SOUL REGALIA   作:秋水

22 / 35
※19/2/24現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第四節 激戦。結末はまだ遠く――

 

 

「ぬぅううううんッ!!」

 そのデーモンとやらが振るうのは、岩石をそのまま削り出したかのような大斧。

 それを、真正面から迎え撃つ。

「ぬぅ!?」

 だが、打ち負けた。

 純粋な力勝負で負けるなど、いつ以来か。

 地を削りながら後退する中で、思わず舌を巻く。

 もっとも――

「そうでなくてはな!」

 ――むしろ、血は昂るばかりだった。

 四年前に突如として現れたあの若造――神々の度肝を抜くどころか、震え上がらせた【正体不明(イレギュラー)】すら一目置く強敵。

 そんなものを前に、奮い立たずして何が冒険者――否、ドワーフの戦士か。

「るおぉおおおおッ!!」

 ベートの蹴りに、一瞬だけデーモンの意識が逸れた。

 その隙を見逃すはずもない。

「ふん!」

 大ぶりの一撃。単純だが、直撃すれば階層主とて痛撃を与えられる。

 半世紀かけて培った自負を宿す一撃だ。

「何じゃと?!」

 だが、通じない。

 否。巌のような表皮をかち割り、その下にある肉にまで届いている。

 これが真っ当な階層主だったなら、最低でも揺らがすことくらいはできたはずだ。

 それほどの傷を与えている。

 だが――

(妙な感触じゃな……)

 ()()()()()()()()()。だから、見た目ほどの痛撃を与えられていない。

 そんな感触だった。

 無論、掌に伝わってきたわけではない。そちらで感じたのは、いつも通りの確かな手ごたえだ。

 それを感じたのは冒険者としての――あるいは、戦士としての勘だ。

 そして、

(こいつは、ロキが言う通りかもしれんな)

 この感触には覚えがあった。

 四年前。あの若造が本拠地(ホーム)に乗り込んできた時と同じだ。

 人型のデーモン。あの若造は、まさにそういうモノなのでは――

「はああぁああああっ!」

「てあああああああっ!」

 いったん間合いを開き、見定める。

 アマゾネス姉妹の連携も、やはり見た目ほどには効いていないように思えた。

(ふむ……)

 フィリア祭での苦戦。

 それは、アイズ達が素手であったことに加えて――あるいは、それ以上に、その『何か』が足りなかったからではないか。

(そう考えれば、あの若造が一人でアイズたちより早く仕留めた理由にもなるの)

 地力の違いもあるだろうが……それ以上に、その『何か』をあの若造は会得している。

 だからこそ、デーモンも容易く仕留められ、()()()()()()()などといった真似もできる。

 アイズとあの若造の違いは何か。それも、明白だった。

(魂喰らい、か……)

 そもそも、あの若造自身が時々口にしていたではないか。

 ソウル――すなわち魂がどうこうと。

 あの若造が知っていて、儂らが知らない『何か』とはつまり、その術なのだろう。

 それがあの若造が人型のデーモンである証拠――と、までは流石に断言できないが。

 しかし、ロキやフィンの推測は大きく外れてはいない。その確信を得た。

「ねぇ、何か前の奴より強くない?!」

「確かにそうね。『強化種』ってこと?」

 暴風のごとく振り回される大斧を掻い潜りながら、戦闘経験のあるティオナとティオネが、口々に言いあう。

 流石にその言葉は軽視できない。

(強化種……。いや、()()か)

 まばらだった狙撃。その原因がこのデーモンだとしよう。

 それなら、残された魔石を喰らうことで強化――成長したと考えるのは筋が立つ。

(喰らったのは()()()()()()かもしれんがの)

 デーモンとは神の魂を喰らうものだ――と、ロキの言葉を思い出す。

 主神の言葉を信じるならドラゴンどもの(ソウル)を喰らい、己の力としたとも考えられる。

 となれば、あの若造の力もそうやって得たものなのだろう。

 だとすれば。さて、あれほどの力を得るにはどれほどの魂が必要となるのか――

(まぁ、それはいいじゃろ)

 少なくとも、今は余計なことだった。

 あとでフィンとロキにでも話してやればそれでいい。

「やれやれ、こいつは意外と骨が折れそうじゃわい」

 生憎と、相手の魂を喰らう術など持ち合わせていない。

 だが、アイズたちはこれを倒している。

 で、あれば。その術を知らなければどうにもならないという相手でもない。

「ま、こういう分かりやすい方が儂向きじゃな」

 必要なことは相手が倒れるまで斧を叩き込む。ただそれだけだ。

 これは、何とも分かりやすい話だった。

 今まで何度となく繰り返してきたことであり、ここを生き延びたなら、もうしばらくは繰り返していくつもりのことなのだから。

 

 

 

「早かったね」

 鐘を鳴らしてから、ギルド支部に駆け込むと、アイシャがそう言って迎えてくれた。

「いや、遅すぎるくらいだ」

 返答と共に肩をすくめる。

 他になんと返せばいい。もはや、笑ってしまうほど後手に回っているというのに。

「街の様子は?」

 次に声をかけてきたのは、神――確かニョルズといったか――だった。

「港はもう闇霊どもの巣窟だ。死人も出ている」

 言うまでもないことだ。耳をすませば今も断末魔の悲鳴が聞こえるのだから。

 それとも、今聞こえているこれは残響なのだろうか。

 だとするなら、俺も随分と繊細になったものだ。

「大体、情報ならすでに聞いているだろう?」

 明かりを押さえられたギルドの中でも分かるほど顔を青ざめさせる、神に問いかける。

 ギルドの中には、いかにも漁師といった風体の男達が、言いつけ通り銛を握りながら詰めている。他にもその家族や知人と思しき老若男女がざっと一〇〇人ほど。

 この全員が俺が見つけてきた相手だとは思えない。アイシャが連れ帰ったか、自分たちで逃げ込んできたか。いずれにせよ、情報収集には困らないはずだが。

「あんたね。ただの漁師に何を期待してるんだい?」

 いっそ呆れたように、アイシャがため息をつく。

「遠征中に野営地を急襲されりゃ、手馴れた冒険者だって浮足立つんだ。住み慣れた街がいきなりこの有様なら、正気を保ってるだけまだ上等だよ」

「……そうか」

 祭祀場に闇霊が侵入してきたようなものと考えれば、多少は納得できる。

 ……もっとも、仮にそんなことが起こったところで、最初に少し驚くだけだろうが。

 あとはいつも通り。

 どちらかが生き残り、どちらかが死ぬ。死んだ方がそのまま堕ちるかどうかは別の話。

 ――と、ただそれだけの事だろう。

「衛兵は?」

 もっとも、ここまで大規模な侵入は流石に覚えがないが。

「そっちは多少はマシかね。ケツを蹴っ飛ばしてやったら、何とか持ち直したよ」

 まったく、世話のかかる(おとこ)ばかりさ――と、アイシャが不敵に笑う。

 ……俺もつい最近霞に蹴られたばかりなのだが、ひょっとして知られているのだろうか。

「どのみち、持ち直してくれなきゃどうにもならない。海でモンスターやら海賊を相手しているだけあって、漁師どもの何割かはそこらの下級冒険者よりマシだからね」

 確かに、道中で助けた連中も思ったよりすぐに立て直していた。

「今は他の避難所に走らせてあるよ。流石に旅行者どもを見捨てるわけにもいかないからね」

「そりゃ、そうだが……」

 ただでさえ手が足りないってのに――と、毒づくことは自制した。

 何かを守ること。それに関して、体を張ってあの春姫という少女や後輩たちを守ってきたアイシャには遠く及ばないのは明らかだ。

「五人一組で戦闘は極力避ける。どうしても避けられないなら、五人で一体を囲んで相手が確実に消えるまで攻撃の手は緩めない。完全な素人じゃないんだ。それだけ言っときゃ何とかなるだろうさ」

 無論、心情的なものに限らず、実際の経験や知識からしても。

「んで、避難所に人が集まったら、まとめてメレンから脱出。オラリオまで逃げろって指示を出してあるよ。呪われているのがこの場所なら、それでいいだろう? それとも、まさかオラリオまで影響が及んでいるなんて言わないだろうね」

「ああ、流石にそこまでは届かないだろう」

 場所と言っても、距離というより概念に依存するように思う。

 メレンという場所(まち)が呪われているのだから、オラリオという場所(まち)まで逃げればおそらく振り切れる――とは思うが、道中の安全までは保障しかねた。

「気は進まないけど、オラリオにも連絡を入れた。ちょうど信号機があったからね。あとはあの腐れエルフが動くかどうかさ」

 望遠鏡に似た魔石製品を軽く叩きながら、アイシャが言う。

「動いて欲しいところだな。できれば、シャクティ達に」

 何しろ、これほど大規模な侵入は経験がない。

 巡礼地ではこれほどの生者が同じ場所に集まることなど稀だ。

 加えて、時空が歪んでいる影響か、必ずしも全員にその影響が及ぶとは限らない。

 そういう意味では、場所とは『特定の時空』なのかもしれない。

 そして、仮にそうだとするならこの街でも、案外気づかずに今も呑気に眠りこけている者たちがいるのではないか――

(いや、それはないか)

 この『時代』の時空は安定している。

 目覚めてから一度もズレを感じたことはない。今この時も。

 ならば、今この時もこの街の住人が殺され、ソウルを奪われている――と、楽観を捨てて現実的な思考を巡らせる。

「……防衛に関してはお前に一任したい。構わないか?」

 Lv.3の豪胆なアマゾネス。加えて、あの歓楽街で衛兵役も務めていた彼女は適任と言えよう。

「守りに入ったアマゾネスなんざ、泡の抜けた麦酒(エール)みたいなもんなんだけどねぇ」

 まぁ、いいさ――と、アイシャは頷いた。

 その隙に、改めてギルド内を見回す。

 おそらく彼女の指示だろう。窓やら何やらには木の板を打ち付け、入り口には棚やら何やらで簡単な阻塞が作られている。

 闇霊に通じるかは微妙だが、ないよりはマシだろう。

 何しろ、ここに残る本職の衛兵は少ない。戦力の大半は漁師。

 残りは彼らが連れてきた家族たち。こちらは、むしろ庇護対象だ。

 この比率は、メレンの縮図と見ていいだろう。やはり、オラリオのようにはいかない。

 それは仕方がないとして――

「ところで、あそこで簀巻きになってるのは誰なんだ?」

 視線の先に転がっているのは、簀巻きにされ丁寧に猿轡を噛まされている人間――この『時代』でいうところのヒューマン――の男。

 面長で痩せぎす。ひょろりとした身長で、何となく几帳面そうで……何より、どうみても()()()()()らしき制服を着ているのだが。

「ああ、あいつは……何つったっけね。とりあえず、このギルドの支部長だよ」

 うるさかったから黙らせた――と、あっさり言い放つアイシャ。

 さて、一体なんと返すべきか。

「……ここに闇霊が殺到したら、そいつ逃げられないんじゃないか?」

 恨みがましい目で睨んでくるその支部長を見やり呻いた。

「その時は担いで逃げてやるよ」

「それはやめておけ。『当たり』を引いた時が怖い」

「なら、縄を斬るかね。それくらいの時間は何とか稼げるはずさ」

 あとは自己責任だね――と、アイシャ。

「それは仕方がない。……どのみち、他に選択肢はないからな」

 その支部長だけではなく、この場所にいる全員が。

(そういえば……)

 今の俺は()()()()のだと、改めて胸に刻む。

 何しろ、その死は俺のものではない。アイシャの死だ。

(まったく、まだ経験していない殺し合いがあったとはな)

 文字通り、誰かの命を背負って戦う。

 飽きるほど殺しあってきたつもりだったが、この状況は全く経験がない。

 そもそも、自分の命の重さを忘れたような奴が、他の誰かの命など背負うものではないだろう。

 それが、かけがえのない誰かの命ならなおさらだ。

「それで領主……マードック家だったか。そっちには?」

「あんたじゃないけど、手が足りない。ここに来るまでの大冒険を聞きたいかい?」

「……いや、大体見当がつく」

 猟師達はおろか、アイシャ自身までがいくつかの傷を負っていた。

 ひとまず、負傷者を集めてから右手に『火』を宿し、物語を口ずさむ。

 その名を【中回復】。見た限り、それで充分だろう。

「すまねぇ」

 黄金の輝きが消えると、一番重傷だった漁師が呻いた。

「気にするな」

 頷きながら、ソウルから回復薬や武器の類を取り出す。

 武器は、あまり癖の強いものは除外した。

 銛と同じ使い方ができるスピア。

 誰でも使いやすいロングソードとショートソード。

 力任せに振って当てればひとまず効果があるクラブ。

 あとは盾か。中盾をいくつかと、力自慢に大盾――≪双竜の大盾≫を預ける。

「安物だが、ないよりはマシだろう。回復薬は腰の道具入れに入れておけ」

 無論、全てが楔石の欠片を刻んだかどうかの安物だ。

「ああ、そうするよ」

 年かさ――あるいはどこかの船の船長なのだろうか――の男を中心に、分配が始まる。

「便利なもんだね」

「かもな」

 実際、しばらく武器屋の真似事ができる程度にはため込んでいる。

 使うあてもない代物だったが……まったく、いつどこで何が役に立つか分からないものだ。

「あんたの分のポーションはなくていいのかい?」

「ああ。まだ何とかなる」

 エストも灰瓶も、まだ残っている。

 とはいえ、流石にあれだけの数を相手に無傷では切り抜けられなかった。

 双方とも三割減といったところか。

「そうだ。これを貸しておこう。もしシャクティ達が来たなら、困るからな」

「何だい、そりゃ?」

 取り出したのは≪砂の呪術師のフード≫。

「とある魔女たちが愛用するフードだよ。素顔を隠す効果がある」

「へぇ、便利なもんだね」

 呟きながら、アイシャがそれを被る。

 と、よく見知った顔が霞がかったように曖昧になった。

 どうやら、まともに機能してくれたらしい。

「けど、その魔女ってのはわざわざこんなもん作ってまで顔を隠さなけりゃならなかったのかい?」

「いや、見えそうで見えないから、余計気になるんだろう」

 実際、砂の魔女たちは蠱惑的な容姿で知られていた。

 ……そして、実際に美人揃いだった。【炎の扇】片手に襲ってこなけば、仲良くやれただろうに。

「そんなもんか」

 そういや、下着だけ脱がせて喜んでる奴もいたっけ――と、アイシャが呟く。

 ……つくづく、世の中には色々な性癖があるらしい。

 いや、それはともかく。

「それで――」

 武器や回復薬の分配が終わったところで、神が何事か問いかけてくる。

「いや、待て」

 だが、それより早く何かが聞こえた。

 神の言葉を遮って、耳を澄ませる。

 足音。それも、複数人。

「これは、闇霊……」

 誰かが呟くと、支部内に動揺が走る。

 だが、

「いや、違う」

 聞こえてくるのは、足音だけではない。

 罵声、怒声、悲鳴。それらが混在した人の声。

 そこに混じって、硬質な何かがぶつかり合う音も混じっている。

 しかも、数が多い。

「これは戦闘音だ」

 そして、戦っているというなら対立している何者かがいるという事だ。

 片方を闇霊だとするなら、もう片方は――

「まさか、ボルグ達か?!」

 ――おそらく、そうだろう。

 思っていた以上に人望があったのか。それとも、兵力を隠していたのか。

 いずれにしても好都合だ。こちらには神の錦がある。

 少々無理やりにでも協力させられるだろう。

「俺が出る。出たらすぐに封鎖しろ」

 告げると、大慌てで漁師達が入り口を塞ぐ棚や木箱の類をどかし始める。

 扉を開けられるようになるまで少し時間がかかったが、まだ戦闘音は途絶えていない。

 ならば、それなりの数は生き残っている。

 ……互いにだ。

「―――――」

 音源まで走り抜け、物陰に潜んで様子を伺う。

 その先には初老の男を中心とした集団。総数はギルドに詰めている人数と大差あるまい。

 うち三割ほどが武器を構えている。衛兵と漁師の混成部隊。比率としては半々か。

 当主もまた銛を握りしめている。そのおかげなのか、死者が出ているの割にはまだ士気高く保たれている。

 敵対しているのは、もちろん闇霊だ。数は二〇体ほどか。

 幸運というべきか。食人花(ヴィオラス)がいればとっくに壊滅していただろう。

 その合戦を横から眺めている。

 衛兵と漁師の混成部隊と、闇霊の一団。力量は大差あるまい。

(まったく、闇霊は狙いやすくていい)

 まずは左手に弓――≪ファリスの黒弓≫を。番える矢は毒矢。

 狙いは今まさに漁師を斬り捨てようとする闇霊。

「―――――」

 放った矢は、狙い違わずその闇霊のこめかみを射抜いた。

 横にのけぞるそいつに、早さを優先してもう二射。

 三本も突き立ててやれば、よほど念入りに対処していない限り毒は回る。

 狙いを変えて、さらに三射。

「うおおぉおぉおっ! やれ、やれぇ!! 押し返せえええええッ!」

「いいか! 相手は海賊……いや、モンスターどもだ。いつも通り思い切り刺しまくれぇ!!」

 それを数回繰り返す頃には、混成部隊が体勢を立て直し、反攻に打って出る。

 よほど想定外だったのだろう。闇霊の一団には動揺が見て取れた。

(素人どもめ)

 やはり侵入してくる闇霊の大半は、騎士や戦士のように『ダークリング』が浮かぶ前から荒事を専門としていた者ではない。

 反応が遅く、呑気であり、何より稚拙すぎる。

 それなりの装備と経験――漁師たちですら、海賊相手に対人戦闘の心得がある――を有する彼らが息を吹き返せば、そのまま押し返されるほどに。

 一方で、反攻に浮足立った闇霊どもは伏兵の存在を知りながらも未だに柔らかな横腹をこちらに向けたままでいる。

 まったく情けない。それでも巡礼者か。

「――――」

 武器を≪グレート・ランス≫へ。地面を蹴りつけ、一気に加速した。

『―――ッ?!!?』

 臆したのか、隊列から少し後退した闇霊の横腹を貫き、そのまま群れから押し出す。

 横腹から侵入し、内臓を貫いて反対側に飛び出した穂先が、さらに近くの壁に突き立つ。

 同時、左手に≪トゲ棍棒≫を。その首筋を引き裂くようにして叩きつける。

 喉の肉らしき光片が飛び散り……それで、一体が消滅した。

 それを見届けたわけではない。体内に流れ込んでくるソウルの感触から判断しただけだ。

 その頃には、視線は次の標的へ。振り向きざまに投げナイフを投擲する。

 それはこの距離で呑気に詠唱していた闇霊の喉を穿ち、強引に詠唱を中断させた。

『…――…!?』

 慌てて、その闇霊が()()()()()()()()()()

 微笑ましいものだ。喉をやられただけで詠唱できなくなると()()()()()()()()なのだから。

 右手でその顔面を引っ掴み、『火』を一気に燃え上がらせる。

 すなわち【発火】。

『――――!』

 三体目。

 攻撃するか防御するかを迷ったそいつの脳天を、まだ構えていた≪トゲ棍棒≫で叩き割る。

『――――!』

 四体目。

 攻撃を選択した闇霊。携えているのは、ロングソードと中盾。実に堅実な装備だ。

 振り下ろされた剣を≪トゲ棍棒≫で払いのける。

 と、その闇霊は後ろに跳び、盾を構えた。

 悪くない判断だ。悔やまれるのは、その盾の性能が今一つなことか。

 右手の武器を≪バルデルの刺突直剣≫に。

『――――!!』

 構えられた木製の盾もろとも、強引に貫き通す。

 せめて強化されていたなら、ここまで容易く防御を破ることはできなかっただろうが……まぁ、無理もないか。

 とはいえ、慈悲はかけない。引き抜き、返す一撃でその首を刎ねる。

「うおぁあわ?!」

 闇霊の一撃に押し返され、尻餅をついた衛兵――いや、恰好からして漁師か――が、奇妙な悲鳴を上げた。

 武器を≪古びた鞭≫に。とっさにその闇霊の足を狙い放っていた。

『――――!』

 絡みついた鞭を引き寄せ、強引に引きずり倒してやる。

「ぅうおおおぉぉおおおっ!?」

 漁師を真似するように尻餅をついた闇霊を、周りの衛兵や漁師が滅多刺しにしていく。

 が、隙ができたのは俺も同じだ。

「――――ッ!」

 他の闇霊の槍が、横腹を貫く。少し遅れて、メイスが側頭に直撃した。

 まだ未熟な闇霊だ。この程度では死にはしない――が、それでもソウルは確実に揺らいだ。

 だが、この程度なら無視できる。たじろいでなどいられない。

 一体多数の状況では、僅かな動きの停滞も死を呼び込む要因だった。

 強引に踏みとどまり、武器を≪アヴェリン≫に。引き金を二回引く。

 それぞれ三発のボルトが、二体の闇霊の脳天をぶち抜く。

 その頃には、劣勢を悟ったのか闇霊の一部が後退を始めた。

 だが、その判断は愚かだ。

 間合いが開くなら、()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 武器を≪グンタの斧槍≫へ。二度対峙した鋳鉄の英雄を真似るように突撃する。

「――――ォォッ!!」

 闇霊の一団の中央まで強引に斬り込み――そして、咆哮(ウォークライ)

 体中の力を注ぎこみ振り回した斧槍が周囲で立ち尽くす闇霊どもをまとめて薙ぎ払う。

『―――!』

 生き残った闇霊が、遮二無二組み付いてくる。

 同時に他の闇霊が両手で槍を構えて、突撃してきていた。

 その闇霊もろともに貫く気だろう――が、筋力が足りない。技量が足りない。

 盾で背後に組み付いた闇霊の顔面を一撃。ふらついたところで、拘束を振り払い、槍を持つ闇霊に投げ飛ばす。

 激突した際にその槍が闇霊を貫いたらしいが――関係ない。

 斧槍で二体まとめて貫く。

 その頃には、混成部隊に近い闇霊どもは全滅していた。

 なるほど、日常的にモンスターの脅威に晒されつつも漁をしているだけはある。

 俺が知っている漁師よりもさらに逞しいようだ。

 背中側には誰もない。なら、これで本当に誰も巻き込む心配はなかった。

 左手に『火』を。思い描くのは鉄の古王に仕えた呪術師が遺した秘儀。

 獲物に喰らいつく蛇にも似た業火。

 すなわち【火蛇】。

 前方に展開する闇霊どもを飲み込むように、火柱が連鎖して立ち上り夜空を焦がす。

 それで、終わりだった。

 ひとまず、周囲に存在していた闇霊は一掃した。何とか、凌ぎ切った。

「た、助かった……のか?」

「あ、ああ……」

 漁師どころか衛兵たちまでが安堵しては武器を下げる。

 それを年かさの――経験豊富そうな衛兵が叱咤したが、立て直すまでには時間が必要そうだ。

 ……日常的にモンスターどもと殺しあっている冒険者のようにはいかないか。

「お前さん、何もんだ?」

 高等回復薬を煽り、横腹の穴を塞いでいると初老の男が精一杯の虚勢と共に問いかけてくる。

「通りすがりの放浪者だ」

「馬鹿言え。そんな高ランクの冒険者なんぞオラリオ以外にそういるか。どこの回し者だ? 何を企んでこんなバカげた騒ぎを起こしている?」

「それこそ馬鹿な話だな。この惨状を生み出したのは闇派閥(イヴィルス)だよ。そちらにこそ()()()()()()()んじゃないか?」

「……・ッ!?」

 期待をはるかに上回る――露骨なまでの動揺が伝わってくる。

 なるほど、俺達の推理(素人考え)もあながち的外れではなかったらしい。

 もっとも、状況に救われた、という側面もある。

 幸か不幸か、この状況で平静を保っていられるほどには図太くないようだ。

「まぁ、今はいい」

 何であれ、ここで問い詰めている暇はない。話を早々に切り替える。

「別に恩を売る気もないがな。ここで立ち話は阿呆な話だろう?」

「それはそうだが……」

「すぐそこのギルドにいくらか避難している。まずはそこまで移動する。それでいいか?」

「ギルドだと?」

「下種な勘繰りをするなよ。避難所として建物を利用しているだけだ。それこそ……ああ、なんと言ったか。この街の神は」

「神ニョルズか?」

「そいつだ。その神も今はそこにいる。それでは――」

 不満か?――と、問いかけるより早く、

「ニョルズ様は無事なんだな?!」

 若い男が、飛びつくように詰め寄ってくる。

「ああ。……お前は?」

「俺はロッド。【ニョルズ・ファミリア】の団長だ」

 黒髪黒目の逞しい若者はそう言った。

 なるほど、いかにも未来有望な若頭といった風情がある。……ような気がする。

「いや、【ステイタス】が封印されてないから絶対に無事だとは思ってたけどよ…・」

 心から安心したといわんばかりに、その若者は大きく息をついた。

「それじゃ、みんなを連れて行かないと……」

 凌ぎ切ったが……流石に、まったく被害者が出ていないわけではなかった。

 息絶えている衛兵や漁師を、その家族や知人らしき者たちが取り囲み、抱きかかえている。

 あるいは逆もだ。

 だが――

「その心情は察するが……」

 本当に、察しているのかは定かではない。それが本音だった。

 俺達(不死人)の死生観など、もはや生者(ひと)のそれからは大きく乖離していた。

 死が重みを失った時点で、生もまたその価値を失ったのだ。

「連れてはいけない。確かに、ギルド支部はすぐそこだが、そこに行けば何が変わるわけではないからな。無駄死にしたいなら、背負っていくのも留まるのも止めはしないが」

 それをすれば、ほぼ確実に死体が増える――と、告げる。

 それでは本末転倒だろう。

「……ッ!」

 激昂したように、若い団長が眦を吊り上げる――が、思ったよりも冷静らしい。

 同じく平静を取り繕うボルグに肩を叩かれると、すぐに感情を押さえて呻いた。

「分かっている。行くぞ、みんな」

 血を吐くようなうめき声に、ゆっくりと周りの人間が動き始める。

 無論、その動きは遅い。だが、流石に急かす事もできない。

 とはいえ、不幸中の幸いというべきか。それから、ギルドまでひとまずの襲撃はなかった。

 なかったが――

「つくづく大規模だな……ッ!」

 そのギルド支部が襲撃を受けていた。生者が大量に詰めているのだから当然か。

 まったく、油断も隙もありはしない。

「まだ生きているな!?」

 入り口周辺で愛用の大曲剣――大朴刀と呼んでいたか――を振り回し、迫る闇霊を斬り散らしているアイシャに叫ぶ。

「遅い! どこで油売ってたんだい?!」

 その声に応じている暇もない。

 左手に『火』を灯し、物語を口ずさむ。

 その名を【沈黙の禁則】。

 自らも含めて、一定範囲内にいる全ての存在のスペル――魔力によって生じるあらゆる現象を封じる奇跡。

『――――?!?!』

 建物ごと抹殺しようとしていた魔術師や聖職者らしき闇霊どもに動揺が広がる。

 当然だろう。この力量なら、まだ剣とスペルを複合して使える者の方が少ない。

 魔術師は魔術が、聖職者は奇跡が切り札であり、最も頼れる武器である。

 この闇霊どもはそれを封じられて平静でいられるほどの経験も技量もまだ持ち合わせていない。

「―――――」

 だが、こちらもなりふりをかまってはいられない。

 切り札の一つを切る覚悟を決めた。

 武器を≪傭兵の双刀≫――己が最も得意とする武器に近いその武器へと切り替える。

 そのまま棒立ちする術者の一団に突貫した。

『――――!』

 流石に黙って斬り殺されるほどには素人ではない。

 ダガーやメイスを構える――が、それがどうした。

 掻い潜り、すり抜けながら、左右の刃を振って闇霊たちを解体していく。

「かかれぇ!!」

「うおおおおおっ!」

 あの若い船頭の号令と共に、混成部隊が闇霊の背後を強襲した。

 そうなれば、もはや勝敗は決まったも同然だった。

 専門職でもなければ、乱戦は同士討ちの恐れがあって危険。確かにそうだろう。

 だが、相手は闇霊だ。

 いくら人型であったとしても、見間違えるはずがない。

『ソウルの業』を持たないこの『時代』の人間の攻撃は通じづらい。それもまた事実だ。

 だが、まったくの無意味でもない。

 注意を惹くか動きを止めてくれるなら、あとは俺がとどめを刺して回ればいいだけだ。

 まったく、楽な話――

「ひぃいぃいいいっ?!」

『オオオオオオオオッ!』

 ――など、死に見入られたこの街であるはずがない。

 神の気配に勘づいたか、闇霊のソウルに釣られたか――それとも、単に()()()()()()()()()()影響だろうか。

 割鐘の叫びと共に、食人花(ヴィオラス)が三体迫りくる。

 せめて、俺が最前線にいたならまだ打つ手はあっただろう。

 だが、状況はすでに乱戦状態だ。友軍だけを都合よく庇う手段などない。

 呪術なり魔術でまとめて薙ぎ払う事すらできない。

「全員避けろ――」

 無論、そんな言葉が間に合うはずもない。間に合ったとして、どれほどの意味があるのか。

 自覚しながらも、右手に『火』を宿す。

 思い描くのは炎の憧憬。かつて孤独な巨人の王が統べた国が遺した罪の一つ。

 曰く【罪の炎】。

 一点に収束する劫火が、迫る食人花(ヴィオラス)顔面()を一瞬にして焼滅させる。

 だが、それだけだ。

「ぎゃあああぁあぁあああぁああっ!?」

「ひぃいいいぃぃいぃ!?」

 残り二体は何の躊躇いもなく、こちらに突っ込んでくる。

 ここには『神の恩恵』を持たぬ、ただの生者までがまだ外にいるのだ。

 たちまち地獄絵図が出来上がった。

「やめ――ッッ?!」

「娘を食うな――…!」

「腕?! 俺の腕ぇ!?」

『ッ?!?!?』

「ぐごぁ……! し、締め上げられ――…ぁ」

「あ、ああ、ああああああ……っ!?」

 闇霊も神の眷属も生者もこの雑草どもには関係ないらしい。

 伝説に語られる大海蛇のように人の海を泳ぎ、獲物を貪っていく。

 俺の魔力や神のソウルの気配すら無視して、だ。これも『死の瞳』の影響なのだろうか。

 若い船頭や当主、さらにはあの海神までが犠牲になったと思しき者たちの名前を叫んでいるが、だからどうなるものでもない。

 せめて、この先も統括役を押し付けられるこの三人がまだ無事だという事に安堵するくらいか。

 いや、安堵している暇などない。この元凶を速やかに始末しなくては被害が拡大する一方だ。

()()()()、左は任せた!」

 この状況でなお、とっさにアイシャを偽名(フィオナ)で呼んだことに我ながら驚いた。

 役作りというのが案外うまくいっていたのだろうか。

「残りは全員ギルドの中に下がれ! 崩れてもいいように頭だけは守っておけよ!」

 まだ無事だった子どもを引っ掴み、若頭の方向へと放り投げる。同時に指示もだ。

 死んでいないなら、後は何とか打つ手がある。……と、思う。

 完全にただの生者を相手にした経験がないせいで断言はできないが。

「無茶を言う……!」

 泣き言を言ったのは誰だったのか。

 少なくともアイシャではないだろう。なら、ひとまずはそれでいい。

 こちらにも、そんなことを気にかけている余裕はない。

 むせかえるほどに血と臓物の匂いが漂う中で、その元凶と激突する。

 時間はかけていられない。これ以上暴れ回らせるわけにもいかない。

 武器を≪月光の大剣≫――神の如き白竜が遺した一振りへ。

「目覚めろッ!」

 あの忌まわしい白竜が遺したとは思えないほど、蒼々と澄んだ刀身。

 それが更なる月の輝き(魔力)を帯びる。

 月光の銘に偽りなし。その輝きを前にして食人花(ヴィオラス)が魅入られないはずがない。

『アアァアァァアアアアッ!!』

 歓喜ともとれる叫びと共に、食人花(ヴィオラス)は真正面から突っ込んでくる。

「――――――」

 そして、激突。その瞬間に昂っていた魔力もろともに大剣をその顔面に叩きつけた。

 月の明かりが食人花(ヴィオラス)を飲み込み蹂躙する。

 これこそが、『月光の奔流』。

『灰の時代』の王者たる古竜にして偉大なりし魔術の開祖、白竜シースの力の一端。

 ただの仇花程度が抗えるものではない。

 見届けることはせず、地面を蹴る。まだ食人花(ヴィオラス)は残っている。

 思い描くのは『灰の時代』の次。『火の時代』の英雄。

【狼騎士】――【深淵歩き】アルトリウス。神々最大の英雄の剣技を再び模倣する。

『ギィイイィィィイィイィイ!?』

 未だ拙劣なその一撃と言えど、雑草を刈るには充分だ。

 振り下ろした月光の刃はその()()を半ばまで斬り裂く。

「人の獲物をとるんじゃないよ!」

 その頃には、アイシャの詠唱が完成した。

 紅い魔力の奔流が刀身に絡みつき――

「【ヘル・カイオス】!!」

 その斬撃が、食人花(ヴィオラス)を完膚なきまでに消し飛ばす。

 ……それで、ひとまず脅威は去った。去ったが……

「な、なんてこった……」

「お、お前たち……」

「あ、あ、あ、あ……」

 すり潰され、喰い千切られ、圧し潰された人間だったものの残骸が辺りを朱く染めている。

 ダンジョンの中なら珍しくもないが……しかし、ここにいるのは冒険者たちではない。

 その惨状は、海賊やモンスターを相手どった経験がある漁師達の心すらたやすく砕く。

「すまん。お前たち、すまない……!」

 無論、神――ニョルズもだ。

 それが本心かどうかは、所詮人間の俺には見抜けやしない。

 ……それに、正直なところ疑うための気力を用意できない。

(クソが……ッ!)

 ソウルの状態が万全だったなら――などと泣き言は言わない。

 仮にそうだったとしても、あの状況で全く犠牲者を出さずに済ませられたはずがなかった。

 生憎と俺は都合よく万事を解決する物語の英雄などではない。ただの不死人だ。

 ……だが、惨劇を前に苛立ちを募らせる程度にはまだ人間性も残っている。

「これ以上は守り切れない。このまま一度、連中を連れてメレンを脱出するしかないね」

「……ああ、分かっている」

 アイシャの言葉に唸る。

 分かっている。おそらく、この場にいる誰もが。

 だが、果たしてそんなことが可能か?

(マズいな)

 分かる。嫌でも分かった。

 

 この場にいる多くの人間は、()()()()()()()()()()()

 

 泣き出すことすらできず、放心して膝をつくその姿。

 それと同じ顔をした者達を今まで散々見てきた。

 もし、彼らないし彼女らが不死人なら、そう遠くないうちに亡者化するだろう。

 自分からはソウルを求めて襲ってくることすらせず、茫然と佇むばかりの亡者となるはずだ。

 俺やアイシャ、あるいは海神や若頭、当主が叱咤し、激励し、あるいは背中を蹴飛ばして。

 それなら、この場所から彼らを動かすことはできるだろう。

 しかし、それが一体何になる? その歩みが遅いのは明白だ。

 闇霊どもを――この街を包む『死』などとても振り切れはしない。

 そして、犠牲が出れば出るだけ、歩みは遅くなり、いずれは途絶える。

 そこが終焉の地だ。結局、死に場所がこのギルド支部からいくらか動くだけの話でしかない。

(だからって、一体誰が彼らを責められる?)

 モンスターが跋扈する中で漁をする彼らだ。死者が出ることもあるだろう。

 モンスターではなくとも、大時化でも起これば死者や行方不明者が出ることも珍しくあるまい。

 悪意を持って襲ってくるというなら、海賊という脅威もある。

 死を見た、あるいは感じた経験はあるはずだ。

 だが、それでも彼らは基本的に善良で真っ当な漁師のようだ。

 ならば、訳も分からずこんな惨劇に巻き込まれ、成す術もなく仲間や身内を失い、それでも心が折れないなどと、どこの誰が言えるのか。

 まして、それ以外の住人の心が折れないと思う方がどうかしている。

「マズいね」

「……ああ」

 闇霊の気配。心折れた彼らを見てほくそ笑み、舌なめずりしている悪霊どもの足音が迫る。

 ひとまず、アイシャに万能薬を渡す。

(あと何回戦える?)

 無言で中身を煽り、瓶を投げ捨てる彼女を見て、声にせず呻いた。

 闇霊……いや、『ソウルの業』を修めた相手では『神の恩恵』――正確にはそれが与える『耐久』も十全には効果を発揮しない。当然だ。それはソウルそのものを狙う一撃なのだから。

 神を殺せる刃を、その眷属が耐え凌げる筈がない。

 例えそれが格下相手であったとしても、だ。

 必然、彼女にとって通常の戦闘より遥かに厳しいものとなっているはずだ。

 いや、俺とて条件は同じ。闇霊の一撃は確実にソウルを揺るがす。

 油断すれば容易く殺されるのは分かり切っていた。

「と、とにかく一度ギルドの中へ! 手当てを――!」

「よ、よし! 動けるな!?」

 ギルド職員と海神までが飛び出してきて負傷者をギルド支部へと引きずり込む。

 闇霊が迫っている。

「薬持ってこい!」

 迫る闇霊は、今の俺にとっても取るに足らない雑兵ばかりだ。

 侵入してくる大多数はそうだろう。

 アイシャが基準となったところで、おそらく負けはしない。

 仮に『大当たり』をひいたとすれば……それでも、やり方次第だ。

 勝ち目のない戦い。圧倒的に格上の化け物。そんなものは、今さら恐れるまでもない。

 散々に繰り返し、その全てを踏み越えてきた。この程度、戦いと呼ぶまでもない。

「誰か布を寄越せ! ひとまず止血だけでも――!」

 襲ってくるのは素人ばかり。いつも通りにやれば、何の問題もない。恐れる事など何もない。

 

 ……そう、いつも通りにやれるなら、だ。

 

「おい、死ぬんじゃねぇぞ! こんなのかすり傷だろ、なぁ!?」

 負傷者は多い。預けた万能薬だけでは足りない。

 闇霊が迫ってくる。

「こいつは、もう一度ここで迎え撃つしかないね」

 アイシャが、舌打ちしながら大朴刀を構える。

 闇霊が来る。

「ここが城塞なら、いくらでもやるんだがな」

 それなりに立派な造りだが、それだけだ。防壁もない。堀もない。満足な阻塞すらありはしない。

 いるのは、心折れかけた漁師と衛兵。そして、抱えきれない非戦闘員と負傷者ばかり。

 青の教徒ではない俺に、青霊の庇護はあり得ない。

 つまり、頼れるのは自分と傍らにいるアイシャだけだ。

 しかし、その彼女とて疲労すれば動けなくなる。そして、動けなくなった時が死ぬ時だ。

 疲れ果て体が動かなくなる――と、そんな人間らしさすら残っていない俺達とは違う。

 自分ひとりが切り抜けられればいいわけではない。いつも通りにはいかないのだ。

 全ての状況が『未知』で構成されている。

(来たか)

 弓弦が絞られる音が響く。一体や二体ではない。

 赤黒い燐光以外に、火の輝きが見える。火矢だ。

 一本、二本なら切り払える。うまく【フォース】を用いれば、二桁は防げるかもしれない。

 だが、それだけだ。そもそも、狙いは俺ではあるまい。

 狙いは、背後の支部。

(焼き討ちにする気か?)

 さもありなん。どれほど危険だろうが、火が回れば外に逃げ出すしかない。

 火に焼かれて死ぬか、闇霊に殺されるか。

 このままでは、この場にいる大半の存在にとって許される選択肢はその二つしかなくなる。

 闇霊どもが、嗤う。

(こちらから仕掛けて、何体殺せる?)

 向こうは、いつも通りだ。向こう側なら俺も気楽にやれただろう。

 目につくすべてを殺せばいい。何の問題もない。

 いや、俺も同じだ。

 時間さえかけていいなら――そして、戦場を選べるなら、それでいい。

 殲滅することも決して不可能ではない。そのための方法なら、いくらでも思いつく。

(だが、それが何の役に立つ?)

 思いつく手段はこの状況を好転させてはくれない。どの選択肢を選んだところで、生き残れるのは自分と、あるいは同行者(アイシャ)だけだった。

(戦場は選べない)

 いくら駆け出しの闇霊どもであっても、彼我の戦力差はもう把握しているはずだ。

 そもそも、奴らにとって俺は是が非でも斃さねばならない敵などではない。

 大量のソウルと人間性が、ほぼ危険なく手に入る。向こうにすれば、これはそういう状況だ。

 ここに集まってくるのは莫大なソウルの持ち主――しかも全くの無力である存在がいるから。

 よほどの戦闘狂か、力に飢えた求道者でもない限り、俺は単に回避すべき障害でしかない。

 ならば、戦場を変える術はなかった。

 俺がここを離れた時点で、奴らは嬉々としてこの支部を襲うだろう。

 相手が闇霊では【贖罪】を自分に施したところで大して意味はない。

(ニョルズを連れていけばあるいは……)

 いや、それでもこの支部に詰まっているソウルと人間性を見逃す理由にはならない。

 残された人間を撫で斬りにしてから追いかけてくればいいだけの話だ。

「―――――」

 やるしかない。

 腹を括ると同時、今まで関わり、語り合い、あるいは教わり、ともに死地を駆け抜け――その『最期』を看取った者たちの顔がちらついた。

 他に方法など知らない。今まで通り死ぬまで殺し続けて―――もし、都合よく生き残らせる事ができたなら、あの陽気なカタリナの戦士に倣って乾杯でもしよう。

(ああ、だが――…)

 俺はあの戦士の『最期』すらも看取っているわけだが。

 まったく、笑えてくる。他の奴がやると言い出したなら、大笑いしているところだ。

 闇霊どもが迫る。闇霊どもが嗤っている。

 死が、すぐそこに――

「かかれッ!」

 ――何だと?

 

 

 

 時は少し遡って。

 

 夕日がオラリオを染めるころ、入り口の看板を『開店中』に切り替える。

 私が勤める『豊饒の女主人』は、オラリオでも名の知れた酒場だ。

 実際に、毎日多くの客が訪れる。

 オラリオに名を馳せる【ロキ・ファミリア】のような大派閥の団員でなくとも、仲間内のやり取りを聞くともなく耳にしている間に、何となく名前を覚えてしまった常連客も多い。

 もちろん、覚えた途端に訪れなくなった客――いや、派閥も多い。羽目を外しすぎてミア母さんに追い出された者や、何かが気に召さなかったならまだいいが……おそらく、ダンジョンの闇に消えた者たちも少なくないだろう。

 もちろん、別ればかりではない。

 逆に……そう、懐かしい顔と再会することもあった。

 

 例えば、今日のように。

 

「リューが嫉妬してるニャ」

 していません。アーニャ、いい加減なことを言わないでください。

「あのヒューマンって確か【ガネーシャ・ファミリア】の団長だったっけ?」

 シャクティ・ヴァルマ。オラリオにも数少ないLv.5。

 ルノアの言う通り、【ガネーシャ・ファミリア】の団長だった。

「そーニャ」

「んで、あっちのエルフは……?」

 カウンター席でシャクティと並んで座っているのは一人のエルフ。

 見覚えがある。フィリア祭の日に、クラネルさんたちを探して訪ねてきた女性だった。

 酒場で働いている私が言うのも何だが、最近は酒を嗜む同胞(エルフ)も増えてきている。

 さらに、ここ数年の経験と照らし合わせるに、エルフにしては酒豪と言えよう。

 加えて、楽しく飲むコツを心得てるようでもある。シャクティも寛いでいるようだった。

 ……確かに、私には真似できない事だと認めるしかないが。

「しかし、彼女はいったい……」

 記憶にある限り、【ガネーシャ・ファミリア】の団員ではなかったはずだが。

「ニャ、知らないのかニャ? あれは【正体不明(イレギュラー)】のマネージャーニャ」

 ああ、なるほど。そういう繋がりでしたか。

 シャクティはクオンさんとは四年前から付き合いがある。

 ……その、少々()()()()()も耳にする程度には。

(いえ、まさか彼女に限ってそのようなことあるはずもありません)

 彼女は聡明にして潔白、博識高いヒューマンなのだから。

 ……彼女と親しげなのは、あくまで友人としてでしょう。

 まさか本当に褥を共にしているわけでは――

「あんた本当に賭博好きよねー…」

 ルノアが呻き声をあげた辺りで、馬鹿なことを考えるのは止めた。

「剣闘なら、あいつに賭けときゃ負けはないって聞いたニャ」

 それはそうでしょう。【猛者(おうじゃ)】と引き分けられるほどの実力者なのですから。

「それ、もう賭けじゃないでしょ……」

 そんな実力を秘めた剣闘士が二人も三人もいては、それこそ冒険者に立つ瀬がない。

「で、クロエはどーしたニャ?」

「さぁ?」

 見事なまでに気配を消しつつも耳を立て――尻尾の毛も逆立てて――シャクティの一挙手一投足に気を配っているクロエを見やり、アーニャとルノアが首を傾げた。

「……彼女にも色々と事情があるのでしょう」

 彼女の()()からして――と、胸中で呟く。

 それを付け足すまでもなく、少なくともルノアは察したらしい。

 クロエについて、それ以上触れることはなかった。

「そんなに気になるなら、声をかけたらどうニャ?」

 和やかな様子で飲みかわす二人から目を離せないでいると、呆れたようにアーニャが言った。

「……いえ、それは――」

 もう、私には彼女と理想を共にする資格はない。

 こうして、見逃してもらっているだけでも――

「し・ら・な・い・わ・よッ!」

 ――などと、思っている間に、何やら雲行きが怪しくなっていた。

 グッとグラスを煽り、そのエルフは乱暴にテーブルに戻す。

「ちょっと待って。あれ、ドワーフの火酒っぽいんだけど……」

「マジかニャ?」

 戦慄するルノアとアーニャが見守る中、彼女は二杯目を空にする。

 やれやれと言わんばかりのミア母さんの手にあるのは、確かにドワーフの火酒の(ボトル)だった。それも、生来の大酒飲みであるドワーフすら酔い潰すほど強烈な一品である。

 それをエルフが飲めばどうなるか。酒を嗜まない私でも、それくらいは容易に想像がつく。

「……一体何が?」

 遅ればせながらに彼女達と戦慄を共有する。

 私が物思いに耽っている僅かな間に、何があったというのか。

「いや、【正体不明(イレギュラー)】の居場所を聞いたみたいなんだけど……」

「これはあれニャ。ちじょーのもつれってやつニャ」

 うんうん、とアーニャがしたり顔で頷く。

 ……確かに、先だっての抗争中に戦闘娼婦(バーベラ)――【麗傑(アンティアネイラ)】を連れ去ったという噂は何度か耳にしている。

 四年前から度々噂に上がっていたアマゾネスとは、彼女のことなのだろう。

 恋人がいながら娼婦に誑かされて――と、いうのは残念ながらよく聞く話だが……、

「最近はアイシャのことばっかり! たまには私にも構いなさいよバカー!」

 ……この三人の場合、そもそも前提として間違っている。

 噂では三人で……その、褥を共にしているとか。

「お、落ち着け。分かったから」

 だからこそ、シャクティまでがそういう噂に巻き込まれてしまうわけだが。

 ともあれ、ここ最近の騒動で彼女と【麗傑(アンティアネイラ)】の間で均衡が崩れたのだろう。

 痴情のもつれというアーニャの指摘が正鵠を射ている事には変わりなさそうだった。

「アンタがその気ならね、私だってね!」

 シャクティの声が届いているのかいないのか――いや、まず届いていないだろうが――その女エルフは気炎を上げて――

「こっちはこっちでよろしくやってやるんだから!」

 完全に据わった目で、シャクティを押し倒した。

 ……もちろん、彼女はオラリオでも希少なLv.5だ。例えスイッチを入れていなくとも、その身体能力は市井の女性とは一線を画す。

「落ち着け?!」

 ――が。しかし、いくら上級冒険者と言えど人間は人間。完全に気を抜いている時に不意を突かれれば、あのように押し倒されることもある。

「大丈夫よ、アナタとなら禁断の扉を開けてもいいもの!」

「私が良くない!」

 ……何より、酔っ払いに理屈を求めるのは間違っている。

 往々にして恐れを知らず、その行動はダンジョンよりも未知にあふれているのだから。

 そして――

「キマシタワー!?」

 ――と、謎の呪文と共に、今日も開店直後から酒宴を繰り広げていた男神たちが目を見開き立ち上がって……

「ここは歓楽街じゃないよ!」

「イエスマム!」

 ミア母さんに一睨みされ、素直に席に戻る。

 いえ、それはありふれた光景なのですが。

「ま……馬鹿、やめ――ぁっ」

 その頃には、首筋にじゃれつかれるシャクティが不意に甘やかな吐息をこぼしていた。

(……このままではいけません)

 彼女の名誉のためにも、そろそろ動かなくては。

 例え大型の猫か何かにじゃれつかれているようにしか見えないとしても。

「……酔っ払いおそるべしニャ」

 いつの間にか背後に立っていたクロエが、戦慄した様子で呻く。

「いえ、感心している場合ではありません」

 Lv.5と『神の恩恵(ファルナ)』を持たない人間では、まず勝負にならない。

 ……一部例外はあるものの、概ねそう考えていい。

 振り払うのは簡単だ――と、言うのは理屈の上では全くその通りなのだが……。

(むしろ、その力の差が問題なのです)

 何しろ差がありすぎて、()()()()()()()()()()()()()でもやりすぎてしまう。

 もちろん、あの女エルフが見知らぬ悪漢ないし酔漢なら、今頃問答無用で蹴り飛ばされているだろう。その際に多少怪我を負ったとしても、それは自業自得だ。

 ただ、それが知人――それも相応に親しい相手となれば躊躇いもする。

 例えば、私が周りにいる同僚に同じことをされたなら――

「押し倒されたのがリューじゃなくてよかったニャ」

「そうだねー。もしリューだったら、今頃は天井まで蹴り飛ばされてるところだよ」

「そもそも押し倒す前に店の外まで吹っ飛ばされてるニャ。今までお星さまになった奴らみたいに」

「……大半は関節を決めただけのはずですが」

 そして、あなた達がああいった状況になった場合でもそれは変わらないはずです。

 いや、それはともかく。 

「ひ、ひとまず救助を。なるべく穏便に」

「そうニャ! ルノア、トンってやるニャ、トンって」

 私の言葉に、アーニャが言った。

「トン? 何のこと?」

 首筋を叩く彼女に、ルノアが首を傾げた。

「この前、街角でやってたお芝居で見たニャ。うなじをトンってやると気絶するニャ」

 アーニャが胸を張りながら怪しげな知識を披露する。

「……そもそも、それどーいう話なのニャ?」

「私も詳しくは知りません。ただ、アーニャが言っているのは、勝ち目のない戦場に向かう主人公が、止めようと縋りついたヒロインを置き去りにする場面です」

「何でリューも知ってるのさ?」

「先日の買い出しの時の話なので」

 そのお芝居をやっていたのが、だ。

 アーニャが梃子でも動かなくなったせいで、一人で済ませる羽目になったのは記憶に新しい。

 ちなみに一通り買い物を終えて迎えに行った際――どういう経緯かは見ていないので定かではないが――主人公は生き残っており、ヒロインと結ばれていた。

 まさに王道の英雄譚といったところだ。それでもアーニャは感動していた様子だったが。

「っていうか。お芝居にこんなこと言うのは無粋なんだろうけど、そもそも人間てそんなに簡単に気絶しないし」

「そーニャそーニャ。そんな簡単に気絶させられるなら、今頃ミャーはプリっとしたお尻の――」

「よし、つーほーするニャ」

「【象神の杖(アンクーシャ)】、犯人はこいつです」

「待ーつーニャー?! 冗談ニャー!?」

 まったくそうは聞こえませんでしたが。

「っていうか、その馬鹿力がそんなことやったら、トンじゃなくてゴキッてなるニャ!」

「はぁ?! て、手加減くらいできるし! ……多分、悪くてもポキくらいで済むはず」

 ルノア、おそらくそれでも充分に致命傷です。

「そんなことになったら、ミャー達のてーそーが全滅しちまうニャ!?」

 ……それはまぁ、彼女はクオンさんのマネージャーですし、もちろんただでは済まないでしょう。

 ですが――

「やっべー。まったく笑えねーニャ……」

「前に色々あって潰した盗賊団に捕まってた村娘を思い出すなー…」

 戦慄する同僚たちに、嘆息とともに告げる。

「いえ、大丈夫でしょう」

「何がニャ?」

「あの人が殺すと決めたなら、そんな無駄な事はしないはずです。ただ殺されるだけで済むかと」

 神罰同盟との抗争において、彼は女幹部も殺害しているとされる。

 しかし、一方で……その、アーニャが言うような痕跡があったという話は全く聞かない。

 当然だろう。彼はそんな無駄なことはしないのだ。

 最後の一撃が()()()()()となることはあっても、反撃の目を残すことなどありはしない。

「何のふぉろーにもなってないニャ?!」

「そーニャそーニャ! ミャー達の首がポロリすることに変わりないニャ! そんなポロリは誰も望んでねーニャ!」

 いえ、それは確かにその通りなのですが。

「っていうか。そもそも私やらないからね、そんな物騒なこと!」

 大体、気絶させるなら鳩尾に拳打ち込んだ方が早いし確実だし――と、ルノア。

「状況次第とは思いますが、最悪その時点で敵対する事になるのでは?」

 あくまで酒の席での噂ですが、彼が【イシュタル・ファミリア】と決定的に対立したのは、何らかの理由で神イシュタルが【麗傑(アンティアネイラ)】に酷く危害を加えたからだ――と、聞きますし。

「えーと……」

 もっとも、今回は緊急措置や正当防衛にあたるので、まだ安全だとは思いますが。

 基本的にはそこまで血気盛んな人ではないですし。

「いや、そもそも仮にもLv.4が四人揃ってLv.0相手に負ける前提で話してるってどういうことよ?」

「ですが【猛者(おうじゃ)】と互角となると、四人がかりでも……」

「そもそも、あの黒づくめをLv.0とは認めないニャ」

「アーニャの言う通りだニャ。神様が認めてもミャーは認めねーニャ」

「……まぁ、そりゃそうなんだけどさ。でも――」

 納得いかない――と、異口同音に同じ台詞を呻いていた。

 もっとも、だからこその『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』なのですが。

 と、馬鹿なやり取りを交わしている間にあちらの騒ぎも終息を迎えていた。

「まったく、いくら何でも無茶な飲み方をしすぎだ」

「うぅ~」

 結局のところ、ただの泣き上戸だったらしい。

 抱きつき鼻を鳴らす彼女を抱えたまま、シャクティは何事もなかったかのように席に戻っていた。

 ソファならまだしも椅子だ。女エルフの方に楽な姿勢を取らせようとすると、その分だけシャクティに負荷がかかるが……そこはLv.5。その気になってしまえば、特に不都合は感じさせない。

「と、いうか。今更だが、そんなに酔いつぶれて大丈夫なのか?」

「へーきよ。今日はお休みだもの。定休日ってやつ」

 そういえば、今の彼女は同業者でしたか――などと思っていると。

「大家’s Me?」

「TQB?」

「「どこの世界の暗号ニャ?」」

 クロエとアーニャが何やら斬新な解釈をしていた。

「……あんた達、諦めろって。彼女は今日のシルと一緒だよ」

「……ええ、まぁ」

 聞き覚えがないニャー、さっぱりニャー、と現実逃避をする二人についつい同意しそうになっている自分には気づかなかったことに決める。

 ともあれ、そろそろ本格的に客足が増えてきた。いつまでも馬鹿な事をやっている暇はない。

 ミア母さんに雷を落とされる前に解散した方がいいでしょう――と、各々が持ち場に戻ろうとしたところで、

「うぅ……。もうちょっと待っててくれたっていいじゃない。メレンなんてすぐそこなんだし……」

 その微かな声は、いよいよ盛況となった店の中で誰の耳にも届かなかっただろう。

 ……こうして、その動向に注意を向けていた――そして、それぞれが三度に渡り偉業を成し遂げ、『器』を昇華した神の眷属である私たち以外には。

「……ミア母さん。私、有給とるから」

 直後。クロエが、口調を改めて言った。

 いや、返事を待たずしてすでに()()()()()

 音も気配も。何も残さず。

「ニャ?! クロエ、急にどうしたニャ!?」

「っていうか、あの馬鹿猫もういないし?! ミアお母さん――!」

「あのバカ娘が……」

 深々とした嘆息とともに、いつの間にか傍に来ていたミア母さんが呻いた。

「止めなくていいの?」

「あんただって、今この時にあいつが農園に姿を見せたなら気が気じゃないだろう?」

「……そりゃ、そうだけどさ」

 嘆息交じりのミア母さんの言葉に、ルノアが言葉を濁らせた。

「ですが、神ニョルズも神デメテルも神格者です。神イシュタルや……その、闇派閥(イヴィルス)残党と接点があるとは思えないのですが」

 自制に自制を重ねて、その言葉を口にする。

 クロエにとっては、神ニョルズが。ルノアにとっては神デメテルが『主神』となる。

 双方ともオラリオの食を支える派閥の主神であり、神格者として知られていた。

(いえ、確かに神ニョルズはあまり詳しく知らないのですが……)

 何しろ、かの男神はオラリオに住んでいるわけではない。

 たった今、彼女が呟いた街――港町メレンに住んでいる。

 とはいえ、距離はオラリオからおよそ三K。

 ミア母さんの買い出しに付き添って何度か足を運んでいるし、その際にかの男神と多少は言葉を交わしてもいる。

 その時の感触から言えば、敬意を払うに値する善良な男神だった。

「さてね。けど、今のあいつはタガが外れちまってるかも知れない」

 四年前から外れ気味だったけど――と、ミア母さんが冗談ともつかない言葉を呟いた。

「心配するなって方が無理な話さ」

「……それは、そうなのですが」

 実際のところ、クオンさんともそこまで深い付き合いはない。

 おそらく、彼はこの店の背後に誰がいるか――ミア母さんが誰の眷属かを知っているのだろう。

 だから、言葉を交わした機会は決して多くはない。

 どちらかといえば、クラネルさんから聞いたことの方が多いくらいだろうし……彼が語ってくれるクオンさんは、私達が知っている【正体不明(イレギュラー)】とは別人のように思えるほどだ。

 彼について何を理解している訳でもない。

 ただ、それでも全く分からない訳でもなかった。

(彼は……)

 私と同じだ。違うのは、ただ標的だけでしかない。

 ならば、きっと。ほんの些細なきっかけでもあれば――

「そんなことより、客が困ってるよ。早くなんとかしてやんな」

 息が詰まるくらいの勢いで、背中が叩かれる。

 反射的に視線を向けると、すっかり眠ってしまった女エルフを抱えたシャクティと目が合った。

「……そこの店員。少しいいだろうか」

 見つめあっていたのは、ほんの数秒だろう。

 シャクティはただの店員として見てくれている。ならば、私も客の一人として彼女を見るべきだ。

「はい。ただいま」

 ……そう。今はそれでいい。

「あとで迎えを寄越す。それまでは頼む」

 すっかり眠ってしまった女エルフ――霞という名前らしい――を、私の私室の寝台に寝かせる。

 彼女に毛布を掛けている間にも、シャクティは愛用の拳装(メタル・フィスト)の具合を念入りに確かめていた。

 それが意味するのはただ一つだ。

「行くのですか?」

 つい、そう訊ねてしまった。

「ああ。あの馬鹿が何をしでかすか分かったものではないからな」

 霞ならまだしも【麗傑(アンティアネイラ)】では歯止めにならないだろう――と、シャクティはため息をついた。

 剛胆かつ色欲に忠実――と、かの戦闘娼婦(バーベラ)についてはそう聞いている。

 少々偏見混じりかもしれないが、アマゾネスらしいアマゾネスということだ。

 少なくとも戦いを前にして臆することはないだろう。

「……それに、メレンというのが少し気になる」

「外交の拠点だから、ですか?」

 多くの富が集まり、人の出入りが激しく、しかし人目につかない場所が多い。

 そういった場所は、メレンに限らず悪の温床となる。

 そうでなくとも、あの街はその性質上、多くの密輸業者が集まっているのだ。

 しかし、その一方でギルドとの関係が長年こじれている事もあって、流石のシャクティ達も介入しづらいというのが現状である。

 いや、そもそもオラリオの一部ではないのだから、それも当然なのだが。

「それもあるが……。ここ数年、()()()()()()()()()()というのが気がかりだ。ここしばらくの間に集まった情報と照らし合わせると、な」

 もう一線を退いた私では、その言葉の真意を読み解くことはできなかった。

 それが、少し寂しくもある。

「それに――」

 感傷に捕らわれている隙に、シャクティが何事か言いかけた。

「――いや、何でもない。忘れてくれ」

 拳装(メタルフィスト)に続き、金属靴(メタルブーツ)の調子を確かめ終わった彼女が部屋を出ていく。

 一介の店員としては、これ以上踏み込むことはできない。

 他にできることがあるとするなら、それは――

「ご武運を」

 見送る背中に、そう声をかけることくらいだろう。

 

 

 

 オラリオからメレンまでの距離はたった三K。店から市壁までの方が遠いくらいだ。

 Lv.4の身体能力なら、その程度の距離はあってないに等しい。

 厄介なのはオラリオを囲う市壁だが……初めて侵入した時ならまだしも、オラリオの内情にそれなりに通じた今なら、低ランクの団員が門番をやっている場所や、交代の時間も把握している。それなら、門番の目を盗んで抜け出すくらいは何とかなる。

 問題は、準備に費やせる時間が圧倒的に少なかった事だが――

(一等級兵装をかき集めたってどうせ意味ないニャ)

 最悪の形で予感が的中したなら、機会(チャンス)は一度きり。

 意地でも背後を取って、一撃でその喉首を掻っ切るしかない。何ならついでに脾腹も抉ろう。

 それこそが本領であり、基本であり――今まで散々繰り返してきたことだ。

 失敗したらそこまで、という事も含めて。

 だから、準備に費やす時間は最小限に。

 使い慣れた装備と道具を身に着け、愛用の暗剣を握りしめて飛び出してきた。

 流儀に反するが、それにこだわって機を逃しては意味がない。

(この時間だと――)

 月を見やり、胸中で呟く。

 メレンの半分は寝静まった頃だろう。そして、あの気の良い男神もそちらに含まれている。

(いつまでも密輸なんてやってるからおかしなのに目を付けられるニャ)

 そこに付け込んで【ステイタス】の更新をやらせている自分のことは棚に上げておく。

(けど、あいつってそんな正義漢だったかニャ?)

 確かに密輸に手を染めているものの……あいつが潰した歓楽街で秘密裏に――あるいは公然の秘密として――行われている人身売買ではない。

 ……いや、詳しくは知らないけど。

 基本的に、あの男神は善神(ぜんにん)だ。人に危害を加えるような悪事などするはずもない。

(まー、魔石か迷宮資源の密売ってとこニャ)

 モンスターのせいで漁礁が壊滅していると聞く。

 干上がりつつあるメレンに必要なのはともかくお金で、手っ取り早く稼ぐにはこの方法が一番だろう――と、当たりをつけている。

 ギルドからすれば大問題だが、あいつが気にするかと言われると首を傾げるしかない。

 となると――

(アレ? ひょっとしてアーニャの言う通り、マジで単なる痴情のもつれなのかニャ?)

 もしくは愛の逃避行。どっちにしても付き合ってられない。

 だったら、いっそ豪遊して帰ろう――と、開き直ったところでメレンの街が視界に収まった。

 もちろん、オラリオのように完全に市壁に囲まれているわけではない。

 モンスター除けの壁はあるが、それでも侵入はたやすい。

 正規の出入り口を避け、なるべく港に近い場所から忍び込み――

「うわあああああっ?!」

 いきなり訳の分からない騒ぎに巻き込まれた。

「ニャ?!」

 忍び込んでいくらもいかないうちに、幼い悲鳴が聞こえてきた。

 半ば条件反射的に――オラリオに流れ着く前に、義賊の真似事をしていた時期もある――そちらに向かうと、そこには幼い兄妹の姿が。

(あれ、何ニャ?)

 そして、その二人を今まさに殺そうとしている赤黒い人型の何か。

 体が赤黒く輝く燐光でできていることを無視すれば人間のようにも見えるし、ウォーシャドウの亜種か何かのようにも見えなくもない。

 ともあれ、考えるのは後回し。未来の漁師っぽい少年は、なかなかのお尻の持ち主だ。

 それを殺すなんて神が許してもミャーが許さない。

「――シッ!」

 間合いも動きも刃の軌跡も完璧だった。

 日頃から()()()()()()()()()()()()おかげか、そこまで勘は鈍っていない。

 その赤黒い何かが反応するより先に、喉を掻っ切っていた。

 手ごたえも完璧。間違いなく致命傷―――

「あぶない!」

「ニャニャ?!」

 幼い声が上がるのと体が反応するの。

 いったいどちらが先だったかは定かではないものの、もう一瞬遅ければそのまま死んでいたのは間違いない。

(何で生きてるニャ?!)

 あの深さで喉を掻っ切られて平然としていられる人間はいない。

 それが冒険者でも同じだ。Lv.3だろうがLv.4だろうが……いや、Lv.7でも同じはずだ。

 となれば、やはりモンスターの類か。

 いくら怪物(モンスター)と言えど、喉をやられて平気だとは思えないが……首を落とされた鶏が半年かそこら生き続けたという話を聞いた事もある。

 モンスターなら、もっと長生きしても決して不思議ではないか。

(それなら――)

 狙う急所を変えるだけだ。

 しぶといが潜在能力(ポテンシャル)は精々Lv.3相当に届くかどうか。

 装備を消費する必要はない。体術だけでまだ対応できる――

「――フッ!」

 攻撃を掻い潜り、装備と肋骨の隙間から刃を通して心臓を狙う。

 正しくはそこにある魔石を、だが――

「ニャ?!」

 問題が二つ。

 攻撃が外れた――なんてヘマはもちろんしていない。

 一つは、感触からしてそこにあったのは()()()()

 もう一つは、少なくともその心臓は抉ったはずなのにまったく平然としていることだ。

(どーなってるニャ?!)

 連撃を躱し、間合いを開きながら毒づく。

 どちらか一方でも即死して然るべき急所を抉られながら、何故平然としているのか。

 実体のない幻影――それこそミャーの魔法のような――ではないのは、浅く斬り裂かれた頬の傷が伝えている。ならば、少なくとも実態はある。

 だが、人間なら死なないはずがないし、モンスターなら魔石がないのはどういうことか。

 分からない。分からないが――

(こいつ、ミャー(暗殺者)とは相性悪すぎニャ!)

 一撃必殺が通じない相手だ。それだけは間違いない。

 すれ違いざまに横っ腹を引き裂いてやりながら毒づく。

(これも【正体不明(イレギュラー)】の仲間かニャ?)

 いや、それはどうだろう。

 あいつの噂はあれこれあるが、こういう妙なのを引きつれていたというのは全く聞かない。

 どっちかというと――

(『太陽の騎士』に近いんじゃないかニャ?)

 ダンジョンに出るという謎のお助けキャラ。そういう噂は酒場で聞いたことがある。

 もっとも、噂ではその騎士は金ぴかに光っているらしいけど。

 とはいえ、目の前にいるのとの関係性は定かではない。

 分かっているのはお助けキャラではないという事だけだ。

「しつっこいニャ!」

 刃に吸わせた毒も果たして効いているのかいないのか。

 知っている急所を片っ端から斬り、抉り、最後に額に暗剣を叩きつけたところで、ようやくその何か変なのは霧散した。

 しかし――

(魔石の一つも残さないとか、やってらんねーニャ)

 何であれ赤字は確定だ。

 いや、今回は元から覚悟の上だったし、仮に落ちたところでギルドじゃ換金できないけど。

 ミャーは冒険者登録してないし。

「って、まさかまだ来るニャ!?」

 嘆息する前に、さらに足音。

 どう聞いても、鎧を着込んでいる。

 オラリオならまだしも、この街ではかなり珍しい。

 警戒して損はない――

「ちょっと静かにしてるニャ」

 まだ震えている兄妹を抱きかかえ、近くの屋根へと飛び上がる。

 抱きしめ、口を塞いで息を潜めていると、さっきの変なのと同じようなのが二人――もしくは二匹――通り過ぎて行った。

(勘弁して欲しいニャー)

 普通の人間かモンスターならまだしも、あんな変なのをそう何体も相手にしていられない。

 そもそも、真正面から斬りあうとか専門外もいいところだ。

 今の感触からしてやってやれない相手ではないだろうが、とにかく面倒くさい。

 大体、今はそんなことをしている暇もなかった。

「いったい何が起こっているのニャ?」

 ひとまず、腕の中にいる二人に問いかける。

 がんばれミャー。今は我慢の時。しりあすぱーとニャ。お尻を愛でている場合ではないのニャ。

 ……でも、ちょっとだけなら――

「わ、分かんないよ。あいつら、急に家に入ってきて……!」

「お、お父さん! お父さんたちが斬られて! 私たちだけ――」

「……場所はどこニャ?」

「あそこ。あの赤い屋根」

 あの二体が――あるいは、他にもいるのか――とどめを刺している可能性は充分にある。

 無駄足になる公算の方がはるかに高い。まして、徘徊している敵は、私とは相性最悪。

 これが【正体不明(イレギュラー)】絡みかどうかはともかく、さっさとニョルズ様を見つけなくてはならないことに変わりはない。

 それを考慮して――

「ミャーが見てくるニャ。二人はここでじっとしてる。できるかニャ?」

 そう言っていた。

 本当に、いったい誰に毒されたのやら。

「う、うん!」

 ともあれ、流石に足手まとい二人を抱えていては辿り着ける場所にもたどり着けない。

 生存効率を最大限に高めるなら、ここに置いていくべきだ。

「いい子ニャ」

 お尻――と、行きたいところをグッと我慢して、頭を撫でてから屋根から舞い降りた。

 

 …――

 

「おお、シャクティ! ちょうどいいところに! マズい事になったゾウ!!」

 霞の迎えを頼みに本拠地(ホーム)に戻ると、ガネーシャがドタドタと駆け寄ってくる。

「今度は何が起こった?」

 今までなら緊急事態だが……あいつが戻ってきてからこの二ヶ月ばかりですっかり慣れてしまった。

 あまり良い状況ではないが、こうして冷静さを保っていられるのは利点と言えなくもない。

「ウラノスからの勅令だ! 極秘任務というやつだな! ガネーシャ興奮!!」

「内容は?」

 何故興奮するのか――などと、問いかけている暇も惜しい。

 いくら慣れてきたとはいえ、それくらいの危機感は当然残っている。

「メレンからの緊急連絡があったらしい! どうやら、件の『新種』と()()()()()に襲われているらしい!!」

「……何だと?」

【イシュタル・ファミリア】の本拠地(ホーム)での一戦を思い出す。

(あんなものが大群になって襲っているだと?)

 ならば、すでに壊滅していてもおかしくない。

 無論、あの『新種』も侮れない強敵だ。

 メレンの漁師たちは精々がLv.2。どちらにしても、抗えるはずが――

「闇霊というのは確かなのか?」

 ――いや、それ以前の問題だ。よりによって闇霊が、何故メレンに現れたのか。

「うむ! ()()()()()()()が確認したそうだ! ガネーシャ動揺!!」

 その配下とやらも気になるが、今はそれどころではない。

「まさか……ッ!」

 クオンは今メレンにいる。霞がそう言ったのだからまず間違いない。

(これは、本当に?)

 リオンに言った通り、この一月ばかりの間に集めた情報から、とある可能性――メレン湖にあの『新種』が巣くってモンスターどもを喰らっているせいで、漁獲量が回復したのではないかという発想が、いよいよ現実味を帯びてきている。

 神ニョルズがそれに関与していると仮定すれば、クオンが襲撃する理由にはなるかもしれない。

 いや、しかし――

(いくらあいつでも、無関係の()()を巻き込むような手段をとるか?)

 クオンは単身で『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』を陥落させるような奴だ。

 漁師たちの協同組合でしかない【ニョルズ・ファミリア】を壊滅させるために、メレンそのものを犠牲にする必要があるのか。

 それとも、メレン全体が闇派閥(イヴィルス)に感化されているとでも?

(いや、違う。これは違うぞ)

 状況は()()()()()

「つまり、()()()()()()()()()()()()と?」

 ガネーシャは()()()()()()()()()()と言った。

 それはおかしい。メレン支部の職員が()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

「うむ! ……と、言っても。実際に書簡をしたためたのは【麗傑(アンティアネイラ)】だろうな!」

「それでも、状況は変わらないな」

 あの豪胆なアイシャが、しかも今の状況でギルドに助けを求める時点で尋常ではない。

「だが、メレンは――」

 ギルド支部があり、外交の窓口だが、オラリオの一部ではない。

 そして、当主であるマードック家とギルドは決して良好な関係ではない。

 私達が介入することも難しいはずだが。

「分かっている! だから、極秘任務だ!」

「つまり、秘密裏に介入しろと?」

「そうだ!」

 メレンまで距離はわずか三K。上級冒険者にとってはあってないような距離だった。

 また、市壁での入出国管理にも関与し、ギルド側との担当官ともそれなりの関係を築いている。

 ……何とか説得し、手続きを省略することは充分に可能だ。と、そう思える程度には。

 だが、現時点ではギルドの許可は出ていない。露見すれば、職権濫用の誹りは免れまい。

 そして、ギルド職員の協力を仰ぐ以上、露見しないことはあり得ない。

「心配するな! 面倒なやり取りは俺とウラノスが行う! お前達はいつも通り群衆を守ってくれ!!」

 創設神ウラノスが関与しているなら――何より、主神がそこまでいうならもはや是非もない。

「分かった。すぐに向かう」

 例えそこが世界の果てであっても向かうだけだ。

 ……だが、その前に。霞の迎えの手配だけは忘れないようにしなくては。

 下手をすると、あの生真面目なエルフは迎えを受け入れるため、夜通し待機しかねない。

 

 それからしばらくして。

 

 オラリオとメレンを繋ぐ街道はおよそ三K。

 恩恵を持たない者であっても、歩いて一時間かかるかどうか。

 体力に多少の自信があれば、走っていくことも可能だろう。

 無論、私達にとってはあってないような距離である。

「しかし、闇霊か。この前『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』で出くわしたアレが、マジでまた出やがったのかよ……」

「うおおおおおおっ! アレの大群とか! これは洒落になんねぇぞおおおおお!?」

 その街道を走りながら、すでに交戦経験を持つモダーカとイブリが言う。

 総数はサポーターを含めて九〇名。

 ここまで大量の上級冒険者が一度にオラリオの外に出ることは極めて稀だった。

 また、『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』を制圧したメンバーは全員が参加している。

 おかげで脅威を説明する手間はほぼない……どころか、若干浮足立っていた。

「姉者に深手を負わせたモノか。話には聞いているが……まったく、つくづくあの男は厄介な騒ぎを起こしてくれる」

「今回の一件に、どこまで奴が関わっているかは定かではないがな」

 あいつが引き起こしたなら、アイシャが助けを求めてくるはずがない。

 偶発的な遭遇なのか、それとも神罰同盟か闇派閥(イヴィルス)の残党が動いているのか。

 それとも――

(カインハースト家か?)

 それ以外にも、オラリオで暗躍している勢力はまだあるようだが。

闇派閥(イヴィルス)()()か……)

 膨大な犠牲を支払って、暗黒期は終わった。

 終わったはずだ。

 だが、

(新たな暗黒期が、もう訪れているのかもしれないな)

 それともまだ続いていたのだろうか。終わったと、そう思っていたのはまやかしだったと?

 否定はできない。闇派閥(イヴィルス)は今もこうして死をまき散らしている。

 ならば、支払われた犠牲は無駄だったのか――

「それにしても、ダンジョンと違って水と食料をさほど気にしないでいいのはやはり助かる」

 憂鬱になっている暇などない。イルタの軽口に、気を取り直す。

「ああ。その分、ポーションの類を持ち込める」

 持ち込んでいる兵糧は最小限。その代わりにポーションの類を詰めてある。

 住人をオラリオへ避難させることが最優先。長期戦は想定していない。

(闇霊……不死人相手に持久戦などできるものか)

 相手は飢えもしない、乾きもしない、眠る必要もなく、疲労すらすぐに消え去る。そういう存在だ。

 長期戦になればなるだけ、私達が不利となる。いずれにしても、短期決戦以外ありえない。

 どうしても食料が必要になったなら、それこそ現地調達だ。

 ……そして、そうなった時点でメレンの放棄が現実を帯びてくるだろう。

「団長! あれを!」

 団員が鋭い声を上げた。前方に広がるメレンの街。その中から、件の『新種』が街中から鎌首をもたげているのが見えた。屋根には闇霊らしき赤黒い人影も見える。

「各員戦闘準備。これより、メレンに突入する」

 その宣言と共に、全員の気配がより鋭くなる。

「状況は見ての通り。敵は件の『新種』、『食人花(ヴィオラス)』と、『闇霊』と呼ばれる存在だ。闇霊への対処法は出撃前の打ち合わせで充分に伝えたな?」

 と、言っても闇霊への対策など消滅するまで攻撃の手を緩めないことくらいだが。

 速度を緩めることなく、街の正門を潜り抜ける。ここから先は戦場だった。

「住民および、神ニョルズの安全確保を最優先。【正体不明(イレギュラー)】との接触に関しては、慎重を期すように。特に交戦は厳禁だ」

 万が一神ニョルズが襲われていたなら、救出と同時に撤退――と、足を止めないまま最後の打ち合わせを終わらせた。

「了解!」

 全員の返事を待っていたかのように、最初の闇霊達が姿を見せた。

「ああもう、さっきから見えちゃいたが敢えて言わせてくれ! 本当に複数いるのかよ!?」

「ええい、クソ! 上等だああああああッ!」

 気炎を上げるモダーカとイブリ。

 それ二人より先に、接敵していた。

「はぁあッ!」

 加速のままに、槍を繰り出す。

 穂先は容易く闇霊の胸を貫いた。

「うわ?! 本当に生きてる!?」

 だが、その程度で闇霊を消滅させられるはずもない。

 部下が悲鳴を上げる――が、もはや動揺することはない。

 即座に引き抜き、勢いをそのままに石突でこめかみを打ち抜く。

 ()()()()()()()()を感じながらも、さらに槍を返して袈裟斬りする。

「シッ!」

 続けてもう一体。槍で喉を貫き、足を払って転倒させて同じく頭蓋を踏み砕く。

「イブリ!」

「合点!」

 命令を出すと、二つ名の由来にもなった爆炎が二体の闇霊を包み込む。

 それで、二人の闇霊は消滅した。

「うぇ……。団長の攻撃をあんなに耐えきるとか……」

 そう。()()()()()()()()だ。

(これは……)

 弱い。少なくとも、『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』で遭遇したものよりはずっと。

 今の闇霊、特に二体目はそれこそLv.1相当というよりない。

 幻影のような姿からははっきり見て取れないが、装備もかなり貧弱だった。

(……いや、そちらは当てにならないな)

 クオンの持ついくつかの()()を思い浮かべ、訂正する。

 見た目で判断すれば痛い目にあう。……いや、痛みを感じている暇もないかもしれない。

 噂では、あの【凶狼(ヴァナルガンド)】までがその洗礼を浴びたという。

 油断などできるはずもない――が、動きがまるでなっていない。それだけは確かだ。

「よしッ! いけるぞ、こいつは!」

 同じ手ごたえを得たのだろう。別の闇霊を相手取るモダーカが歓声を上げた。

 いや、それどころか――

「あ~良かった。いや、良くないけど。前みたいに強くないってのは不幸中の幸いだな」

 他の団員達も、口々に安堵の声を上げるほどだ。

 油断は禁物だが……実際のところ、私自身も多少の安堵を覚えていた。

 もし、『女主の神娼殿(ペーレト・バビリ)』の時と同格の闇霊が大挙して襲撃しているなら、ここがオラリオであってもただでは済まない。

(いや、当然か)

 これは――具体的な比率はともかく――構造としては私達と同じというだけの話だ。

 Lv.1よりもLv.2。Lv.2よりもLv.3の方が少ない。ただそれだけだ。

 しかし、これはクオン側――話に聞く『火の時代』の脅威である。

 ならば、今のこの街がダンジョンより安全であるはずがない。

 楽観など許されるはずもなかった。

(そうだ。例えLv.1相当であっても、()()()()()()()()

 特に今回のように数が揃っている場合は。

 神々が降臨して以来――この『神時代』における戦闘、特に対人戦闘は『数より質』となった。

 冒険者に限らず、多くの者にとってそれは常識である。

「油断するな! 数が多い!」

 職務的に対人戦闘が多い私達は特にそう感じる機会が多いといえよう。

 Lv.1百人より、Lv.5一人の方がはるかに厄介だ――と。

 ただ、例外はある。

「打ち合わせでも言っただろう。『数より質』は通用しないと思えッ!」

 例えば、武器の質によって【ステイタス】が補われた場合。

 具多的には、闇派閥(イヴィルス)が一派が用いる、あの忌まわしき自爆戦法だ。

 深層由来のドロップアイテム『火炎石』を用いたそれは、第二級冒険者はおろか第一級冒険者にとっても無視できない脅威となる。

 闇霊も、ある意味において同じだ。

(奴らの攻撃には、『耐久』のアビリティが充分に機能しない)

 それが、前回の戦闘での感触だった。

 無論、完全に意味をなさない訳ではない。常と同じくダメージは減弱される。

 ただ、いつもよりもずっと()()

 例えば、今の私なら上層のモンスターの攻撃などいくら受けたところで致命傷にはならない。

 だが、闇霊相手ではそうはいかない。

 例えLv.1相当の闇霊の攻撃でも、確かな損傷(ダメージ)となる。

 一撃一撃は微々たるものであっても、蓄積すればいずれ致命傷となるだろう。

 いや、然るべき場所に然るべき一撃を当てられれば、それだけで殺されかねない。

(当然だな)

 話に聞く限り、『火の時代』では格上殺しが日常茶飯事(ベーシック)だ。

 彼らはこの僅かな傷を積み上げて――あるいは、致命の一撃を狙って――圧倒的な怪物たちすら討伐していくのだろう。

(Lv.1相手にLv.5が殺されることもある。これはそういう戦いだ)

 魂にまで届く一撃。圧倒的な格上――超越存在(かみ)殺しすら可能とする能力。

 ならば、『神の恩恵(ファルナ)』を貫いてくるのも必然だ。

 そこに数が加われば、身体能力(ステイタス)の差を補って余りある脅威となるだろう。

 だからこそ、クオンは一体多数という状況を徹底して忌避しているのだ。

 そして、もう一つ問題がある。

「姉者の言う通りだ! こいつらは異常に()()()()()ぞ!」

 それを、別の闇霊を消滅させたイルタが指摘する。

 闇霊はほぼ全員が不死人だと見ていい。その性質的に、打たれ強さは尋常ではない。

 いや、打たれ強いのではなく、殺しても殺しきれない。あるいは致命傷という概念がかなり変質しているというべきだ。

「心臓を突くだけでも首を折るだけでも駄目だ。両方やっても倒しきれるとは限らん」

 向こうの攻撃は容易く痛撃となるが、こちらの攻撃は通じ難い。

 神の眷属(わたしたち)不死人(やみれい)。互いの能力差――いや、()()()の差は、図らずもそういった状況を生み出している。

 だが、埒外だと嘆いても仕方がない。そして、彼らを羨むのは筋違いだ。

「これが、闇霊だ」

 彼らはそうなりたくてなった訳ではない。望みもしないのに『呪い』が発現し、訳も分からないままそういう在り方を強制された。そういう存在だ。

 無論、だからと言ってこの凶行を見逃す理由にはならないが。

「決して油断するな。この戦場において()().()()()()()()()()()()

 そもそも、闇霊はオラリオの基準で言えば全員がLv.0だ。

 クオンと同じなのだから、当然そうなる。

 ……もっとも、これは言わぬが花だろう。士気を下げるだけだ。

「これより、散開する」

 静かに告げた。

 無論、予定通りだ。三つの部隊へ三〇名ずつ分ける。

 この状況下で、数を分散させるのは危険だが、速やかに住民を保護するなら他に手はない。

 第一部隊の部隊長は私。第二部隊の部隊長はイルタ。

「うおおお……。部隊長とか、羨ましいぞナントカー……」

 そして、第三部隊の部隊長は闇霊との交戦経験を重視して、モダーカに任せてある。

 同じく闇霊との戦闘経験があるイブリが呻いているが……まぁ、仕方がない。

 適材適所。

 イブリは二つ名の由来になるほどの火炎魔法の使い手だ。救助を最優先の第三部隊ではなく、クオンらと接触を図り、事態解決に向かう第一部隊に配置した方がいい。

「しかし、ここまで派手にやってはもはや秘密裏も何もないな」

 思わず苦笑した。笑うしかない。

 何しろ、突入してから今まで闇霊との交戦は断続的に続いている。

「そうですね」

 その結果、ひとまず救助できた住人の数も多い。それ自体は喜ばしいことだが……目撃者がいる時点で、もはや秘密裏とはいかない。

 ギルドはともかく、嬉々として越権行為を指摘してくる派閥の一つや二つは現れるだろう。実際、その言い分は正しい。

 正しいが――

「でも、見捨てるわけにはいかないでしょう?」

 ――そういうことだ。善悪も法も、全てはそこに生きる人間がいてこそ意味がある。

 今はそれで納得しておこう。

「当然だ」

 新たに住民を襲う闇霊の姿を発見。距離が遠い。

 とっさに、愛槍を投げつけていた。

『――――?!?!?』

 直撃を許してのけぞる闇霊に一気に間合いを詰め、その横腹を貫手で穿つ。

 続けて膝を蹴り砕き、倒れたところで喉もろともに首の骨を踏み砕いた。

「無事か?」

「は、はい……」

 住民はひとまず頷いたが、実際には傷を負っているようだった。

 サポーターに手当ての指示を出す。

「それにしても、何か俺達らしくない戦いが続きますねぇ……」

 周囲を警戒していると、イブリが唸った。

「対人戦闘だと思うから、そう感じるんだ。モンスター相手だと思え」

 もっとも、暗黒期には対人戦もこんな調子だったが。

「……うち、モンスターの調教(テイム)にもだいぶ力を入れてますが」

「……そうだな」

 イブリの嘆きに、嘆息を返す。

 ……しかし、実際のところ助けた住民に怯えた視線を向けられるのは少々堪える。

(だが、ここまでしなくては倒せない相手だからな)

 何とか、それで自分を納得させる。

 それに――

(まだこの程度で済んでいるとも言えるか)

 今のところ、最も手ごわくてもLv.3相当。いや、そろそろLv.4に届くくらいか。

 それでも消滅させるには手間だが……さて、動きの拙劣さを考えれば、深層の入り口辺り(三七階層前後)に棲息するモンスターとどちらが手強いだろうか。

(いや、単純に比較はできないだろうがな)

 あくまで極論としてだが、それなりの力があれば()()()()()()()()()()()()()

 それが『深層』のモンスターだろうが、階層主だろうが関係ない。

 胸の魔石さえ砕けるなら、それでいい。

 ……無論、そのためには結局、相応の【ステイタス】が必要となる訳だが。

 しかし、それを考えればやはり不死人(闇霊)の方が厄介だろう。

 少なくとも、私達では一撃必殺とはいかない。

「しかし、これからどうします? 【正体不明(イレギュラー)】を探すにしても、これじゃ……」

 確かに、この状況でいつまでもギルド支部に留まっているとは限らない。

 加えて言えば、出立間際にガネーシャから渡された『秘策』もまだ沈黙したままだ。

 と、なると――

「予定通り、まずはギルド支部に向かう。あの男なら、例えそこを放棄したとしても手掛かりの一つも残していくだろう」

 正しくは【麗傑(アンティアネイラ)】ならば、だが。

 ギルド本部に緊急連絡を入れたのは彼女と見て間違いない。

 元【イシュタル・ファミリア】の幹部を当てにするのも少々癪だが……いや、今更か。

 その幹部たちも、今や多くが同僚だった。

「と、いいますか。今更ですが、確かなんですか? あの【正体不明(イレギュラー)】が助けを求めてるって……」

 イブリの懸念ももっともだ。

 あいつは伊達に『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』などと呼ばれていない。

 あの【古王(スルト)】ほどではないにしても、オラリオに名だたる冒険者の多くを返り討ちにしてきた怪物だ。

「さてな」

 それが助けを求めているというのは、この場所にいてもまだ疑わしい。

 おそらく、それはイブリ以外の団員も思っていることだろう。

 だが――

(あいつにとって、この状況は悪夢だろうな)

 四年前、何度か肩を並べて戦った経験。そして、今まで団長を務めてきた経験。

 それを併せての結論はそれだった。

 あいつが最も得意とするのは、()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 過去は【ロキ・ファミリア】の本拠地(ホーム)に攻め込み、最近では【イシュタル・ファミリア】および『神罰同盟』のことごとくを壊滅させた。

 このメレンに自分と闇霊しかいないなら、同じく一人でどうにでもしただろう。

 だが、実際には違う。

 今この状況は、おそらくあいつが最も不得手とする状況だろう。

 クオンの来歴から考えれば、そもそも経験があるかどうかすら怪しい。

 共闘するのではなく、()()()()()()()()()()()()というこの状況は。

「団長……ッ!」

 それは、すぐに証明された。

 ギルド支部の前。血と臓物で染められた石畳で、闇霊の大群を前にして――いや、ギルド支部を背に庇いながら、いつになく悲壮な気配をまとっている。

(まったく、今日はずいぶんと可愛げがあるな)

 不謹慎ながら、小さく笑いそうになった。

 無論、それは一瞬のこと。その衝動はすぐに怒りの中へ溶けて消えた。

 惨劇を止める事はできなかった。あの惨状を見れば間違いない。

 だが、それはここまで。ここで食い止める。

「かかれッ!」

 ここから先は、反撃の時間だ。

 

 …――

 

「かかれッ!」

 その号令と共にシャクティ以下、三〇名ほどの一団が戦場へと飛び込んできた。

「闇霊を近づけさせるな! 魔導師と弓兵を優先して狙え!」

 流石に手馴れている。戦況は一気に好転した。

 当然だ。元々騎士――ないし戦士や傭兵――でもない限り、合戦の経験などまずあるまい。

 仮にあったとして、その集団内に指揮系統が存在しないのであれば、さしたる意味はない。

 片や経験豊富な部隊。片や寄せ集めの烏合の衆。

 連携という意味では、まったく勝負にならない。

「へぇ、驚いた。本当に来るとはね」

 アイシャが口笛を吹いて笑う。

 俺達の立場を考えれば、シャクティ達の登場は手放しに喜び難い。喜び難いが……。

 だが、ああ、しかし。これなら――

「――――ッ!」

 歓喜にも似た衝動と共に、浮足立つ闇霊の一団へと襲い掛かる。

 これで守りは気にしないでいい。

 ならば、この程度の闇霊はさしたる問題ではなかった。

 反応の遅れた間抜けを、一刀の元に斬り捨てる。

 振り向きざまに投げナイフを投擲。眉間に喰らい仰け反ったその闇霊に大剣を突き立てる。

 これで二体目。

『――――ッ!?』

 つい数秒前とは比べ物にならないほど、体に力が満ちていた。

 誰かを守る術など知らない。だが、殺し方なら充分に心得ている。

 その勢いのまま、三体目の闇霊の顔面に盾を叩きつける。

 無論、兜越しではそこまでの痛撃にはならないだろう。だが、視界を塞ぐと同時、文字通りに出鼻をくじける。

 大剣を手放し、『火』を宿す。思い描く炎の憧憬は野蛮なる贖罪。

 すなわち【浄火】。

 体内で育った炎に、成す術もなくその闇霊は飲まれて消えた。

 三体目。

「住民の守りを優先しろ! 闇霊は散らすだけでいい!」

 すぐさまシャクティの指示が飛ぶ。

 是非そうしてくれ。一対一なら、まず負けない。

 突き立てたままの≪月光の大剣≫はそのままに、使い慣れたクレイモアを取り出す。

 そのまま、術者を守るかのように立ちはだかる闇霊を横なぎに。

『――――ッ!』

 放たれた【ソウルの太矢】を掻い潜り、術者の胸元を貫いた。 

「【Anima nostra vehementer resonate】」

 術者を先の闇霊の方へと蹴り飛ばし、詠唱を行う。

 曰く【ソウルの大きな共鳴】。

 この一夜でたまったソウルを注ぎ込んだ、凶悪な一撃が二体の闇霊をまとめて消し飛ばす。

 これで四と五。

 武器を≪ハイデの槍≫へ。

 撤退か戦闘続行か。選択できず、盾を構えたまま棒立ちしている闇霊を狙う。

『――――!』

 闇霊が反撃に転じる――が、遅い。

 こと一対一なら互いの身体能力の差は決定的だ。

 まるで蜜の海に沈んでいるかのように鈍重すぎる。

 盾もろともに、その体を貫くのは実に容易かった。

 だが、その闇霊もただでは消えない。がむしゃらに腕を掴まれた。

 そして、すぐ背後に新たな闇霊。六体目もろともに槍で貫こうと突貫してくる。

 左の武器を≪飛竜の直剣≫――飛竜『ヘルカイト』から得たドラゴンウェポンへ。

「駆けろッ!」

 破壊力を持った衝撃波が二体の闇霊をまとめて両断。六体目は消滅した。

 自由になった右腕の武器を≪黒竜の大剣≫へ。

 七体の心臓当たりを貫き――

「吼えろ」

 その刀身に、黒竜(カラミッド)の炎を纏わせる。

 内側から焼かれ悶えるそいつの体を、刃を捻り強引に引き裂く。

 それで、七体目も消滅した。

「うへー…。やっぱとんでもねー…。そして、容赦もねー…」

 その頃には、シャクティの部下たちがギルド支部の周辺を取り囲んでいた。

 これで余計なもの(いのち)など背負わないで済む。

「――――」

 ならば、ここから先はいつも通りだ。

 群れを分断し、各個撃破。何も難しいことはない。所詮、ここに集まっている闇霊の大半は巡礼地の入り口を彷徨う亡者どもと大差ないのだから。

 そして、実際。

 この支部を狙う凡庸な闇霊どもをなで斬りにするまで、さほどの時間は必要なかった。

 

 

 

 支部を襲う闇霊どもをひとまず一掃してから。

「【ニョルズ・ファミリア】の団員はいるか?」

 シャクティが真っ先に言ったのはそんな言葉だった。

 屈強な体をした男どもが顔を見合わせる。

「あ、ああ。いるぞ」

 最後に視線が集まったのは、当然ながら件の若頭だった。

「俺が、団長のロッドだ」

「団長か。ならば、なおさら好都合だ。指揮を頼む」

「し、指揮を? そりゃ、襲ってきたモンスターや海賊相手になら戦った事もあるが……」

 シャクティの言葉に、その若頭は目を白黒させる。

 それはそうだろう。【ガネーシャ・ファミリア】は冒険者としても治安維持組織としても有名だ。

 いきなりその代わりをやれと言われたなら、俺も困る。

 ……もちろん、彼女の真意はそうではないだろうが。

「いや、そちらは私達が受け持つ。お前は住民達をまとめて欲しい。それと、治療の手伝いも。心配するな、こちらからも補佐官をつける」

「わ、分かった! それなら、何とかする」

「お前達は彼と協力して傷の手当てを。物資は惜しむな」

 若頭の返事に頷き返してから、今度は自分の部下たちに指示を出す。

「お前達は周囲を警戒。闇霊どもを近づけさせるな。だが、深追いもするな。そして、一対一での戦闘は厳禁だ。最低でも三人一組(スリーマンセル)で当たれ」

「了解!」

「よ、よし! やるぞ、お前ら!」

「お、おう!」

 ぞれぞれの団長の指示に従い、団員が一斉に動き始める。

 その姿を見て、住民達も多少は落ち着きを取り戻したらしい。動ける者は改めて負傷者の手当てを手伝い始めていた。

 瞬く間にメレン支部は野戦病院へと変貌していく。

「さて、色々と聞きたいことがあるが……」

 それを見届けてから、シャクティがこちらに視線を向けた。

「ああ、こっちもさ」

 嘆息していると、アイシャが応じた。

 その肩には、件の――簀巻きにされ、猿轡を噛まされた――支部長を担いでいる。

 俺は俺で、何故かバックパックを一つ押し付けられていた。

 別に重くはないが……さて、中身はいったい何なのか。

「そこの個室で話そうじゃないか。あんた達もついてきな」

 シャクティ以外に、神と当主にも告げると、アイシャは返事も待たずその個室――まぁ、応接間か何かだろう――へと歩いていく。

「まったく、今度はどんな騒ぎを起こしたんだ?」

「馬鹿言え。今度も巻き込まれただけだ」

 そもそも、四年前から今に至るまで自分から仕掛けた事は決して多くない。……そのはずだ。

 それこそ霞の仇打ちか、【イシュタル・ファミリア】の一件か。他に二、三件あったかどうか。

「まぁ、いい。今は時間が惜しい」

 まだ小言を言い足りなそうなシャクティにそれだけ告げて、アイシャの後を追う。

 実際、話し込んでいる暇はないのだ。

「なるほど……」

 部屋に入ってすぐ、闇霊どもが大挙として押し寄せてくる理由を説明する。

 当然、その中で当主や神も密輸に関しても簡単に話すことになったわけだが。

「密輸や『新種』を売り渡した何者か。聞きたい事は多いですが、今は後回しにしましょう」

 と、神たちに告げてからシャクティはこちらを見ていった。

「その『死の瞳』とやらを閉ざすには、サインを見つけるしかないのか?」

「もしくは、本人だな」

 肩をすくめてから、念のため付け足しておく。

「俺も自分で使ったことがないから詳しい事は分からないが、サインは必須ではないらしい」

「おいおい、今さらそんなこと言いだすのかよ!?」

 文句を言ったのは神だった。

「仕方ないだろう。俺だって最後にこの『呪い』に関わったのは大昔なんだ」

 ロードランから今に至るまで、どれだけ時間が過ぎ去ったかすら定かではない。

「ただ、あの変態ならサインを残しているだろう。そうしないと、逃げられないからな」

 神の言葉に嘆息を返してから呻く。

「つまり、呪いをかけた本人がその『場所』を離れれば勝手に解呪されると?」

 言ったのはシャクティだった。理解が早くて助かる。

「ああ。だから、奴がここで俺と決着をつけようと思っていない限り、サインを残すはずだ」

「そんな気はないだろうね。あの変態、何となく小物臭かったし」

 思い出すのも嫌そうにアイシャが吐き捨てる。

「享楽的な殺人鬼といったところだからな」

 元は騎士であり、真正面からの正攻法でも相応に戦えたクレイトンとは違う。

 加えて、ペイトのように最後の最後まで――あるいは今に至るまで――本性を隠し通せるほどの慎重さもない。

(もっとも、動き自体は悪くなかったがな)

 おそらく、刺客としての素質はそれなりに持ち合わせているのだろう。

 だが、今のあいつはうっかり力を手に入れてしまった――しかもそれに酔っぱらっている――だけの殺人鬼だ。おそらく、刺客としての矜持はさほど持ち合わせていない。

 ……まぁ、持ち合わせているならいるで面倒だ。何しろ、その矜持にかけてどこまでもつけ狙って来るのから。

 ――と、それは暗殺者という存在に理想を抱きすぎなのかもしれないが。

 しかし、いずれにしても。

「奴にそれほどの気骨があるとはとても思えない」

 そもそも、あの路地での襲撃からして計画性など欠片も感じられなかった。

 膨大なソウルの持ち主と――あるいは自分の好みの女と――偶発的に遭遇し、衝動的に殺しにかかったと見るべきだ。……おそらくは多くの殺人鬼がそうであるように。

「だが、気が変わる可能性は考慮しておくべきだな。俺達にとって、その神は実に()()()()相手だ。狙えるなら見逃すはずもない」

 膨大なソウルを持ち、しかし戦う術を放棄している。

 さらに言うなら、『特別なソウル』すら手に入る可能性まであるのだ。

 俺達不死人にとって、これほど美味しい相手は他にいなかった。

(もっとも、この『時代』ではあまり使い道がないがな)

 まだそのまま残っている『イシュタルのソウル』に意識を向けつつ、ため息を吐いた。

 何しろ、多くの技術の基本となる『ソウルの業』からして残っていないのだ。ならば、禁忌とされた『ソウル錬成』が残っているはずもない。

(いや、アン・ディールならできそうだな)

 錬成炉の製造からできると言われたところで、驚きもしないだろう。

 そして、俺以外にも迷い込んでいる不死人がいるのはもはや間違いない。ならば、他に使い手がいないという保証はどこにもなかった。

「つまり、神ニョルズを最優先で逃がすべきだと?」

「それでもかまわない。この神がメレンを離れてくれれば『大当たり』はいなくなる」

 とはいえ、問題もある。

「だが、その場合、奴らはそちらを狙うだろうな。そうなると少しばかり面倒だ」

「だろうね。あの変態が標的以外を殺さないなんてお優しい美学を持っているとは思えない」

 アイシャの言う通りだった。殺すためなら手段は選ぶまい。

 もちろん、そのことに関して文句を言う訳ではない。そもそも言えるはずもない。

 ただ、想定はしておくべきだろう。

 そうでなくとも、闇霊がそちらを優先するのはほぼ間違いない。

「つまり、他の住民達に危険が及ぶというわけか」

「ああ。その神だけのために部隊を編成する余力がある訳ではないだろう?」

「それは否定しない。Lv.5どころか神々に匹敵するほどの闇霊が侵入してくるとあってはな。まずLv.7相当を引いた時点で、十人以下の部隊では全滅するだけだ」

 これで本当に『大当たり』を引いたら、何人いたところで全滅だろうが――と、呻いてからシャクティが改めて問いかけてくる。

「それでは、どうするつもりだ?」

「一番無難なのは、俺に同行させる事だろう」

 至って真っ当な結論を口にした――つもりだったのだが、

「……それは、本当に無難なのか?」

「いや、そいつはただ単に鯱の傍にいれば鮫には襲われねぇってだけだろ」

「……そりゃ言い得て妙だね」

 シャクティと当主のみならず、アイシャまでが胡乱げな目でこちらを見てくる。

 ……なるほど、確かに当主の言う通りか――と、内心の囁きは黙殺することに決めた。

「俺だって、神を守るというのはあまり気が乗らないんだがな」

 ひとまずため息を返してから、続ける。

「その神に釣られて奴が姿を現してくれたなら、それこそ幸運だ。その時は刺し違えてでも殺す。そうすれば、『死の瞳』は解呪できるからな」

 解呪さえ済めば、仮にアイシャの【ステイタス】が封印されたとしてもひとまず問題はない。

 もちろん、他に食人花(ヴィオラス)が傍にいるなら話は変わるが……そうでないなら、避難民が一人増えるだけだ。街から闇霊が一掃された状態なら、シャクティがどうにでも対処するだろう。

 俺は俺で篝火を確保してある。一足先にオラリオに帰るだけの話でしかない。

 残る懸念はアイシャがそのまま拘束されることだが……まぁ、その時はその時か。

 ウラノスが俺と敵対する覚悟を決めていない限り、いきなり殺されはしないはずだ。

 生きているなら、まだ打つ手はある。

「ならば、お前と神ニョルズでサインを探すと?」

「いや、念のため彼女も連れていく」

 今さらアイシャの名前を隠す事に果たして意味があるのか。

 ちらりとそんな疑問がよぎったが……まぁ、あえて自分からバラすこともないか。

 ……いや、それなら神の前ですでに呼んでしまった気もするが。

「それは神ニョルズの護衛のために?」

「それもないわけではない。が、彼女も狙われている可能性が高いというのが主な理由だ」

 あの眷属の人間性はそろそろ限界と見える。

 神の持つ莫大なソウルや、そこかしこに点在する人間性など無視し、自分の道楽を最優先したとしても、驚くことではない。

 そして、俺にとってはその方が好都合だった。

「囮が分散しては意味がない。ここはまとまって動くべきだろう」

 どこにあるか……いや、本当にあるかどうかも分からないサインを探して闇霊の巣を彷徨うよりはいくらか。

「この状況だ。ついていくさ」

 と、言ったのは神だった。

「あの闇霊ってのは俺を狙うんだろう? なら、ロッド達と一緒にいるべきじゃない」

 それに、と一息挟んでから、

「全部、あいつらと関わっちまった俺のせいだからな」

 さて、どうだろう。向こうも自分達にとって一番都合のいい相手を狙っただけだ。

 闇派閥(イヴィルス)――【イケロス・ファミリア】が関わっているなら、ゼノスの密売経路は必須だ。この神や当主がなびかなかったなら、()()()()()()くらいしでかしたかもしれない。

 もっとも、別にこの神を庇ってやる気もないし、義理もないが。

 ただ――

「利用できるものは利用すべきだ」

 そう。この神には、まだ利用価値がある。

「毒を以て毒を制すという発想は悪くない。そして、実際に有益だった」

 正確には、この街が少なくとも五年間かけて積み上げてきた『実績』に。

「その発想は、今後も残すべきだろう」

「だが……」

 むしろ当主達は困惑したようだった。

 それはそうだろう。だが、この話をウラノスやガネーシャが聞こえば喜ぶはずだ。

 モンスターが人にとって確かな利益をもたらした。

 この『実績』は、あの二人にとって喉から手が出るほど欲しいものなのだから。

「頼るべき相手を変えればいい」

 シャクティに視線を向け、告げる。

「ちょうどそこに専門家がいる。話せば、相談に乗ってくれるだろう」

 この場合、専門家というのは調教師(テイマー)という意味だ。

「ええ。おそらく、ガネーシャなら嫌とは言わないかと。例えあなた方が密輸に手を染めていたとして、メレンそのものを見捨てる理由にはなりません」

 どこまで事情を察しているのか――そもそも彼女がゼノスについてどこまで知っているかも――定かではないが、シャクティは頷いた。

「い、いや。しかし、【ガネーシャ・ファミリア】の協力を仰ぐとなると、ギルドが……」

 まぁ、当主としては当然そちらも気にするだろう。

 ひとつ悪事が露見したからと言って、街を他所の勢力に簡単に売り渡すようでは当主失格だ。

 引退するとしても、引き渡すのは直系か、それとも他の有力者か。

 いずれにせよ、メレンに生きる誰かを選ぶのが筋というものだ。

 外から来た統治者が、従来の統治者より寛大という事はまずあり得ないのだから。

「……まぁ、それに関してはまるで手がないわけじゃない」

 幸か不幸か、こちらもギルドの首元に喰らいついている。

 やり方次第ではギルドの影響力を押し返せる――いや、ほぼ完全に無力化できるはずだ。

 無論、正攻法ではない。ないが、それなりの勝算はある。

「だが、まさか【ガネーシャ・ファミリア】の団長の前で悪だくみをする訳にもいかないだろう?」

 小さく笑って見せる。

 信頼を寄せる眷属に目を光らされていては、ガネーシャもやりづらかろう。

「何であれ、すべてはここを乗り切ってからだ。まずはそちらが手伝え」

 もっとも、いくら思いついたところで、俺は貴族でもなければギルド職員でもない。それどころか大派閥の団員ですらない。何をどうしたところで、俺一人の影響力などたかが知れている。

「あ、ああ。囮になら、いくらでも……」

 どのみちウラノスやガネーシャ、ここにいる神と当主達が自分で動いてもらうしかないが。

「そうじゃない。いや、それもやってもらうが、今必要なのは情報だ」

 ……しかし、こうして名が挙がる奴らは相変わらず神ばかり。

 つくづくここは『闇の時代』から遠いらしい。

「情報だって?」

「そうだ。食人花(ヴィオラス)の巣はどこにある?」

 さて、こんなところで一体何をしているのか。

 今さらながらに沸き起こる疑問はひとまず棚上げにしておこう。

 メレンの未来はともかく、『死の瞳』だけはどうにかしなくてはなるまい。

「そりゃ、今さら隠しはしないが……何でそんなところに?」

 何故も何も、その『巣』はあの変態がほぼ確実に立ち寄る場所の一つだ。

 そして――

「最低限、容易くは人目につかない場所だろう? ならば、サインを残すにもちょうどいい」

 それが、理由の一つ。とはいえ、そこにサインがある可能性はさほど高くあるまい。

「そして、奴にとっても放置できない場所だ。ほぼ間違いなく立ち寄っている。なら、もしそこにサインがなくとも、まだ打つ手はある。そうだろう?」

「ああ。立ち寄った場所が分かるなら、そこから先の逃走経路を探る手掛かりになる」

 視線を向けると、シャクティは頷いた。

 何しろ、専門家だ。暗殺者の相手も何度となくしていると聞いている。

「なるほど。闇雲に探し回るよりよほどいいな。ちょっと待っててくれ、街の見取り図を持ってくる」

「それなら、ここに」

 と、シャクティが折りたたまれた地図を取り出す。

 用意の良いことだ。

「助かる。……よし、流石はオラリオ。地形どころか縮尺まで正確だな」

 満足そうに海神が頷く。

 まぁ、冒険者にとっても漁師にとっても地図――海なら海図か――は命綱だ。精細であればあるだけ心強い。

 もっとも、当主は顔をしかめているが。

 当然だ。為政者にとって、街の間取りなど外部に流出して欲しくない情報の最たるものだろう。

「ここだ。この海蝕洞。この奥に、檻が置いてある」

 指さされたのは街はずれ。造船所がある方角だった。

 なるほど、外部の人間はほぼ寄り付かないが、この海神がうろついていてもさほど不自然ではない場所と言えよう。

「ただ、中は結構広いし、入り組んでいる。ちょっとしたダンジョンと言っていいだろう」

「なるほどな……」

 さて、それはなかなか面倒な話だ。

「どうする? 私ならここに罠を張るけどね」

「俺もそう思う」

 俺達がサインを探すのは分かっているだろう。

 無論、この場所を調査することも。ならば、サインを残す理由がない。

「潜伏するには都合がいい。だが、逃走経路には向かないな」

 言ったのはシャクティだった。

「もちろん、出入り口がいくつあるかにもよるが……最悪、袋の鼠だ」

「外まで繋がる穴って意味ならいくつかあるが、人が出入りできる大きさは限られるな。もっとも、冒険者ならこじ開けられるだろうが」

 次の問題は、破った先がどこに繋がっているかだ。外に出れれば問題解決とはいかない。

 逃走経路の始点以上の意味はないと見るべきかだろうか。

「さて、専門家はどう見る?」

 神の言葉に頷いてから、シャクティに問いかける。

「お前がサインを探す事は分かっているはずだ。なら、あえてここにサインを残す理由はない。彼女の言う通り中には罠が張られているだけだろう。……それを仕掛ける余裕があれば、だがな」

 なるほど、確かに。そして、時間も問題となるだろう。

 奴が事前に襲撃の準備をしていたとは考えづらい。

 俺達が奴と遭遇してからまだ数時間。闇霊どもは召喚主を襲わないだろうが、凶暴化した食人花(ヴィオラス)はその限りではない。あちらとて、そう気楽に動き回れる状況ではないはずだ。

「罠を仕掛けるなら、そのサインとやらを餌に誘い込んで一網打尽とは考えねぇか?」

 白髭を撫でながら、当主がシャクティに問いかける。

「いや、仮にここで決着をつける気であっても結果は同じだ。確かにサインは餌になるだろうが、本当に残しておく必要はない。私達にあると思い込ませられればいいだけだ」

「なるほど、疑似餌で充分ってことか」

 何とも漁師らしい例えだが……まぁ、そういう事だ。

 むしろ、奴にとって闇霊どもは貴重な協力者だ。本気で決着をつける気なら、意地でもサインは隠し通すだろう。でなければ、追い込んだつもりが袋叩きにあいかねない。

「元凶が闇派閥(イヴィルス)残党だと仮定するなら、拠点はほぼ間違いなくオラリオ内にある。つまり、ここからオラリオに通じるルートは全て怪しいわけだが……」

「お前達は街道を使ってきたんだろう? なら、そこは除外できるな」

「ああ。それらしいものは見かけなかった」

 そして、今この時もその街道は避難経路となっている。つまり、団員達が展開しているはずだ。

(まぁ、避難民に紛れ込まれる可能性は残るが……)

 何しろ外から来た商人や水夫も多い。住民とて全員の人相など把握しきれまい。

 まして、【ガネーシャ・ファミリア】の団員にどこまで把握できるものか。

「無論、避難民の中で身元のはっきりしない者は全員拘束するように指示してある。緊急の理由もなく隊列から抜け出そうとした者もな」

 と、素人の俺が思いつく事を彼女が対応していないはずもないが。

「オラリオとメレンの間はほぼ平野。しかも、重要な交易路だ。モンスターや野盗対策のため、衛兵や私の部下が常に巡回している。それを避けるには、ベオル山脈近くまで迂回し、そのままセオロの密林を経由するしかない」

 あるいは、その衛兵達を皆殺しにするか。

 もっとも、死体を隠している暇はない。となれば、すぐに露見するはずだ。

 あまり現実的ではないか。

「まぁ、あの辺は昔から野盗だの他所の国の斥候どもだのがうろついてるからな。そっちはそっちでギルドの連中も手を打ってるんじゃなかったか?」

 当主の問いかけに、シャクティは肩をすくめた。

「定期的に冒険者依頼(クエスト)を発行している。無論、効果については話せないが……」

 機密事項だから答えられない――と、言うのは事実だ。

 それ以上に、答えられるほどの効果はないというのが真相だろう。

 野盗はともかく、斥候の類は捕まえたところで次が派遣されるだけだ。

 市壁に近づき、あわよくば超えてやろうという気概を持った連中ならまだしも、遠目にこそこそ覗いてくる程度の輩まで潰して回れるほどギルドも暇ではないし、人手が余っているわけでもない。

「地下水路ってのはどうだい? さっきの話からすりゃ、オラリオに通じているんだろう?」

 この神が食人花(ヴィオラス)の『飼い主』らしき人物と出会ったのが地下水路だという。

 さらに言えば、オラリオの水路に棲みつくモンスターどもはここから遡上したものだそうだ。

 ――と、なれば、

「いや、そっちはどうかな。俺が探索した後で、ギルドが新しくミスリル製の柵を設置しなおしたらしい。ずいぶん金をかけたみたいだし、簡単には破れないだろう」

 もちろん、オラリオも金に糸目は付けないだろう。

 ただでさえ、水路に棲みついたモンスターどもへの対策に頭を抱えているのだ。

「それに、そもそも地下水路ってのはオラリオでの話だ。そこから近くの河川に排水してる。メレンからオラリオまでは普通の河川敷だよ」

「ってことは、街道をのこのこ走るよりはいくらかマシって程度か」

「そうなるな。経路となる可能性はあるだろうが……」

 アイシャの言葉に、シャクティが唸る。

 確かに最有力とは言い難いが――

「この街の地下はどうだ?」

 人目がつかない場所として、地下水路というのは定石と言っていい。

 可能性はもう少し掘り返してみるべきか。

「ギルドにとってこの街は上得意を迎え入れるための玄関口だ。なら、汚水垂れ流しとはいくまい。そちらにも手を回しているだろう?」

「ああ。何ヶ所かに浄水柱が設置されている。少なくとも、そこなら人間も出入りできるだろうぜ。浄水室の鍵もこのギルドに保管されているはずだ」

 頷いたのは当主だった。

「何しろ、管理してんのはギルドだからな。保全費って名目で毎年搾り取られるが、ことが飲み水にも関わるとなりゃ、今さら切っても切り離せねぇ。もちろん、こんだけ人が増えりゃ垂れ流しにして湖を汚す訳にもいかねぇしな。ま、オラリオに対する弱みの一つってわけだ」

 と、当主が唸る。

 浄化柱は魔石製品だ。便利だが、整備や保全の費用も安くはないと聞いている。

 さらに、実用に足る大きさの魔石は基本的にオラリオ――ダンジョンでしか手に入らない。

 いくらで売るかは全てギルドの腹積もり一つというわけだ。難癖付けて通常より高く売っていたところで何も驚くことはない。

「簡単に入れねぇようにはしてあるはずだが、それでもたまにどっかからレイダーフィッシュが入り込んじゃ齧りやがる。その分だけ余計に金もとられるからたまらねぇ。……ギルドの連中がわざと放ってんじゃねぇかってもっぱらの噂だぜ」

「いやぁ、多分、稚魚の内に入り込むんだと思うがな。それなら、柵の目も超えられるだろうし」

 毒づく当主の隣で海神が呟いたが……どうでもいい話か。

「この街の地下水路はどうなっている?」

 今気にすべきは、その中にサインが施せるかどうかだ。

 モンスターの生態や、浄化柱をめぐる陰謀の追及は後でしてもらうとしよう。

「水路そのものなら、今じゃすっかり街中に張り巡らされている。だが、人が入れるほど広い場所は限られてるな。それこそ浄化柱が設置されてる浄水室周辺くらいか。他はちょいと広めの用水路くらいなもんだ」

 入れんことはないだろうが、小人族(パルゥム)でもなきゃ相当窮屈だろうな――と、当主。

 なるほど。と、なると――

「浄化室ってのは怪しそうだね。こりゃ、下水の大冒険は避けられないか?」

 是非もない。俺達にとっては通いなれた場所だ。

 鼠を追い回し、腐肉に襲われ、蜥蜴に呪われて――そうやって多くの者が一端の不死人に育っていく。いや、あの蜥蜴のせいで亡者に墜ちる者も少なくなかっただろうが。

「ああ。だが、当主の話なら範囲は広くなさそうだな。問題は――」

「逃走経路の一部に組み込めるかどうか、か……」

 シャクティが呟く。

 彼女の地図にも、流石に地下水路までは記されていない。

「水ってのは、高いところから低いところに流れるもんだ」

 と、当主が顎鬚を撫でながら言った。

「この街の水源はベオル山脈かアルブ山脈かのどっちかだ。当然、アルブ山脈からはオラリオを経由する。なら、水路は必ず繋がってるはずだ。もっとも、詳しい話はギルドの連中しか知らねぇだろうが……」

 とはいえ、足元に転がっている支部長の口を割らせるのは骨だ。

 そもそも下手に猿轡を外そうものなら、有益な情報より先に罵詈雑言が吐き出されるのは想像に難くない。だが、そんなものに感けていられるほど暇ではなかった。

 生贄の羊(スケープゴート)以上の役割は期待するべきではない。

「ギルド、か……」

 ふと、シャクティが呟いた。

「この街とギルドの確執は私も知っている。だが、ギルドとてこの街を乗っ取る事しか考えていないわけではない。少なくとも、そうではない者もいる」

 信じてはもらえないかもしれないがな――と、彼女は小さく肩をすくめた。

「何が言いてぇんだ?」

「何、ギルドにもお人好しな働き者はいるということだ」

 ……なるほど、道理でシャクティ達の動きが早かったわけだ。

 そういう事なら、一枚噛んでやるとしよう。

(攻めあぐねているのも事実だからな)

 問題は、その対価に今度は何を押し付けられるか定かではない事だが……まぁ、仕方がないか。不死人風情が他人の命など背負うものではない。

 その代わりと思えば、大体のことは安いものだ。

 いずれ後悔しそうだが……少なくとも、今はそう思う。

 

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、評価いただいた方、感想を書き込んでいただいた方、誤字報告してくださった方、ありがとうございます。
ありがとうございます。
 次回更新は3月上旬から中旬を予定しています。
 

―あとがき―

 まずは謝罪から。
 予定から大幅に遅れ、申し訳ありませんでした!
 
 続けて、感謝を。
 お気に入り登録が400を超えました。
 更新が滞っている中でしたが、本当にありがとうございます。

 さて。
 そんなわけで、第四節です。
 とにかく難産でした。
 苦労したポイントはいくつかありますが、そのうちの一つは間違いなく『死の瞳』ですね。
 どうにもうまく使いこなせていない気がしてなりません。
 ダンまち世界でも活かせるよう、あれこれ考えたのですが。
 う~ん……。
 すみません、もう少しいい設定が思いついたらこっそり書き換えるかも知れません。

 そして、何でまだメレン編が続いているのか。
 当初の予定ではもっとサラッと終わる予定だったんですが。
 まだ大事なイベントを一つ残しているので、このままいくと一章五節構成を崩すしかないような…

 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。





▲ページの一番上に飛ぶ
Twitterで読了報告する
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。