SOUL REGALIA   作:秋水

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第二章 鐘の音が聞こえるか?
第一節 火の陰にあるモノ


 

 果たして、始まりはいつであったのか。

 今は遠い昔、無銘の妖刀を携え、故郷を離れた時か。

 さらに遡り、兵法の途へと踏み込んだ日か。

 もはや分からぬ。そして、分からずとも良い事であった。

 

 剣の道を志したこと。

 己が剣をもって遥か異国の地にも名を響かせんと海を渡ったこと。

 我が武を認め、ともに天下を統べんと誓った王の元を去ったことも。

 すべては己が決めたこと。

 

 ならば、私が私である限り、いずれここに行きつくであろう。

 

「いかんな……」

 未だ無念無想の境地には至らず。

 その自覚と共に、静かに目を開いた。

「何やら近頃、血が逸っておる」

 傍らの愛刀を携え。座していた洞窟を抜け出す。

 外は、とうに失われたはずの光で満たされている。

(心地よいものだ)

 と、胸中で賞賛した。

 もっとも、今私が浴びているのは真なる陽光ではないのだが。

 ここは『だんじょん』なる大穴の奥。地上より数えて、五〇ほど潜った場所だった。

 異形の獣どもにとっての憩いの地であるらしく、他の場所よりはいくらか大人しい。

 庵を結び、身を休めるのはちょうど良い場所であった。

 稽古の相手とするには獣どもが少々柔いことが玉に瑕といったところであろうか。

 

「貴公ら、我が言葉が通じんか?」

 素振りでも――と、思った矢先、山羊の如き顔をした異形の獣どもが行く手に現れた。

 かつて神々すらも手を焼いたというデーモンの一種――ではない。

 何でも『ふぉもーる』なる種族なのだそうだ。

『――――――ァ!!』

 返答は、獣そのものの鳴き声であった。

 で、あれば。もはや加減はいらぬ。

「―――――」

 間合いを詰め、鍔鳴りを響かせる。

 刃はその首をするりと通り抜け、最初の一匹を絶命させた。

 返す太刀で、隣の山羊を逆八の字に。

 そこでようやく、獣が攻撃に移った。

 この獣ども、決して愚かではない。だが、人を見るやまるで亡者のように襲い来る。

 ありがたい話だ。いかに狂暴な獣と言えど、後ろから斬るのは少々気が乗らない。

 

 さて。

 何故私は、このような見知らぬ獣の巣穴にいるのであろうか。

 それもまた、分からぬことであった。

 

 王のもとを去ってから、どれほど時が流れたか。

 それより先も極める道を他に知らず……より深きを求め己を鍛え続けた果て。

 老境に至り、いよいよ死出の旅への誘いが聞こえるようになった頃のことだったはずだ。

 

 ――我が武、ついに神域に至れり

 

 ならば、我が生涯に悔いはなし。

 と、微睡んでいた……ように思う。あるいは、その微睡こそが泡沫の夢であったか。

 今となっては分からぬ。

 ただ、気づけば……懐かしき城にいた。

 かつて我が王や配下らと語らいあい、今は滅びた黒鉄の城。

 その最奥。玉座の手前にある大広間に一人座していた。

 やはり、夢であったのだろう。

 我が体にはソウルが満ち溢れ、常より一回りは肥大化していた。

 不快ではあった。

 これほど急激な体の変化は、今まで積み上げてきた武を殺す。

 

 ――夢であるなら、醒めるまで待つとしよう

 その若者が入ってきたのは、そんなことを考えていた時だった。

 見慣れぬ格好であった。かつての配下……子弟ではない。

 であれば――

 

 ――夢の中とはいえ、氏素性の知れぬ者を王の間に通すわけにもいくまい

 

 そして、刀を抜き……すぐに斬り捨てた。

 なかなか鍛えてはいたが、それだけだ。さしたる兵ではない。

 その時は、そう思った。そして、間違いではなかったはずだ。

 その若者が呪われ人……いわゆる不死人でなければ。

 

 驚くほどに、その若者はしぶとかった。

 幾たび斬り伏せ、斬り捨てても、ことごとく戻ってくる。

 

 その男は、真に正しく不死人であったのだ。

 

 無数の死を超え、それでも朽ちることを知らぬ怪物。

 そして――

 

 ――ぬう?!

 

 その男は、少しずつ我が武に追いついてきた。

 最初は大剣を用いていたはずが、いつしか私と同じく刀術を用いた。

 元より、これこそがこの男の本領であったのだろう。今までよりも動きに含蓄がある。

 そして、その刀もまた我が妖刀に劣らぬ妖刀であった。

 否。それは、この男に対する侮蔑となろう。

 確かに武器に救われていたと言えよう。

 しかし、己の武器を知り、真に使いこなせることも含めての武だ。

 

 刃を交えるごとに、その男は手練れの剣士となっていった。

 そして、

 

 ――なんと!

 

 ついには我が秘剣すら盗み、そのうえで破って見せた。

 

 ――見事!

 

 末期の夢としては、まったく面白い夢であった。

 神域には至ったとは傲慢もいいところである。まだ見果てぬ深奥が広がっている。

 だからこそこの道は面白い。

 ああ、だが――

 

 ――私も十全の体であれば

 

 ふと、そのような世迷い事が思い浮かんだ。思い浮かべてしまった。

 おそらくは、それが未練となったのであろう。

 

 気づけばこの大穴の中にいた。

 いかなる理由か、肉体は望んだとおりに最盛期のものであったが……。

 

(仕方あるまい)

 我が胸にも、『闇の刻印(ダークリング)』が浮かんでいた。

 未練が妄念となり、文字通りの亡者と――いや、剣鬼となり果てたわけだ。

 夢現の中での死合。名も知れぬ……実在するかも分からぬ剣士との再戦を焦がれるばかりに。

 それ故に――いや、そうでなくともか。

 

 今に至るまで他に求める道もなく、こうして刀を振い続けているのだった。

 

「こんなところか」

 程なくして、全ての獣が息絶えた。

 軽く血払いして、刀を鞘に戻し、小柄を用いて胸の魔石なるものを取り出す。

 ほどなく、獣どもの骸が灰となった。

 何でも、この紫紺の水晶こそがこの獣どもの命の源であるらしい。

 結晶化したソウルと似て異なるそれを、己のソウルの内にひとまずしまい込む。

 何であれ、死なばみな同じだ。

 兵どもが入り乱れ、数多の骸が積み重なる合戦場でもなし、弔うのはさほどの手間ではない。

 あとで首塚――いや、『石塚』に供え、供養し……その後でいくらかを糧とさせてもらうとしよう。

 あまり居心地はよくないが……それでも、時折は地上に足を運ぶこともある。

 先立つものがあって困ることはない。

「ふむ……」

 やはり、どうにも血が逸る。

 相手となるのが、獣ばかりだからだろうか。

 決して弱くはないが……やはり獣は獣。そこにあるのは武ではない。

 もっとも、生まれ持った天性の勘というのは、それはそれで面白いが……。

「そろそろ、あの異形が育つ頃か……」

 ここから九つほど下った先にいる、奇妙なソウルを持つ異形。

 他の獣どもを喰らっているあれに、そろそろ脂が乗る頃であろう。

 この無聊を慰めてくれる程度には。

 

 

 

『――――ァ!!』

「ぬるいわぁ!!」

 互いの咆哮は共鳴し、戦斧同士が激突しては火花を散らす。

 砂塵を巻き上げ響く撃音。伝わる衝撃はどこまでも重く、骨を砕かんばかりだ。

(これが――)

 ミノタウロスをさらに一回りは巨大化させたその怪物――デーモンは確かに手練れだった。

 この階層に巣くうドラゴンどもの魂を食い漁っていただけのことはある。

 僅かでも隙を見せればそのまま押し潰される。それほどの剛力だ。

(これこそが戦いよ!!)

 痛みすら伴って軋む体。その隅々を熱い血潮が満たしていく。

 これが戦いだ。これこそが戦いだった。

 まったく、まだ見ぬ五九階層へ挑むその前哨戦にふさわしい。

「よそ見してんじゃねぇ!!」

 いつも以上に切れのいい動きで、ベートがその牛頭を蹴り飛ばす。

 それはさながら銀の暴風だった。

「はぁああっ!!」

「こんのおおっ!!」

 続けざまに、ティオネとティオナの連撃が決まる。

 並みのモンスターなら……いや、本来ならこの階層を闊歩するドラゴンどもですら、息絶えていたことだろう。

 だが――

『―――――ァァ!!』

 そのデーモンは、まだ健在だった。

「本ッ当にしぶとい奴ね!!」

「何でまだ倒れないのー!?」

 攻撃が通じていないわけではない。傷口からは血が滴っている。

 そして、実際に倒せるはずだ。実際、アマゾネス姉妹はフィリア祭の日に仕留めている。

 しかし――

「……気に入らねぇな。どうも奇妙な感覚がしやがる」

 いったん距離を取りながら、ベートが呟く。

「ほう、お主も感じるか」

「当たり前だ」

 そう。やはり、何かが足りない。

 このデーモンなる怪物と対峙するうえで、何かが不足している。

「確かにこのデーモンって奴らはただの雑魚ってわけじゃねぇ」

 今頃、地上は土砂降りの大雨かも知れない。珍しくベートがそんなことを言った。

 そのうえで、吐き捨てる。

「だが、強すぎはしねぇはずだ」

 その通りだった。少なくとも、バロール辺りと比べれば見劣りする。その手ごたえがあった。

 難敵ではあるが、それだけ。従来ならすでに決着がついている。

「いや、強ぇとか弱ぇ以前だな」

 そうならない理由は、単純にこのデーモンとやらが強靭だからだけではあるまい。

「こっちの攻撃が薄皮一枚何かに届いてねぇ。だが、あの牛野郎の攻撃は逆にその薄皮一枚分余計に響く。そんな感触だ」

「同感じゃな」

 ティオネたちを力ずくで振り払い、デーモンがこちらに突進してくる。

 それを見定め、左右に散会した。

 守りに入ったら負ける。一撃、二撃なら耐えしのげるがそれだけだ。

 体力もろともに削り取られる。

 ならば、素直に回避に徹せばいい。幸い、そこまで素早くはない。

 何より如何に強かろうが一体だ。狙いを分散させてやれば、隙はいくらでも生み出せる。

 

 繰り返すが、これはただ難敵というだけなのだから。

 

「ぬぅうううんっ!!」

 ベートに意識を向けたその刹那、無防備となった横腹に斧を叩き込む。

 渾身の一撃とはお世辞にも言えないが、硬い外皮を砕き、分厚い筋肉を断ち切った。

 その手ごたえはある。が、やはり『薄皮』一枚届かない。

「ぐるあああああああァッ!!」

 続けて、銀の暴風が首筋を抉る。しかし、やはりまだデーモンは健在だった。

 

 フィリア祭で、あの若造はこの牛頭をさほど苦戦せずに仕留めたという。

 

「これは、やはり『魂喰らい(ソウルイーター)』の術を知っているかどうかの差かの」

 互いのランクの差――と、言っていいものかは定かではないが――は無論ある。だが、その術を知っているかいないか。それも大きく影響しているはずだ。

 それを知らぬわしらの攻撃は、薄皮一枚急所(たましい)に届かない。

 その分だけ、この怪物をしぶとく感じる。そんなところか。

 まだどうにかなっているが……さて、アイズたちを返り討ちにしたという『人斬り』もデーモン――少なくとも、あの若造と同じだとするなら、この違いは決して軽視できない。

(ランクアップとは別の課題だの)

 Lv.6の壁を越えたとて、こればかりはどうにもなるまい。

 実際、オッタル(Lv.7)もあの若造には手を焼いているわけだ。

 

 デーモンどもと対峙するには、『神の恩恵(ファルナ)』だけでは足りない。

 

 じわりと、背中の【ステイタス】が熱を帯びる。あまり心地の良い熱ではなかった。

 まるで烙印でも押されているような――

「ふん」

 馬鹿げた妄想と共に、左右に構えていた斧の片方を投げ捨てる。

 両手で握りしめるのは、手に馴染んだ愛斧≪グランドアックス≫。

 一八階層で渡された≪アックス・ローラン≫も悪くはないが、少々軽すぎる。

 別に『不壊属性(デュランダル)』が必須という相手でもあるまい。

「どれ、もうひと勝負だ」

 今必要なのは、その『薄皮』すら断ち割る重い一撃だ。

「雄雄雄雄雄雄ッ!!」

 咆哮に応じて、改めて背中が熱を帯びる。

 地面を踏み砕きながら突進。不退転の覚悟と共に、渾身の一撃を叩き込む。

 一度では済まさない。二度、三度。

 再び激突する互いの斧。その中で、呼吸すら忘れていた。

 そして、

「ぬぉおおおおぉぉおおおっ!!」

 最後の息吹と共に、大戦斧を叩きつける。

 通った。相手は防御し損ねた。まったく威力が衰えていない一撃が、その横腹を深々と抉る。

 もはや、『薄皮』など関係ない。確実な痛撃だ。

「ぬぅ?!」

 次の瞬間、その傷口が()()()

 停滞する時間の中で、長年の経験が警鐘を鳴らす。それに従って飛び退いていた。

 どす黒く蠢く何かが、一瞬前にいた空間を蹂躙する。

「あー! これあれだ! あの時と同じやつ!!」

「どれだよ!」

 ティオナの声に、ベートが怒鳴り返したころ、ようやく全貌が見えた。

 デーモンの体から暗く蠢く『何か』が噴き出し、別の生き物のように蠢いている。

「これがデーモンの『変容』というやつか?」

 デーモンがティオナとベートを追い回している隙に、呼吸を整える。

 ついで、傍らにいたティオネに問いかけた。

「ええ。と、言っても私達もあんまりしっかり見たわけじゃないけど……」

 リヴィラの街に出現した個体は、このような変化を遂げたとリヴェリアからも聞いている。

「フィリア祭の時は聞かんかったの」

「そうね。……多分、こっちの方が上位種ってことじゃない?」

 殺人事件から始まったリヴィラの街の一戦。その原因となった『宝玉』は件の『新種』にとり憑いて、変化をもたらしたというが……・。

「こいつは上位種というより、単に『寄生』されとるだけじゃろう」

 のたうち回るそれは、今や何か生き物のような形を取り始めていた。

 いや、実際に何か別のモノなのだろう。顔と思しき場所には赤い瞳が輝いていた。

「それもそうね」

 デーモンという器の中に、『何か』が入り込んでいる。

 そして今、その『何か』が食い破って姿を現した。

 この光景は、そう見える。

「こいつはちと面倒だの」

 この現象がどのような意味を持つかは知らない。だが、敵であることに変わりはない。

 ただでさえ巨体だったデーモンはさらに一回りは大きくなっている。

 そして、まだデーモン本体も生きているようだ。少なくとも、『何か』とは別に動き回っている。

 隙が減り、攻撃を掻い潜る手間が増えたのは間違いあるまい。

 となると――

「レフィーヤよ。芋虫どもを焼いた魔法だ。あの時のように派手にかましてやれい」

 相手の間合いの外から攻撃を叩き込むのが手っ取り早かろう。

「で、ですが、デーモンに炎は……!」

 確かにそう聞いている。だが、今はなるべく発動が早い魔法がよい。

 かといって、もう一つの方(アルクス・レイ)では馬力が足りん。

「あの周りの妙なものが多少減ってくれればそれでよい。思い切りいけ」

 デーモン本体だけになれば、それでいいのだから。

「は、はい!」

「ティオネ、レフィーヤを任せたぞ」

「オーケー。任せて」

 詠唱するレフィーヤの前で斧槍を構えながら、ティオネが頷く。

 それを見届けてから、再び突貫した。

「ひよっこども! そろそろ仕上げといくぞ!!」

「誰に言ってやがる!」

「任せてー!!」

 デーモンと『何か』は互いに隙を補うように暴れ回る。

 いわば首が二つに増えたようなものだ。……が、二首の怪物などとっくに乗り越えている。

 今さら戸惑うようなことは何もない。

「しゃらくさいわっ!」

 のたうつ『何か』をまとめて薙ぎ払う。

 思ったよりも(やわ)い。これならばレフィーヤの魔法を待たずとも決着となるか。

「ああもう、何なのこれー! 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いー!」

「うるせェ! いいからさっさとぶち殺せ!」

 確かに、この飛び散る血とも肉片ともつかぬ何かはいくらか気味が悪いが。

 浴びていると何故だか()()()()()()()ような悪寒が走る。

 矛盾しているが、そうとしか言いようがない。

 ティオネではないが、薄気味悪い感触だった。

「【――雨の如く降りそそぎ、蛮族どもを焼き払え】 !!」

「あんたたち、派手なのが行くわ! 巻き込まれんじゃないわよ!」

 言われるまでもない。返答の代わりに、全員が飛び退く。

「【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!!」

 火の雨がまさに驟雨の如くデーモンに叩きつけられる。

「ほう?」

 フィリア祭のデーモンは、レフィーヤとリヴェリアの魔法すら耐え凌いだと聞いたが……。

「あのなんか変なのってよく燃えるみたいだねー」

「そうみたいね……。これはもう、出る幕がないかしら?」

 暗く蠢く『何か』は違うようだ。むしろ、よく燃えている。

 デーモンの体内にまで炎が流れ込んでいくほどに。

「本当に魔石の一つも残さんとは……」

 そして、そのまま燃え尽きた。後には何も残らない。

「割に合わんの」

「そうだね」

 思わずぼやくと、聞きなれた声がした。

「団長!!」

 振り向くより先に、ティオネが歓声を上げる。

 まぁ、そうでなくともこの階層で人の声などそう聞けるものではない。

「やぁ、みんな。無事で何よりだ」

「誰に言っておる」

 振り向けば、案の定フィンたちの姿があった。

「ふむ。その様子では、件の『新種』と遭遇したようだの」

 フィンやアイズたちはともかく、ラウルたちの装備がいくらか溶けていた。

 こういう痕跡を残すのは、あの芋虫どもくらいなものだ。

「それだけだったら良かったんだけどね」

「何じゃ、おぬしらもデーモンとやりあったのか?」

「いや、それとはまた違う。件の怪人(クリーチャー)らしき相手と、赤黒い人影だ」

「何じゃと?」

 怪人(クリーチャー)はともかく、赤黒い人影とはいったい。

「詳しい話は後だ。まずは移動しよう」

 確かに、この五八階層は構造が単純だ。見晴らしは良いが、長話には向かん。

「連結路の途中で休息をとる。それに、装備の手入れも必要だからね」

「そうだの」

 無論、連結路とて安全ではない。

 だが、この広い荒野に陣取るよりは、いくらかマシだった。

「こちらも少しばかり面白そうな話があるわい」

「それは楽しみだ」

 ああ、まったく。本当に、どこまでもおかしなことになってきたものだった。

 

 

 

 鬱蒼とした森林が広がっていたはずの五九階層は、見る影もなかった。

 酷く焼き払われ、荒廃したその光景は、いっそ懐かしいほどだ。

「ふむ……」

 時折見かける面倒な芋虫ども――何しろこやつら体液は迂闊に斬っては刀を痛める――を斬り散らしながら、小さく唸っていた。

 どうやら、先客がいるらしい。戦の音が聞こえてきた。

(いつぞやの猪武者か?)

 獣どもの横やりが入り、決着をつけ損ねた武芸者を思い出す。

 あれからもう数年が過ぎた。あちらもそろそろ脂が乗った頃ではないだろうか。

 であれば、少し面白い見世物が見れるやもしれぬ。

 少しの期待を抱きながら、戦場へと近づく。

 だが――

(違うな……)

 あの時の武芸者ではなかった。

 小人に、『どわーふ』。人の娘、『えるふ』なる耳長娘ども。

 薄着を好む褐色肌の娘らは『あまぞねす』というやつか。

 他に、獣人らしき若造。他に、後詰の者どもが幾人か。

 おそらくは、『神の眷属』……冒険者なる者どもの軍勢であろう。

 確か、『ふぁみりあ』といったか。

 対峙するのはおそらく件の異形。禍々しくもどこか美しくもある娘のような姿へと変貌していた。

 

 劣勢なのは小人どもの軍勢だった。

 それは、誰の目にも明らかであろう。

 

(そう長くは持つまいな)

 陣は崩れ、士気は底を打っている。

 後詰の者どもも、件の芋虫に囲まれ、まさに命運は風前の灯火であった。

 そのような有様だ。この者達の所属を示す旗印は確認できない。

 まさかすべてが燃え尽きているとは思えないが、掲げている余力も失っているようだ。

 

 横やりを入れるべきか。それとも、入れぬことこそが情けであろうか。

 

「あの怪物(モンスター)を、討つ」

 思案していると、槍を携えた小人が気勢を上げた。

 少々驚きだった。この時代においても小人は冷遇されていると耳に挟んだことがあるからだ。

 しかし、これは違う。間違いなく、あの小人こそがこの軍勢の長だった。

(さて、戦況が読めぬ愚か者か……)

 見知らぬ者たちだが……多少、興味がわいてきた。

 幸い、異形も芋虫も小人どもの軍勢にばかり注視しており、こちらには気づいていない。

 しばし静観するとしよう。

(これは、なかなか……)

 その小人は、なかなかの扇動家だった。

 その激励に応じて、少しずつだが確かに士気が回復しつつある。

 だが、まだ足りぬ。息を吹き返すには、もう一押しが必要であろう。

 ……果たして、その扇動家は、最後の一押しを用意していた。

 

「それとも、ベル・クラネルの真似事は、君達には荷が重いか?」

 

 その問いかけの真意を、私は今一つ察し切れなかったが。

 しかし、彼らにとっては、最大級の激励となったらしい。

「――雑魚に負けてられっかッッ!!」

「……上等じゃない」

「あたし達も、『冒険』しなきゃね」

 主力と思しき者どもは言うに及ばず、後詰の者どもまでが士気を取り戻していく。

「斧を寄越せぇ!」

「お前達、私を守れ!!」

 それどころか、すでに息絶えているとばかり思っていた『どわーふ』の男と『えるふ』の娘までが立ち上がるほどだった。

 

「なかなか面白い」

 例えここで潰えるとて、彼らに横やりは必要はあるまい。

 戦の邪魔にならぬ程度に距離を取り、手頃な岩に座す。

 その頃には、最後の合戦が始まっていた。

 小人どもの軍勢に、もはや余力はない。この突進が止められたなら、仕切り直しはできまい。

「―――うぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 その小人はただの扇動家というだけではないらしい。

 先陣を切って敵へと襲い掛かり、双槍を用いては悪鬼羅刹の如く荒れ狂う。

 あるいは、勇猛と伝え聞くファローザの獅子騎士団もあのようなものだったのか。

(先ほどの魔術の効果か)

 自らの戦意を高揚させる。あるいは、己を狂奔させる。

 そのようなものだったらしい。

(思い切ったことをする)

 将が指揮を捨てる。まさに乾坤一擲の大博打。

 だが、良い手だ。

 最前線で奮戦する将を見て、士気が高揚せぬことなどあるものか。

 しかし、兵士同士が斬り結ぶだけが戦ではない。

「【火ヨ、来タレ――】」

 あの異形は、魔術師――否。攻城兵器というべきであろう。

 直撃を許せば、私とてただでは済まぬ。それほどの魔力を、一点の淀みもなく束ね上げていく。

「【―――代行者ノ名二オイテ命ジル与エラレシ我ガ名ハ火精霊(サラマンダー)炎ノ化身(ケシン)炎ノ女王(オウ)】 」

 その一撃が放たれれば、それで終いだ。

 息を吹き返した『えるふ』の娘もまた詠唱を行っているが、さて間に合うかどうか。

 この世界の魔術は広大な範囲を焼き払える反面、とかく詠唱に時がかかりすぎる。

 まさに一長一短といったところか。

 もっとも、時間が必要なのは異形とて同じこと。

 そして、この世界の将兵が、その弱点を把握していないはずもない。

「あああああああああああああああああああああああッッッ!!」

 狂奔しているとはいえ、完全に理性がないわけでもないらしい。

 もっとも単純で、豪快で――しかし、合理的な選択を、その小人は選んで見せた。

 渾身の投擲。放たれた槍は異形に何をする暇も与えず、その口腔を穿つ。

 詠唱が中断されるどころか、魔力が暴走した。

 あれほどの魔力だ。中断するのも容易ではないということか。

 攻勢は止まらず。

 だが、その異形もまた正しく怪物であった。

 魔力を燃やし、すぐさま傷を癒していく。

 いやはや……斬ればひとまず死ぬことには死ぬ不死人とはまた違う怪物であるらしい。

(いや、そうでもないか?)

 不死人も大概にしぶとく、『ソウルの業』が未熟なものでは一度殺すにも苦労すると聞く。

 実際、あの黒衣の剣士は脳天を叩き斬っても、それだけで息絶えることはなかった。

「【突キ進メ雷鳴ノ槍代行者タル我ガ名ハ雷精霊(トニトルス)(イカズチ)ノ化身雷ノ女王(オウ)】」

 その異形も、すぐさま反撃に打って出た。

 範囲よりも早さを優先させたらしく、比較的短い詠唱を行う。

 と、いっても。

「【サンダー・レイ】」

 基本となるのは――砲身となるのは、その巨体だ。人にとっては充分に広域といえる。

「【ディオ・グレイル】!」

 濁流の如き雷を迎え撃つのは、驚いたことに後詰の一人と思っていた『えるふ』の娘だった。

 その娘は魔力によって作られた盾をかざし、その濁流の前に立ちはだかる。

 蛮勇であろうか。

 否。その娘は二人の『あまぞねす』に支えられながらも見事その雷を相殺して見せた。

 流れは未だ小人どもの軍勢にあり。

 これは、思った以上に面白い。

「【焼きつくせ、スルトの剣――我が名はアールヴ】!!」

 そして、もう一人の『えるふ』が詠唱を紡ぎ終えた。

「【レア・ラーヴァテイン】!!」

 高らかなる宣言。

 続けざまに立ち昇る巨大な火柱。その数は一〇。

 呪術の奥義【炎の嵐】とてああはいくまい。

 あるいは、その原型となった――伝説にのみ残る、開祖の秘儀にも並ぶだろうか。

 そんな夢想が胸をよぎるほどの劫火が異形を飲み込み、その巨体をたやすく蹂躙する。

 果たしてこの決定的に流れを変える――逆転の烽火となりえるか。

『――――アアアアアアッ!!』

 その異形の娘だけであれば、そうなっていたであろう。

 だが、その異形は伏兵を用意していた。

 否。この異形こそが先兵か。

 ともあれ、地面を貫き夥しい数の緑槍が打ち出された。

 それはたちまちに円陣となり、異形の娘を守る砦となる。

 小人と獣人が突撃するが、破れない。見た目以上に堅牢であるらしい。

 突撃が食い止められる。勢いが失われればあの小人どもの負けだ。

 余力は残っていない。次に術が放たれれば死ぬ。

 勝ちを拾うには、もう一手必要であろう。

「何じゃあ、口だけかフィンッ!?」

 その一手を受け持ったのは『どわーふ』の古兵だった。

 先の二人が手を焼いた緑槍の城壁を、いともたやすくかち割っていく。

 驚くほどの剛力だ。

 遠目にも重厚な拵えと分かる大戦斧の方が耐え切れず砕け、拳のみでさらに城壁を粉砕していくほどである。

 いや、剛力ばかりではない。その生命力も驚くばかりだ。

 城壁を砕かれ黙っているはずもなし。

 下層にいる伏兵――あるいは将か――は、さらなる援護を行った。

 再び打ち上げられる緑槍。それは正しく槍衾となって、その古兵を串刺しにする。

 

「温いわぁああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 しかし、それすら無視して、その古兵は城壁をこじ開けて見せた。

(案外と、あやつも不死人なのやもしれん)

 もっとも、ここは誰も『火継ぎの儀』を知らず、しかし『火の陰り』はなく、不死人もいないという奇怪な世界なのだが。

 しかし、私以外にもいくらかはいるようでもある。

 あの古兵がその一人だとしても驚くことはあるまい。

 いずれにしても、城門は開かれた。三度槍衾が迫るが――

「焼けちまえええええええええええッ!!」

 具足に炎を纏わせた獣人が飛び込み、それらを悉く叩き落す。

 無論、小人の将も――おそらくはフィンという名なのだろう――また、手にした槍を振るって最後の敵兵を駆逐する。

 敵の本陣へと踏み込んだ。ならば、後は敵の首級を落とすのみ。

 その栄誉を給うのは、金髪の人の娘。

 いや――

(これは違うな)

 その娘が纏う風。そのいくらかは私のもとにも届いている。

 それは、そう。()()()()()()()()()()()であった。

 遠い昔、呪いを恐れるがあまりどこぞへと逃げだし、知らぬ間にのこのこと戻ってきた凡夫(かみ)どもの気配によく似ている。

 だが、違う。

 むしろ、これはあの異形の娘と同じものだ。

 弱肉強食。獣の理。

 殺し、奪い、己が糧とする。すなわち原始の欲求。

 恐ろしく巧妙に隠されている……いや、あるいは本人すら自覚していないのかもしれぬが。

 いずれにせよ、この『風』にもそれが宿っている。

 いや――

(この気配、以前どこかで……)

 違う。もっとよく似た何かをどこかで知っているはずだ。

 獣の気配だけで、不快になるはずもない。別の理由がある。

 目を伏せ、記憶をたどる。

(そう、これは……)

 王のもとを去り、各地を彷徨う最中、偶さか出会った【闇潜り】なる者ども。

 怪しき邪法を扱う彼らが信奉していた『深淵』なるもの。

 あるいは、あの黒衣の剣士が扱った陰すら生まぬ暗い炎。

 それらに、どこか似ていた。

 

 そう。それほどに、暗い風だった。

 

「何故そこまで堕ちたかは知らぬが……憐れなものよ」

 もっとも、私も今やあの娘と同じく剣鬼に堕ちた身だ。

(だからこそ分かるのやもしれぬな)

 この『風』の本質は滅び。いかなる恵みも実りも運ばぬものだと。

 

 そして、

 

「リル・ラファーガ」

 

 ついに凶風が解き放たれた。

 

『【ライト・バースト】!!」

 同時、異形の娘もまた閃光を解き放つ。

 地に堕ちる凶風。天を目指す閃光。両者は真正面から激突する。

 拮抗は一瞬。

 凶風は、その白き閃光を蹂躙し、異形の娘の首を吹き飛ばす。

 それでも勢いはやまず、地面へと激突した。

 どうやら、あの異形の娘も魔石を有していたと見える。

 その一撃と共に体は瞬く間に灰となり、凶風に霧散させられた。

「ふむ……」

 あの娘が何者かは定かではないが……しかし、なかなか面白い戦ではあった。

「何とも危なっかしい戦ではあったが」

 しかし、負け戦を覆すは戦場の花。

 であれば、彼らの戦ぶりはこれは文句なく天晴なものである。

「見事だ」

 勝鬨を上げる彼らに、心からの敬意をこめて呟く。

 まったく、素性が知れぬのが悔やまれるほどだ。

(見事な戦ぶりであった)

 胸中で、もう一度賞賛の声を上げる。

 しかし――

(何といったか……)

 逆転の転機。反撃の烽火となった小人の激励。

 

『ベル・クラネルの真似事は、君達には荷が重いか?』

 

(ベル。ベル・クラネルか……)

 あれほどの劣勢の中。あれほどの将兵たちを、その名だけで奮い立たせた何者か。

 いったい、それはどのような者なのか。

(実に興味深い)

 その者を探すべく、久方ぶりに地上に足を運んでみるとしようか。

 思わず、そんなことを思うほどに。

 

 

 

 血と灰の匂いに満ちた大聖堂の奥。

 そこにある執務室にて、一枚の書簡に目を通す。

 五八階層に送った草からの報告書だった。

「ふむ……」

 私が送り込んだ牛頭のデーモンどころか、エニュオどもの先兵までが敗れたらしい。

 なるほど、【ロキ・ファミリア】とは、思ったよりも手ごわい相手であるようだった。

「どうやら、少々慢心が過ぎたか」

 自らの矜持を捨て、神の奴隷(おもちゃ)となり果てた愚者どもと思っていたが……奴隷には奴隷なりの矜持とやらがあるらしい。

 まったく、煩わしいことだ。

 これでは、顔を立てるどころか、泥を塗ったと誹られることになるやもしれん。

(いや、それほど愚かでもあるまい)

 レヴィスなる女と、彼女に仕える同胞も動かなかった。

 慢心したのは彼奴等も同じ。あるいは、何か別の思惑があるのか。

 それとも、ただ単にあちらも一枚岩ではないだけか。

 いずれにせよ、自分たちを棚に上げ、文句を言うほど愚かでは――

「いや、やりかねんか」

 あちらには神々が与している。自らの栄華のために我らを謀り、焼き殺すために偽りの救いを説き、死地へと誘った神々の生き残りが。

 ならば、その程度のことはしてこよう。奴らに恥などあるはずもないのだから。

「まぁ、どうでもよい」

 今一度、そして今度こそ奴らを焼き尽くし、喰い殺す機会を得たのだ。

 今はただ深く、静かに、そのための準備を整える時だ。

 それに、程よく肥えてからでなくては喰いでもない。豚と同じだ。

(ようやく安定してきたか……)

 伝説に残るデーモンの母体。炎の魔女イザリスのなれの果て。

 その名を『混沌の苗床』。

 この大穴の性質と、かつてイルシールで見出した『罪の炎』。そして、我らが女王の力。

 それらを組み合わせて生み出したその『苗木』は、ようやく大穴に根を張ってくれた。

(ああいや、エニュオどもも貴重な協力者だったな)

 牛頭や山羊頭しか生み出せぬことに悩んでいた時、彼らからもたらされた『宝玉』は素晴らしく貴重な発想をもたらしてくれた。

 食糧庫(パントリー)の支柱――英石(クォーツ)に寄生させれば、生まれるモンスターを変化させ、モンスターどもに寄生させればより強大なものに変容させる。

(まったく、蒙を啓かれるとはあの事だ)

 私もまだまだ頭が固い。自戒の念も込め。この『苗木』にその性質を組み込ませた。

 そして、いよいよその『果実』も実り始めていた。

 もっとも、ただ真似るだけでは名折れだ。多少は独自の発想を加えてある。

(我ながら、なかなか面白い趣向だと思うのだがね)

 その『果実』を見ながら呟く。

 そろそろ、こちらも寄生以外の方法を試す時期であろう。

 もっとも、仮に失敗していようとも、戦力の供給という意味では問題ないのだが……。

(もし、真に私の理論通りの作用を持つならば……)

 悪い癖が出ている。

 私も元はといえば一介の魔術師に過ぎない。

 そして、魔術師とは叡智を求めるものだ。

 理論を構築しながら、その正しさを立証できないというのは何とももどかしい。

(これでは、我らが女王を笑えんな)

 ゆるゆると首を横に振り、自嘲した。

 しかし、気になる。こればかりはどうにもなるまい。

 無事に立証された暁には、さらに利用価値が高まるのだ。

 残念ながら最優先にはできないが、時を見つけては研究を進めるとしよう。

「しかし……」

 気になるといえば、もう一つ。

 

 何故、人の膿を宿した個体が生まれるのか?

 

(『女王』の力の影響か?)

 可能性としてはそれが最も有力だ。

 というより、現状では他にもう一つくらいしか思い浮かばない。

(まぁ、好都合だが)

 戦力増強という視点で見ればまったく問題はない。

 もっとも、不満がないわけではない。欲を言うのであれば――

(もっと安定して宿ってくれるとなお良いのだが……)

 何しろ、我らが宿敵である【王狩り】が再び目覚めたのだ。

 戦力などいくらあっても余ることはない。

 例え一〇〇度殺しても、それでもしぶとく這い上がってくるのがあの怪物だ。

 他にも少々厄介な相手がいくらか存在している。

 手を組まれるようなことがあれば厄介であり……そして、その可能性は高い。

 少なくとも、我が軍門に下る可能性と比較すれば、圧倒的だ。

 となれば、この大穴をデーモンで溢れさせるだけの気概が必要となろう。

「ふむ。まぁ、暇ができたならもう少し探ってみるとしよう」

 もっとも、生憎とやるべきことは多く、使える駒は少ない。

 せめてもう少し知性を持った配下が増えない限り、暇などとてもできそうにないが。

 

 

 

 大聖堂――と、この拠点をそう呼ぶには少々見栄を張りすぎだと我ながら思う。

 とはいえ、ここがこの『時代』……この『世界』において私達【黒教会】の中心地だというのは事実だった。

 敬虔な信徒や迷い悩める民がいつ訪ねてきてもいいよう、それなりに体裁は整えてある。

 しっかりとした文明が残っているこちらでは、その『それなり』の基準も高い。

 内装だけを見るなら、かつての大聖堂とそこまで見劣りはしないはずだ。

 ……あるいは、人によっては上回っていると思うかもしれないが。

「ユリア様……」

 かつて失われていた陽光が世界を照らし始める頃、メレンに派遣していた【白い影】の一人が戻ってきた。

「どうだった?」

 何者かが大量の闇霊を家の街に召喚したという報告は昨夜のうちに届いていた。

 布教のために赴いていた者たちに対応させたが……しかし、如何せん急なことだ。

 無辜の民を逃がすことで手一杯。とても原因追及まで手が及ばなかったという。

 不本意だが……仕方のないことでもあった。

 かつて【白い影】と名乗っていた者たちと比べればどうしても練度が足りない。

 いかに『ソウルの業』を会得し、あるいは『暗い穴』を穿ち真なる人となったとして、肝心のソウルが足りない。『暗黒期』が終わってからは神を殺すことも難しくなった。

 少数で目立たぬようにダンジョンに送り込んでいるが、神の犬(ぼうけんしゃ)どもは鼻が利く。

 それにあれで意外とギルドの職員も優秀であり、何度か怪しまれていた。

 浄化活動を本格化させるには、今少し時間が必要と言わざるを得ない。

 だからこそ、この騒ぎは軽視できなかった。

(【ロキ・ファミリア】が不在だったのは幸運だな)

 リヴィラの街に滞在する信徒からはまだ帰還の報はない。

 あの道化と雑兵どもは残っているだろうが……何とかいう小人の長はいない。

 噂を耳にしたとして、さほど大規模な動きはとれまい。

 問題は――

(ヘルメスと、ディオニュソスといったか)

 特にヘルメスなる神は、歓楽街での一戦に関与しているという報告もある。

 警戒を要するが……しかし、厄介なことにこの神の派閥は驚くほど隙が少ない。

 一方的に利用されたのか、それとも何かを知っていてあえて利用されたのか。

 それすらまだはっきりとしない。

(仮に後者だった場合、思わぬ窮地に追いやられかねない)

 もちろん、あのヘルメスとやらが何を知っているかにもよるが。

「表向きは、【ガネーシャ・ファミリア】の者どもが鎮圧したことになりました」

「そうだろうな」

 およそ一〇〇名ほどが夜の闇に紛れて出立したと報告を受けている。

 そも、メレンにはいわゆる『冒険者』は存在しない。

 闇霊の一団を相手に、メレンの民だけで対応できるとは初めから考えていない。

 解決したというなら、外部からの協力者がいたと見るのがむしろ自然だった。

「闇霊を召喚した者が誰かは分かったか?」

 一、二体ならともかく、大量にとなると単なる闇霊の侵入ではない。

 まず間違いなく誓約霊だ。

「詳しくはまだ。ただ、【死の瞳】なるものが用いられたと象神の眷属どもは話しておりました」

「それは……」

 思わず驚嘆の息を漏らしていた。

「誰だか知らないが、随分と古臭いものを持ち出してきたな」

 その名前は、カアス様から聞いたことがある。

『王のソウル』を見出した最初の三人。【最初の死者】こと墓王ニトを主とする誓約である【墓王の眷属】に与えられるアイテムだったはずだ。

(確かに、墓王の名に恥じぬ誓約だったと聞いているが……)

 その効果として、闇霊を無尽蔵に呼び寄せる効果があったはずだ。

 状況的に、真実だったとみるべきか。

「ご存じなのですか?」

「名前だけはな」

 残念ながら、私も詳しいことは知らない。

 何しろ、誓約主である墓王ニトは我らが王が最初の巡礼を果たした時に殺されている。

「私が生まれた頃にはとうに廃れ、忘れられた代物だ」

「なんと……」

「おや、何に驚いたのかな?」

「い、いえ別に……」

 慌てて言葉を濁すその『影』に苦笑して見せる。

 もっとも、この者どもより遥かに長く生きているのは事実だ。

 そして――

(この地には私の想像よりはるかに幅広い時代から同胞が流れ着いているようだな)

 少なくとも三人は、私より古い時代に生まれたものがいる。

 我らが王。アン・ディール。そして、その【墓王の眷属】だ。

(やれやれ、此度の巡礼も過酷なものとなるな)

 もっとも、是非もないことだ。

 いかなる時代であれ、『火の時代』に生きた者なら、この『世界』を許せるものか。

 ならば、例え志を共にすることはなくとも――

(その者たちもまた、無為にはならない)

 彼らの(ソウル)もまた、悲願成就の糧となる。

 あるいは、我らが斃れ糧となるのか。

 

 無論、志半ばで斃れるつもりなど欠片もありはしない。

 私の全ては、我らが王のためにあるのだから。

 

「そして、我らが王も今はメレンにおられる様子」

 小さく咳払いをしてから、『影』が続ける。

「ほう?」

 もっとも、驚くべきことではない。

 オラリオにほど近く、しかしオラリオではない場所だ。

 現状、ひとまず身をひそめるには都合がいい。

 問題は――

「この騒ぎは我らが王を狙ったものだと?」

 その【墓王の眷属】の狙いだ。

「そちらについても、まだ確かなことは」

 恥じ入るように『影』が項垂れる。

 そして、続けた。

「この一件と関係があるかは定かではありませんが、かの地にいる神とメレンの当主、そしてギルドの支部長は結託して密輸に手を染めていたようです」

「ふむ……」

 驚きだが、意外性のない話だった。

 元々、オラリオ――ダンジョンという無尽の宝物庫に近いメレンは密輸業者の集まる所だ。

 ギルドに締めあげられている連中が手を出したとしても不思議はない。

 驚いたのは、そこにギルドまで絡んでいたことだが――

(長からして凡夫だったな)

 権威を振りかざすばかりの老エルフを思い出し嘆息した。

 醜く肥えた――オラリオの腐敗の象徴のような男の部下だ。

 私腹を肥やそうとして何の不思議があろうか。

「加えて、フィリア祭で目撃された『新種』が襲撃したことも確かのようです」

「あの変質した魔石を持つモンスターか」

「はい。魔石もいくつか回収しております」

 その『影』は以前、リヴィラの街にいる『影』が送ってよこしたものと同じ魔石を差し出す。

「これは闇派閥(イヴィルス)残党が関与しているはずだな」

 誰に言うともなく呟くいた。

 シャランの情報をもとに、今も調査は進めている。

 もっとも、本当に『拠点』に引きこもっているらしく、新しい情報はほとんど集まらない。

 集まった情報もどこまで正確なのだか。

(やはり、まだ練度が足りないか……)

 内心で嘆息する。

 不足しているのは、単純な戦闘能力ばかりではない。

 だが、それも仕方がない。

 今の信徒の多くは神やその下僕の暴虐さえなければ――そして、あの『穴』から『呪い』が噴き出さない限りは――何事もなく平穏な生を送れたやもしれぬ者達だ。

(いや、そうとも言い難いか……)

 簡単に神どもを鏖殺できない最大の理由は、ダンジョンがあるからだ。

 あれへの対処法が完成しない限り、あまり積極的には動けない。

 無限にモンスターを生み続ける大穴に【黒教会】のみで対応できるかと言われれば不可能だ。

 当面は、少しずつ間引いていくのが限界であり……その構造がある限り、冒険者の存在も必要悪として黙認せざるを得ない。

 奴らがいなくなれば、今度は多くの者がモンスターの暴虐に悩まされることになるのだから。

(さて、アン・ディールはどうするつもりかな)

 あちらとて同じジレンマを抱えているはずだが。

「もしや、アン・ディールなる魔術師の仕業でしょうか?」

 その呻きが聞こえたかのように、『影』が言った。

 ふむ、と小さく唸る。

 伝え聞いた限り、【狂人】アン・ディールは異形の怪物を生み出す邪法に通じているはずだ。

 その術を用い、ダンジョンのモンスターを変容させ、あえて闇派閥(イヴィルス)と通じては、王の覚醒を促すため、試練を課している。

 その想像は、それなりに現実味があるように思えた。

(しかし、そうなると……)

 エニュオなる存在は、アン・ディールないしその配下という可能性が高くなる。

 この一派がオラリオの破壊を企んでいるというのはまず間違いあるまい。

 おそらく、アン・ディールもまた同じようなことを考えているのは想像に難くない。

 また、そのために神の眷属どもを利用するというのも理解できる。

(この場合、神亡き後にダンジョンを管理する術も完成していることになる)

 だが、この理屈ではどうしても説明がつかないことがあった。

闇派閥(イヴィルス)どもを間に噛ませたところで、それが何になる?)

 最初に『火継ぎの儀』に対する疑念を提示したのはそのアン・ディールだという。

 そして、彼が歴史に初めて名を遺したのは貴壁の大国ドラングレイグの建国。

 その大国は滅んで後、巡礼地となり……そこで『玉座』に至ったのは我らが王である。

 火継ぎを終わらせた我らが王と、それに疑念を抱いたアン・ディール。

 この両者が同じ時に生きていたというのは単なる偶然ではあるまい。

 我らが王はアン・ディールの事をよく知っているはずだ。

 ならば――

(そのような小細工をしたところで、すぐに看破されるだけだ)

 アン・ディールが、それを理解できぬような愚か者であるはずがない。

 それならば、この小細工にはいったいどんな意味があるというのか。

 いったい誰に対する偽装だというのか。

 それならむしろ――

(あの『新種』を生み出しているのは、アン・ディールではない)

 そう考えた方がはるかに自然だった。

「今しばらく、メレンの動向を探れ」

 黒幕の動向も気になるが……それとは別に把握しておきたいことがあった。

「それと、街の有力者にも信徒はいたはずだな?」

「いくらかは」

「ならば、すぐに新たな指示を伝えろ」

 高い木ほど激しく倒れるともいう。

 オラリオほどの『大木』を倒そうと思うなら、他にも色々と下準備が必要だった。

 

 

 

 潮騒を煌めかせながら、朝日が昇る。

 常と変わらぬ光が照らすのは、変わり果てたメレンの街並みだった。

 駆け付けた【ガネーシャ・ファミリア】九〇名のうち、一〇名が命を落とし、一三名が瀕死の重傷。そのうち三名が再起不能の恐れありとの事だった。また、治療のため一時戦線離脱を余儀なくされた者なら二〇名に上る。

 今メレンで活動している団員は半数ほど。無論、その団員達も決して無傷ではない。

 一方、住民の死傷者の数は今だ不明。

 負傷者の数すらまだ正確には把握できていなかった。

 今も当主とあの神、そして真っ先に戻ってきたあの若頭とギルド支部の有志達が確認のために駆け回っている。もちろん、残っている【ガネーシャ・ファミリア】の団員もだ。

 しかし、それでも確認作業は難航しているそうだ。

 収容できた遺体の多くが酷く損傷している。そもそも、食人花(ヴィオラス)に喰われてしまえば遺体すらろくに回収できない。

 現時点で行方不明となっている住人の何割かは行方不明のまま弔われる事になるだろう。

 

 もっとも、舞い込んでくるのは悲報ばかりではない。

 

 モンスターの脅威をほぼ感じずに生きていける場所などオラリオくらいなものだ。

 多くの集落は――例え充分ではないにしても――モンスターの襲撃に対する備えをしている。

 もう一つの出口があるこのメレンが、数年の安寧の間もその備えを怠るはずもなかった。

 自宅ないし、各種店舗や施設の一部に設えられた小規模な隠し部屋に身をひそめ、難を逃れていた住民は案外多い。

 あるいは、闇霊どもがギルドや避難所にばかり集まった結果とも言えるだろう。

 問題は、むしろ避難所まで逃げ切った者達だ。

 ……いや、彼らが無事に辿り着けた理由というべきか。

「どうやら、俺達以外にも物好きはいたらしいな」

「そうらしいね」

 呟くと、傍らでアイシャもまた肩をすくめた。

 無事に避難所まで逃げ延びた者達の何人かは、誰かの手助けを受けたという。

 もちろん、その中には俺達も含まれているが――

猫人(キャットピープル)の女に、おかしな格好をした一団」

 前者はともかく、後者には心当たりがあった。

 と、いうより。ようやく尻尾を掴むことができた。

(これは、どう見ても『死の娼婦』だな)

 シャクティから貰った『似顔絵』を改めて見やり、呟く。

 装束全体を見れば、オラリオ風に仕立て直されているが……この仮面は間違いない。

 ロンドールの刺客たちが纏う金仮面。優しげな女の微笑を模ったそれは、≪微笑の仮面≫と呼ばれるものだった。

(やはり、いるのか……)

 この前ダンジョンで仕留めたアンデッド――そいつに穿たれていた『暗い穴』といい、この仮面と言い……ロンドールに連なる者がいるのはもはや疑いない。

 となれば、まさかオラリオを前にして黙っているはずもなかった。

(いや、あいつらただの生者とも対立しているんだったか?)

 もっとも、別に不自然な話ではない。

 生者たちに忌み嫌われる不死人達の国だ。対立しないはずがない。

 問題は、今この時代。最初の火はなく、不死人もいないこの世界において彼女達が何を思って行動しているかだ。

 

(不死人こそが真なる人。その教義を今も忠実に守っているなら……)

 

 だとするなら、手当たり次第に『暗い穴』をばら撒く可能性は充分に考えられる。

 その場合は敵対せざるを得ないだろう。アンリ達を利用した事を差し引いてもだ。

 亡者まで氾濫したなら、何のために火を消したのか本当に分からなくなる。

 

「それと、女エルフにバケツ頭の戦士だっけ?」

「…ああ、そうだな」

 内心の動揺は、果たして無事に隠し通せただろうか。

 アイシャの言った戦士。その特徴はよく知っていた。

(これは、太陽の聖印(ホーリーシンボル)だ)

 その戦士に助けられたという少年はなかなか絵心があったらしい。

 特別な力が宿っているわけでもないそれは、しかし遥かロスリックにまで残っていた。

 今さら見間違えるはずもない。

 再会を望んでいた。それは本当だ。

 だが、その可能性を突き付けられた途端、躊躇いを覚えている。

 ああ、まったく――

 

(本当に今さらだな)

 そう。全ての巡礼者への背信だとするなら、当然そこにはあいつも含まれている。

 そんな事は、今さら改めて思い至るまでもないことだった。

 

 ――私達を真実から遠ざけるため、奴らは嘘を吐いたのだ

 

 ――奴らの虚言に踊らされ、我らは悲劇を繰り返してきた

 

 あの時、ロードランで『火継ぎの儀』を()()()()()()()が故に連鎖した悲劇。

 それに巻き込まれた――そして、この手で殺した後輩たちの言葉は、今も耳に残っている。

 俺は、火を継ぐことで彼らを騙し、その彼らをもう一度裏切って火を消したのだ。

(つくづくままならないな)

 そう。火は消した。無数の悲劇を生み続けてきた『火継ぎの儀』を終わらせたはずだ。

 だというのに、神どもは再び何かを企み、人を誑かしては新たな巡礼地(ダンジョン)へと追いやっている。

 それを知りながら、俺は今もまだ地上で燻っている。

 いや、それどころか――

(今頃、グヴィンはほくそ笑んでいるだろうな)

 ――いずれにせよ、今更どの面下げて会えばいいのやら。

 アン・ディールは……因果に敗れた者同士だ。お互いに何を恥じ入ることもない。

 ユリアとは、どうせかなりの確率で殺し合いになる。

 あの名も知れぬ闇霊や変態ならなおさら。

 だが、あいつとは……。

「とりあえず、優先して探すのは【黒教会】……この奇妙な集団と、その女エルフだ」

 呻いていても仕方がない。ひとまずシャクティからの依頼をこなすとしよう。

 食人花(ヴィオラス)の生き残りを探しつつ、この『協力者』と接触を試みる。それと並行して生存者の探索も任されていた。いや、それは手の空いている者は総出で行っているが。

(……ええい、相変わらず人を便利屋扱いしやがって)

 とはいえ、彼女達の援軍がなければ昨日の夜は乗り越えられなかった。

 それを思えば、この程度の対価は支払ってしかるべきだろう。

 それに――

(そもそも俺自身も、まだどれだけの脅威が潜んでるか分からないからな)

 あるいは、この巡礼の終着に向かうための『手順』というべきか。

 若干言い訳臭いが、今も足元がふらついている理由の一つと言っていい。

 それに……また例によって、いくつもの思惑が絡んでいるのは分かっていた。

(大雑把にでも関係図を把握しておかないと、俺も迂闊に身動きが取れないんだよな)

 敵と味方で綺麗に二分できるとは思っていないが……せめてアタリをつけておきたい。

 今回の巡礼は目につく敵を全て皆殺しにすればいいわけではない。

 誰がどの程度信用できるか。あるいは、どういう範囲でなら当てにできるのか。

 

 何より、どんな思惑を抱いて、この『巡礼』に加わっているのか。

 

 そういう事前の調査を疎かにすれば、思わぬところで背中から刺されかねなかった。

「【黒教会】ってのは、確か『暗い穴』とかいう呪詛(カーズ)をばら撒いてる連中だったね?」

「ああ。ついでに言えば、俺は少しばかり因縁がある」

「あんたが因縁のある相手なんて、別に珍しくないだろう?」

「……そうか?」

 いや、そうかもしれない。

 オラリオにある派閥のいくつかとは――あの糸目の小僧やらアバズレやら――とは因縁があると言っていいわけだし。

「んで、何で女エルフも優先するんだい?」

「そりゃ素性が知れないからだよ」

「……素性が知れないのは猫人(キャットピープル)もだろう?」

 それは全くその通りなのだが。

(腕の立つ猫人(キャットピープル)の女といえば……)

 某飲食店の店員の顔が思い浮かぶ。

 しかし、同僚の暴走妖精(バーサーカーエルフ)でもあるまいし、わざわざ関わってくるだろうか。

(買い出しで来てたとか?)

 いやいや、たかだか三Kmの距離だ。

 あの絶対王者(ミア)が泊まり込みで使いに出す訳がないし、実際あいつらには必要ない。

 少なくとも給仕の四人娘たちには。まぁ、最後の一人は、ちょっとよく分からないのだが。

 最悪の場合、給仕五人衆最恐――もとい、最強という可能性も無きにしも非ずというか……。

「……ところで、競りって何時からだったっけ?」

 怖い想像を振り払ってから、念のため確認しておくことにした。

「はぁ? そんなこと私が知るわけないだろう」

 そりゃそうだ。メレンに滞在するのも今日で四日目だが……まぁ、なんだ。

 ……お互いに朝は遅く、競りなど見に行ったことがない。

「まぁ、朝市っていうくらいだし、今より少し早いくらいじゃないかい?」

 となると、朝日が昇る頃にオラリオを出れば余裕で間に合う。

 少なくとも、彼女達なら。

(やはり違うのか?)

 となると、その猫人(キャットピープル)についても調べる必要が出てくるわけだが。

 とはいえ……。

「まぁ、正直な話、シャクティからそう言われてるんだ」

「なら、最初からそう言いな」

 半眼で睨んでくるアイシャに、小さく肩をすくめて見せる。

 もっとも、彼女に言われずともエルフを優先していたが。

 理由は色々とある。

「それに、このエルフは目撃された区画がごく限られているからな。一番探しやすい」

 その中で、もっとも無難な理由を口にした。

「それがここだって?」

「シャクティが言うにはな」

「ま、エルフらしいといえばらしいかね」

「……あいつらって、普通は森の中で生活してるんじゃなかったか?」

 もっとも、アイシャの言葉に思わず納得していたが。

 俺達が今いるのは洒落た邸宅が立ち並ぶ区画だった。

 当主たちによれば、これらの邸宅は昔からメレンを利用している豪商達の別荘や彼らが雇う一級船員たちの宿舎だという。

 観光用の区画と比較しても見劣りしないほど上品な区画だ。至るところが破壊された今でも、どこか気品を感じる程度には。 

 と、それはさておき。

「この辺りは、隠れ家を用意するにはちょうどいい」

 オラリオ内に居を構えるよりはずっと安く、しかも大切な商船から遠く離れずに済むということで、今もかなり栄えていると彼らからは聞いているし、実際に栄えていたのは間違いなさそうだ。

「そりゃそうさ。常に大量の人間が出入りする区画だからね」

 この街において身をひそめるなら、同じく水夫たちが出入りする倉庫街と並び理想的だった。

 ……もっとも、ここに居を構えられるほどの予算があるのなら、だが。

「それで、具体的にはどうする気なんだい?」

「本人たちと接触できるなら、それが理想的だが……」

 いや、そうとも言い難いか。

 凝ったままソウルではとてもユリアとは戦えない。

 そして、正体不明の女エルフがユリアに劣ると断定するのはあまりに傲慢だろう。

「まずは正体に繋がりそうな手がかりだな。拠点が見つかればなおいい」

 正確には()()()()()を、だが。

 何しろ、まだアイシャの改宗(コンバージョン)が済んでいない。となると、いつものようにどのような脅威があるかを『死んで覚える』というわけにもいかなかった。

「拠点ねぇ……」

 アイシャが、改めて壊れた街並みを見回す。

「まさか片っ端から扉を蹴破って踏み込むつもりかい?」

「それは後回しだな」

 ソウルから新たな羊皮紙を取り出す。

「それは?」

「シャクティが寄越した怪しい物件一覧。当主やギルド支部の資料に基づいているらしい」

 夜通し闇霊どもと取っ組み合い、夜が明けてからは街の復興支援やら何やらを受け持つ片手間でよくこんな資料をまとめられたものだ。

「片っ端から踏み込むのは、この一覧を全部見回ってからだな」

「いいけど……」

 何故だか、アイシャが胡乱な目を向けてきた。

「それ、要するにガサ入れを押し付けられたってことだろう?」

「……ええと」

 この街は昔から密輸業界にとっての聖地でもあるという。

 神や当主までが手を染めているほどなのだから、あながち誇張とも限らない。

 そんな街の怪しい物件に踏み込めば、その類のあれこれを見つけることもあるだろう。

(あ~…。だが、ゼノス絡みって可能性もあるか)

 帳簿だの何だのだけならまだしも、()()()()がいた場合は厄介なことになる。

 それを見越しての采配だろうか。

 もっとも、シャクティがゼノス達についてどこまで知っているかは定かではないのだが。

(……下手に聞いて知らなかった場合、自爆じゃすまないからな)

 自分が死ぬだけでは済まないというのは、やはり厄介な話だと、改めて嘆息する。

 もっとも、アイシャにはゼノス達についても説明しなくてはと思ってたところだ。

 この一件は、ある意味好都合と言えないことも――

「……いつものことだろう?」

 などと。あれこれと考えた末、言葉になったのは最も説得力のある一言だった。

 

 と、そんなわけで。

 つつがなくアイシャを説得してから。

 

「持ち主はエルフの名士のロマ・アウリエル。元々は祖父の保養地として用意したが、一度も訪ねることなく病死している」

 苔生した高い壁。表面こそさびているが堅牢な鉄柵。重厚な扉で閉鎖された正門。

 それらに閉ざされて、屋敷そのものは屋根がいくらか見える程度。

「その後、他の連中と同じく交易時の別荘にする予定があるらしく、まだ手放してはいない」

 これが一覧の一番上に書かれている屋敷だった。何なら、住所の下に二重線が引かれている。

 シャクティおすすめの怪しい物件というわけだ。

「もっとも、貿易に手を出すことには慎重であり、予定は未定。したがって管理は業者に完全に委託中。その業者も数ヶ月に一度保全に訪れるだけ、と」

 つまり、誰も住んでいないが、人が出入りしていてもあまり不自然ではない。

 管理者は明白で、書類上の不備もなく、定期的に保全整備されているため、よほどの事がない限り、大きな問題も起こらない。

 長年空き家のままというのも、持ち主が長命なエルフだとすればさほどの不思議はなかった。

 実によくできている。シャクティ一押しというのも納得だ。

「よほどの事情がない限り介入しづらい物件だとシャクティは言っていたが……」

 一覧表をソウルに戻しながら、呟く。

 もっとも、あくまでも法に従うという前提での話だが。

「それで、今回は?」

 ソウルの中から万能鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。

 どうやら、さほど凝った鍵ではなさそうだ。

 何度か動かしていると、カチリと嵌まり込む手ごたえがあった。

「生存者および敵残党の探索って名前の大義がある」

 そのまま捻ると、何事もなかったかのように錠が開く。

 別にこの屋敷に限った話ではない。現時点では、【ガネーシャ・ファミリア】以下探索活動に従事する全ての人員に対して、メレン中の建物への立ち入りが許可されている。

 メレン当主ボルグ・マードックと、ギルドメレン支部長ルバート・ライアン――と、言ってもこちらはギルドが寄越した代理人によるものだが――の署名がなされた正規の命令書がそれを保証していた。

 

 その命令書が発行された時点で、メレンにおいてシャクティ達が公的に活動するための状況は正式に整い、俺達は今こうしてそのおこぼれに与っているわけだ。

 

「そりゃいい。加えて賞金首候補に押し付けとけば万が一の時も安心ってわけだ」

 アイシャの辛口な冗談に小さく笑い返す。

 その辺りは、シャクティの采配次第だろう。あるいは、見つけたモノ次第か。

 ……いや、それ以前の話だ。

(お尋ね者予備軍だからな)

 それと接触を取っているというのは、いかに【ガネーシャ・ファミリア】と言えど都合が悪い。

 俺達も変装は解いていないが……あれだけ暴れたのだ。いつまでも誤魔化せるものではない。

 せめて、なるべく人のいない場所に追いやっておきたいと考えたとしても文句は言えなかった。

 

 もっとも、俺としてもその方が助かるわけだが。

 

「さて、何が出るか……」

 大扉を押し開けると、やっと屋敷が見えた。

 かつては手入れされていたであろう庭はもう見る影もなく、野草の類が思うままに生を謳歌している。それでもまだ正門から玄関までを結ぶ石畳が辛うじて残ってるのは、時折人が行き来があるせめてもの痕跡といったところか。

 その先に建つ屋敷は、この区画にふさわしく上品な造りだが……やはり廃墟というよりない。

 壁は風雨で汚れ、あるいは蔦が絡みつく。窓にもガラスはなく板で塞がれている。

 定期的に管理されているためか目立った破損こそない。ただゆっくりと緑に飲まれている。

 そんな建物だった。

 廃墟には見慣れているつもりだが、これはどこか薄気味が悪い。

 住人のいない家――死んだ建物だというのに、生を感じさせるせいだろうか。

「雰囲気は抜群だね」

 アイシャが小さく口笛を吹いた。

「『ブラムス伯爵』の舞台みたいじゃないか」

「何だそりゃ?」

「あんたが戻ってくる少し前に流行った小説さ。恐怖(ホラー)小説ってやつだね」

 恐ろしい話、悍ましい話など巡礼地ではいくらでも聞けた。

 何なら、俺自身も闇霊とはまた違うゴーストや透明人間に襲われたり、砕いても砕いても蘇ってくる骸骨どもに囲まれた経験がある。

「どんな話なんだ?」

「簡単に言えば、大昔の怪人が夜な夜な処女を襲って血を啜るって話だよ」

 生き血ではないが、ソウルを啜るダークレイスどもとは忘れるほど殺しあっていた。

(それをわざわざ演劇にしたり、本にして売り出すようになるとはね)

 初めて知った時も思ったが……何とも時代の流れを感じる話だ。

 そういう意味では、割と好きな分野だった。

 しかし、それにしても――

一角獣(ユニコーン)みたいなやつだな」

 いや、奴らはむしろ処女じゃないと襲われるんだったか。

 いずれにせよ、男の俺には関係のない話だが。

 ひとまず頷いてから、問いかける。

「お前もそういう話が好きだったのか?」

「身近なところで何人か読んでたから試しに読んだだけだよ。ったく、まどろっこしいったらないね」

 どんな化け物だろうが、叩き斬ってやりゃ済むってのに――と、彼女はそんなことを言った。

 全く同意見だった。

 透明人間はただ単に見えないだけだ。

 装備さえ整えば、ゴーストだって斬り殺せる。

 それでも殺せないなら、どこか別に本体か急所がある。落ち着いて、よく探すべきだ。

「興味があるなら霞にでも聞いてみな」

「あいつも持ってるのか」

 彼女は豪快無双な英雄譚や、明朗快活な喜劇の類が好きだったはずだが。

「流行に釣られて買ったらしいよ」

 なるほど。納得した。

「それなら、帰ったら借りてみるか」

「もう古本屋に売っちまったかもしれないけどね」

 何かあいつ、やたらとビビってたからね、とアイシャ。

「恐怖劇なら当たり前じゃないか?」

「処女しか襲わない怪物なんて、私達には関係ないだろう?」

 相槌に困り、曖昧に呻く俺を他所に彼女は続けた。

「あと、どっかのヘッポコ狐も。ったく、処女好きの怪人が娼館に来るわけないってのに」

 来るとすりゃ、客としてだろう。

 そんなことを呟きながら、アイシャが庭に踏み込んでいく。

 客としてきたなら普通に相手をするつもりなのだろうか――と、そんな疑問は適当に追い払ってから後を追う。

「あの子はそういう話が好きなのか?」

 物静かで儚げな印象だったあの狐人(ルナール)の少女を思い浮かべる。

 言葉を交わした事はないが、血みどろの恐怖劇を好むようには見えなかったが。

「いいや、ただ単に本拠地(ホーム)にあったのを御伽噺と勘違いして読んだだけだよ」

 それはなんというか……可愛そうに。

 

 …――

 

「こりゃ、ちょっと拍子抜けだね」

 それから『ブラムス伯爵』の屋敷を一通り巡ったところでアイシャが言った。

「どんな化け物が巣くってるかと思ったけど、何もありゃしない」

 その通りだった。

 古の怪人はおろか、かつて見慣れた大ネズミや、そこらにいるモンスターもいない。

 それどころか、近所の悪ガキが入り込んだ痕跡すら残っていなかった。

 備え付けの家具以外は何もない、ただただ空虚な空間だけがどこまでも広がっている。

 

 いや、本当に――?

 

 何かが神経を刺激する。

 ごく小さな違和感だが……これを無視して、いったい何度痛い目にあった事か。

「――――」

 しばらくの間、目を伏せて呼吸に意識を向ける。

 そして、違和感に気づいた。

(埃……)

 窓に打ち付けられた板の隙間から差し込む光に、宙を舞う埃が煌めく。

 窓枠や据え付けの家具の上には相応に積もっている。

 だが、床は……。

(何者かが出入りしているのは、まず間違いない)

 一時手甲をソウルに戻し、素手で床板に触れる。

 床には、あまり積もっていないように思えた。

 空でも飛んでいない限り、床の埃は影響を受ける。

 となると、やはり誰かが頻回に出入りしている。

 積もった埃に足跡が残るのを気にする程度には慎重な――あるいは潔癖な――何者かが。

 それとも、これも単なる気のせいだろうか。

 いくら埃が積もろうと、別に足跡が残るとは限らない。

 あるいは、つい最近に管理業者が入っただけという可能性もある。

「もう一度、屋敷を見て回ろう。見落としがあるはずだ」

 しばし迷い、自分の感覚を信じることに決めた。

 確かに広い屋敷だが、記憶にあるいくつかの王城ほどには広大ではない。

 そして、見た限りでは完全なる空き屋敷だ。見回った範囲では本当に何もない。

 つまり――

「どこかに隠し部屋でもあるってことかい?」

「おそらくな」

 ついでに言うなら、それは地下室だろう。

 建物の構造的に、それ以外の余白が思いつかない。

 ……巡礼地によくある、でたらめな構造の建築物ではないわけだし。

「だとして、どうやって探す気なのさ?」

「手当たり次第に壁やら床やらを撫でまわすしかないな」

「……本気で言ってんのかい?」

「いいや、冗談だ」

 少なくとも、今の時点では。

「―――――――」

 半眼になるアイシャに軽く笑い返してから、左手に『火』を灯す。

 口ずさむ物語は【導きの言葉】。幻影なりメッセージなりが見えればそれでいい。

 もし何も見えなかったなら……その時は冗談が冗談でなくなるだけだ。

(ま、メッセージはあまり鵜呑みにするのも危ないがな)

 いったい何度、嘘のメッセージに騙され何でもないただの壁を殴り続けたことか。

 しかも、そういうメッセージに限って念が強いのだから厄介だった。

(殺伐とした巡礼地の数少ない娯楽といえばそれまでなんだろうが……)

 と、それはともかくとして。

「……何とかなりそうだね」

 薄暗い廃屋の中に、白く透けた人影が生じる。

 あまりはっきりとは分からないが、背格好からしておそらく女だろう。

「ああ。人払いを徹底したのが失敗だったな」

 浮かび上がった人影は一人分だけだった。

 ありがたい話だ。幻影が見える時間はごく短いが、これなら追いかけるのは難しくない。

「さて、と。ここからは地道な作業だが……」

 幻影が消えたのは、とある部屋の一つだった。

 もちろん、つい先ほど確認した場所であり、例によってほとんど何も物がない。

 そして、床には埃がほとんど溜まっていなかった。

「外れなら次を探せばいい話さ」

 それもそうだ。アイシャの言葉に肩をすくめる。

 何しろ、シャクティ印の一覧表は十ヶ所以上の住所が書かれているのだから。

「物がない分、楽だろうしね」

 ベルたちが生活する隠し部屋程度の広さはある。

 物がない分だけ、探すのは簡単そうだ。

 問題は、見つかるかどうかだが――

「あった」

 結局、一〇分とたたないうちにそのレバーは見つかった。

 壁に空いた穴。かぎ爪か何かでもなければ入らないようなそこの奥に何かがあるように見える。

 右手の武器をそのかぎ爪に切り替え、そっと差し込む。

「さぁて。何が起こるんだか」

 アイシャが呟くと同時、何かが作動する音が響き、床板が動き始める。

 驚くほど精巧な隠し扉けだった。一見すれば、床板の隙間にしか見えない。

「地下階段……いや、地下室か」

 薄暗いが……目を凝らすとその先には、扉があるようだった。

「へぇ、いよいよそれらしくなってきたねぇ」

「『ブラムス伯爵』か?」

「そうさ。隠し通路から地下に向かってからが最大の見せ場ってやつだよ」

 楽しげに笑うアイシャ。この様子だと、案外楽しみながら読んでいたのかもしれない。

 そんな彼女に、笑い返しながらついでにファルシオンを渡す。

 見たところ、通路は狭い。大朴刀では動きが著しく制限されるだろう。

 俺自身も≪バルデルの刺突直剣≫に武器を切り替える。

「開けるぞ」

 短い階段を降り、その扉に手をかける。

 軽くドアノブを動かす――と、予想に反して鍵はかかっていなかった。

 武器を握りなおし、一息に捻る。

 

 と、同時。鈍い音と共に床が抜けた。

 

(罠……!?)

 浮遊感と共に、扉――のように見せかけたレバーが上に向かって飛ぶ。

 もちろん、実際には自分が下に落ちているだけだが。

 迂闊さに毒づいている暇もない。

(く―――ッ!?)

 幸いにして、穴はさほど深くなく、逆杭(パイク)の類もなかった。

 と、なれば着地には問題ない。全身のばねを使って、衝撃を受け流す。

 一瞬の停滞。それが隙となった。

 薄闇の向こう側から、鈍い銀の輝きが奔る。

 いっそ転がってしまえばよかったが、もう遅い。

 反応が遅れた。回避が間に合わない。――が、それだけだ。

 その一撃にはこの黒衣――いや、軽鎧を斬り裂くだけの威力はなかった。

 金属が擦れ、ほんの一瞬だけ金臭い匂いが鼻腔をくすぐる。

 その頃には、襲撃者に直剣を突き立てていた。

 確かな手ごたえ。すぐさま引き抜き、そのまま半ば勘を頼りに首筋を斬り払う。

「本当にそれらしくなってきたじゃないか!」

 アイシャの声が聞こえた。

「【Elucidare】!」

 右手に『火』を灯し、詠唱する。

 その名を【照らす光】。魔力によって生み出された光が、地下室を照らし出した。

「何だと……!」

 そこにいたのは八体の亡者だった。

 ぼろ切れ同然の粗末な貫頭衣を着込み、手には武器とも言えないガラクタを握りしめている。

 いや、もはやそれほどの理性も残っていないのか、素手の者もいた。

「しぶとい奴だね!」

 だが、これはマズい。

 俺はともかく、アイシャにとっては厄介な状況だった。

 亡者はそう簡単には殺せない。だからこその不死人(もうじゃ)だ。

 先の亡者が握りしめていた小さなナイフをひっつかみ、振り向きざまに投げつける。

 放ったそれは、アイシャを襲う亡者のこめかみ辺りを貫き仰け反らせた。

「邪魔だよ!」

 動きを止めた亡者の顔面を掴むアイシャの手に『火』が灯る。

 そして、爆発した。【発火】だ。

 幸い、それでその亡者は動きを止めた。

「ったく、闇霊どもと同じってことか」

 それは仕方がない。何しろ、闇霊の本体なのだから。

 とはいえ――

(やはりな)

 先に仕留めた亡者も、大したソウルは持っていなかった。

 巡礼地の入り口を彷徨っている亡者と同じか、下手をすればそれ以下。

 結論を結ぶ頃には、二体目が迫っていた。

 初撃を盾で弾く。得物はやはり短剣――小さなナイフだった。

 小さくも鋭いそれは、冒険者が魔石を取り出す際に使うものによく似ていた。

「ッ!」

 モンスターを捌けるなら、人間の体も捌ける。

 それに、一〇cmあるかどうかの刃渡りでも、然るべき個所を狙えば人を殺せる。

 お互いに不死人(もうじゃ)ならなおさらだ。

「――――」

 攻撃が逸らされ、がら空きになった胸を刃で貫く。

(二つ)

 それで終わりだった。

 やはり、大したソウルの持ち主ではない。

「こいつが亡者ってやつか! いよいよ恐怖劇(ホラー)じみてきたね!」

 動きは鈍く、装備は粗雑極まる。そして、力も弱い。

 常ならアイシャの脅威になどなるはずもない。

 だが――

「気をつけろ! こいつらはしぶとい――」

 彼女はまだ『ソウルの業』を会得していない。

 下手に囲まれれば――

「足元がお留守だよ」

 振り下ろされるコートハンガーを軽く身を逸らすことで躱し、そのまま足払いを。

 つんのめるその亡者を、反対側の脚で蹴り飛ばす。

「――――ァゥ?」

 間の抜けた――少なくとも、そう聞こえた――呻き声と共に亡者が吹き飛んだ先にあったのは、大きな檻。おそらく、元々はこの亡者たちが閉じ込められていたのだろうが……。

「じゃあね」

 アイシャの言葉に、錠が落ちる重い音が重なる。

 それで、その亡者は無力化された。元々そこに閉じ込められていたのだから当然だ。

「なんか言ったかい?」

 続けて、二体目の足をすれ違いざまに斬り落としながら、アイシャが笑う。

「……いいや」

 すっかり摩耗し、鍵もかかっていない扉すら開けられなくなった亡者は珍しくもない。

 まして鍵までかけられればどうにもなるまい。

「頼もしいよ」

 三体目にとどめを刺しながら肩をすくめた。

(そりゃ、凄腕の戦闘娼婦(バーベラ)だからな)

 これはもう、慎重ではない。単に臆病になっているだけだ。

 まったく、これではアイシャに対する侮辱でしかない。

「当然だろう?」

 答えながら、彼女は這いずる亡者を別の檻に蹴り込む。

 それを見届けることはせず、残りの亡者どもと向き合う。

 背後は彼女に任せる。敵の数は多いが、それだけだ。

 この亡者どもは奇妙な変容もしていなければ隠し技も持ち合わせていない。

 巡礼地の入り口辺りを彷徨っている亡者と同じか、下手をすればそれ以下だ。

 ならば、全滅させるなど大した手間ではない。

 

 そして。

 半分を仕留め、残りを檻に戻し、何とか室内の魔石灯を作動させてから。

 

「こいつらのどれかがあの変態……ってことはなさそうだね」

 転がる死体や檻の中を一通り見やってから、アイシャが呟いた。

「残念ながらな」

 この亡者どもは、あの変態よりもはるかに未熟だ。

 まったく。あいつがこの程度だったなら、最初の接触で確実に仕留めきれたものを。

「それにしても、色々と悪趣味な部屋だね」

 ため息を吐くより先に、アイシャが呻いた。

「……研究室ってところか」

 彼女の言う通りだった。

 ここは単なる落とし穴の底ではない。

 長机の上や床には走り書きが施された無数の紙片が散らばる。

 棚には怪しげが標本が。他にも用途不明の器具が至る所に置かれていた。

「で、怪人ならぬ『アンデッド』……亡者が巣くっているときたもんだ」

 フン、と彼女は忌々しそうに鼻を鳴らす。

「【黒教会】とかいう連中が、ここで『暗い穴』ってのを研究していた。そんなところかい?」

「……いや、そいつはどうかな」

 アイシャの言う通り、何者かが『暗い穴』について研究していたのは間違いあるまい。

 だが、今さらユリアたちが『暗い穴』について研究する必要などない。

 何しろ、ロスリックの時点で充分に効果を発揮していたはずなのだから。

 それとも、この『火のない時代』では従来のままでは使えないのだろうか。

(いや、違うな……)

 ここを使っていたのは【黒教会】の連中ではない。

 檻に戻された亡者たちを見やり、改めて胸中で呟いた。

 亡者どもは誰も彼も干からびた顔つきだが……種族としての特徴は残っている。

 人間(ヒューマン)。獣人。小人(パルゥム)。ドワーフ。

 そして、一番多いのは()()()。転がる死体を含めればなおさら顕著だ。

「悪いが」

 ため息を吐きながら、アイシャに声をかけた。

「シャクティを呼んできてくれるか?」

 幸い、出口ははっきりしている。

 というよりも、落とし穴と思ったあの穴は落とし戸だったらしい。

 近くの壁には当たり前のように梯子が設えられていた。

 ついでに言えば、それを登った先には隠しレバーまであった。

 やはり、あの扉は罠だったわけだ。

 そちらに気を取られ、正しい隠しレバーを見落とした間抜けはここで亡者の餌食にされる、とそんなところか。

 研究所そのものを罠にするというのは、なかなかイカレた発想だが。

(いや、それもどうだか)

 もうここは破棄されたと見ていい。

 走り書きの紙片こそ大量に残っているが、それらをまとめたであろう書簡やら何やらは全く残されていない。昨夜の騒ぎの時点で、ここに調査の手が及ぶと判断したのだろう。

 初めからこういう状況を想定した罠、といったところか。

 亡者どもがもう少し手練れだったなら流石に危なかった。

「そりゃ構わないけど……」

 もっとも、タネさえ分かれば大した罠ではない。肝心の亡者もすでに無力化している。

 もはや脅威はなく、出入りは自由だ。

「あんたはどうするんだい?」

 怪訝そうに彼女が言う。

「見張ってる」

 肩をすくめて見せた。

「鍵が壊れて外に逃げ出されても面倒だろう?」

 それは、別にまったくの嘘というわけではない。

 亡者どもを閉じ込めておけるほど頑丈な造りだが……それとて限度がある。

 ソウルの気配を感じているのだろう。亡者どもは興奮したままだ。

 あるいはこのまま無理矢理外に出てくることもあり得る。

 

 が、やはりそれは言い訳でしかなかった。

 どうせ、この亡者どもが梯子の使い方を覚えているとは思えない。

 万が一檻を破壊したところで、屋敷の外まで出れるはずもなかった。

 本命は別にある。

 これもまた、近いうちにアイシャには話さなくてはならないが……。

 

(いや……)

 できれば、話さずに済ませたいところだ。

 何しろ、肝心の本人ですらまだほとんど何も知らないのだから。

 このまま誰にも知られずに済ませられるなら、それが一番だろう。

 そのためには、シャクティ達が来る前に一仕事終えておかなくてはならない。

 

 

 

 アイシャに案内され、件の屋敷に辿り着いたのはそろそろ太陽が真上に昇る頃だった。

 確かに、集まった情報の中で一番()()と感じた物件だったが……。

(まさか一発で大当たりとはな)

 運が悪いというべきか。それとも一周回って運がいいというべきか。

 人間性にだけは割と自信がある――と、あいつ自身はそんなよく分からない事を言っていたが。

「何もないな」

 書類上ではいかにも胡散臭い場所だったが、実際に立ち入ればそこは殺風景な……いや、単に空虚なだけの廃屋敷でしかなかった。

「ここはね」

 思わず呟くと、アイシャが肩をすくめる。

「けど、この先は別だ。ちょっと覚悟しときな」

 そして、玄関の扉を閉ざすや否やそう吐き捨てた。

 まるで、万が一にも外に漏れては困るといわんばかりに。

「この先だよ」

 空虚な廃墟の一室。地下室への入り口はその床に口を開けていた。

 あまり広くない階段と通路を列になって進むと、扉の手前に下へと通じる穴が開いている。

 何も言わずに飛び降りるアイシャに続くと――

「遅かったな」

 長机の前に座り、何かに読み耽っているクオンの姿があった。

 それはいい。彼がここにいるのは、分かり切っていたことだ。そんなことよりも――

「何だ、これは……ッ!?」

 異様な光景に絶句していた。

 いくつもの檻が立ち並び、その中には干からびた死体。

 何より、その死体は動き、言葉とも呪詛ともつかぬ何かを呻き続けている。

「リヴェリア辺りから情報が届いていないか?」

 書類から目を上げず、クオンが言った。

「これが『アンデッド』……いや、亡者なのか?」

「ああ、そっちもか」

 そこで、ようやくクオンがこちらを向く。

「いや、そもそもここは何なんだ?」

 それを待つのももどかしく、言葉を重ねた。

「見ての通りだ」

「見ての通りだと……?」

 語気が荒い。動揺していることを自覚した。

「研究室とでもいうつもりか?」

「ああ。俺にもそう見える」

 その地下室を言い表す言葉で、これ以上に適切なものは思い浮かばない。

 しかし、だとするならここで研究されていたものは――

「ダンジョンで目撃された『アンデッド』はここで生み出されたという事か?」

「可能性としてはあり得るな」

 クオンは、実に気楽な様子で――いや、常と変わらないだけだが――肩をすくめる。

「ここで閉じ込めておくより、ダンジョン内に破棄した方が安全だ」

 怒りか。それとも嫌悪か。いずれにせよ、その言葉に激昂しそうになった。

 それを知ってか知らずか、クオンは言葉を続ける。

「問題は、こいつを誰が作ったかだ」

「……【黒教会】の者ではないのか?」

 つい先日、【九魔姫(ナイン・ヘル)】がダンジョンで遭遇したと聞いている。

 もちろん、その『アンデッド』を『殺した』張本人がクオンであり、彼から【黒教会】――『暗い穴』と『アンデッド』との関係を聞いたとも。

「そいつはどうかな」

 クオンが椅子から立ちあがり、近くで『息絶えている』亡者の死体へと近づく。

「よく見ろ。こいつらはそれぞれ微妙に違う」

 衣服をはがされた四体の遺体を示しながら、クオンが言った。

「これが『暗い穴』だ」

 ちょうど横腹辺りに、渦を巻くような形の黒い『痣』。

 干からびた体になお暗い、墨でも垂らしたようなその『痣』を示して、クオンが言う。

「だが、これは『暗い穴』じゃない。似ているが、別物だ」

 残りの三体の『痣』は……確かに微妙に違う。

 黒い『痣』の周りを、赤黒い何かが縁取りしている。

「どういうことだ?」

 問いかけると、クオンは眉間を指先で掻いてから――

「おそらく、こいつは『闇の刻印(ダークリング)』に近いものだ」

 見た目もな――と。自分の胸元……心臓の真上あたりを叩いた。

 彼の場合、その辺りに『ダークリング』が刻まれているらしい。

 ……無論、直接見た事がある訳ではないが。

「待ちな。そいつは確か『火の陰り』とやらが起こらない限り発生しないじゃなかったのかい?」

 その通りだ。少なくとも、私もそのように聞いている。

「それは全くその通りなんだが……」

 ため息を吐いてから、クオンは手にしたいくつかの紙片を差し出した。

「それを読む限り、そうとしか思えない」

 言われるがままにざっと目を通すが――

「すまない。読めないんだが……」

 そこに綴られている文字は、少なくとも共通語(コイネー)ではない。

「ああ、そうか……」

 フード越しに頭を掻きむしってから、クオンは言った。

「簡単に言えば、この研究所の主は『ソウルの業』の再現と強化を目指していたらしい。その研究資料として『アンデッド』を拾ったと見るべきだろう」

 思わず、紙片を取り落としそうになった。

「……何故、『アンデッド』が『ソウルの業』と関わる?」

 それでも、思ったよりも冷静であったらしい。

 口から零れ落ちたのは、そんな疑問だった。

「その『ソウルの業』というのは、今の『時代』でいう『神の恩恵(ファルナ)』のようなものではないのか?」

 不死人の方が強化に必要なソウル――今でいえば【経験値(エクセリア)】に相当するのだろう――を取り込みやすいとは聞いている。

 だが、『ソウルの業』の習得自体は不死人でなくとも可能だとも聞いているのだが。

「不死人は『火の陰り』とともに生まれる」

 クオンは、特に言葉に詰まることもなく先を続けた。

「では、何故火が陰ると不死人が生まれるのか」

「……そういう『呪い』だからではないのか?」

「そうなんだが……その『呪い』の正体は何かって話だよ」

 思わず呻くと、クオンは苦笑した。

「お前には見当がついているのか?」

「かなり推論が混じるが、それでいいなら」

 アイシャと顔を――と、言っても彼女の素顔は見えないが――見合わせてから頷く。

 何であれ『火の時代』については私達よりもはるかに詳しい。聞いておいて損はあるまい。

「『火の陰り』は『王のソウル』……つまり、『神の力(アルカナム)』の弱体化をもたらす。だからこそ、グヴィン達はそれを恐れた。火が消えれば、自分達は超越存在(かみ)ではなくなるからだ」

 それは、何とも反応に困る切り出しだった。

「もっとも、別に死ぬわけではなかったと思うがな。ただ力を失うだけで済んだんじゃないか?」

 生憎とロスリックで目覚めた時には旧王家は滅亡していて確かめようがなかったが。

 クオンはそう言って肩をすくめた。

「神々の力が衰えたせいで『不死の呪い』が蔓延したというのか?」

「ある意味においては。ただ、そう単純な話ではない」

 問題は、『呪い』の正体だ――と、クオンは続ける。

「『王のソウル』を見出したのは神々だけだ。グヴィンから下賜された奴らもいるがな。『火の陰り』が『王のソウル』の弱体化しかもたらさないなら、俺達にはさほどの影響はない」

 確かに、理屈の上ではそうなる……ように思う。

「いや、だがお前は不死人なのだろう? 影響を受けているではないか」

「そうだ。問題はそこにある」

 再び、自分の胸元を指で叩きながらクオンは言った。

「俺達の祖先である小人は、神々に『火の封』を施されたという。その結果、小人は人間になった」

 ひとまず信じるとして。それでも、疑問が一つ生じるだろう?――と、その問いかけに頷く。

「そもそも、その『火の封』とは何を封じるためのものだ?」

 神々が封じなければならない何かが人の中には存在していることになる。

 それはいったい何なのか。

「俺達の祖先にあたる小人も『最初の火』からあるものを見つけ出していた」

「何だと?」

 その『最初の火』というのが『神の力(アルカナム)』の源泉であるなら、私達の中にもそれに匹敵する何かが眠っているということなのか。

「だが、それは『王のソウル』と呼ばれることはなかった。似て異なるもの。あるいは相反するものというべきだったのか……」

 いずれにせよ、その時神と人は決定的に袂を分かたれたわけだ。

 何て事もないように、クオンはそう言った。

「私達は……」

 何だか妙に息苦しい。地面が揺れているような気がする。

ガネーシャ達(神々)の子どもではないと?」

「考え方次第だな。小人に『火の封』を施した結果、人間が生まれたとするなら、確かに『生みの親』と言えないことはない」

 溜まらず問いかけるが……返ってきた言葉は、それらを払拭してくれるものではなかった。

 眩暈が酷くなる。

 きっと酷い顔をしているだろう。アイシャがしている顔の見えないフードが羨ましい。

「そんな御大層なものが私達の中にあるって?」

 そのアイシャの声も、少し震えている気がした。

「でなければ、中途半端とはいえ、不死身になんてなれるものかよ」

 クオン達は完全な不死身ではない。死を経るごとに精神が摩耗し、亡者に近づく。

 今、檻の向こう側で呻いている者たちはまさにその成れの果てだ。

 彼らがまだ生きていると言えるのかどうかは私には分からない。

 しかし、少なくとも肉体的にはまだ動いている。それもまた事実だ。

 確かに中途半端だが、不死身と言えないことはない。

「『ダークソウル』。それが、俺達の中に眠るもの。不死を生み出すものの名前だ」

「ダーク、ソウル……」

 呆然と、その名前を繰り返していた。

 そんなものが本当に私の中にもあるというのだろうか。

「じゃあ、そいつが『呪い』の正体ってことなのかい?」

「間違いではないが、正解とも言い難い」

「どういうことだ?」

「闇の中において、俺達は形を失うのだという」

 俺も聞きかじった程度だが、と小さく付け足してから、クオンは言った。

「それが正しいかどうかは定かではない。だが、蛆になったり蛹になったり木になったり汚泥になったりした奴らなら散々に見てきた。だから、まったくの見当はずれでもないだろう」

 それに、俺自身も強引に体を結晶化させられて死んだことが何度もある。

 心底嫌そうにクオンはそう吐き捨てた。

 ……それはそうだろう。体が結晶化していくなど、想像するだけでゾッとする。

「それが、どう関係する?」

「不死もまた、人間が獲得し得る形質の一つだってことだ」

 あるいは、最初の小人は不死そのものだったのかもしれない。

 小さく呟いたのは聞こえなかったことにした。

「それを神々は『火の封』で封じた。そして、不定形だった小人は人間という定形を獲得した」

 ま、先に言った通りあくまで推論だ――と、クオンは肩をすくめる。

「それが正しいとして……」

 干からびた喉から、何とか言葉を絞り出した。

「だから、お前は神を恨んでいるのか?」

 人から不死を奪ったことを。

「さて。俺が生まれるずっと前のことだけで恨めるかと言われると何とも返事に困るな」

 だが、クオンはあっさりと肩をすくめて見せた。

「確かに、神が十全に善意だけでその封を施したとは思わない。どちらかといえば悪意を疑うところだが……死すら飲み込んでどこまでも変容していく存在なんて、古竜より厄介だ。恐れるのはごく当たり前の反応だろう」

 もっとも、不死人(俺達)にとって死は糧でもあるが。

 何てことはないように添えられたその一言に、改めて『時代』の差を感じた。

 あるいは、在り方の差か。

「実際、不死人(おれたち)はおそらく望むなら古竜にだってなれる」

 クオンはその手に、微かに光る奇妙な石を取り出して言った。

「神々にとって、小人は悪夢そのものだっただろう。ようやく滅ぼした古い時代の支配者が復活しかねないだからな」

 そして、とその石を消しながら、クオンは続ける。

「『ダークソウル』は『王のソウル』と相反する力だ。後の世では、神々の英雄ですらその闇には抗えず狂気に沈んだほどだからな。それだけでも厄介だというのに、小人たちはいよいよその力を使いこなし始めた」

 もしもその闇を帯びた新たな古竜が生まれるような事になれば、今度は自分達が滅ぼされる側になる。神々が恐れるのは当然だろう。

 その言葉に、共感を覚える事は難しかった。

 そもそも、超越存在(かみがみ)が私達を恐れるという事が想像できない。

 神々とは、遥か遠い『古代』の終わりから共にある良き隣人であり、血を分けた家族(ファミリア)であり、主神(おや)でもある。

 ずっとそう思っていた。程度の差はあれ、誰もがそうだろう。

「実は神蓋(バベル)の封印は不完全だった。そう考えれば、当時の神々の恐怖も何となく共感できるんじゃないか?」

 それを見透かしたように、クオンが言う。

 言うまでもなく、神蓋(バベル)は下界平和の要だ。もしその封印が不完全なら、いずれ世界はモンスターどもが溢れかえる『古代』に逆戻りしかねない。

 なるほど、それなら想像できる。

 しかし――

「だから、神々は火によって人の闇を封じた。まぁ、そんなところだろう」

「そんなところと言われてもだな……」

 その例えに準じるなら、封印が不完全な原因こそが人間(わたしたち)となる。

 ……それは、別の意味で想像したくないことだった。

 曖昧に頷くと、クオンはほんの一瞬だけ意地の悪い笑みを浮かべた。

「だが、火が強まれば闇もまた濃くなる」

「だから不死になると?」

「本来なら、そうだったのかもしれないな」

「違うのか?」

「さて。さっきから言っているように憶測ばかりだ。断言はできない」

 ただ、と。クオンは言葉を続けた。

「少なくとも俺達は『火の封』……『神の力(アルカナム)』による枷によって人間となった。それはもう外せない。俺達の変化は必ずしも逆行できるものではないからな」

 俺達は完全に人間という存在に変化している。枷を外したところで、少なくとも小人そのものに戻ることはあり得ない。

「何故そう思う?」

 クオンの言葉に問い返していた。

 いや、それは愚問だったのだろう。答えは目の前にいる。

「『最初の火』が潰えてなお、俺は不死人のままだ」

 いや、何かもう不死人かどうかも怪しいんだが……などと、何やら不穏な事を呟いてから。

「それに、俺が『火継ぎ』をした時に不死人だった奴は、その後の時代でも不死人のままだった」

 もちろん、『火継ぎの儀』が『不死の呪い』に有効だと語らえている以上、『呪い』から解放された不死人もいたんだろうが……と、クオンは言葉を濁した。

「それと同じさ。少なくとも俺は、今さら小人に戻れるとは思わないな。無理矢理に外せば、人間でも小人でもない何かに変化する羽目になるだろう」

 遠い昔、神々が施した『火の封』という名の枷により小人は人間へと変化した。

 今までの話からすればそういう事になる。

 ならば、外せば人間ではなくなるというのも必然か。

「それはともかく」

 呻いていると、やはりクオンはあっさりと言った。

「小人が人間となったこと。おそらく、それこそが『呪い』の始まりだ」

「何故だ?」

 クオンの言葉に、問い返していた。

 いや、分かる。分かるような気がする。理解したくはないだけだ。

「さっきも言ったが、神々は人間……いや、小人を恐れていたのさ。『火の時代』よりも前、『灰の時代』から今に至るまで、神々よりもはるかに弱くちっぽけな俺達を」

 自分の娘を生贄に、小人の王たちを流刑地に隔離するほどにな――と。クオンが呟く。

「神々が恐れたもの。それが、変化し続ける力。古竜への道に挑めるほどの力だ」

 神々は不変。私達は変化できる存在。

 それは、今だって変わらない。誰もが知っていることだ。

 分からないはずがない。

「神々はそれを火によって封じ込め、人は仮初の姿(かたち)を得た。それこそが世の理の始まりだ。かつて、そう俺に説いた奴がいた」

 世界とは――私達の在り方は神々によって歪まされ、仮初の生を生きている。

 その言葉が意味することは、つまりそういう事だった。

「待て、クオン。待ってくれ」

 思わず、悲鳴でも上げるように呼び掛けていた。

「それは、『アンデッド』の誕生に関係があるのか?」

 いや、あるのだ。あるはずだった。

 だが、それでも――

「いや、あるのだろう。分かっている。分かっているが……」

 喘ぐように、返事も待たず続けていた。

「すまない。少し……もう少しだけ時間をくれ」

 例えそれが正しいとしても……いや、今さらクオンが嘘をついても仕方がない。

 だが――

「今は、とても受け入れられない」

「……そうだな。悪かった」

 私の泣き言を、クオンはあっさりと受け入れた。

「ええと……。とりあえず結論だけ言えば、この亡者どもを生み出した奴は、その『神の枷』を外すために、『ダークソウル』を意図的に刺激したんだ」

「つまり、人間を意図的に変化させようとした?」

「まぁ、そうなる。人間性を刺激することで、肉体が変容するってのはまず間違いない。体が石化する『呪死』なんてのはその典型だ」

 肩をすくめてから、クオンが続ける。

「俺もあまり詳しいわけじゃないが、『暗い穴』もおそらく理屈は同じだ。あれは意図的に『ダークソウル』を活性化させて、火の簒奪者たる【亡者の王】を生み出すためのものだからな」

 だから、適性がないと滲みだす『呪い』に飲まれてただの亡者に墜ちることになる。

 クオンが肩をすくめると、アイシャが大げさなまでにため息を吐いて見せた。

「ってことは、まさかこいつらは事故で生まれたって言うことかい?」

「まぁ、そんなところだろう。元々『ソウルの業』を研究するため、人間をあれこれと弄り回していたみたいだからな」

「酷い話だな」

 ここにいる『アンデッド』達がどういう身元――例え自ら望んで加わった者――だったにしてもだ。

「いや、この程度で済んだのは幸運だ」

 しかし、クオンは深刻そうに呻いた。

「どういう意味だ?」

「弄られた本人が亡者化するだけで済んでいるからだよ」

「充分に性質が悪いだろう?」

「無理矢理に『ダークソウル』を掘り返して、亡者が生まれただけなら安いものだ。最悪はこの辺り一帯が滅んでいてもおかしくない」

「それほどか?」

「当たり前だ。迂闊に触れたせいで亡んだ国がいくつあると思っている?」

 いや、そんなことを言われても困るのだが。

「暗き魂に近づくべきじゃないのさ」

 どことなく芝居がかった口調で、クオンは小さく笑った。

 あるいは、それは他の誰かの言葉だったのかもしれない。

「……まぁ、神々が恐れるってんだから、そのくらいはありえるのかもね」

 何とも投げやりに、アイシャが肩をすくめるのだった。

「確かに、それはそうだな」

 もし、本当にそれほどの者だったなら、すぐにこの屋敷の主を発見しなければならない。

 そうでなくとも、人体実験など許されるはずもない。

 いずれにせよ発見し、身柄を確保しなくては。

 厄介なことだが、慣れ親しんだことでもある。

 今までのことを思えば、いっそ安堵すら覚えるほどだ――

「信じてないなら、証拠でも見に行くか?」

 ――と、思った矢先にこれだ。

 つくづく厄介な男だった。いや、別にこれはクオンのせいというわけではないのだが。

「何かあるのか?」

「割と厄介そうな置き土産がな」

 まったく、どこの誰だか知らない――いや、もう当たりは付いているのだが――が、尻尾を掴んだ時は覚えていろ。

 柄にもなく呪詛の念など抱きながら、クオンの後を追った。

 

 …――

 

「それで、あれがそうだって?」

 クオンの言う『厄介な置き土産』は、研究室の奥。ひと際堅牢な檻と、分厚い石壁に囲われた牢獄の中にいた。

「あれは、モンスターなのか?」

 モンスター用の太く丈夫な鎖で四肢を拘束され、興奮防止のため鉄仮面すら被せられている。

 こういっては何だが、見慣れた姿だった。

 フィリア祭のために地上へと運び出すモンスターには概ねあのような処置を施す。

 ……もっとも、さすがに壁に固定したりはしないが。

「まず間違いなく亡者の一種だろう」

「……巨人って種族はオラリオにいたかい?」

 アイシャが呻いた。

 オラリオどころか下界には存在しないはずだ。少なくともモンスターではない種は。

 しかし、彼女の言う通りでもある。

 何しろ、その亡者(アンデッド)の背丈はどう見ても三M以上はあるのだ。

 あれほど大柄の者は見た事がなかった。

「ソウルが変質したせいで背丈が伸びるってのは別に珍しくない。と、いうより一般的なくらいだ」

「……そうか」

 なるほど、これもまた変容のひとつということか。

 モンスターのように凶悪かつ屈強な体つきになっていることも含めて。

 木や蛹、竜に変容することを考えれば、なるほど大したことではないのかもしれない。

「生きてるようだね。そう言っていいのかは分からないけど」

 こちらに気づいているのだろうか。その異形の巨人は先ほどから身じろぎを繰り返している。

「ああ。近づけば襲ってくるだろう。周辺の壁もそろそろ限界のようだしな」

 鎖そのものはともかく、周囲の壁にはひびが走っている。

 その異形の力に負けたのか、それとも年月による劣化なのか。理由は定かではないが。

「メレンの騒ぎのせいで放棄したというより、あいつを抑え込めなくて放棄した可能性もあるか」

「渡りに船ってだけの気もするがな」

 クオンの軽口に、思わず納得しそうにあった。確かに、それが一番可能性が高い。

 もし見落としていたなら、メレンはどうなっていたことか。想像もしたくない。

「まったく。『フランケル博士』の屋敷か、ここは……」

 陰惨な未来の代わりに、少し前に流行った神秘(ゴシック)小説を思い出していた。

 元々は大衆の好みを知るために購読したものだが……なかなかどうして。

 人間とは何か。生とは何か。叡智とはどのように扱うべきなのか。

 

 何より。果たして人間が神の領域にどこまで踏み込んでいいのか。

 

 そのような事を、色々と考えさせられるものだった。

「ああ、そっちの方があってるか」

 思わず呟くと、アイシャが頷いた。

「『ブラムス伯爵』ってのとは違うのか?」

 それも流行った恐怖(ホラー)小説だが……まさかクオンまで知っているとは。

 そちらはそちらで流行ったから、オラリオの外にまで広がっていて不思議ではないが。

 ……いや、どうせアイシャか霞に聞いただけか。

(この男が恐怖(ホラー)小説など読んだところでな)

 何しろこの男は、亡者だの闇霊だのデーモンだのとは顔なじみだ。

 どうせ今さら何の感慨も受けまい。

「簡単に言えば、死体を継ぎ接ぎして理想の人間を生み出そうとした馬鹿な賢者の話さ」

 大雑把すぎる説明だが……まぁ、あながち間違いとは言い難い。

「シースみたいな奴だな。いや、死体を使うだけまだマシか……」

 そして、そのシースというのは何者なのか。

 クオンは魔術師といえば人体実験は必修だと思い込んでいる節があるが……。

「それはそうと。お前って案外読書家なのか?」

 クオンではないが、この豪胆な女傑が読書にふける姿はあまり想像できない。

「まさか」

 そして、アイシャは実にあっさりとその疑問に答えて見せた。

「けど、少しくらいは齧っとかないと客の話に合わせられないからね。嗜みって奴だよ」

 そういうものか。思わず、クオンと二人で納得していた。

 

 と、雑談はその程度にして。

 

「それで、どうする?」

「もし、あれが外に出たらどうなる?」

 問いかけてくるクオンに、逆に訊ねる。

 意味のないやり取りだ。お互いに答えなど分かり切っている。

「奴の人間性がどの程度擦り切れているかにもよるが……ソウルの気配に惹かれて外を目指すと見ていいだろう」

 まぁ、あの図体で梯子を上れるかは微妙なところだが。クオンはそう言ったが……。

(いや、危険性は充分だな)

 本当にこの屋敷に他の出入り口がないとは限らない。

 今ここで手を打たず、結果としてこの亡者がメレンを襲った場合、被害はさらに深刻になる。

 私達がいながら犠牲者を増やすような事があっては、オラリオとメレンの関係そのものが本当に破綻してしまうかもしれない。

 何より、この誰かをこのまま放っておきたくはなかった。

「ならば、やることは一つだ」

 例えそれが偽善であるとしても、だ。

 幸い、牢獄の中は広いようだ。あるいは、本来ならここが研究室だったのかもしれない。

 その真偽は、もはや分かるまい。それに、どうでもいいことだ。

 今必要なことはたった一つ。

 そこは三対一でも充分に戦える程度の広さがあるという事実だけだった。

「まったく。お前といると、潜らなくていい死線ばかり潜る羽目になる」

 クオンは肩をすくめた。

「それはお互い様だ」

 いったい何を言うのやら。言い返してやると、クオンはもう一度肩をすくめて――

「行くぞ」

 左手に『火』を灯す。

 赤々と燃え上がるそれは、たちまち巨大な火球となり、堅牢な鉄扉を蒸発させた。

『――――――ァァ!!!』

 異形の巨人が悲鳴を上げる。いや、これは歓喜の声か。

 咆哮と共にでたらめに身もだえし……そして、ついに壁の一部を引き抜いた。

 太い鎖に繋がったままの巨大な石材は、そのまま凶器へと変わる。

「―――――」

 だが、遅い。

 その頃には、もう黒い旋風は渦を巻き襲い掛かっていた。

 石鎖を掻い潜り放たれた横薙ぎの一撃が、異形の巨人を抉る。

 並みのモンスターなら灰になっているところだ。

『―――――ォォ!!』

 だが、動く。やはり『アンデッド』――いや、亡者か。

「はぁああッ!!」

 やはり、理性と呼べるものはもう残っていないらしい。

 その亡者は迷わずクオンに意識を向けて――あっさりと、こちらに背中をさらした。

 無防備なその背中に背後からの一撃(バックスタブ)を叩き込む。

 確かに『ソウルの業』を会得していない私達の攻撃は通じづらい。だが、それだけだ。

「黙ってくたばりなッ!!」

 さらなる追撃。アイシャの大朴刀が鉄仮面もろとも脳天を叩き割った。

 私達はこの名も知れぬ誰かを呪いから解放やる事はできないかもしれない。

 だが、戦闘不能には追いやれる。

 そして、少なくとも今この時ならそれで充分だった。

 

 クオンならこの亡者も殺せる(すくえる)

 

 今回に限れば、その一撃を放てる隙さえ用意してやればいい。

 その戦い方は、昨夜浄水槽に向かう道中で散々に繰り返している。

 悪夢のような一夜だ。忘れろと言われても、そう簡単に忘れられるものではない。

「【Soul Spear 】」

 私とアイシャが飛び退くと同時、巨大な槍のような閃光が亡者の体を穿つ。

 上を見れば限りはないだろうが……連携としてはまずまずの練度に仕上がっている。

 その亡者は驚くほどの剛力を見せるが、それでも戦いは終始私達が優勢だった。

 そして、いよいよ決着の時が来た。

「―――――」

 クオンが天井すれすれまで跳躍。それを迎撃すべく、亡者は再び石鎖を振り回す。

 だが、放たせるものか。

 アイシャの大朴刀が鎖を断ち切り、石材がでたらめな方向に吹き飛んでいく。

 同時、亡者の膝を刺し穿つ。狙いは膝裏の腱。

 通常であれば、完全に戦闘不能に追いやれる。亡者とて、ほんの一瞬は動きを止める。

 それで充分だ。

 あとは、断頭台の刃が如き一撃がその亡者を『不死の呪い』から解放するだけだった。

 きっとこれは偽善だ。だが、それでもその一撃こそが最期の救いだったと信じている。

 

 

 

 メレンの街を突如として未知のモンスターの大群が襲撃。

 異変を察知し急遽駆けつけた【ガネーシャ・ファミリア】の奮闘により鎮圧される。

 首謀者は闇派閥(イヴィルス)残党である【タナトス・ファミリア】。詳細は依然不明だが、未知の魔道具(マジックアイテム)が用いられたとの報告がある。加えて、フィリア祭で目撃された『新種』もまた確認された。

 ギルドメレン支部長ルバート・ライアンが、オラリオ本部への緊急連絡を拒否したことがギルド支部に避難した複数の住人の証言から明らかになる。ギルド本部は早期連絡を怠ったことが被害拡大の一因と断定。同氏はそれを受け、本日付でギルドを引責辞任した。

食人花(ヴィオラス)』と命名された『新種』の搬入経路は未だ調査中だが、メレン内にはびこる密輸業者が介入している可能性が極めて濃厚である。

 また、メレン当主をはじめとする有力者に、モンスターを追い払うという『魔法の粉』を提供し、言い寄った集団こそが【タナトス・ファミリア】であるとみて、調査を継続中である――

 

 ――と。

 ギルド本部とメレン当主が連名で発表したその『公式見解』により、『メレンの悪夢』と名付けられた惨劇の真実は粛々と闇に葬られる事となった。

 

「よくもまぁ、柄にもなく大嘘を吐いたもんだ」

「……別に大嘘というわけでは」

 小さく笑ってやると、歯切れ悪くシャクティが呻いた。

 確かに大嘘とは言い難い。が、真実にも程遠い。

 少なくとも食人花(ヴィオラス)を運び込み、闇派閥(イヴィルス)との接点を作ったのはあの神自身だった。

「仕方あるまい」

 ニョルズが関わった密輸の全容はおおよそはっきりしてきたらしい。

 問題の『商品』も……まぁ、おおむね予想通りのようだ。

 本人が知っていたかどうかは定かではないが……その辺りは、ガネーシャが聞き出すだろう。

「今の状況で神ニョルズまで信頼を失っては困る」

 いずれにしても、あの神がこの街の人心の主柱となっていることは明らかだった。

 街中が動揺している今の状況で、それが失われればまた厄介な事になる。

 それくらいは、ただの放浪者にも察せられることだ。

「大体、お前は唆した側だろうが」

「別に唆したわけじゃない」

 騙したなら最後まで騙し通せと言っただけだ。

 神が人間を謀る事に、今さら苛立っても仕方がない。

 それよりも、その謀りが利用できるものなら、黙って利用すべきだ。

 少なくとも、今回に限れば騙されたところで、薪にされる心配はない。

「それで、あの支部長は神に拾われた、と」

 意地の悪い笑みと共に、アイシャが言った。

「今まで事務職だった奴がいきなり肉体労働者か。不幸な事故が起こらなきゃいいねぇ」

 外海で船から落ちた日には死体もあがりゃしない――などと、何とも怖いことを言う。

 もっとも、実際にあの支部長……もとい、元支部長の口さえ封じられるなら、真実が露見する可能性はかなり下がる。

 何より、密輸云々が露見すればさらに恨みを買うことになるだろう。

 いつ『事故』が起こったとしても何ら不思議ではない。

「ま、それを考えればあの神に預けておくのが一番安全かもね」

「それもそうか」

 神が赦した相手を敢えて殺すだけの根性がある人間は、この『時代』にはまずいまい。

 それが良い事か悪い事かは何とも判断をつけ難いが。

「まぁ、ひとまず一件落着か?」

「行方不明者の捜索はまだ続いているが、な……」

 遺族には気の毒だが……おそらくは、食人花(ヴィオラス)の犠牲者だ。

 ならば、もう見つかるまい。

 実際、解決という判断なのだろう。【ガネーシャ・ファミリア】の一部はすでに帰還している。

 ただ、ロログ湖にはいまだ食人花(ヴィオラス)が巣くっている危険があるため、定期的に【ガネーシャ・ファミリア】の団員が巡回に来ることで話はまとまったらしい。

 そして……

「水棲のモンスターを調教(テイム)するんだろう?」

 件の『魔法の粉』の絡繰りについては、ひとまず関係者の一部にのみ公表された。

 少なからぬ波乱を生んだが……【ガネーシャ・ファミリア】の協力の元、モンスターにモンスターを喰わせるという構造は活かす方針で決着したという。

 背を腹には代えられないというのはもちろんあるだろうが、【ガネーシャ・ファミリア】の信頼と実績のおかげといったところか。

 とはいえ、すぐに効果が出るはずもない。

 当面はオラリオ――ギルドと関税率に関して交渉していくことになる。

 幸い、件の支部長は個人的に密輸に手を染めていたのは間違いないらしい。

 そこに加えて今回の対応で下手を打ったとあれば、ギルド本部も強くは出れまい。

 どの程度かはともかく、今現在よりは軽減されると見ていい……と、シャクティは言っていた。

「上手くいくかは分からんがな」

 何しろ、初めての試みだ――と、そのシャクティが肩をすくめる。

 もちろん、調教(テイム)の話だろう。

「孵化した翼竜を調教して移動手段に活用しようって計画があるんじゃなかったか?」

 つまり、海路や陸路ではなく()()という新たな手段として。

 上手く実現できたなら、その利用価値は計り知れない。

「詳しいな」

「そりゃ、放浪者だからな。旅に関わる情報には耳聡くもなるさ」

 などと気取ってはみたものの……実際のところ、帰ってきて早々にウラノス達から聞いたというのが真相だったりする。

 これはもしかして、実験体を押し付けられる前振りなのだろうか。

(空の旅は別に初めてではないが…)

 鴉やデーモンより運ばれ心地……いや、乗り心地が良いことを祈っておこう。

 あと、途中で落とされないことも。

「そりゃ、本当に上手く行くなら便利そうだけど」

 アイシャが肩をすくめる。

「こっちはどうするのさ。共食いさせると強化種が生まれちまうんじゃないかい?」

 食人花(ヴィオラス)の時は、それが目的だった。

 だが、調教(テイム)したモンスターを用いるなら、そうはいかない……らしい。

 強化種は凶暴さも増しているというのが通例であり、その分だけ調教(テイム)し辛いのだとか。

 ……強化種と言われるとまずゼノス達が思い浮かぶ俺にはいまいちピンとこないが。

「それについては、一つ考えがある」

 シャクティはあっさりと言った。流石は本職という事か。

「どうするつもりだ?」

 とはいえ、即答してくるとは思わなかった。純粋な好奇心から問いかける。

「極東出身の団員に聞いたのだが……。なんでも『鵜飼い』という漁法があるらしい」

「ウカイ?」

「そうだ。鵜という鳥に魚を捕まえさせる方法だという」

「鳥の食いかじりなんて売れるのかい?」

「いや、違う。そもそも鵜という鳥は魚を丸のみにするそうだ」

 アイシャの言葉に、首を横に振ってからシャクティは続けた。

「その団員が言うには、鳥の首に縄を巻き、ある大きさ以上の魚は飲み込めないようにしておくらしい」

「……何だか面倒くさい方法だねぇ」

「魚に傷がつかなくていいらしいがな。私も実際に見た事がある訳ではない」

 だから、それ以上のことは分からない。シャクティはそう言って肩をすくめた。

 まぁ、その何とかいう漁法についてはともかくとして。

「なるほど。つまり、魔石だけ吐き出させるつもりか?」

 今の状況に合わせるなら、そういうことになるはずだ。

「ああ。まぁ、あまりに大雑把な方針だがな。具体性はまだ何もない」

 どのようなモンスターを調教(テイム)すれば実現できるすら分からないからな。

 ため息とともに、彼女はそう言った。

 とはいえ、先の竜と共に成功すれば、モンスターに対する評価も多少は変わるはずだ。

 そうなれば、ゼノス達の悲願達成に一歩近づく。

 ぜひとも形にして欲しいところだ。

「当面は今まで通りに『魔法の粉』を使ってもらうしかあるまい」

「補給は効くのかい?」

「まだ詳細は分からないが、さほど複雑なものではなさそうだ」

「いや、補給よりもあいつらが肥えたら厄介なんじゃ……」

 奴らの飼い主……あの赤髪の美人の目的は知らないが、まさか慈善活動ではあるまい。

 適度に肥えたところであの『宝玉』を寄生させ、五九階層にいるような異形を生み出す……と、言うのはあくまで手段でしかあるまい。

 問題は、それを使って何をするつもりなのかだ。

(まさか芸を見せて終わりってわけでもないだろうしな)

 わざわざ地上で生み出すのだ。狙いはオラリオ……と、言うところまでは予想がつく。

 ただ――

(あんなのが一匹、二匹暴れたくらいでどうにかなる街でもないだろう)

 もっとも、俺も五九階層にいる異形の力量を把握しているわけではないのだが。

 だが、仮に階層主(ウダイオス)級と見積もって……それでもオッタル一人でどうにでもなる。

 オッタルほどではないにしても、あの女や糸目の小僧とその手下たちも手練れだ。

(奴らだって自分たちの庭先で暴れられたなら黙っちゃいないだろうしな)

 無論、シャクティ達もいる。他にも……そう、例えばどこぞの飲食店店員とか。

 それに……きっと、あいつがいるなら黙ってはいまい。

 もちろん、一般人を中心に深刻な被害が出るのは想像に難くない……が、それでも()()()()()()()()をどうにかするには、少しばかり馬力が足りないように思う。

「もちろん、適時間引いていくつもりだ。強化種になどなられてたまるか」

 ただ、と彼女は続ける。

「程よく肥えれば『本命』が姿を見せるかも知れない。望みは薄いがな」

 なるほど、闇派閥(イヴィルス)残党か。

シャクティ達が目を光らせているところに呑気に姿を見せるとも思えないが……しかし、リヴィラの街の時のように強硬な手段を用いる可能性もある。

 罠を仕掛けておいて損はしないか。

「その辺りはこれから神ニョルズ達と相談しながらだな」

 モンスターは倒したが、メレンが干上がったでは困る――と。

 彼女の言葉に、ひとまず頷いておく。

 まぁ、ここまで肩入れしたのだ。できればうまくまとまって欲しい。

「とはいえ、【ニョルズ・ファミリア】も少し揺らいでいる。何であれ、性急には進められない」

「何かあったのか?」

「いや……。なかなか優秀な団長だという話だ」

 なるほど、あの若頭は密輸や食人花(ヴィオラス)について勘づいていたのか。

「ただ、悪いようにはなるまい。神ニョルズが善神であることに変わりはないのだから」

 それは……何とも返事に困る話だった。

 丸く収まるならそれに越したことはない。ひとまずはそれで納得しておこう。

「ところで、『フランケルの館』の方はどうなった?」

 ともあれ、そこでシャクティは話題を変えた。

「さて。残ってたのは走り書き程度だ。全容はよく分からない」

 彼女が訊いているのは、もちろんあの研究室のことだ。

 誰が最初に言いだしたのか……気づけばそういう暗号が定着していた。

 あれから、亡者の『介錯』やら残された走り書きの『解読』やらを仰せつかっている。

「ただ、あの様子から考えて、予想が大きく外れてるって事はないだろう」

 まぁ、解読と言わねばならないほど悪筆ではないが。

 むしろ、読みやすい部類の字だろう。

「『ソウルの業』の復活か……」

 別に不可能という事はない。『火の時代』であれば……それこそドラングレイグ時代であっても、自覚なく会得している者たちは多くいた。

 ボンハルト然り、ルカティエル然り。

 いや、あの時代に名を馳せた英傑たちは、おそらく独力で『ソウルの業』に開眼していたはずだ。

 この『時代』の人間に同じことができないとは思えない。

 実際、あの屋敷の主が『ソウルの業』を会得しているのは疑いないことだった。

 もっとも、問題はある。

「正確には強化だな」

 あるいは、効率化というべきかもしれない。

 この『時代』に篝火はなく、火防女もいない。

 これでは、例え『ソウルの業』に開眼しても成長させるのは難しい。それこそ、『ソウルの器』である不死人にとってすら容易なことではない。

 この辺りは、それこそドラングレイグ時代と同じだ。

 加えて、最も効率的にソウルを回収できるであろうダンジョンは神々に押さえられている。

 効率を上げようとするのは、むしろ必然であろう。

 その一環として『暗い穴』に興味を持つのもまた自然な流れと言えよう。

 何より――

 

(あの屋敷の主が目指していることも概ね同じだ)

 

 不死人(じゅんれいしゃ)の行きつく果て。それを意図的に生み出そうとしている。

 そうとしか思えない。だとすれば、あの亡者たちはさしずめ殉教者とでもいうべきなのだろう。

 しかし、だとするなら。

「やはり、あの屋敷の主は【黒教会】とは別の組織と考えた方が良い」

「何故だ?」

「『暗い穴』はすでに完成された技術だからな」

 かつてカアスが語った『闇の王』――火の簒奪者たる【亡者の王】を生み出せる。

 ユリアたちがその確信を覚えるほどに『暗い穴』は完成されていたはずだ。

【薪の王】に並び立つ……あるいは、それ以上の(モノ)を生み出せる。

 その確信を抱かせるほどの力。『暗い穴』とは、そういったものだ。

「ユリア……【黒教会】の連中だとするなら、この『時代』に適応させるためとしても、少々迷走しすぎている。これはまったく別の何者かが手探りで同じ場所を目指していると考えた方が良い」

 まぁ、この『時代』に迷い込んだのがユリアではなく【黒教会】の下っ端で、そいつが右往左往しながら復活を目指しているという可能性も全くないとは言い切れないだろうが。

「【黒教会】とは別に亡者を生み出している者たちがいるだと……?」

 心底嫌そうにシャクティが呻いた。

 まぁ、それはそうだろうが。俺だってゾッとしない話だ。わざわざ自分達から『不死の呪い』を復活させようなどとは。

(ああ。それも必要なことなんだろう)

 クソッたれが。胸中で吐き捨てた。

 まったく、この『時代』の何もかもが気に入らない。

 霞やアイシャと出会い、何とか忘れているつもりの憎悪が再び火の粉を舞い上げた。

「任せておいてなんだが……お前はあのメモを何故読める?」

 シャクティの言葉に、ため息とともにそれを吐き出した。

 ここはまだ滅んでいない『時代』だ。

 不死人が独りで暴れ回ったところでどうなるものでもない。

 胸中で呟き、闇の奥底にその火を沈め込んだ。

「何故と言われてもだな……」

 嘆息交じりに呻く。

 そもそもの話として、別にあれは暗号文などではない。

 確かに、少々この『時代』風に変形しているが……。

「あれはウーラシールで使われていた文字だ。それなりに魔術に通じている奴なら読める」

 いや、正確には魔術というより闇術だが。

 いずれにしても、ウーラシールに連なる何かを知っている者なら読めないはずもない。

「ウーラシール?」

 そういう意味では不用心だが……博識なシャクティでも読めないなら、暗号のようなものか。

「黄金の魔術の国だ。俺が生まれた頃にはとっくに滅んでいたがな」

 そして、滅び逝くその国を彷徨ったこともある。

 まったく、我ながら何とも奇妙な経験をしているものだ。

「……何でこいつ、こんなに博識なんだろうね?」

「さてな」

 アイシャとシャクティが顔を見合わせてため息を吐いた。

 ……それは『理力』や『集中力』をソウルで強化しているからとしか言いようがないわけだが。

 でなければ、ただの放浪者が魔術など使えるものか。

「あの屋敷を漁っても、もう大したものは見つからないだろう」

 目ぼしい書籍だの冊子(ノート)だのは持ち出されている。あるいは、破棄されたのか。

 残っているのは、亡者と走り書きされた紙片くらいか。

 実験器具らしきものもいくらか残っているが……シャクティが確認したところ、さほど珍しいものではなかったらしい。その手の店に行けば、大半は誰でも購入できるのだとか。

「むしろ、本当の持ち主の所在を探った方がいいだろうな」

 となれば、あの屋敷そのものを辿っていった方が持ち主を見つけやすかろう。

 ……まぁ、それこそその辺りは本職のシャクティに丸投げするしかないのだが。

「とりあえず、分かったことは後でまとめて渡す。……ただ、そういうのは初めてだからな。分かりづらくても文句は言うなよ?」

「仕方あるまい。新人教育のつもりで付き合おう。これから先、機会も増えそうだからな」

 それは何というか……正直なところ、苛烈(スパルタ)な予感がする。

(いや、それにしても……)

 長年かけて机仕事一筋でのし上がってきた男が漁師になり、年季の入った不死人が今更机仕事を教え込まれるとは、世の中つくづく何が起こるか分からないものだ。

 これだから、『生』とは恐ろしく、そして面白い。

 

 …――

 

 異変は、唐突に訪れた。

「ぬぅ……!?」

 否。すでに起こっていたのだ。

 だが、巧妙に隠されていた。

 否。それも違う。

 覗き込めばこうなることが分かっていたから、あえて隠してくれていたのだ。

「どうしたのだ、ウラノス!?」

 フェルズに返事を返すだけの余力がない。

 祈祷が……ダンジョンの封印を維持できない。

 続ければ、堕ちる。この闇は、(かみ)には封じきれない。

 だが、祈祷をやめれば、オラリオが陥落(おち)る。

 

 否。この『闇』を野放しにすれば、下界そのものが……天界すら堕とされる。

 敵はただのモンスターなどではないのだから。

 

「ぐ……ぁ……がぁ!?」

 脂汗がにじみ出る。悪寒が酷い。神座から転げ落ちそうだ。

 このままでは――

 

『要の方。聞こえていますか?』

 

 誰かが、祈祷に割り込んできた。互いの力が共鳴しあい、悪寒が治まる。

 それどころか、千年背負ってきた重圧までがいくらか和らいでいた。

『しばらくの間、この『大穴』は私達が封じます』

 大きく息を吐いている間にも、その声は響いていた。

 おそらく、この声の主こそが今までこの闇が私に見えないようにしていた者だ。

 だが、封じるだと……?

(いや、可能だ。()()()()()()()()()()()

 かの者であれば、今の私の真似事をするくらいは造作もあるまい。

 現に、こうして祈祷――ダンジョンの封印を肩代わりしてくれている。

 いや、あるいは元々そのために……。

『灰の方を。この『呪い』が爆ぜてしまう前に』

 分かっている――と。その声に返すより先に、共鳴が途絶えた。

 しかし、封印はまだ続いている。ダンジョンも、かつて我らが恐れたこの『闇』も。

 少なくとも、今はもうあの『闇』に苛まれていない。

(時が満ちようとしている、か……)

 回帰は許されず。運命は止まらない。

(お前の言う通りになったな……)

 もはや、我々の思惑は破綻しつつある。かつて交わした『密約』は意味を失おうとしている。

 しかし、ダンジョンが限界だという事実だけは変わらない。

 私達が知らなかった……いや、()()()()()存在が目覚めた今、千年の封印が破られる日もまた近い。

(アルトリウスよ……)

 いや、その程度では済むまい。

 約束された終わりなき終焉が近づいているのだ。

 遠く『時代』すら超えて、あの王達を呼び寄せるほどに。




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、評価いただいた方、感想を書き込んでいただいた方、ありがとうございます。
 次回更新は8月中を予定しています。
 19/10/02:誤字修正

―あとがき―

 申し訳ございません。またしても予定から大幅に遅れてしまいました。
 そして、感謝を。お気に入り登録数が500を超えました。
 長く更新が滞っていたというのに、本当にありがとうございます。
 
 さて、そんなわけで二部二章の始まりです。
 だというのに、まだ微妙にメレン編が尾を引いているという…。
 当初の予定では、もっとさらっと終わるはずだったんですけどね。
 ともあれ、ようやく亡者の発生元が判明しました。
 粗製のフロム脳ではこれが限界ですが…ひとまず、これで堂々と亡者を登場させられるかな、と。
 亡者がいなくて何がダークソウルですか、ひゃっほー!
 …ええと、何か色々すみません。
 あと、この話を書いている途中で暗い穴の描写を間違えているのに気づいたので修正させていただきました。
 自分で考えた設定を取り間違えるとか…本当にすみません。
 
 更新が滞っている二ヶ月強の間にもダンまち関連は色々ありましたね。
 本編と外伝にそれぞれ新刊が出ましたし、スマホアプリのダンメモも二周年イベント中です。
 そして、アニメ二期。いよいよ動くアイシャと春姫が見れる…!!
 これに乗じて更新速度を上げられるといいのですが、さて…。
 
 そして、リリルカ、ランクアップおめでとう!!
 楽しくはしゃいでる姿とギルドの税金が上がるかもとわなわなしている姿が見れただけでも大満足です。
 本当に良かった! 作中の時間軸は前後しますが、外伝12巻でも見事な活躍を見せてくれました! 

 ダンメモの記念イベント…今年も凄いですね。
 物語として純粋に面白かったのはもちろん言うまでもなく、『古代』について触れられているという…!
 色々と妄想が捗ってしまいます。
  
 そして、外伝一二巻は…シリーズ最大と言っても過言ではないほど衝撃的な展開がありました。それはもう、思わず鳥肌が立ったくらいです。
 まだ発売して日も浅いですし、何よりとても一言では言い表せないので、拙作に関係するところだけ簡単に。
 
 もちろん信じていましたよ!! ガネーシャ様!!
 
 …ええと、何でここでガネーシャ様だよ、というツッコミが入りそうなので少し言い訳を。
 実はAmazonで挿絵が公開されてから『拳で戦う眷属がいる仮面被った善神ってまさか』とひとりガクブルしていたんです…。
 一応ガネーシャ様も例のワインを飲ませられる立場でしたし、拙作だとレギュラー化しているシャクティは武器が同じですし。
 黒幕の方も原典だとインドの方まで足を運んでいたらしいので、ダンまち世界でも天界で接点があったのかも、とか。
 なので、仮面ってそういう意味じゃないだろと思いつつも、ついつい深読みを…。
 ともあれ、これでひとまず安心して続きを書けます。
 
 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。


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