるはずだ。

 ……と、思うけど。

「えっと……。すみません、そのやり方までは教わってなくて……」

 まだ火を育てろとしか言われていない。

「なるほど。あいつらしい」

 その言葉の真意は分からなかったけど。

 やっぱり、クオンさんとリヴェリアさん達は、あまりいい関係にないのだろうか。

「あの……」

 少し迷ってから、意を決して問いかける。

「リヴェリアさん達は、クオンさんの事が嫌いなんですか?」

 そして、クオンさんも嫌っているのだろうか。

 ……それは、ちょっと嫌だなと思う。

 あくまでも僕の事情だけど……どちらも、僕にとっては大切な恩人なのだから。

「なかなか答えにくいことを訊く」

 リヴェリアさんは苦笑したようだった。

「『達』という言葉に、どこまでを含めるかにもよるが……。私個人としては、特別嫌いという訳でもない。もちろん、好きという訳でもないが」

 顔を見れば会話くらいはするが、噂にあるような関係になろうとは思わない。

 個人的な話なら、知人の一人。そういうことらしい。

「派閥としても、明確な恨みや憎しみがある訳ではない。……いや、アイズの傷を見た時に憎しみを抱かなかったと言えば、嘘になるが」

 それは個人的な話だと、リヴェリアさんは付け足した。

 ああ、この人は本当にアイズさんの事を大切に思っているんだと。

 ほんの一瞬だけその目に宿った険しさに、改めてそんなことを思う。

「だが、それとて事の真相を知れば、お門違いというのも分かる」

「そうなんですか?」

「ああ。あれはアイズから戦いを挑んでいたせいだからな。殴りかかったせいで、殴り返された。それでなお恨むというのは、逆恨みでしかない。派閥としても、個人としても」

 それでも、心情的にはなかなか納得しづらい事だが……と、こめかみ辺りを指で掻きながら、彼女が呟く。

「戦いを挑んだって……」

「あの子は、あれでなかなか負けん気が強い。階層主に一人で戦いを挑む程度にはな」

 困ったものだ――と。本当に困り切った様子で、リヴェリアさんがため息を吐く。

(まるでアイズさんのお母さんみたいだ……)

 さっきの表情も含めて、そんな考えがちらりと脳裏をかすめていく。

「急に名を挙げ始めた奴に興味を持ったのも不思議ではない」

「でも、訓練に付き合ってほしいなら、何だかんだ言って付き合ってくれると思うんですけど……」

 というか、初めてお願いした時も少し困ったような顔をしたくらいで普通に教えてくれたし。

 そんなことを思い返していると、その記憶を再演するようにリヴェリアさんが困ったような顔をした。

「奴の本職は剣闘士だという話は聞いているか?」

「え、ええ。それで、霞さんがマネージャーなんですよね」

「ああ。なら、奴の謳い文句はどうだ?」

「ええと……」

 この前ミアハ様たちとセオロの密林に行った時に、行きの馬車で聞いたような……。

 確か――…

「『剣の切っ先より死に近い』、ですか?」

「そうだ。お前は、きっとピンとこないだろう?」

「……はい」

 他に返事が思いつかず、素直に頷く。

「ダンジョンの中ならともかく、普段は呑気な人ですよ。時々、神様と取っ組み合ってますけど……」

 というか、割と容赦なく締め上げているけど。

「……どうやら、神ヘスティアは相当な神格者のようだな。何が理由かは知らないが、ロキならそのまま殺されている」

 柳眉をひそめ、リヴェリアさんがため息を吐いた。

「そ、そこまでですか……?」

 理由って、ジャガ丸くんで何味を選ぶかだったりしたこともあるんですが。

 思わず呻くと、リヴェリアさんはあくまで大真面目に、

「ロキならそれでも殺されかねん」

 と、重々しく呻く。

「ええー…」

 真剣な話なのは分かっているけど……思わず気の抜けた声を漏らしてしまう。

 何だか、僕の知っているクオンさんは同名の別人なんじゃないかって気がしてきた。

「四年前、私達が初めて出会ったときの奴は、それほど荒れていたという事だ」

 肩をすくめて言うリヴェリアさんに、表情を引き締めて頷く。

 四年前は荒れていたというのは、ミアハ様やナァーザさんも言ってたし。

「当時は幼かったからまだ良かったものの……。今のアイズが真似をしたなら、本当に殺されかねん」

 四年前なら、一二歳になったかどうかくらいだろうか。

 ちょうど、僕が初めてクオンさんと出会ったくらいの年頃だ。

「まぁ、その辺りの事は良いだろう。私達としても、あまり口外したくはない」

 ()()()()()だからな、と。リヴェリアさんは確かにそう言った。

「とはいえ、私達の派閥で奴に殺された者は一人もいない。殺されかけた者なら、他にも何人かいるがな」

 だから、憎しみと言えるほどの感情を抱く明確な理由はない。

「大体、奴と直接接点がある団員の方が少ないからな。派閥を上げて奴と対峙する理由は、精々が感情論くらいしかない。……もっとも、今の奴は『神殺し』だ。ギルドから強制任務(ミッション)が出されたならその限りではないがな」

 それを考慮しないなら、オラリオの冒険者全体を見回しても同じことだ。

 リヴェリアさんの言葉に首を傾げた。

「なら、どうして……」

「だから、答えにくいことを訊くと言ったのだ」

 肩をすくめながら、リヴェリアさんが続ける。

「見栄か。嫉妬か。やっかみか。概ねそんなところだろう」

「見栄、ですか?」

「Lv.0……冒険者ではない奴が、冒険者より強い。それが気に入らない。言葉にしてしまえば、多分その程度の事だ。多くの者にとってはな」

 思考が追いつかず、ただ意味もなく目を瞬かせていた。

 目の前にいるエルフは、聡明で、思慮深く、公正な人物だ。

 短いやり取りでも、それは充分に分かる。

 だから、その答えの短落さがとても奇妙に感じられた。

 というより、彼女自身がその短落さに――どれくらいかは分からないけど――理解を示していることが。

「馬鹿げた理由だと、私も思う。だが、奴の存在が冒険者の沽券を揺るがすというのも、分からないではない」

「はぁ……」

「神々が降臨してより千年。先人たちが、そして仲間たちが重ねてきた犠牲。今ある名声や栄光はそう言ったものの上にある。それを軽々と越えていかれてはな」

 認めるわけにはいかない。そんなつまらない意地こそが、多くの冒険者がクオンさんと対立する原因なのだ。

 リヴェリアさんはそう言った。

「ロキを含めた多くの神々にとっては、案外それが一番の理由かもしれない」

 自分たちの娯楽に水を差す存在。まして、それが容赦なく自分たちを殺しに来るとなれば。

 言葉を失ったままの僕に、リヴェリアさんはもう一度だけ肩をすくめて。

「【ロキ・ファミリア】の首脳陣としていうなら……。そうだな、得体が知れないからというのが大きい」

 伊達に奴は【正体不明(イレギュラー)】などと呼ばれているわけではない――と。

 それは、少しだけ分かる気がした。

『未知』というのは、必ずしも胸が躍るものばかりではない。

 ほとんど手探りで進んできた『中層』は……そして、あの『強化種』との遭遇は、高揚ではなく、単純に恐怖を呼び起こすものだったから。

「お前も巻き込まれた件の呪詛(カーズ)。もしくは、デーモン擬き。フィリア祭で現れたデーモンもだが。そういった異常事態(イレギュラー)の多くに、奴は関わっている」

 もちろん、今の時点では奴こそが元凶だと言い切ることはとてもできないが。

「今回の遠征でも、デーモンにはずいぶんと手を焼かされた。幸い、犠牲者は出なかったが、次もそうだと楽観する気にはなれない」

 犠牲が出る前に、手を打ちたい。

 それは、切実な言葉だった。

「手を打つには、情報が足りん。だが、奴は肝心な部分を明かさない。決して、ではないがな」

 翡翠の瞳は、僕の手を……そこに宿せる≪呪術の火≫を見つめていた。

「オラリオで何だかよく分からないことが起こっていて。何だかよく分からない奴が深く関わっている。警戒するなという方が無理がある」

「それは……」

 いや、でも。確かに、僕だってクオンさんについて、特別詳しく知っているわけではない。

 それに、昔の話をあまりしたがらないのは僕も知っていた。

(昔の話……)

 アンジェさんを……神様も知らないような、奇妙な世界の話をしてくれたあの人を思い浮かべる。

 多分、クオンさんはアンジェさんと『同郷』なんだと思う。

 それ以上の事は、さっぱりだけど……せめて、そこだけでも話した方が……。

 

『いいかい、ベル君。アンジェ君の事は、絶対に誰にも話したらいけないよ』

 そこで、神様の言葉を思い出した。

 

『特に他の神には。あの子の事を知ったら、絶対にろくなことを考えないからね』

 無遠慮に傷を抉りに来るに決まってると。

 神様の真剣な瞳が、形になりかけていた言葉を霧散させる。

「まぁ、私達と奴の関係はそういうことだ」

 そして、奴にとっても、私達は情報を渡したくない存在だと考えていい。

 リヴェリアさんは肩をすくめた。

「言い訳にも聞こえるだろうが、派閥間の横の繋がりというのは基本的に希薄だ。それどころか、抗争状態になることも珍しくはない。あるいは、それを想定して探り合う事もだ」

 無論、奴は派閥ではないが――と、付け足す。

 そういえば、アイズさんとの特訓中――と、いうか。神様にバレた日の夜に、どこかの派閥に襲われたけど……。

「奴との関係性そのものは、決して珍しいことではない」

 ()()()()()()()()()()()()()()よくあることだ。

 リヴェリアさんはにそう結論してから、

「最後に、一人の冒険者としては……奴が冒険者の栄光を灰で埋めるなら、それを払い除けねばならないとは思っている」

 灰に埋もれたままではいられない。お前もそうは思わないか?――と。

 少し悪戯っぽくリヴェリアさんは笑った。

 思わぬ仕草にドキドキしながら……少しだけ、安心もした。

 認めたくないというのは、自分たちの敗北を認めたくない……諦めたくないという意味でもあるようだ。

 それなら、僕だって分からないことはない。

 多分、そういう諦めの悪い人種が、冒険者と呼ばれているのだと思うから。

「それにしても……話を聞くつもりが、すっかり話す側に回ってしまったな」

 案外と、お前は人誑しのようだ。

「そ、そうですか?」

 リヴェリアさんの言葉に、首を傾げる。

「自覚がないのが厄介……いや、だからこそか」

 呆れたような、それでいて何となく微笑ましそうにリヴェリアさんが笑う。

 何だか凄く気恥ずかしくなって、思わず視線を逸らしてしまった。

 僕のそんな様子にもう一度笑うと、

「もうしばらくしたら、夕食になる。その頃には、彼女達も目覚めるだろう。それまでは、ゆっくり体を休めていると良い」

 そんな言葉を残して、リヴェリアさんは天幕を出ていった。

「あ、ありがとうございました!」

 その背中にお礼を言って――足音が遠ざかるまで、頭を下げる。

「んっ……」

 ヴェルフとリリが、ほとんど同時に小さく身じろぎしたのはそのすぐ後の出来事だった。

 

 …――

 

(まさかあれまでがクオンと繋がるとは……)

 そろそろ夕餉の支度が始まる野営地を歩きながら、胸中でうめく。

 どういうわけだか、今オラリオに燻っている厄介事の火種は概ね奴の傍に集まっている。

 これはいよいよ、奴の素性を暴くしかなさそうだった。

(ベル・クラネルも、何かしらクオンの素性について知っている)

 それは、間違いない。実際に何かしら言いかけていた。

 思いとどまったのは、奴自身に口止めされているから……。

(いや、違うな)

 あの少年がその言いつけを守れると、果たして奴が考えているかどうか。

 おそらく、考えてはいないだろう。

(となると、口止めしたのは神ヘスティアか)

 ロキから聞く評判は、明らかに私怨が混じっていて当てにならない。

 それより、あのクオンがそれなりの関係を築いているらしい事実に注目すべきだろう。

 と、なると……。

(神ヘファイストスや、神ガネーシャのような神格者ということになるか)

 その女神が話すなと念を押したとするなら……それが露見すればベル・クラネルにも不都合が生じる。

 いや、無関係なあの少年すら巻き込まれかねない何かが起こるという事になる。

(この場合、誰がその騒ぎを起こすかだな)

 あの少年が私に話そうとしたことから察するに、神ヘスティアが知られなくないのは他の神々だ。

 ……まぁ、それは想定して然るべきことだろう。

 仮にロキがそれを知ったなら、彼の口を割らそうとするのは想像に難くない。

(その場合、神ヘスティアではなくクオンが黙っていなさそうだな)

 そういった事態は、どう考えてもお互いのためにならない。

 それよりもまずはベル・クラネルとの繋がりを保っておくべきだ。

 このまま良好な関係が保たれるなら、いずれは仲介役を務めてくれるかもしれない。

 

 ――とはいえ、早く情報が欲しいというのも偽らざる本心だった。

 

(やはり、【クァト・ファミリア】……あの治療師(ヒーラー)と接触を取るしかないか)

 名も知れぬ奇妙な女冒険者。

 だが、彼女はクオン……というより、【闇の王】なる存在に関して何かしらの情報を持っているとみていい。

 それだけを鵜呑みにするのは危険だろうが、調査の指針くらいにはなる。

(それは後でフィンに相談するとして……)

 もう一つの懸念を胸中でうめいた。

(ベル・クラネルに、あの首飾りを持たせておいて平気だろうか)

 いや、霞が普段から身に着けているのだから、気にするのもおかしな話だが……。

(彼はとんだトラブル体質のようだからな)

 大体は神フレイヤのせいだと思っていた……いや、ミノタウロスに関しては私達のせいでもあるが。

 まさか、それ以外にも何だかよく分からない事態に巻き込まれているとは。

 何というか……アイズとはまた別の意味で危なっかしい冒険者のようだ。

 そんな彼が、さらなる爆弾を抱えているというのは、どうにも落ち着かない。

(とはいえ、彼がエルフと接触しない限りはさほどの問題はないか)

 昨今ではそれが何を意味するか知らない同胞(エルフ)が増えてきていると聞く。

 特に、オラリオ生まれオラリオ育ちの同胞(エルフ)の間ではほぼ完全に失伝しているとも。

(単に霞もそうだという、それだけの話かもしれんな)

 あの娘について、さほど詳しいわけではないが……可能性としては、その方が高いようにも思える。

 別に彼女が悪い訳ではなく、元々その情報は抹消する方向で事態が進んでいるだけの話だ。

 このまま計画通りに進むなら、いずれ全ての同胞(エルフ)の中から忘れられていくのだろう。

 しかし、今の時点ならまだ厄介事の火種となる。

 この野営地にいる同胞(エルフ)なら、それが何なのか分からないはずがないのだから。

(レフィーヤは問題あるまい。……何故か彼を目の敵にしているようだからな)

 あの娘が悪印象を抱くようなヒューマンには思えなかったが。

 ……まぁ、人間関係などいつだって奇妙なものか。

(私達とて、これほど長い付き合いになるとは思わなかったからな)

 フィンとガレス、そしてロキの顔を思い浮かべて独り言ちる。

 自分たちを鑑みれば、そこまで不思議とも言い難いか。

 派閥内での悪関係なら憂慮すべきことだが、お互いに派閥が違う。

 休息(レスト)中に騒ぎさえ起こさないなら、そこまでの問題にはなるまい。

(他に危ないのはアリシア辺りだが……)

 それこそベル・クラネルとは接点がない。

 ペンダントトップの裏側などそう見せるものではないし、何かの弾みで裏返ったとしても、よほど傍で注視していない限りは気づくまい。

 念のため監視を任せているラウルやアキは、そもそも意味を知らない。

(やはり、そこまで神経質になるこはないか)

 よほどの事がない限り、あの火種が燃え上がることはあるまい。

 ひとまず、そう結論を結んだ。

(それにしても、少し無駄話が過ぎたかもしれん)

 おおよそ冒険者らしからぬ少年を思い出し、小さく嘆息する。

 まだキャリアが短いというのもあるだろうが……仮にも上級冒険者の仲間入りをしたというのに、まったく擦れたところを感じない。

 王宮に生まれ育ち、出奔してからも長らく冒険者をやっている私ですら、つい警戒心が緩んでしまった。

 あれを演技でやっているなら、オラリオ史に名を遺す大人物か大悪党になれるだろう。

 だが、天然なら……あんなにも無垢なままこの先も冒険者をやっていけるのか。

 思わずそんな不安すら覚えるほどだ。

(なるほど、エイナが入れ込む訳だな)

 つい先日、ホームを訪ねてきた昔馴染みを思い出す。

 物覚えが良いかどうかは、流石に判じ切れなかったが……しかし、素直さと真摯さを兼ね備えているのは間違いない。

 教えたことは少しでも物にしようとする。その努力を怠る手合いではなさそうだ。

 エイナも、さぞかし指導のし甲斐があるだろう。

(……まぁ、この飛躍まで想定できていたとは思えないが)

 中層に進出したその日のうちに一八階層到達。

 しかも、道中でデーモンらしき存在と交戦、撃退して全員が生存。流石に撃破とはいかなかったようだが、充分な壮挙だ。

 ただ、そんな話をエイナが聞いたなら……頭を抱えて机に突っ伏す姿が目に浮かぶようだ。

 そして、次からはそんな事態をも想定してあれこれと教え込むようになる。

(さて、私ならどう教えるか……)

 戯れに、そんな想像を巡らせてみる。

 まずは『中層』域全て……念のため『下層』についての基礎知識。

 今回の()()を踏まえるなら、当然ながら『下層』も『安全階層(セーフティポイント)』……二八階層辺りまで仕込んでおかなければなるまい。

 だが、あの階層には拠点がない。救援隊が到着するまで生き残るための手段も一通り教えておく必要がある。

 もちろん、それ以外の階層についても同じだ。

 地形的な特徴。危険性。出現モンスターとその対処法。

 また、まだ冒険者になって一ヶ月半の駆け出し(ノービス)だという事も考慮する必要がある。

 先ほどの『強化種』に関する質問は、異例中の異例に遭遇したせいだとして。

 それでも、基礎的な知識が不足しているのは否めない。

 本来なら、まだ『上層』を探索しながらそういった基礎知識を身に着けている段階だ。

 上級冒険者としての知見と、駆け出しとしての知識。これからは、それを同時に身に着けていく必要がある。

 しかも、彼がもしこのままの速さで成長し続けるなら、それに合わせて短時間に教え込まなければならない。

(やりがいはありそうだな)

 すぐに思いつく範囲でも、相当な資料を用意する必要がある。

 そのうえで、効率よく組み合わせ、まとめて覚えさせていかなければ間に合わない。

 想像の中で次々と積み上がっていく種々の文献や資料書。

 それを前にして、少年が机に突っ伏して頭から煙を立ち昇らせ……何故だか隣のアイズとレフィーヤまでが目を回して倒れていた。

(まったく、困った娘たちだ)

 アイズとレフィーヤはともかくとして。

 彼に関して言えば、そう遠くないうちにこの想像が現実のものとなるだろう。

 もちろん、教鞭を振るっているのは私ではなくエイナだろうが。

(精々励むと良い。きっとそれはお前の血肉となる)

 真剣な面持ちで教鞭を振るうエイナと、必死に食いついて行こうとする少年。

 ああ、ガレスではないが――…

「なかなか面白い少年だ」

 その二人の姿を想像すると、思わず笑みがこぼれた。

 

 




―お知らせ―
 評価くださった方、お気に入り登録していただいた方、感想を書き込んでいただいた方、誤字報告くださった方、ありがとうございます。
 次回更新は2月中を予定しています。

20/02/23:誤字修正 

―あとがき―

 本年もよろしくお願いいたします。

 いえ、もう三が日どころか一月すら過ぎていますが…
 そんなわけで遅くなりましたが、2020年度初の更新となります。
 年が明けてからしばらく、ちょっと立て込んでいまして、遅くなってしまいました。申し訳ありません。
 その代わりという訳ではないのですが、遅くとも今月末にはもう一度更新できるかと…。

 そして、お気に入り登録がついに600を超えました。
 皆様本当にありがとうございます!
 これからも、皆様に楽しんでいただけるよう誠意執筆していきたいと思っております。
 
 さて、そんなわけで新章開幕となりました。
 今回はベル君の義両親へのご挨拶回となります(違)
 灰の人とロキ・ファミリアないし冒険者たちとの関係性に関しては、おいおいと思われる方もいるかも知れません。
 少し言い訳になりますが。
 突然現れ、自分たちの根本を揺るがしかけない存在に、ショックを受けたり、否定しようとしたり…多くの冒険者が今はそんな状態だと考えていただければと思います。

 一方で、その灰の人は今回何気に出番なし。まだ正月休み中です。 
 というか、今回は物語としてあまり先に進んでいないという… 
 何か、まだ一節目だというのに尺に余裕があると思っているとまた酷いことになりそうな予感がしています(汗)

 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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