米国のバリュー投資家、ビタリー・カツェネルソン氏による短いエッセイです。
世界中の中央銀行が行っている金融緩和によって、金利は長期にわたって不当に押し下げられ、資産価格は不当に上昇を続けている。中央銀行みずからが引き起こしたこのバブルが、いつどうやって崩壊するのか、多くの市場参加者たちが戦々恐々としている。そして、その崩壊の始まりを告げたのが、今月初頭からの米国の金利上昇と株価の急落なのかもしれない――このことはいま、市場の共通認識と言ってよいかと思います。
とはいえ、投資界屈指の名文家(と私は思います)であるビタリー・カツェネルソン氏のこの短いエッセイは、とりわけ平易に、味わいある筆致でこの問題を描き出したものであり、一読の価値があります。
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中央銀行の危ない実験 株や債券の投資家たちがそのツケを払うときがきた
Stock and bond investors are now paying the price for the Fed’s dangerous experiment
ビタリー・カツェネルソン Vitaly Katsenelson
CFA〔公認財務アナリスト〕
インベストメント・マネジメント・アソシエイツ社最高投資責任者
公開日:2018年2月8日 原文
ジャネット・イエレンの任期が終わり、ジェローム・パウエルの時代が始まろうとしている。連邦準備制度 the Federal Reserve 〔アメリカの中央銀行制度〕の番人の交代。それでぼくは、旧ソビエト連邦で育ったころのことを思い出すのだ。
あのころ、家の近所の食料品店には、二種類の砂糖があった。
安い方は1キロ96カペイカで、高い方は104カペイカ。ぼくはこの値段をはっきりと覚えている。というのも、十年間変わらなかったからだ。
この値段というのは、砂糖の需要と供給で決まっていたのではない。1000マイルほど離れたところにいる、善意溢れる官僚が決めていた(その官僚は、経済学者でさえあったかもしれない)。
かりに、ロシアの主婦(と主夫)たちが、みんな一斉にアップルパイ・ダイエットを始めて、朝も昼も夜もアップルパイを焼き始めたら、砂糖の需要は増える。でも砂糖の値段は96カペイカと104カペイカのままだ。その結果、ぼくらは砂糖不足に陥る――じっさい、ソビエト時代には砂糖不足がよく起きた。
資本主義経済で重要なのは、〔需要と供給で値段が決まるという〕「見えない手」の働きだ。しかし、この「見えない手」の働きは過小評価されている。
「見えない手」というのは、需要と供給の均衡を促すための情報伝達メカニズムでもあるのだ。
需要が高くなれば価格も高くなる。これは、生産者に対して「生産を増やせばもっと儲かるよ」という信号を送っていることになる。生産が増えれば価格は落ち着いて、あらたな均衡が生まれる。全世界の自由主義経済では、毎日毎日、何百万種類もの商品の価格がそうやって変動している。
ソビエト連邦の統制経済では、ものの値段というのは、需要と供給とほとんど関係ないことが多かった。むしろ、ものの値段は政治の道具にされるのが当たり前だった。
これが、ソビエト連邦が失敗した理由の一つだ。よいデータがなければ、よい意思決定はできない。ものの値段がなんのデータにもならないなら、商売のことをうまく決めるのは難しい。
当時はソビエト連邦だったロシアを1991年にぼくが去ったとき、「統制経済とはこれでオサラバだ」と思ったものだ。ところが、そうはならなかった。ここ十年で、世界経済が統制経済じみたものになってきたのである。世界各国で中央銀行の運営にあたっている、善意溢れる経済学者たちが、世界でいちばん大事な商品の価格を決めている――すなわち、お金の値段を。
お金の値段、すなわちそれは、金利だ。ほんらい、金利というのは、何十億人もの人間や、その人たちが働いている企業や、さまざまな政府の、日々の意思決定によって決まるべきもの。でも、こんにちの利率というのは、ソビエト連邦の砂糖の値段みたいに、需要と供給とはほとんど関係なく決められている(したがって、情報としての価値がゼロになっている)。
たとえば、連邦準備制度は、2014年末までに2兆ドル以上の米国債務を買い取っていたわけだけども、もしそうでなかったら、そのとき米国政府の債務は17兆ドルという記録的な額を更新していたのだから、金利は上がり始めてもおかしくなかった。そうなれば、米国の財政赤字は増えて、政治家たちは政府支出を切り詰めざるを得なくなっていたはずだ。
しかし実際には、それとは真逆のことが起こった。米国の借金が膨れれば膨れるほど、米国政府がお金を借りるコストは安くなったのだ。
善意溢れる(しかし全知ならざる)経済学者たちがお金のコストを決めていること。このことは、幅広くさまざまな帰結をもたらす。たとえば、資産価格は上昇する。そして、いろんな企業に、本来やるべきでないようなプロジェクトに〔資金調達のコストが安いので〕手を染めることを促してしまう。
しかし、そこからさらに派生する効果、つまり、金利が統制されているとき、その二次的、三次的、四次的な派生効果として何が起こるかというのは、ぼくらは本当には知らないのだ。
近年、あらゆる市場参加者たちは、より多くのリスクを取ることを強いられてきたわけである。これがその通りだろうということは、ぼくらみんなが知っている。しかし、「どれくらい」多くのリスクを取ることを強いられているのかは、わからないのだ。なぜなら、ぼくらはお金の値段を知らないのだから。
「量的緩和」。一見無害そうにみえるこの言葉が、市場というものの遺伝子を突然変異させてしまった。金利というのは、外国為替に多大な影響をおよぼす。ヨーロッパ連合が量的緩和を行うという見通しが立ったとき、スイスフランは15%も跳ね上がった。2015年の、あるたった一日のうちにだ。スイス経済はそれ以来、〔通貨高のせいで景気が〕ずっと落ち込んでいる。
アメリカ人たるもの、政治家に対しては、健全なる不信感を抱いているものだ。政治家が腐敗するのは当たり前のことだと考えられている。ぼくらは、リーダーたちを崇拝したりはしない(崇拝するとすれば故人だけだ)。
アメリカ合衆国憲法というのは「チェック・アンド・バランス〔抑制と均衡〕」があらゆるところに組み込まれていて、権力という麻薬が政治家たちの頭を侵しはじめたとき(そうなることが多いわけだ)、社会におよぼされるダメージが確実に限定されるようになっている。
しかし残念なことに、これと同じ健全な不信感が、経済学者たちや、中央銀行の運営者たちには向けられていない。なぜなのかはよくわからない。かれらが博士号を持っているから恐れをなしてしまうのかもしれない。または、かれらは実に頭がよさそうだし、「総需要」みたいな難解な術語を使うから、ぼくらが自分のことをまるでポンコツのように感じてしまうせいかもしれない。
理由がなんであれ、ぼくらはこう考えてしまうのだ――かれらには予見力があり、『マーベル』シリーズのスーパーヒーローみたいな人たちなのだと。
しかし、ウォーレン・バフェット、すなわち、「オマハの賢人」と呼ばれるあの人でさえ、量的緩和というこの実験がどのような結末を迎えるのかはわからないと言っている。中央銀行の運営にあたっている善意溢れる経済学者たちは、はたしてわかっているのだろうか。もしあなたがそう思うなら、それはとんでもない大間違いかもしれない。
アラン・グリーンスパン――連邦準備制度の教皇と呼ばれた、まさにその人――は、2013年の『ウォール・ストリート・ジャーナル』のインタビューでこう語っている。「(自分のことを)いつも、心理学者というよりは数学者であると考えていました」と。しかし、2008~2009年に金融危機が起きて、かれ自身も住宅バブルの責任を問われて批判されるようになったあと、グリーンスパンは当時を振り返って群衆心理を研究して、いくつかの驚くべき結論に達したのだという。「じつのところ、驚愕しました」とかれ。「世界とはどのような動き方をするものなのか、ということについての考え方が、完全にひっくり返されてしまった」。
ソビエト連邦の善意溢れる経済学者たちが砂糖の正しい値段を知らなかったのと同じように、いま、世界各国で中央銀行を運営している善意溢れる経済学者たちも、金利が本当はどれくらいであるべきなのかを知らない。しかも、それよりももっと重要なことがある。かれらは、自分がしていることが、いったいどんな結果をもたらすのかを予測できはしないのだ。
〔おわり〕
ビタリー・カツェネルソン氏の過去の記事
インターネットはもっと賢くなる――孫正義の11兆円投資計画の素晴らしさ(2017年8月18日)
ビタリー・カツェネルソン『バフェットとブランソンとジョブズをまとめて安く買う=孫正義を買う』(2015年2月6日)
ビタリー・カツェネルソン『孫正義は指数関数的成長をつかみ取る達人――バリュー投資家のぼくがソフトバンク株を買った理由』(2016年9月9日)
ビタリー・N・カツェネルソン Vitaliy N. Katsenelson Wikipedia
ロシア出身。米コロラド大学および同大学院金融学科卒。CFA〔公認財務アナリスト〕。自身の投資情報ブログとして「コントラリアン・エッジ」。
コロラド州デンヴァー市の「インベストメント・マネジメント・アソシエイツ社」の最高投資責任者。
著書に、『バリュー株トレーディング レンジ相場で勝つ』(パンローリング社)、『横ばい相場の攻略本 The Little Book of Sideways Markets』。著書は8ヶ国語へ翻訳。『フォーブス』誌にて「ベンジャミン・グレアムの再来」と称される。
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【訳者より】
いつもながら、読みやすく啓蒙的なカツェネルソン氏のエッセイです。
ここで念頭に置かれている、世界各国の中央銀行のうちには、もちろん、日銀も含まれています。
日銀の黒田総裁は、国債の買い入れに加えて、人類史上初とも言われる、中央銀行による株式の直接買い入れ(なんと年間6兆円!)に手を染めており、これらの日本の金融政策は「史上最大の金融実験」と呼ばれることさえあります。理由あってなされている政策とはいえ、これがどのような結末を迎えるのかは、黒田総裁を含め、誰も語っていませんし、おそらくは誰にもわからないのです。無事に軟着陸できると考えている人はどれだけいるのでしょうか?
日銀の金融政策が、緩和から引き締めへと転換したとき、あるいは、緩和がまったく効かなくなってしまったとき、何が起こるのでしょうか。相場師なら、「経済がどうなろうと、相場の動きについていくだけ」と嘯くこともできますが、実体経済のほうは…?
〔おわり〕