大田俊寛「平成の終わりと人文学の歴史」
今上天皇の譲位により、約三〇年間続いた平成も、いよいよ終わりに差し掛かっている。そして本紙も、平成に出される号としては最後のものとなる。
編集部から依頼されたテーマは、「平成が終わっても覚えておきたいこと」であった。とはいえ、昨今の人文学の状況を振り返ってみると、そこに肯定的な要素を見出すのはかなり難しい。昭和末の一九八〇年代前後から同分野は、ポストモダン、ニューエイジ、ニューアカといった対抗思想の流行に席巻され、根本から骨抜きにされてしまった。本来であれば平成の三〇年間は、こうした流れを早急に清算し、学問の基礎を再構築するために使われるべきであったが、そのようなことはほとんど行われず、状況はひたすら悪化の一途を辿ったように思う。そう考えると、「覚えておきたいこと」よりも「忘れたいこと」の方が多いのではないか、というのが、私自身の偽らざる実感である。
……新しい御代を迎えようとしているにもかかわらず、後ろ向きで陰鬱な話になってしまった。少し話題を変えよう。
平成の三〇年間は、私が研究者として自己形成してきた期間とほぼ同一である。そのあいだに多くの優れた書物に出会ったが、なかでも特筆しておきたい一冊は、福田歓一『政治学史』(東京大学出版会、一九八五)である。福田氏は、丸山眞男と同じく、南原繁から学問的薫陶を受け、東京大学法学部で教鞭を執った。時事問題について盛んに論じ、メディアの寵児でもあった丸山氏と比べれば、ホッブズやルソーといったヨーロッパ近代思想を専門とする福田氏の業績は、一般にはそれほど知られていないのかもしれない。とはいえ私自身は、両氏の著作を愛読しながらも、どちらかと言えば福田氏から濃密な影響を受けた。とりわけ『政治学史』は、私にとって欠かせない座右の書であり、研究上の迷いが生じるたびに気になった箇所を読み返してみるのが、習慣の一つになっているほどである。
同書は、東京大学で行われた講義をもとに執筆された、政治学の通史である。古典古代から近代に至るまで、学説上の重要事項が五百頁以上の分量で叙述されている。その筆致は綿密かつ的確であり、私のような凡人からすれば、一人の研究者がどのように研鑽を積めば、歴史全般にわたってかくも透徹した視点を身に付けることができるのか、驚嘆を覚える他ない。
しかし、政治学の着実な進展を描く同書が、最終的に現代における政治学の完成や勝利というよりも、その苦境に行き着いているように映るのも、否定し得ない事実である。すなわち同書は、19世紀前半のヘーゲルの思想でその記述を終えている。そして福田氏はヘーゲルについて、一貫した理性主義によって市民社会から国家が組織される論理を明確に捉えたことを評価する一方、「その政治哲学は、もはや現実に対して働きかける理念としての積極性を保ち得ず、ついに観想的、さらには神秘的な性格を示さざるを得なかった」と否定的に論評している。また続く終章では、現代において科学主義・産業主義が猛威を振るい、政治学がそれに翻弄される姿を簡潔に素描した後、次のように述べる。「それはイデーの見失われた時代であり、政治哲学がイデオロギーと科学主義とに対してその力を回復しない点において、われわれは依然として19世紀以来の惰性のうちにある」。
福田氏はこの言葉を昭和末に書き記したわけだが、平成の終わりにそれを読み返してみても、大きな状況の変化は感じられない。私の言葉で敷衍するなら、近代の基礎構造が確立されて以降、国家主義・資本主義・科学主義という要素が急速な勢いで巨大化し、人文学は、それを覚束ない足どりで後追いするしかなくなった。思想はもはや時代を先取りするものとはならず、現実の追認か、そこからの逃避にまで成り下がったのである。今日「現代思想」と呼ばれるものの大半は、「19世紀以来の惰性」から生み出された夢想とさえ言い得るかもしれない。
こうした状況に対して、何が有効な処方箋となり得るのか。容易に答えは出ない。とはいえ月並みながら、やはり最初に試みるべきは、初心に返ることではないだろうか。私の脳裏に去来するのは、大学や人文学が本来、キリスト教の修道制から始まったという歴史である。修道士たちは、俗世を離れた静謐な環境で神を観想することを求めた。そして「現実から距離を取る」という態度が、客観的な学知の形成へと結びつき、逆説的にも現実に大きな影響を及ぼすようになったのである。
もちろん私は、中世の修道士的態度が今日そのまま通用すると考えているわけではない。しかしながら、拙速な実践やコミットを控え、適切に「現実から距離を取る」態度を示すことが、実はわれわれには必要なのではないか。さらには、そうしたスタンスから歴史を巨視的に眺め、人文学が近代を生み出した後に急速に力を失っていった原因について冷徹に内省することこそが、結果的にはその力と信頼を回復させることに繋がるのではないか、とも考えている。
◇おおた・としひろ 一九七四年生。専攻は宗教学。一橋大学卒、東京大学大学院博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師。著書に『グノーシス主義の思想』(春秋社)、『オウム真理教の精神史』(春秋社)、『現代オカルトの根源』(ちくま新書)、『宗教学』(人文書院)など。
◇初出=「パブリッシャーズ・レビュー 白水社の本棚」2019年春号