SOUL REGALIA   作:秋水

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※19/5/6現在、仮公開中。
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第五節 邂逅。死を超える者たち

 

「一体、何をどうすればこうなるというのだ……」

 バベルの最奥――『祈祷の間』で、ウラノスと共にそれを見ながら呻く。

 ガフィール――私の使い魔である梟の『眼』を介して映し出されるメレンは、至る所に闇霊が徘徊していた。

 まるでそこだけが『火の時代』に回帰したかのよう――と、言うのは偏見かも知れないが。

 しかし、いずれにしても真っ当な光景ではない。

「ひとまず、ガネーシャの子供たちを追え」

「ああ、そうしよう。これでは偵察もままならない」

 実際、すでに何度か勘のいい闇霊と遭遇し、射落とされかけている。無事に戻ったら、好物の鼠を山ほど用意し労わってやらねばなるまい。

 ともあれ、ウラノスの指示通り【象神の杖(アンクーシャ)】らの後を追わせる。

 安全の確保もさることながら、クオンを見つけるうえでも効率的だった。

 と、言ってもクオンを見つけること自体は決して難しくもなかったが。

「なるほど、あいつが音を上げるわけだ」

 クオンと【麗傑(アンティアネイラ)】――魔道具らしきフードで顔を隠しているが、まず間違いあるまい――は、メレン支部で足止めされていた。

 理由はやはり明らかだ。負傷者を――いや、支部前の惨状からすれば明らかに死者も出ている――含んだ大量の住民を抱えている。

 これはあいつが最も苦手とする状況だった。

 おそらくは格下であるはずの闇霊を前に、いつになく悲壮な顔をしている。

 ……もっとも、それも【象神の杖(アンクーシャ)】らが参戦するまでの間だが。

『『死の瞳』が使われた。敵は【墓王の眷属】。詳しい話は省くが、メレンを殺しつくせるだけの闇霊が来る。どこかにある起点を潰すか、元凶の変態を殺すかしない限り、侵入は止められない』

 ともあれ、クオンと合流したことで、ようやく事態を把握できた。

「【墓王の眷属】に『死の瞳』か……」

 いや、詳しい話はさっぱりだが、やはり『火の時代』の脅威らしい。

 どうやら闇霊を呼び寄せる魔道具のようだが……こんなものをオラリオで使われたなら、いったいどれほどの惨劇が起こることか。

 想像するだけでも恐ろしい。

「墓王という神に、聞き覚えはあるか?」

「……おそらく、原初の三神が一柱、墓王ニトのことだろう。その名の通り、死を司った神だ」

 唸るようにウラノスが続けた。

「天界に残る、極めて古い文献にもその名は残されていた。もっとも、この厄災については記載がなかったが。少なくとも、私が目を通した限りでは」

 その書が酷く傷んでいたせいかもしれん――と、最後に小さく呻く。

「いずれにせよ、放置はできん。それにクオンではないが……私個神として、メレンとは関係を密にしていきたい」

「モンスターの有効活用とその実績か。……なるほど、盛況とはいえ、娯楽の域を出ないフィリア祭よりも説得力がある」

「そういうことだ。……私も、クオンに毒されたかな」

 ウラノスが小さく苦笑した。

 もっとも、今のオラリオは数多の厄災を抱え込んでいる。

 ならば、あのしぶとさ、強かさは私達も大いに見習うべきだ。

 何しろ、苦難に挑む事にかけてあいつの右に出るものなどいないのだから。

「まずは『死の瞳』を閉ざす。相手が何者であれ、これ以上の被害は許されん。このままクオン達を援護しろ」

「分かっている。だが、その元凶を探せるものか……」

 単独行動となれば、また狙撃に晒されることになる。

 それはこの際仕方がないとして、他に人相が分からないという問題もあった。

 ……もっとも、やるしかないわけだが。

(まったく、本当にあいつと関わると退屈する暇がないな)

 以前、刺激は人生を楽しくする隠し味(スパイス)だと、とある神が言っていたが……これは少々強烈すぎる。そもそも、辛味とは味覚ではなく痛覚なのだと訴えたい。

 胸中で嘆息しながら、ガフィールに新たな指示を送った。

 

 

 

 普段であれば潮騒だけが支配するメレンの夜も、今宵ばかりは随分とにぎやかだった。

 金属音、破砕音、爆音、裂帛の気勢……そして、断末魔の叫び。

 そういったものが、潮騒を押しのけ、断続的に響きわたっている。

「ニョルズ様、くれぐれも気を付けてください!」

「ああ。きっちり片づけてくるからな!」

 それが聞こえていないはずもないだろうが……空元気を絶やすことなく主神と団長が笑いあう。

(ま、頭が悲壮な顔をしてたんじゃまとまるものもまとまらないか)

 平気だと見栄を張るのも時には必要ということだ。

 ともあれ。住民達とギルドで別れてから、闇霊どもと交戦すること数回。

 ようやく辿り着いた地下水路への入り口は、ここ数日世話になった旅籠街から少し外れた場所にあった。

 扉を開けると、ひやりとした空気が吹き出てくる。だが、それだけだ。悪臭の類は感じられない。

 オラリオでも何度か見た事があるが、浄水柱の効果には驚かされる。

 何しろ、下水の悪臭がすぐに消えるほどだ。

 それは分かっているが、それでも仮にも汚水溜めをこんな場所に……とも思う。

 とはいえ、この街でギルドが介入しやすい場所を、と考えれば致し方ない面もあるのだろう。

 もしくは、建設された当時、この周辺はただの更地だったのか。

「【Elucidare】」

 ともあれ、暗い入り口を覗き込み、古き言葉を呟く。

 その名を【照らす光】。その名の通り、ただ周囲を照らすためだけの光を生み出す魔術。

 だが、これが意外と高等技術らしく、ついに竜の学院は己のものにできなかった。

 だからこそ魔術でありながらも竜の言葉ではなく、今も古き言葉が詠唱に用いられているとか。

 ……もっとも、どこまで本当だか知らないが。

(まぁ、長時間持続させるのはそれなりに骨だがな)

 一瞬の閃光を固定化したような光球が、湿った空気の向こう側を照らし出す。

 シャクティ達は自前の魔石灯を持ち込んでいるが、俺達はそうはいかない。

 すでに忘れつつあったが、そもそもアイシャのご機嫌取りにきただけだ。こんな事態は想定外もいいところである。

 いや、長年愛用している≪頭蓋ランタン≫なら今も持っているが、何故か不評だった。

(不気味ってお前ら、毎日好き好んでダンジョンに潜って……)

 いるわけでもないのか。

 何しろ、彼女たちは冒険者(ならず者)の街で、物好きにも治安維持に心血を捧げる【ガネーシャ・ファミリア】だ。むしろ、ダンジョンなど金まで稼げる訓練場くらいの気分なのかもしれない。

(……次からはソウルの中に魔石灯を常備しておくとしよう)

 ――と、それはともかくとして。

「ひとまず、この第一浄水室に出る」

 支部で見つけた地下水路の地図を広げ、シャクティが告げる。

 ここがメレンの下水を一手に処理する浄水槽だという。

 もっとも、それ一つでは何かあった時に困る。そこからいくつか予備のものもあるそうだ。

 この辺りは、オラリオ――ギルド本部の投資あってのことだろう。

「そこから先は部隊を二つに分けるつもりだが……」

 それぞれが、ある程度の広さを持った空間に設置されているとも聞いているが……。

「地図だけでは今一つ状況が掴み切れん。まずは現場を見てからだ」

 何しろ、手に入れた地図は建設当時のものだ。

 それから何度か大規模な改修工事を行っているという。

 最新版はギルド本部に保管されている辺り、この街とオラリオの微妙な関係が感じられる。

「敵の本陣に乗り込むのに一〇人ちょいってのはちょっと不安ですけどね……」

 その指示を受け、団員の一人が不安そうに呻いた。

「仕方あるまい。住民の安全確保も私達の務めだ」

 彼女たちの言う通り、今ここにいる【ガネーシャ・ファミリア】はシャクティ以下一〇名。

 そこに俺とアイシャと神が加わり総勢一三名となる。

 残り二〇名は当主や若頭たちと共に住民を護衛し、オラリオへと避難させている。

 予定通りと言えば予定通りだ。

「向こうが海蝕洞。ベオル山脈はこの先か」

 軽く首をひねり、大雑把に位置関係を把握する。

 もちろん、ベオル山脈はともかく海蝕洞など見えるはずもないが。

「大雑把に見れば、直線上にあると言っていいか。立地的にも都合がいいな」

 もっとも、まだ頭の中にあるのは観光用の地図だ。

 実際には思わぬ抜け道があるかもしれない。ないならないで、屋根でも伝えば何とでもなる。

 ――が、気にしていても始まらない。結局は怪しい場所をひとつずつ潰していくしかないのだ。

「ああ。……ここで決着をつけたいものだ」

 シャクティの言葉に頷いてから、階段を下る。

 一見すれば小さな小屋だが、中は案外広い――と、言うより深い。

 螺旋構造とまでは言わないが、それに近い造りだ。万が一にもモンスターが侵入ないし、侵出してこないよう、何ヶ所かに分厚い金属製の扉が設えられている。

 この辺りは、オラリオの地下水路に通じるものがあった。

 そして、その全てがこじあけられているとなれば――

「当たりのようだね」

「ああ。少なくとも、その元凶はここに立ち寄っている」

 アイシャのシャクティのやり取りを聞きながら、何枚目かの扉を蹴破った。

 すぐに武器を構えるが……しかし、闇霊の襲撃はない。不自然なほどに。

(数が減った影響か?)

 無事に逃げ延びたか、はたまた道半ばで死んだか。

 いずれにしても、この街の生者は数を減らしている。

 侵入してくる闇霊も、その分だけ減っているはずだ。

 ならば、遭遇する闇霊が減るというのも必然ではあるが……。

(ネズミ一匹いやしないってのはどういうことだ?)

 無論、散々追い回した大ネズミどもではない。オラリオの地下水路でも――いや、それこそたまにヘスティアの廃教会でも見かけるただのネズミどもすらいない。

 それはいくらか不自然に過ぎる。

 胸中で呻きながら、最後の扉を蹴破ると――

「こいつは……」

 ――その先には、闇霊の一団。

 その中心、薄暗い常夜灯の輝きに照らし出されるのは、いかにも騎士然とした鎧姿の闇霊。

 手に持つのは苔生した≪石の大剣≫。

(また面倒なものを……)

 あの黒い森の庭を守護する石の騎士が携えていたものだ。

 かつてウーラシールが遺したその大剣には、当然ながら魔力が込められている。

 その魔力自体が致命的な破壊力を持っているわけではないが、運用次第では下手な(スペル)よりよほど恐ろしい。

 問題は、武器だけではない。

「『大当たり』、だな……」

「何だと?」

 伝わってくるソウルの気配。

 それは明らかに壁を破り、『玉座』を見据えた者のそれだ。

 四年前とつい先日、ダンジョンで出くわしたあの闇霊とどちらが手練れか。

 いずれにしても、今の俺などより圧倒的に格上の存在だ。

「ここに来ると予見していたな」

 当然か。地上を生き延びられただけでそれなりの実力者――ソウルの持ち主と言えよう。

 少なくとも、『火の時代』ではそうだ。

 その地上を踏破し、サインを消しに来る者ならなおさら()()()()

 そう判断しても不思議ではなかった。

 そのうえで、万全の準備を整えて待ち構えるというのは……忌々しいが、あくまで勝ちにこだわるなら有効というよりない。

 ……まぁ、ここで尻尾巻いて逃げるという選択肢を残しておいてくれているだけ、まだいくらか情け深いと言えなくもないが。

 もっとも、すでに取り巻きの闇霊どもは動き出している。

 全員が無事に撤退できるかと言われれば、不可能だろう。少なくとも、神は逃げきれない。

(まったく、何が悲しくて神を守ってやらなければならないんだ?)

 嘆息してから覚悟を決めた。

「二人とも――」

≪石の大剣≫を構える闇霊に投げナイフを一投。

 もちろんそんなものが通じるはずもなく、あっさり振り払われた。

「――サインは任せた」

 だが、先手は取った。一気に間合いを詰め、斬りかかる。

 円形の区画は思ったより広い。お互いに大剣を振り回すには充分だ。

 無論、英雄の剣を模倣するにも充分だが――

『―――――』

 そんな紛い物が容易く通じる相手でもない。

 左手のタワーシールドにあっさりと防がれた。舌打ちをする暇もなく、間合いを開く。

 近距離を保ち続けるのは危険だ。一撃離脱を心掛けなくては、あの剣の餌食になる。

 地力からして劣るこの状況で、そんな事になれば確実に殺されるだろう。

 間合いを取りながら左手に『火』を宿し、炎の憧憬を思い描く。

 出し惜しみはしない。思い描くのはイザリスの終焉。その一つの形。

 その名を【混沌の大火球】。

 炎の魔女イザリスですら抗いきれなかった劫火は狙い違わず闇霊に直撃。やや距離のあった鉄柵すらも飴細工のように融解させ、周辺の石畳を溶岩に変える。

「――――ッッ!?」

 その劫火が内側から破られた。

 溶岩を踏みしだき、闇霊が迫る。

(こいつ……ッ!)

 単純な力量の差だけではない。その闇霊の体は白い輝きで包まれていた。

 おそらくは、【岩のような】ハベルが遺し、のちの世ではミラの騎士団も口ずさんだ物語。

 その名を【大魔力防御】。白竜シースを快く思わなかったハベルが生み出した奇跡。

 後世にも頑強さの代名詞として知られた神の英傑が自ら編み出したとっておきだ。生半可な攻撃など通じるはずもない。

 それが、タワーシールド(大盾)越しではなおさらだった。

「――――」

 左の武器を≪アヴェリン≫に切り替え、牽制する。

『―――』

 が、それは衝撃波――【フォース】にあっさり弾かれた。

 どうやら、信仰戦士と見て良さそうだ。かつて散々に叩き潰された、かの偉大な聖騎士ほどではないと思いたいが――

「――――ッ!」

 ――などと、余計なことは考えていられない。

 剣戟は鋭く、そして重い。≪竜紋章の盾≫を砕くほどではないが、踏ん張れず押し返された。

 筋力が足りない。なりふり構わず飛び退いて、続く攻撃を避ける。

 攻撃する暇がない。あっけなく防戦に追いやられた。

「フ――…」

 毒づきながら剣閃を掻い潜り、受け流し、弾き飛ばされ――何度かそれらを繰り返したところで、ようやく間合いが開く。

 思わず息を吐いていた。力量の差は絶対的だ。

 初めて黒騎士に出くわした時の絶望感を思い出す程度には。

 ……いや、あの時は絶望などしている暇もなかったか。気づいたら篝火の傍にいたのだから。

(だが、まだ何とでもなる)

 俺もあの時よりは経験を積み、いくらかマシにはなっている。

 だか、それだけだ。

 一撃でも直撃を許せば、それだけで()()()()()()()()()()()()()()

 今の俺では、その逆は無理だろう。

 そもそも、この闇霊相手に勝ちを拾えるかどうか……。

(いや――)

 今は自分が死なない事を最優先にすべきだ。

 この状況で俺が死ねば、最悪アイシャの【ステイタス】が封じられる。それだけはマズい。

 だが、その一方でこの闇霊を仕留める必要はない。

 アイシャ達がサインによって呼び出される眷属を仕留めてくれれば、それで充分だ。

(奴は大した相手じゃない)

 あの眷属の実力は概ね把握している。

 アイシャだけなら厳しいかもしれないが、シャクティがいるならまだ勝ち目もある。

 ……まぁ、少なくともオッタルよりは弱い。高く見積もって精々があの小人程度だ。

 なら、サインから呼び出される闇霊もその程度のはず。

 この闇霊が一分かそこら隙を見せてくれるなら、それで殺せるが……。

(そんな暇があればな……ッ!)

 この闇霊がいる限り、隙を見せれば殺されるのは俺の方だ。

 それこそ、一分かそこらで充分すぎる。

 胸中で呻きながら、武器を切り替える。

(奴は俺と同じただの不死人だ。必ず隙が生じる)

 いっそ祈るような気分で自分に言い聞かせる。

 勝負を仕掛ける一瞬。それが訪れるまでは防戦に徹するしかない。

 ならば、装備もそれにふさわしいものを。

 なけなしの緑花草を口に押し込み、≪竜紋章の盾≫を≪ゲルムの大盾≫へ。

 まずは守りを固める。無論、盾で守るというのは言うほど楽なものではない。

 打ち込まれる衝撃は確実に体力を削っていく。

 緑花草の後押しがあったとして、そういくらも耐えきれない。

 ――が、それでいい。防戦するしかないが……しかし、何も本当に守りに徹するだけではない。

 右の武器は≪アルスターの槍≫。強力な呪毒の宿ったその穂先が、闇霊の体を啄む。

 攻勢に転じたというにはあまりに無様だ――が、大盾を構えながら、好きともいえない隙を狙い続ける。

 無論、どれも皮を裂いた程度の浅い傷ばかりだ。生者ですら致命傷には程遠い。

 ……傷そのものは。

 ただし、その槍が孕んだ呪詛は毒となり、傷口から入り込んではいずれ闇霊の体を蝕む。

『――――ッ!』

 戦闘が始まって初めて、闇霊が退いた。

 毒が回ったのだ。

 とはいえ、それもいつまでも続くものではない。そして、反撃の隙をさらすこともない。

 ならば、せめてこの隙にこの闇霊を少しでもサインから引き離さなくては。

『―――――』

 しかし、その狙いは向こうも把握している。

 間合いを開いた闇霊が、すぐさま物語を口ずさんだ。

 これは、【生命湧き】か。聖職の騎士に広く普及する奇跡の一つ。

 その名の通り、少しずつだが一定時間傷を癒し続ける奇跡。

 これでは毒を相殺されたようなものだ。

『―――――』

 さらに物語が紡がれる。

 その左手に、雷が集まり槍を成した。と、なればこれはもう【雷の大槍】だろう。

 我が友ソラールが旅の最中に開眼した奇跡。その威力はよく知っている。

「―――――ッ!」

 盾を≪金翼紋章の盾≫へ。

 特別な魔力を練り込まれたそれは魔力を()()

 その力を最大限に発揮させられるその一瞬を見極め盾を払う。

 狙いは完璧だった。古竜のウロコすら貫く雷槍は虚空を貫くにとどまる。

 だが――

(しまった……ッ!)

 動きた停滞した一瞬。意識が横に逸れたその刹那。

 間合いに踏み込まれていた。

 剣自体は、それでも何とか躱した。だが、それだけだ。

『―――――』

 闇霊がその≪石の大剣≫を掲げる。

 同時、秘められた力が、解放された。

 その力。それと同質のものはこう呼ばれている。

【緩やかな平和の歩み】と。

 体が重くなる。辛うじて歩けるが、それだけだ。飛び退くことなどできるはずもない。

 無論、この剣がもたらす影響はごく短い間だけだ。

『―――――』

 だが、その物語を口ずさむには充分すぎた。

 その物語の名を【神の怒り】。

 圧倒的な破壊力を宿す――大気を歪め放電させる程の衝撃が解き放たれる。

 鉛の塊のように重くなった体が、まるで木の葉のように軽々と空を舞い――

「が――――ッッ!」

 壁にめり込んで止まる。

 つかの間、意識が明滅した。まるで、生者のように。

 視界を染める闇に恐怖したところで――思わず笑っていた。

 まったく、たった四年かそこらでずいぶんと腑抜けたらしい。

(ああ、まったくだな)

 今さら死を恐れるなど、腑抜けているにもほどがある。

 

 殺せ。

 

 闇の刻印が蠢いた。

 

 殺せ。

 

 喰らってきた数多のソウルが呪詛の呻きを上げる。

 

 殺せッ!!

 

 錆びついたソウルが、軋みを上げながら奔りだす。

 

「―――――ォォ!!」

 咆哮(ウォークライ)

 それが、この燃え滓の灰に一時熱を取り戻させる。

 とどめを刺すべく突き出された≪石の大剣≫の切っ先が頬と耳を斬り裂いていく。

 溢れた血が片耳を塞ぐ――が、関係ない。

 そんなことが問題となるような人間性など、遥か昔に喪っている。

 左手の()()を≪骸骨車輪の盾≫へ。

 無数の鉄棘が打ち込まれた巨大な車輪。盾と呼ぶにはあまりに珍妙なそれは、数多の巡礼者を恐れ戦かせたとある亡者の遺物である。

 そして、その真価はまさにその悪夢の再現だった。

『――――!』

 振り下ろされる剣すら無視して闇霊に体当たりする。

 触れてしまえば、こちらのものだ。

「廻れ!」

 それは、車輪亡者と呼ばれる亡者の遺物。

 本体であったはずの骸骨はすでになくとも、その怨念は今も車輪に宿っている。

『―――――ッッ!!』

 俺を含め、数多の巡礼者を轢殺した忌々しい車輪が、新たな生贄を求めて再び回りだす。

 火花を散らし、軋ませながら敵の攻撃も防御も強引に削りとり――

「―――――ァア!!」

 右に構えた≪アルスターの槍≫の穂先を闇霊の体に抉り込む。

 毒殺? 馬鹿馬鹿しい。そんなものはただのおまけだ。

 この手で直接殺す以上の方法などありはしない。

 突き立てたままの槍を手放し『火』を灯す。

 思い描くのは野蛮なる浄化。否――【浄火】。

 完全に組み付いたまま、その儀式を執り行う。

『―――――ァ!!?』

 ほとんど自爆するようなものだった。

 闇霊の内側から噴き出る炎に焼かれながら、いったん間合いを開く。

 いくらか体が焦げたが……しかし、損傷(ダメージ)は闇霊が上だ。

 当然だろう。我が師イザリスのクラーナらによって作られたこの黒衣に生半可な炎など意味をなさないのだから。

 とはいえ、今の俺の【浄火】程度ではあの闇霊を殺しきれない。

 そして、生きているなら不死人の剣が鈍るはずがない。

 未だ鎧の隙間から火の粉を散らしながら、闇霊が迫る。

「【Ferrum,secare Meus amor】」

 右手に、漆黒の刃が生じる。

 闇の忌み子とも言われた――闇術の師であるカルラより受け継いだ秘術。

 その名を【闇の刃】。

 直後、闇の刃と石の刃が激突する。筋力の差は圧倒的だが――

『―――――ッッ?!』

 今も体に残る咆哮の残響と、人間性を宿す重い闇が足りない力を補った。

 渾身の一撃が≪石の大剣≫を叩き落とす。

 だが、それが限界だった。こちらの刃も霧散していく。

 それでいい。一瞬だけ死を退ければ充分だ。戦闘とはつまりそういうものなのだから。

 完全に殺されない(人間性を失わない)限り、いずれ殺せる。

 今までも、これからも。

 遥か昔に死を失い、灰となってなお蘇ってきた俺にも終わりがあるというなら、その時まで。

「【Hostile truces】」

 咄嗟に飛び退こうとする闇霊を前に続けざまに詠唱を。

 それは、闇霊が手にする剣と同じもの。

 あるいは、かつてロードランに存在したとある奇跡と同一。

 すなわち【約束された平和の歩み】。

『――――』

 飛び退けずに終わった闇霊が左手にタリスマンを握りしめる。

 狙いは、分かっている。先ほどと同じく【神の怒り】を物語るつもりだろう。

 先ほどと同じく、互いに動きが鈍っている。

 状況は同じ。ならば、どちらに原因があるかなど些末なことだ。

(撃たせるものか)

 もう一撃喰らえば、ほぼ間違いなく死ぬ。ならば、撃たせるわけにはいかない。

 集中力はさらに研ぎ澄まされ、時間の流れすら支配し始める。

 無論、それは単なる錯覚だろう。だが、憧憬を一つ思い浮かべるには充分だ。

 フッ――と、吐息を吐き出す。

『――――!!』

 それは怨嗟を帯びて、黄土色の霧となった。

 曰く【酸の噴出】。あらゆる武具防具を蝕む酸という名の呪詛。

 まともに動けぬ闇霊はたちまちその霧に包まれる。

 もっとも、≪石の大剣≫を完全に破壊するには、もう少し時間がかかるだろうが――

『―――――ッッ!?』

 左手のタリスマンはその限りではない。

 たちまち腐り果てていく。

『――――』

 タリスマンの悲鳴を代弁するかのように、短い物語が紡がれる。

 その名を【フォース】。

 放たれた衝撃波に破壊力こそ無いものの、こちらを強引に押しのけるには充分だった。

 闇霊が術の効果範囲から外れる。だが、追撃の心配はない。

 少なくとも、もう奇跡は使えまい。タリスマンは完全に破壊した。

 右手の武器を≪アヴェリン≫へ。装填するのは≪爆裂ボルト≫。

 その名の通り爆裂する三連のボルトは足止めというには凶悪すぎる。

『―――――!』

 だが、敵とて数多の死を超えてきた巡礼者。この程度で屈するはずもない。

 飛んできたのはモーニングスター。

 およそ投擲に向いた武器ではないが、当たればそんなことは関係ない。

 何しろ、棘に覆われた鉄球だ。直撃した部位の肉があっさりと弾け飛んだ。

 もっとも、その程度なら問題にはならないが。

「――――」

 闇術の効果が消える。

 互いに満身創痍。以前、俺の方が不利ではあるが……もはや関係ない。

 そう。関係などあるものか。

 

 ――殺せ

 

 呪いが、体を突き動かす。

 青々と輝くソウルと、仄暗く生暖かい人間性の気配。

 互いが求めているのは、ただそれだけだ。

 

 ああ、いや。

 

 違う。

 

 確か……そう。大切だと。そう思う誰かの命を背負っているはずだ。

 ならば、この『時代』。この世界のために戦うのではない。

 

 少なくとも、今この時だけは。

 ならば、何を躊躇う事もない。迷う事など何もない。

 

「――――」

 先に動いたのはどちらだったか。互いに間合いを詰め、切り結ぶ。

 幾たびも剣が交差し、火花を散らす。

 すでに失った死の気配が迫る。

 これはいい。死の気配を感じるというなら、それに抗っているというのなら。

 

 俺はまだ生きている。火と共に消えたわけではない。

 今この時に、確かに存在している。

 

「――――」

 刹那の感傷。それが何だったかはすでに忘れてしまったが。

 ただ、その何かの残り火が体を満たす。

 とはいえ、その程度では状況は好転しない。

 筋力でも技量でも劣るのは分かっていた。そして、おそらく先に息が切れるのも俺の方だ。

 ならば、このまま真正面から切り結ぶのは下策だった。

 

 だが、それがどうした。

 目の前にいるのはたかが闇霊。今まで散々に殺しあってきた同業者でしかない。

 この程度の相手に膝を屈していたなら、俺は『玉座』になど至っていない。

 

「【Ebrius ad tenebras】」

 攻防の中で生じた一瞬の空白。その隙に、短い詠唱を済ませる。

 その名を【闇の霧】。毒の霧を放つ闇術だ。

 呪術にも同系統の術が存在するが、深淵を宿すその毒は呪術のそれより激烈だ。

 生半な耐性ではたちまち食い破られる。加えて、その暗い霧は視覚を阻害する。

 飛び退くか、踏み越えてくるか。伸るか反るか。選択肢は二つに一つ。

 いや、わざわざ相手に選択肢を与える必要などない。

 盾を構えながら霧の中へと踏み込む。

「―――――」

 暗い霧を鈍い銀色の輝きが貫いた。

 それは、文字通りに盾をすり抜けて首筋に迫る。

 ショーテル。かつて対峙した、とある騎士が得意とした曲剣。

 当時は散々に切り刻まれたものだが……だからこそ、その経験は今も生きている。

 意識よりも早く、体がそれに反応した。

 それに従って、腕を振るう。

 まるで相手が合わせてくれたかのように敵の剣を盾が撫で、そのまま受け流す(パリィ)

『―――――ッッ!!?』

 いかに屈強な闇霊と言えど、こうなれば凡庸な亡者と変わりない。少なくともこの刹那だけは。

 ならば、この一撃が勝敗を定めたとして、何らおかしなことはない。

 

 

 

「――サインは任せた」

 上等だ。闇霊だか何だか知らないが、やってやろうじゃないか。

 駆け抜けていく黒い背中を見送りもせず、叫んだ。

「行くよ、【象神の杖(アンクーシャ)】!」

 この場にいる闇霊は、最低でもLv.3相当。それがクオンの見立てだった。

(知ったことかッ!)

 格上殺しの一つもまともにできないなら、どのみち先はない。

 私も【象神の杖(アンクーシャ)】も。いや、オラリオそのものにすら。

「言われるまでもないッ!」

 少し遅れて――と、言ってもLv.5だ。その程度は遅れは誤差にもならないが――【象神の杖(アンクーシャ)】が続く。

 もちろん、他の闇霊どもも武器を構えて殺到する――が、どうでもいい。

 いくらでも湧いてくるような取り巻きどもに用はない。

 狙うはサイン。正しくは、それに触れることで出てくる闇霊のみ。

「邪魔なんだよッ!」

 体ごと大朴刀を振り回す。とはいえ、粗雑な力押しなど通じない。

 力では勝ち目がない。力だけではない。技も体力も――あらゆる『戦闘経験』が及ばない。

 何よりも、『不死』というその特性。どう考えても不利だった。

 剣が。槍が。魔術が。次々に放たれる。一人ならたちまちのうちに殺されていただろう。

「うぉおおおぉおおっ!!」

 だが、今回は【ガネーシャ・ファミリア】がいる。

 攻撃は分散し、そこに隙が生じる。

 基本的に闇霊どもは烏合の衆。一方の【ガネーシャ・ファミリア】は訓練されたパーティだ。

 連携に関しては、圧倒的に有利である。

 もっとも、その連携の中に私が組み込まれているか、と言われれば否定するしかないが。

 結局のところ、【ガネーシャ・ファミリア】が闇霊を押さえてくれている間に、サインに到達するのが、お互いにとって最も優れた連携だった。

 それは、容易ではない。確かに、ここにいるのはどいつもこいつもLv.3かそれ以上だ。

 加えて、モンスターと違い一撃で斃す都合のいい方法などない。

 そんなものが倒した端から湧いて出てくるとあれば、脅威は『深層』に匹敵する。

 まったく、『深層』の単騎駆けなど、本来なら愚行もいいところだ。

 避けきれなかった槍に横腹を浅く斬り裂かれながら毒づいた。

「はぁあッ!」

 槍の持ち主の闇霊。その脳天に【象神の杖(アンクーシャ)】の槍が突き刺さる。

 僅かにのけぞった隙に、仕返しとばかりにその横腹に大朴刀を叩き込んでやった。

 それでも、消滅しない。大朴刀の間合いの内側に入られると同時、左の拳をお見舞いしてやる。

 兜越しにも視界を塞ぐくらいはできる。その隙に、首筋を狙って蹴撃。

 それを反対側から挟むように【象神の杖(アンクーシャ)】もまた蹴りを放った。

 首の骨が砕ける感触。気味が悪いほどに首が揺れ動く。

 しかし、それを無視して闇霊はなおも槍を振るった。

「この――!」

 化け物が、という叫びは飲み込んでいた。

 惚れた……もとい、気に入っている雄。しかも、一億ヴァリスも積んで身請けしてくれたご主人様と同質の存在だ。それくらいの気は使っておくべきだろう。

 代わりに、大朴刀を走らせる。狙いは当然、鎧と兜の隙間。

 芯が砕けているなら、充分に通じるはずだ。

『―――――ッ!?』

 首が宙に舞う。それと同時、【象神の杖(アンクーシャ)】の槍が心臓を貫いた。

 それでようやく、その闇霊が赤い燐光となって消滅する。

 まったく、本当に厄介だ。

(『冒険者は冒険してはいけない』か……)

 誰か言い出したのかは知らないが……今や、冒険者たちの常識と言って過言ではない。

 もっとも、ランクアップするためには『偉業』が必要だ。

 そのためには命を賭して『冒険』しなくてはならない。

 私自身、そう呼べるものを少なくとも二度は乗り越えてきた。だからこそのLv.3だ。

 ああ、だが、それでも……。

(確かに私達は()()()()()をしてたんだろうねッ!)

 オラリオ成立から今に至るまで、ダンジョンは調査されてきた。

 そして、神蓋(バベル)の封印。

 それは、モンスターどもの地上進出を防ぐと同時、その住処すらも固定した。

 ランクに応じた『適正階層』が算出されたのはそのおかげだ。

 もちろん、ダンジョンで死人の出ない日などあり得ない。

 いつだってパーティが全滅することはあり得る。

 それこそ『下層』に挑めるようなパーティが『中層』で全滅する、なんて事もないわけではない。

 ギリギリのところで戦っている? ああ、もちろんそうだろう。

 だが、それは多くの冒険者にとって、安全が保障された中でのギリギリだ。

 文字通りに『死』を乗り超えて進むクオン達に比べれば、安穏としたものだろう。

 

『それでいいと思うけどな』

 

 不死ではない、ただの生者。一度きりの命。それを大切にしながら、富を築き、あるいは都市を発展させる。それは何も間違ってはいない――と、クオンは言っていた。

 ただ一度死んだだけで終わるなら、俺はオッタルどころかお前ほどにもなれなかっただろうとも。

 

「通った!」

 闇霊の包囲を文字通りに斬り抜け、サインに駆け寄る。

 迷わず踏みつける。それでいいはずだ。ソウルを持つものが触れれば機能する。 

 クオンはそう言っていた。

「来るぞ!」

 槍を構えて、【象神の杖(アンクーシャ)】が叫ぶ。

 言われるまでもない。これでようやく本命に会えるのだから。

「こいつはまた、分かりやすいのが出てきたね……」

 顕在した闇霊。例によって赤黒い光に包まれた鎧の詳細はよく見えない。

 ただ、その武器はあまりに明確だった。

 巨木――いや、それに最低限の加工を施した巨大なクラブだ。

 それを片手にぶら下げている。

 となれば、その戦闘スタイルはこの上なく明白だろう。

「上等だよ。そういう単純な方が私の好みさッ!!」

 すべてを力で薙ぎ払う。単純に純粋な暴力の化身。

 つまりはそういうことだ。これは何とも分かりやすい話だった。

(問題は――)

 こいつがどの程度の力かだ。

(こいつの実力は【墓王の眷属】……あの変態の力量が左右する)

 クオンはそう言っていた。

 つまり、こいつの力量からあの変態の力量も程度推し量れるわけだ。

「はぁああッ!」

「おおおおッ!」

 もっとも、そんな悠長なことをする気もない。

 相手が動くより先に、攻撃を仕掛ける。

 左右から挟み込むように、【象神の杖(アンクーシャ)】と呼吸を合わせて仕掛ける。

 その攻撃を大槌の一撃が、容易くはねのけた。

「くぅ……!?」

 攻撃の威力を相殺されるどころか、そのまま大きく押し返される。

 大朴刀が悲鳴を上げ、衝撃が両肩にまで突き抜ける。思わず武器を落としそうになるほどだ。

(なんて馬鹿力……!)

 少なくとも『力』だけなら今のクオンを上回る。

「これは、マズいな……」

 傍らで【象神の杖(アンクーシャ)】が呻いた。

「この感触。おそらくは、Lv.6相当だ」

「はぁ?!」

 いや、私より上だとは思ったが。

「あいつが【イシュタル・ファミリア】を潰してから今まで、何度かこういう手合いと遭遇していてな。まず間違いあるまい」

象神の杖(アンクーシャ)】は【象神の杖(アンクーシャ)】で、一体何をやっているのか。

 いや、そんなことはどうでもいい。

「待ちな。ってことはあの変態もLv.6相当だってのかい?!」

「さてな。あとは振れ幅次第だろう」

 確かに振れ幅は大きいらしい。

 とはいえ、あの変態がLv.5であることは堅い。逆にLv.7だという可能性も皆無ではない。

「あんなチンピラがLv.5以上だって? 馬鹿言ってんじゃないよ!」

「そういう『時代』だったという事だろう」

 この程度の実力者は珍しくもない。そういうことだ。

 今までのクオンの言動を見ていれば、そうとしか言いようがない。

 オラリオでは押しも押されぬLv.6も、その巡礼地とやらでは取るに足りない雑兵という事だ。

(分かっちゃいたけどね!)

 あの男は謙遜するような殊勝な性格ではない。

 敵を甘く見るほど呑気でもない。

 そのクオンが自分を平凡な不死人だというなら、まさにその通りなのだ。

 事ここに至れば、認めるしかない。

(そりゃ何度も死ぬわけだ)

 こんなのが当たり前にいて、しかもこいつらを楽々殺すような化け物どもが徘徊している。

 そんな場所なら、それは誰だって死ぬだろう。一度と言わず何度でも。

「神ですら抗えない滅びが迫る世界、か……」

 まだ詳しい話は聞いていないが、クオン達の世界とはそういうものだったらしい。

 それに抗おうとするなら、死を乗り越える程度の事はやってのけなくてはならないのだろう。

「チッ、こりゃあいつに付き合うってのは並大抵のことじゃないね」

 早くも上がり始めている息を強引に飲み干して毒づく。

 生憎と、私は一度死んだら終わりだ。ならば、なおさら困難だろう。

「今日はずいぶんとしおらしいじゃないか」

「言ってな」

 柄にもなく軽口を言う【象神の杖(アンクーシャ)】に言い返したところで、再び闇霊が迫る。

 まるで枯れ枝でも振り回すように片手でグレートクラブが振るわれた。

 それが掠めた手すりは飴細工より容易く千切れて宙を舞い、床や壁は粉塵となる。

 直撃を許せば、Lv.5の体とてひき肉のようになり果てるだろう。まして、Lv.3では。

(くそったれが……ッ!)

 迫りくる死を一瞬先送りにするごとに、背中の【ステイタス】が燃え上がるように軋む。

 ここが今の『器』の限界だと。そう囁く。

(知ったことかッ!)

 それに抗うように、感覚を研ぎ澄ましていく。

神の恩恵(ファルナ)』とは、人間の可能性の発掘だと言われる。

 普段なら形にならないそれを、掘り返し記録する。その結果が【ステイタス】であり、ランクだ。

 事実だとは思う。例えLv3でも、常人には至れない領域だ。仮に至れるとして、それにどれだけの歳月と鍛錬を必要とするか、想像もつかない。

 だが、その可能性は神の血がなければ意味を成しはしない。

 いいや、そんなはずがない。それが人の可能性だというなら、神の血など呼び水でしかない。

 

 それを浴びないなら、成長がないというなら。それは、ただの『枷』だ。

 

(超えてやるよ、イシュタル!)

 もはや天界にすらいない、かつての主神に向けて告げる。

 かつて、クオンがやったように。あるいは、この闇霊が今も挑んでいるように。

「おっと!」

 大ぶりの一撃が地面を叩き、粉塵を舞い上げる。その一瞬、その大槌の上を駆け上がる。

 私の体重などものともしないだろう。それどころか、あのヒキガエル(フリュネ)だって軽々持ち上げかねない。少なくとも、武器を手放すほどの負担ではない。

 だが、その一瞬。その丸太は敵の急所に通じる道だった。

「【来れ、蛮勇の覇者。雄々しき戦士よ――】」

 駆け上がりながら歌う。もっと早く、もっと正確に。

「【――たくましき豪傑(ごうけつ)よ、欲深き非道の英傑(えいけつ)よ】」

 そう。あのヘッポコ狐なら、もっとうまく歌い上げる。もっと早く歌い上げる。

 大槌もろとも体が持ち上げられる。それより一瞬早く、脳天に大朴刀を叩きつけた。

 当たりが浅い。並みの人間……普通の冒険者なら、それでも致命傷に近いはずだが。

 現実には、まったく怯みもしない。

 体が宙を舞う。私が着地だか落下だがする場所は、すでに見抜かれていた。

 その瞬間を狙って、大槌が振るわれる。

 無視して、歌を続けた。

「おおおおッ!!」

象神の杖(アンクーシャ)】の槍が――その連撃が、大槌の一撃を許さない。

「【女帝(おう)帝帯(おび)が欲しくば証明せよ】」

 一対一なら、死んでいた。だが、そうではない。ただそれだけだ。

 だから、何も気にすることはない。生きているなら、それが全てだ。

 着地しながら、さらに詠唱を加速させる。

「【我が身を満たし我が身を貫き、我が身を殺し証明せよ】」

 体を巡る魔力の流れは、あまりに猛々しい。

 ともすれば、自分自身を斬り裂き、吹き飛ばしかねないほど。

 致命的な魔力暴走(イグニス・ファウスト)がいつ起きても不思議ではない。

 それほどの力を、まとめてねじ伏せる。

「【飢える我が()はヒッポリュテー】 ッ!!」

 必要なのは、ランクの壁を三枚まとめてぶち抜けるだけの力だ。

 一欠けらたりとも無駄には使えない。

 今までないほど大量の魔力を、今までしたことがないほど繊細に扱う。

 今までの限界。今までの最高の一撃。その先へ踏み込む。

『―――――ッッ!?』

 闇霊が大槌を両手で構える。真正面から迎え撃つつもりらしい。

 今さら狙いを変えている余裕はない。

「【ヘル・カイオス】!!」

 紅い斬撃が炸裂した。

 会心の出来だった。今まで幾たびとなく繰り出してきたどれよりも速く、鋭い。

 文句なく最高の一撃だった。

「くぅ……ッ!?」

 それでも、相殺された。

 押し返された余波が体を浅く切り裂いていく。それは、闇霊も同じだろう。

 追撃はない。その余裕がないのは明らかだ。だが、それだけだ。

(最高の一撃程度じゃ――)

 余力がないのは私も同じだ。

 ならば、どちらが早く立て直すか。それは、おおよそ絶望的な勝負だった。

(まだ足りないって!?)

 これがランクの壁。『器』の差。

 あるいは、管理されたダンジョンに挑む神の眷属と、滅びゆく世界に挑む巡礼者の違いか。

「シッ!」

 やはり、一対一では勝ち目がない。

 再び【象神の杖(アンクーシャ)】に救われながら、体勢を立て直す。

「おのれ……ッ!」

 大槌を躱しながら、【象神の杖(アンクーシャ)】が毒づく。

 連携といえるほど動きを併せられない。

 経験不足というのもあるだろうが、それ以上に相手が積極的にそれを分断しようとしてくる。

 一体多数という状況を徹底して排除するその立ち回りは、確かにクオンに通じるものがあった。

 

『大丈夫だ。囲んで殴れば大体は殺せる』

 あいつから教わった闇霊の対処法はそれだった。

 確かに有益で、現実的な方法だと言えよう。

 しかし――

 

(囲んで殴ってどうなるって?!)

 あまりに無責任な助言に、今更いら立つ。

 いや、今のあいつでも、『ソウルの業』の使い手が五人集まって一斉に襲ってくれば――そして、対処法をしくじれば――巡礼地に辿り着いたばかりの素人にも殺されかねないらしい。

 その気になれば、神すら殺せる業だ。それはそうだろう。

 一方で、その『ソウルの業』が未熟な奴が、不死人を殺そうと思うなら体をバラバラにしたうえで燃え続ける特殊な松脂で包み込み、焼き殺し続ける必要があるとも。

 あるいは巨大な戦車(チャリオット)で轢殺し続けるか――

(そう言ったのは、あんただろうがッ!!)

 全く冗談じゃない。そして、本当にそれが()()()()()()というのが何より最悪だ。

 そこまで念入りに()()()()()()殺せない。

(さぁて、どうするか)

 胸中で一通り罵声を吐き出してから、呻く。

 精神力(マインド)の消耗は深刻だ。使えてあと一回か二回。だが、威力は確実に劣る。

 と、なれば――

(あとは、使いどころだね)

 もう一つの『切り札』に託す。問題は、それをどう使うかだ。

 維持できるのは三〇秒。しかも、その間に反撃を受けるわけにはいかない。

 何より、持久戦には致命的に向かない。仕切り直しはできない。

 使うのなら、今度こそ確実に仕留めなくては。

『―――――ォ!!』

 先の一撃で、ようやくこちらを『敵』と認識したのだろう。

 防御を捨て、両手で大槌が振るわれる。掠めただけで骨まで砕かれるだろう。

「―――――」

 今まで培った全ての戦闘経験をその一瞬に注ぎ込む。注ぎ込み続ける。

 それでも足りない。それでは足りない。

 より速く。よりしなやかに。より強く。より豪胆に。より繊細に。

 無骨な大槌を掻い潜り、いなし、逸らし、受け流す。

 何も難しいことはない。いつも通りにやればいい。

 相手の呼吸に合わせて。動きに合わせて。その反応に合わせて。相手がして欲しいことを見極め。嫌がることを見抜き。そのうえで、不意を突き。あとは――

(好きなように食らうだけってねッ!)

 駆け引きなんてのは、つまるところそれだけの話だった。

 寝台の上だろうが戦場だろうが、やることは変わらない。

 悦ぶことをするか、嫌がることをするか。違いがあるとすれば、それだけだ。

 とはいえ――

「くぅ――――ッッ!!」

 迫りくる死は、押し返すごとにその密度を増して加速する。

 体が軋む。腕が痺れて、武器を取り落としそうになる。呼吸が滞り、肺が焼ける。

 極限までに研ぎ澄まされた集中力が、その一瞬ごとにひび割れる。

(隙なんてものは自分で作るもんだろうが――ッ!)

 強引に腕をねじ込んで【発火】をお見舞いする。

 やはり当たりはしなかった。が、燃え上がる爆炎は一瞬だけその視界を封じた。

 その一瞬、炎熱を自分の体にねじ込む。

「―――ぅッ!」

 たちまち自壊が始まる。だが、それと同時に体が軽くなった。

 感覚が鈍り始めた両腕で、大朴刀(あいぼう)を握りしめる。

「――ぉあああぁああああッ!!」

 紅い陽炎を纏って疾走。その加速力のまま刃を叩きつける。

 しかし、それですら力の差を補いきれない。容易く打ち返された。

 お互い、細かな連撃には向かない武器だ。真っ向からの打ち合いになるのは仕方がない。

 そして、その戦い方をする限り、私が負ける。地力の違いは絶対的だ。

 命を削り、思いつく限りの小細工を弄して、それで辛うじて食い下がっている。

 いずれにしても、単独(ソロ)では勝ち目がない。

「やらせんッ!」

 しかし、今はその横腹を貫かんとする槍がある。

 凡庸なモンスターどもなら、ただの一撃で灰に変える鋭い穂先。

 それとて、この相手にとっては必殺とはいかない。行かないが、無視もできない。

 その一瞬。そいつの注意は【象神の杖(アンクーシャ)】に向く。

「くたばりなッ!」

 まずは一太刀。確実に、それは闇霊を斬り裂いた。

 ならば、止まる理由などない。

 連撃(ラッシュ)とは言えないにしても、動きを途絶えさせない事ならできないはずがなかった。

(いちいち一振りごとに気合を入れなおすなんざ、新人のやることさね)

 武器の重さに振り回されるだけならただの間抜けだ。しかし、重さを利用するなら――自分の望む場所にその重量を導いてやれるなら、話は別だった。

 重さは武器だ。剣の鋭さと大槌の重さ。それを兼ねたのがこの大朴刀なのだから。

 ならば、その重さを使いこなすことができずして――自分の得物を満足に使いこなせずして、何が女戦士(アマゾネス)か。

 己の得物(はんしん)と呼吸を合わせ、互いに動きを併せる。

 互いの重さが重なり合い、刃は活きたまま動き続ける。

 ならば、あとは然るべき瞬間に力を込めれば、それは容易く必殺となるわけだ。

 武器と共に踊る女――と、昔誰かに言われた気がする。あるいは、イシュタルにだったか。

 戦う様も麗しい女傑。故に麗傑。

 確か、この二つ名は確かそんな由来だったはずだ。

 多くの神は間の抜けた真似も馬鹿な真似もするが……しかし、本当に馬鹿な神はまずいない。

 神どもがそう呼んだなら、そこには一抹の真実があるはずだ。

(知ったことじゃないけどね!)

 生憎と美しければ勝てる戦いばかりではない。

 だが、この戦い方こそが自分の本質だとするなら、研ぎ澄ます事に意味はあるだろう。

 イシュタルの全てを肯定する気などないが、全てを否定する気もない。

 剣の流れを殺さぬままの四太刀。普段なら、その辺りが息の限界だ。

『―――――ッッ!!』

 そして、それでも殺し切れない。

 充分すぎる手ごたえと、それでは足りないという手ごたえ。

 矛盾する二つの感触が同時に伝わってくる。

(闇霊、不死人、亡者にデーモン!)

 私がこれから飛び込む戦いとは、こういうものなのだ。

(まったく、たまんないねッ!)

 だからこそ、私も手札を増やなけれりゃならない。

 ひとまずは、この呪術だ。

「なめんじゃないよッ!」

 今なら、もう一呼吸持つ。

 横薙ぎに振り回される大槌を飛び越えながら反転。まだ途絶えていない剣の流れをそのままに、中空でさらに回転する。

 加速の乗った最後の一太刀は、狙いたがわず闇霊の脳天を叩き割った。

 文句のない手ごたえ。脳天を叩き割られて生きている()()()などいない――

「が―――ぁッッ?!?!」

 白く暗い衝撃が体を貫いた。

「【麗傑(アンティアネイラ)】ッ!?」

 誰かが何かを言っている。その言葉の意味を理解できない。

 激痛だ。痛みだ。そんな言葉すら、とっさに思い出せないほどの。

 イッちまったかのように、視界も脳みその中も真っ白に染まる。

 その中で、溺れているかのように、空気を求て喘いだ。

(くそったれが……ッ!!)

 何度か足を運んだ『深層』の化け物どもと同じかそれ以上。

 直撃。だが、まだ死んではいない。

 体が宙に浮いていたおかげで、多少衝撃が流せた。地上に立っていたら最悪即死だった。

(立ち上がれッッ!!)

 断片的に浮かんでは消えるその一切を、まだ白く染まったままの思考の奥底にねじ込む。

 強引にこじ開けた視界の中、【象神の杖(アンクーシャ)】を振り払い、闇霊が迫る。

 呪術の反動も深刻だ。維持できない。あと数秒も維持したら、そのまま死ぬ。

 しかし、立ち上がるより早く、大槌が振り下ろされて―――

「おい、背中ががら空きだぞ」

 それより一瞬早く。闇霊の背後から、燃え尽きた灰のように冷たい声が響く。

 闇霊が反射的に振り向く――より先に、刃が煌めいた。

『――――?!?!』

 闇霊が反撃に移る暇も与えず、さらもう一撃。

 それが、闇霊の首を斬り飛ばした。それを待っていたかのように、闇霊の体が霧散する。

 それどころか、周りの闇霊どもも。

 残っているのは、満身創痍と言った有様のクオンだった。

 だが、それでも平然としている。

「―――――――」

 相変わらず聞き取れない奇妙な物語を口ずさむ。

 黄金色の輝きが、私とクオンの壊れかけた体をたちまちのうちに立て直していく。

 まったく、今度は【戦場の聖女(デア・セイント)】の心でも折りに行くつもりかい――と。

 今はそんな軽口も叩けやしない。

「終わった、のか……?」

「ああ。『死の瞳』は閉じた」

 と、言いつつもクオンは怪訝そうな顔をして周囲を見回す。

「念のため確認するが」

「何だ?」

「お前たちが対峙していた闇霊が、サインから出てきた奴だな?」

「そうだ」

象神の杖(アンクーシャ)】が頷くも、クオンはまだ表情を変えない。

「……何か問題が?」

「いや、問題ではない……と思う」

 少し言い淀んでから、クオンが肩をすくめる。

「ただ、今の感触からすると、誰かが本体を殺したとしか思えないんだが……」

 思わず、【象神の杖(アンクーシャ)】と顔を見合わせていた。

「そりゃ、あれかい」

 何とか体を起こしながら、呻く。

 口の中にはまだ血の味と、それより苦い何かの味が残っている。それを、なんとか割れずに済んでいた最後のポーションとともに飲み込んでから続けた。

「誰かがあの変態を殺したってことかい?」

「多分、な。もっとも、本当の意味で死んでいるとも思えないが」

 もしどこかで亡者化しているなら、急いでトドメを刺しにいかなけりゃならない。

 クオンはそう言って呻いた。

「他の団員が遭遇したと?」

「さぁて。そいつは何とも」

「そりゃ、ここにいたって分からないだろうね」

 つい先程までの狂奔が嘘のように、浄水槽は静まり返っている。

 流れ込む水の音が妙に大きく聞こえるほどだ。

「……態勢を立て直す。少し待て」

「ああ。手伝おう」

 いかに【ガネーシャ・ファミリア】の精鋭といえど、先程の一団を相手にすればただでは済まない。

 人的被害がないわけもない。おそらく、地上に展開している部隊も同じだ。

 加えて、住民への被害も少なくはない。

 悪夢のような一夜だったが、本当に夢と消えてはくれないわけだ。

「まだ何が起こるか分からない。お前もそこに混じっていろ」

「……そうさせてもらおうかねぇ」

 いくら治癒魔法を受けたとはいえ、まだ体はガタガタだ。

 そして、誰かがあの変態を殺したというなら、最悪はもう一波乱あってもおかしくはない。

 ここで無駄に意地を張っては死ぬだけだ。

「ちょいと邪魔するよ」

 それなら、素直に手当てされる側に回るべきだろう。

 胸中で呻きながら、クオンが中空に灯した火――【ぬくもりの火】とやらの下に集まる怪我人どもに混じることに決めた。

 

 

 

(ふぅん。【正体不明(イレギュラー)】も案外甘いもんだニャー)

【ガネーシャ・ファミリア】が暴れている隙に、避難民としてギルドに入り込んでから。

 そのざわめきを利用してさらに潜入し、その作戦会議に聞き耳を立てる。

「ただ、あの変態ならサインを残しているだろう。そうしないと、逃げられないからな」

 いいや、違う。

 闇霊だとか【墓王の眷属】だとかはよく分からないが、これが()()()()()()()()()()なら、もうすでにメレンにいないなんて事はあり得ない。

標的(ターゲット)の死を確認しないなんて、どこのド素人だニャ?)

 暗殺者が殺すと決めたなら、それは必殺でなくてはならない。

 姿を――いや、存在を知られた暗殺者など、ただの間抜けだ。

 最低でも、その後の仕事がやりづらくなる。

(う……。自分に刺さったニャ)

 かくいう私もオラリオにきて早々にしくじり、『黒猫』などという通り名まで頂戴したわけだが。

 ともあれ、それを徹底できるかどうかが素人の殺人鬼と本職の暗殺者の違いだ。

 その変態とやらに、欠片でも暗殺者だという自覚があるなら――

(いや、なくてもか)

 ニョルズ様達のやり取りだけではとても情報が足りない。判断などできない。

 ただ……そのうえで、あの酒場に流れ着くまでに啜った血と泥の味が教えてくれる。

 おそらく、だが。今回の標的(ターゲット)は殺しが趣味の屑が、たまたま暗殺者の素質を持ってしまっていた結果生まれた真症のド屑だ。

 衝動的に殺しにかかり、しかし、多くの場合が()()()()()()()()()

 同業者ではなく……そう、ここは玄人の殺人狂とでもいうべきか。

 殺される側にとっては――そうでなくとも、所詮は同じ人殺しだが。

 ともあれ、結論としては。

(そんな奴が、こんな()()()()()()を放っておくわけないわね)

 その変態とやらは、そういう種類の変態だ。

 となれば、居場所も自ずと絞り込まれていく。つまり、この街における()()()――

(いやいやいや)

 脳裏に描いたメレンの地図にいくつかの印を打ってから首を左右に振る。

 何故深入りする気になっているのか。

 この様子なら【正体不明(イレギュラー)】がニョルズ様を殺すような事にはならないはずだ。

 それに、【象神の杖(アンクーシャ)】もいる。

 もちろん、()()()などとは言わないが……密輸に関与していたからといって、神殺しを黙認するような手合いではない。

 ニョルズ様の安全を確保できた――もちろん、密輸を見逃してくれるとも思えないが――なら、ひとまず問題は解決のはずだ。あとは事が済むまでニョルズ様を陰から護衛するだけでいい。

 わざわざその変態を探し、この『呪い』とやらに関わる必要は――

「…………」

 音を立てない程度に髪を掻きむしる。

 最初の兄妹から始まって、ここにたどり着くまでに見かけたアレとかソレを思い出す。

 死に顔を確認したわけでもないし、そもそもできそうにない状態のもいくつかあったが……。

(ひょっとしたら、ニョルズ様の船の船員とか……)

 いたかもしれない。もしくは、馴染みの仕入れ先に魚を卸しに来る商人とかも。

 それどころか、どうにか助けたあの兄妹の両親も、別のところであの変なのにやられているかも。

 ……いや、別に今さら正義の味方とか、義賊ごっこをする気もないのだけれど。

(そーいうのはどっかの暴走妖精(バーサーカーエルフ)がやればいいのニャ)

 でも、それは、そう、少し……少しだけムカついた。なら、仕方がない。

 それに、ポッと出の新人に自分のシマを荒らされて黙っているようでは名が廃る。

 もう足を洗ったつもりだが、それはそれとしてだ。

(落とし前をつけさせてやるわ)

 

 …――

 

「チッ、もう終わりかよ」

 ギルド支部に比較的近い建物の屋上。ここは構造的に下からはもちろん、周囲からも見えない。ここは完全なる死角だった。そこに気配を消して潜むオレを、一体誰が見つけられようか。

 文句のない最高の特等席から、遠眼鏡越しにその光景を見やる。

 まったくたまらない。あのスカした不死人が死にそうな面をしてるのなんて最高だった。

 まぁ、想像以上に早く【ガネーシャ・ファミリア】とか言う連中に邪魔されたのがムカつくが……あの槍を持った女もなかなかそそる顔をしている。

 あのすました面が、恐怖に歪み、泣きじゃくりながら死んでいくのを想像するだけで――

「本当に、たまんねぇんだがなぁ……!」

 つまらねぇ『お使い』なんぞ押し付けられた時は、ぶち殺してやろうかと思ったが……これは思わぬ幸運だった。

 とはいえ――

(しっかし、なかなか上手くいかねぇな)

 あの野郎、思ったよりやりやがる。

 ようやく追い詰めたかと思いきや、【ガネーシャ・ファミリア】の連中が援護に入った途端に息を吹き返し、逆に闇霊どもを皆殺しにしやがった。

 所詮はズブの素人どもとはいえ、あれほど容易く壊滅させられるのは想定外だ。

(使えねー闇霊どもだ)

 殺せないにしても、もう少し消耗させられると思ったが。

 不満だが、仕方がない。

(ま、まだほかに面白れぇ見世物は続いているしな)

 この場所からは少し動けば他の通りも覗ける。

 ちょうどそこでは、逃げ惑う誰かが闇霊にメッタ刺しにされていた。

 結構美人のようだが、その最後の声は肉屋に〆られる豚より品がなかった。もっとも、それを言うなら肉屋だって骨も腸もまとめて挽き潰しはしないだろうが。

 生臭い風も今や心地良い血の香りに満ちている。

 

 そう。世界はこうでなくては。

 

 大昔、神どもが竜と殺しあっていた頃から、世界は新鮮な血と臓物で満たされていた。

 生き残った者の歓声と、殺された間抜けの断末魔の悲鳴。世界の音はそれだけでいい。 

 あのいけ好かない神と同意見というのは癪だが……こんな小奇麗な世界は間違っている。

 

 世界は、もっと死で満ちているべきだ。

 

(オレがこの地に呼び出されたことこそが、天意ってやつだ)

 あの薄暗い地下墓地を、化け物を掻き分け死に物狂いで駆け抜けた甲斐があったというもの。

 いや、そもそもあの玄室に辿り着けたことこそが、オレが墓王に認められた証というわけだ。

 そして、認められ以上、こうして死をばら撒くのは義務であり当然の権利でしかない。

(まったく、それを制限するあの神どもはどこかイカれているに違いねぇぜ)

 港が欲しけりゃこの街の連中を皆殺しにして乗っ取れば済むというのに。

 もっとも、()()()()()()非合法活動に勤しむ連中だ。狂っているのも仕方がない。

 そいつらのせいでオレの神聖な勤めが滞るなど……まったく、世の中ってのはつくづく理不尽にできている。

 あの女どもは、どうやら浄水場を目指しているらしい。あのスカした野郎の入れ知恵か。

 好都合だった。わざわざ親切に神まで連れて行っている。

(消耗してくれりゃ、それでいい)

 むしろ、全滅はして欲しくないところだった。

 どうせなら、この手で殺したいのだ。となれば、適当に時間を潰してから後を追うのがいい。

 いたるところで最高の見世物が続いているのだ。時間を潰すことなど何の苦もない。

 

 そして、それからしばらくして。

 

「さぁて、そろそろオレもまじめに働きますか――」

 流石にここから浄水場は見えないが……まぁ、そろそろたどり着き、程よく消耗した頃だろう。

 次のお楽しみの時間だ。

 まずはあのスカした不死人をぶち殺す。

 何も難しい事はない。背後さえ取れれば、それでいい。

 そのまま致命の一撃(バックスタブ)でおしまい――

「ぉぇ……ッッ?!」

 唐突に口の中に血が溢れ出した。

 背中――心臓のあたりに熱。いや、脾臓辺りもか。

 振り返ると、闇が鈍く煌めいた。

「ぁ―――?!」

 声が出ない。喉がやられた。

 目の前には、黒衣を着込んだ女。黒い尾が気楽そうに揺れている。

 猫人(キャットピープル)とかいう亜人だ。

(こんな奴、いたかぁ……?)

 この街には取るに足らない得物しかいなかったはずだ。

 少なくともこのオレの背後をとれるような奴など――

「まさか本当にこんな()()()()()()()()に潜んでいるなんて」

 奇妙に曲がった短剣が振り上げられる。

「予想以上のド素人ね」

 その嘲笑とともに、刃が額を叩き割った。

 

 …――

 

(まさかここまでお手本通りの場所に潜んでるなんてニャー…)

 死角に潜むのは基本中の基本。街にある死角は、例え僅かな場所でも把握しておくのは暗殺者にとっては当然の嗜みだ。

 そして、【正体不明(イレギュラー)】達の言葉が事実なら――あの【麗傑(アンティアネイラ)】を()()()()()のなら、ギルドが見える場所にいるはず。

 

 つまり、最初に目指すべきはギルドから死角であり、かつギルドが見える場所だった。

 

 ……確かにここは絶好の死角(ばしょ)だが。だからこそ、あまりに定石過ぎる。

(暗黒期が終わって、【象神の杖(アンクーシャ)】も平和ボケしたかニャ?)

 それとも、先入観が悪さをしたか。

 どうやらあの赤黒い何か変なのは、【正体不明(イレギュラー)】の知り合いか何からしい。

 あいつの方が詳しい――と、思い込んだせいか。

 

 そう。先入観と言うのはいつだって厄介だ。

 

 それが答えだ。そう思った瞬間にこそ隙というのは生じるものだった。 

 そして、隙とは暗殺者(わたしたち)が舌なめずりするほど欲するものだった。

 

「ぁう……ッッ?!」

 その瞬間に、死神の嗤い声を聞いた。そうとしか言いようがない。

 だから、命拾いをした。

 何度も仕事を手伝ってやった礼なのか、それとも仕事を増やした事への嫌がらせなのか。

 理由はともかくとしてだ。

(ドジった……ッ!)

 平和ボケしているのは私の方だ。

 死体をきっちり確認まま呆けているなんて、とんだ間抜けだった。

「調子こいてんじゃねぇぞ、この雌猫が!!」

 その変態はひとまず無視。

 左肩に突き刺さるナイフを引き抜き、もう一度舌打ちする。

(毒だニャ……ッ!)

 体が腐り落ちていく感触。それは、単なる錯覚とは言い難い。

 毒に侵された肉が血を滴らせながら壊死しようとする。かなりヤバい。

 ……が、これなら平気だ。少なくとも、まだ死なない。

(『耐異常』のアビリティ様々だニャ)

 子供の頃に散々飲まされた毒にとりあえず感謝しておく。

 だが、当時の主神は地獄に堕ちろ。とっくに天界に還っているけど。

 いや、今はそんな事を考えている暇はない。下手すると私が地獄行きだった。

(まぁ、今はここが地獄みたいなもんだけどニャー)

 とりあえず、この変態を始末すればそれも解消される。……らしい。

 嘘か本当かはどうでもいい。何しろ――

(コイツ、何かマジでやべー奴ニャ!)

 この変態、変態の癖に只者じゃない。

 戦闘における技と駆け引きこそ素人の域をいくらも出ていないが……。

(この感じ、【象神の杖(アンクーシャ)】よりヤバくねーかニャ?!)

 早いし強い。それに、純粋な殺しには慣れている。少なくとも、そのための技量は確かだ。

 いわゆる『【ステイタス】に振り回されている』手合いだから、まだ何とか食い下がれている。

 しかし――

(【象神の杖(アンクーシャ)】より、下手すると……)

 ()()()()()()かもしれない。

 だとしたら、最悪だった。冒険者――神の眷属にとって、ランクの差は絶対だ。

 ランクアップ間際のLv.4であっても、ランクアップしたてのLv.5に勝てるかどうかは運次第。

 それもあまり勝算は高くない賭けとなる。

 ランクの壁が二枚もあった日には……。

(ヤバいヤバいヤバすぎるニャ!)

 避けたはずが黒衣の横腹を大きく斬られた。

 素肌が外気に触れる感触に胸中で悲鳴を上げる。

 正攻法は言うに及ばず、暗殺すらまともに通じない。

 通じたなら、【象神の杖(アンクーシャ)】は今頃この世にいないし、ミャーも『黒猫』なんて通り名で呼ばれていないのだ。

(これはマジで死ぬっての!)

 実際に悲鳴を上げている余裕などない。

 少しでも呼吸が乱れれば、その瞬間に心臓かどこかを抉られる。

 そして、残念ながら私には心臓を抉られて生きていられる自信などなかった。

(どうする? どうする?!  どうするニャ?!)

 撤退――いや、無理。背中向けた瞬間にそのままグサリだ。

 だいたい、暗殺者に――それに類するものに――背中を向けるとか、あり得ない。

 つまりは――

(何とかしてこいつを殺らなきゃ私が殺されるってことかニャ?!)

 左肩からようやく引っこ抜けたナイフを投げ返しながら、自分の体の状態を確かめる。

(毒はまだ回りきってない。けど、左腕はしばらく使えねーニャ)

 毒を無視したとして、傷そのものも決して浅くはない。

 傷をふさぐ……せめてまともに止血を限り、戦闘には使えない。いや、銀の腕(アガードラム)になる事を覚悟するなら、盾にくらいは使えるだろうけど。

(そんな事したら毒で死ぬニャ、きっと)

 振るわれるダガーに毒が仕込まれていないという保証はどこにもない。

 そして、いかに『耐異常』といえど万能ではなかった。

 あくまでも耐性だ。常人よりも遥かに効きは悪いが、一切効かないという訳ではない。

 そこまで便利なものではないのだ。

(ってか、ミャーの毒は全く効いてねーニャ)

 それはさっきから何度か始末している赤黒い変なのも同じだが。

 時間がなかったので『毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)の毒液』は用意できなかったが……それでも、そこまで安物の毒を吸わせてきた訳ではない。

(ま、それはこの際どうでもいいわ)

 迫りくる死刃を何とかして掻い潜りながら、とにかく思考を回し続ける。

 臆したらその時点で殺される。思考を止めるな。意識を停滞させるな。

 心臓と脾腹を抉り。喉をかき切って。おまけに脳天までかち割ってやったというのに生きてるような怪物だ。毒が通じなかったとしても何の不思議もない。

 だから、改めてビビることは何にもない。そんな事よりも――

(問題は、どうやったら殺せるかね)

 あの赤黒い変なのと同じなら、絶対に殺せないわけではないはずだ。

 ただ単に、()()()()()()()()

(あと狙ってない急所はどこかしら?)

 まぁ、どこでもいいけど。えり好みせず、片っ端から狙っていくしかない。

(……暗殺者として、その殺り方はどうかって気もするけどニャ)

 それこそ、えり好みなどしていられない。

 熱血など馬鹿な連中のする事だ――が、流石に自分の尻尾に火が灯っているなら、話は別だ。

(大丈夫、殺せないはずがない)

 思い出せ。私は、とっくの昔に二ランクの壁を超えている。

 脱退条件――某帝国の上級騎士暗殺。あの時ですらv.3をナイフ一本で暗殺できたのだ。

 装備も技術も経験も充実している今の私に殺せないはずがない。

「フ――――…」

 細く長く吐息を吐き出し、さらに一段感覚を研ぎ澄ます。

 手には暗剣。空に月はない。暗殺者にとって、条件は最高だ。

 まったく、人ひとり殺すのにこれ以上の何が必要だというのか。

「お? やるってのかぁ?!」

 雑音に囚われているだけの余力はない。鼠の悲鳴に耳を傾ける猫がどこにいる。

 左腕の痛みは――重さこそ残るが――もはや、意識から消えた。

 地面を蹴る。今さら、足音など立てるものか。

 夜の闇に溶け込む幻想(イメージ)(それ)を味方にできない暗殺者などいるわけがない。

「へぇ、なかなかやるじゃねぇかよ!」

 真正面から飛び込む――ように見せて、微かに軸を逸らす。

 まさか本当に真っ向から斬り合うつもりなどない。それでは、間違っても勝機など見出せない。

 目指すは、ほんの刹那生じる死角。そこへと体を滑り込ませる。

 私は暗殺者だ。ならば、これは戦闘ではない。()()だ。

 

 騙し、欺き、隙をつき、殺す。

 結局のところ、私が頼れる唯一の手段はそれでしかないのだ。

 

「チィ、ちょこまかと……!」

 すれ違いざまに横腹を一撫で。感触が浅い。あれでは急所(はらわた)に届いていない。

 構うものか。

 元より、人間と言うのは案外しぶとい。

 冒険者ならなおさらで――この変態は、少なくともしぶとさならさらにその上をいく。

 懐から愛用の煙玉を取り出し、投げつける。

「てめぇ!?」

 反射的にそれを切断し――その結果、辺りを白い煙が包み込む。

 とはいえ、屋外。しかも、水辺だ。風は強い。

 元々それも想定して調合してあるとはいえ、普段より効果は低い。

 なので、もうひと手間。自前の投げナイフを適当な方向に投げつける。

「そこかぁ、雌猫!」

 床か壁に当たったそれが、小さな音を立てる。

(やっぱり単純な奴ね)

 その音の方向に、変態はダガーを突き出す。

 隙だった。無防備な背中に、改めて暗剣を突き立てる――

「ぁぐ……ッ?!」

 ――そう突き立てた。だが、浅い。

 そして――

「そこにいたかよ」

 どこからか現れたエストックが、私の右太腿を完全に貫いていた。

 早かったのは、この変態の方だった。【ステイタス】と武器の間合いの差が、必殺となるはずだった一撃を無意味なものへと貶めたのだ。

(これ……ッ!)

 これは【正体不明(イレギュラー)】のもつ謎の『スキル』と同じだ。

 身の丈ほどの特大剣や大槌をどこからともなく取り出し、どこかへとかき消す。

「っぁ―――…ッ!!」

 エストックは刺剣に分類される。分類されるが、しかしそれだけではない。

 元々は鎧もろともに相手を突き殺すための武器だ。従って、その刀身はレイピアよりも硬い。

 つまり、それは斬撃にも充分に対応する。

「まずは脚一本ってなぁ!!」

「あっっ、ぅう……ッッ!?」

 そのまま右脚を半分ほど斬り裂かれた――と、いうより単純に()()()()

 とっさに悲鳴すら出せないほどの激痛。無理矢理に引き裂かれる傷ほど痛いものはない。

 だが、それにすらかまけている暇はなかった。

「おっと! 次は腕をくれるのかよ!」

 続く刃を、左腕を盾にして防ぐ。

 ひとまず死を防いだが……これで本当に左腕は使い物にならなくなった。

(こりゃ、死んだかニャー…)

 右脚も左腕も使えない。

 煙幕も、もうすぐ風に紛れて消える。

 それぞれ残った手足を使って、一回加速できるかどうか。

(我ながら酷い人生だったニャー…)

 もっとも、悠長に走馬燈を見ている暇もなさそうだった。

 ああ、まったく。

「―――――」

 まったく、ずいぶんと絆されたものだった。

 ……最期に思い浮かぶのが、あの馬鹿猫だったり、脳筋女だったり、暴走妖精だったりする辺り、つくづく本当に。

(ああもう! マジでやってらんねーニャ!)

 これだけは。これだけは使いたくなかったのだが。本当に嫌だったのだけれど。

 しかし、この状況で今にも暗殺者っぽい恰好をした奴が死んでて、しかもその背中にニョルズ様の名前入りの『恩恵(ファルナ)』が刻まれてたりした日には、絶対面倒な事になる。

 選択肢は二つ。死んでも生き残るか、死んだら死体も残さないか。

 そして……まぁ、そのための備えもしているわけで。

「【戯れよ】」

 超短分詠唱を口ずさむ。同時、私と全く同じ姿の幻影が現れる。

 とっておきの幻惑魔法。

 とはいえ、所詮はただの幻影。実体などなく、従って殺傷能力などない。

 そして、上限は二体。

「こンのぉ……ッ!!」

 とりあえず、最初の一体を幻影を突貫させる。

「目晦ましかよ、くだらねぇなぁ!!」

 変態がそれと戯れている間に、何とか這いずって位置を移動する。

 まだ、煙幕は途絶えていない。ただ、ギリギリだろう。

 メレンの夜風の強さは馬鹿にならない。

(これが最後の好機(チャンス)――!)

 位置は理想的。ちょうど変態を前後で挟む形になっている。

 最後の加速。千切れかけた手足が痛むが無視。視線が交差して――

「バぁカ! ちょうど煙幕も晴れたんだよぉ!」

 そして。案の定、その変態は()()()()()()()()()幻影へと向き直った。

 無防備にさらされる背中。

「なにぃ?!」

 そこへと激突する。勢いあまって、屋根から転がり落ちる。

「てめぇ、普通そこは死角を狙うだろうが!?」

「ええ。狙ったでしょう?」

 やはり、本質的にこの変態は暗殺者などではない。

 定石などクソくらえの世界に生きる暗殺者が、予測されるような動きをしてどうするというのか。

 中空でもみ合いながら、適当な場所に『それ』をねじ込む。

「何入れやが――」

 最後まで聞くつもりなどない。

 ねじ込んで、すぐさま()()()()()

 

 それは、暗黒期に闇派閥(イヴィルス)の連中が用いた()()()()。その中核となるもの。

 

 あまりに危険であるため今も一般人には非売品。

 ギルドに登録した鍛冶師(スミス)以外は購入できない。

 ……まぁ、それを言うならそもそもそこまで大量に仕入れられない代物でもある。

 何しろ『深層』にしかいないモンスターのドロップアイテムだ。回収できる派閥の方が少ない。

 その名前を『火炎石』と言った。効果は単純に激烈な燃焼作用。

 ……上級冒険者の体すら焼滅させるほどの、だ。

 もっとも、流石に手持ちのそれでは数が足りないが――

「――――――!?」

 次の瞬間、視界が白く染まる。

 それはもはや爆炎ですらない。白い閃光だった。

 それと熱。

 咄嗟に息を止めていた――と、いうか衝撃で詰まっていたのは幸運だったのか不運だったのか。

 まともに吸い込んでいたなら、いくらLv.4といえど肺を焼かれていただろう。

(やっぱ死んだかニャ)

 奇妙なほど冷静に呟き――次の瞬間には意識もほとんど飛んでいた。

 足場を失った時点で、離脱の方法も失っていたのだ。それも仕方がない。

「――公、しっかりしろ! 貴公!」

 燃え尽きかけた意識。完全に霞んだ視界に、最後に移ったのは――

(ニャー…。そこは、プリッとしたお尻の少年とかじゃないのかニャー…)

 あまり、よく覚えていないけど……。

 そう、確か。何だか()()()()()()()()()だった気がする。

(やり直しを要求するニャ)

 これが、天界に通じる門なのだろうか。

 太陽のような黄金の輝きに包まれ、最後に思ったのはそんな事だった。

 

 

 

「――勝負だ」

 因縁の相手――ミノタウロスとの死闘を経て、

「とうとうベル君もLv.2かぁ……なぁんて普通は言うんだろうけど、君の場合、感慨を感じる暇もなかったね」

 なんて、そんな神様の言葉とともに念願の【ランクアップ】を果たしてから。

 

「俺と直接契約をしないか、ベル・クラネル?」

 破損してしまった装備を整えに行った先で偶然出会った恩人の一人であるヴェルフ――あの軽鎧を作った鍛冶師(スミス)であるヴェルフ・クロッゾと直接契約を交わしてから、今日で六日目。

 

「はぁー、リリは悲しいです。とてもとても悲しいです。お買い物に行かれただけなのに、見事リリの不安(きたい)を裏切らず厄介事をお持ち帰りになるなんて……ベル様のご厚意にリリは涙が出てしまいます」

 ……まぁ、リリとはそんなやり取りもあったものの。

 

「来るぞ、ベル!」

「任せて、ヴェルフ!」

 今はこうして、三人一組(スリーマンセル)()()()()を組んでダンジョンを攻略している。

 場所は一二階層。念願の『中層』進出まであと一歩のところだ。

「ファイアボルト!」

 迫りくるオークを炎雷で押しのけると、その綻びをヴェルフの大刀が斬り抉る。

「うおっ!?」

 それを飛び越えて襲い掛かってくるのはシルバーバック。

 だけど――

「遅いッ!」

 フィリア祭ではあんなに苦労したその白猿も、『器』が昇華された今なら圧倒できる。

 これが【ランクアップ】した『神の恩恵(ファルナ)』の力。

 まだ遠いけど、金色の憧憬へと確実に近づいている。

「うわ?!」

 近づいているけど、油断は禁物だった。

 シルバーバックの巨体の陰に迫っていた伏兵への反応が遅れた――

「当たれッ!」

 ――けれど、その伏兵……バットパットは次々にリリによって撃ち落されていく。

(うん、いい感じだ!)

 パーティとしての連携も磨かれてきている。

 これなら、いよいよ一三階層――『中層』へと進出できる。

(あとでエイナさんに相談してみよう)

 幸い、神様の言う『成長期』は今も継続中。そのおかげで、もう少しでアビリティ評価も――敏捷だけだけど――Fに届く。

 変則的とはいえ、パーティも組んでいる。

 進出の条件はギリギリだけど、達成しているはずだ。

「ふぃー…。パーティを組んでいるとはいえ、これだけ長いこと戦っていると流石に疲れるな」

 それからしばらくして、すっかりパーティの体力管理まで受け持ってくれるようになったリリの号令で、僕らは休憩をとっていた。

「少し働かせすぎじゃないか、リリスケ?」

 ポーションを飲み終えたヴェルフが、魔石やドロップアイテムを拾うリリに声をかけた。

「馬鹿な事を言わないでください。あの人に比べれば、リリはずっと優しいです」

 あの人、というのはもちろんクオンさんの事だ。

 今の状況ではなるべく名前を出さない方がいい――と、いうのがリリの提案だった。

「ふふっ。今日も大猟です!」

 それからしばらくして。

 一仕事終えたリリは、僕らの傍に腰を下ろすとホクホクした笑顔で一気にポーションを飲み干す。

「ですが、これは本当に『中層』が見えてきましたねぇ」

 まさか本当にリリが『中層』に行く日が来るなんて――と、感慨深そうに呟く。

「そうだね。連携も形になってきてる」

「ああ。さすがに三日目だしな」

 しかし、今は風邪が流行ってるのか?――と、ヴェルフが首を傾げた。

「どうなんでしょうね。お爺さんの場合、元凶は過労ですけど……」

 ヴェルフがパーティに加わった翌日には、リリがお世話になっているというお爺さんが、間に一日挟んで神様が風邪をひいて倒れていたりする。

「ヘスティア様の場合も、心労かもしれませんよ?」

 ミノタウロスとの一戦を終えた僕は、文字通り精魂尽き果て三日も眠っていたらしい。

 その間、神様は先に目覚めたリリと二人でずっと看病してくれていた。

 そのおかげで、目覚めた時には体は充分に回復していて……そのまま半日ほど、僕は二人からは暖かいお説教を受けることになったわけだけど――

「うぅ……。もう勘弁してよ、リリ」

 リリは、まだ言い足りないらしい。

 ……案外、神様もそうなのかもしれないけど。

「ま、リリスケの言葉にも一理あるだろ。Lv.1が単独(ソロ)でミノタウロスとなんてな」

 普通は逃げる一択だし、それでも逃げ切れるかどうかだ――と、ヴェルフ。

 それはよく分かる。何しろ、ついこの前――思えば、あの時からまだ一ヶ月くらいしかたっていない――散々追い回されたわけだし。

「しかし、何か最近ランクの壁が低くなってきてる気がするな」

 四年前、Lv.0がLv.7と互角に渡り合ったくらいから――と、ヴェルフが笑う。

「俺もさっさとランクアップしたいもんだ」

 それはもちろん――いや、多少は本心も混じっているだろうけど――冗談だった。

「ええ、リリもあやかりたいものです――…」

 それにつられてリリも笑い――

「はっ、いけません! これは罠ですっ!?」

 何かの間違いであの人に知られたら、本気で一ヶ月で()()()()()()()()()()()()()()()にあわされるに決まってます!――と、途中から本気の悲鳴を上げる。

「そこまでか? 【正体不明(イレギュラー)】の訓練ってのは……」

 周りに誰もいないのを確認して――それでも声を潜めて、ヴェルフが問いかける。

「ふふっ……。ヴェルフ様は何故、ベル様が『世界最速兎(レコードキーパー)』などと呼ばれるようになったと思っているのですか?」

 小声でヴェルフが呟くと、リリはそう言って笑った。

 ……完全に座った目で。

「そりゃ、一ヵ月半でLv.2になったからだろう? しかもミノタウロスを単独撃破して」

 若干引いた様子でヴェルフが呻くと、リリが纏う空気がさらに一段暗く重くなった。

「そういうデタラメが出来る下地がどうやって作られたと思っているのですか?  あの人の指導の下で一日中ずぅぅっとキラーアントの大群を相手にしていたからなのですよ?! ええ、リリはあの日々を忘れません。帰ってからも夢に出てくるくらいでしたから!!」

 むぎー!――と、気炎を上げてついにリリが叫んだ。ただし、器用な事に小声で。

 クオンさんと過ごした短くも濃い日々はリリに奇妙な特技を習得させていたらしい。

 ……あと、若干のトラウマも残しているみたいだった。

「お、おう……。悪かった」

 あまりの気迫に押されたのか、ヴェルフは今までになく素直に頭を下げたのだった。

「ところで、ベル。手甲の調子はどうだ?」

 小さく咳払いをして、ヴェルフが話題を変える。

「うん、いい感じだよ」

 リリが休んだ日、時間が余った僕はヴェルフに誘われて工房にお邪魔していた。

 そこでこの新しい軽鎧――≪兎鎧(ピョンキチ)MK-Ⅲ≫を少し調整してもらったのだ。

 具体的には左の手甲をエイナさんから貰った≪グリーン・サポーター≫のようにプロテクターとして機能するように改良してもらっている。

 武器の格納機能を失った分、強度と耐衝撃性が強化されている。

 重さはほぼ変わらないものの、盾としての性能はぐっと上がっているという実感があった。

「しかし、そのショートソードはやっぱ凄ぇな」

 最初にクオンさんから借りたショートソードを見つめ、ヴェルフが呻く。

「うん、おかげですごく助かってる。……まぁ、師匠は安物だって言ってたけどね」

「これをそんな風に言われると自信なくすぜ、まったく」

「それはもう、全ての冒険者たちの心をへし折りにかかる悪夢その人ですから。サポーターのささやかな矜持すら決して見逃しませんよー」

 うふふ……と、リリが暗い目で笑う。

 あの『スキル』がサポーター泣かせなのは僕にだって分かるけど。

 リリが拗ねている理由はそこに加えて、意地悪にも追い打ちをかけたせいだろう。

 ……もっとも、クオンさんはクオンさんでリリのスキルに驚愕していたけど。

「ところで、実際どれくらいの代物なのですか?」

 改めて、リリがヴェルフに問いかけた。

 確かにちょっと気になる。

「間違いなく二等級兵装に匹敵するだろうな。しかも、炎属性効果付きとなりゃ……まぁ、値段で話をするなら安くて二千万ヴァリスってところか」

 危うく飲みかけていた水を吹き出しそうになった。

「そ、そんなに?!」

 いや、確かに二等級兵装って言えば、第二級冒険者以上じゃないと持っていないくらいの高価な代物のはずだけど。

「ああ。これを『安物』って言ってポンと渡しちまうんだから、とんでもないな」

 丁寧に鞘に戻してから、ヴェルフがため息をついた。

「まぁ、ヘファイストス様が目を疑うような武器を平然と持ち歩いてるくらいだ。向こうにとっては本当に『安物』なんだろうが……」

 今更だけど、ヴェルフもクオンさんを知っているらしい。

 四年前、クオンさんがヘファイストス様に武器の手入れを依頼した時に遠目に見かけたのだとか。

 あと、預かった武器をこっそり見せてもらったこともあるらしい。

「あの人の武器はそれほどなのですか?」

「ああ。椿……うちの団長ですら手入れするのがやっとだったらしい」

「椿様……。最上級鍛冶師(マスター・スミス)と名高い【単眼の巨師(キュクロプス)】様までがですか?」

「実際とんでもない代物だぜ、あのクレイモアは。まず何より(かね)が違う。どんな素材を使っているのか今も全く分からないな」

 と、ヴェルフはどこか嬉しそうな様子で言った。

「それに、専用装備(オーダーメイド)なんだろうな。当時の俺でも使い手の『癖』が何となく分かるくらい丁寧に細やかに調整されていたぜ」

 ヘファイストス様じゃないが、一度でいいからあれを打った鍛冶師(スミス)と会って話してみたいもんだ――と、感慨深げに唸った。

「では、今リリがお借りしているこれは……」

 次に借りたショートソード――ええと、最初に借りた≪炎のショートソード≫ではない方――を鞘越しに軽く叩きながら、リリが問いかける。

「そっちも俺たちにとっては『安物』じゃないぞ。見たところ、三等級兵装に相当するからな」

「うぇ?! 上級鍛冶師(ハイスミス)が打ったものではないですか!?」

「ああ。それでもあのクレイモアに比べれば『安物』なんだから、堪ったもんじゃないな」

 本当に『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』とはよく言ったもんだぜ。

 そう言って、ヴェルフは大げさなくらいに肩を落として見せた。

 

 …――

 

「しかし、流石に一二階層ともなると同業者の数も減ってくるな」

「そうですね。この先は一三階層。『最初の死線(ファーストライン)』とも言われる階層ですから」

 この辺りまで来る冒険者は、基本的に【ランクアップ】間近か直後だと考えていい。

 オラリオの冒険者ですら半数がLv.1のままだという事を考慮すれば、ランクの『壁』がすでに影響を及ぼし始めていたとしても何の不思議もなかった。

「ですが、極端に人が減るのはちょっと不安ですね。何か異常事態(イレギュラー)が起こっている可能性もありますし……」

「まぁね。あの時も、結構前から予兆はあったし……」

 あの時はダンジョンの中が静かすぎた。

「やめろって。お前らがいうとシャレにならない」

 それはまぁ……自分で言うのも何だけど、『上層』でミノタウロスと遭遇するという異常事態(イレギュラー)を二度も経験している冒険者なんてそうそういるとは思えない。

(でも……)

 今もちょっと()()()()()に包まれている気がしてならない。

 それに、体が何かに備えて勝手に準備を始めているかのような妙な高揚もある。

「あれ……?」

 嫌な予感を覚えつつ、少し先の広間(ルーム)に踏み込むと、明らかな異常が見つかった。

「誰か倒れてる!」

 霧に包まれた灰色の草原に、鈍色の塊が転がっている。

 慌てて駆け寄ると、それは無骨な鎧だった。

 それを着込んだ誰かがうつ伏せに倒れている。

「騎士……?」

 それは騎士鎧――おそらく、騎士そのものだった。

 でも、英雄譚に出てくる華美な代物ではない。

「そうだな。()()()()()()()()()()()だ」

 血と泥と数多の傷とに彩られた、ただ純粋な武具であり防具だった。

 お世辞にも美麗とは言えない。

 だが、激戦を潜り抜けたと思しきそれには言い知れぬ凄みがあった。

(いや、見とれている場合じゃない!)

 そんな感想は後回しだ。

「早く手当てをしないと――」

「待ってください、ベル様! 迂闊に触れてはいけません!」

 慌てて起こそうとして、リリに制止される。

「どんな傷か分かりません。それに、動かしている途中で意識を取り戻した場合、モンスターと誤認される危険もありますから」

 確かに、リリの言う通りだ。

 周りに他の仲間は見当たらない。この人は単独(ソロ)でここまで来た可能性は充分にあった。 その状況で、いきなり何かに触れられたら反撃するのはむしろ当たり前だ。

 助けようとしたつもりが同士討ち、なんて流石に情けない。

「聞こえていますか? リリ達は敵ではありません。いいですか、動かしますよ?」

 慎重に体の具合を確かめてから、リリは――叫ぶほどではないものの――大きな声で呼びかけながらその人を仰向けにする。

「こいつは酷いな……」

 胸元辺りに大きな裂傷があった。固まりかけているものの、今もまだ血が滴っている。

 慌ててその傍に耳を当てると――

「でも、まだ生きてる!」

 鎧越しに、微かな心臓の音が聞こえた。

「リリ、まだポーション……ハイ・ポーションは残ってるよね?!」

「はい、ベル様!」

 リリがハイ・ポーションを取り出している間に、左手に≪呪術の火≫を灯し、【ぬくもりの火】を中空に浮かべる。

「っと、血の匂いに惹かれて集まってきやがったな。間一髪ってところか」

 ポツポツと集まってきたモンスターを睥睨し、ヴェルフが大刀を構える。

「こっちは任せろ! これくらいの数なら俺一人で何とかなる!」

「お願いします! ……いいですが、兜を動かしますよ!」

 その火が灯る頃には、リリが改めて声をかけながら兜の面頬(バイザー)を押し上げていた。

 その下にあった顔は――

「女の人……?」

 意外なことに女性のものだった。

 いや、女性冒険者が珍しいとは言わないけど……鎧が無骨なものだったので、てっきり男の火とかと思っていた。

 背格好と肌の色からして、種族はヒューマンかエルフだろう。いや、耳と尻尾が隠れている可能性もないわけじゃないけど。

 年齢は多分霞さんやリューさん達と同じくらい。

「ベル様、これを!」

 などと、一瞬だけ余計なことを考えている間に、栓を抜かれたボトルが差し出される。

 それを受け取って、胸の傷へとぶちまけた。

「飲めますか? ポーションです!」

 同時、リリが少し強引にもう一本のハイ・ポーションを飲ませる。

 これで、ひとまず今の僕らにできる応急処置は済ませたわけだけど……。

「おい、これはちょっとマズいぞ」

 モンスターを一掃したヴェルフが、少し強張った声で呻いた。

「戻ってきたのかもな」

 ……ああ、分かっていた。

 多分、この人を打ち倒した何者か――さっきから微妙に神経を刺激していたこの静けさを生み出していた元凶が戻ってきたのだ。

「おいおい、希少種(レアモンスター)じゃなかったのか? ついこの前倒しただろう」

「……個体数が少ないというだけで、階層主と違って次産間隔(インターバル)が明確に決まっているわけではありませんから」

 戦闘音に紛れていた微かな地響きは、今やはっきりと鼓膜を揺さぶっていた。

 霧を押しのけて、そいつが姿を現す。

「こういう事もある。そう言うよりありません……ッ」

「ふざけろ……ッ!」

 琥珀色の鱗。血のように赤い目。長い尾。鋭利な爪。無数の牙。

 体高約一五〇M、体長は四Mを超える()()

『インファント・ドラゴン』

 上層における、事実上の階層主だった。

(マズい……ッ!)

 初めてヴェルフとパーティを組んだ日にも遭遇したその怪物を前に、思わず呻いていた。

 あの時、あっさり倒せたのは図らずも『スキル』――『英雄願望(アルゴノゥト)』を発動させていたからだ。

畜力(チャージ)している時間がない!)

 だが、今は接近されすぎた。

 この状態では正攻法で真っ向から戦うしかない。

 ……この階層に到達できる下級冒険者の一団(パーティ)をことごとく壊滅させている怪物と。

「来るぞ、ベル!」

 ヴェルフの叫びに、インファント・ドラゴンの咆哮が重なる。

 それは所謂『咆哮(ハウル)』ではないが、圧倒するには充分な迫力がある。

「―――――ッッ!!」

 それを押し返すように一気に加速した。

 潜在能力(ポテンシャル)は個体によってはLv.2に匹敵する。

 だけど、

(あのミノタウロスほどじゃない!)

 今更その程度の咆哮で心折られるわけがない。

 むしろ、悲壮さすら糧として心が震えていた。

(リリ達を守らないと……!)

 それがパーティ唯一のLv.2――いや、仮にもパーティのリーダーを務めている僕の責任だ。

 あの時、エルフの冒険者を一撃で沈めた尾を掻い潜り、≪神様のナイフ≫を走らせる。

「よし――!」

 攻撃は鱗を切り裂いて通じる。

 その巨体のせいで、動きは決して早くない。

 これといった特殊な攻撃手段――例えばブレス――は持っていないはず。

 それなら――

(このまま一撃離脱を繰り返す!)

 相手が隙を――『魔石』を狙えるか、もしくは畜力(チャージ)させてくれるまで。

 ……いや、たとえその時が訪れなくとも、このまま削り切る覚悟を決める。

 勝てないはずがない。この小竜は、それでもあの猛牛ほどの強敵ではないのだから。

 ああ、だけど――

「きゃあああぁああああぁあっ!?」

 そんな楽観を許してくれないのがダンジョンだった。

 こんな時に、厄介なモンスター……『ハード・アーマード』が回転しながら突っ込んでくる。

 しかも、身動きの取れないリリ達を狙って。

「リリ、逃げてッ!」

 その叫びを詠唱代わりに、炎雷を放つ。

 だが、流石は一一、一二階層で最硬を誇る甲羅。

 畜力(チャージ)されてない炎雷は、回転の威力に引き裂かれてほとんど通じていない。

「リリスケッ!?」

 直撃――!?

 ヴェルフの悲鳴に似た叫びに、背筋が凍り付いた。

 けど――

「えっ……?」

 その回転突進は、リリには届かなかった。

 ごく単純に、構えられた()()に阻まれて。

「はぁああっ!」

 斧槍(ハルバート)が突撃槍へと()()()

 その『スキル』には、あまりに見覚えがある。

 本来、突撃槍とは騎兵が用いる代物だ。

 完全に刺突に特化したその槍の威力を発揮させるには、馬の加速力が必要だからだけど……逆に言えば、その加速力さえ用意できるなら必ずしも馬は必要ない。

 つまり、冒険者――特に上級冒険者以上なら問題なく使いこなせるというわけだ。

『ギィ――?!』

 果たして、その穂先はあっさりとハード・アーマードの甲羅を貫き通した。

 短い端末魔の声だけを残し、それは地面へと転がり落ちる。

 それを見て、インファント・ドラゴンが動いた。

『ガァアアアアアアッ!』

 その騎士こそが最大の脅威だと判断したのだろう。

 僕らを無視して、小竜が騎士へと突進する。

「こんなところに竜だと……?」

 対する騎士が、()()()()()()()()のがはっきりと聞こえた。

 でも、本当の驚愕はそのあとに訪れる。

「―――――」

 ()()()()()()()()を用いた詠唱。

 その物語が口ずさまれると同時、騎士の左手に純白の光が渦を巻き――

『ガァアアアアッ!?』

 放たれたその光輪は、インファント・ドラゴンの鱗をいともあっさりと切り裂いた。

「脆いなッ!」

 ロングソードを抜き放つと、騎士は一気に間合いを詰めた。

 両手で構え、振り下ろされたその一撃が小竜の尾を両断。痛みに荒れ狂うインファント・ドラゴンを無視し、その騎士は背中へと飛び乗って――

「死ねッ!」

 その手に()()()()()突撃槍が、深々と突き立てられた。

『ガァ―――――ァ!?』

 インファント・ドラゴンの断末魔の絶叫が、ダンジョンに響き渡った。

 魔石を砕かれたのだろう。その巨体がたちまちのうちに灰となって散る。

「助かりましたぁ……」

 ぺたんとリリが座り込むと同時、もう少し重い音が響く。

「だ、大丈夫ですか!?」

 灰の山に倒れたのは、あの騎士だった。

 当然だ。ナァーザさんのような専門知識があるわけじゃないけど……それでも、ハイ・ポーション二本で全快するほど浅い傷には見えなかった。

「こいつはマズいな。おい、ベル」

「うん! 急いで地上に戻ろうっ!」

「よし、任せろ!」

「せめて取り込んでから気絶して欲しかったです……!」

 ヴェルフが騎士を抱き上げながら。リリは突撃槍を担ぎながら。

 それぞれそう言った。

「っと、結構重いな」

「女性に対して失礼ですよ、ヴェルフ様」

「鎧の話だ。思った以上にしっかりした作りをしてやがる」

 半眼のリリにヴェルフは言い返してから、

「戦闘は全部お前に任せることになっちまうが……」

「大丈夫。任せて!」

 初めからそのつもりだった。両手にショートソードと≪神様のナイフ≫をそれぞれ携える。

 インファント・ドラゴンがいなくなったことで、他のモンスターが姿を見せつつあった。

「今は地上を目指すのが最優先です。ちょっと惜しいですが……」

「うん、魔石狙いで一気に片付けるッ!」

 リリに告げると同時、完全にスイッチを入れた。

 今の僕の限界を確かめるつもりで、地面を蹴る。

 まだ充分に数が揃っていないモンスターの群れを蹂躙するのに、時間は必要なかった。

 

 …――

 

 バベル地下一階。

 ダンジョン唯一の出入り口であるそこは、大体いつでも誰かいる。

 もちろん、時間帯によってはほとんど誰もいないこともあるけど、完全に無人というのは今のところ見た事がなかった。

「とりあえず、ギルド職員が誰もいないのは幸運でした」

 肩で息をしながらも、周囲を見回してリリが呟く。

 ちなみに、僕とヴェルフも息が上がっていた。

 一二階層から一気に――モンスターの群れをいくつも強引に切り抜けながら――駆け上がってきたんだから当然だけど。

「そうだね。今回ばかりは助かったよ」

 それこそエイナさんとかは、本当にオラリオ中の冒険者の顔を知っているんじゃないかっていうくらい詳しい。だから、この人を見られたら()()()()()()()事がきっとバレてしまうだろう。

「確かにな。だが、問題はここからだ」

「ええ。ひとまず、バベルの治療室には運べません。あそこはギルドの施設ですから。名簿と照会されてすぐにバレてしまいます」

「……まぁ、俺も別に詳しいわけじゃないが。さすがに今の状況でそれはヤバいだろうな」

 どう考えてもこの人はクオンさんと知り合い……少なくとも、同じ力を宿している。

 普段だったら、それでも治療室に運び込むのが一番いいとは思うけど――

「もちろん、ギルドに報告する、というのも選択肢ではありますが……」

 今のオラリオだと、ただそれだけであらぬ疑いをかけられるかもしれない。

「それは、ちょっと……」

 いや、エイナさん達を悪く言うつもりは少しもないんだけど……事は『神殺し』だ。

 慎重になっておいて損はないと思う。

「ですが、それ以外の選択肢は基本的に変わりません」

「まぁな。街中を怪我人担いで走り抜けるってのは、それなりに目立つ」

 負傷者を担いで一気に地上を目指す――と、いうのはダンジョンの中では特別珍しい光景ではない。実際に目撃するかどうかはともかく、毎日起こっている事と言っていい。

 こうして片隅で手当てをしていたとしても、不審がられる事はなかった。

 ただ、流石に街中を――と、なると話はちょっと変わってくる。

 馴染みの治療院に運ぶ……と、言うのも完全に意識がない状態ではまずない。

 バベルの治療室に運んでから、仲間が呼びに行くのが通例と言っていい。……らしい。

 今のところ、運び込まれた経験しかないのでよく分からないけど。

「とはいえ、悩んでいる暇もありません。傷の具合はまだはっきりしていませんが、浅い傷ではないのは確かです。急いで治療しないと……」

「だな。なりふり構ってる場合じゃない」

 それなら――

「ひとまず教会に運ぼう」

 決断しなくては。その決意とともに、言った。

「そのあとで、ナァーザさんたちを呼びに行く」

 あの二人なら、きっと力になってくれるはずだ。

「よし。それじゃ行くか!」

「え、ヴェルフ?」

 再び騎士を抱き上げて、ヴェルフが立ち上がった。

「おいおい。ここまできて仲間外れないだろう?」

 いや、それはそうだけど――

「ひょっとしたら何か危ない事になるかもしれないし……」

 この人がどういう人なのかもよく分からない。

 場合によっては、敵対することになるかも……。

「だったらなおさらだ。確かにまだLv.1だが、いないよりはマシだろう? それとも邪魔か?」

「そんなことないよ!」

 迷う暇もなく飛び出した言葉に、ヴェルフがにやりと笑った。

「なら、一蓮托生だ」

「ええ。では、急ぎましょう。ここで問答していて手遅れになったりしたら笑えませんからね」

 リリもまた、そう言って立ち上がった。

「うん。……ありがとう、リリ、ヴェルフ」

 二人に頷いてから、僕らは再び走り出した。

 

 …――

 

 今日は特に忙しかった。

 何といっても売り切れでいつもより少し早めに屋台が閉まるくらいなのだ。

(うぅ~…。今日は余り物も貰えなかったし、何だか損した気がするぞぉ……)

 フラフラしながら我が家に戻り、礼拝堂に残された長椅子に突っ伏す。

 いや、もうちょっと頑張れば寝台(ベッド)が待っているんだけど……

「神様、ただいま戻りました!」

「ベル君!!」

 おお、これが天啓というやつか。

 きっとボクは君を待っていたんだね!――なんて、はしゃぐ間もなく、さらに二人飛び込んでくる。

「って、サポーター君も一緒か……」

 あと、鎧を抱えた赤い髪の男の子も。

「ヴェルフ! この鎧を脱がせられる?!」

「任せろ」

 赤い髪の男の子――ヴェルフというと、ここ数日パーティを組んでいるヘファイストスの眷属(こども)だろう――は、抱えていた鎧を別の長椅子に降ろし、慣れた様子で鎧を脱がせていく。

「い、一体どうしたんだい?」

 いきなりの大騒ぎに、思わず呻いていた。

「いつもの異常事態(イレギュラー)です!」

 ああ、そろそろそういう時期か。

 例の『スキル』が発動した頃から、大体一週間に一回くらいは何か起こってるし。

 ――と、サポーター君の言葉についつい納得してしまってから、

「いやいやいや! 具体的には?!」

 もちろん、見れば何となく分かるけど。

「この人、ダンジョンで倒れてて……!」

 回復魔法――いや、回復呪術といった方がいいのか――を使いながら、ベル君が言う。

「そりゃ大変だ! ……けど、それならここじゃなくて治療室に行った方が良かったんじゃ……?」

 残念だけど、ボクはミアハのように傷を手当したり薬を調合してあげたりはできないし。

「いえ、それがちょっと訳ありなんです」

「……今度はいったいどんな薄幸少女を捕まえてきたんだい?」

 兜の下から出てきた顔は、明らかに女の子のものだった。

 歳はこの前会ったアドバイザー君……いや、霞君と同じくらいだろうか。

「まだ詳しいことは分かりませんが、クオンさんと同じ――ッッ!?」

「リリスケ、早くポーション寄越せ! ありったけだ!」

 なんて、呑気なことは言っていられそうになかった。

 胴体部分の鎧を脱がせた途端、ボクにも分かるほどの血の匂いがした。

「いけません、ここまで傷が深いのは予想外です!!」

 肌着の胸元は大きく裂かれ、血で黒く染まっている。

 それどころか、横腹にも槍か何かで突かれたような傷跡がある。

「この傷であんな戦いをしたってのかよ……!」

「リリ、ちょっとお願い! 僕は急いでナァーザさん達を――危ないッ!?」

 ポーションをかけようとしたサポーター君に、ベル君が飛びつき、押し倒した。

 いや、流石にこればかりは大目に見る。

 だって、ベル君が後一瞬遅ければ、サポーター君の首と体が泣き別れになってただろうし。

「何をするつもりだ、【人喰らい】の走狗(イヌ)どもが……ッ!」

 いつの間にか抜いた剣を片手に、祭壇辺りまで飛び退いて鋭い目でボクらを見据えているその子を見ながら、思わずゾッとしていた。

「ま、待つんだ! ベル君たちが君をここまで運んできたんだよ!」

 絶対にこの子、何か勘違いしている。

「そうだろう。貴様らにとって私たちなど『餌』でしかないだろうからなッ!」

 それどころか、酷く興奮していた。

 まずは落ち着けないと誤解を解くどころか、満足に話せそうにない。

「違うって! 倒れていたのを助けたんだよ!」

 違うとは言ったものの……実際のところ、何が何だか。

 でも、ベル君たちが何か悪いことをするはずもないんだから、誤解なのは間違いない

「倒れていた? ……なら、ここはオーメルの森の近くなのか?」

「いや、その森には聞き覚えがないんだけど……」

「なら、『生贄の道』のどこかか?」

 何だか、また物騒な名前が出てきた。

 ……それとも、ダンジョンのどこかの異名だろうか。

(うう、ボクもダンジョンについてちゃんと勉強した方がいいのかも……)

 今度ヘファイストスに相談してみよう。

 派閥秘伝の採掘ポイントとかじゃなければ、多分教えてくれるはず。

「いや、違うよ。ここはオラリオさ」

 と、それはともかく。今はこの子の事だ。

「オラリオ? 聞き覚えがない。……お前たちは何者だ?」

「ボクら【ヘスティア・ファミリア】さ。その【聖堂騎士団】っていうのとは、全く関わりがないよ」

 そもそも、それが何なのかさっぱり分からないし。

 騎士団っていうくらいだからどっかの国家系派閥なんだろうな、くらいしか。

(ラキアじゃないよね?)

 どうやらそこが、ヴェルフ君の故郷みたいだし。

 と、なると、まったくの無関係とは言えなくなってくるのがちょっと不安だった。

「【ヘスティア・ファミリア】……? レジスタンスの一派か?」

「レジスタンス? いや、普通に探索系派閥の一つだよ」

 つい一週間くらい前までは零細派閥もいいところだったけど。

 いや、等級(ランク)と一緒に上がった税金の額に目を回しそうになるくらいまだ零細だけど。

「探索系派閥? 何のことだ?」

 どうやら、それ以前の話のようだった。

(なるほど。これは確かに異常事態(イレギュラー)だね)

 思わず嘆息しそうになる。

 今時、【ファミリア】を知らない子なんて探す方が難しい。

 まして、その子がダンジョンにいるなんて。

「えっと、まずは傷の手当てをしてから、詳しい話を聞かせてくれないかな?」

 と、いうか、その傷でよく動けるね?――と、思わず本音が口から零れ落ちた。

 ミノタウロスと戦った後のベル君よりずっと重傷なのに。

「―――ッ!」

 どうやら、それは触れて欲しくない事だったらしい。

 傷を隠しながら、その子はさらに一歩後ろに引いた。

「その前に聞く。ここはどこだ?」

「だからオラリオだって。この教会のことなら、ボクらの本拠地(ホーム)だよ」

「この教会が本拠地? なら、お前たちは白教徒なのか?」

 マズい。何だか少し下がった警戒値が元に戻っちゃった気がする。

「違うって! 教徒も何も、ボクは神だからね!」

 いつもよりほんのちょっとだけ余計に自己主張(神威を発揮)する。

 もちろん、威嚇じゃない。そういう刺々しい感情は込めていない。

 だって、ボクは慈愛の女神でもあるからね! ほーら、怖くないよ~!

「神だと……? なら、ここは噂に聞く神の都、アノール・ロンドなのか?」

 うん、何となく予想はついていた。

 その名前は、確かクオン君が前に言っていたような気がする。

「いや、それはおかしい。ここがアノール・ロンドなら、()()がいるはずがない」

 サポーター君を見やり、その子は呟いた。

 まぁ、確かに獣人に変身しているけど、実際には小人族(パルゥム)だ。それに、ローブを着込んだ今の姿では、背丈から判断するしかない。

 小人族(パルゥム)だと当たりをつけること、そのものは別に不自然でも何でもない。

「そりゃいるさ。オラリオは多種族共存の街だからね。小人族(パルゥム)だって神だってみんな一緒に生活しているよ」

「パルゥム? 小人ではないのか?」

 どうやら、この子にとって小人と小人族(パルゥム)は同じではないらしい。

(これは、霞君を呼んできた方がいいのかなぁ?)

 確か『酒夢猫(シャムネコ)亭』っていう酒場で働いているはず。

 いや、本当ならクオン君が来てくれると一番話が早そうだけど。

(流石に今は無理だよなぁ……)

 今のところギルド公式の賞金首にはなっていないものの、いつそうなってもおかしくない。

 それに、非公式にはもうなっているという噂も聞く。

 何しろ、イシュタルのところは()()()の派閥としても権勢を振るっていた。

 そのため、消滅の煽りを受けた商会は決して少なくない。

「えっと、その辺も含めていろいろ話をしたいんだけど……」

 と、ヘファイストスが言っていたけれど。実際のところはよく分からない。

「いえ、ヘスティア様! それより傷の手当てが先です!」

 そこで、サポーター君が叫んだ。

「そ、そうだった!」

 あんまり元気に動き回るからついのんびり話しかけてしまっていた。

「えっと! まずはこっちにおいで。早く手当てしないと死んじゃうぞ!」

「……何を白々しい。お前が神なら、私が何かなどとっくに気づいているだろう?」

「えっ?」

 いや、さっぱり分からないから困ってるんだけど。

 首を傾げると、いよいよその子も怪訝そうな顔をしてから――

「お前は本当に神なのか? これだけの傷を負って平気だとしたら、それは……」

 言葉を濁し、散々に躊躇ってから続けた。

「不死人に決まっているだろう」

「……不死人だって?」

 何のことだろう。思わず、ベル君たちと顔を見合わせていた。

「からかっているのか?」

 いっそ怒りすら宿した声で、その子が問いかけてくる。

「待った! 待って! 本当に何のことだか分からないんだって!」

 慌てて両手を振って、からかっていないのだと伝える。

「ま、まずは傷を手当てしてから、お互いにちゃんと話し合おう! ボク達も何が何だか……」

「……いいだろう」

 そう言うと、その子は()()()()()質素なタリスマンを取り出して、クオン君と同じ詠唱――神聖文字(ヒエログリフ)を正しく発音しながら、物語を口ずさんだ。

 すぐに黄金の魔方陣が浮かび上がり、傷が癒えていく。

 ……まぁ、流石にクオン君の魔法ほどの効果はなさそうだったけど。

「ええとだね。それで、不死人って?」

 念のためサポーター君が用意していたハイ・ポーションも飲んでもらって――結構疑われたので、まずボクが毒見をすることになったけど――から質問する。

「……『火の陰り』の影響で『闇の刻印(ダークリング)』が浮かんだ人間のことだ。この集落の規模がどの程度かは知らないが、この時世だ。一人や二人はいただろう?」

「……いや、聞いた事もないんだけど。少なくとも、この千年間くらい」

 と、いうか。まず『火の陰り』っていうのが何なのかも分からない。

「千年だと? そんなはずがあるか。前の『火継ぎ』が行われて、まだ三百年と経っていない。もっとも、もう消えかかっているがな」

 そして、今代の王候補はあの狂人だ――と、その子は呪詛のように吐き捨てた。

「『火継ぎ』だって?」

 どうにも噛み合わない。

 何だか根っこの部分から話がずれてしまっている。

「えっとだね。まず、このオラリオについて話すから、聞いてくれるかい?」

 こうなっては、その辺りから説明しなくてはいけない。

 なるべく簡潔に、それでいて誤解のないように説明するにはどうしたらいいのか。

 それを考えながら、慎重に言葉を紡ぐ。

「――と、言うわけなんだけど……」

 オラリオの成り立ち。

 ボクら(神々)の降臨と冒険者の誕生。

 そして始まった『神時代』。

 オラリオを取り巻く歴史は、これで一通り説明した。

 大枠での説明なら、これで特別何かが足りないという事はない。……はずだ。

 まぁ、専門家が聞いたらまだ全然足りないっていうだろうけど。

「何か質問はあるかい?」

 残念ながら、ボクは歴史(きおく)を司る神ではなかった。

「……それは何かの物語のあらすじではないのか? さもなくば、私を担いでいるのか?」

「いや、そんなことはしていないよ。これはれっきとしたオラリオの歴史だ」

 ボクの言葉に、ベル君たちも頷く。

 それを見て、その子は途方に暮れたようだった。

「私は、悪い夢でも見ているのか?」

「えっと……。君の知っている歴史について聞かせてくれるかな?」

 呻く彼女に、そう問いかける。

「それは構わないが……」

 もう一度ため息をついてから、その子は自分の知る『歴史』を語り始める。

「古い時代、世界はまだ分かたれず霧に覆われ、灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりだった。しかし、ある時、『最初の火』が熾る。これによって、世界には差異がもたらされた――」

 それは、驚くべきことにボクら(神々)の誕生から始まっていた。

「最初の死者ニト、イザリスの魔女と混沌の娘たち、太陽の光の王グヴィンと彼の騎士達。彼らは『王のソウル』を得て古竜に戦いを挑む」

 そして、神がまさに神を名乗る資格を得る過程すらも。

「グヴィンの雷、魔女の炎、ニトの死の瘴気……そして、うろこのない白竜シースの裏切りの前に、ついに世界の覇者だった古竜たちは敗れた。これが『火の時代』の始まりだ」

 もしこれが事実なら、これこそがまさに最古の英雄譚だろう。

 と、そこで。

「あれ? それって、『火継ぎの王』の前篇ですよね?」

 ベル君が首を傾げて言った。

「知っているのかい?」

「はい。もの凄く古い物語だってお祖父ちゃんが」

「どんな話なのですか?」

「ええと、最初は今のと大体同じなんだけど……」

 サポーター君の言葉に応じて、今度はベル君がその物語を語りだす。

 確かに、前篇の流れは彼女の言葉をなぞるものだった。

「――そして、その英雄は『聖火』の守り手になりました。また、その偉業が神王に認められ、神の都の名を冠した国を与えらえ王様にも。それからは名君として優れた治世を行ったことで『火継ぎの王』と称えられるようになります」

 そのまま一気に後篇についても語ってから、ベル君は言った。

「これが、後篇なんですが……」

「確かに、前篇は『火の時代』の始まりそのものだが……」

 その子は、そう言って眉をひそめる。

「後篇は、順番がでたらめだな。それに、そもそも『火継ぎの王』とはそういうものではない」

「順番がでたらめだって?」

「神の都の名を冠する国というのは、おそらく小ロンドのことだろう。だが、それが建国されたのは、まだ『火の陰り』が起こる前だ。グヴィンから特に覚えの良かった四人の小人が『王のソウル』とともに与えられた公国だからな」

 そして、とその子は言葉を続ける。

「もしその国が本当に小ロンドなら、『邪法に走った王国』というのは黄金の魔術の国ウーラシールのことだろう。この国が『深淵』に沈んだとされるのも、『火の陰り』の前だ。諸説あるが、ウーラシール、イザリス、小ロンドの順番で滅んでいったとする説が主流のはずだ」

 もっとも、私が知る範囲での話だが――と、その子は小さく付け足した。

「あの、さっきから気になっていたんですが……」

 ベル君が、小さく手を挙げながら問いかけた。

「イザリスって、【炎の魔女】イザリスのことですか?」

「ああ。だが、この場合は彼女の治めた国のことだ。……知っているのか?」

 どうやら、ようやく少しずつ会話がかみ合ってきたらしい。

 だからってまったく事態がつかめないことには変わりないんだけど。

「えっと、クオンさん……僕がお世話になっている人から少しだけ。イザリスのクラーナって人を知ってますか?」

「呪術の開祖の名前だな。魔女イザリスの娘の一人だとされている。もちろん、直接会ったことはないが……」

 思わずベル君と顔を見合わせていた。

 色々と気になることはあるけど、まず何よりも――

「君も呪術を知っているのかい?」

「もちろんだ。もっとも、私は使えないが」

 呪術――(ボク)ですら知らなかった未知の魔法を知っているとなると、明らかにこの子はクオン君と何らかの繋がりがある。

「ベル君の話を、君が知っている順番に直してくれるかい?」

「構わない……と、言っても、今言った先からはもうあまり変わらないな。その『英雄』は確かにニト、イザリス、シースのもとを訪ねている。もっとも、力を借りに行ったのではなく、そのソウルを奪いに行ったのだが……」

「ソウルを奪う? それって――」

「ああ。殺しに行ったと言った方が分かりやすいな」

 となると、やはり――

「君は、この物語を知っているんだね?」

「おそらく、私たち不死人による『最初の火継ぎ』だろう。随分と脚色されているが、大筋は同じだ」

 地域や時代によって伝承に差異が出るのは仕方がない事だった。

 エルフのように長命な種族であっても……ボクらですら、それは避けられない。

「投獄されていたというなら、おそらくそこは『不死院』だ。その後、神の都アノール・ロンドを経て、それぞれの『王のソウル』の持ち主の住処を巡ったとされている」

 もっとも、この話だけでこの子の知っている『歴史』と、ベル君の知っている『物語』が同じだと断言はできないだろうけど……。

「……分からないな。『火継ぎの儀』について伝わっているのに、何故不死人を知らない?」

「えっと、どういう関係があるんだい?」

 問いかけると、その子は小さくため息をついた。

「『最初の火継ぎ』……その少年が語った物語が起こる千年以上前から『最初の火』は消えかけていた。その結果、人の世に陽光は届かず、夜ばかりが続き、私たちの中に『闇の刻印(ダークリング)』が現れ始めた。『火継ぎの儀』とは、その呪いを解く唯一の手段だと言われている」

「夜ばかりが続きって……。そんなわけないだろう? そりゃ、確かに今は夜だけど、朝になればちゃんと日が昇るよ」

「何だと? ……いったい誰がいつ火を継いだ?」

 今、玉座に最も近いのはあの狂人だったはずだが――と、彼女は呻く。

「別に誰もそんな特別なことはしていないって。むしろ、夜がずっと続くなんて聞いたことがない」

「……やはりここはアノール・ロンドなのか?」

 神の都だけは今も日の光に満ちていると聞いているが……と、その子は呟いた。

「いや、そんなことはどうでもいい。亡者になっていないなら、まだ戦える」

 その子の目に、暗い炎が宿るのが見えた。

「奴らを……あの【人喰らい】どもを殺す」

 瞋恚。怨嗟。それとも憎悪か。

 黒々と燃え上がるその炎に名前を付けるなら、そのどれかだろう。

「いや、待つんだ!」

 その炎に、この子は自分の命すら投げ込むだろう。何の躊躇いもなく。

 それは、嫌でも分かった。分かってしまった。

 ただ――

「その【聖堂騎士団】っていうのも、【人喰らい】っていうのも、このオラリオにはいない!」

 止めなくちゃ!――その思いだけで、先走りすぎたのかもしれない。

「それがどうした。いずれこの集落にも奴らは手を伸ばしてくるだろう」

「だから! その【聖堂騎士団】も【人喰らい】ってのも、『火継ぎの儀』も『火の陰り』も『闇の刻印(ダークリング)』もないんだよ!! オラリオにじゃなくて、この『下界』のどこにも!!」

 少なくとも、この千年間は存在していないはずだ。

 そんなものがあれば、天界でも騒ぎになっていておかしくないんだから。

 ただ――

「……何だと?」

「だから、ここにはないんだよ。君がいう災いは何も」

 少なくとも、ボクは大切なことを三つも見落としていた。

 ひとつは、このオラリオに存在しないとしても……すでに存在しているものまで消えてなくなるわけではないという。

「だから、もうそんなに生き急がなくていいんだ」

 もうひとつは、この子が知っているものは何もないということ。

「……ならば。お前が言うことが正しいなら――」

 それは、この子にとって大切だったであろう何かも存在していないということなのだと。

 そして――

「ここには仲間も怨敵もいない。『最初の火』もない。それなら、私はどうすればいい? この『呪い』が体を完全に蝕む時をただ待っていろと?」

 ……その問いかけへの答えを、ボクは持ち合わせていないのだと。

 

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、評価いただいた方、感想を書き込んでいただいた方、ありがとうございます。
 次回更新は5月下旬から6月中旬を予定しています。
 19/05/08:一部修正・誤字修正

―あとがき―

 まずは謝罪を。
 驚くほどの難産で、予定を大幅に遅れてしまいました。
 まさか前回の更新が、平成最後の更新になるとは…。
 あれこれと試行錯誤を繰り返した結果、ひとまずこんな形で収まりましたが、楽しんでいただけたなら幸いです。

 個人的には本編四巻の、物語としてはあまり大きな動きはないものの、次の冒険の始まりを感じさせる雰囲気が好きなので、この章もそんな感じにしようと思っていたのですが…見事に見る影もありませんね。
 最後の悪あがきとして、ベル君たちに新たな出会いがありましたが。
 
 と、いうわけでオリジナルの不死人です。
 味方サイドでは初めてですね。
 細かなことは追々作中で触れていくつもりですが…大雑把に言えば、『薪の王』どころかその候補にすら上がらない、多分『火の時代』にたくさんいたであろう、ただの不死人でした。
 生まれた時代は、某神喰らいがまだ火を継ぐ前、人喰いに精を出していた頃となっています。

 いずれにしても、これでベル君サイドにも本格的にダークソウル要素を絡ませられるようになったかと思います。そして、そのおかげでヘスティア様の心労もマシマシです。
 ヘスティア様は竈の神様ですし、灰は火に焦がれるものですし…。

 これで何とか第二部一章は完結。次話から二章が始まります。
 令和最初の更新で新章を開始したかったのですが、力及ばず…。

 それと…。
 ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、ブラウザゲームの『オラリオ・ラプソディア』が5月15日をもってサービス終了となります。
 参考資料になればいいな、くらいの気分で始めたものだったのですが…これが思いの外ショックでした。
 ゲームとしては正直色々と不満もあったのですが、それでも、普通のファミリアが少しずつ成長していくこの物語が好きだったんだなぁと今更になって思います。
 ひとまず区切りはつきましたが、物語としても未完のままですし何とか別の形で補完してくれたら嬉しいな、とも思うのですが…。
 好きな物語が終わってしまうのは寂しいものですが、完結しないままというのはなおさらですね。

 そんなわけで、今回はここまで。
 本作は何とか完結まで続けたいなと思っていますので、これからもどうか宜しくお願い致します。
 また、相変わらず返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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