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【昭和のことば】「ぜいたくは敵だ」(昭和15年) 華美な部分への検閲が強化された時代

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【昭和のことば】「ぜいたくは敵だ」(昭和15年) 華美な部分への検閲が強化された時代

 「ぜいたくは“素敵”だ」。そんなタイトルで、戦時下のスローガンをパロディーにした、若者向けの雑誌(『BRUTUS』)の特集が組まれたことがあった。時は1980年のことである。だが、そのことさえも、すでに大半の若者からは忘れられた過去になってしまった。

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 「ぜいたくは敵だ」。この世にも恐ろしいことばは、昭和15(1940)年7月7日に実施された「奢侈(しゃし)品等製造販売制限規則」(七・七禁令)以降に使われた官製の標語である。

 当時の日本は日中戦争の泥沼化という状況下にあったが、まだ国民生活がひどく圧迫されている状況ではなかった。しかし、この禁令を機に、食物のみならず、服飾や芸能の世界など、いわゆる華美な部分への検閲が強化され、しだいに重苦しい戦時体制の匂いが漂い始めた。

 この年の主な事件は、「米内光政内閣成立」「陸運統制令・海運統制令各公布」「皇紀2600年の紀元節」「17~19歳の男子の身体検査義務化」「日本勧業銀行、割増金一万円付宝くじ(報国債券)を発売」「第二次近衛文麿内閣成立。戦争体制に急進」「東京の婦人団体、ぜいたく監視役で街頭に出る」「日独伊三国同盟、ベルリンで調印」「大政翼賛会創立」「大日本帝国国民服令公布」など。巷では「バスに乗り遅れるな」の焦燥気分が高揚していた。

 冒頭に紹介した雑誌のパロディーを待たずとも、この当時から「素敵」と書き換えたパロディーはあった。それこそ、まだ多少の気持ちの余裕があったことの表れなのかもしれない。

 だが、この「ぜいたく~」という標語は間もなく消え去り、次にやってきたのは、「欲しがりません勝つまでは」(昭和17年)であった。 (中丸謙一朗)

 〈昭和15年の流行歌〉 「暁に祈る」(戦時歌謡)「蘇州夜曲」(渡辺はま子、霧島昇他)「湖畔の宿」(高峰三枝子)

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