「これまで全ての社会は、いつでも絶対的必要の限界を超えて。浪費と濫費と支出と消費を行ってきたが、それは次のような単純な理由によるものだ。つまり、個人にせよ、社会にせよ、ただ生きながらえるだけでなく、本当に生きていると感じられるのは、過剰や余分を消費することができるからなのである」
ボードリヤール 『消費社会の神話と構造』
このボードリヤールの言葉を始めて読んだ時、思った訳ですよ。
これだ!!!!(どれだ?)
これが、コメ職人という理解不能な生き物の行動原理を、
実に上手く説明しているのです。
自身の作った歌詞については色々言われる事が多かったのですが、
特に多かった印象があるコメントは以下の2つです。
「なんでこんな事やってんのか意味が解らない」
「お前、よっぽど暇だったんだな」
なんでこんな事やっているのか解らないだって?
俺だって解らねーよ!
解らないけどやらずには居られなかったんだ。
ヤバイとは思ったが制作欲を抑え切れなかった。
お前する事なさすぎて暇なんだろうって?
暇じゃねーよ!
いや、暇っちゃぁ暇だが見栄を張って暇じゃないって事にしておくよ。
本当に忙しい人間がニコニコにログインなどするものか。
こんな記事を読んでいる時点で、あなたも相当に暇なはずです。
しかし暇だから歌詞作ったりCA作ったりするというのは、
論理的に飛躍があり過ぎて成り立たない意見だ。
「あ~、暇だ暇だ。仕方ない、コメントアートでも作るか」って、
そんなコメ職人はまずいませんから。
現代というのは、暇を持て余している暇は無い時代です。
無料で見れる面白い動画や生放送。
(名目上は)無料で遊べる魅力的なソシャゲやアプリ。
リアルタイムで反応が返ってくる各種SNS。
それらの魅力あふれる刺激を得るのにかかる労力は、
マウスを3回クリックするだけでいい破格のコストパフォーマンス。
そんな時代にだ。
コメントアートみたいに、
最低のコストパフォーマンス(実質赤字!)な事を、
暇だからやるまともな人間はまず居ません。
歌詞やCAというのは、全く持って経済合理的な行為ではないのです。
徒歩一分の所にコンビニがあるのに、
何故富士山の頂上にあるコンビニに買い物に行かねばならんのか。
コメ職人がコメをするという事は、
手を伸ばせば一瞬で届く魅力的な刺激を一切合切蹴飛ばして、
「わざわざ」「あえて」コメントをしているのです。
本当に暇で暇で仕方なかったら、
ゲームやったりアニメ見たりしてるんですよきっと。
廃人化した末期症状の時などは、
暇がなくても無理矢理暇を作ってねじ込みますからね。
仕事でクタクタになって帰って来たにも関わらず睡眠時間削って作り始めたり、
久しぶりの休みなのにグッスリ休もうなんて考えるどころか、
「うおぉぉぉっしゃぁ! コマテコマテ!」と狂喜乱舞したりするのは、
ある程度真剣に取り組んだ時期があるコメ職人なら誰もが経験していると思う。
そこまでしてやるのだから、
さぞかし素晴らしい見返りや報酬が用意されているんだろうと思った人、
言っときますがそんなもんありませんからね。
あるにはありますが、実質赤字なので何もしない方が儲かりますよ。
一円玉拾うのに一円以上のカロリー消費したら赤字なんです。
コメントに関しては、金が儲かるどころかむしろ払ってますからね。
色を使いたかったら毎月のプレミアム会員費は必須だし、
金を潤沢に持っているコメ職人なんかは、
互換表示を確認する為『だけ』に複数台のパソコン買っているし、
俺に至ってはパソコン修理代も払うハメになった。
情報処理がクッソ遅いニコニコプレーヤーの2代目や3代目(NP2やNP3)の時代に、
二ワン語を使いまくってたらパソコンの冷却ファンがぶっ壊れた。
コメ職人のパソコンがコメントのせいでぶっ壊れたのだから、
これはタバコ屋が肺ガンで死ぬ事に匹敵する名誉の殉職ですわ。
人生に無駄な事は無いと言われるが、コメントに関しては無駄だと断言しよう。
コメントを通して身に着けた技術や知識は、人生で何の役にも立ちませんからね。
エクセルやパワポを鮮やかに使いこなせるなら将来会社で役立つ事も多々あるだろうが、
IMEパッドを鮮やかに使いこなせる事が一体何の役に立つというのだ!
知り合いにコメ職人がいるなら是非試してみて下さい。
多分その人、普通の人よりもIMEパッドの使い方が上手いですよ。
というか、普通の人はIMEパッドって何? のレベルなので肩を並べる敵がいない。
何の役にも立たず、報酬も実質赤字。
では何故コメ職人はそこまでしてこんな無駄な事をやっているのかというと、
無駄だからこそやっているのです。
冒頭のボードリヤールの言葉で言えば、
この無駄遣いをしている時にこそ「本当に生きているという実感」がある。
ただ生きながらえる、だけでなく、人間が本当に生きていると感じる事が出来るのは、
この無駄遣いをしている瞬間なのです。
時間、金、エネルギー、労力、技術、知識、才能その他なんでもいいが、
日々の生業でコツコツ貯めたこれら大切な財産を、
花火の様に盛大に、かつゴミの様に喜んで手放す時の喜びは、
それぞれの人生振り返ってみれば誰しも思い浮かぶ事だと思うのですよ。
祭りなんてのは、その最たるものだし。
人間が完全に経済合理的な生き物だったら、祭りなんて無駄な事はしない。
「今日は俺のおごりだ!」って言って、盛大に稼ぎをばら撒いたりしない。
やる事がいっぱいなのに、ゲームをやったりニコニコに入り浸ったりするものか。
試験前なのに、部屋の掃除をしたりニコニコ見たりするのはやたら楽しく感じるものです。
無駄遣いの中にこそ、生きている実感と喜びがある。
他にやるべき事がいっぱいあるのに生の悦びを知りやがって。
コメントが面白いのは、それが完全に無駄な事だからだ。
もしこれが無駄ではなくなったら?
自身の技術や才能や知識を有効活用しようとしていたら?
それでも楽しいっちゃ楽しいのであろうが、
その場合、楽しさの属性が一気に変る。全く別次元の世界に突入だ。
「やりたいからやる」「作りたいから作る」みたいに、
行為それ自体が目的である定言命法的な行為から、
「○○の為にやる」「○○の為に作る」みたいな、
なんらかの目的を果たす為の手段とした仮言命法的な理由に変った場合。
その瞬間、コメ職人という存在を根源から揺るがす変化が起きる。
コメントを何かの手段にしてしまった途端、
その人は『職人』ではなく『商人』に変ってしまい、
その人が作ったものは『作品』ではなく『商品』に変ってしまうのです。
私はこれだけの品を用意しました。
だからあなたはこれだけの対価を支払って下さい、というトレードオフの世界。
「自作CAをボロクソ言われて傷つきました! もうCAやめます!」
というのは、職人ではなく商人の発想な訳ですよ。
ボロックソ言われようが、作りたかったら作るんだよ。職人ってのは。
だって作っている時が楽しいんだもん。
もし職人から商人にジョブチェンジした場合。
その瞬間発想自体が180度方向転換する。
職人の時はどれだけ時間を注げるか、どれだけ情熱を注げるかが全てだったのが、
商人になったら、どれだけ少ない労力で最大の利益を上げられるかという、
費用対効果が全てになる。
出来るだけ少ない元手で、出来るだけ汗をかかず、出来るだけ短時間で、
最大の対価と報酬を得る事こそ素晴らしい、という真逆の価値観。
コメントの場合、
これの行き着く果てがワンクリックでコピペCAを投下できるツールの使用だ。
何を目的として彼らがツールを使用しているのかは解らないが、
ワンクリックで報酬が得られるのだから破格のコストパフォーマンスと言っていいだろう。
何時間もコマテと睨めっこしてコピペ元のCA作った職人が馬鹿に思える程に。
コメ職人ってのは、やり始めた直後が一番楽しい時期だと思う。
なんせその時期ってのは誰の役にも立たず、
時間とエネルギーと情熱の無駄遣いだらけですからね。
この無駄遣いをして、生きているという実感は何にも増して楽しい時間だ。
逆に、さっさと報酬だけ欲しい商人には一番ツマラナイ時期だと思う。
動機が不純すぎてピュアじゃないんだよ。
もっと純粋に、制作を、楽しめッッ!! その時間が楽しいんだから。
何でこんな事やっているのか解らない。コメントが一体何の役に立つというのか。
と、どれ程言われまくってもそれでもコメ職人はコメをするのです。
何故ならそれが、コメ職人の生きている証なのですから。
まだこの記事は書いている途中なのだが、
これを書いててすんげぇ楽しかった。
まずこの記事が一体誰の役に立つのかサッパリ解らない。
ニコ厨のごく一部であるコメ職人向けという極めてニッチなジャンル。
度重なるプレイヤーの改悪で、
そもそもコメントしたくても二進も三進もいかない現状でコメントに関する記事。
折角の休みの日にわざわざ時間をかけて書く価値はあるのかと自問自答。
一日中天井のシミ見つめているよりは有効な休日の使い方だが、
それでもやっぱり無駄だと思う。天井のシミ見てた方が良かったかもしれない。
しかもこの記事をアップする為『だけ』にプレミアム会員費を支払った。
今現在のニコニコに金を払うなんて、金をドブに捨てた気分だよ。
でも楽しいんだから仕方ないね。
こんな下らない記事を一切の妥協無く全力で書いている自分が大好きだ。
さてさてさて。
上の方で、報酬目指して一直線で、
無駄な事を一切しようとしない商人をボロックソに言いましたが、
別に俺は何かの見返り求めて頑張る事を悪いとは思っていません。
一切の見返りを求めずただ無心で作品を作り続けろ!
みたいに修行僧の様な事を要求したりはしないし、
「ケッ! 俺は誰かに褒められたくてやっているんじゃないんだよ!」という、
てやんでぇな江戸っ子みたいに振舞うのがカッコイイとも思っていない。
そもそもコメントから様々な恩恵を授かった身の上だし。
コメ職人としてコメントをやった事に対する報酬は確かにある。
ただし、
その報酬ってのは、全く予期していなかった方向からやってくる。
狙って手に入れる事は不可能だ。
『商品』ではなく『作品』を作っている時は、作っている行為その物が報酬であるが、
それ公開して世に出す時は、少なからず期待する事があると思うのですよ。
これでみんなからキャーキャー言われたいとか、凄ぇと言われたいとか。
そういう動機がゼロだったらずっとコマテに引き篭もって出てこないはずだし。
作ってそれを公開する以上は、なんらかの『欲しい物』がある訳だ。
なので最後にいい事教えておきますよ。
もしもあなたが、欲しい物目指して脇目もふらず一直線で突っ走る事なく、
無駄だらけの道中を存分に楽しんできたのであれば、
その『欲しい物』なんかどうでもよくなってしまうほどの、
『大切な物』がきっとどこかで手に入ります。
マンガ「HUNTER×HUNTER」のジンのセリフで、実にいかした言い回しがある。
「大切なものは、ほしいものより先に来た」
これは理詰めで説得するのではなく、
「ああ、そうだよなぁ」と納得する事でしか理解できない事だと思う。
コメ職人みたいに全く持って無駄な人生のエアポケットを、
自ら作り続けてきた人間であれば解る言葉だと思うのですよ。
長年コメントアートを作り続けている、
あるいは一線を退いてもなおコメントに長年関心があり続けているという人は、
一旦周囲を見渡してみてください。
コメントに関わっていなかったら絶対に手に入っていなかったであろう、
『大切な物』がゴロゴロと転がっているはずですから。
作品に限定していうのであれば、
制作の過程ってのはホント無駄の塊だ。
何時間も動画と睨めっこしているのに全くアイディアが出てこない時がある。
やっと手を動かせると思ったら、1時間で2,3コメしか進まなかったり。
あるいは、折角作ったのをゴッソリ消してまた作り直す事の繰り返し。
しかしその無駄な過程こそが作品に他ならぬ「何か」を宿らせる。
この過程をすっ飛ばすと仏作って魂入れずな作品の出来上がりだ。
まあ、そこまで大層な物言いをしなくても、
この時間とアイディアと労力を盛大に無駄遣いしている過程こそが、
『職人』として一番楽しい所だと思う。
一体何の役に立つのかと思える盛大な回り道。だがそれがいい。
だから一見無駄だらけに見える道中を楽しんでください。存分に。
それでは、次回の記事までごきげんよう。