浮世絵にハマったカナダ人が日本で見つけた使命
木版画家、デービッド・ブルさんの生き様とは?(撮影:今井康一)
東京・浅草。天ぷら屋、着物屋、和菓子屋などが並ぶ下町の商店街に、木版画の工房がある。作業台に向かい、彫刻刀を版木に落としているのはデービッド・ブル(通称デイブ)さん。カナダ人の木版画家だ。
真剣な面差しで、植物の葉の細かい線を、ゆっくり慎重に彫り進めていく。張り詰めた緊張感があり、とても話しかけられない雰囲気だ。
その10分後――。
「こんにちは、デイブです! 待たせてごめんね、ようこそ!」
人懐っこい笑顔、流暢な日本語で、デイブさんは取材に応じてくれた。作業中と打って変わって明るく、根はフレンドリーな性格であることがうかがえる。すっかり和んだ雰囲気の工房で、青い目の木版画家に話を聞いた。
一目で木版画に魅了されたきっかけ
デービッドさんの作品群(撮影:今井康一)
デイブさんは1951年にイギリスで生まれ、数年後にカナダのトロントへ移住した。子どものころは美術や図工が苦手で、唯一得意な科目は音楽。15歳でクラシックに夢中になり、大学卒業後はアルバイトをしながらプロの音楽家を目指していた。
「日本でもミュージシャン志望の若者がアルバイトするでしょ? それと同じで、僕も楽器屋でバイトをしながら、オーケストラのフルート奏者になりたくて音楽活動をしていました」
木版画家というまったく別の道へ進むことを決意したのは、28歳のとき。偶然立ち寄った地元のギャラリーで、木版画の展示を見たのがきっかけだった。アートに興味はなかったデイブさんだが、たちまち心を奪われた。
「オーマイゴッド! これは何ですか、とオーナーに聞いたら、Japanese woodblock print(木版画)です、と。江戸時代の浮世絵の版画でした。それを見て、こんなきれいなものがあるんだ、自分もつくってみたい、と思うようになったのです」
一目で木版画に魅了されたのには理由がある。当時のトロントは日本食ブームで、デイブさんが日本の文化に興味を持つようになっていたことも一因だが、それ以上にギャラリーの展示方法がすばらしかった。
木版画は一般的に、額に入れて並べ、上から照明を当てて展示する。しかしそれでは、版画が平面的に見えてしまう。そのギャラリーでは自然光を生かしていたため、立体感や顔料の陰影が生まれ、えも言われぬ美しさを醸し出していたのだ。しかも、版画を手に取ることもできた。木版画が全盛だった江戸時代に、庶民が直接触れて楽しんでいた鑑賞方法を再現していたのだ。
すっかり夢中になったデイブさんは、図書館で浮世絵や木版画の本を読み漁った。同時に、木版画づくりにチャレンジしようと、板を購入。彫刻刀の代わりにカッターナイフを、バレン(版木に当てた紙をこすり、顔料を転写させる道具)の代わりにしゃもじを用意し、風景画をつくることに。作業をしながら、頭には美しい出来上がりのイメージが浮かんでいたが、実際は……。
「ひどいものでした(苦笑)。手先が器用だったので、そこそこできるだろうと思っていましたが、そんなに簡単じゃなかった。すぐに捨てて、風景画や美人画を何枚もつくって練習していきました」
日本に移住し、本格的に木版画家を志す
そのころ、デイブさんはカナダで出会った日本人と結婚する。30歳のときに初来日し、本格的な木版画の道具を入手した。あるとき、アポなしで木版画の工房を訪問。たどたどしい日本語で頼み込み、つくり方を見学させてもらった。そこで、独学ではわからなかった、生きた技術の一端を知れた。
木版画の工房を見学し、つかみ取っていったデービッドさんの「掘り」の技術(撮影:今井康一)
「絵柄によって、漢字の書き順のように、彫りにも順番があるんです。それを守らないと、美しく仕上がらないのだとわかりました。本や資料を読んでも得られない、貴重な経験でしたね。ただ、毎日通っていたら、『出ていけ!』と怒鳴られました。職人の方は忙しいのだから、迷惑だったと思います(笑)」
木版画への情熱は高まる一方で、35歳で日本に移住。本格的に木版画家を志すことにしたのだ。だが当時、仕事のあてもなく、貯金は半年分の生活費しかなかった。妻と2人の娘を養うため、自宅で英会話教室を開いて何とか生計を立てた。
一方で、木版画家として着実に腕を磨いていった。師匠がいないデイブさんは、明治~江戸時代の版画をお手本に、独学で技術を身につけていったのだ。
「昔の職人は、先輩から『技術は見て盗め!』と言われて、自分で学んでいきましたよね。僕も昔の版画をお手本にしてつくり、うまくできなかったら何が悪いのか考えて、またつくっていきました。それを繰り返しながら、技術や技法を“盗んで”いったのです」
デービッドさんの木版画(撮影:今井康一)
厳しくダメ出ししてくれる存在も必要だと考え、作業中はもう1人の自分がつねに背後にいると想像した。デイブさんが細かいミスをして、「まぁ、これくらい大丈夫か……」と彫り進めると、分身は「見たよ、失敗したのに何でそのままにするの! そんな甘い考えだったら工房から出ていきなさい!」と、容赦なく叱責してくるのだ。そのようにして、デイブさんは職人としての技術も意識も高めていき、数年後には木版画家として独立するまでになった。
初の大作、百人一首の木版画が飛躍のきっかけに
さらなる飛躍のきっかけとなったのは、デイブさんにとって最初の大作となる、百人一首の木版画をつくったこと。もともとは練習目的で題材に選んだが、周囲の人々に見せたところ、「売ってほしい!」という声が相次いだ。そこで1989年から、1年に10枚、10年間かけて百人一首の版画を完成させたのだった。この取り組みはメディアからも注目され、木版画家としてのデイブさんの名前や技術を一気に知らしめた。
だが、もどかしさもあった。注目されればされるほど、「外国人なのになぜ日本の伝統工芸を?」という見方をされるようになったのだ。それに対して、デイブさんの考えは実にシンプルである。
「音楽の世界では、どの国でもどの街でも、モーツァルトを演奏していますよね。伝統的な音楽だから? 違う、モーツァルトの音楽が好きで、演奏すると楽しいからでしょう? 僕も同じで、浮世絵が好きなのだから、版画をつくってもいいじゃない。国籍も人種も目の色も関係ありません」
日本の伝統を守ってくれてありがとう、と感謝されることもあるが、「守る」という考えにも違和感を覚えるという。伝統であっても、時代と共に変わるのは自然なこと。昔のスタイルにこだわるあまり、変化を拒んでいると、新しいものが生まれないばかりか、伝統そのものが衰退してしまうおそれがあるからだ。
そんなデイブさんの信念を表すような版画作品がある。2012年に発表し、世界中で話題になった「浮世絵ヒーローズ」だ。日本のポップカルチャーが好きな人なら、見た瞬間に大興奮するのではないか。実際、浮世絵ヒーローズは世界中の人々をはじめ、美術館や博物館からも注文が殺到したという。
浮世絵ヒーローズの作品のひとつ(木版館HPより)
このシリーズは、アメリカ人のイラストレーターと組んで制作したもの。題材は現代のポップカルチャーだが、江戸時代からあった「見立て」という手法が用いられている。見立てとは、ある題材からほかのものを連想させること。
例えば風景画があったとする。知らない人からすると、それ以上でも以下でもないが、実は歌舞伎や文学の一場面を表している……というふうに、絵の背景には作者の真の意図があり、気づいた人だけが理解できるのだ。
「江戸時代、浮世絵の多くは、ただの絵として人気があったわけじゃありません。絵の題材になっているもののルーツや歴史、人物画であればキャラクターを知っているから、人々は欲しがったんです。浮世絵ヒーローズもそう。多くの人が、テレビや漫画で見たことを思い出して、欲しいって思うでしょう? そういう意味では、江戸時代も今もまったく同じなんですね」
浮世絵ヒーローズで、経営も立て直せた
絶妙な配色も技術の蓄積のたまものだ(撮影:今井康一)
浮世絵ヒーローズは、窮地に陥っていたデイブさんの工房も救った。浅草に工房を開いたのは、同シリーズを発表する前年の2011年。木版画職人として活動してきたデイブさんが、還暦を迎えたのを機に、自分の技術や知識を若い世代に伝え、より木版画の魅力を広める拠点として設立したのだ。
4人の見習いを雇ったが、いきなり売り物をつくれるレベルでは当然ない。販売する版画もなく、固定費だけが出ていく状態で、デイブさんが貯金を切り崩して工房を支えていた。そして、あと2カ月で貯金が尽きるというときに、浮世絵ヒーローズが大ヒットし、経営を立て直せたのだ。
同時に、日本が誇るポップカルチャーと共に、木版画の魅力を世界中に広めることもできたのだと、デイブさんは笑顔で振り返る。
「アニメも漫画もゲームもそう、浮世絵、富士山、芸者、桜、日本酒、和食……日本のカルチャーは海外ですごい人気でしょ? 僕みたいな外国人もその宣伝をしているんですよ。クールジャパンの助成金は1円ももらっていないですけど(笑)」
YouTubeチャンネルも開設し、ますます”普及”に意欲を燃やすデービッドさん(撮影:今井康一)
2011年にYouTubeチャンネルを開設し、木版画や浮世絵について発信し続けている。登録者数は海外を中心に、13万人にも上る。工房から定期的に生配信も行っており、毎回数百名の視聴者が参加するという。
「僕がカナダにいたころ、こんな映像が見られたら、もっと苦労は小さかったはずです」とデイブさんは笑う。実際にこのチャンネルがきっかけで、版画を始める人が増えているそうだ。版画の魅力を知り、「欲しい!」という人も同様。まさに日本文化のインフルエンサーである。
「好きで、なくしたくないから」
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木版画家として、デイブさんには信念がある。それは自分たちがつくった木版画に、高額な値段を付けないこと。版画は庶民の日常にあり、生活を楽しく豊かにしてくれるものだと考えているからだ。どんなに美しい作品であっても、お金持ちしか買えない美術品として扱われるのを拒否している。量産して安く大量販売することもせず、あくまで適切な価格で、広く人々に届けたい思いがある。
「そもそも僕は、版画を美術品だと考えていません。江戸時代、印刷物は木版画で行っていました。明治時代に外国から印刷機が入ってきて、木版画の技術はほとんど終わってしまった。でも、機械にはできない美しい表現が好きで、なくしたくないから、僕は木版画を続けているだけなんです」
好きだから、続けている。好きだから、多くの人々に届けたい。デイブさんの根底にあるのは、そんな実にシンプルな思いなのだ。ちなみに、今や名工となったデイブさんだが、作品づくりを厳しく監視するもう1人の自分は、変わらずいる。なぜなら、木版画は200年も残るものだからだ。
「家電も洋服でも、せいぜい10年くらいでゴミになってしまいますよね。でも木版画は、江戸時代の作品がまだあるように、200年以上も残ります。デイブの作品も、買ってくれた人だけじゃなく、その子どもや孫も見るかもしれないから、丁寧につくらないとダメ。『この版画は平成や令和につくられたんだ、すごい技術だね』と驚いてほしいですしね」
茶目っ気たっぷりにデイブさんはほほ笑み、ちらりと作業台のほうを気にする。作品づくりの続きに取り掛かりたくて仕方ないのだろう。「出ていけ!」と怒鳴られる前に、取材を切り上げたほうがよさそうだ。最後に、木版画家としての半生に感想を求めると、この日いちばんの笑顔で答えてくれた。
「木版画に出合って、日本に来たばかりのころ、今のようになれるとは思っていませんでした。アンビリーバボー、アイムベリーハッピー、こんなに幸せな仕事はありませんよ!」