SOUL REGALIA   作:秋水

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※19/8/31現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第二節 今一度、誰も知らない伝説を

 

 メレンの街で何だかよく分からない騒ぎに巻き込まれ、最終的に自爆特攻かましてから、早いものでもう二日が過ぎたらしい。

「ニャー…。お休みも終わりかニャー」

 絶対に死ぬと思った傷も、もはや見る影もなかった。

 流石は【ディアンケヒト・ファミリア】。流石は【戦場の聖女(デア・セイント)】。

 伊達に高い金毟り取ってる訳じゃないニャ。

(いや、違うのかニャ?)

 その彼女とのやり取りを思い出し、小首を傾げた。

 

 それは目が覚めて、とりあえず生きていることを確認してからのこと。

 

(これ、一体いくらかかるんだニャー…)

 真っ先に思い付いたのはそんなことだった辺り、我ながら世知辛い。

 とりあえず、銀の腕(アガードラム)にはなっていないが……油断はならない。

 最上級のエリクサーなら五〇万ヴァリスはくだらないのだ。

 そこに治療師(ヒーラー)の魔法代まで加わるとなると……かなり本気でゾッとしない。

 最悪、踏み倒して逃げるしか――と、そんな覚悟を決めていたのだが。

「いえ、そこまでの金額には」

 回診にきた【戦場の聖女(デア・セイント)】は、あっさりとそう言った。

「単純な外傷はほぼ全て癒えていましたから。私が行ったのは解毒だけです」

 それに関しても、もう【ガネーシャ・ファミリア】から支払われています。

 オラリオ最高の治療師(ヒーラー)はそう言ったのだった。

 つまり、ミャーの命の恩人は【戦場の聖女(デア・セイント)】ではないという事なのか。

 いや、毒が回っていても死んでいたから、まったく無関係とは言えないだろうけど。

 で、それから――

「ですが、念のため、一晩はこちらで過ごしていただきます」

 と、ミア母ちゃんを前にしても全く動じずにその聖女様は言い切ったのだった。

 そりゃ、ミア母ちゃんも本物の鬼ではない。怪我人を無理やり連れだすことはせず、もう一日お休みになったのだった。

 と、いっても。

 驚くことに、体はほとんど完璧に元通り。一番派手にやられた腕と足はまだちょっと引きつった感じがするけど、普通に生活する分には全く問題はなさそうだ。

 そのうえで刺激のない病室で過ごす休日など実につまらないものだったのだけれど。

 

「何だか損した気がするニャー」

 そういえば、結局誰が治療してくれたのだろう。

 すっかり聞きそびれてしまった。……まぁ、下手に近づいて治療費を請求されても困るので、遠くから感謝の念だけを送っておこう。

「それだけ元気なら、もう問題はないようですね」

 そう決め込み、お日様の光を浴びながら背伸びをしていると、制服姿のリューが言った。

 実際のところ、完全に完治とは言いづらい。

 まだちょっと体中が引きつっている気がする。おのれ、乙女の玉肌になんてことを。

(やった奴出てこいニャ)

 いや、自爆だった。

 それなら、全部あの変態が悪い。もういっぺんぶち殺してやるから出てくるニャ。

(あ、やっぱ嘘ニャ)

 あんな面倒なの、二度も相手にしたくない。

「ところで、シル。もしや体調が悪いのではないですか?」

 今のナーシ!――などと、自分で自分にツッコミを入れていると、リューが言った。

 リューにシルがくっついてきたのか。シルにリューがついてきたのか。卵が先か鶏が先か。

 とにもかくにも、二人揃って迎えに来てくれたのだが……。

「まさかこの短時間で風邪でもうつされたのかニャ?」

 確かに、シルの顔色は悪い。

 いつも大体ニコニコしてるくせに、今はそれもなかった。

 それなりに長い付き合いだが、こんな姿はほとんど見た事がない。

「念のため、シルも診てもらうかニャ?」

 風邪薬くらいなら、そこまでふっかけられないだろうしニャ――と、他人事ゆえの楽観視を決めつつ、提案する。

 いや、実際のところ、ただの風邪じゃすまなそうな顔色をしているわけだけれど。

 ってか、これって結構ヤバい感じじゃないかニャ?

「う、ううん! 大丈夫、それより早く帰ろう?」

 思わずリューと顔を見合わせていた。

 さて、シルはこれほど病院嫌いだっただろうか。それとも薬が嫌い?

 あまりそういう印象はなかったのだけれど。

 と、いうより――

「何かあるのですか?」

「ううん! 何もないよ!」

 今のシルは、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()ような気がする。

 しかし、何故?

(ここは【ディアンケヒト・ファミリア】でしょう?)

 確かに主神は若干ならず守銭奴だと聞いているが……しかし、ここはオラリオ。日々生傷が絶えない冒険者の街だ。そんなところで治療院だの薬舗だのを敵に回すような間抜けはいない。

 というか、いたとしてもどうせ長生きできない。

 大体、主神はともかく【戦場の聖女(デア・セイント)】は聖女の名に恥じす、住民からの信頼も厚いと聞いている。

 とりあえず、店に来るゴロツキどももあんまり悪くは言わない。

 時々やってきては痛飲して帰っていく犬人(シアンスロープ)の女……は、まぁ、愚痴を聞く限り多分商売敵とか恋敵とか何かそういう感じのだから大目に見ておくとして。

 悪く言っているのは大体難癖付けて金を巻き上げようとか、安く買い叩こうとかしてまんまと失敗した奴らくらいか。

(そういう奴らは大体しばらくすると見なくなるしニャー…)

 ……まぁ、死んだかどうかは知らないが。一番多いのはミャーたちにまで難癖付けて出禁(こぶし)を喰らうってオチだし。

 いや、それはともかく。

「やはり、誰かに診てもらった方が……」

 柳眉を寄せて、リューが言いかけた時、

「なっ?!」

 すぐ背後――治療院の中から、破壊音と悲鳴が響き渡った。

(怪我人が錯乱して暴れてる? それとも、ゴロツキかニャ?)

 いずれにしてもおかしい。動乱は収まるどころか激しくなっている。

 扉一枚挟んだ先で、何かただならぬことが起きている。

 おかしな話だ。あの聖女様はLv.2。

 ダンジョンに挑むオラリオの冒険者ですら、その半数がLv.1だと言われている。

 つまり、大体のゴロツキならあの聖女様一人でどうにでもなるわけだ。

 手に負えないというのであれば、異常事態(イレギュラー)と言っていい。

「クロエ」

 と、なれば。この暴走妖精(バーサーカーエルフ)が黙っているはずもない。

「少しの間、シルを頼みます」

 何だかんだ言って、このお人好しはこういう騒ぎを見逃せないのだ。

 どこからかともなく、愛用の小太刀を引き抜く。

「仕方ないニャ」

 幸い、ミャーも愛用の暗剣を身に着けている。

 護衛など専門外もいいところだが……よっぽどの化け物でも出てこない限り、シル一人くらいは守れるはずだ。

「行きます」

 言うが早いか、リューはたった今出てきたばかりの扉に駆け寄り、躊躇いなく蹴破った。

 後で修理代請求されても知らねーニャ――などと。呑気なことを言ってはいられなかった。

「なッ?!」

 店の中で暴れていたのは()()()()()()()()だった。

 まったく訳が分からない。

「何で地上にモンスターがいるニャ?!」

 いや、この前のフィリア祭のように【ガネーシャ・ファミリア】から脱走したとして、何で治療院の中にいるのか。どこから入り込んだのか。

 仮に裏口から入ったとして、何でここまで誰にも気づかれなかったのか。

 と、いうかそもそも――

「なんかあのモンスター気持ち悪くねーかニャ?!」

 元々モンスターというのは嫌悪感を抱かせる存在だ。

 だが、アレは……いや、今抱いている感情はそれとは何かが違うような――

「知らない」

「ニャ?」

 リューもまた無理矢理に絞り出したかのような声を上げた。

「あんなモンスター、私は知らない……!」

「何ですって?」

 リューは元々凄腕の冒険者だ。確か四〇階層かそこらまで潜っているほどの。

 ちなみに、今のところ【ロキ・ファミリア】の到達階層が五八階層らしい。今は五九階層を目指して遠征中だと、この前やってきたお得意様(ロキ様)は言っていたけれど。

 ダンジョンにはほとんど縁がないので、その一八階層分がどれくらい厚い壁なのかはよく分からないが……それでも、かなり上位の到達階層と考えていいはずだ。

 そのリューが見た事がないモンスターとなると――

(『深層』のさらに深部のモンスターなのかニャ?)

 それこそ、【ロキ・ファミリア】とかその辺が相手するような奴なのか。

 だとしたら結構ヤバい。下手をするとシルを抱えて全力で逃げるしか――

「ひ……っ」

 そのシルが、引きつったような悲鳴を上げた。

 酔った冒険者に恫喝された時だってこんな反応はしないというのに。

「クロエ!!」

 そちらに注意を向けたその一瞬が隙となった。

 リューの叫びより早く、モンスターが三匹ともこちらに向かって突進してくる。

「くッ!?」

 二匹はリューが足止めしたものの、最後の一匹は突破してきた。

 ただ、思ったよりは速くない。

 化け物揃いの【ロキ・ファミリア】でも死にかけるような怪物ではない――

(げっ……)

 奇妙に長い腕を掻い潜り、その胸に暗剣を滑り込ませた途端、前言を撤回したくなった。

(こいつも魔石がねーニャ?!)

 となるとあれか。メレンで暴れてたなんか変なのの親戚とかそーいう感じなのか。

(つーかマジで気持ち悪いニャ?!)

 モンスターの顔面が視界一杯に広がっている。

 何かもう、本ッ当に気持ち悪い。

 そもそも巨大な頭そのものが不気味だ。とげとげの頭にいくつもの赤い目。

 それだけでも不気味だというのに、大きく開いた口からは無数の手のようなもの生えている。

 しかも手招くように蠢いている。

「こっち来るニャァ?!」

 慌てて剣を引き抜き、思い切り蹴り飛ばす。

 嫌悪感もさることながら、あのままでは押し倒されていただろう。

 こんな怪物に押し倒されるとかゾッとしない。というか、押し倒されたりしたら最悪死んでいた。

「気を付けるニャ! こいつ、魔石がないニャ!」

 兎にも角にも何とか間合いを確保し、体勢を立て直し――ついでにリューに向かって叫ぶ。

 その間にも、その不気味なモンスターは長い腕を振り回す。

 動きは単調だが、威力の方は結構洒落ならない。

 長い腕は鞭のようにしなり、破壊力を生み出している。

 加えて連撃だ。下手をすると防御してもそのまま削り取られかねない。

(っていうか! 何でこいつら()()()()()()()()んだニャ?!)

 どう考えても、背後で完璧に震えあがっている――何だって今日に限ってこんな反応を――シルを狙っているようにしか思えない。

(やっべーニャ!)

 全く経験がないとまでは言わないものの……誰かを守りながら戦うというのは正直専門外だ。

 この前の【正体不明(イレギュラー)】の気分がちょっとだけ分かった気がする。

 これは確かに厄介だった。

「クロエ、避けなさい!」

「ニャ?!」

 リューの鋭い叫びに従って飛び退く。

 と、同時。闇の塊が石畳を粉砕した。

(魔法?!)

 いや、そんな馬鹿な。

 魔力を用いるモンスターならともかく、魔法そのものを使ってくるなんて聞いたことがない。

 それだけでも不気味だっていうのに、この魔法はなんだか気味が悪かった。

 炸裂する闇に、戦慄とは別の理由で尻尾の毛が逆立つ。

 恐ろしいだけなら、まだ分かる。

 しかし、何だか……

(ミャーに被虐趣味はないはずなんだけどニャー…)

 その闇を浴びたい。その闇に溶けてしまいたい。

 何故だかそんな誘惑が一瞬だけ沸き起こっていた。

 まったく薄気味悪い魔法だった。

 いや、今はそんなことよりも――

「やっべぇ!?」

 やはり慣れないことはすべきではない。

 とっさに飛び退いたせいで、その一瞬シルの守りが疎かになった。

 その機を逃さず、最初の一匹がシルに襲いかかる。

(間に合うか――!?)

 自分の間抜けさに毒づいている暇もない。

 ひとまず致命傷だけでも避けなくては。メレンで自爆した時と同じような覚悟を固めて疾走する。

 このまま体当たりする。それだけでいい。だから、もっと早く――!

 

 そして、もう間に合わないのだと自覚した。

 

「逃げるニャああああああ!!」

 その絶叫は意味をなさない。

 次の瞬間には振り回された腕が、シルを引き裂く――

 はずだった。

「るあァ!」

 しかし、その一瞬が訪れるより早く、私より()()()()()()()()()()人影が、そのモンスターを蹴り飛ばしていた。

 

 …――

 

「【凶狼(ヴァナルガンド)】……?」

 ロキ行きつけの酒場――『豊饒の女主人』の制服を着た猫人(キャットピープル)が呟く。

 ついでに、同じ格好をした女がすぐ後ろで腰を抜かしていた。

 店の中でもやはり同じ格好をしたエルフがモンスターを相手にしている。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 冒険者相手の酒場を女だけで切り盛りできている時点で、それなりの()()()がいるのは分かっていたことだ。……あの女将だけでも充分すぎるような気もするが。

 いや、そんなことよりも――

(ったく、今度は何だってんだ?)

 五八階層でミノタウロス擬きを。五九階層でクソッたれな精霊擬きをぶち殺し。

 地上に戻る途中で忌々しい毒妖蛆(ポイズン・ウェルネス)の大群に出くわして。

 フィンの命令で特効薬の買い出しにやってきたかと思えば、今度は地上で得体の知れない化け物と出くわすとは、まったくクソッたれな話だった。

(こいつらもただのモンスターじゃねぇな)

 元々不気味な面がさらに無残なことになっているというのに、その化け物はまだ生きていた。

 この耐久力――と、いうよりあの独特の『感触』はこいつらがデーモン側の存在だと告げている。

(地上への一斉召喚ってのがもう始まってるとか言うんじゃねぇだろうな)

 敵の狙いは地上における『穢れた精霊』の一斉召喚。

 赤い髪の化物女どもの計画(シナリオ)を、フィンはそう仮定した。

 あの『宝玉』の能力からして、不可能という事はない。というより、すでに地上で食人花(ヴィオラス)が確認されている以上、計画は進行していると考えて動いた方が良い。

 もしこいつらがその先兵だとするなら、厄介だ。

 フィン達はまだ一八階層で足止めを食らっていて、肉体的にも物資的にも消耗しきっている。

 もっとも――

(大した敵じゃねぇな)

 この化け物どもだけに限れば、別に大した相手ではない。

 飛び掛かってくるそいつの腕を下から蹴り上げ――その脚を降ろすついでに脳天を蹴り砕く。

 続けて、もう片方の腕ごと首を蹴り折った。そのまま身をかがめ、念のため両足を砕く。

 最後に仰向けにすっ転んだそいつの胸を思い切り踏み抜いた。

 ひとまずのその辺りで、赤い目玉から光が消えた。

 通常なら明らかにやりすぎ(オーバーキル)だが……あの牛頭と同類なら、油断はならない。

 もっとも、これだけ壊してやれば、万が一生きていたとしても今まで通りには動けまい。

 くたばった。そう判断して、そのまま加速する。

 店の中で暴れられば、特効薬の確保に影響を及ぼしかねない。

 そして、仮にこれが『先兵』だとするならあまりに都合が悪い。

「がるあああァ!」

 今一つ聞き取れない声で詠唱していた二匹目の顔面に跳び蹴りを叩き込む。

 とはいえ、そのまま店の奥に吹き飛ばしてしまえば本末転倒だ。

 僅かに体を捻ってそのまま顔面を()()()()

「邪魔するんじゃねェ!」

 エルフに絡んでいる三匹目を、店の外まで蹴り飛ばす。

 もちろん、外で暴れさせる気もない。

 足元で暴れている方の腕を引っ掴み――そのまま最大限の加速。

 まだ宙に浮いたままの三匹目に、そのまま叩きつける。

 石畳が砕け、陥没するほどの衝撃。

 だが、まだ生きている。予測はしていたことだ。

「るぁあああァ!!」

 先に立ち上がった二匹目の頭部を下から蹴り上げる。

 加速はまだ生きている。ならば【スキル】――【双狼追駆(ソルマーニ)】の効果は健在だ。

 その効果は『加速時に『力』と『敏捷』のアビリティ強化』。

 加速により強化されたその一撃は、二匹目の首を引き千切り、薄気味悪い頭を天へと蹴り飛ばした。頭を失えば、さすがにくたばるらしい。

 より一層不気味な面になった三匹目の面も同じように蹴り飛ばしてやろうとしたが……。

(失敗したか)

 元々ぐずぐずに潰れていたそれは、千切れるのではなく、完全に飛び散った。

 敵の耐久を高く見積もりすぎていた自分に思わず舌打ちする。

 精々が『下層』の最下部辺りのモンスター程度といったところか。

(つうか、こいつらあのミノタウロス擬きと同じかよ)

 飛び散った脳髄とも血ともつかない何か。それが僅かに体に届いた途端、()()()()()()()()()()()()に襲われる。

 我ながら矛盾しているとしか言いようがないこの感触は、あのミノタウロス擬き……正確には、それに寄生していたらしいあの『汚泥』を浴びた時と同じだった。

「チッ、何だってんだ……」

 落ちてきた二匹目の頭を軽く蹴り飛ばしながら毒づいてると――

「何てこと……」

 悲鳴のような声で、一人の女が呻いた。

「……おい、どうしたってんだ?」

 その女……アミッド・テアサナーレに声をかける。

 冷静沈着なこの治療師(ヒーラー)が取り乱すところなど見た事がない。

 大体、彼女の二つ名――【戦場の聖女(デア・セイント)】とは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを称えるものだ。

 そんな(おんな)がいくら本拠地(ホーム)に侵入されたとはいえ、モンスター相手に自失呆然とするはずもない。

「ベートさん……」

 呆然とこちらを見上げてくるその(おんな)の姿を改めて見やる。

 白衣の何ヶ所かが裂け、血が滲んでいるところから、襲われたのは間違いない。

 それだけでこうなるとは思えなかった。

 この程度の戦闘は何度となく経験しているはずだ。

「あのモンスターどもは何だ? どっから湧いて出た?」

「よく、分かりません。何故、どうして、こんな……」

 どうにも要領を得ない。いつもの冷静沈着な治療師(ヒーラー)の姿はなかった。

「おい、そこのエルフども」

「いえ、私達にも……。同僚を迎えに来ただけですので」

 腰を抜かしていた同僚の無事が確認できたからか、今の【戦場の聖女(デア・セイント)】よりはいくらか落ち着いているエルフも、首を横に振るばかりだった。

「いいから、知ってることを話せ」

「知っている事と言われましても……」

 少し困ったような顔をしてから、そのエルフは言った。

「先ほども言った通り、少々怪我をした同僚を迎えに来て、帰るところだったのです。治療院を出てすぐに中から破壊音が聞こえてきました」

 そして、踏み込んだらこのモンスターが暴れていた――と。その女エルフは言った。

 確かに訳が分からない。だが、それでもこの女は重要なことを言った。

「ってことは、てめぇもこいつらには気づかなかったってことか?」

「そうなります。少なくとも私達が病室に向かい、同僚と共に治療院を出るまではこれといった異変はありませんでした。……少なくとも、私は何も感じませんでした」

 そう。それだ。そこがどうしても解せない。

(このエルフどもが見落としただと?)

 腰を抜かしていた女はともかく、この女エルフと猫女は()()()()の人間だ。

 ……と、言うより。こいつの匂いは昔どこかで嗅いだ覚えがある。

 となれば、それなりに腕は立つはずだ。そいつらが、中に入ってなお見落としたとなると――

(まるで突然湧いて出たみてぇじゃねぇか……)

 しかし、ダンジョンの中でもないというのにそんな事が起こりえるのか。

(いや、待てよ……?)

 五九階層で遭遇した『穢れた精霊』。あれと同じような奴がリヴィラの街でも暴れたとあのバカゾネス(ティオナ)どもが言っていた。

 変容した食糧庫(プラント)で見た――あの化け物女どもが飼っていた『宝玉』とやらがモンスターに寄生した結果だとか。

 そのうえで、フィンはあの化け物女どもの狙いを『穢れた精霊の地上召喚』だと予測した。

 だとしたら、こいつらはその先兵のようなものなのか――

(あァ?)

 などと、思考に没入していた隙に、治療院の奥から冒険者らしき一団が飛び出していく。

 入り口辺りに立っていた俺を押し退けてだ。

 それもまた珍しい事といえば珍しい事だが……今はどうでもいい。

(気でも狂ってんのか?)

 そいつらは、三匹のモンスターの死体に駆け寄って泣き言を言い始めた。

 まるで、()()()()()()かのように。

 いや、それどころか【ディアンケヒト・ファミリア】の団員たちまでが駆け寄っていき、その冒険者どもを慰め始めた。誰も彼もが人間であるかのように悼んでいる。

 余りに奇妙な光景だった。そんな言葉で言い表すのが馬鹿馬鹿しいほどに。

「あれはいったい……?」

「どーいうことニャ?」

 困惑しているのは、女エルフと猫女も同じだった。

「【凶狼(ヴァナルガンド)】。それに、そちらのお二人も」

 その奇行を問い詰めるより早く、神妙な顔をした治療師(ヒーラー)の一人が声をかけてきた。

「皆さんには感謝を。これ以上の被害を出さずに済みました」

「ンなことはどうでもいい」

 そいつの言葉を遮って、問いかける。

「いったい何があった? あの化け物どもはどこから出てきたってんだ?」

「それは……」

 口ごもってから――

「ところで、傷が開いているのではないですか?」

 その治療師(ヒーラー)は露骨に話を逸らした。

「うげ。マジだニャ……」

 猫女の腕と足から血が滴っている。

 感じる匂いからして、なかなかの出血量だ。

 まさかその匂いに惹かれて――というわけではないだろうが。

「こちらへ。手当てをします」

 近づいてきたのは、アミッドだった。

 とりあえず、いつもの鉄仮面に戻っているようだ。

 有無を言わさず――ついでに呼び止める隙もなく――その猫女を治療院の奥に連れていく。

 こちらを見て少し迷ったようなそぶりを見せてから……結局、女エルフももう一人の女と共に後を追っていった。

 あの女ども何も知らないの明らかだ。呼び止める理由はない。

 もちろん、アミッドは別だが……治療師(ヒーラー)としてスイッチが入ったあの女を呼び止めるのは、さすがに厄介だ。

「それで、結局何が――」

 仕方なく、残った治療師(ヒーラー)に改めて問いかける――

「ベートさん!!」

 ――より先に、誰かが名前を呼ぶ。

 振り返れば、他の薬舗に向かわせたはずの団員が駆け寄ってくるのが見えた。

「ロキからの伝言です! 急いで戻ってくるようにと!!」

「あァ?」

 今度は何だってんだ――と、胸中で毒づく。

「何の用か聞いてねェのか?」

「詳しくは。ただ、()()()()()()()()()()()()()()件だと思います」

「ダンジョンが閉鎖だと?」

 何を馬鹿なことを。ついさっき出てきたばかりだというのに。

 だが、この団員が俺を担いでいるようには見えなかった。

 となると――

「……『強化種』でも生まれやがったか?」

 可能性としては、それが一番高い……と、いうより他には考えづらい。

 あるいは、この化け物どもも――とも思ったが。

(そいつはねぇな)

 通常の『強化種』なら――と、言うのも妙な話だが――ここまで劇的に姿は変化しない。

 全く変化がないとは言わないが、何の『強化種』なのかは大体判断がつく程度の範囲だ。

 だが、あの薄気味悪い化け物どもはそうではない。まったく見覚えのないモンスターだった。

 いや、モンスターかどうかも怪しいところだ。

 やはり『穢れた精霊』かデーモンの仲間と考えた方がしっくりくる。

「い、いえ。まだ自分も詳しいことは……」

 情報が足りていない。と、いうよりダンジョンが封鎖されてまだ間もないということか。

(奴らならどうにでもするだろうが……)

 仮に閉鎖の原因が『強化種』だったとして、アイズたちなら自力で切り抜ける――とは思うが。

 しかし、毒を浴びて寝込んでいる雑魚どもを抱えているのも事実だ。

 それに、フィン達もあの『穢れた精霊』との一戦で少なからず消耗している。

 万が一『血塗れのトロール』級の『強化種』だった場合、さすがに無視できない。

 何より――

(急に湧いて出るってのが気に入らねぇな……)

 フィリア祭でもリヴィラの街でも、デーモンどもは急に現れたと聞いている。

 俺が通り抜けた後でダンジョン内にいきなり姿を現したという可能性も否定できない。

「チッ、仕方ねぇ」

 何であれ、今は本拠地(ホーム)に戻るしかない。

 舌打ちするその頃には、件の化け物を取り囲んでいた奴らも治療院に引き返し始めた。

 あの薄気味悪いモンスターを、経帷子で丁寧に包み、ともに連れながら。

治療師(ヒーラー)としては、失格なのかもしれませんが……」

 それを見て、傍らにいた治療師(ヒーラー)もまたひと声残して戻っていく。

「どうかお気になさらず。あなた方の行いはきっと正しかったのだと思います」

 それは、何とも奇妙な言い回しだった。

 だが、呼び止めている暇はない。まずはダンジョンの封鎖についてだ。

 ……いや、この騒ぎもそれに絡んでいると見た方が良いのかもしれない。

 あのモンスターどもを運んでいた連中の呻き声を声にせず反芻する。

『まさか、アミッドさんでも解呪できない『呪い』があるなんて……』

 ――と。奴らは確かにそう言ったのだ。

 

 

 

「おお、ベート! 待っとったで!!」

 本拠地(ホーム)へと引き返すと、門のすぐ傍でロキが待機していた。

「おい、ダンジョンが閉鎖ってのはどういうことだ?」

「それがまだよー分からんのや。今さっき出てった子らから聞いたばっかでなぁ」

 ロキの視線を追うと、ここ最近入ってきたばかりの新人どもが何人かいた。

 まだ『上層』から『中層』に進めるかどうかの雑魚どもだ。

 こいつらが影響を受けたとなると、ダンジョンの完全閉鎖は単なる誇張ではなさそうだった。

「何でも、『異常事態(イレギュラー)』が発生したらしいんやけど」

 そいつらから視線を戻す。

 どうせ詳しい話はとっくにロキが聞き出している。

「何やいつもと様子がちゃうねん。何人たりともダンジョンに入る事罷りならんってな感じや」

「あァ? それだけか?」

 仮に『強化種』が原因なら情報収集も兼ねて、手頃な派閥に冒険者依頼(クエスト)なり強制任務(ミッション)なりを押し付けている頃だ。

 何しろ『強化種』は積極的に他のモンスターどもを襲っては魔石を喰らい、自らを強化し続ける。

 時間が奴らの味方をする以上、早期決戦こそが鉄則だ。

 いくら腰の重いギルドでも、静観を決め込むはずがない。

 時間をかければかけるだけ厄介になり、結果として俺達のような大派閥に泣きつく羽目になる。

 ギルド長は余計な借りを作るような性格ではない。

 仮に事態を甘く見ているとして、それなら今度は『ダンジョンの完全閉鎖』などと大それた真似をするはずもなかった。

「【ガネーシャ・ファミリア】の連中に押し付けるつもりか?」

 街の憲兵でもあるあの連中は、ギルドにも近しい。

 結果として厄介事を押し付けられるというのも通例といえば通例だが……

「あー…。どうやろな。今はちょい難しいかもしれん」

 ロキの反応は妙に歯切れが悪い。

「俺達が留守の間、何かあったのか?」

「あった。けど、オラリオやない。メレンでや」

「あァ?」

 メレンといえばオラリオの海の玄関。交易における重要な拠点だ。

 ついでに言えば、海産物を卸す漁業派閥【ニョルズ・ファミリア】の縄張りでもある。

 とはいえ、オラリオの一部ではなく、税金の話で定期的に揉めているらしい。

 そういう話にはあまり興味のない俺でも耳にするほどなのだから、かなり根深いのだろう。

 他に密輸業者の聖地だというのは『暗黒期』の頃からよく聞く。

【ガネーシャ・ファミリア】の連中が動いたなら、それ関係なのか――

「いや、密輸も無関係やなさそうやけど……」

 しかし、ロキは首を横に振った。

「まだはっきりせんのやけど、自分らが『深層』で出くわしたいう『赤黒い人影』が絡んどるっぽい。しかもめっちゃ大量に」

「何だと?」

「それと『食人花(ヴィオラス)』やな。ギルドが公式にあの新種をそう呼んだ」

「……それで、【ガネーシャ・ファミリア】の連中だけでどうにかなったのか?」

 上級冒険者の数ならオラリオ随一だが、団員の練度という意味では俺達や【フレイヤ・ファミリア】に一歩劣っていると言っていい。

 もっとも、腐っても大派閥の一つ。団長を筆頭にLv.5も在籍している以上はそう簡単に無様は晒さないだろうが……。

(あいつらの大群を相手にできるか?)

 あの芋虫どもが混じっていたとはいえ、フィンやアイズ達が苦戦を強いられた相手だ。

 確かにフィン達が仮定した『弱点』が正しく、連中もそれに気づいたなら一匹二匹くらいは何とでもなるだろうが。

(いや、奴らはあの灰野郎と接点があるからな)

 あの『人影』の『弱点』もすでに知っていたとしても不思議ではないか。

 いや、そもそも――

「表向きはそうなっとるけど……。まぁ、十中八九アレが絡んどるやろな」

「だろうな」

 オラリオに近く、しかしオラリオではない場所だ。

 表向きはギルドの連中も強権を振るえない。それに、派閥の等級が高ければ高いだけ、オラリオの外に出ることは難しい。もちろん、例外はあるが。

 ひとまず身をひそめておくにはちょうどいい場所だ。

「だが、あの灰野郎は何でメレンで暴れたんだ?」

 あの野郎は敵対したなら神でもぶち殺すような奴だが、それでも無関係の漁師どもまで殺して回るほどにはイカれていないはずだが。

 それとも、漁師どもがトチ狂って喧嘩でも売ったのか。

「まだあんまりはっきりせんけど、例の『新種』が絡んどる以上は闇派閥(イヴィルス)関連やろ。となると、密輸……つまり資金源の一つだったいうんはまず間違いない」

 納得できる話だ。それこそ『暗黒期』の頃からそうだった。

「ただ、それを潰すためだったとしても、ちょいとやりすぎな気がせえへん?」

 いや、と――こちらが返事を返すより先にロキは続けた。

「必要とあれば女子供でも殺せる。アレはそういう奴やとうちは思う。けど、アレの基準でも今回の騒ぎが『必要』やったかと言われるとなぁ……」

 そうは言っても今回の相手はただの漁師やで――と、ロキは首を捻った。

「そりゃまぁ……」

 我ながら歯切れの悪い返事だった。

 ロキの言葉を否定できるだけの理由はないが、同意するのも癪だ。

「もし仮にニョルズが邪神やった……そーでなくとも金欲しさに密輸以上のことに積極的に関わっていたとして、そんでもちょい派手すぎる。【イシュタル・ファミリア】を一人で潰せるアレが【ニョルズ・ファミリア】にそこまでてこずるとも思えんし」

「案外、あの化物女みてぇな怪人(クリーチャー)になっちまってたんじゃねぇか?」

 自問するように呻くロキに返したのは、結局そんな言葉だった。

 くたばったはずの【白髪鬼(ヴェンデッタ)】が強化されて蘇っていたのだ。

 ただの漁師どもがそれなりの怪物になっていたとしても驚きはしない。

 あるいは、あのスカした『人斬り』辺りがいたのか。

「ああいや、ニョルズが邪神云々はあくまでものの例えや。実際、無事っぽいし。やから、アレの狙いはニョルズやない」

「なら、何でメレンで暴れたんだ?」

「さてなぁ。……アレがどうこう言うより、闇派閥(イヴィルス)の連中の内輪もめとか下っ端が暴走したとかそんな気がする。あくまでうちの勘やけど」

 神の勘ほど当てにならないものもない気がするが……しかし、この女神は天界屈指の『トリックスター』と呼ばれる悪神だった。

 こと悪巧みに関しては、フィンの上を行くといっていい。

(……毎回下らねぇ騒ぎを起こしやがるしな)

 それこそ、フィンやリヴェリアを出し抜いて。

 ロキの無茶ぶりに応じるのは眷属の宿命――と、今では諦観し始めている。

 せめて幹部で持ち回りに……などという寝言だけは何とか思い止まらせたいところだった。

 いや、今はそんなことよりも――

「つーことは、あの『人影』も闇派閥(イヴィルス)どもの手下ってことか?」

「まぁ、闇派閥(イヴィルス)側にもアレと同じようなんがいるのは間違いないやろな」

「そりゃ分かりきってんだよ」

 少なくとも一人。あのスカした『人斬り』野郎がいる。

 そして――

「自分らが出会ったそのホークウッドいうのを引き込めたらええんやけどなー」

 達観と諦観が入り混じった陰気な男を思い出す。

 あの『人斬り』と互角に斬りあえるだけの力を持ちながら、自らを雑魚(はいしゃ)だと定めている。自分など雑魚(ぼんよう)だと笑うあのクソ忌々しい灰野郎と同じだ。

 全く気に食わない。()()()()()()

「メレンに関しては、ひとまずヘルメスを送っといたけどな。あいつはオラリオの出入りも割と自由やし」

 波立つ感情を持て余していると、ロキが呟いた。

「……あの神、ぶち殺されねぇか?」

 確か灰野郎はロキやフレイヤ以上にあの胡散臭い男神を嫌っていたはずだが。

「バレなきゃ平気やろ。それに今はまだ【ガネーシャ・ファミリア】も留まっとるっぽいし」

 奴がその気になったなら【ガネーシャ・ファミリア】の連中でも止められやしないと思うが。

 しかし、なるほど……。

「だから、ギルドの連中も押し付けられねぇってことか」

 あの『人影』を相手にするなら、主力を引っ張り出して行ったのは想像に難くない。

 ついでに言えば――

「どうせまだ歓楽街の方でも目を光らせているんだろう?」

「そーやな。あっちも闇派閥(イヴィルス)絡みや。そう簡単に手は引かんやろ」

 となれば、歓楽街にもまだ相応の戦力が配備されたままと見ていい。

 いくら【ガネーシャ・ファミリア】でも、このうえさらにダンジョン内の異常事態(イレギュラー)に対応できるほどの戦力はない。

「ロキ!」

 そこで、他の団員が駆け込んでくる。

「ギルドの様子はどうやった?」

「ひとまず有志を募って調査隊を編成するようです。また隊長は【ガネーシャ・ファミリア】の副団長が受け持つと」

「副団長? イルタたん戻って来とるん?」

【ガネーシャ・ファミリア】副団長……確かLv.5のアマゾネスだったか。

「一部はすでに帰還しているようです。半数は負傷者のようですが」

 それはそうだろう。

 あの『人影』と『新種』の相手を下なら、負傷者が出ていても何ら不思議はない。

「シャクティたんの方は戻って来とらん?」

 団長が戻っていないなら、戦力はまだメレンに留まったままという事になる。

「そこまでは。ギルドも対応に奔走していて、とても詳しく話をしていられる状況ではありません」

「そらまぁそーやろうけど」

 うーん……と、ロキが唸る。

「他に何か気になったことはないか? 何でもええよ」

「どういう関係があるのかは分かりませんが、閉鎖後にダンジョンから出てきた冒険者は全員が治療院に送られているようです」

「はぁ? 全員って例外なくなんか?」

「はい。怪我の有無は関係なく全員です。今のところ、外に出てきた冒険者はいないらしいと噂している者もいましたが……」

 それは、何とも奇妙な話だった。

 出てこないというのが事実なら、どことなく不気味な話でもある。

「それと、オラリオ中の治療院にギルド職員が向かっているようです。大手に向かう際には【ガネーシャ・ファミリア】の団員も同行しているとか」

(治療院だと……?)

 治療院といえば、あの見慣れないモンスターと遭遇した場所でもある。

 そして、連中の()()を知っていそうな奴らが見せたいくつかの奇妙な言動。

「どうもまた妙なことになってきてるみてぇだな」

 気になるのは、最後に聞いた独り言だった。

 呪い。そう、確かに『呪い』と言ったのだ。

 ならば――

 

 呪われたのは『誰』で、その呪詛(カーズ)はどんな『結果』をもたらした?

 

「ちなみに、うちらについては?」

「協力の打診はありましたが、団長達が不在なので保留にしてもらっています」

 引き受けてきた方が良かったでしょうか……と、不安げな団員にロキが笑い返した。

「いや、かまへんよ。フィン達が遠征中なのはギルドも知っとる。無茶ぶりするにしても、あの腐れおっぱいの方やろ。たまには働かせときゃええ」

 もっとも、そのフィン達は一八階層(ダンジョンの中)で足止めを食らっているわけだが。

 気づいたなら、何かしら手を打っているかもしれないが……。

「んで、どうすんだ?」

 他の連中がいなくなってから、ロキに問いかける。

「大体の異常事態(イレギュラー)なら、フィン達だけでどうにかなる……言いたいところやけど」

「デーモン絡みだとすりゃ、さすがに少しマズいぞ」

 毒で寝込んだ連中を抱えている。それを無視したとして、フィン達自身がまだ消耗している。

 物資も乏しく、魔剣も毒妖蛆(ポイズン・ウェルネス)どものせいでもうほとんど残っていない。

「さっきも言ったように、いよいよとなればフレイヤんとこを動かすやろけど……間接的にでも借りを作ると面倒やなぁ」

 あくまでダンジョンの異常解決とはいえ、今の状況ではそう言って恩を押し売りされかねない。

 だが、事態は予想の一歩上を行くことになる。

 いや……あるいは、予想通りというべきだろうか。

 もっとも。

 どのみち、それを俺達が知るのは一夜が明けてからの事だったが。

 

 

 

「まったく、人使いが荒い……」

 メレンで少なくない犠牲を支払いながら、闇派閥(イヴィルス)残党の暗躍を阻止してから。

 オラリオに帰ってきたと思ったら、今度は謎の呪詛(カーズ)の調査を任された。

 すでに【ディアンケヒト・ファミリア】や【ミアハ・ファミリア】といった医療系派閥を中心に複数ヶ所から『被害報告』が寄せられている。

 何より、その呪詛(カーズ)がもたらす『影響』はあまりに悍ましい。

 時は一刻を争うのは分かっている。

 術者を見つけ出し拘束、あるいは討伐する事に不満があろうはずもない。

 直ちにダンジョンに向かい、事態を収束させる。それこそが使命だ。

 ……が。しかし、私とて人間だ。

 せめて愚痴をこぼすくらいは許して欲しいところだった。

 何しろ、メレンでの戦闘は私にとっても過酷なものだったのだから。

 せめて一日くらいは休暇が欲しいと思う程度には。

「まぁまぁ。ギルドも、手勢を用意してくれたことですし」

「それはそうだが……」

 潜伏場所と目されているのは『中層』。その上部だ。

 術者自身がそこまでしか潜れない程度の力量である――と、言う保証はないにしても、Lv.2以上であればまず足手まといになることはない。

 だが――

(他派閥と連盟を組むのは面倒が多い)

 よほど親密は懇意派閥でもない限り、他派閥の冒険者など商売敵でしかない。

 名声を譲ることなどあり得ない。後塵を拝してなるものか。

 大なり小なりそういう感情を抱きあっている。

 ギルドの指名と、何よりパーティ唯一のLv.5ということもあって、私がリーダーを担う事に表立った反発はない。

 とはいえ、それだけだ。

 場所が『中層』なら、自分たちも手柄を立てる余地は充分にある。

 ダンジョン閉鎖という異常事態(イレギュラー)の解決に一役買ったなら、自派閥の――何より自分自身の名が上がる。

 全員がそう言った野心を抱いているのは明らかであり……そして、冒険者である以上仕方がないことだった。

 自派閥の団員以外は、隙あらば出し抜こうとする。

 その前提の上で連中を統率しなければならない。

(それにしても……)

 改めてギルドが用意した援軍を見やる。

 私達【ガネーシャ・ファミリア】から六人。そして、いくつかの派閥から集まった二〇名の有志者。

 総勢二六人の上級冒険者によって編成された()()()だ。

(初動にしてはずいぶんと思い切ったな)

 ロイマンの顔を思い出し、胸中で呟く。

 容姿端麗と称されるエルフと言えど例外はある。

 そんな世の非情を体現したような男で、概ね評判は悪く……そして、実際に善良とは言い難い。

 だが、決して無能ではない。

 当たり前だ。

 私利私欲にまみれた権威主義者。ただそれだけの者であるなら、ギルド長……いわば団長という重責を神ウラノスがいつまでも任せているものか。

 あの【疾風】ですら、奴は白だと認めざるを得なかったのだ。

 彼女は復讐を完遂した。しかし、それでも奴はまだ生きている。つまり、そういうことだ。

 少なくとも、あのエルフが抱くオラリオへの思いは真摯なものなのだと。

 

 だからこそ、だろう。

 微かな違和感を覚えているのは。

 

(これは、誰に対する見栄だ?)

 そもそも、この部隊はギルド長の勅令により編成された。

 個々人の人格はともかく、パーティとして見ればバランスはいい。

 中層の調査とはいえ、少々豪華過ぎるメンバーだ。

 これ以上の戦力を集めては、冒険者達に臆病すぎると笑われかねない。

 そのギリギリに調整されている。

 まず間違いなく、ロイマンが持ちうる知識の全てを注いでいで編成したものだ。

 初動調査で確実に完全に決着をつける。

 その覚悟が透けて見えた。

 もちろん、ダンジョン内での『失敗』は私達の生死に直結するのだから、その覚悟は常に抱いていて欲しいものだが……。

「おい、いい加減行こうぜ」

「ああ。そうだな」

 呼びかけてきたのは、最近加わった同士――と呼ぶにはまだ多少躊躇いがあるが――のサミラが言った。

 何しろ今の我らは戦力が分散してしまっている。仕方なく、歓楽街から呼び出したのだった。

(考え込んでいても仕方がないか)

 これ以上の犠牲者が出る前に、術者を止めなくては。

 思考を切り替え、バベルの地下一階へと降る。

 そして、いよいよダンジョンへと踏み入れるといったところで――

「あ、あの! すみません!!」

 駆け寄ってきたのは、一人の魔導士だった。少なくともそのように見える少年だ。

 灰色のゆったりとしたローブを着込み、今時珍しいほどに簡素な杖を携えている。

 特徴といえば、ローブに付属するフードではなく、大きな三角帽子を被っていることか。

 見覚えのない冒険者だった。

 となると、新人だろう。質素な杖も納得というものだ。

 ――と、思ったのだが。

「えと、僕はヴァンハイム……じゃなかった。『イーリアス』のアリオナと言います。あなた達は?」

 その店は確か、神ウラノスの指示で作られた店だったはずだ。

 本来ならバベル内に店舗を構える予定だったが……まぁ、予算がつかなかったらしい。

 結局ダイダロス通りの近くに店を構えたとかなんとか。

「私達は、ギルドからの依頼で派遣された調査隊だ。これから、例の――いや、ダンジョン閉鎖の原因を調査に行く」

 呪詛(カーズ)の存在は、まだ伏せられている。

 どうやら施されてすぐに影響が出るものではないらしい。

 ダンジョンから戻った者たちの安全確認が済むまで、秘しておかなくては疑心暗鬼に陥って余計な騒ぎが起こりかねない――と、言うのが神ウラノスの判断だった。

 いくらギルド直営店の関係者とはいえ、迂闊に情報を流すわけにはいかない。

「……えっと、それなら噂の【深淵狩り】はどちらに?」

「いや、そんな二つ名の持ち主はいなかったはずだが」

 団員以外の者たちは私を放ってさっさとダンジョンに入っていってしまった。

 まぁ、上層であれば別に問題はないだろうが……しかし、あまり話し込んでいる暇もない。

「まさか皆さんだけで行くつもりですか?」

「……そのつもりだが?」

「えと、やめた方がいいですよ!」

 心底慌てた様子で、その少年が言った。

「そうはいかん。ギルドの指示だ。それに、私達はガネーシャの眷属だからな」

「でも!」

「悪いが、話は後にしてくれ」

 言い縋るその少年を強引に振り払い、足早にダンジョンへと潜る。

 少年の方は、ダンジョンの閉鎖を受け持つ職員に足止めされたようだ。

「なら、せめてこれを持って行ってください!」

 バベルとダンジョンの境目を踏み越える瞬間、少年が何かを放り投げてきた。

 反射的に受けとったのは、掌大の小箱だった。

「中に『黒虫の丸薬』が入っています! 必ず服用してください! 短時間なら、それで凌げるはずですから!」

 遠のく地上の明かりの中から、少年の叫び声が聞こえた。

「それ、どうするんだ?」

 充分に離れたところで、傍らにいたサミラが問いかけてくる。

「どうすると言われてもな」

 ひとまず蓋を開けてみると、中には黒っぽい丸薬がいくつか入っていた。

 独特の匂いが鼻を突く。嗅いだことのない匂いだった。

「まさか毒とかじゃねえだろうな…?」

「あの少年が闇派閥(イヴィルス)残党とは思えんがな」

 いかにも気の弱そうな顔立ちを思い浮かべる。

 あれが演技だというなら大したものだが……そうでないなら、確実に毒牙にかけられる側だ。

 とはいえ、得体の知れない薬だというのも事実。

「何かあったのか?」

 唸っていると、先にいった他派閥のメンバーが怪訝そうな顔で戻ってきた。

 流石に上級冒険者ともなれば、統率者が何時までも追いかけてこないという異常を見逃しはしないし、未知の脅威が潜む場所で隊列を見出すような愚行を犯すはずもない。

「いや、大したことではないのだが……」

 簡単に経緯を説明すると――

「いや、ンな怪しげな薬は飲みたくねぇな」

「そうね。呪詛(カーズ)を相手にする前にお腹下したりしたら格好つかないもの」

 概ね思った通りの反応が返ってきた。

 とりあえず異常なしと判断した面々は、ひと声断ってから再び先行する。

 ひとまず『上層』での脅威は件の術者のみと考えていい。

 ならば、あえて隙を見せて『釣る』というのは定石と言っていいほどだ。

「とはいえ、無下にもできんか」

 事情は今ひとつ分からないが……少なくとも、あの少年は真摯だった。

 まるきり無視するのも気が咎める。

「……飲むだけ飲んでおくか」

 ここは自分の『耐異常』のアビリティを信頼することに決めた。

「お人好しだねぇ」

「お前も飲め。副団長命令だ」

「横暴だろ?!」

「まー『イーリアス』って確かギルド直営の道具屋だし?」

 騒ぐサミラを他所に、他のメンバーが言った。

「そういやそうだっけ。何か不思議なもんを色々売ってるって聞いたな」

「あの草が良いんだよ。あの草が。何つったっけ。緑花草?」

「ああ、あれ扱ってる店ね。なら、試しに飲んどく? 悪いもんじゃないでしょ」

 あの少年――と、いうよりその店を知る幾人かも続けて手を伸ばして――

「いざ!」

 誰からともなく謎の覚悟との共に、一口に飲み込んだのだった。

 

 そして、それから――…

 

 

 

 調査隊がダンジョンに入ったのが夕暮れ時。

 そして、そろそろ夜が明ける。

 しかし、調査隊は未だに帰還しない。ただの一人も、だ。

「ロイマンよ」

 ギルドの最奥。オラリオにおいて最も重要な空間。ダンジョン封印の要。

 すなわち、ウラノスの祈祷の間。

 そこには今、二人……いや、私を含めて三人の姿があった。

 もっとも、私は姿を『消して』いるわけだが。

 残りの二人。その片方は無論ウラノス。そして、もう一人がロイマンだった。

「何故、クオンの帰還を待たなかった?」

 彼の独断専行は今に始まったことではないが……しかし、ギルド運営の決定権はギルド長である彼のものでもある。

 そして、これでなかなか有能な男だ。

 普段であれば、さほどの問題にはならない……が、今回は少々深刻だった。

 

 冒険者が怪物へと変貌するという異常事態が多数確認された。

 そして、その原因は『深淵』なる厄災。ウラノスの祈祷を喰い破るような『何か』だ。

 対応できるのはクオンのみ。

 従って、ウラノスはクオンを招聘することを決めたわけだが――

 

「で、ですが、神ウラノス、奴は神殺しの大罪人! オラリオの命運を託すなど……!」

 ロイマンはクオンを招聘せず、独自に調査隊を編成。ダンジョンへと派遣した。

 

 そして――調査隊二六名は未だ帰還せず。

 最悪は、全員が『深淵』の餌食になったということだ。

 

「ロイマンよ」

「は、はい……!」

 重々しく、ウラノスが声を上げた。

「お前がオラリオへそそぐ想いを、私はよく知っているつもりだ」

 その一点に関して言えば、このエルフはオラリオ最高。その想いは誰よりも真摯で強い。

 買収から脅迫まで、あらゆる手を使った闇派閥(イヴィルス)相手にも屈しなかったほどに。

「この百年近く、お前は数多の困難を切り抜けてくれた。……だが、それでも。今回はあの男の力が必要なのだ」

「何故です! 何故、それほどまでにあの男を!? 一体、奴は何者だというのですか?!」

 ロイマンの訴えは、いっそ悲痛ですらあった。

 正体不明。オラリオの大半にとって、クオンは素上の知れぬ放浪者でしかないのだ。

 そんな男に振り回されるなど、理不尽以外の何物でもない。

「……遠い昔」

 しばしの沈黙ののち、ウラノスが静かに口を開いた。

「そう。遠い昔だ。『古代』よりも遥か昔。あるいは、私達すら生まれていないほどに遠い過去」

「い、いきなり何を……? 奴とどういう関係が……」

 ロイマンがそんなうめき声を上げた。

 さもありなん。何しろ神々は数億年を生きているとも言われている。

 人間が存在できるはずもない。私とて果たして千年後に『私』のまま存在しているかどうか。

「その『時代』に、三度に渡って人間を救った英雄だ」

「英雄……?」

「そうだ。少なくとも、お前達にとって、彼はそう呼ぶに値する存在だ。……もっとも、クオン自身は、決して認めないだろうがな」

 確かにあいつは認めはしないだろう。

 むしろ、うんざりとした顔をするのが目に浮かぶようだ。

「ならば、何故神々を殺すのです!?」

 英雄とは神の寵愛を受けた者。『古代』ですらそうだった。

 直接『神血(イコル)』を賜るか、それとも精霊を介して力を与えられるか。違いはそれだけだ。

 私達にとって神殺しの英雄など矛盾もいいところだった。

「悪行の報い、であろうな」

「悪行……?」

「始祖の神々が幾重にも張り巡らした欺瞞。あるいは今も続く背信」

 だから、とウラノスは言った。

「彼は我らを殺すだろう。幾度でも何柱(なんにん)でも。古い厄災が、二度と目覚めぬように」

「それが真実なら、奴こそが厄災ではありませんか?!」

「私達にとってはそう言えよう。だが、()()()にとっては私達こそが厄災となろう」

 全ては遠い昔に定められたものだ――と。ウラノスは小さく呟いた。

「……ッ! そ、そもそも! そもそもですぞ! その古い厄災とは何なのですか?!」

「『呪い』だ。今、ダンジョンに生じている『深淵』もまたその一つと言えよう」

「お、オラリオの! オラリオの冒険者では、手に負えないとでも言うのですか!? あなた達(神々)私達(人間)がともに育んできたこの街では!?」

「いずれは……」

 縋りつくようなロイマンの訴えに、ウラノスもまた諭すように応じる。

 主神(おや)職員()。ギルドも構造的には他の派閥と変わらない。

「いずれは追いつく。いずれ必ず、彼らに負けぬ英雄が再びこの『時代』にも生まれる。私はそう信じている」

 だが、と。彼は首を横に振り呻いた。

「今はまだ時が足りぬ。英雄たる『器』はあっても、まだ満たされてはいない。彼らが継いだ『残り火』は、まだ消えかかったままだ」

 そして――と、老神は続けた。

「今、私達が直面している厄災は我らにとって猛毒だ。始祖たちですら抗えず、封印するに留まったものだ。私達の『血』を力の源とする冒険者とはあまりに()()()()()()()

「奴は違うと?」

「クオンは知っての通りLv.0。彼は私達の『血』を寄る辺としてはいない」

「ぬ、むぅ……」

「そして、まず間違いなく最高位と言える『耐性』を持っている」

「何故奴だけが?」

「後天的なものだ。スキルか発展アビリティのようなものと考えれば理解できよう」

「特殊な経験によって『耐性』が生じたと? 『耐異常』の発展アビリティのように」

「そうだ。そして、その『耐性』を得るに至った『経験』。それを積むために必要だったものをまだ所持しているはずだ。だが、今のオラリオにはどちらも存在しない」

「…………」

 もはや反論の余地もないのだろう。項垂れるロイマンに、ウラノスが告げた。

「許せ。この一件、お前にはもう少し詳しく話をしておくべきだった」

「い、いえ……。それは……」

「……そして、これ以上の被害は出せぬ。クオンを呼ぶ」

「ははっ! 直ちに!!」

 平伏して、ロイマンが言った。だが、彼は少しだけ勘違いをしている。

 ウラノスは『呼べ』と言ったのではない。

 彼は『呼ぶ』と言ったのだ。

 指摘するだけなら些細な言葉遊びだが、実際に意味することは大きく変わる。

 

 そして、ロイマンは己の言葉を違えず、直ちにウラノスの神意を形にした。

 

「ギルドよりお知らせします」

 大型の魔石製品から、受付嬢の声がオラリオに響き渡る。

「【正体不明(イレギュラー)】クオンへ。神ウラノスはあなたを招聘します! オラリオにいるのであれば、直ちに応じてください。またすべての派閥へ。彼の所在を知る方はギルドへ連絡をお願いします!!」

 もっとも、反響はなかった。今のオラリオでクオンに関わろうとする冒険者は稀だ。

 あくまでこれは免罪のための下準備。

 そもそも、私達は奴の居場所を知っているし、伝手もあるのだから。

 

 ――…

 

 メレンで『死の瞳』などという古臭い呪いに振り回されてから、もう二日。

 ……いや、三日か――と。微睡の中、訂正する。

 すでに夜は薄れ、太陽が昇りつつある。

 朝と夜とが正しく移り変わる。かつて『火の時代』では奇跡のような光景。

 それが当たり前に訪れる瞬間、確かに『火継ぎの儀』は終わったのだと感じる。

「んー…」

 アイシャが隙だらけの声を上げた。

 彼女が掛布の大半を奪っていく。澄んだ朝の空気が肌に触れ、微睡がすっかり消えていく。

 ……こういう時、不死人は不便だ。何しろ、寝ぼけるなんて機能はほとんど残っていない。

 仕方なく体を起こしてから、寝乱れた髪を掻きむしる。

 寝泊まりしているのは、小洒落た旅籠――ではなく、『フランケルの館』と名付けられた廃屋敷。

 その一室に遠征用の寝具を敷いて寝ている。

「何か悪いことしちまったな……」

 気分転換に――と思っていたのだが、気づけば結局血腥い事態に巻き込まれている。

 これもまた殺した報いという事だろうか。

「朝の潮風ってのは結構冷えるもんだねぇ」

 ため息を吐いていると、不意にアイシャに抱き寄せられた。

「そうだな」

 冷たさを感じる機能くらいはまだ残っている。

 まぁ、魔力を宿す特殊な冷気でも浴びない限り凍傷にもならないが。

 凍てついたエス・ロイエスすら難なく踏破できるほどだ。

 ……まぁ、少なくとも寒さに関しては『難なく』と言っていいだろう。

 ただ、今でも吹雪は嫌いだ。寒いし、何より視界を塞ぐ。

「悪いと思うなら、もう少し温めておくれよ」

 クスクスと笑いながら、アイシャが囁く。

 まだ朝日が昇るには早い。もう『一戦』くらいはできるだろう。

 馴染んだその肌に、指を滑らせる。

 程なく、アイシャの肌が熱を帯び、吐息までが湿り気を帯びていく。

 楽士とはこういう気分なのかもしれない。そんなことを夢想する。

 然るべき場所を然るべきように触れる。

 そして『歌』と『舞踊』が生み出されるのだ――などと。

 寝ぼけきった事を考えていたのが悪かったのだ。そう、きっとそうに違いない。

 だから、気づくのが遅れた。

「ゴボンッ!!」

「うぉあ?!」

 と、あまり露骨な咳払いに思わず変な声が漏れた。

「シャ、シャクティ?!」

 とりあえず掛布を引っ張り上げながら、ひっくり返りそうな声を押さえつける。

「取り込み中に済まないな。何度かノックをしたのだが」

 その視線に、今は遠いエス・ロイエスの雪原を思い出した。

 というか。古き混沌に通じる大穴に飛び込みたい気分だった。

 ……いや、とりあえず『前哨戦』の内で良かったと思っておこう。

「何の用だい?」

 一方で全く動じず――というか、素直に不満に満ちた声と視線でアイシャが問いかける。

「神ウラノスが呼んでいる。急ぎ、オラリオのギルドに向かうぞ」

「……ノコノコとついていって殺されないだろうな?」

 いや、俺は別に平気だがアイシャはマズい。

 まだ『改宗』とやらが終わっていない。この『時代』の改宗はつくづく手間が多すぎる。

「保証しよう」

 果たして、シャクティはあっさりと、そして大真面目に頷いた。

「街中で奇妙なモンスターが暴れたらしい」

「あん? そりゃ、この前の食人花(ヴィオラス)とやらとは違うのかい?」

 というか。食人花(ヴィオラス)くらいなら、オッタルとかリヴェリア辺りに押し付けておけば何とでもなりそうだが。……いや、ひょっとしてまだリヴェリア達は戻ってきていないのか。

「ああ。違う」

「また牛頭か山羊頭でも出たか?」

 山羊だけなら別にそこまでの敵ではない。犬さえ……あの忌々しい犬さえいなければ。

「それとも違うようだ」

 と、なると。また面倒ごとを押し付ける気らしい。

 ゼノス以外のモンスター関連は冒険者どもに押し付けるという契約は、すでに忘れられているのかもしれない。

「急ぎか?」

「当たり前だ」

「一時間……いや、三〇分くらい……」

「さっさと水浴びでもして来い!」

 取り付く島もない。いや、それ以前の問題だ。

 明らかにいら立っている。

「何かあったのか?」

 アイシャと顔を見合わせてから、改めて問いかえる。

「詳しくは分からん。だが、こういえばお前には分かると聞いた」

 シャクティはこちらを見て、一言告げた。

「ダンジョンに『深淵』が発生した」

 

 

 

 夜も明けきらぬうちに出されたギルドの――ウラノスからの勅令。

 それを受けて、ギルドにはオラリオ中の派閥から人や神が集まっていた。

「勅令だと――」

「いったい誰が探しに行くって――」

「うちの主神はあいつと関わるのは厳禁だって――」

「相手は、あの神殺し――」

 もっとも、それはあの灰野郎の情報をもたらすものではない。

 むしろ逆だ。その勅令の神意について問い詰めている。

 ……ついでに言えば、ロキも全く同じことをするためにここに詰め寄っているわけだが。

(あの灰野郎、今度は何しやがったんだ?)

 ダンジョン閉鎖とあの薄気味悪い化け物ども。そして、この勅令。

 すべてが繋がっているのは間違いない。そこまでは、俺にも分かるのだが……。

「落ち着いて! 落ち着いて下さぁ~い!」

 今にもカウンターを乗り越えかねない雑魚どもに詰め寄られ、ギルド職員――確かうちの派閥の担当者――情けない声を上げている。

 他に冷やかし……無関係なくせに情報だけは欲しがる物好きどもまでギルドに詰め寄ってきたせいで、それなりに広いはずのギルドは人と神で文字通り溢れかえっている。

「こらあかんなぁ……。さっぱり埒が明かんわ」

 この暇神どもめ!――と、ロキが毒づく。

 眷属が戻ってこない――と訴えている神もいるが……まぁ、半分は冷やかしだろう。

 ロキは派閥が遠征中……何より、団長(フィン)達がダンジョン内に留まっている。そして、ダンジョン閉鎖の原因だとするなら、早急に情報が必要だ――と。そんな大義名分(りゆう)がある。

 今回は当事者だ。もっとも、当事者でなくとも詰め寄っていたのは想像に難くないが。

「いっそアレの居場所知っとるふりして突貫するべきやろか……」

 親指の爪を噛みながら、ロキがそんなことを言い出した時――

「うぁ……ッ?!」

「ひぃ……ッ!?」

 不意にざわめきが静まり、人混みが割れた。

(あの野郎……!)

 原因はあまりに明らかだった。

 何をせずとも道をこじ開けたのは一人の男。

 上等な黒衣。

 その下には軽鎧。

 目深く被ったフード。

 背にはクレイモア。左手には竜の紋章が施された盾。

 見間違えるはずもない。

 灰野郎……【正体不明(イレギュラー)】クオンだった。

 その傍らには【象神の杖(アンクーシャ)】の姿もあるが……それに驚くような間抜けはいない。

 ギルドや【ガネーシャ・ファミリア】がこの灰野郎と繋がっているのは有名な話だ。

 群がる雑魚どもなど見えていないかのように、灰野郎はギルド内に踏み入ってくる。

「来たか。クオンよ」

 再びざわめきが生じた。

 何しろギルドの奥から姿を見せ、灰野郎に声をかけたのは大柄の老人――いや、老神だった。

 ギルドの……いや、オラリオの創設神ウラノス。

 滅多な事では姿を現さないギルドの主神が、わざわざ自ら出向いたらしい。

 流石に騒ぎにもなる。こうして直に姿を見るのは俺だって初めてだ。

「ああ、来たとも」

 相変わらず熱のない声で、灰野郎が頷く。

「わざわざ出迎えてくれるとは、よほど追い詰められているようだな?」

「否定はしない」

 厳かにウラノスは頷いた。

「状況を教えろ」

 小さく舌打ちしてから、灰野郎が短く告げた。

「ああ。……ロイマンよ」

「ははっ!」

 何時なく従順に豚エルフが頷くと、棺が乗った台車を引っ張り出した。

「お前であれば、説明は無用のはずだ」

 促されるままに、灰野郎が棺の蓋を開ける。

「ベート、ジャンプやジャンプ!」

 すかさずロキが裾を引っ張った。前後左右は詰まっているが上は別だ。

 みっともない真似はしたくないが……今は情報が最優先か。

「クソッたれが」

 舌打ちしてから、ロキを抱えて跳躍する。幸いというべきか、ギルドの天井は高い。

 棺の中が見える高さまで跳ぶことも可能だ。

 そして――

(おい、マジかよ)

 棺の中に納まっていたのは、あの薄気味悪い化け物だった。

 まるで人間の遺体であるかのように、胸の上で手が組まれ、葬儀用の花まで添えられている。

「……いつの話だ?」

 蓋を閉じながら、灰野郎が問いかける。

「確認されたのは先日の昼頃。場所はまだはっきりしないが、おそらく一四階層前後だ。調査隊を送ったが誰一人戻らん」

 やはり、あの化け物とダンジョン閉鎖は繋がっている。

「調査隊を送っただと?」

 そして、灰野郎は知っているのだ。その原因を。

「少なくとも、お前はこれが何だか()()()()()()()()はずだな?」

「……ああ」

「そのうえで調査隊を送ったと?」

「そうだ」

「耄碌したか? それともやはり神は神ということか?」

 多少はマシだと思っていたが、勘違いだったらしいな――と。

 あくまで冷ややかに――しかし、明らか何かを糾弾するように灰野郎は言った。

「否定はしない。調査隊に関しては、全て私の責任だ」

 一方で神ウラノスもまた、言い訳することもなく頷く。

 うすら寒い闇がギルドを包んだような錯覚。

 ウラノスの護衛役らしき【ガネーシャ・ファミリア】の団員たちは言うに及ばず。

 周囲にひしめく冒険者たちがそれぞれ得物に手を伸ばす。が……その何割かは腰が引けている。矜持と、危険を嗅ぎ分ける本能のつり合いはその辺りで落ち着いたらしい。

 そして、老神の隣では豚エルフが顔を青ざめさせている。

 ウラノスとロイマン。

 ギルドの運営に大きく関わっているのがどちらかなのかは誰でも知っている話だった。

「危険だという事はよく分かったが……そこまでのものなのか。この『深淵』というものは?」

 口をはさんだのは象の仮面をかぶった男――いや、男神。つまり、神ガネーシャだった。

 その『深淵』という言葉にピンとこなかったのは、俺達だけらしい。

 灰野郎はあっさりと頷いて見せた。

「場合によってはオラリオが消える……いや、それで済めばまだ安いものか。何しろ、ここにはダンジョンがあるからな」

 あっさりと告げられたその言葉は、ギルド内に動揺を走らせた。

「え、それは本当に本当なのか?」

 ぎょっとした声を出す――が、それでもあまり動じていないように感じられるあたり、その象神も神だけの事はあるのか。

「発生した深淵がどの程度の力を持っているか。全てはそれ次第だがな」

 灰野郎が動じないのは、別に今に始まったことではない。

「お前でも食い止められぬか?」

 そして、調査隊を送り込んだのは神ウラノスではなく、やはり豚エルフのようだ。

 主神の傍らで顔を赤くしたり青くしたりとせわしない。

 それを知ってか知らずか、ウラノスは問いかける。

「お前、俺を何だと思ってるんだ?」

 呆れたように灰野郎が肩をこけさせる。

「一応言っておくが、伝説の勇者とか何とか、そういう都合のいい何かじゃないぞ」

 その仕草は気取ったものではなく素のものだ。……いや、ラウルの言葉を信じるなら、だが。

 どうやら本気で呆れているらしい。

「深淵の主は殺せるかもしれないが……あとはダンジョンの復元力にでも期待しておけ」

 そのまま呻いてから、小さく舌打ちをした。

「要するに、俺に深淵を狩れと?」

 改めて気取った口調で、灰野郎は神ウラノスに尋ねて見せた。

 どうせ答えなど分かり切っているだろうに。

「そうだ。その完遂をもって五件の神殺しの免罪とする」

 それを聞いた全ての者がどよめき――

「ほう? 人助けに免罪が必要だとは知らなかったな」

 灰野郎は大仰に驚いて見せた。

 面白い冗談でも聞いた。そう言わんばかりだ。

 ……これが演技かどうかは、判断に困るところだが。

「確かギルド職員も殺されかけていたと思ったんだが……。相変わらず貴様ら神にとって、人の命は軽いものだと見える」

 灰野郎が、実に安っぽい殺気を放って見せる。

「大根役者どもが……」

「まったくやなぁ」

 その『深淵』とやらがダンジョン閉鎖の原因なのは間違いないだろう。

 だが、今やっているのはただの寸劇だ。

 ギルド――神ウラノスとは決して親密な関係ではない。そう見せかけているといったところか。

 呟くと、ロキが鼻を鳴らした。

「それもあるやろけど……。まぁ、今の今まで碌な説明をしようとしなかったんはこのためやな」

 ギルドに人を――免罪理由を知る証人の数を増やすためだと、彼女は吐き捨てた。

 なるほど、俺達は揃って踊らされていたという事か。

「そういえば、新人がいつ死ぬかで賭けをしているんだったな。主神と同じような奴が集まるってのはギルドも同じか」

 ……もっとも、灰野郎が苛立っているのはあながち演技ではなさそうだが。

 その『深淵』とやらはかなり厄介な代物というわけだ。

「あの灰野郎、どこでああいう噂を集めてんだ?」

 職員の何人かが露骨に狼狽え、怯えているところを見ると――そして、神ウラノスどころかロイマンまでが特に反論しないところを見ると――単なる皮肉でもなさそうだが……。

 しかし、いくら老神どもと繋がっていたとして、それでも奴はギルド職員ではない。

 そして、ギルドの内情などどんな類であれそう簡単に流出するようなものではないと思うが。

「さぁ。馴染みの戦闘娼婦(バーベラ)とかやない?」 

 その歓楽街ももうないわけだが……いや、今はそんなことはどうでもいい。

「まぁいい。どのみち深淵は放置できない」

 ギルド職員の反応を充分に愉しんだのか。

 露骨な殺気を消して、灰野郎は言った。

「この街はともかく、ダンジョンが取り込まれては本当に手に負えないからな」

「任せられるか?」

「ああ。精々賭けでもしながら待っていろ」

 最後にもう一度皮肉を残して、灰野郎が背を向ける。

「おお、そうだった!」

 その背中に、象神が声をかける。

「選別だ! 持っていけ!」

 放り投げられたのは紙袋。

 硬質な何かがぶつかる音がしたとなると、中身はポーションの類か。

「新製品だそうだ! それと、伝言を預かっている!」

 それは、ごく短いものだった。

「『すまん、任せた』!」

 預かった伝言というのは、おそらく本当だろう。

 だが、それは二柱の神の――あるいは事態を把握している全ての者の代弁だ。

「―――――」

 灰野郎は深々とため息を吐いてから、無言で再び歩き出す。

 そのままギルドから外へと出る瞬間。

 背を向けたまま右腕を横に広げると小さく拳を掲げて見せた。

 

 そして、それから――…

 

「なーんや面白うないなぁ」

 灰野郎の背中がすっかり遠くなった頃、ロキが呟く。

 苛立っているというよりは拗ねているようだ。

「まるで自分ら(冒険者)は端役みたいやん。ここはオラリオ。うちらの庭やのに」

 気に入らん――と、ロキのその言葉に肩をすくめる。

 確かに面白くはない。ああ、面白くねぇ。

「どーせまだ解毒薬も出来上がらんやろし……。ベート、自分も一発かましたれ」

「当たり前だろうが」

 ロキが言う通り、オラリオ(ここ)冒険者(おれたち)の縄張りだ。

 得体の知れない灰野郎に好き勝手させるつもりはない。

 

 

 

 バベル地下一階。

 人気のないその空間にダンジョンの入り口がぽっかりと口をあけていた。

 意外と明るいその大穴の先へと踏み込み……ふと記憶を手繰る。

 最後にダンジョンに潜ったのはいつだったか。確か一ヶ月は前だろう。

 そもそも、この『世界』で目覚めてからダンジョンに関わった時間はさほど多くない。

 精々一年かそこからか。

 しかし、それでも――…

 

(還ってきた。ああ、確かに還ってきた)

 

 仄明るく、薄暗い闇。どこからともなく伝わる異形の気配。

 血と死と、そして灰の臭い。

 そういったものに、自分の体は確かに呼応している。

 郷愁にも似た感覚。心は静まり、呼吸が整い、自分を形成する全てに過不足なく力が満ちる。

 還ってきたのだ。死と灰の臭いに満ちたここが、いずれ還るべき場所なのだと。

 そう囁くように。

「それで、その『深淵』ってやつを見つけて始末すりゃ私達は無罪放免ってことかい?」

「そうなる。だが、調査隊の救出も忘れるな」

 奇妙な感慨に浸っていると、同行者が言った。

 一人は念を入れてギルドには連れて行かなかったアイシャ。

 変装は解き、染めた髪もすっかり艶やかな黒髪に戻っている。

 もう一人はシャクティだ。

 調査隊には彼女の同僚が……そして、彼女を姉者と慕うアマゾネスが含まれているという。

 なるほど、苛立っているのは仕方がないことだ。

「と、いうか……」

 ため息を吐いてから、何度目かの質問を繰り返す。

「お前達、本当についてくるつもりか?」

「当然だろう」

 異口同音。まったく乱れのない返答も何度目だったか。

 しかし、相手は深淵。あのアルトリウスですら抗えずに狂気に沈んだ闇だ。 

 ただの聖職者ではなく、神の眷属としてその血を浴びている……その血こそが力の源である彼女達との相性はまず間違いなく最悪だった。

(今回の『主』がマヌスに匹敵するような奴だったなら、今の俺で勝てるかどうか……)

 つまり、篝火と深淵をこれから何往復する羽目になるか――という話だ。

 とりあえず直近の危険はアイシャの【ステイタス】が封じられかねないこと。

 まして、今回もまた地味に時間制限付きだった。

 いやまぁ、昔から最初の火が完全に消えるまで――という時間制限があったといえばあったが。

 今回は、それよりもずっと短いだろう。

(……まぁ、月が昇るまでよりは余裕があるか)

 とりあえず納得しておく。

「それで、二人については?」

「霞とあのドワーフになら、オラリオから逃げ出せる準備をしておけって伝えてきたよ」

「ああ。私も伝えてある」

 もちろん、亡者に墜ちる気はないが……念のため霞達と、シャクティ達に任せてある春姫をオラリオから逃がす準備をしておきたかった。

 というか。

「伝言じゃなくて、連れ出してくれと頼んだはずなんだが」

 未練がましく呻くが、綺麗さっぱり聞き流された。

 何だって好き好んで死にに行くような真似をするのか。

 そういうのは、一度や二度死んでも平気な不死人に押し付けておけばいいものを。

「ひとまず、調査隊を見つけるまでだ。その先は、彼女達の状態と情報次第。それでいいな?」

 もし生き残りがいたとして。負傷者が大量にいた場合、とても一人では手に負えない。

 これは深淵狩りだ。生命力も魔力も可能な限り温存しておきたい。

 今はまだ完全に満たされている。自分の体も。エスト瓶と灰瓶も。

 続けて、他の回復薬に意識を向ける。

 ミアハからの餞別。回復薬用の瓶を満たす濃紺の液体は、ナァーザの新作らしい。

 曰く二属性回復薬(デュエル・ポーション)

 生命力と魔力を同時に回復させるものだという。

 ちょうど三本が入っていたので、それぞれ一本ずつ持っている。

(使いどころを考えなくてはな)

 一息に両方を回復できるのはこの上ない利点だが……一方で、生命力と魔力を均等に消費していくことはあまりない。

 回復薬だけで、あるいは精神回復薬だけで済む局面で使うのは惜しい。

 まぁ、だからと言って出し惜しみして篝火送りになるのも間抜けな話だ。

 それに、女神の祝福のように完全回復ともいかない。過信は禁物だった。

(切り札ってのはそういうものだな)

 幸い、補給は安定している。これから先、あれこれと試してみるのが良いだろう。

 今回はひとまず回復薬か精神回復薬の代わりと割り切っておく。

 しかし、それはそうと――

(そうか、ナァーザに依頼すれば良かったんだな)

 考えても見れば、ここには彼女のように『調合』できる人間が当たり前にいるのだ。

 それなら――

「ああ。……イルタなら、きっと情報を持ち帰ってくれている」

 祈るようにシャクティが呟いた。

 ……確かに【ファランの不死隊】や【闇潜り】のように、深淵に耐性を持つ人間はいる。

 当然だ。『深淵』とは『ダークソウル』の形態の一つ。

 つまり、人間であれば、生きている可能性は皆無ではないということだ。

 ならば、今は野暮なことは言うまい。

「行こう」

 シャクティに頷き、俺達は改めて深淵の探索を始めたのだった。

 

「さて、ここから先が『中層』だったな」

 そこから一二階層まではこれといった異常はなかった。

 いや、強いて言えばモンスターの数が少なかったようにも思える。

 ダンジョンに傷をつけると、その周辺ではしばらくモンスターが生まれない。

 深淵のせいでそれと同じような現象が起こっているという可能性もあるか。

 しかし、それにしても――

「今回は命がいくつあれば足りるんだか……」

 連結路を覗き込み、思わず呻いていた。

 深淵などソウルの状態が万全であっても飲み込まれかねない。

 主を始末すれば解決するとして、本当に今の有様でどうやって勝ったものか。

「いくつあればって……。あの話は、本当に本当なんだね」

「そうだな。普通はいくつあっても足りないと言うところだ」

 途端、二人が怪訝そうな顔でこちらを見る。

 いや、不死人同士の冗句など持ち出した俺が悪かったのか。

「ったく、どいつもこいつも……。凡庸な巡礼者にいったい何を期待してるんだが」

「謙遜も過ぎれば嫌味にしかならないぞ」

 シャクティの言葉に、もう一度ため息を吐く。

「謙遜なわけあるか。俺より強い奴なんてその辺にざらにいたぞ」

 それこそ、その辺を彷徨っている亡者相手に何度殺された事か。

 彼女達のように命が一つしかないなら、巡礼地に辿り着くことすらままならなかっただろう。

(冒険者だったなら……)

 ふと夢想にふける。

 自分がこの『時代』に生まれたただの生者で、冒険者を志したとして。

 果たしてどこまでたどり着けるだろうか。

 ただの生者だった頃などもはやろくに思い出せず、『神の恩恵(ファルナ)』とやらがどの程度の効果を持つものかは今一つはっきりしないが――

(『上層』の途中辺りで蟻に囲まれて死んでそうだな)

 あのリリルカが四苦八苦していたのを思い出す。

 彼女ほどの慎重さと機転と強かさが、果たしてその頃の俺にあっただろうか。

「……割と現実的だな」

 いや、おそらくはない。ましてベルのような成長力など望むべくもない。

 と、いうか。

 そんな高尚なものがあったなら、たまたま拾った溶けかけのクレイモアだけを頼りに、何の勝算もなくヘルカイトに喧嘩を売ったりしなかっただろう。

 なら、多分あの辺で後先考えずに蟻どもに喧嘩を売って――というのはかなり現実味がある。

「何がだい?」

 ……いや、ただの生者なら一つしかない命を惜しむくらいの知恵は働くと思いたいが。

 そんなことを願いつつ、怪訝そうなアイシャに応じる。

「いや、普通に冒険者をやったなら、『上層』で蟻にでも囲まれて死んでただろうなって――」

 その瞬間。死角で燻っていた殺気が燃え上がり、吹き荒れる。

 ――そして、その陰でいくつかの闇が蠢き始めていた。

 

 

 

 ダンジョンの封鎖を担当していたのは、ギルド職員と【ガネーシャ・ファミリア】の二軍以下。

 なら、その目を欺いてダンジョン内に忍び込むのは楽な話だった。

 もっとも、灰野郎の匂いはダンジョン内だと妙に分かりづらい。

 ダンジョン内を満たす灰の臭いに紛れているとしか思えないほどだが……それも問題はない。

 傍らにいる女どもの匂いを追えば済む話だ。

『ええか。ひとまずは情報収集。合流するんは、早くても『中層』に入ってからや』

 などと、ロキは言っていたが。

『アレもシャクティたんには気を許しているやろし、二人きり……いや、三人だけなら何や重要なことを喋るかもしれん』

 確かに三人いた。そして、【象神の杖(アンクーシャ)】に気を許しているのも確かのようだ。

 だが、ロキの読みもそこまでだった。

(あの灰野郎が戦闘中に無駄口叩くかって話だな)

 女どもがいる分、口数は多いが……喋るのはクソの役にもたたねぇような事ばかりだ。

 フィンやロキなら何か価値を見出すのかもしれない――などと空想するのも虚しいほどに。

 結局そのまま『中層』の入り口までたどり着く。

(こっからどうする?)

 もっとも、連中が『中層』に至ってからも、ロキから言付けを受けている。

『その『深淵』言うのが何なのかうちも良く分からん。やから、『中層』から先は事情を知っとるアレと一緒にいる方がええ。理由はギルドからの援軍とかなんとか適当言っとき。外に出るまでホントかどうかは分からんやろ。まぁ、最後の判断はベートに任せるけど――…』

 そこで、灰野郎どもがまたくだらない話を始める。

「今回は命がいくつあれば足りるんだか……」

「いくつあればって……。あの話は、本当に本当なんだね」

「そうだな。普通はいくつあっても足りないと言うところだ」

 奴ら……と、言うより灰野郎の冗談はいまひとつ笑いどころが分からない。

 稀に言うフィンの冗談よりなお難解だった。

「謙遜なわけあるか。俺より強い奴なんてその辺にざらにいたぞ」

 ああ、まったく笑えない。笑えない冗談程イラつくものはない。

 

 牙が軋む。血が沸騰する。

 分かる。灰野郎の言葉の意味が、今なら分かる。

 分からないはずがない。

 

(クソッたれが……ッ!)

 あの灰野郎が基準としているのは、あのクソ忌々しい陰気野郎(ホークウッド)であり、スカした『人斬り』であり、あのデーモンどもであり、フィン達が戦りあったという『赤黒い何か』であり――そして、何よりも神なのだと。

 それも地上で腑抜けている神どもではない。『神の力(アルカナム)』を解放した超越存在(かみ)だ。

 奴が見据えているのはそういう領域だ。端から冒険者(おれたち)など視界に入っていない。

 ああ、そうだろうとも。奴の強さは四年前の時点でも図抜けていた。

 雑魚どもにかかずらう必要などどこにもない。

 そうだ。その通りだ。

 だから――

「いや、普通に冒険者をやったなら、『上層』で蟻にでも囲まれて死んでただろうなって――」

 その言葉だけは許されない。

 こちら側(ぼうけんしゃ)の雑魚どもにも劣るなどと――!

 激情が理性を焼き尽くした。赤く染まった視界の中で疾走する。

 灰野郎は未だに背中を向けたまま。左右の女どもは反応すらしていない。

「―――――」

 スキルの力を上乗せした蹴りは、しかし掲げられた盾の表面を()()()

 灰野郎お得意の受け流し(パリィ)

 だが、その技術は何よりも機微(タイミング)こそがものをいう。

 予見できない、対応できない攻撃には意味がない。

 それどころか、自ら防御を捨てるだけの愚行に成り下がる。

 そんな物騒な真似をしてきた理由はただ一つ。

 とっくに接近を勘づかれていたわけだ。

「……ッ?!」

 無造作に振り払われた腕に、飛び蹴りの射線があっさりそらされた。

 まったく見当はずれの岩壁に半ば激突する……が、ダメージはない。

 岩壁に爪を喰い込ませ、強引に立て直す――

「クソが……ッ!」

 その時には、灰野郎はこちらを見てすらいなかった。

 当然だ。あの技は自分の命を対価に隙を生み出すためのもの。

 成功したなら、次の瞬間には確実に殺す。そうでなければ割に合わない。

「まさか猪にまで犬を嗾けられるとは思わなかったな」

 止めを刺さなかった理由。それもまた明白だった。

「ぬかせ。その『犬』はフレイヤ様の眷属ではない」

 視線の先にいるのは一人の猪人(ボアス)

 言うまでもない【猛者(おうじゃ)】オッタル。この灰野郎が視界に入れる唯一の冒険者。

 奴はこの猪野郎に隙を見せるのを嫌ったのだ。

「どうでもいいさ。どのみち、お前と遊んでいられるほど暇じゃない」

「俺もそうだ。貴様の相手をしていられるほど暇ではない」

 互いに剣を構えながら、二人の怪物が睨みあう。

 そして――

「――――」

 一瞬の交差。断末魔の悲鳴もなく地に斃れたのは――

「これが【ディアンケヒト・ファミリア】で暴れたモンスターか」

 治療院で見た……そして、ギルドで棺に収まっていたあのモンスターだった。

「それがどこかは知らないが、おそらくな」

 剣と盾を構えながら、灰野郎が舌打ちした。

「お前のせいで囲まれただろうが……」

 今までどこに潜んでいたのか、ダンジョンの薄闇の向こうから赤い眼光が蠢いている。

「物の数ではあるまい」

 互いに背中を向けあった怪物どもが言いあう。

「勇ましいことだ。……なら、後で泣き言を言うなよ。確かにお前が殺したんだ」

「……何?」

「来るぞ」

 あの薄気味悪いモンスターどもが一斉に襲いかかる。数は一〇匹ほど。

 もっとも、それでどうにかなるような連中ではないが。

 それから起こったのは、戦闘と呼べるようなものですらない。

 すべてが斬り倒れるまで、数分とかからなかった。

「まったく、出る幕がなかったねぇ……」

 アマゾネス――【麗傑(アンティアネイラ)】がぼやく。

 実際、その二人だけで充分過ぎた。

「それで、こいつらは一体何だ?」

 死体を一瞥して、【猛者(おうじゃ)】が灰野郎に問いかける。

「とりあえず、魔石でも取り出してみたらどうだ?」

「……いいだろう」

 頷くと【猛者(おうじゃ)】が手頃なモンスターに専用のナイフを突き立てた。

 モンスターの死体……と、いうより魔石は可能な限り砕くか回収するのが冒険者の鉄則だ。

 下手に捨て置いて、『強化種』が生まれては面倒なことになる。

 女どももそれに倣い始めて……仕方なく、それに加わる。

 手近な一匹にナイフを突き立て――

「ぬ?」

「ああ?」

 猪野郎と声が重なった。

 魔石の位置は心臓部分というのが通例だ。

 人や動物の形に近いモンスターなら間違いなくそうなる。

 だが――

「魔石がない、だと?」

 その事例は、もう経験済みだ。デーモンどもにも魔石がない。

 それだけなら、もう驚きはしない。

 だが、猪野郎はすでに三匹を灰に変えている。

 つまり、こいつらは魔石を持っている奴と持っていない奴が混じっているということだ。

「当たりだな」

 灰野郎は、何事もなかったように肩をすくめた。

 そして、結局。三匹の死体がダンジョンに残った。

「これは一体どういうことだ?」

「シャクティ。調査隊は何人だった?」

「……二六人だ」

 心なし青い顔をした【象神の杖(アンクーシャ)】が短く答える。

「なら、生き残りは多くて二三人だな」

「やっぱり、そういう事かよ……」

 灰野郎の言葉に、思わず吐き捨てていた。

 今まで見聞きしたすべてが繋がる。

「『深淵』という呪詛(カーズ)が関わっていると聞いたが……」

「そうだ。深淵に飲まれた人間はよくて即死、そうでなければ異形化する。耐性がない限りな」

「つまり、この三匹……いや、この()()は調査隊だと?」

「あるいは、この階層を探索していた冒険者か。いずれにしても、元人間だ」

 治療院で見た奇妙な行動。

 実際のところ、あれは奇妙でも何でもない、ごく平凡な行動でしかなかったというわけだ。

 死んだ仲間を悼む。人間が人間に対して行うごく当たり前の行動だ。

「クオン……」

 猪野郎が小さく唸った隙に、【象神の杖(アンクーシャ)】が灰野郎の名を呼ぶ。

「本当に彼らを元に戻す術はないのか?」

「ない」

 ごく簡潔に、灰野郎は言い切った。

「これはそういう厄災だ。もし生じたなら、国諸共に葬ることも珍しくない。放っておいたら、その国だけではすまないからな」

「……。では、調査隊はすでに全員がこうなっていると?」

「さぁな。これじゃ人相だって検めようがない」

 猪野郎の言葉に、灰野郎が小さく肩をすくめる。

 人相どころか、背中の【ステイタス】すらまともに読み解けそうになかった。

「かつて、深淵の兆しを探り、生まれた異形どもと戦い続けた集団がいた」

 不意に、灰野郎がそんなことを言った。

「彼らは一国ですら葬るほど優れた戦士たちだ。その力で、深淵から世界を救ってきた」

 だが、と――灰野郎は続ける。

「彼らは衆人から忌み嫌われていたそうだ。不吉の前触れとして」

 闇に落ちた人間を、救うのではなく殺す。そこに名誉や名声などあり得ない。

「それでも、殺すしかないのさ。調査隊や地上で暴れた冒険者達が、ただの被害者だとしても」

 深淵狩りとはそういうことだ――と。灰野郎は最後にそう締めくくった。

「冒険者とはダンジョンに富と名声を求める者だと聞いたが……。そんなものはここにはないぞ?」

正体不明(イレギュラー)】クオン。

 神どもですら熱狂させるオラリオをただ一人冷め切った目で見やる何か。

 冒険者から『灰の燃え滓(アッシュ・オブ・シンダー)』と忌み嫌われる得体の知れない男は、あくまで冷ややかにそう言った。

 もっとも、ここで退くことなどあり得ない。

「俺はフレイヤ様の命に従うのみ」

 最初に応じたのは、猪野郎だった。

「あの方が深淵を狩れと仰るなら、俺はそれに応じよう」

 それに、とそいつは続けた。

「俺がここに来たのは、ギルドからの正式な強制任務(ミッション)によるものだ」

「何だと?」

 灰野郎の視線が鋭くなる。

「ウラノスの仕業か?」

「いや、ロイマンだ」

 そう言って、猪野郎は一枚の書状を【象神の杖(アンクーシャ)】に手渡す。

 すでに開封こそされているが、紛れもなくギルドの印璽(シール)が施されている。

「これは確かにギルドの正式な命令書だ。ロイマン直筆の著名(サイン)もある」

「あの野郎……」

「まぁ、待て。今のロイマンなら、多少凄まれれば著名(サイン)の一つくらい書くだろう」

 毒づく灰野郎を【象神の杖(アンクーシャ)】が嗜める。

「自分からそのミッションとやらを受けたと?」

 灰野郎は怪訝そうな顔をするが……この猪野郎なら、その程度の事はやりかねない。

「というか、それは本物なのか?」

「私相手にギルドの公文書を偽装する馬鹿がいるものか」

「いや、探せば一人か二人くらいは……」

「いるかもしれんが、それは神フレイヤや【猛者(おうじゃ)】ではない」

「……モンスターを街中に放つような奴らだぞ。まさか忘れていないだろうな?」

 灰野郎が半眼になって呻く――が、当事者たちはそれを黙殺することに決めたらしい。

 ギルドを介して主神同士が決着をつけた話を蒸し返すな――と。そんなところか。

「まぁいい。説明はした。後は好きにしろ」

 自分の不利を悟ったのだろう。舌打ちしてから、灰野郎は言った。

「どうせ深淵の中まで連れていけるのは一人だけだ」

 何人いたところで、どうなるものでもない。

 さっさと歩きだしながら、奴はそんなことを呟いた。

 

 

 

 そして、『中層』へと踏みこむ。

 一四階層前後というなら、この階層にあったとしてもおかしくはない。

 もっとも、見たところこれといった異変は感じられないが……。

「それで、どうやってその『深淵』ってのを探す気なんだい?」

 言うまでもないが、ダンジョンは広い。例え『中層』でもだ。

 オラリオが滅びかねないというなら、隅々まで探し回っている暇はない。

「近づけば近づくだけ、辺りが暗くなっていく。ウーラシールと同じなら、だがな」

 そのウーラシールってのがどこか分からねぇが……。

「暗くなるだと?」

「そうだ。そして、暗い闇が地面に広がっていたなら当たりだ。何、見れば分かるさ」

「闇と言われてもな……」

 怪訝そうに顔で【象神の杖(アンクーシャ)】が呻いた。

「他に言いようがない。大体、名前からして『深淵』だぞ?」

「それはそうなのだろうが」

 眉を潜めるその女を他所に、今度は猪野郎が言った。

「今のところ、これといった変化はないようだが」

 暗いといえば薄暗いが、そんなことはいつものことだ。

 一三階層は土石系の構造。

 床も壁も岩盤でできたここは、一見すればその辺の天然洞窟にしか見えない。

 それは入り口辺りと大差がないが……あそこよりは幾分か薄暗い。

 より洞窟らしい、とでも言えばいいか。どことなく湿った空気が、それに拍車をかけている。

「確認するが、それはこの階層でも分かる変化か?」

「おそらくな」

「つっても……」

 改めて周りを見回してから、毒づく。

「『暗い場所』ってだけじゃ探しようがねぇだろうが」

 暗闇に匂いがある訳がない。

 血臭も死臭も、人間の匂いもモンスターの匂いもダンジョンに満ちている。

 その中に、奴らの匂いは感じられない。いないというより、匂いが薄すぎるのだろう。

「ひとまず、正規ルートから外れた場所だろう」

 言ったのは【象神の杖(アンクーシャ)】だった。

「その『深淵』というのがいつ発生したかにもよるが……例えこの数日だとしても、被害者の数が少ない。人通りの多い正規ルートからは外れていると考えていいだろう」

「俺も【象神の杖(アンクーシャ)】の言葉に同意しよう」

 猪野郎が頷く。

 少し意外だったが……いや、あの女神の命令なら出し惜しみはしないか。

「『中層』ならば、まだそれなりの人通りがある。特に一四から一八階層にかけては」

「リヴィラの連中か……」

「そうだ。正規ルートにあるなら、ダンジョンと地上を行き来する者達に影響が出る。だが、今のところ奴らがギルドに駆け込んだという事実はない」

 無論、リヴィラの街でも変容した人間が出ているかもしれんが――と、猪野郎が付け足す。

 まさかフィン達もその『深淵』とやらに飲まれてはいないだろうが……。

「一八階層以下が完全に深淵に飲まれてるって可能性もないわけじゃないがな」

 などと考えたのを見透かしたかのように、灰野郎があっさりと言う。

「もっとも、それなら異形の数が少なすぎる。まだそれほど広域ではないと考えていいか」

 数といえば――と、そう言ったのは戦闘娼婦(バーベラ)だった。

「あの異形の中には、魔石を持ってる奴らがいただろう?」

 確かにいた。むしろその方が多かったくらいだ。

「ってことは、あの深淵ってのはモンスターも変容させるわけだ」

 魔石を持っているというなら、そういう事になる。

 それに、奴らから取り出せたのは()()()()()だ。あの芋虫だの蛇もどきだのとは違う。

 通常のモンスターが変容しているはずだ。

「近くにあるなら、それなりの数がうろついてるんじゃないかい?」

 それに、調査隊の連中もだ。

 仮にさっきの()()が調査隊だとするなら、奴らは深淵には辿り着いていることになる。

「正規ルートから外れて異形どもを探す、か」

「そうだ。そこが『暗い』なら近づいてるってことだろう」

 それに、と続ける。

「匂いが濃くなりゃ、そっちでも追える」

 犬の真似をするのは気が乗らないが……しかし、手掛かりは多いに越したことはない。

「……よし。その案で行こう。闇雲に彷徨っている暇はない。それに、ダンジョンの事は冒険者の方が詳しいだろうからな」

 灰野郎はそんなことを言った。

「何か、ちょっと薄暗くなってきてないかい?」

 しばらくして、戦闘娼婦(バーベラ)が呟いた。

「言われてみれば……」

「気のせい、とは言い切れねぇか……」

 普段ならまだ気にならなかったかもしれない。その程度の変化だ。

 だが、確かに暗い。

 もっとも、別に視界を塞ぐほどではない。少なくとも、今のところは。

「ああ。一四階層に近づくほどに暗くなっている」

「そうだな。……こいつは一三階層は軽く流して一四階層に進んだ方が良いか」

「あの異形どもも現れねぇしな」

 今のところ、普通のモンスターどもしか見かけない。

 いや、そいつらですら普段より少ない。まるで何かに怯えて息を潜めているかのようだ。

「この階層は床が抜けるんだったか」

 この階層の特色……迷宮の陥穽(ダンジョンギミック)はその名の通り『崩落』だ。

 床にいきなり大穴が開く。

 ただそれだけといえばそれだけだ。前兆もないわけではない。

 よほどノロマな奴以外は引っかかりはしないだろう。……それだけなら。

 だが、『中層』は『上層』よりモンスターどもが生まれてくるのが早い。そちらにばかり気を取られ、足元を疎かにしている間抜けはその『落とし穴』に落ちる羽目になる。

 進出したばかりの雑魚どもがくたばる理由の一つだろう。

 伊達に『最初の死線(ファーストライン)』などと言われてはいない。

 もっとも――

「ああ。都合よく空いていればいいんだが……」

「見かけたら適当に飛び込めばいいさ。どうせ正規ルートの外に用があるんだからね」

 女どもが言うように、慣れてしまえば近道(ショートカット)に使える程度のものだ。

 よほど間抜けな落ち方をしない限り、冒険者なら何とでもなる。

 もちろん、下からドラゴンどもが狙撃してくるはずもない。

 もっとも、今回に限って言うなら――

「飛び込んだ先が『深淵』ってオチが怖いな」

 小ロンドの時はそんな感じだった――と、灰野郎が肩をすくめる。

 さっきから聞き覚えのない地名ばかり口にする。

 俺自身も元はオラリオの外から来たクチだ。

 親がオラリオの冒険者で、生まれた時から派閥に所属しているような奴らよりは外のことを知っているつもりだ。

 だが、聞き覚えがない。大体、ダンジョンもねぇような場所でどうやって――…

「だが、時間が惜しいのは確かだ。見かけたら飛び込もう」

 胸中で自問していると、灰野郎は言った。

「俺が先に飛び降りる。安全だったら、合図するさ」

 ひとまず、そういう事になった。

 

 なったはいいが……。

 

「お前達、日頃の行いが悪いんじゃないか?」

「うるせぇ! てめぇが言うな!!」

 わらわらと寄ってくる――というか、視界を白く染めるほどいるアルミラージ。

 その先頭にいる何匹かを群れに蹴り返しながら怒鳴り返す。

「さっきまでは静かだったんだけどねぇ!」

 出くわした迷宮の悪意(ダンジョンギミック)は崩落ではなく、怪物の宴(モンスターパーティ)

 戦闘娼婦(バーベラ)が言うように、今まで息をひそめていた分を取り戻すかのような大群だ。

 具体的に言えば――

「おぉおッ!」

 猪野郎が手にした大剣を一閃。魔石が砕かれたモンスターどもが灰になり――その剣風によって灰を残す事すらも許されずに消し飛ぶ。

 立て続けに繰り返される蹂躙。しかし、それでもまだ終わりが見えないほどだった。

 この前の『大発生』よりも多い……いや、あれは『大移動』だ。

 集まった奴らを始末すればしばらくは収まる。

 だが、今回は始末した端から補われているとしか思えない。

「ったく、キリがないねぇ。どっかで怪物の宴(モンスターパーティ)が起こってるのかい?!」

 戦闘娼婦(バーベラ)の言う事は間違ってはいないだろう。

 だが、正確でもないはずだ。おそらく、散発的に続いている。これこそが正しく『大発生』だ。

 実際、すぐそこの壁が崩れ、驚くほどの量が湧いて出やがった。

 これも、『深淵』という異物がダンジョンにもたらしている影響といったところか。

(今はどうでもいいがな!)

 一匹一匹は敵ではないが、とにかく煩わしい。本気で面倒くせぇ。

 死角から飛んできた石斧(トマホーク)を掴み取り、適当な方向に投げ返しながら毒づく。

「うお!?」

 モンスターどもが返してよこしたのは炎だった。

 ヘルハウンドどもの()()()()

 火元の数が多すぎた。実際の威力はともかく、見た目の派手さだけなら『深層』にも通じる。

「雑魚どもが! うざってえんだよ!!」

 その火の海を飛び越えて当たるを幸い、端から蹴り殺す。

 それでも全く減った気がしないのだから、つくづくイカレてやがる。

「ダンジョンは閉鎖されている。今は突破して振り払う事を優先しよう」

 放置しても、今なら他の冒険者を巻き込む可能性は低い――と。

 同じようにヘルハウンドどもを刺し殺しながら【象神の杖(アンクーシャ)】が言う。

「仕方あるまい。今は時間が惜しい」

 まったくだ。こんな雑魚どもにかかずらっていて、万が一にもオラリオが滅ぶようなことにあったら笑い話にもならない。

「クオン! 道を拓け!」

「魔力は温存したいんだがな……!」

象神の杖(アンクーシャ)】の指示に、灰野郎が左手に『火』を灯す。

 詠唱は聞こえなかった。炎系の魔法を行使する際、こいつは詠唱を行わない。

 代わりに、その『火』が膨れ上がり――そして、火柱が連続した。

 蛇のように連なる業火が行く手を塞ぐモンスターどもを飲み込焼滅させる。

 その貪欲さはまさに蛇そのものだ。

「突破する。はぐれるな!」

「てめぇが仕切るじゃねぇ!」

 未だ火の粉が舞うその『道』にもすぐにモンスターどもが殺到する。

 獣がことさらに火を恐れるというのは、ただの迷信でしかない。

「いいから早く行け! 取り残されても面倒は見ないぞ!」

 それがモンスターなら言うまでもないことだ。

 馬鹿なやり取りを交わしている暇はない。

 

「ようやく振り切ったか……」

 最低でもLv.3――自称Lv.0は無視する――のパーティーだ。

 包囲さえ突破すれば、後は加速で振り切れる。

 もっとも、それでも一四階層の連結路を駆け下り、正規ルートからまでは追い回され続けたが。

「これは帰りが面倒だねぇ」

「言うな……」

 女どもが言いあう。

 だが、確かに面倒だった。

 何しろ、ダンジョンが閉鎖されている以上、あのモンスターどもは帰りもそのまま残っている。

「獲物がいなくれば少しは散るだろう」

「そう願いたいものだ」

 肩を落とす【象神の杖(アンクーシャ)】。

「……なるほど、確かに暗くなったな」

 それを他所に猪野郎が呟いた。

「そういやそうだな」

 一三階層との差は明らかだった。まだ明かりが必要になるほどではないが――

「フン!」

 猪野郎が、死角から飛び出してきた異形を叩き斬った。

 当然、仕留め損ねるような無様をさらす訳がない。ないが――

「なるほど、ここからが本番ってわけか」

 戦闘娼婦(バーベラ)が、得物で肩を叩きながら毒づく。

 そいつを皮切りに、ダンジョンの奥からまたぞろぞろと異形どもが集まってくる。

「どうやら、ヘルハウンドだったモノも混じってるようだな」

 明らかに四足で移動してくる異形が混じっている。

 若干小柄なのは、まさかアルミラージどもか。

「……あまり犬にはいい思い出がないんだがな」

「あんた、どれだけトラウマ抱えてるんだい?」

 灰野郎が戦闘娼婦(バーベラ)と馬鹿なことを言い合う。

「来るぞ。集中しろ」

象神の杖(アンクーシャ)】の言葉に応じるように、異形どもが一斉に動き始める。

「――――」

 真っ先に飛び込んだのは、灰野郎だった。

 武器を斧槍に切り替え、ヘルハウンドだったらしい異形どもをまとめて薙ぎ払う。

「変わってるのは見た目だけだな」

「そのようだね」

 女どももそれぞれ異形を貫き、叩き斬りながら言いあう。

 実際のところ、原形が分からないほどの変化に反して、力の方はほとんど変わっていない。

 多少は強化されているが、俺達にとっては誤差の範囲でしかない。

「ならば、物の数ではない」

 猪野郎の言う通りだった。

 文字通りに数が足りない。これなら、全滅させるのは大した手間ではない。

 問題は――

「五人、か……」

 魔石のない――元人間は五人混じっていた。

 これで、調査隊の生き残りは一八人。……いや、調査隊とは関係ない冒険者かもしれないが。

「本当に胸糞悪い代物だねぇ……」

「ああ。……早く始末しなくてはな」

 女どもがそれぞれ呻く。

「思ったより、人間の数は増えていない」

「ああ。ならば、一四階層以下が全滅というわけではなるまい」

「そう願いたいものだな」

 一方で、灰野郎と猪野郎はそんなことを言い合っていた。

「しかし、モンスターまで変容させるとは……」

「おかしいのか?」

 猪野郎の問いかけに、灰野郎は軽く首を横に振る。

「いや、そこまでは言わない。だが、少し気味が悪いな」

 振ったが、続けて奇妙なことを言った。

「あァ?」

「まぁいい。先を急ぐぞ」

 こっちの声が聞こえなかったのか、それとも単に無視しただけか。

 灰野郎はさっさとダンジョンの奥――より暗いその領域へと踏み込んでいった。

 そして、先に進むごとにダンジョンは暗くなっていった。

 通常のモンスターはもう見かけず、襲ってくるのは全て異形ども。

 深淵に近づいていることは疑いない。

「人の匂いがする」

 そんな中で、ようやく探し求めていた匂いを感じた。

「調査隊か?」

「多分な。もうだいぶ散っちまってるが、結構な人数だったはずだ」

 調査隊が踏み込んだのが昨日の夜。

 ダンジョンが閉鎖されていなければ、もっと分かりづらくなっていただろう。

「そいつらが進んだ方向は分かるか?」

 予想通り、正規ルートからは外れている。

 そのせいで――とは言わないが、道も多少は入り組んでいて面倒だ。

「ああ。こっちだ」

 もっとも、匂いはもう捕まえた。迷うことはない。

 その道標を辿っていった先にあったのは、そこそこの広間(ホール)

 そして――

「これはまた大群だな」

「まったくだな」

 異形どもの群れ。

「そろそろ面倒になってきたぜ……」

 薄気味悪い面にも見慣れてきた。

 それに、今ならもう元人間の見極めもつく。

 最も人型に近く、何より元モンスターと比較して()()()()()()()がそれだ。

 元々の能力(ステイタス)の違いか、それとも何か別の理由があるのか……。

 それは分からないが、それが人間だとあらかじめ分かるなら――…

(……下らねぇ)

 どのみち、あの女――【戦場の聖女(デア・セイント)】ですら解呪できない『呪い』なら、他に方法などありはしないのだ。

 殺す。それが雑魚どもに対する最初で最後の手向けだ。

「まずは散らす。あとは各個撃破。それでいいな?」

「ああ」

 短く【象神の杖(アンクーシャ)】が頷くと、灰野郎は再び左手に『火』を灯した。

 杖の代わりだ。本人に聞いたわけではないが、その程度の予想はできる。

 そして、灰野郎ではないが……いい思い出のない代物だった。

「【Soul Shower】」

 その『火』が青白い輝きを帯び、そして放たれる。

 狙いは天井。いや、違う。

 その光弾はいわば『雲』だ。本命は、そのあとで降り注ぐ『雨』。

 無作為に降り注ぐそれは異形どもの何匹かを射殺し、群れをたちまち浮足立たせる。

「るあぁああッ!!」

 群れからはぐれた間抜けな羊。その末路など決まり切っている。

 最初の一匹を蹴り殺す。弱くて脆い。ただのモンスターだ。

「はぁああッ!」

 化け物になっても本能は失っていないのか、時折群れて襲ってくる奴らがいる。

 おそらくは、元アルミラージ。そいつらを戦闘娼婦(バーベラ)の大朴刀がまとめて薙ぎ払う。

「シッ!」

 元ヘルハウンドが火を吐き出す――より早く、【象神の杖(アンクーシャ)】の槍が貫いた。

 フィンほどではないにしても鋭く速い。

「温い」

「――――」

 そして、猪野郎と灰野郎が飛び込む。

 それで終わりだった。

 いや――…

「うざってぇ奴らだ!」

 増援。もっとも、大した数では――

「【Tenebris disperdens】」

 女の声と共に『闇』が飛び散り、その異形どもを抉り飛ばした。

「貴公、こんなところに何用かな?」

 どこか掠れたような声。それと共に、闇の向こうから誰かが近づいてくる。

 黒いローブ。奇妙に節くれた枯れ枝のような杖。仮装用のようなとんがり帽子。

 いかにも『魔女』といった風体の……そして、見覚えはない女だ。

「ここは異形の住処。私とて、例外ではないのだぞ」

 その言葉に【象神の杖(アンクーシャ)】が身構えたところを見ると、調査隊でもなさそうだ。

 と、なれば。こいつが『深淵』とやらを生み出している元凶か、もしくは――…

「カルラ……」

 この灰野郎の関係者だ。

「きっと忘れられたと思っていたが、嬉しいよ」

 絞り出すかのように灰野郎が呟くと、その女はクスクスと笑った。

 枯れた、陰気な笑い声だ。

 そのまま、その女はこちらに近づいてくる。

「――――ッ」

 灰野郎が一歩退く。まるで怯えたかのように。

 怯えたかのように? ありえない。

 こいつは猪野郎だろうがデーモンだろうが―――神すら恐れない(おとこ)だ。

 この枯れた女が、いったいどれほどのものだというのか。

「相変わらず酷い男だな。今さら怯えることはないだろう。私と貴公の仲ではないか」

 それを見て、女は露骨に嘆いて見せた。

「カルラ、なのか?」

「ああ、そうだとも。弟子の癖に師の顔を忘れたか?」

 この女、今弟子と言ったか。

「まったく、何をそんなに怯える。まさか、私が貴公を糾弾するとでも思っているのか?」

「…………」

 思っているのだろう。

 まさか痴情のもつれ――なんて話ではないだろうが。

「貴公が迷っていたのは知っている。あの選択が、その果てのものだったのだということも」

 責めるものか――と、その女はいっそ呆れたように笑った。

「貴公が例え何を選んだとしても、私が貴公に感謝し、抱く想いに、何の変わりもありはしないよ」

 その女が、灰野郎に抱き着く。

 あのクソババァ(リヴェリア)が、昔――ひょっとした今もか――アイズにしていたかのように。

「ああ……」

 そして、灰野郎もまたその女の細い体を抱き返した。

 まぁ、こいつがそこらで女をひっかけるのは珍しい話ではないはずだが。

「コホン」

 と、それからしばらく――多分、一分くらいだろう――して、女どもが露骨に咳ばらいをした。

 そういや、アマゾネスだけじゃなく【象神の杖(アンクーシャ)】とも噂があるんだったか。

 ラウルの奴は否定していた気したが。

 ともあれ、灰野郎は慌ててその女から離れる。

 一方で、その魔女は二人の女を見やり……ゆるゆると首を横に振った。

「やれやれ、相変わらず酷い男だ。手の早さは変わっていないと見える」

「バッ! シャクティは違う!」

「……『は』?」

 聞き返され、灰野郎が絶句する。

 時々思うんだが、こいつ実はバカなんじゃねぇだろうか。

「ふぅん……。あんたがカルラって女かい」

「おや。貴公、私の名前を知っているのか?」

「そいつがたまに寝ぼけて呼んでたからね」

「……相変わらず酷い男だ」

「ひょっとして、昔からそういう奴だったのかい?」

 一方で、女どもは慣れたものらしく揃ってため息を吐くばかりだ。

(何つーか……。こいつ、あのバカゾネス(ティオネ)より脳みそが蕩けてんじゃねぇのか?)

 あのアマゾネスは歯止めがぶっ壊れているが、それでも間違いなく一途だ。

 ……そして、俺が言うのも何だが、これ結構最低な話なんじゃねぇだろうか。

 アレの腐れおっぱい(フレイヤ)嫌いはただの同族嫌悪やー!――と、以前酔っぱらったロキが叫んでいたが……案外慧眼だったのかもしれない。

 呆れるべきか。笑い出すべきか。それとも苛立つのが正しいのか。

 自分の感情を持て余す羽目になり、深々とため息を吐く。

「しかし、シャクティとは。もしや、シャクティ・ヴァルマ?」

 ため息を吐き切る前に、魔女がそんなことを言った。

「何といったか、確か……」

「【象神の杖(アンクーシャ)】か?」

「ああ、そうだ。貴公がそうなのか?」

「ああ。私がシャクティ・ヴァルマだ。神々からは【象神の杖(アンクーシャ)】の名を賜っている」

 頷いてから、彼女は逆に問いかけた。

「何故私の名前を?」

 それは、奇妙な質問だった。

 何しろ、その女はLv.5。第一級冒険者であり、大派閥【ガネーシャ・ファミリア】の団長だ。

 オラリオの連中なら、知らないはずがない。

「少し前に保護した者たちから聞いただけさ。確か、イルタといったか」

「生きているのか?!」

 魔女が呟くと、【象神の杖(アンクーシャ)】がその肩に掴みかかる。

「ああ。だから落ち着きたまえ」

 悠然と、その魔女は頷く。

「ただ、全員ではない。何人かは深淵に飲まれたようだ」

「ああ……。それは分かっている。何人かと出会ったからな」

 小さく嘆息してから、【象神の杖(アンクーシャ)】は言った。

「保護したといったな。案内してくれるか?」

「もちろんだとも。そのために、ここで待っていたのだからな」

「おい、調査隊の奴らが無事なら、何でさっさと追い返さなかったんだ?」

 明らかに暗くなったダンジョンの中を歩きながら、その魔女に問いかける。

「別に深い理由はない。ただ、あの異形どもに囲まれて難儀していただけさ」

「ハッ、だから今まで震えてたってのか?」

「私の弟子がいずれ来るのは分かりきっていたからな。食料が尽きる前に来てくれて助かったよ」

 当然のようにその魔女が言う。

 皮肉が通じないのは、灰野郎と同じか。

「あの数を突破できないほどに消耗しているのか?」

 調査隊にもそれなりの奴らが集められたと聞いている。

 まさか『中層』のモンスターどもに苦戦するような戦力ではないはずだが。

「負傷者は多い。生憎と私は奇跡……癒しの術とは縁がなくてね」

「そうなると、地上に返すのも難しいねぇ。あの大量のモンスターがいる限り」

「それはまぁ、方法がまるでないわけでもないが……」

 灰野郎は何事か呟いてから、

「ところで、カルラ。体の調子、ずいぶんと良さそうだな」

「ああ。おかげさまでね」

 魔女は杖を振りかざし、短く詠唱を囁いた。

「【Tenebrae, punctura】」

 放たれた闇の塊は、死角から飛び掛かろうとしていた異形を数匹まとめて飲み込んだ。

 素性は知れないが、腕の立つ魔導士なのは間違いない。

「立って歩くくらいはどうにかなったよ」

「何よりだ。深淵もたまには役に立つらしいな」

 灰野郎が呟いた頃、ダンジョンの奥に明かりが見えた。

 微かなものだ。携行用の魔石灯だろう。

「イルタ!」

 連中が潜んでいたのは袋小路だった。

 魔石灯を灯し、それでも足りずに火を焚いている。

 その前に、大盾をいくつか並べた簡素な阻塞が築かれていた。

「姉者!?」

 その遠くから飛び出してきたのは、赤髪のアマゾネスだ。

「無事だったか!」

「ああ。だが、他の者達は……」

 そこにいたのは一二人だけ。まさに半壊といった有様だ。 

「アイシャ?!」

 続けて灰色の髪のアマゾネスが叫ぶ。

「サミラ?! あんたこんなところで何やってるんだい?」

「お前が他の連中の世話を押し付けたんだろうが……」

「そうだけど……。まさか【ガネーシャ・ファミリア】に加わったってのはマジだったのかい?」

「仕方ねぇだろ。『恩恵』もねえのに、いきなり闇派閥(イヴィルス)どもに襲われたんだぞ」

 半眼で毒づくそのアマゾネスに、戦闘娼婦(バーベラ)が問いかける。

「他の連中は?」

「調査隊に参加してんのはオレだけだ。歓楽街が無事なら無事だろ」

「そうかい……。ま、あんたが無事でよかったよ」

「そちらも知り合いだったか。すまないな」

 アマゾネスたちを見て、魔女が小さく頭を下げた。

「いや、気にしないでくれ。むしろ、よく彼女達を救ってくれた」

 その言葉に、魔女は小さく首を横に振った。

「私はほとんど何もしていない。彼女達の備えが良かっただけだよ」

「備え?」

「この薬のことだ。もっとも、もう中身が残っていないが」

 魔女の言葉に、赤毛のアマゾネスがポーチから小さな箱を取り出す。

 蓋を開けると嗅いだことのない奇妙な匂いがした。

「飲まなかった者は、もうほとんど生きていない」

「もしかして『黒虫の丸薬』か?」

 一番後ろから、灰野郎が呟いた。

「こんなものをどこで?」

「『イーリアス』という店の店員が届けてくれたものだ。今にして思えば、彼はこうなることが分かっていたのだろう」

「『イーリアス』……。そういえば、この前ウラノス達が言っていたな」

「どういう薬なのだ?」

「さっき言った深淵狩りを使命としていた集団の常備薬だ。深淵への耐性を高める効果がある。……もっとも、気休め程度だがな」

 言いながら、灰野郎は古びた小箱を『スキル』を用いて()()()()()

「確かに、飲んでおいた方が安全か。どうやらまだ残っていたようだし……」

「持っていたなら早く飲ませてやれ……」

 その小箱を振り、中身を確認しながら灰野郎が呟くと、魔女が呆れたようにため息を吐いた。

 ともあれ、その黒い丸薬を受け取る。

「これ、本当に効くのかい?」

「だから気休めだ。それを飲んだところで深淵に落ちたら多分死ぬぞ」

「だが、イルタたちが生き延びたのはこれのお陰なのだろう?」

「そりゃまぁ、だからファランの連中の常備薬だったわけだしな。深淵そのものを直接浴びない限りは何とかなる。それこそ、短い間なら闇術への耐性も上がるくらいだ」

 灰野郎はあっさりとそんなことを言う。

 おそらく、こいつ自身には他愛のない話だったのだろうが。

(ファランだと?)

 あの忌々しい陰気野郎はファランの剣士と呼ばれていた。

 その『ファラン』が『深淵』とやらを殺して回った集団だというなら、やはり只者ではない。

 だが――…

(聞いた覚えがねぇな)

 ほの黒い丸薬を見るともなく見やりながら、胸中で呟く。

 国を滅ぼすほどの集団だ。

 もし実在するなら、まったく聞き覚えがないというのはあまりに奇妙だった。

 知らないのが俺だけなら、それでもまだ納得がいく。

 しかし、フィンもリヴェリアも……ロキですら知らないとなれば、奇妙どころの騒ぎではない。

 毒づきながら、それを口に放り込もうとして――

「ちなみに、素材は聞くな」

「なら、余計なこと言うんじゃねぇよ!?」

 余計なことを言い出した灰野郎にひとまず怒鳴り返しておいた。

 ……いや、飲んだが。結局、灰野郎と魔女以外の全員が飲んだが。

 

 そして――

 

「確かに、奇妙な感覚が消えたな」

「ああ。これが効果なのか……」

 効果らしきものは、すぐに実感した。

 それはいいだろう。だが、

「ところで、何であんた達は飲まないんだい?」

「深淵に立ち入るだけなら別に問題がないからな、俺は。でなけりゃ、わざわざウラノスが名指しで押し付けてくるか」

「私も縁までは問題なく近づけるのでね。でなければ、彼女達を止められるものか」

「それに、手持ちも限られている。俺達が使うより、お前達に回した方がいいだろう」

 納得だが、どうにも釈然としない話だった。

「これでいいだろう。即効性はないが、しばらく効果は続く。俺が離れてもな」

 胸中で毒づいている間に、灰野郎が奇妙な『火』を中空に灯す。

 何でも、治癒魔法らしい。赤毛と灰色のアマゾネスの傷も確かに癒え始めている。

「ここでもう少し待っていろ。すぐにガネーシャが援軍を寄越す」

 その明かりの下で、灰野郎が言った。

「助かるが……どうやってガネーシャに連絡を入れたのだ?」

「その辺は、蛇の道は蛇とだけ言っておこうか」

 当然の疑問だが、まともに取り合う気はないらしい。

 もっとも、アマゾネスも慣れたものらしい。

「まったく、相変わらず喰えん(おとこ)だ」

 ただため息を吐くだけだった。

「そりゃそうさ。私だって『喰われる側』だからね」

「それマジなのかよ。なら、今度オレも――…」

「そういう意味ではない!」

 アマゾネス同士の冗談――面倒だからそういう事にしておく――を他所に、魔女が首を傾げた。

「彼女達は救援隊ではないのか?」

「俺としてはそのつもりなんだが……」

「そうはいかない。深淵への対応はギルドからの正式な強制任務(ミッション)だからな」

 灰野郎の言葉に、【象神の杖(アンクーシャ)】が言った。

 正式ではないが、俺も同じだ。これ以上なめられてたまるか。

「しかし、貴公。一人しか連れていけないだろう?」

「ああ。『指輪』は一つしかないからな」

 灰野郎の手に青い小さな宝石がはめられただけの質素な指輪が現れる。

「その指輪一つありゃ入れるようなもんなのかよ?」

 別に派手ならいいとは言わないが……正直なところ、それほどの力が宿っているようにはとても見えない。

「ああ。()()()()()の英雄が命がけで遺したものだからな」

「あァ?」

 今、こいつは何と言った。まさか偉大な神と言ったか。この神嫌いが?

「こりゃ、そろそろ本気で世界が滅びるのかもね」

「ああ、かもしれないな……」

 女どもが冗談とも本気ともつかない呻きを漏らす。

「まぁ、それもいいか。少なくとも深淵にたどり着くまでは人手があるに越したことはない」

 魔女が肩をすくめた。

「どういう意味だ?」

「私と今の貴公だけで深淵に近づくのは少し難しいという事だよ」

 もう分かっているだろうが、今回も一筋縄ではいかないようだぞ。

 魔女は灰野郎を見て小さく笑ってみせた。

 

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、感想を書き込んでいただいた方、ありがとうございます。
 次回更新は9月中を予定しています。

19/09/03:一部改訂。誤字脱字修正
19/09/30:一部改訂。一部修正。
19/10/02:誤字修正

―あとがき―

 ベートは 肥大化した魔術師の頭部 を手に入れた!
 それを捨てるなんてとんでもない!

 ええと、すみません。だいぶギリギリですが、何とか8月中に更新できたかなと。
 完全にストックが底をついているので、なかなか安定した更新が…。
 
 と、そんなわけで第二部 第二章 第二節の更新です。何気にゾロ目ですね。
 いよいよダークソウル3からカルラが参戦しました。ついに主人公の修羅場の始まりか…!?
 そして、デーモン、亡者に続き、深淵もダンジョンに追加されました。
 こんなに設定増やして大丈夫か?――と、言われそうですが、一応着地点は見失っていないつもりなので多分なんとか…。
 
 設定といえば、『黒虫の丸薬』はゲームだと闇カット率を高めるアイテムです。
 ですが、拙作では深淵への耐性も高まるという設定になっております。
 個人的にこの『闇』というのは、概ね『深淵』と同義だと思うので…。
 フレーバーテキストにも『深淵の監視者』の常備薬と書かれていますし、そこまで無理筋ではないかなと。
 また、このアイテムを含めていくつかの効果持続時間は大幅に延長されていますのでご了承ください。
 一応、やりすぎない程度に調整しているつもりですが…。
 
 あと、ベート視点に挑戦してみました。
 いや、分かってましたけど、本ッ当に、大変面倒な性格をしてますねぇ…。
 てめぇがベートってキャラのことを何も分かってねぇだけだ!――と、お怒りの方もいるかと思いますが。
 癖が強すぎるというか…原作者様を含め、ベートを魅力的に書ける人は凄いですね。
 彼に限らず、もっと魅力的にキャラを活躍させたいと常々思ってはいるんですが、なかなか…。
 すみません。これからも精進します。
 
 それはそれとして。
 ダンまちアニメ2期が絶賛放映中ですね!
 喋って動くアイシャや春姫が見れるだけでも大満足ですが、連動企画でダンメモにもキャラが実装されるという…!
 あとがきにあまり作品と関係ないことを書くのも何ですが…。
 
 ついに本日! アイシャさんが実装されたんですよ!!
 
 長かった…!
 早速、この日のために貯め込んでいた虹水晶(ガチャ石のことです)を投入しました。
 …ま、まぁ、結果の方は、爆死ではないかなくらいの感じですが。
 それと、運営様。キャライベントの実装も何卒よろしくお願いいたします。
 
 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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