SOUL REGALIA   作:秋水

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※19/1/13現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第三節 惨劇。神々の戯れ

 

 とある階層のとある未開拓領域。

 幾度となく足を運んだその場所に、今日もまた赴いていた。

「よぉ、フェルズ! 久しぶりだな!」

 その『里』に入ると、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ああ、リド。変わりないか?」

「おう。二四階層の騒ぎが収まってからはこれと言って何もないな。例の『番人』にやられた傷も治ったし」

「それは良かった」

 ハシャーナに回収を任せた『宝玉』の一件では、リド達――異端児(ゼノス)たちにも負傷者が出ている。今まで気がかりだったが、これで一安心といったところか。

「そういやフェルズ。クオンが帰ってきてるんだってな?」

 四年前、ダンジョンに挑んだ際にあいつはリド達とも遭遇している。

 だから、彼らからその名前が出てきたとしても驚きはしない。

「ああ。会ったのか?」

「いや、二ヶ月くらい前にダンジョンにいたらしいけど、その頃オレっち達はちょうど新しい仲間と『里』を探しててな」

 冒険者の目を掻い潜るべく、彼らはいくつかの『里』を転々としていた。

 いや、それ以上に生まれたたばかりの同胞を探して日々ダンジョンを探索している。

 何より――

()()()()()できてしまっては困るか)

 クオンならともかく、他の冒険者が相手では目も当てられない。

 私が安定して彼らと出会えるのは、あらかじめ眼晶(オルクス)を使って事前に連絡を入れているからだ。

(それを思えば、あいつは変わり者だな)

 四年前、まさに()()()()()()()のがクオンだった。

 両者の話を聞く限り、互いに全く予期せぬ出会いだったのは間違いない。

 非公式記録(アナザーレコード)樹立の()()()異端児(ゼノス)との遭遇するとは、まったく、あいつは本当に大層な大冒険をしてくれたものだ。

(本当に、あいつが変わり者で助かった)

 クオンがその気になれば、いかにリド達と言えど壊滅は免れない。

 だが、実際には()()()()()()()()()()()()()()平穏なものだったらしい。

『いや、そりゃもう強えぇの何のって……。ありもしない肌に鳥肌が立ったぜ』

 出会った時のことを訪ねた際、鱗に覆われた腕をさすってリドが笑っていたのを覚えている。

 と、それはともかく。

 

「では、どこから?」

「ついこの前、ドランの連中と出会ってな。そいつから聞いたんだ。他にも……何だっけ、【ロキ・ファミリア】とかいうのが暴れ回ってるから気をつけろってさ」

 あいつらが気づく頃にはオレっち達の隠れ里なんてとっくに通り過ぎてるのになー、とリド。

「私も彼らと接触できるかな?」

「近いうちにできるかもな。もっと仲良くしようってさ。あと今、『街』を広くしてるから、うまくいったら引っ越してきて欲しいってよ」

 でも、あいつらのところに引っ越すと地上が遠くなるしな――と、リドは呟いた。

 やはり、ドランという隠れ里――いや、『国』はここより深い階層にあると見てよさそうだ。

(アン・ディールの采配か……)

 仲良くしよう――つまり、関係強化を持ち掛けてきたという事だ。

 今のところ、結果として異端児(ゼノス)たちは二分されてしまっている。

 彼がその状況を嫌っているのは明らかだ。

(意思の統一を図ると同時に、リド達が持つ地上との繋がりを手中に収めたい、といったところか)

 文明という視点で見ればまだ幼い――良くも悪くも純朴な異端児(ゼノス)達とは全く違う感触。

 まさに人間同士の駆け引きがそこにあった。

(手ごわい相手だろうな)

 何しろ、クオンの話では王兄として共に大国を興した実績の持ち主だという。

 言うなれば本物の政治家。文句なく本職だ。

 そんな大物が指揮を執っている以上、あちらは今の私達以上に明確な『地上への進出計画』を描いていると見るべきだろう。

(せめて、それがどんな内容なのか知りたいところだな)

 何しろ、そのアン・ディールという人物はクオンをして狂人と呼ぶ相手でもある。

 場合によってはオラリオを更地に変えてから――と、いう発想もあり得た。

(ウラノスではないが、なるべく穏便な関係を築いておきたいものだな)

 求めているものは同じはずなのだ。

 互いに協力できないとは思いたくなかった。

 しかし、それはともかくとして――

(【ロキ・ファミリア】だと?)

 私の予想通りなら、確かにアン・ディール一派にとっては脅威だろう。

 何しろ、彼らの『国』を脅かしうる数少ない勢力なのだ。

 警戒するのは分かる。分かるが――

(あくまで『深層』領域に到達できるという視点で見れば、他にもいくつか派閥があるはずだ)

 それこそ、同等の場所まで潜れる【フレイヤ・ファミリア】も存在する。

 たまたま【ロキ・ファミリア】が遠征中だから、というだけの話かもしれないが……。

(何か、妙に気になるな……)

 かの人物が、あえて名指しで挙げたというのがどうにも気になる。

 これはあくまで予感だが、おそらくアン・ディールにとって【ロキ・ファミリア】には何か()()()()()()()()があるのではないだろうか。

 それが何なのか、政治家ではない私にはまだ今一つ読み切れないが――

(嫌な予感がするな)

 クオンが口にした『狂人』という()()を胸に留めておくべきだという事くらいは分かっていた。

 

 

 

 生臭い風に満ちた、生臭い街の、湿った路地裏からそれを見ていた。

 ソウルの気配に惹かれたのか、いきなり暴走し始めた金のなる木(ヴィオラス)どもを一蹴した二人組をだ。

 つまらない仕事だと思ったが、なかなかどうして。

(いいねぇ、切り刻みたいイイ女だ)

 生意気にも呪術を使うアマゾネスを見やり、ほくそ笑む。

 傍にいる不死人も、なかなか大量のソウルと人間性をため込んでいると見た。

(つーか、あれが【王狩り】って奴?)

 地上にいる不死人となれば、それが最有力だ。

 人相書きと少し違うが、それは変装しているからだ。

 悪くない腕だが、オレの目は誤魔化せない。

(あの化け物どもがビビるような奴かぁ?)

 確かにオレよりは多少格上かも知れないが……それでも、そこまで大した奴だとは思えない。

 やり方次第では充分に殺せる。その確信があった。

(だが、今ここで仕掛けるのは無謀だな)

 これ以上近づいたら、確実に察知される。

 先ほどの立ち回りから察するに、真正面からの斬り合いでは分が悪い。

 今ここで仕掛ければ、まず間違いなく返り討ちにあうだろう。

(大体、そんな下らねぇことしてられるかよ)

 オレは殺し合いが好きなんじゃねぇ。殺すのが好きなんだ。

 華麗に鮮烈に。そして、一方的に。強ぇ奴がなすすべもなく死んでいくのを見るのがたまらない。

「ひひっ。楽しくなってきたなぁ……」

 街へと消えていった二人の背中を遠くから見つめ、小さく嗤った。

 

 …――

 

 メレン滞在四日目の朝。

「それで、どうするんだい?」

 朝食を済ませ、いったん部屋に戻ったところでアイシャが言った。

 昨夜襲われた食人花(ヴィオラス)についてどうするのか。彼女が訊いているのはそれだ。

「できるなら、フェルズなりシャクティなりに丸投げしたいところだけどな」

 備え付けの小型魔石点火装置で湯を沸かし、これまた備え付けの茶葉を使って紅茶を淹れる。

 例によって味はさっぱり分からないが、何となく香りが良いように思えた。

「生憎とお尋ね者もどきだ。そうも言っていられない」

 今からオラリオに戻ってギルドないし『アイアム・ガネーシャ(シャクティ達の本拠地)』に顔を出そうものなら、確実に面倒なことになる。

 かといって、野放しにしておいて他の人間が襲われても寝覚めが悪い。

 選択肢は多くない……が、どれを選んでも面倒だった。

(この街のギルドは当てにならない)

 この街において、ギルドに与すると思われた時点で、漁師たちの協力を仰ぐのは絶望的となる。

 だが、本当にあれが『密輸品』なら漁師たちこそが最有力の容疑者というよりない。

 つまるところ、ギルドも漁師も味方だとは断言できないのが現状である。

 かといって、その双方を相手にこの街で孤軍奮闘するというのはあまりに阿呆な選択だ。

 土地勘も伝手もない俺達に大したことができる訳もなく、ただ悪目立ちするだけ。

 そして、目立てばそれこそオラリオからシャクティ達が飛んでくるだろう。

 彼女たちが乗り込んでくれば、俺達こそが逃げ回る側だ。

 従って――

「詰んでるな」

「詰んでるね」

 今の時点では何も打つ手なし。以上。

「なら、仕方ないね」

「そうだな」

 嘆息してから、最後の結論を口にした。

「さぁて。今日も遊び倒すとしようか」

「ああ」

 他にできる事がないなら、ひとまず当初の目的に立ち返るべきだろう。

「まぁ、どこの誰だか知らないが、本当に俺達を狙っているならまた仕掛けてくるだろう」

 次の動きがあれば、また新しい情報も手に入る。

 情報が増えれば、敵の姿も少しは見えてくるかもしれない。

「だろうね。そうでなきゃ、偶発的なものかも知れない。……まぁ、『新種』が絡んでるってのがどうにも気になるけどね」

 イシュタルが関わってるなら、私も他人事じゃなくなる――と、アイシャが肩をすくめた。

 ひとまず、次の『刺客』が来た時には、なるべく周囲を巻き込まないように――と、指針を決めてから、俺達は今日も今日とて街に繰り出すのだった。

「つっても、流石に四日もいれば目ぼしいところはもうないね」

 流石にいつどこで襲撃されるか分からない以上、水遊びは除外している。

 装備も動きも著しく制限されるうえ、水中に引きずり込まれればそれだけで命の危機だ。

 しかし、この街で水遊びを除外するとなると、遊び場はかなり減る。

「そうだな。さすがにオラリオの繁華街のようにはいかない」

 アイシャの言う通り、すでに一通り娯楽施設は冷やかしていた。

 例外は酒場くらいか。

 あくまで個人的な感覚だが、繁華街の音楽堂で奏でられる貴族たち向けの上品な音楽より、この街の酒場で海の荒くれ者たちに向けた軽快な音楽の方が耳に馴染む。

 だが、この真昼間から酒場にこもっているというのは流石に躊躇われた。

 ……オラリオでの隠遁生活はずいぶんと爛れたものになってしまったので、そろそろ建て直さなくてはなるまい。

「繁華街ねぇ……。探せば賭博場くらいはあるだろ」

「どうせモグリだろ? 余所者なんてカモにされるだけじゃないか」

 と、いうか。大体の賭博など、胴元が儲かるようにできているのだ。

 あとはどれだだけ()()()()に授かれるかどうか。

(普段は真っ当でも、余所者相手には容赦ない場所もあるしな)

 それも仕方がない。何しろ、向こうにとっては稼ぎ時だ。

(情報収集という意味では有効かもしれないが……)

 それも善し悪しだ。下手に探りを入れては金と一緒に情報まで渡す羽目になる。

 最悪は湖の底へ一直線だ。

「なら、とりあえず、港でも冷やかしに行くか」

「港だと?」

 まさかいきなり本陣に乗り込むつもりか。

 いや、それもまた一つの手だろうが……生者が打つには豪快するぎる一手だ。

「何か勘違いしてないかい? 美味い魚が食える店を聞きに行こうって話さ」

 からかうように、アイシャが笑う。

「そうだな……」

 ……まぁ、そういう他愛ない話題から接点を持つのも一つの手か。

 それも、真っ当で効果的で、何より安全性の高い最初の一手だった。

(ちょうどいい時間だったか)

 アイシャに連れられて向かった港は、活気に満ちていた。

 魚や貝が詰まった木箱を受け渡す漁師の声や、それを競り落そうとする商人の声、分け前を狙っているらしい海鳥の声が至る所で聞こえてくる。

 漁師たちの一日はかなり早いらしい。

 あまり詳しくはないが……まだ日も昇らぬうちに船を出し、昼前には戻ってきてその日の成果を売りさばき、夕方ごろには寝てしまうと聞く。

「おー、別嬪さん! この貝も食ってきな!」

「いい海老も採れたぜ!」

 どこまで本当かは知らないが、港の活気から察するにあながち単なる噂ではないのだろう。

「ふふっ、ありがとう」

 そして、つくづく芸達者というかなんというか……。

 いつもの豪気な笑いではなく――例えばどこぞの酒場に務めている良質町娘とやらのような――パッと見では無邪気で愛らしく見える笑みを浮かべ、海産物を格安ないし無料でかき集めていくアイシャを見て嘆息する。

(まぁ、売れっ子だしな。男を手玉に取るのは慣れてるんだろう)

 いや、まず根本的に案外男という生き物は女には勝てないようにできているのではないか。

 目の前で展開される玄人の技に思わずそんなことすら考えてしまう。

(そういや、霞もこういうの得意だよなー…)

 男の俺にはどうやっても真似できる気がしない。

 それこそ、例え相手が女でも。むしろ、その場合は余計に貢がされそうな気がする。

(ま、俺が愛想なんて振りまいたところで不気味なだけか)

 それなら金貨の一枚も投げてやった方がよっぽど効果的だろう。

 彼女の成果の分け前に与りながら、胸中で本末転倒な事を呻いた。

 それからしばらくして――

「店を聞いたはいいけど、さっぱり腹が減らないね」

「そりゃ、あれだけ食えばな」

 港の端から端まで歩いたところで、アイシャが言った。

 今まで知らなかった店を何軒も教わったはいいが、焼いた魚だの貝だのも同時に分けてもらったおかげで、ちょうど昼時だというのにまったく空腹感がない。

 ……いや、確かに元々不死人には無縁の感覚ではあるのだが。

「しっかし、あれだね。本当に水辺は【ニョルズ・ファミリア】の島ってわけだ」

「そうだな」

 どうやらニョルズという神はよほど人望に厚いらしい。

 悪い噂はまったく出てこなかった。アイシャをして聞き出せないなら、俺には到底無理だろう。

「完全に掌握しているか。それとも本当に無関係なのか……」

 今のところの手ごたえからすれば後者のような気がする。

食人花(ヴィオラス)の存在は、本来なら死活問題になっていておかしくない。それを知らないという事は、その脅威に晒されていないからに他ならない」

 となると昨夜の襲撃は俺達を追ってきた何者かの差し金、という可能性もある。

 その場合、この街そのものが巻き込まれただけの被害者という事になる。

「そりゃまぁ、イシュタル絡みならその可能性もあるだろうけどね。タンムズ辺りだったらそれくらいの知恵は働かせるだろうし」

 アイシャが口にしたのは副団長の名前だった。

 イシュタルの情夫(おとこ)のひとり――要するにオッタルのようなものだったらしい。

 俺に復讐を企むのは当然といえば当然だろう。仕掛けてくるなら付き合うしかない。

「そのタンムズとやらがここに落ち延びてきているとすれば、今まで漁師たちが食人花(ヴィオラス)と遭遇していない理由にもなりそうだな」

「そりゃね。あいつだって、無関係な漁師を襲わせるほどイカレちゃいないだろ」

 そいつはどうだろう。復讐に狂った人間など何をするか分からない。

(とはいえ、食人花(ヴィオラス)に人間を食わせても意味がないだろうな)

 むしろ、奴らが必要とするのは魔石――

「―――――」

「どうかしたかい?」

 ふと、思いついた。

「この街の漁獲量は、この数年で急に回復してきているんだよな?」

「そうらしいね。それがどうかしたかい?」

「減っていた理由は、モンスターどもが漁礁を荒らしていたから。そう考えていいんだよな?」

「そうだろうね。つっても、私だって聞きかじった話しか知らないよ。急にどうしたってんだい?」

「いや、だからだな……」

 突拍子もない発想、なのかもしれない。

 だが、それならこの状況を一通り説明できる。

「漁礁を荒らしていたモンスターが減ったから、漁獲量が戻ったんじゃないかと思ったんだ」

「そりゃそうかもしれないけど。だからどうしたってんだい?」

「まぁ、聞けって。『極彩色の魔石』を持つモンスターは、魔石を集める性質がある。魔導士を狙うのはその性質が影響しているわけだが……まぁ、それは今は良い。要するに奴らは他のモンスターを優先して襲う習性を持っているわけだ」

「……あんた、まさか」

食人花(ヴィオラス)が住み着いて、野良のモンスターどもが食い漁っている。そのおかげでモンスターどもの数が減り、その分だけ魚が増えた。漁獲量が増えた絡繰りってのはそういう事なんじゃないか?」

 だとすれば、もう五年はこの湖に巣くっているというわけだ。

 しかし、そうなると――

「だが、何故漁師たちは襲わない?」

 次に立ちはだかる疑問を呟く。

 あの食人花(ヴィオラス)とやらには、そこまで細かく指示が出せるものなのか。

 それとも、あの赤髪の美人と同類の何者かがこの街に常駐しているとでもいうのか。

「そういや、漁師ども。全員が妙なもん持ってたね」

「妙なもの?」

「ああ。モンスター除けの『魔法の粉』だってさ」

「はぁ?」

「気づかなかったかい? 漁師どもどころか、他の船乗りどもまで同じ布袋を提げてたのに」

「そういや、そんなものも身に着けていたような……」

 気もするが。正直、道具袋の類だと思って気にしていなかった。

 何しろ『ソウルの業』を持たぬ者なら、その類の何かを身に着けていない事の方が珍しい。

「もう一つ言うなら、その『粉』を作ったのはオラリオらしい」

「何だって?」

「怪しいだろう?」

 アイシャの言葉に頷く。

「モンスター除けの魔法の粉なんてもんがありゃ、冒険者にも飛ぶように売れるよ。でも、オラリオじゃ聞いたことがない」

「ああ。少なくとも俺は呼び寄せる方しか知らないな」

 もっとも、血肉(トラップアイテム)でも、使い方によっては充分に『モンスター除け』になるが。

「となると、可能性は二つか。一つは、俺達が知らないうちに誰かが新しく作った」

 と、言うのは実際のところ考えづらい。

「ま、そりゃないだろうね。連中はあの『粉』はもう何年も使ってるんだ。その手のものを()()()()()()()()()()()なんてことはあり得ない」

 それはそうだろう。もし、モンスターを近づけさせない道具があるなら、いざという時の生存率はかなり高まる。

 いや、ことは冒険者に――オラリオに限らない。この街と同じく、モンスターに悩まされているあらゆる人間が買い求めるのは目に見えていた。

 実在するとするなら、その価値は計り知れない。

(だから秘密にしている、という考え方もできるが……)

 世界に売れば莫大な富をもたらす代物を独占できるほど、この港町の財源が豊かだとは流石に考えづらい。

 この街ないし、マードック家のためだけに開発したもの好きな魔道具製作者(アイテムメイカー)がいる、と考えるのも少々苦しい。

 と、なると――

「だからさ、あれも実は呼び寄せてるだけなんじゃないかい?」

「モンスターをか?」

「そうさ。野良のモンスターが集まっているなら、あの食人花(ヴィオラス)とやらはまずそっちを襲うんじゃないかい?」

 野良のモンスターを敢えて集めて、食人花(ヴィオラス)に食わせ、その間に安全に漁をする。

 アイシャの言わんとしていることはそういうことだ。

 この場合、『粉』はごくありきたりなもので充分だ。未知の道具云々と考えるより、よほど現実的といえる。

 しかし――

「と、なると【ニョルズ・ファミリア】は闇派閥(イヴィルス)と繋がっていると見るべきか」

 まぁ、驚くほどでもないか。死体を遺棄する先として、外洋というのはなかなか魅力的だ。

 うまく処理すれば、案外ダンジョンに捨てるより完全に隠し通せるかもしれない。

 いや、それはともかく。

 この場合、むしろ肝要なのはその発想と、何より食人花《ヴィオラス》の出どころだ。

 何しろ、この方法は食人花(ヴィオラス)の性質を知っていなければ思いつかない。

 いや、先に方法を思いつき、そういう性質を持つモンスターを探していたという可能性も否定はできないだろう。だが、それでもあれはそう都合よく見つけられるものではないし、見つけたところで、簡単に捕まえて連れてこれるものでもない。

 いずれにしても『飼い主』の協力が必要となる。

「さて、そこまでは。貧窮しているところを騙されてるって可能性もある」

「いや、そいつはどうだろうな。確か神は人間の嘘を見抜けるんだろう?」

 この『時代』の人間は、また何とも面倒な『枷』をはめられているものだ。

 そんな『枷』は『火の時代』にはなかった。

(そんなものはめられてりゃ、オーンスタイン達にはとても勝てないな)

 銀騎士辺りならまだしも、あの戦神達相手にハッタリ一つ通じないなら、本当に打つ手がない。

 ……ああ、だからこその『枷』なのかもしれない。神どもが考えそうなことだ。

「そりゃ、そうか。もし神ニョルズを騙すなら、向こうの神が出張ってくるしかない」

 頷いてから、アイシャが続けた。

「けど、ここはオラリオに近い。神ニョルズがかつて邪神と呼ばれた神を知らないとは思えないね」

「と、なるとニョルズはほぼ間違いなく黒だな。『粉』の出どころは聞いているか?」

「表向きはマードック家だね。オラリオから買い取って、この港によく出入りする船に無償で配ってるとか……。まぁ、妥当な話といやそれまでだね」

 となると、その『粉』は無償で配れる程度の物、という穿った見方もできそうだ。

 そして、そう見ればなおさら未知の道具という可能性は低くなる。

「そうだな。ギルドが配ってりゃ、こんな事態にはなってない」

 もっとギルドの影響力が強まっていなければ不自然だ。

「いや、ギルドも一枚噛んでるんじゃないかい?」

「……ああ、なるほど。それもそうだな」

 アイシャの言葉に、頷いた。

「俺達の考えが正しいなら、モンスターどもと一緒に食人花(ヴィオラス)も呼び寄せなけりゃならない。なら、血肉(トラップアイテム)だけでは役者不足だ。他に必要なのは――」

「魔石ってわけだ。血肉(トラップアイテム)に魔石の粉末を混ぜるくらいなら、魔道具作成者(アイテムメイカー)じゃなくても楽勝さ。元さえ手に入るならね」

 そして、魔石を取り扱っているのはこの街でもギルドだった。

 その『粉』にどれ程の量が含まれているか定かではないが、魔石を安定して手に入れようと思えば冒険者ないしギルドの協力を取り付ける必要がある。

 つまり、長年対立しているはずの三者は実はとっくに手を組んでいたわけだ。

「古株の住人ほど疑わないだろうな」

「だろうね」

「……やれやれ。街の権力者が揃い踏みとは、随分と大事になったものだ」

 そして、いよいよ本格的に首を突っ込む必要もない気がしてきた。

食人花(ヴィオラス)がいなくなれば、また魚も減るだろうからな)

 そうなればこの街がまた干上がっていくのは明白だ。

 無関係の漁師たちを貧窮させてまで、この『企み』を暴き立てる必要が果たしてあるかどうか。

「ま、今のところ仕組みとしてはうまくいってるんだろうしね」

 その『魔法の粉』がもたらされてから、漁師が襲われる確率は目に見えて下がったらしい。

 確かに、その『粉』を持たない船が襲われる危険はあるだろうが――

(そんなもの、他のモンスターに襲われるのと大差ないだろうしな)

 確かに食人花(ヴィオラス)に襲われた場合、まず致命的な事になるだろうが……仮にそれで死人が出たとして、野良のモンスターに襲われて死ぬのと何が違うわけでもない。

 およそ五年間、毎日海に出ている漁師たちがまったく知らずに過ごしてきている。それどころかモンスターの被害が減ったと感じているという現状を考慮すれば、むしろ野良のモンスターどもよりまだ有益だと言っていいだろう。

 食人花(ヴィオラス)を始末してみんなで仲良く飢えて死ぬか、誰かが食人花(ヴィオラス)に襲われて死ぬ危険を考慮してでもこのまま共存するか。

 それを選択する権利が自分にあると思うほど傲慢にはなれなかった。

 ただ――

(問題は、あの『宝玉』がとりついた場合だな)

 あの赤髪の美女一派が純粋な善意で提供しているとは思えない。

 少なくとも彼女たちは、いずれそうするためにここで放牧しているのだろう。

 そして、五九階層で今も育っているであろうあの異形と同種のものが地上で暴れた場合、その被害は深刻なものとなるのは明白だ。その場合、おそらくこの街だけの問題ではなくなる。

 ニョルズたちがその危険性まで知って協力しているか否か。

(せめてそれだけは確認しないとマズいな)

 それ次第で、取るべき行動も変わってくると言えよう。

 だが、それこそどうやって調べたものか。

 神の腹のうちが読めたなら、そもそも俺は今ここにいないはずだ。

 

 

 

 今日も今日とて予定通りに遊び倒してから。

「しかし、これで晴れて状況は悪化したな」

 夕暮れ時、港でアイシャが教わった店の一つで少し早めの夕食――かなり遅い昼食も兼ねているが――を突きながら呻く。

 この街を牛耳る三勢力が全て敵となれば、それこそ成す術もない。

「そうだねぇ」

 何とかしてシャクティ達を嗾けるとして……それでも、彼女たちを動かせるだけの根拠を用意しなくてはならない。

 現状では、その時点からして手詰まりだ。

 何しろ、ここはオラリオではないのだ。

 放っておけば、オラリオにも悪影響を及ぼす。そう判断できるような情報が必要だった。

 そんなものが簡単に手に入るはずもなく、俺達自身もあれこれと嗅ぎ回れる状況ではない。

「魔石が正規の手続きで受け渡されているかどうかだけでもはっきりすりゃ、また打つ手が見えてくるんだけどね」

「そうだな。これで正規の手続きを踏んでるんだったら、本当に俺達が首を突っ込む理由がない」

 この街の統治者達が主導しているなら余所者の俺達が首を突っ込むのは基本的にお門違いと言わざるを得ない。加えて、モンスターを利用してはいけないという法はオラリオにだってないはずだ。

(本当にそれ次第だな)

 もっとも、仮に違法行為が行われていたとして、だからと言って俺達にそれを暴き立てる権限がある訳ではない。その辺りをないがしろにし、誰もが罪人を探し始めては、かつて流れの白教徒どもがしばしばやらかした異端狩りに発展しかねない。

 とはいえ。

 あの『新種』に関して言えば、この『時代』の脅威だ――などと言っていられるような状況にはないと見るべきだ。

(赤髪の女達と、デーモンの『飼い主』が手を組んでいる可能性があるからな)

 リヴェラ襲撃時のデーモンどもの動きを見れば、その可能性は考慮しておいていい。

 そして――

(深淵、か……)

 今のところそちらは音沙汰ないが……しかし、それもいつまで続くことやら。

 できれば一つずつ片を付けたいところなのだが――

「お前たち、今日もご苦労!」

「うっす!」

 と、そこで。近くの席に陣取った漁師と思しき一団が乾杯を始めた。

 まぁ、店を教えてくれた張本人たちが来るのは何の不思議もない事だが――

「……神か」

 その中に一人だけ、ソウルの質が違うものが混じっている。

 後ろで適当にまとめられた茶髪。一八〇cm程度の背丈。ミアハよりはいくらか小柄だが、シャツ一枚身に着けていない上半身は引き締まっている。ガネーシャと同じく、かなり屈強な体つきと言えよう。

「この街にいる神か。なら、まず間違いなくあいつが神ニョルズだろうね」

 なるほど、確かに海の男といった風体だった。

 何であれ、その姿を記憶にとどめる。

「見たところ普通の漁師たちだねぇ」

 宴会――と、言うより仕事仲間同士の夕食会か。

 いつかどこかで見た、海賊くずれの怪しげな商船員どもはおろか、酒場で飲んだくれているオラリオの冒険者どもよりよほど品があるように見えた。

「まぁ、世の中いかにもな格好をした密輸業者ばかりじゃないだろう」

「そりゃそうだ。そんな単純な連中だけだったら、【象神の杖(アンクーシャ)】たちはずいぶん楽ができるだろうね」

 とはいえ、神はともかく周りにいる漁師たちが腹芸に長けているように見えるか、と問われれば首をひねるしかない。

(あくまで皮膚感覚だがな)

 とはいえ、泊まろうとした郊外の安宿が実は盗賊のねぐら――なんて事も珍しくなかった。

 そういう場所に引っかかってしまえば、金目の物をちょろまかされるくらいなら安いもので、命まで奪われる羽目になりかねない。

 そういう中を旅してくれば、人相見の真似事くらいは嫌でもできるようになる。

(……はずだったんだが)

 どこぞの禿丸には、何故通算四回も背後を取られたのか。

 いや、あそこまで隠す気がない奴が相手では人相見もクソもないといえばその通りだが。

(……いや、そもそも不死人になって以来、そんなことを気にする機会も減っていたか)

 真っ当な生者との接触そのものが危険だった。

 それが、どれ程善良な者であったとしてもだ。いや、むしろ擦れていなければいないほど危険だったと言っていい。

 基準を見失えば、感覚が狂ったとしても何の不思議もないか。

(今だって変わらないんだけどな)

 もし不死人だと露見すれば、どれだけ楽観視したとして、今の生活は維持できまい。

(アン・ディールのところより、リド達の隠れ里の方がいいかな)

 どちらにしても、地上にいるよりは気楽にやれるだろう。

 ただ、同類相哀れむ――と、いうのはリド達に失礼かもしれない。

 彼らはまだ共に生きるという事を諦めていないのだから。

 そうこうしているうちに、漁師の一団は食事を終えた。別にせわしないなどとは言わないが、特に時間をかけるでもなく、ごくあっさりとしたものだ。

 やはり特別な宴会ではなく、本当に日常の食事だったのだろう。

「さて、尾行(つけ)るか」

 会計を終えて帰路につく一団を見やり、アイシャがあっさりと言った。

「……つけてどうするつもりだ?」

「ンなもん行きついた先で考えるに決まってるだろ」

 また行き当たりばったりなことを。

「うだうだ考えてても仕方ないだろう?」

「……ま、それもそうか」

 今は行動の時だ。新しい情報が手に入れば、次の手も見えてくる。

 不自然にならないよう、しかし標的を見失わない程度の時間をおいて、俺達も店を後にした。

「このままいくと、マードック家に行きつくね」

 件の神――ニョルズとやらは、店からしばらく離れたところで他の漁師(眷属)と別れ、一人で夜道を歩いていた。

 行先は、おそらくアイシャの言う通りだろう。

 流石に四日も街中をぶらつけば、大体の位置関係は把握できている。

「『粉』の出どころを考えりゃ、別に不自然じゃないな」

「まぁね」

 神が一人で、というのは不自然なようにも思えるが……

(いや、取引相手が当主なら主神が出向くのはむしろ当然か)

 下っ端の漁師を行かせては礼を失するという見方もある。

 まったくの異常事態とはとても言えない。

「さぁて。これでこの街のギルド長でも訪ねてきてくれれば推理が盛り上がるねぇ」

 果たして、ニョルズはマードック家へと入っていった。

 ここでアイシャの言う通り、ギルドの関係者が姿を見せればだいぶ面白い事になる。

「そう上手くいけばいいな」

 もちろん、当主ともなればそちらと全く接点がないという事もあり得まい。

 だが、あえて両者を同席させたとなれば、流石に少々怪しくなってくる。

「裏口も見張るべきかねぇ」

「さて、コソコソすれば余計目立つだけのようにも思えるが」

 そんな事をせずとも、出入りするときに嫌そうな顔の一つも浮かべていれば済む話だ。

 この三者が手を組んでいるなど、事情を知らない者なら夢にも思うまい。

「それか、忍び込んでみるかい?」

「館にか?」

 流石に当主の館というだけあり、それなりの広さがある。

 もちろん、中には相応に使用人や衛兵の類もいるだろうが……しかし、お世辞にも厳重な守りとは言えない。

(【見えない体】と【隠密】を重ねがけすれば事は足りそうだな)

 とはいえ、

「今ここで盗賊の真似事をしてもな」

 仮にマードック家の中で件の『粉』を見つけたところで、だからどうしたという話だ。

 当主が無償提供しているのだから、その家にあるのは当然の事でしかない。

 まさか食人花(ヴィオラス)を館の中で買い育てている訳もないだろう。

「裏帳簿くらいは一緒においてあるかもよ?」

「魔石の密売に関してか……」

 それが見つかれば違法行為だという証拠にはなる。

 だが――

「別に魔石の密売を咎めに来たわけでもないしな」

 闇派閥(イヴィルス)やあの赤髪の美女と繋がりがないなら、モンスターを手懐けていたところで……極論で言えば密売でも密輸でも好きにしてくれていい。

 いや――

(ゼノス絡みでも無視はできないか)

 その辺りにさえ絡んでこないなら、と付け足しておこう。

 それ以外の犯罪行為を暴き立て、裁くというのは俺の仕事ではない。やるとしたら、精々がシャクティ達に情報を流してやるかどうかだ。

(大体、冒険者風情が正義を語ってどうするんだって話だよな)

 今ここにあるダンジョンにしても、かつて俺が放浪した荒野にしても人治の及ばぬ無法地帯だ。

 そこを生きる場所に選んだ時点で、冒険者(放浪者)など大なり小なり無法者となる。

 その無法の荒野に法を敷く――と、いう高い志を抱いているなら、まず然るべき組織に身を置くべきだった。それこそ、シャクティやリューのように。

 もっとも、あの【ガネーシャ・ファミリア】ですら、ダンジョンの中では闇討ちすら黙認しているのだから、道のりは険しいものになるだろうが。

(何しろ、取り締まろうと思う方が阿呆な話だからな)

 モンスターに殺されようが、人間に殺されようが同じこと。誰を相手に、どんな過程を経てそうなったところで、死という結果が持つ意味は何も変わらない。

 言うまでもなく、ただの生者にとって覆しようのない絶対の結末だ。

 そして、ダンジョンとはその結末がすぐそこに存在する場所である。

 それを許容し、自ら対処できないというなら、冒険者など辞めて真っ当に生きるべきだろう。

 幸い、この『時代』の人間は――少なくとも、現時点では――俺達(不死人)のように、そうあることを強制されているわけではない。そして、オラリオなら他の堅気な仕事も多く選べる。

 ……俺達がどうやっても戻れなかった、平穏な生へと戻れるのだから。

「っと、出てきたようだね」

 近くの物陰――と、いうか身体能力(ステータス)に物を言わせて飛び乗った屋根の上――に潜んでいると、アイシャが囁いた。

「思いの外早かったな」

 時間なら一時間経ったかどうか、といったところか。

 館から出てきたニョルズは、再び一人で夜道を歩きだした。

 特別何かを持っている様子もない。それに、あの恰好では隠し持てる物も限られていた。

「茶をしばきながら、世間話ついでに打ち合わせってところかね」

「そんなところだろう」

 何か特別なやり取りがあったとは考えづらい。

 日常的なやり取り――それこそ、『粉』の補充の手続き程度だろう。

 と、なると――

「昨夜の襲撃をまだ知らない可能性もあるな」

 いや、魔石を摘出しても大量の灰は残っていたはずだが。

 発見される前に水辺の強風が吹き散らしたか、それとも()()()()()()()()()()()()()()()()か。

「ああ。あの時点で【ニョルズ・ファミリア】が私たちを襲う理由があったとも思えないしね」

「俺達からすれば、だけどな」

 あの襲撃がなければ、この街の《舞台裏》をのぞき込もうとすら思わなかった。

 ただ、それを向こう側が信じるかどうかは別の話だ。

「ま、そりゃそうか。誰かさんは派手に派閥を潰して回ったしね」

「まぁな」

 ニョルズが過剰な反応を示したとして、文句は言えない。

 ロスリックで世話になった元隠密――不世出の賢者に言わせれば、殺した報いというやつだ。

(みだりに殺したつもりはない、と言いたいところだが……)

 だからどうなるというものでもない。

 殺したなら、殺されもするだろう。

(第一、俺は神にとっては初めから不倶戴天の敵だからな)

 奴らの時代(火の時代)を終わらせて、人間の時代(闇の時代)をもたらしたのだから。

 ……どうにもこの『世界』ではその切り替わりが上手くいっていないわけだが。

(だから呼び出されたんだろう)

 そして、また繰り返せ――と、そういう事だ。

 神を殺し、王を殺し、時代を殺し……今度は何を殺せばいいのやら。

「んで、どうする?」

 アイシャの言葉に、くだらない雑念を追い払う。

 ただ殺しあっていればいい――とはいかないのが今回の巡礼の厄介なところだ。今はとにかく敵の動きを把握しなくてはならない。

「接触してみるかい?」

 それも一つの手ではある。

 こちらは神を見抜けるが、この『時代』の神は俺を()()()()()()()()()()()()()()

 ウラノスも、ガネーシャも、ミアハも、ヘファイストスも、ヘスティアも。あのフレイヤですら。誰一人として、俺を不死人だと認識できなかった。

 理由は明確だ。神もまた『ソウルの業』の大半を忘却している。

 四年前ウラノスから聞いていた――が、正直なところ信じてはいなかった。

 だが、イシュタルとの戦闘を経た今、認めざるを得ない。

 確かに連中は『ソウルの業』を忘却していると。

(イシュタルの一撃は、ソウルまで()()()()()()

 あの時の一戦は、互いに(ソウル)を奪い合う『火の時代』の闘争ではなかった。

 死にかけはした。いや、【惜別の涙】がなければ()()()いただろう。

 だが、あれは体の大半が崩壊した影響で、ソウルの流出が始まったからだ。

 イシュタルに奪われたわけではない。もしそうでなければ、先に力尽きたのは俺の方だ。

 あの状況で出し惜しみするほど彼女が愚かでないのなら、まず間違いない。

(ああ、だから最初に降りてきた神どもは、『古代』の英雄たちを恐れたんだろう)

 自分たちを完膚なきまでに殺しつくす()()()()を。

 まったく馬鹿げた話だ。最初に『ソウルの業』を見出したのは神だというのに。

(ま、今はどうでもいいか)

 天界とやらで何があったのか――と、想像を巡らせそうになったところで、思考を打ち切る。

 あるいは、いつかそこに辿り着く必要に迫られることもあるかもしれないが……それは、少なくとも今この時ではない。

「神と腹の探り合いは分が悪いんじゃないか?」

「はっ、私を誰だと思ってるんだい? いくら神だって(おとこ)には変わりないんだ。跨いでヒィヒィ言わせてやりゃ口も軽くなるってもんさ」

 もちろん、彼女の生業はよく知っているつもりだ。

 そして、今の状況において、有益な一手となるのも分かっている。

 しかし――

「……いや、今回は別の方法にしよう」

 何というか……今の状況でその光景を想像するのは何故だかやたらとムカついた。

 自分でも知らないうちに『設定』にのめり込んでいた――と、いったところだろうか。

「切り札はまだとっておくべきだ」

 ―――と、文字通りとってつけるものの、

「おやおや、まさか妬いてるのかい?」

 ニヤニヤと笑いながら、アイシャがあえて下から顔を覗き込んでくる。

 つい視線を逸らしてしまった時点で、俺の負けだろう。

「ったく、自分は次々に女を誑し込むくせに」

 (おとこ)ってのはつくづく勝手な生き物さ――と、大笑いするアイシャに、返す言葉の一つも思いつきはしなかった。

 

 …――

 

 さて。

 神の枷はここに極まり、連中にハッタリをかけられるのは、今や『火の時代』に生まれた者の特権となり果てている。となれば、ここは俺の出番というわけだ。

 この街に来てから、どういう類であれ情報収集はアイシャに丸投げしていたので、そろそろ役に立たなくてはなるまい。

 とはいえ、その『枷』をはめられていない俺でも容易いことではなかった。

 何も嘘を見抜くのに必ずしも神の力が必要になるわけではないのだから。

「すみません、わざわざ案内してもらって……」

 ともあれ、件の神との接触には成功していた。

「何、気にするなって」

 少なくとも、こうして並んで歩く程度には。

 俺の少し後ろ、ニョルズから離れた場所にはもちろんアイシャもいる。

 ……筋書きとしては、ごく単純だった。

 酔っぱらってはしゃぐ妻といちゃついていたら、偶然に目撃された――と、言うのが導入である。

 あとは、そこまで特殊なものでもない。

 素知らぬ顔で神と出会ったことを驚き、慌てて平伏し、それを宥められる。オラリオでは珍しくもないやり取りだ。

「この辺は暗いから危ないぞ」

 と、半ば社交辞令的なその忠告を引き出せればもうこちらのものだ。

 それにかこつけて、こうして同行している。

 ちなみに、だが。

 酔っぱらった云々は、アイシャにあまり声をかけられないようにするための布石でもあった。

 神に醜態を見られ恥じている――と、まぁそんなところだ。

 もっとも、本当にアイシャが恥じるような醜態を晒したわけでもないが。

「それにしても、何故自ら夜回りなど?」

 今のところ得られた情報は、どうやら俺達が噂になっているらしいということだけだが。

 もっとも、それだって――

『すごい美人を妻にした幸せな男が遊びに来ている』

 と、そういう話だが。

 それが嘘かどうかはどうにも見抜けそうにない。

 アイシャが美人なのは今さら言うまでもない。その彼女が、あれだけ漁師たちに声をかけていれば噂にもなるだろう。

 その美女の近くに凡庸な男が突っ立っていればやっかまれたところで文句は言えない。

 まして、そいつが夫ともなれば、噂の一つも立つだろう。

「ここ数年はともかく、昔は夜の間にモンスターの群れや大型モンスターが港に入り込んでて、船が出てくるのを待ち構えているなんてこともよくあってな。見回りの癖が抜けないんだ」

 と、ニョルズは遠回りの理由を口にした。

 実際、彼と接触する前から何人かの元船乗りと思しき老人の姿を見かけてはいた。

「老骨でもこれくらいは役に立てますし、こればかりはもう死ぬまで治りませんなぁ」

 と、ニョルズが声をかけると誰もが苦笑する。

 もちろん、追い払うのは簡単ではない。だが、いると分かっていればまだ対処の方法もある。

 街の衛兵もやってくれているらしいが、監視の目は多いに越したことはないと、そういう事だ。

 これは本当に日常の一幕……先日『密輸品』を目撃した何者かを警戒して特別に実施している――と、言う印象は今のところ感じられない。

 もしそうであるなら、怪しい余所者(俺達)の同行を許すはずもない。

 あるいは、油断させて罠に誘い込む算段だろうか。

 それならそれで是非もない。

「もちろん、ただの鮫が浅瀬に入ってくることもあるが……やっぱモンスターの方が多いな。単に数が多いからなんだろうが」

 モンスターの方がやり口に悪意を感じる。

 ニョルズはそう言って肩をすくめた。

(確かにな)

 モンスターが人間を襲うのは、獣が人間を襲うのとは明らかに違う。

 獣が人を襲うのは、縄張りに不用意に近づいたからか、子育て中だからか、あるいは単純に飢えているか。いずれにせよ、そこに悪意はない。

 ……もっとも、人間側がそこに悪意を感じることはあるだろうが。

 いつかどこかで立ち寄った冬の寒村が、巣籠に失敗した熊に襲われた時は俺も悪意を感じたような気がする。吹雪く夜。紫紺に煙る闇の向こう側に光る獣の目。人間の防衛策を踏み躙っては人を喰らう黒い巨体。今も記憶の片隅に残るあの狡猾さは、下手な異形やモンスターどもよりよほど恐ろしかった。もはやすり切れた記憶の中で、その感情だけはまだ残っていた。

 ただ――

(ま、向こうだって命がけだろうからな)

 人間からすれば残虐な行いも、向こうにとっては生き残るための行動でしかない――と、その熊を射殺した狩人は言っていたはずだ。それとも、別の場所で出会った猟師だっただろうか。

 だが、モンスターは違う。特にダンジョンで出くわす連中は、人間を殺すためなら命を投げ打つことすら厭わないように思える。

 あるいは、同胞の『魔石』を喰らい、さらに力を高めることすらも。

 ああ、それはまるで――

(亡者のようじゃないか)

 生者を――まだそのふりをしている不死人(俺達)をなりふり構わず殺しに来る亡者の群れ。

 もはや思い出すまでもないほど見慣れたそれと、モンスターどもにいったいどれほどの違いがあるというのか。

(なるほどな)

 初めてリド達と出会った時、奇妙な懐かしさを覚えた理由もそれか。

 普通のモンスターどもが亡者なら、リド達は不死人だ。

 疎外と排斥。ただそうなってしまったというだけで、同胞からも嫌悪され、追放される。

 ああ、まったく。それはまさに俺達そのものじゃないか。

(そして、縋る先がウラノス()だからな)

 本当に、笑えない話だ。

 あるいは、アン・ディールが肩入れしたのもそのせいか。

(……いや、しかし。あいつは確か排斥したい側だったんじゃなかったか?)

 何をどうすれば、あの狂人をどうすれば心変わりさせられるんだか――と、内心で首を捻るころには、少し港から離れていた。

 港の明かりと街の明かりの間にある暗黒地帯。

 港町特有の湿った空気。遠昼間に下ろされた魚の内臓が放つ生臭い匂いと、それにつられてきた鼠や虫がざわめくかすかな音。なまじ視界が制限されるせいか、そういったものを急に感じる。

 そして――

「なっ!?」

 向かいから歩いてきた水夫の恰好をした()()が放つ白々とした殺気も、だ。

 こちらの首を掻くように振るわれたダガーを、護身のために身に着けていた短刀で迎撃する。

「な、なんだお前は!? いったいどういうつもりだ!」

 軌跡が交差し、火花が散る中で、ニョルズが叫ぶ。

 が、構っている暇はない。さらに数度剣戟を鳴り響かせる。

「ちぇ、勘づいてやがったかよ」

 間合いを開いたところで、その襲撃者が毒づいた。

「殺気を消せるようになってから出直せ。素人が」

 とはいえ、体捌きから察するに本職の刺客だろう。

 そして――

「スカしてんじゃねぇ!」

 ――俺以外に、初めて遭遇する()()()だ。

 淡い燐光とともに、平凡な水夫服が刺客の鎧へと切り替わり、一振りのエストックが現れた。

 もう一振りの短刀を引き抜き、それを迎撃する。

「――――」

 確かに不死人だが……今の俺から見ても、大した相手ではない。

 まだ尻どころか頭にも殻を被ったままの未熟な巡礼者だ。

「おい、やめろ!」

「うるせぇ、ニョルズ! 今日はてめぇの相手をしに来たわけじゃねぇ!」

 ――なるほど。

 なら、生きたまま捕らえるなどといった無理難題に挑む必要はない。

 口が聞ける奴は、一人生きていれば充分だ。

 速攻で片を付けるべく、装備を切り替えた。

「チィ!?」

 右手の短刀をロングソードへ。

 左手の短刀は、目の前の刺客と同じく小盾へ。

「――――」

 盾を貫こうとする切っ先を、そのまま受け流し(パリィ)して、がら空きになった胸元に直剣の切っ先を突き立てる。

「がはっ?! て、てめぇ……ッ!」

 仮にも不死人。一度心臓を貫いた程度では死ぬはずもない。

 揺らいだ体を蹴り飛ばし、さらに追撃する。

 両手で構えた横なぎの一閃は、刺客の腹を斬り裂き臓物を吐き出させた。

 敵からソウルの揺らぎが伝わってくる。

 次の一撃がとどめとなる。その確信とともに、『ダークリング』が蠢き始めた。

 だが、この程度で終わるような惰弱は不死人(巡礼者)には許されない。

 殺されてでも殺す。死と引き換えにしてでも次の一手を。次は、自分が殺すために。

 それこそが俺達の宿命なのだから。

「くそが! 地獄に堕ちやがれ!!」

 今ここで、次の一手を仕掛けてこないはずがない。

 そして、微かな月明かりの下でその一手が煌めいた。

「――――ッ!?」

 まさか。そんな思いが、背筋を凍てつかせた。

「古臭いものを……ッ!」

 その戦慄が、声となってこぼれ出た。

 それは、はるか昔ロードランで見た呪物。

 始まりの神。その一人に仕えし眷属の証。

 

『死の瞳』

 

 墓王ニトと誓約を交わした【墓王の眷属】たちがもたらす厄災。

「この生臭え街もろともになぁ!!」

 見開かれた()()()()に死の運命をばらまく呪いの具現だった。

(油断した……ッ!)

 まさか、今この『時代』にこんな古臭い誓約をまだ保っている奴がいるとは。

 なまじこの手でその主神を殺したからこそ、そんな事は思いもしなかった。

 今この『時代』にも闇霊がいるというのに……『火の時代』の誓約は、主神を殺したところで消えてなくなるわけではないというのに。

 そして、効果は劇的だった。

「何だい、こいつは!?」

 赤黒い燐光が、人の形をとる。

 闇霊が、アイシャ達の背後に顕在していた。

「――――ッ!?」

 そちらに気を取られた一瞬。左肩に熱を感じた。

 投げナイフ。いや、毒投げナイフか。今更一本程度で毒が回るはずもないが――

「おぉい。そこの女ぁ、てめぇは死ぬなよぉ! オレが解体(バラ)してぇからよぉ! 逝っちまうまで愉しもうぜぇ!!」

 馬鹿笑いしながら、その刺客が逃走する。

 いずれ殺すが、今は追いかけている暇がない。

「一人で勝手にイってな、この変態が!」

 毒づくアイシャに、ひとまずロングソードを放って渡す。

 丸腰でなければ、そうたやすく殺されるはずがない。そして、一撃でも凌いでくれれば――

『ッ?!?!』

 肩から引き抜いた毒投げナイフを、その闇霊の眉間めがけて投げつけた。

 微かにのけぞったその一瞬に、一気に間合いを詰める。

 もはやなりふり構ってなどいられない。

「――――」

 手にはクレイモアを。欠けた月光を背に繰り出すのは『狼の剣技』。

 英雄アルトリウスの一撃を模倣し、その闇霊を両断した。

 赤黒い燐光が渦を巻いて消えるより早く、アイシャに大朴刀を投げ渡す。

 もはや事態は一刻を争う。

「アイシャ、その神を連れて一緒に来い!」

 装備を慣れ親しんだ一式へと切り替えて叫んだ。

「そりゃ言われなくたって行くけどね! 何が起こってるか説明しな!」

 それは当然だが、いったい何をどこから説明したものか。

「『死の瞳』が使われた! 古臭いもの引っ張り出してきやがって……ッ!」

 柄にもなく、気が焦る。戦慄が静まらない。

 当たり前だ。いくら俺だって、こんな街中であれを使われた経験などない。

 どんな惨劇が起こるか、まるで見当がつかなかった。

(どこだ? どこにある?!)

 毒づきながら、走る――が、そもそも行く先が定まらない。

 闇霊から逃げているのか、それとも眷属を追っているのか。それすら判然としない。

(解呪する方法は三つ)

 焦燥を抑え込むため、胸中で呟く。

 一つは時間経過。だが、これはあまりに現実的ではない。

 まず間違いなく、瞳が閉ざされる前にこの街そのものが壊滅する。生きとし生けるもの全てが闇霊どもに蹂躙されるだけだ。

 もう一つは、仕掛けた眷属を殺す。

 だが、まだ充分な――観光地ではなく、戦場として見るための――土地勘がないこの街で、果たして逃げに徹した刺客を見つけ出せるのか。

 アイシャにはああ言っていたが、本当にこの街に留まっているかすら定かではないのだ。

 ならば、現実的なのは最後の一つ。

 どこかにある赤いサイン(呪いの支点)を見つけ、呼び出した闇霊(別の眷属)を始末する。

 動かない分だけ、まだ見つけやすいはずだ。

「だから、その『死の瞳』ってのは何なんだい!?」

「神謹製の厄災の種だ! あの野郎、本当にこの街を地獄に変えていきやがった!」

 いや、このままでは駄目だ。

 どこかで一度、気を鎮め、呼吸を整えなくては。

 冷静さを欠いた巡礼者など、巡礼地ではただの餌にしかならない。

 そして、ここはもう巡礼地となり果てている。

 近くの倉庫らしき建物の扉を開け――ようとしたが、鍵がかかってたので蹴破ってから、目についた魔石灯を灯す。

 小舟と漁道具が置かれたその倉庫に踏みいれ、その小舟のへりに腰掛ける。

「―――――」

 半眼に伏せた視線の先に思い浮かべるのは火。

 呪術のそれではなく、不死人の寄る辺である篝火を、そこに幻視する。

 それでようやく、戦慄が去り、呼吸が整う。

「それで」

 それを見届けてから、アイシャが改めて問いかけてくる。

「もう一度聞くけど『死の瞳』ってのは何なんだい?」

「最初の神の一人、墓王ニトの眷属に与えられる呪物だ。それが見開かれた場所に、死の厄災をもたらす」

「さっきの赤い何かがその厄災だって?」

「ああ、闇霊もそのひとつだ。他にモンスターどもが凶暴になったり、手強くなったり……とにかく、()()()()()()()()()()

「死にやすくなる?」

「ああ。死をもたらす要因の力が強くなるってことだ」

 もっとも、そこまで露骨な不運は起こらないが。

 ……おそらく、きっと、多分。

「なるほどね。……それで、有効範囲は?」

「この街全域と考えて損はない。何しろ、古竜すら殺せるほどの死の瘴気を操る神だからな。その力の一欠片だけでも、この街を死で包むくらいは簡単だろう」

「対処法は?」

「三つしかない。一つは時間切れを待つ。だが、それを選ぶなら確実にこの街の住人は皆殺しにされる」

「さっきの闇霊って奴に? だが、あいつはあんたが倒しただろう?」

「ああ。だが、解呪するまでは次々に来る。この街にふさわしい者が、この街にふさわしいだけ」

 もっとも、闇霊に限ればその大半はさしたる脅威ではないはずだ。

 ……少なくとも、俺にとっては。

 冒険者の半分はLv.1。残りのもう半分がLv.2――と、霞が言っていた。

 流石に大雑把すぎる概算だろうが……オラリオでもそんなものだ。

 この街なら、召喚の基準とされる者はほぼLv.1と見ていい。俺やニョルズ、アイシャに呼び寄せられた闇霊でない限り、俺とってはまず脅威にならない。

 だが、逆に言えば、俺達が呼び寄せた闇霊は他の誰も抗えないだろう。

 そして、何よりも問題となるのは数だ。

 生者しかいないこの街なら、呼び寄せられる闇霊はほぼ無制限となるに違いない。

 例えLv.1でも数が揃えばただでは済まない。

 それ以上に、今この時も無関係の人間が殺して回っている可能性があった。

 たった一人――いや、アイシャと二人だとしても、この街の全てを守り切るなどできる訳がない。

「残り二つは?」

「さっきの変態を殺すか、どこかにある呪いの支点を潰すか。どちらにしても、まずはそれを探すことから始める必要がある。……まぁ、基本的に動かない支点を優先して探すべきだろうな」

 だが、間に合うか。

 いや、間に合うはずがない。見つけ出すまでに出る死人は、一人二人では済むまい。

 何をするにも手と時間が足りない。

「いや、待て! 待ってくれ! お前たち、さっきから何の話をしてるんだ?!」

 そこで、アイシャに引きずられるままに走り回り、息が上がり切っていたニョルズが叫ぶ。

「最初の神? 墓王ニト? そんな神を俺は知らないぞ!?」

「それはそうだろうな。ずいぶん昔に俺が殺している。だから、まだ誓約者が残っているなんて思いもしなかった」

 それとも、あの不死人はまさにその時代から今に流れ着いたのだろうか。

 さもありなん。ロードランは時空が乱れていた。いや、それをいうなら巡礼地は往々にしてそういう場所だった。可能性は否定できない。

(どうせ流れてくるなら――)

 あの太陽の戦士でも来てくれれば――

「神を殺した……? お前、まさか【正体不明(イレギュラー)】か?!」

 ――と、それが言葉になる前に、ニョルズが悲鳴のような声を上げた。

「そう呼ばれているらしいな」

 今更隠しても仕方がない。投げやりに頷いてやる。

 今度は絶句するニョルズを押しやって、アイシャが再び口を開いた。

「神が死んでも機能しているってことは、【ニト・ファミリア】とは違うんだろう?」

「ああ。今この『時代』とは眷属のあり方が違うからな」

 別に力を底上げしてくれるような都合のいいものではない。

 信仰を高めれば、稀に奇跡を授かれるくらいだ。

 誰と誓約をかわそうが、それは変わらない。

 他には――

「スキルが一つ増える。お前の感覚に合わせるなら、多分それの方が近い」

 あるいは発展アビリティの方だろうか。

「スキル? その『死の瞳』ってのはスキルなのかい? 何か投げてたようだけど……」

「あれを使うには、【墓王の眷属】の誓約を交わしている必要があるんだ。道具としての『死の瞳』なら俺も持ってはいるが、誓約を交わしていないから使えない」

 ソウルから取り出したそれを放ってやる。

「そんな気味悪いもん投げてくるんじゃないよ」

 アイシャは一瞥するとすぐに投げ返してきた。

 それもそうか。肩をすくめて、再びソウルの奥底に放り込む。

 今までは何となく捨てずにいただけだが……まだ使い手がいるとなれば、もはやその辺に捨てることなどできる訳がない。

「で、そのニトって神は何だってそんな物騒なもんをばら撒いたんだい?」

「神が何を考えてるかなんて俺が知るかよ」

 げんなりしながら呻く。

「……まぁ、あの『時代』なら死こそが唯一の救いだったかもな」

 地下墓地の最奥。墓王ニトの『石櫃(玉座)』が存在する玄室の前で、亡者となることなく白骨化していた――祈ったままの姿で死を迎えていた信者たちを思い出す。

 あるいは……玄室の中で息絶えていた偉大な聖騎士もまた、そう思い至ったのだろうか。

 彼は墓王の力の前に力尽きたのではなく、それを受け入れた。

 だからこそのあの闇霊だったのではないか。

 死こそが救済。

 それが、彼が最後に啓いた悟りだったのでは――

「だが、もう時代錯誤だ」

 その一言で、つまらない感傷を切って捨てる。

 仮に俺達(不死人)にはそうだったとして、アイシャ達(生者)には厄災以外の何物でもない。

「元凶を見つけて、殺す。それ以外の選択肢はない。そして、俺達がしくじれば、この街は終わりだ。文字通りに皆殺しにされる」

 もちろん、すべてを見捨てて逃げるという選択肢もあるが。

(俺もどこぞの白髪頭に毒されたかな)

 その選択肢を鼻で笑って、倉庫内を物色する。

 例え小舟であっても一緒に漁の道具が置かれているなら、必ずあるはずだ。

「それで、神ニョルズ。あんたは連中とどんな関係なんだい?」

 その間に、アイシャがニョルズを問い詰める。

「あの変態は、あんたを知っていた。いや、あんたと何か繋がりがあるだろう?」

「…………」

「フィリア祭で暴れた『新種』。そいつが、この湖には潜んでいる。他ならぬ私達が、昨夜襲われたからね。で、あいつは()()()()()()()()()()()()()()()()()

 俺がアイシャに伝えたその言葉に、ニョルズの肩が僅かにはねた。

「そして()()()()()()()()()()『魔法の粉』だ」

 それを見逃さなかった彼女の言葉に、もはや容赦はない。

「しかも、出どころはオラリオだって? 馬鹿言ってんじゃないよ。そんな便利なもんがあれば、私達冒険者が真っ先に聞きつけて使ってる。百歩譲ってあんたらの方が先に知ったって、五年も知らないままのはずがないだろう?」

 それらしい麻袋を見つけ、口をほどく。

 血臭、あるいは腐臭にも似た刺激臭を放つ大量の粉。魔石灯の輝きにほんの微かに煌めくこれが、手品の種と見ていいだろう。

「あれは、()()()()()()()()()()なんて便利な代物じゃない。もっとありきたりなもんさ」

 やれやれ、ギリギリ準備は間に合った。

 口を開いたまま、その麻袋を倉庫の外へと投げ飛ばす。

「―――――!」

 近づいてきた闇霊の一体が、反射的にそれを斬って捨てた。

 いかに闇霊と言えど、基本的な動きは生身と変わらない。

 ばら撒かれた粉末はそのまま視界を遮る。

「チィ! 本当にまた湧いて出やがった!」

 粉塵を突破して、最初の一体を斬り捨てる。

「その神を殺すな! まだ聞きたいことがある!」

 やはり、弱い。アイシャ達の基準に合わせるならLv.1ないし、Lv.2相当だろう。

 一体一体なら問題にはならない。

(だが、数が――)

 多い。ここだけで一〇体もいる。

 まともに組みつかれれば、たちまち圧し潰される。

 常と同じく、慎重に、確実に分断して、迅速に各個撃破していかなくてはならない。

 巡礼地――いや、『火の時代』の闘争とはソウルの奪い合い。

 己の力を驕り、相手を格下などと侮れば、たちまち殺される。

 例え神の如き力であっても所詮は砂上の楼閣。些細な事で容易く崩れ堕ちる。

 それを忘れた者から淘汰されていく。

 当然だ。例えどれほど未熟な巡礼者でも、その手にある刃は神すら殺せるのだから。

「あんたが神を守れだって?! そろそろ世界でも滅びるのかいッ!?」

 世界の滅びなら、嫌というほど見てきた――と、言い返している暇もない。

 アイシャが毒づく頃には、闇霊の残りは一三体になっていた。

 処理が追いつかない。手が足りない。

()()はまだか?)

 そろそろ来てもいい頃だろう――と、毒づくと同時水柱が立ち上った。

 まともに粉をかぶったらしい闇霊が一体丸かじりにされる。

 とはいえ、『死の瞳』に魅入られたこの街の中では、もうあの『粉』は『魔法の粉』ではない。

 これ以上の助力を求めるなら、もう一手必要だった。

「―――――」

 左手に火を宿し、炎の憧憬を――親愛なる我が師の姿を思い描く。

 すなわち【魅了】。

 粉につられてやってきた食人花(ヴィオラス)どもを片端から魅了し、闇霊どもを襲わせる。

「行くぞ!」

「ったく! あんたといると本当に退屈しないねッ!」

 今ここに集まっている闇霊はLv.1かそこら。なら、食人花(ヴィオラス)どもの方が強い。

 蹂躙される闇霊どもをそのままに、その戦場から離脱する。

 彷徨う闇霊をいくら潰しても意味がない。狙うのは呪いの主だけだ。

 さもなくば、物量を前に本当に押し潰されるだけだ。

 それより先に地獄の窯(死の瞳)を見つけ、閉ざすしか生き残る術はない。

 

 

 

 港町には、すでに闇霊が溢れつつあった。

 夜の闇を引き裂いて、赤黒い亡霊どもが方々を彷徨い歩いている。

「ったく、鬱陶しいねッ!」

 大朴刀が唸り、行く手を遮る闇霊が三体まとめて両断された。

 だが――

「チィ! こいつもか!?」

 一体は平然と踏みとどまる。

 その顔面をひっつかみ、【発火】を叩き込みながらアイシャが毒づいた。

「あんた、基準になるのはLv.1だって言ってなかったかい?!」

 その間に、大朴刀を腹に突き立て、捩じっては強引に体を引き裂く。

「ああ。その通りだ」

 右手に≪アヴェリン≫を。左手には≪曙光の火≫を。

 それぞれ構え、迫る闇霊を狙う。

「Lv.3に匹敵するのが混じってるじゃないか!」

 三本のボルトが眉間を、【炸裂火球】が別の闇霊を直撃し、それぞれを消滅させた。

 所詮はいくらも常人の域を出ていないただの呪われ人だ。

 巡礼地の入り口に辿り着けるかどうか。辿り着いたところで、そこを彷徨う亡者の一体になり果てるのが大半だろう。

「俺にだって、お前たちの基準はよく分からないんだ」

 やはり、問題は数だ――と、突っ込んできた闇霊を、槍で盾もろともに貫き殺しながら、毒づく。

「なら、何で基準がLv.1だなんて言ったんだい?!」

「この街の神の眷属は大体Lv.1だろう?」

「あ、ああ。荒事とは基本的に無縁だしな」

 軽く息を弾ませたニョルズが、滴る汗をぬぐいながら頷く。

「この場所にふさわしいってのはそういう事かい」

「ああ。だから、怖いのは俺やそこの神、あるいはお前を基準にされた場合だ」

 もちろん、食事花(ヴィオラス)も含まれる。

 あのまま同士討ちになってくれていれば、多少は『当たり』を引く可能性も下がるだろうが。

「いずれにしても、この街の漁師では対応できない」

「お、俺も?」

「力を封じているだけだろう? 今この場で一番巨大なソウルの持ち主はお前だ」

 もっとも、今の俺のように完全にソウルが凝っているなら話はまた変わるだろうが。

「Lv.1を基準にしてLv.3並みのが出てくるって、振れ幅が広すぎやしないかい?!」

「この程度なら可愛いものだ。壁を越えれば、本当に容赦がなくなるからな」

 巡礼者として――神どもが言う『不死の英雄』候補に名を連ねるために確かに存在する壁。

 ソウルの力がそれを超えた途端、忍びよってくる闇霊もまた一切の容赦を捨ててくる。

 場合によっては、【薪の王】と呼ぶにふさわしいような化け物とすら出くわしかねない。

 ……もちろん、その可能性は低いが。

「幸か不幸か、今の俺はまだその壁を越えていないからな。ニョルズが『当たり』を引かないなら、まだ何とかなるだろう」

 武器を両刃剣へ。前後に迫っていた闇霊どもをまとめて叩き斬る。

 絶対にとは言わないが、この程度の闇霊なら装備もお粗末なものばかりだ。

 多少なら力押しだけでも対処できる。

「『当たり』? 『外れ』の間違いだろう?」

「かもな」

 それにしても、まさかこれほどとは。

 いや、生者の数だけ闇霊()が寄ってきているだけか。

「ひぃいいぃぃいっ!」

「何なんだよ、こいつらはあぁああぁあっ!」

 ……何であれ、いよいよ本格的な地獄絵図が広がりそうだ。

 それとも、もう広がっているのか。

 路地の向こうから飛び出してきた夫婦――いや、赤子を抱いた三人家族を狙う闇霊に【大火球】を叩き込む。

「二、ニョルズ様!?」

「無事か?!」

「な、何とか……」

 そうこうしている間にも、さらに闇霊が迫ってくる。

 そいつらをまとめて引っ掴んでは、なりふり構わず【炎の嵐】を解き放つ。

 巻き込まれた闇霊は全て消滅したが――

「どうすんのさ。このままじゃジリ貧だよ?」

 こんな事ばかり繰り返していては、魔力が底をついてしまう。

 いや、乱戦になっていればあんな大規模な呪術などとても使えやしない。

(師匠なら、巻き込まずに使えるのかもしれないが……)

 お前の使い方には繊細さが足りない――と、師匠の声が聞こえるようだった。

「そんなことは分かってる」

 これで漁師たちが寝静まっている夜だからまだこんなもので済んでいる。

 日中だったらもはや収拾がつかなくなっていただろう。

 だが、それとて時間の問題だった。全員が寝静まっているとは限らないし、騒ぎが広がれば顔を出す人間(犠牲者)も増える。

 大体、観光客にとっては夜はまだこれからだ。

 どう考えても詰んでいる。

「……この街の衛兵の実力は?」

「オラリオが近くにあるおかげで、元冒険者もいる。『恩恵(ファルナ)』も健在だ。もっとも、Lv.1だが。それに……」

「年食って引退した奴らはまだしも、若くして引退した奴は基本的に()()()()()()()()()()()()()だからね。この状況じゃ、何人役に立つか知れたもんじゃない」

 ニョルズが濁した部分を、アイシャがあっさりと言葉にした。

 それもそうだろう。ダンジョンで心折れたなら、今のこの街にも耐えらえれまい。

 ましてニョルズの話からして余所者が多そうだ。

 命を賭してでも街を守るという気概がそもそもあるかどうか。

「どのみち、Lv.1では食人花(ヴィオラス)には勝てないだろうな」

 現状において、あれはもう街の守護者でも何でもない。

 正しく厄災の使途へと戻っている。

「ギルドに立てこもる。あそこなら、観光客でも場所が分かるだろう」

「そりゃそうだろうけど……。入りきるのかい?」

「無理だろうな」

 街の住人を全て受け入れるなど、オラリオのギルド本部ですら無理だ。

「だが、一所に集まってくれなければ、守りようもない」

 まったく。防衛など考える必要がない分、今までの方が遥かに楽だったかもしれない。

 そして――

(守るのは下策だ)

 衛兵と漁師たちをかき集めたところで、守り切れるはずがない。

 それを蹂躙するに足りるだけの闇霊()が呼び寄せられているのだから。

(殺される前に殺すしかない)

 今まで通りにだ。

 やることは決まっている。だが、いったいどうやって?

(住民を、見捨てるなら――)

 何の問題もない。今まで通り、全てを殺せばいい。

 ……殺すだけで、いい。

『何を躊躇う』

『我らの犠牲、その全てを踏みにじったのだ』

『今更、この街一つ見捨てたところで――』

「人の話を聞きなッ!」

「いってぇ!?」

 誰かの恨み言に耳を傾けていると、太腿にアイシャの横蹴りが炸裂した。

「避難所があるそうだよ」

「避難所?」

 アイシャの言葉に首をかしげていると、ニョルズが言った。

「ああ。ここは汽水湖だからな。海が大時化になれば、無縁じゃいられない。高潮に乗って、モンスターたちが街中に入り込んできたこともある。それにさっきも言ったが、昔は大型級のモンスターが入り込んできて暴れるって事も珍しくなかった。そういう時、女子供を逃がしていた場所がある。あそこにも見えるだろう?」

 ニョルズが指をさしたのは、大雑把にはオラリオの方向だった。

 確かに、高床式の高層建築物が街の何ヶ所かにあったのは知っている。

(なるほど、そういう事か)

 確かに港町や観光地にふさわしくないほど無骨で巨大な建物なので、貯蔵庫の類かと思ったが、もっと重要な施設だったらしい。

 「ここ数年、モンスターの襲撃がなかったのは本当だ。だが、時化までなくなるわけじゃないからな。手入れは今も怠ってない。鐘を鳴らせば、みんなそこに避難する。宿屋の主人たちとも、そういう取り決めになってる」

「で、その鐘は?」

「港の灯台にある。鐘楼を作るのも手間だったからな」

 それに、見張り台も兼用しているからその方が都合がいい――と、ニョルズ。

 この街の経済事情は何となく掴めてきたのでそれは納得できる話だ。

 問題としては――

(もっと早く言って欲しかったな)

 それが本音だった。

 最初に逃げ込んだ倉庫で言ってくれたなら、ここよりはいくらか近かった。

「まぁいい」

 何であれ、指針が定まったのはありがたい。

「鐘を鳴らせばいいんだな? 任せておけ。得意分野だ」

 灯台の位置はもちろん確認している。

 高さはそれなりだったが、だからと言ってハイデ灯台には遠く及ばない。

 駆け上がるのもさほどの手間ではないはずだ。

「……あんた、鐘撞のバイトでもしてたのかい?」

「鐘守の方なら、誘われた事がある」

 無言のまま眉間を指先でもみほぐし始めたアイシャに告げる。

「アイシャ、お前はその神を連れてギルドに行け。余力があるならマードック家にも。どのみち奴らの協力は必要だ」

「あんたは?」

「もちろん、鐘を鳴らしに行く」

「一人で?」

「手が足りない。何しろ、俺達を皆殺しにできるだけの数が集まっているからな」

 一体のデーモンより、一〇体の凡庸な亡者どもの方がはるかに厄介だ。

 そして、今この街に集まってきている闇霊どもが一〇体を上回るのは間違いない。

「……守りに入ったら負けってことか。上等だよ」

 守ろうとしても守り切れるものではなかった。

 殺される前に殺しつくす。俺達が生き残る手は他にない。

 結局のところ、それだけは変わらない。

「話が早くて助かる」

 だからこそ、まず打って出るための準備を整えなくてはならない。

「鐘が鳴ったら、その時にいる拠点から閃光弾を上げてくれ。そこで落ち合おう」

 四年前にシャクティに押し付けられ、携行するようになっていたそれをソウルから取り出し、アイシャに放る。

「あいよ」

 アイシャに渡したポーチには閃光弾が三発入っている。

「だが、無理はするな。守り切れないと判断したなら、別の場所に拠点を移してくれ。その辺はお前の方が勘が効くだろう」

 つまり、機会は三回。アイシャなら上手い事やってくれるだろう。

 集団戦に関しては、俺などよりよほど経験豊富だ。だが、単身で敵中を突破した経験なら、おそらく俺の方が多い。

 適材適所。これは、ただそれだけの話だった。

「死ぬんじゃないよ」

「当然だ」

 今ここで死んだ場合、アイシャの『恩恵(ファルナ)』が失われかねないのだ。

 それだけは何としても避けなくてならない。

 

 …――

 

「ぎゃああああああっ!?」

 行く手から、断末魔の悲鳴が聞こえてくる。

 ……この状況だ。犠牲者が出ないはずがない。

 路地を飛び出せば、槍に胸元を刺され痙攣する男の姿が見えた。

 位置からして心臓をやられている。奇跡を紡いだとしても、もはや手遅れだ。

 だが、今まさに殺されんとしている生き残りならまだ間に合う。

「―――――」

 古き竜の言葉で詠唱を行う。

 曰く【降り注ぐソウル】。

 範囲が広く、威力もあるが――上空から降り注ぐという性質上、どこに当たるか読み切れない。

 盾を構えて突貫し、射程内で生き残っている漁師の襟首を引っ掴む。

「――――」

 さらに詠唱を続ける。

 曰く【ファランの矢雨】。

 ソウルの短矢を、連続してばら撒く魔術。

 一発一発は軽いが、やはり範囲が広い。大雑把な狙いでも、ひとまず当たる。

(素人どもめ)

 放射状に広がる弾幕にひるむ闇霊を見やり、内心で安堵する。

 やはり、反応が甘い。場慣れした闇霊なら、あの程度のことで動揺しない。

 体勢を立て直される前に、その場にいた全ての闇霊を斬殺した。

「あ、あんたは……?」

「お前達、武器は何か使えるか?」

「ぶ、武器? そんなもの……精々、銛くらいしか……」

「構わない。あの赤黒いのは人間じゃない。近づいてきたら、突き刺してやれ。だが、一人でやるな。仲間を集って囲め。必ず一人ずつ狙うんだ。それと、一度では死なない。消えるまで刺せ」

「そ、そんなこと言われてもよ……ッ!」

 それは、そうだろうが。

 しかし、もはや是非もなかった。

「生き残りたいなら、選択の余地はない」

 息絶えた仲間を前に、青い顔を引きつらせる漁師たちを見て胸中で嘆息する。

 おそらく、これが普通の感覚なのだろう。

 不死人とは言え、そして霊体とは言え、見た目なら概ね人間と同じだ。モンスターのように簡単に割り切れはしないのだろう。

 ……いくら仲間を殺されたとしても、だ。

「近所の者たちを起こして、避難所かギルドに迎え。ギルドならニョルズと……そうだな」

 とはいえ、他にどうしようもない。

 せめて何かの足しになればいい。そんな気分で、軽口を口にした。

「頼もしい戦乙女が待っているはずだ」

 確か、イシュタルは戦の女神でもあったはずだ。

 その眷属だったアイシャをそう言い例えても、別に文句はないだろう。

 ……もっとも、乙女かどうかについては多少議論の余地があるかもしれないが。

 そして。

 それから、似たようなやり取りを繰り返すこと数回。

 ひとまず、灯台を視界に捉えはしたが――

(やはり、素人ばかりとはいかないか)

 灯台周りには、九体の闇霊が展開していた。

 鐘の存在に気付いたと見るべきか。

 流石に獲物を逃がさない知恵はあるらしい――と、騎士鎧を着込んだ闇霊と見やって毒づく。

 もっとも、中身が本当に騎士(本職)かどうかは定かではないが。

(それにしても、ここまで闇霊が徘徊しているのも珍しいな)

 どこぞの教会で『教会の槍』どもと乱闘して以来か。

 もっとも、あれは闇霊ではなく誓約霊だったが。

(まぁいい)

 あの時は腐れ縁の禿丸がいてくれたからまだどうにかなったが、今回は一人だ。

 乱闘になれば数に圧し潰されかねない。

(まともに相手にする必要はない)

 道中で譲ってもらった布袋を二袋。適当な舟屋から失敬してきた麻袋。そして見かけたジャガ丸くんの屋台――まさかオラリオの外にもあったとは――から失敬してきた廃棄油の詰まった壺をソウルから取り出す。ひとまず、これだけあればどうにかなるはずだ。

 あとは、先ほどと同じくこの街の()()()の助力を仰ぐとしよう。

「―――――」

 まずは左手に『火』を宿して詠唱を。

 行使するのは【見えない体】。そして【隠密】。

 続いて布袋を短刀で一突きして、湖に投げ込む。

 流石に、それを聞き漏らすほど素人ではなかった。たちまち警戒し、周囲の哨戒を始める。

 それでいい。そうでなくては困る。

 今、身を潜めている建物から灯台まで五〇〇mほど。道なりに進むならもう少し長くなるか。

 屋根を伝い、ギリギリまで灯台に近づき、残った布袋を湖面に。

 その音でこちらの位置を特定した闇霊どもの頭上に油壷の中身をぶちまけてやる。

 別に特殊な油ではない。特別熱されてもいないし、揮発性の高い代物でもない。

 続けて【火球】を放ったところで、いかほどの効果もあるまい。

 だが、それは()()()()。少なくとも、ただの水よりはずっと粘性が高い。

 それでいい。それだけで充分だ。

(別に素揚げにしようってわけじゃないからな)

 どちらかといえば、その油は()()()だ。

 油壷が飛んできた方向から、こちらの位置に見当をつけた闇霊どもの頭上に、今度は麻袋の中身をばらまく。

 無論、風の強いこの場所ではその粉塵はいくらもたたずして霧散するだろう。

 だから、別にこの粉末を目隠しの代わりにしたかったわけではない。

 鎧にかかった油がそれをいくらか纏わりつかせてくれればそれでよかった。

『オオオオオオオオッ!』

 最初に投げ込んだ『魔法の粉』に引き寄せられ、水面から姿を見せた二体の食人花(ヴィオラス)は、その性に抗うことなく、再び粉まみれの闇霊どもに喰らいついた。

 そのまま、たちまちのうちに乱闘となる。

 暴れる巨体が生み出す風と、体から飛び散る水飛沫が粉末を散らすのを見届けてから、屋根から飛び降りた。

 灯台までおよそ三〇〇m。駆け抜けるなら、あってないような距離だ。

 のたうつ巨体を避けられず、二体の闇霊が湖に落ちる。鎧を着込んでいるなら浮き上がれまい。

 そのまま体に戻ってしまえ。ともあれ、闇霊は残り七体。

 闇霊どもはひとまず邪魔になった食人花(ヴィオラス)どもから始末する事に決めたらしい。

 動きからしてまだ尻の青い素人どもだ。よほどの幸運でもない限り、よくて相打ちだろう。

 そして、死に見入られた今の街でそんな幸運などあり得るはずもない。

 灯台の入り口を火炎壺で吹き飛ばし、狭い階段を一気に駆け抜ける。

 武器をクラブに切り替え、吊り下げられた鐘を――壊さない範囲で――思い切り殴る。

 鳴らす調子(リズム)はニョルズから聞いている。それに従って、三回繰り返す。

 緊急事態を告げる――安らかな眠りを妨げる『目覚めの鐘』が、夜の港町に響き渡った。

(これで一仕事終わりだな)

 もっとも、ようやく一山超えただけ。狂乱の夜はまだこれからが本番だった。

「――――ッ!」

 黄金の輝きが、背後から頬を焼いた。

 気配を察知し体を逸らしていなければ、そのまま首筋を穿たれていただろう。

 おそらくは【雷の槍】。我が友が得意とした竜狩りの奇跡。

『――――ッ!』

 振り返るより早く闇霊――騎士然とした装備に身を包んだそいつが斬りかかってくる。

 なるほど、これは少し厄介だった。身体能力という意味ではアイシャのそれに匹敵する。

 この『時代』に合わせて言うなら、Lv.3相当。

 他の闇霊が消耗させていたなら、食人花(ヴィオラス)を二体撃破することも可能だろう。

 何しろ、筋の良い巡礼者なら、大よその理想形を見据えてくる頃なのだから。

 ……もちろん、そこまでたどり着けるかは別の話だが。

 槍の返礼に、クラブを投げつける――が、流石に反応は悪くない。盾に弾かれた。

 そのまま闇霊は素直に距離を取った。

『―――――』

 再び、物語が紡がれる。

 間違いない。それは【雷の槍】。竜狩りの神話の再現だった。

 もっとも、まだ未熟。威力も狙いもまるでなっちゃいない。それは、最初の一撃で把握していた。

 もし()()()()()()()()()のであれば多少厄介だったが、そうではない。

 一対一。場所は狭く、そう何度も奇跡は使わせずに済む。

 で、あるなら。迫る槍を掻い潜り、一気に接近するのは実に容易いことだった。

 武器は直剣――小ロンドで手に入れてから、何だかんだと愛用している≪ダークソード≫へと。

 闇霊を斬るには、この上ない剣だった。

(まったく……)

 しかし、本当に。

 どこかにあの太陽の戦士のサインが記されていないものだろうか。

(あいつとなら、この程度はきっと窮地にもならないな)

 これはロードランを離れてから今に至るまで、苦境に立たされる度に思う事だった。

 そして、今のところ夢想するだけで終わっている事でもある。

 だから、きっと今回もそうなのだろう。

 

 

 

 惨劇、というのであれば。

 もちろん、ダンジョンこそが本場である。

 メレンが死に見入られた日も、それとは無関係に何人もの冒険者を飲み込んでいる。

 特筆すべきことではない。ここはそういう場所なのだから。

 だから、おそらく。

 それが、本来ならこの『時代』にあり得るはずのない脅威だったとしても、やはり驚くことはないのだろう。

 それもまたダンジョンに潜む未知の一つ。ただそれだけの話だった。

 

 時はメレンにて『死の瞳』が見開かれるおよそ三日前に遡る。

 

「行くな、アイズ!」

 ダンジョン五二階層で、パーティが二分される。

 それは、別に想定外の出来事ではない。砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)による五八階層からの狙撃に晒されるこの階層であれば、この事態はまだ問題にもならない。

 まだ死者が出ていないなら、いくらでも挽回できた。

 そのための指示を二つ。一つは主戦力のアイズを止める。

 彼女の風は攻防の要となる。ラウルたちを守りながら突破しなくてはならない僕達の方に留まってもらわなくては立ち往生しかねない。

 そして、もう一つが――

「ガレス、ベート達を頼む!」

「おう!」

 分隊――砲撃痕に落下したレフィーヤと、彼女を追ったティオネ、ティオナ、ベートの計四名のもとへ、最大戦力の一つを送り込む。

 向こうに必要なのは純粋な戦闘力と、何より統括者。

 ならば、ガレス以上の適任はいなかった。

 とはいえ、決して安心はできない。

 レフィーヤ達が行きつく先は五八階層。今の僕達が超えるべき壁そのものだ。

「ガレス、くれぐれも気を付けてくれ。どうにも()()()()()()()()()

 と、いうより砲撃の()()()()があるように思えた。

 何であれ、五八階層で何か異常が起きているのは間違いない。

 そして、ダンジョンにおいて、僕達に有利な異常事態(イレギュラー)が起こることは稀だ。

「分かっておるわ!」

 ならば、この先にはさらなる過酷が待っていると見ていい。

 大穴に飛び込むガレスを見送ることなく、隊列を再編する。

 確かに階下からの狙撃はまばらだ。だが、皆無ではない。

 この場で立ち止まっているなど、的にしてくれと言っているようなものだ。

「このまま正規ルートで五八階層を目指す! 遅れるな!」

 砲撃はまだ止まない。

 二重の意味で足を止めている暇はなかった。

 そして、異常事態(イレギュラー)が発生しているのは、何も五八階層だけとは限らない。

 親指の疼きが、それを声高に告げていた。

「五三階層……!」

 連結路を駆け抜ける中で、ラウルが唸った。

 確かに、かなりの強行軍だ。が、そんなことは問題ではない。

 どのみち、ここはそうせざるを得ない領域だ。

 問題となるのは――

(『新種』。何故出てこない?)

 今の進行速度を維持するためには、出し惜しみはしていられない。

 ここまで温存してきた魔剣も、いよいよ本格的に投入している。

 何より、アイズの【エアリエル】。先ほどから多用しているというのに、『魔力』に引き付けられるはずの『新種』がいまだに姿を見せないのはどういうことか。

(確かに楽だが……)

 先行したガレスたちがうまくやってくれたのか、狙撃は途絶えていた。

 視界にいるモンスターたちを蹴散らせば、ひとまずの余裕が生まれる。

 素早く補給を行わせ、進行を開始した途端――

「し、『新種』っす!」

 前線を維持するアイズの前に『新種』――芋虫型のそれが群れとなって姿を見せた。

 やはり、楽などさせてはくれないらしい。

「いや、待て。あれは……!」

 その群れを率いる一際巨大な芋虫。

 その上には、紫紺の外套(フーデットローブ)を着込んだ人影が立っている。

「二四階層の……!」

 アイズが呻くのが確かに聞こえた。

 つまり、彼だか彼女だかが、あの女調教師(テイマー)――レヴィスの仲間ということか。

「人、なのか……?」

 右目を細める椿に、肩をすくめる。

 四肢にはそれぞれ銀の拳装(メタル・フィスト)とブーツを装着している。

 人型であるのは間違いない。だが、人間かどうかは――

(おそらく怪人(クリーチャー)だろう)

 人と怪物の混成体(ハイブリッド)。それをどちらに分類するかという話になってくる。

 今はそれを議論している暇はない。いや、余地もない気がするが。

(これは――)

 マズい――と、その群れを見て確信した。

 横並びになっているその群れは、その怪人の指示に従って頭を高さを揃える。

 どう見ても、あれは陣形。そして、前回目撃した攻撃手段から察するに――

『殺レ』

「転進! 横穴へ飛び込め!」

 腐食液の()()()()が行われたのは、最後尾のリヴェリアの撤退が終わった直後だった。

 まさに間一髪といったところだ。

 火にかけられた鉄板に油をぶちまけたような音と、鼻を刺す刺激臭、そして得体のしれない煙が背後を追ってきた。

「い、一斉射撃……!?」

 通路は腐食液で満たされ、天井も床も壁も全てが溶け落ちている。

 話に聞く鍾乳洞とはああいうものか――と、馬鹿な妄想を振り払う。

 そこは神秘的で美しい場所だと聞く。ならば、今見ている光景とは真逆に違いない。

 土石系の壁や天井だったものが滴り落ちるその様は、生の存在を許さない灼熱の溶岩地帯と見るべきだった。

 ……触れればただでは済まないという事も含めて、だ。

(あれでは大盾を何枚重ねたところで意味はないな)

 これはもう、迫りくる溶岩流を盾で防げるか、という話だ。

 盾どころか、アイズの『風』でも果たしてどこまで防げるか。

「立て、来るぞ!」

 ともあれ、今は戦慄している暇もない。

 しばらく直線が続くこの通路で同じことをされては今度こそ全滅しかねない。

 なりふり構わず飛び込んだ姿勢のままのラウル達を叱咤する。

 隊列は乱れているが、ここは走りながら立て直すしかない。

「結局なんなのだ、あやつは?」

 指示を出している間に、椿がリヴェリアに問いかけた。

 そういえば、彼女には『新種』の話しかしていなかったか。

 これも、遠征の直前までばたついていた弊害といったところだろう。

「早い話が調教師(テイマー)だ」

「なんと、あれほどの怪物を御するというのか!」

 ばっさりとしたリヴェリアの言葉に、椿が右目を大きく見開いた。

 確かにあれだけの数を一人で統括できる調教師(テイマー)など、【ガネーシャ・ファミリア】にもいないだろう。

 つまりは、()()()()調教師(テイマー)ではないということだ。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

「待ち伏せ!?」

 そうするだろう――と、ラウルたちの悲鳴を聞きながら、呻いた。

 ここまで統率が取れているなら、むしろしない理由がない。

 再びの一斉射撃を躱し、さらに転進。

「ま、また現れたっす!?」

「三時の方向からも来ます!!」

 分かっている。今の僕達には戦場を選ぶ自由はない。

『逃ガスナ、巨蟲(ヴィルガ)

 件の怪人は、さらに食人花(ヴィオラス)まで従えて背後に迫っている。

「誘導されている……!」

「まさかモンスターから戦術をくらうとはね」

 リヴェリアの言葉に、肩をすくめた。

 確実にどこかに追いこまれていた。今から包囲網を突破するのは不可能だろう。

 向こうにとって都合のいい戦場で一戦交えるしかない。

 ……いや、まだ戦闘に持ち込めるだけの目があれば幸運だ。

 退路のない場所で、四方から一斉射撃を受ければ成す術もなく全滅しかねない。

(いや、それはないか)

 後方を一瞥する。

 敵の指揮官の狙いは、察しがついた。

(アイズを探している)

 つまり、あの怪人(クリーチャー)……レヴィスと同じだ。

 で、あれば少なくとも()()()()()()()()()()()()()()()()()はしてこない。

(そう、最初の一斉掃射はあくまで脅しに過ぎない)

 あれで決着をつけるつもりだったなら、もっと完全な奇襲を行えたはずだ。

 二度はしかけてこない。必ずやりすぎない方法を選択する。

「フィン、このままでは追いつめられるぞ!」

 で、あれば多少強引な仕切り直しも可能だ。

(反撃するなら今かな)

 幸い、このルートは未知の区画ではない。現在地と、周辺情報は頭に入っていた。

「アイズ、左折しろ!」

 本当に戦場を選べなくなる前に、決戦の地を決めた。

 そこは巨大な一本道。この構造は、必ずしも相手だけに利するものではない。

「迎え撃つ! アイズ、準備しろ!」

 敵が分散しないこの場所なら、こちらにも一撃で敵を殲滅するための手札があるのだから。

「盾三枚、並べろ!!」

 それは防御のためではない。あの一斉射撃を防ぐことはできない。

「アイズ!」

 それは、()()()だ。

 僕の意図を正しく組んでくれたアイズがそこに着地――いや、着盾とでもいうべきか――する。

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 風が、蠢いた。

 銀に輝く剣が、呼応するように震えた。

「―――――!」

 盾を構えたサポーターたちが、来るべき衝撃に備えて腰を落とす。

 さらにラウルたちが後ろから彼らを支えた。

 すべては一瞬のこと。

 そして――

「リル・ラファーガ」

 風の螺旋矢が解き放たれる。

巨蟲(ヴィルガ)!!』

 一斉射撃が行われるが、もう遅い。

 水平に奔る巨大な竜巻を前にすれば、そんなものは飛沫と変わらない。

 たちまち吹き飛ばされ、さらに巨蟲(ヴィルガ)の群れを蹂躙し――

『チィ……!』

 突如として現れ、怪人の前に立ちはだかった赤黒く輝く人影。

 それが構える大盾に直撃した。

「なっ!?」

 相殺。その赤黒い『何か』は大きくのけぞったが、アイズもまた押し返された。

 いや、あの技は体に負担がかかる。想定外の動きは彼女自身にダメージを追わせかねない。

 単純に痛み分けとは言いづらいところだった。

『ヤレヤレ。厄介ナ風ダ』

 嘆息した怪人の背後に、同じような赤黒い人影が現れる。

『――――――』

 それは、大盾を構えたもう一体と異なり、明らかな魔導士型だった。

 杖を構え、()()()()()()()()()()()()詠唱を行う。

「アイズ、下がれ!」

 確かに聞き取れないが、それをよく知っていた。

 クオンのそれと同じだ。

「――――?!?!」

 僕が叫ぶより先に、詠唱は完成した。

 青白い極光の槍が複数解き放たれる。

 それは、天井や床、壁にぶつかっては反射し、不規則な軌道を描いて殺到する。

「なっ?!」

 向こうの狙いが良かったのか。

 それとも、こちらが単に不運だったのか。

 反射を繰り返したその槍は、構えた大盾を素通りした。

「【集え、大地の息吹――我が名はアールヴ】!」

 そのままであれば、前衛は壊滅していただろう。

「【ヴェール・ブレス】!!」

 だが、間一髪のところで、リヴェリアの魔法が完成した。

「ぐ……あ……ッ!」

 緑光の加護は、見事に彼らを守り抜いた。

 少なくとも、死神の鎌からは。だから、少なくともまだ死者は出ていない。

「くっ!?」

 一方のアイズも、もう一人の赤黒い何かと交戦していた。

 相手の得物は大斧。盾の堅牢さは明らかで、しかも大鎧を着込んでいる。

(あれがクオン側の『何か』だとするなら……)

 正攻法では、明らかに不利だ。

「来るぞ、フィン!」

「アイズ、交代しろ! リヴェリア達を守れ!」

 指揮ならリヴェリアが代行してくれる。だが、守りはアイズ以外に誰もできない。

 だからこそ、迷うことはなかった。

 槍を構え、前衛型の『何か』へと突撃する。

 入れ替わる形で、アイズはリヴェリア達のもとへ。

「【エアリエル】!!」

 風が荒れ狂うのと、一斉射撃が行われるのはほぼ同時だった。

「くぅ……!」

 先の一撃で数が減っていなければ、防ぎきれなかっただろう。

『蹂躙シロ、食人花(ヴィオラス)!』

 波状攻撃。狙いは、起死回生の一撃を持つリヴェリアだった。

 無論、彼女は並行詠唱を修めている。

 その中でも詠唱を途絶えさせることはないだろう。

 だが――

『―――――』

 あちらの魔導士の方が早い。

 乱反射する光の槍が再び解き放たれた。

「避けろ!」

 防御より回避を優先するしかない。

 だが、そうすれば――

「ぎゃああああ!?」

「回復を急げ!」

 隊列は崩れ、そこを腐食液に狙い撃ちされる。

 この戦術なら、アイズだけを無傷でとらえることも可能だろう。

(やってくれる!)

 唸るが、逆転の糸口はまだ見出せていなかった。

 この赤黒い『何か』は実に厄介だった。

「どけ、アイズ、フィン!」

 そこで、リヴェリアの魔法が完成した。

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!」

『―――――』

 時すら凍てつかせる極寒の猛吹雪と、青い光の奔流とが激突し――

「何だと……ッ!?」

 猛吹雪が打ち消された(リヴェリアが撃ち負けた)

 幸い直撃はしなかったが、パーティ全体に動揺が広がる。

(どちらもLv.6。いや、それを()()()のか……?!)

 目の前の戦士は、つい先日遭遇した【猛者(おうじゃ)】に見劣りしない剛力だ。

 そして、魔導士の方もいくら第一階位のものとはいえ、リヴェリアの魔法を打ち破った。

 と、なればそう考えるしかない。

(最悪だな……)

 Lv.7相当が二枚。

 地形もろともに抹殺可能な腐食液を放つ『新種』と、『魔力』に反応し殺到する『新種』の群れ。

 その統括者も怪人(クリーチャー)

 敵の手札を思い浮かべ、さらに付け足す。

 いつ階下からの狙撃が再開するかも分からない。

 劣勢だと認めるより他になかった。

 そして、階下にいる部隊と連絡が取れない今、撤退もあり得ない。

(アイズの一撃を凌がれたのが痛かったな)

 失敗したかもしれない――とは、考えない。

 こと劣勢において、団長である自分が揺らぐのは致命的だ。

 さらに言うのであれば、元より全ての作戦が一切の問題なく機能することはあり得ない。細やかな修正は常に必要だ。

 ならば、今回だけが特殊ではない。

 仮に失敗だったととして……それなら、なおさら揺らいでいる暇などない。

 速やかに仕切りなおすべきだ。

 だが、それは可能か?

(こちらの手札はまだ何も損なわれていない)

 可能だ――と、次の刹那には結論を結ぶ。

 なるほど、負傷者が出たのは事実だ。

 だが、この深層で異常事態(イレギュラー)に見舞われたのだ。内容が何であれ、まったくの無傷で切り抜けられる方が稀だった。負傷者が出た程度で動揺してはやっていられない。

 逆転の切り札が二度に渡って相殺されたのも認めよう。

 それとて、真正面からの力押しという最も単純な使い方が通じなかっただけだ。直撃したのに意味をなさなかった――と、いうのであれば事態は深刻だが、そうではない。

 自分も、リヴェリアも、アイズも、椿も、ラウルたちも健在。

 物資はまだ充分に残っている。回復魔法の心得があるリヴェリアも健在。

 ならば、負傷者の立て直しは可能だ。

 狙撃が再開されていない以上、ガレス達もまだ生存している。

 ガレスたちが無事なら、レフィーヤもほぼ間違いなく生きている。

 で、あれば別動隊を心配する理由などない。

 つまり――

(深刻な問題はまだ何も起こっていない)

 戦闘続行は可能――と、改めて結論を結ぶ。

 とはいえ、現状においてこちらの主力となるのは、Lv.6が三枚。次点でLv.5(椿)だ。

 リヴェリアと同格だと見ても、Lv.4(ラウル)では少しばかり荷が重い。

 次に対応すべき問題を俯瞰する。時間はかけられない。思考が言葉すら置き去りにして駆ける。

 前衛型の『何か』は僕が。『新種』――巨蟲(ヴィルガ)の掃射はアイズが。『新種』――食人花(ヴィオラス)の攻撃はラウルたちが防いでいるのが現状だ。

 そして、最大の問題は――

(あの魔導士……)

 あの魔法が厄介だ。今のところ確認できた魔法は二つ。

 片方はリヴェリアの魔法より早く、その性質から防御も困難。回避するしかため、これが放たれる度に隊列が崩れて負傷者が出る。

 もう片方はリヴェリアの【ウィン・フィンブルヴェトル(第一階位魔法)】を上回る。対応をしくじれば、ただそれだけで全滅しかねない。

 そして、クオンと同じだとするなら、魔法が三つだけとは限らない。

 さらなる切り札を隠していることも想定しておくべきだろう。

(守りを固めるのは下策だな)

 あちらも、そろそろ程よい加減を掴むころだろう。

 向こうが態勢を整え、再び一斉掃射を行えるようになったらもう防ぎきれない。

 そうでなくとも、別動隊が背後に現れないとは限らない。

 いずれに転んでも、壊滅は必至だ。そして、相手がそれを同時に仕掛けてこない理由もない。

 守りに入れば入るだけ向こうが有利になる。

 だからこそ、前衛型の『何か』はあえて積極的に仕掛けてはこないのだ。

 そうでなくては、暫定Lv.7を相手に一人で抑えられるはずもない。

(打って出るしかない、が……)

 そのためには、Lv.7を二枚抜かなくてはならない。

(さて。逆転の糸口はどこにある?)

 時間は敵に与している。

 速やかに見つけ出さなくては、全滅は必至だった。

 

 …――

 

 ひよっこどもと合流してからしばらく、目につくドラゴンどもを一掃したと思った矢先。

 五七階層に通じる通路から芋虫型の『新種』が湧いて出た。

「塞がれたか。まったく、次から次へと――」

 ――と、戦斧を担いで呻くより早く、

『――――――ォ!!』

 ドラゴンどもとは違う咆哮が響き渡った。

「ぬぅ?!」

 頭上を影が――何より、圧倒的な威圧感が覆う。

 見上げるより先に、体が反応していた。

「あ、あいつ……!」

「フィリア祭の時の新種――じゃなかった、デーモン!!」

 ティオネとティオナの叫びを聞き、さもありなんと納得する。

「なるほど、のう。あのリヴェリアが不覚を取るわけだ」

 そして、狙撃がまばらだった理由も察した。

 つまるところ、このデーモンとやらがヴォルガング・ドラゴンを殺して回っていたせいだ。

『―――――ォォ!!』

 猛々しく――そして、それ以上に禍々しい咆哮が、それを肯定するかのように轟く。

「やれやれじゃわい」

 今さらその程度のものに臆することはない。

 そんなものより、今気になるのは芋虫どもの動きだ。

 デーモンとやらと同調するように、包囲を狭めてくる。

(ふむ。やはりフィンの言う通りか)

 リヴェラの街に現れた際にも、食人花(ヴィオラス)とやらと連携を組んでいたと聞いている。

 それが意味するところはそう多くはあるまい。

(この『新種』どもの飼い主と、デーモンの飼い主は繋がっとるようだの)

 それが何を意味するのか――と、そこまで考えを巡らせている暇は流石にない。

 まずはここを生き残らねば意味がないのだから。

「デーモンだか何だか知らないけど牛は牛、よね?」

 ギラリと、ティオネが目の色を変えた。

「ハッ、見りゃ分るだろうが。どっからどう見ても牛の化け物だ」

 ベートが牙をむき出しにする。

「これが飛んで火にいる夏の牛ってやつだよね!」

 ブン、と大双刃(ウルガ)を振り回してティオナが笑う。

「夏だろうが冬だろうが、牛は火に飛び込まねェよ!」

「あんた、燻製豚肉(ベーコン)でも作る気?」

「いや、火に飛び込んだら燻製にもならんわ」

 それは単なる丸焼きという。

 大体、ベーコンとはその名の通り燻製にされた豚肉のことだ。

 牛肉で作ればそれはもう別の料理――と、言うべきかはともかく――だった。

「じゃが……まぁ、この際どうでもいいわい」

 何をー!――とむくれるティオナをなだめてから、ゴキリ、と首を鳴らす。

 幸い、ひよっこどもの士気は高い。いや、高すぎるくらいだ。

「誰があいつの相手をする?――って、言いたいところだけど……」

 よほどミノタウロスを単身撃破したという下級冒険者に充てられているらしい。

 放っておけば、誰が一騎打ちするかで揉めだしかねない。

 念のため、釘を刺しておくべきだろう。

「流石にそれは自重せい。ここが目的地ではないからの」

 無論、このデーモンが五九階層から上がってきた――と、言う可能性はもちろんある。

 だが、これはそれ以前の問題だ。

 これは初見ではない。ならば、わざわざ五九階層まで来いとは言うまい。

(この先にあるのはもっと別のもんじゃろ)

 いずれにしても、ここで力を使い尽くされてはこの先にいるであろう本命を相手にするのが骨だ。

「ハッ、関係ねェ!」

 軽くぶち殺してやる――と、真っ先にベートが動き出す。

 儂の忠告が届いているのかいないのか。

「ま、肩慣らしには充分すぎる相手よね」

「へっへー。大双刃(ウルガ)があればもう負けないもんねー!」

 不安に思うより先に、それぞれが武器を構え、ティオネとティオナが続いた。

「これも未知というやつじゃな」

 その冒険者の戦いは見ていない――が、しかし。

 これは長年の壁である五九階層到達。そして、そこにいる厄災との前哨戦だ。

 相手は、あの【正体不明(イレギュラー)】をして一目置く怪物である。

 ならば――

「相手にとって不足なしじゃのう!!」

 熱き戦いを前に血を猛らせているのは、何も若造どもだけではないという事だ。

 

 

 

「くっ……!」

 赤黒い『何か』の重撃を逸らす。

 ただそれだけで、不壊属性(デュランダル)であるはずの槍――≪スピア・ローラン≫が悲鳴を上げる。

 無論、最上級鍛冶師(マスタースミス)謹製のその槍が折れるはずもないだろうが――

(オッタルの一撃より重いだって?)

 あるいは――と。そう思わせるだけの膂力に背筋を強張らせながら毒づく。

 オラリオ唯一のLv.7。その一撃を受けたのは、つい数日前のことだ。

 その時のオッタルはまず間違いなく本気だった。その一撃よりも重い。

 防いでいるはずなのに、腕が痺れ、ともすればそのまま叩き切られそうになる。

 そこに加えて小人族(パルゥム)の宿命であるこの矮躯。

 例え一撃を防いだとしても、その剛力を前に容易く押し返されてしまう。

 もちろん、それは今さらだ。今になって不利だなどとは言わない。

 だが――

(攻めあぐねているのは事実かな)

 今のところ戦況は膠着状態……より、やや劣勢か。

 さらに、時間は向こうの味方だ。次の瞬間にも別動隊に背後を取られるかもしれない。

 それを回避するためには、最低でも指揮官である外套(フーデッドローブ)を叩かねばならない。

(分かっているんだけどね……)

 アイズは腐食液の防御。リヴェリアは向こうの魔導士型の『何か』の牽制と、防御で手一杯。

「椿さんを中心に迎撃! 隊列を崩しちゃダメっす!」

「分かってはいるが……!」

 食人花(ヴィオラス)は椿を中心に、ラウルたちでまだどうにか対処できているが――

「ぐああぁあああっ!?」

「ええい! 建て直した端から――ッ!」

 何度目かの魔法。それが陣形をかき乱し、隊列から外れた団員が腐食液の狙撃を受ける。

 無論、アイズの風もリヴェリアの魔法の加護も健在だ。その上でなお即死してしまうほど未熟な団員は連れてきていない。

「ハイ・ポーションの準備、急ぐっす!」

「大盾、次を並べろ!」

 ……が、このままでは物資が底をつく。

 ここで干上がっては、本命の五九階層到達は困難となるだろう。

(遊ばれているな……)

 腕の痺れが治まるまで、再び間合いを図る。

 その間も、前衛型の『何か』は決して深追いしてこない。

 まったく、その余裕に感謝すべきだろう。

 もう二、三発連続で攻撃を喰らえば、防御を崩されているはずだ。

「――――?」

 そう、崩されているはずだ。

 ヒューマンの子供と大差ないこの矮躯では、そう何度も凌ぎ切れない。

 もしここで僕が突破されたなら、戦況は一気に破滅に向かうだろう。

(何故それをしない?)

 考えても見れば、無理に時間を稼ぐ理由はないはずだ。

 ただの一撃で押しのけられるこの矮躯。いかにも非力で貧弱な敵。

 間断なく攻め立てれば、それで瓦解できると分かっているはずだ。

 なのに、何故?

(これはまさか……)

 とんでもない勘違いをしているのではないか。

 未到達階層を目前に、『新種』を引き連れた未知の存在――怪人(クリーチャー)と思しき存在。

 それが呼び出した得体のしれない『何か』。

 それもまたまぎ紛れもれもない強敵だと――

(本当に?)

 仮にそうだとするなら、何故()()()()()()()()()のか。

 今まで、この勘は一度だって外れたことがないというのに。

 

 …――

 

 無論、互いに知り及ぶところではないが。

 勇者(フィン)より早く、彼と同じ疑問を抱いたものがここにいた。

 

 それは、

「おのれ……。あれだけ連射して、何故息切れを起こさないとは」

 例えば名実ともにオラリオ最強の魔導士(リヴェリア)でもない。

「リヴェリア並みの魔法をこうも立て続けに撃ってくるとは、とんだ化け物よ」

 最上級鍛冶師(椿)でもなかった。

(あれだけの威力の魔法を連射して、精神疲弊(マインドダウン)を起こさない……?)

 それは――自他ともに……それどころか神すら認める凡人だった。

 

「次の大盾急ぐっす!」

 壁と言わず床と言わず乱反射して迫る魔法と、防御無効の腐食液。

 団長たちですら手を焼くその脅威を前にすれば、自分など守りに徹するしかない。

 とはいえ、これが下策だという事も分かっていた。

 このままでは押し潰される。

(ヤバい! ヤバいっす!)

 せめてレフィーヤがいれば――と、考えてからさらに自責する。

 そもそもレフィーヤが自分を庇って穴に落ちなければ、戦力が二分されることもなかったのだ。

「んん?」

 レフィーヤ。その名前が、妙に記憶を刺激した。

 いや、彼女個人に何か理由があるわけではない……と、思う。

 そう。確か――

『ここって極振りがいないよな』

 ――と、そういったのは確かクオンさんだったはず。

 ずいぶんと角が取れていたから、多分【猛者(おうじゃ)】との決闘直前頃から、オラリオを出ていくまでの間のことだろう。

『いや、いるっすよ?』

 内情について教えることはできないので――いや、多分ある程度は見抜かれていただろうけど――具体的な名前は挙げなかったはず。

 ただ、例えば純前衛型のガレスさんやティオナさんの顔を思い浮かべていたように思う。

 この頃はまだレフィーヤは入団していなかったけど、今ならその中に彼女の顔も混ざっていたことだろう。

『リヴェリア辺りか? だが、あいつはミノタウロス辺りは杖で撲殺できそうだからな』

 この当時無関係だったレフィーヤの名前が記憶を刺激したのは、すぐ後にクオンさんがそう言ったからかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 だが、今はそんなことはどうでもよかった。

『こう、でたらめな威力の魔術をボカスカ撃ってくるくせに、筋力がなくてロングソードすら満足に振り回せない奴とか、ここに来てからはまだ見ていない』

 それは、『神の恩恵(ファルナ)』の性質的には、ありえない話だった。

 それこそ、レフィーヤは魔力特化型だが、それでもLv.3にまで『器』が昇華された今なら、ミノタウロスを撲殺できる。それもお世辞にも打撃に向いた造りではない杖で、だ。

(いや、まさか……)

 どう考えてもアレはクオンさん側の『何か』だ。

 だとするなら、『神の恩恵(ファルナ)』ではありえないその現象が起こっている可能性も――

(ある、かも、知れない……っすか?)

 もちろん、普通にLv.7相当かそれ以上の怪物という可能性の方が高い……ような気がする。

 決断できずにいると、団長の動きが変わった。

 まるで何かを確かめるかのように――具体的には、今までより一手余計に動いている。

(例えば、クオンさんの言う通り、あの戦士が()()()()()()してたとするっす)

 いつになく、冷静だった。自分でもそう思う。

 その場合、例えば数回大斧を振るえば息が上がってしまう――なんてこともあり得るのでは?

 団長もその可能性に思い至ったからこそ、あえて危険を冒しているのでは?

 だとすれば、あの魔導士も――

「魔剣、一本貰うっす!」

 ――多分、二度はできない蛮行だったと思う。

 バックパックから魔剣を一振り抜き出して、突貫していた。

「何!? おい、ラウル!?」

 リヴェリアさんの声が、背中に聞こえた。

 自分でも何をしているのかよく分かっていなかった。

 ただ、食人花(ヴィオラス)相手に魔剣を振るい、強引に押し返す。

 刀身にヒビが走る。使えるのはもう一回か二回。

「ラウル?!」

 団長の横をすり抜ける。

 もちろん、立ちはだかっていた戦士は素通りなどさせてくれなかった。

 でも――

(お、遅いっす!?)

 迫る大斧は明らかに遅くなっていた。少なくとも、自分(Lv.4)にも躱せる程度には。

「うおおおおおおおおっ!?」

 もっとも、かすめただけで肩の装甲を持っていかれたが。

 だから、口からこぼれたのは、裂帛の気合と呼ぶにはあまりに情けないものだった。

 だが、通り抜けた。なら、後にやることは一つ。魔導士に向かって、魔剣を振るう。

 刀身が砕けた。使用限界だ。

 でも、もう関係ない。愛用の長剣を抜き放つ。

 狙いは爆炎の向こう側。自分の予想が外れていないなら、まだそこにいるはず――

『――――!?』

 そして、充分すぎるくらいの手ごたえが伝わってきた。

 

 …――

 

「ラウル?!」

 リヴェリアの叫びに視線だけ振り返ると、確かに将来の副官候補が迫ってきていた。

 恐怖にやられて発狂した――と、いう事はあり得ない。

 確かに弱気で優柔不断な面はあるが、本当の意味での弱気ではない。

 だからこそ、期待している。

 そして――

(そうか!)

 彼は、クオンと接触して情報を収集してもらっている。

 可能な限り詳しく報告を挙げてもらっているが……それとて、十全ではなかった。

 その時はさして重要とも思えなかった『何か』を今ここで思い出したとしても不思議ではない。

『――――!』

 無論、前衛型の『何か』はラウルを素通りさせるようなことはしなかった。

 だが――

(やはりか!)

 その一撃は遅かった。

 まるで息が上がっているかのように鈍重で大ぶりな一撃だ。

 渾身の一撃を繰り返すような戦い方をするが……やはり、そのための体力が足りていない。

 余裕を見せていたわけでない。逆だ。

 余裕がなかったからこそ、今までこちらにとどめを刺せなかったに過ぎない。

『――――!?』

 それを証明するかのように、魔導士型の『何か』がラウルの一撃のもとに深手を負う。

「なるほど」

 改めて迫る大斧を見据え、息を整えた。

 威力は充分。確実にオッタルの膂力を上回る。

 だが、それだけだ。いや、()()()()()()というべきか。

 ギリギリのところで、半歩ズレる。それと同時、穂先を突き出した。

『――――?!』

 それ自体は大盾に阻まれる。

 だが、もはや動じることなど何もない。一気呵成に攻め立てる。

「どうやら、君の【ステイタス】には極端すぎる差があるようだね」

 言葉が通じているかどうか。伝わったとして、こちらの言わんとすることが理解できているか。

 それは定かではないが、相手からは動揺が伝わってきた。

 なるほど、膂力はLv.7を凌駕する。

 だが、総合的に見れば、この『何か』は決して()()()()()()()。精々がL()v().()()()()か。

 確かに力勝負ではまず勝ち目がないが、それだけだ。

 ならば、勝敗を分けるのは『技と駆け引き』。

 そして、何より――

「アイズ、こい!」

 ――仲間との連携だ。

「はぁあっ!」

 魔導士の援護はすでに途絶えた。

 ならば、アイズが足止めされる理由もなかった。

 そして、

(この敵は()()

 つまり、力押し以外の戦闘に持ち込めばいくらでも対処できる。

 風を纏うアイズの瞬間速度は、【ロキ・ファミリア】最速のベートすらも凌駕するのだから。

 だから、そちらはアイズに任せることにした。

「うわああああっ!」

『死ネ!』

 突魔導士型の『何か』にひたすら剣を打ち込む――その隙に、外套(フーデッドローブ)の指揮官に襲われかかっているラウルの援護に向かう。

『チィ!?』

「だ、団長?!」

「よくやった、ラウル!」

 返す槍で、魔導士型の『何か』の首を刎ねる。

 それで、そちらは霧散した。

 むしろ、あれだけ斬り刻まれながら、首を刎ねるまで健在だったことが驚きだが。

 魔石はない。となると、やはりモンスターではないか。

 しかし、それはさておくとして――

「安心したよ」

『何ダトッ?』

「君達の中でも、力の差は存在するようだね。……それも、随分と極端に」

『ッッ!!』

 この怪人は、話に聞く『人斬り』より……そして、レヴィスより弱い。

 あの赤髪の調教師(テイマー)――いや、怪人(クリーチャー)なら、こうも容易く圧倒できまい。

 まして、アイズとベートを一撃で下した『人斬り』には及ぶはずもなかった。

巨蟲(ヴィルガ)!!』

 怪人が檄を飛ばすが、もはや手遅れだ。

「お前たち、散れ!」

 リヴェリアの言葉に、ラウルを引っ掴み射線から撤退する。

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!」

 再び、吹雪が吹き荒れた。今度はそれを迎え撃つ青い極光はない。

 今この空間を席巻するのは、斜線から外れているというのに吐息は凍り、肺までが痛みだすほどの冷気。斉射された腐食液など、たちまち凍てついて穢れた粉雪となるだけだ。

 無論、巻き込まれた巨蟲(ヴィルガ)食人花(ヴィオラス)に成す術などもはやない。

 おそらく、前衛型の『何か』もそれに巻き込まれたのだろう。

 それとも、アイズが斬り捨てたのか。いずれにしても、すでに姿はない。

「――遅い」

 吹雪の後を追うように間合いを詰めたのは椿。

 鍛え抜かれたその白刃が煌めき――

『ギィ……!』

 氷像もろとも、怪人の右腕を両断した。

『オノレ……!』

 痛痒を見せるより先に、怪人は宙を舞う腕を掴み取る。

 その素早さは目を見張るものがあった。

食人花(ヴィオラス)!』

 そして、やはり人の常識では測り切れない。

「何ッ!?」

 外套姿の怪人が打った次の一手を見れば、そう判断するしかない。

 その怪人は食人花(ヴィオラス)に自分を丸のみにさせたのだから。

 無論、本当に飲み込まれたわけではあるまい。

 その巨大な口の中に隠れただけのはずだ。

 だが、

(どれだ?!)

 同じような外見の食人花(ヴィオラス)はたちまち入り乱れ、どれが怪人を隠しているのかとっさに見極められない。

 三つのカップと一枚の硬貨を使った賭け――一無作為に並び替えて、どのカップに硬貨が入っているかを当てるそれ――なら、駆け出しの頃、ロキに付き合って何度かやったことがある。

 無論、当時から全勝できた。Lv.6となった今ならこちらから提案してもロキが嫌がるほどだ。

 が、あれとは動かされる早さが圧倒的に違う。

 加えて、全てが同時に動き出しているし、何より最初の食人花(カップ)に今も硬貨(怪人)が入っているという保証すらない。

 これでは、流石に追いきれない。

(それなら、こちらも盤をひっくり返すしかないが……)

 ラウルが構えていた魔剣はすでに砕けた。

 今からでは、流石のリヴェリアも詠唱が間に合うまい。

 僕の魔法は広域をまとめて薙ぎ払うには向かない。

 と、なればやはり――

「アイズ!」

「リル・ラファーガ!」

 返答はその叫び。何よりも、水平に奔る大竜巻だった。

 とはいえ、初撃と違って『発射台』を用意できていない。

 発動が少し遅れたのは致しかたないことだ。

 ……おそらく、その刹那のズレがあちらの味方をしたのだろう。

「外套、だけだと?」

 アイズの風に蹂躙された食人花(ヴィオラス)の群れの残骸。

 そこから回収できたのは引き裂かれた外套(フーデッドローブ)だけだった。

「なんと。あの嵐の中を逃げ延びたというのか?」

 なんという早業。いや、逃げ足の速さだ――と、椿が渋面を作る。

 だが、彼女の言う通りだ。

 まさかあの一撃で魔石を砕かれ消滅した――と、楽観する気にはとてもなれない。

「ごめん、フィン」

 と、アイズは目を伏せ謝ってから。

「追いかける?」

 そう、問いかけてきた。

 これはこの場にいる全員の代弁だろう。

 少し考えてから、首を横に振った。

「いや。このまま五八階層に向かい、ガレス達と合流する」

 考えるまでもないことだった。

 異常事態(イレギュラー)ならば、まず間違いなく五八階層でも起こっている。

「あの怪人(クリーチャー)の襲撃以前から狙撃がまばらだった。おそらく、下でも何か起こっている。このまま戦力を分散しておくのは危険だ」

 戦力ならあちらの方が充実しているとすら言えるが……その分、物資に乏しい。

 一方、サポーターを抱えているこちらは物資はともかく戦力に難ありと言わざるを得ない。

 このままあの怪人(クリーチャー)を深追いし、再びあの赤黒い『何か』に――それどころか、レヴィスや『人斬り』に襲撃されるようなことになれば、最悪は全滅もあり得た。

「分かった」

 と、アイズが再び全員を代表して頷く。

 その頃には、すでにリヴェリアが隊列を立て直していた。

(装備の消耗が少し激しいな)

 腐食液を浴びたサポーターたちの鎧はいくらか欠落している。

 さすがの椿でもここで修復作業は行えまい。

(ガレス達と合流して、連結路でなら何とかなるか?)

 今の時点で階層すら無視してくるモンスターが出現している。

 そして、五八階層から先は元から未知の領域だ。無論、情報収集は怠っていないが……しかし、充分ではない。安易な見通しなど、このダンジョンでは命取りにしかならないのだ。

「一気に駆ける。遅れるな!」

 ならば、せめて戦力を整えておくべきだろう。

 何が起こっても、それで対応できる……か、どうかは神――リヴェリアがいないのを良いことに、今頃ホーム(下界)で飲んだくれているであろう(ロキ)ではなく、今も天上から下界を眺めているであろう超越存在(かみ)――のみぞ知るといったところだが。

 

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、評価いただいた方、感想を書き込んでいただいた方、ありがとうございます。
 次回更新は1月下旬から2月上旬頃を予定しています。

―あとがき―

 遅ればせながらですが、皆様、明けましておめでとうございます。
 本年も変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
 
 続けて、感謝を。
 お気に入り登録が350を超えました。
 皆様、本当にありがとうございます。
 そして、これからもお付き合いいただければ幸いです。

 さて、そんなわけで。
 前回の本編に続き、今度は外伝の発売日に更新という……。
 今回は何を書いても深刻なネタバレになりそうなのでコメントは自重します。
 ……が、次回の更新で多分、少なくとも一言だけは叫ばせていただくかと。
 
 と、前置きはここまでにして。
 
 そんなわけで、『墓王の眷属』が奥義『死の瞳』解禁です。
 オーブの時と同じく、ゲームとは設定を変更しています。
 ただ、生み出される状況的にはそこまで酷く乖離してはいない……と、思っているのですがいかがだったでしょうか。
 
 ダークソウルとのクロスオーバーですから、例えば原作の14巻のように、主人公をこれでもかと追い詰めていきたい――と、毎回思うのです。
 では、本作主人公にとって窮地とは何か。
 一つ――いえ、二つの答えとして『死ねないこと』と『何かを守らなくてはならないこと』を挙げてみました。個人的には、どちらも不死人には経験がない状況だと思います。
 もちろん、素性が騎士などならまた話は変わるでしょうが、本作主人公の素性は放浪者ですし。
 それに、『死んで覚える』のが不死人ですからね。
 他に『数の暴力』もありますが……それはもはや宿命というかなんというか。
 
 一方で、仮面さんは闇霊ガチャで爆死中。
 いえ、極振りを馬鹿にしているわけではありません。
 今回は『技と駆け引き(プレイヤースキル)』でも劣っていたという事で一つ。
 別に初めてプレイした時、とりあえず攻撃力さえあればどうにかなる!――とか、単純に考えて筋力に極振りし、見事に序盤で詰んだことがあるせいではありません。ええ、断じて。

 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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