55 天空の死闘
「おどろいたな。本当に実行するとは」
「アハハ! おにいちゃん、やっぱり頭おかしいよね!」
空高く飛翔していくクロ・クロイツァーを、地上から見上げるのはマーガレッタとデオレッサだった。
「作戦を聞いたときは半信半疑だったが、うまく乗るものだな」
マーガレッタは振り抜いていた剣を鞘に戻した。
納剣の金属音がキィンと響く。
いつもより激しい音が鳴ったのは、自覚できていない高揚のせいか。
興奮冷めやらぬ様子で、マーガレッタはクロを見る。
「まさか『斬空』に乗っていくとは」
「冗談かと思ったよね!」
敵は50
クロが提案したのは、特級のスライムを直接叩き落とすことだった。
クロを、『斬空』と共に打ち放つ。
なるほど、たしかにそれなら空の上まで飛んでいける。
しかし言うのは簡単だが実行するのは現実的じゃない。
あの雲までの距離なら、人ひとりを飛ばすことはマーガレッタなら造作もない。
問題はクロの方だ。
マーガレッタの剣に乗り、空の上まで飛ばされる。
それはまさしく大砲の弾に乗るがごとしの難行である。
不可能を可能としたのは、クロが不死であること。
そして、彼の類い希なるバランス感覚があってのことだ。
これはもはや曲芸の域だ。
マーガレッタは思う。
エーテル技『水渡り』を見ただけで会得したのも、いまなら納得できる。
英雄を目指しているであろうクロが聞いたら怒ってしまうかもしれないが、彼に天性の資質があるのだとしたら、おそらく大道芸の花形だ。
やることなすこと度肝を抜く。
尋常の思考をしていない。
彼の行動にはおどろかされるコトばかりだ。
それを心のどこかでおもしろいと思ってしまっている自分がいる。
次に彼が何をするのか、期待してしまっている。
この感覚には覚えがある。
遠い昔、おとぎ話で読んだ
数々の強敵と闘い、そしていくつもの人を救う物語。
はやく続きが読みたいと、わくわくしながら本のページをめくった過去の自分。あるいは、伝説を紡ぐ
レリティアの住人なら誰しもが覚えがあるだろう。
それはエルドアールヴの物語。
強敵を倒すその英雄の姿に、少年たちは確かな憧憬を抱き。
人々を守るその英雄の姿に、少女たちは密かな恋情を抱く。
彼は、そう。
クロ・クロイツァーは、そっくりなのだ。
あの大英雄に。
エルドアールヴに。
どこが、とは具体的には分からない。
彼ならやってくれる。
彼なら何とかしてくれる。
そういうところ。
「頼むぞ、同志クロイツァー」
あえて言葉にするなら、『希望』だ。
人類の希望であるエルドアールヴ。
それに匹敵する『何か』を、クロ・クロイツァーは持っている。
◇ ◇ ◇
風切り音がすさまじい。
天の先に向かって、とてつもない速度で飛んでいる。
クロが手に持つのは、いつの間にか愛用の武器となった
「――――ッ」
激痛からの苦悶の声を噛み殺す。
半月斧に付与されているのはデオレッサの雷だ。
紫電色の光の尾を引きながら、まるで彗星のごとく特攻していく。
ありあまるほどの電熱で、斧本体は赤く変色している。
それを持っているこの右手は、見事なほど真っ黒に焼け焦げてしまっている。
手がボロボロに崩れる寸前で、不死の副次効果による『再生』を繰り返す。
神経が焼き切れ、再生し、また焼かれる。
尋常を超えた痛みがクロの脳内で警告を繰り返し、視界は真っ赤に明滅している。
地獄のような苦しみのなか、クロが眼前の敵をとらえる。
夜の闇よりも暗い、漆黒の雲。
デオレッサの魔法とマーガレッタの戦技を立て続けに受けている。
それにより、かなり弱々しくなってはいるが、不気味で禍々しい気配は健在だ。
「お前が、魔物の親玉かッ!」
特級の魔物。
このグレアロス砦に攻め込んできた魔物の大群、その総大将。
漆黒の雲をかき分けるように、人型の黒い影が姿を現わす。
その瞳はギラギラと真っ赤に光っている。
大きく裂けた口が何かを叫んでいるが、風の音で相殺されてよく聞こえない。
しかし、こちらに対して敵意をブチまけているのは目に見えて分かった。
「――さぁ、いくぞ」
電熱を帯びた半月斧を強く握る。
ここから先は失敗できない。
このチャンスを逃せば事態は悪くなる一方、いや、何もかもが終わってしまう。
ここで自分が倒さなければ、もうこの魔物を倒す手立てが無い。
デオレッサが言うには、エリクシアの体はもう限界に近いらしい。
普段の魔法とは一線を画す大魔法。
悪魔召喚を使えるのは1日に1回が限度。
魔力はグリモアから無限に与えられるが、エリクシアの体は普通の少女と何ら変わりない。そんな大魔法に耐えうるほど頑丈ではない。
体もそうなら精神も同じこと。
だからこそデオレッサが現れて、エリクシアの肩代わりをしているのだという。
マーガレッタも消耗している。
『斬空』を連続で放ったあの奥義。
エーテル消費はすさまじく、しばらくは体が思うように動かないだろう。数分間か、はたまた数時間か。いわゆるクールタイムというやつだ。
つまるところ、この魔物を相手取るべきはクロ・クロイツァーただひとり。
無茶無謀は承知の上。
戦技を覚え、使いこなせるようになったとはいえ、しょせんは若輩に毛がはえたようなもの。
特級を相手取るなんてまだまだ時期尚早。
仲間の手助けがなければ、特級の前に出ることすらできない分際。
実力的には英雄なんてほど遠い。
それでも。
それでも、闘う。
「……よし」
クロはここまで自分を運んでくれた『斬空』を、裸足の足先で感触を確かめる。
凝縮されたエーテルには触れる。
それは悪魔として出現した水竜の体に乗ることですでに体験している。
飛ぶ『斬空』の上に乗り続けるのも、『水渡り』の要領でなんとか耐えられた。
己の持ち得る全知識、全技術を余すことなく使ってここまで来た。
あとは、闘って勝つだけだ。
「――――ふッ!」
その『斬空』を、敵に向かって蹴り飛ばす。
乗れるのなら、蹴ることも可能。
これが初手の一撃。
クロからの、宣戦布告の攻撃だ。
「ハッ! ナメんなッ!!」
人型の影が凶悪な笑みを浮かべて、腕を振るいその『斬空』を弾き飛ばす。
攻撃失敗。
クロの勢いは止まらない。慣性の法則に従って敵へと向かっていく。
「覚えとけ、オレさまの名はウートベルガだッ!!
よろしくなァ、クロ・クロイツァーッ!」
「…………ッ!?」
雲から出てきた人型の影――ウートベルガが気炎を吐く。
なぜこの魔物が自分の名前を知っているのか、一瞬、動揺した。
「そしてさよならだッ!」
「……ッ…………あ、え?」
ウートベルガの鋭い指が、馬鹿正直にまっすぐ突撃するクロの体を貫く。
ノド、心臓、みぞおち、脇腹、そして武器を持った方の右肩。
それぞれの部位を刺し穿たれた。
「……ガハッ」
身をよじって回避することすらできなかった。
ウートベルガが伸ばした指の速度と、自分が向かっていく速度とが合わさっていたのだ。仕方のないことかもしれない。
「…………ッ」
霞む視界のなかで、ウートベルガが勝利の笑みを浮かべているのを見た。
当然だろう、普通の人間ならコレで即死だ。
「オイオイオイ、あっけねェなァ。
やっぱりただのゴミじゃねェか!」
ウートベルガは刺し貫かれ続けて近づくクロを、そのまま迎え入れる動作を見せる。
クロの死に様を近くで見て、あざ笑うつもりだろう。
――計画通りだ。
クロは逆に勝利を確信した。
反撃が来るなんてものは想定内。
できれば一撃で仕留めてもらい、油断してくれれば幸いと考えていた。
ほとんど無い可能性だが、一番やられて困るのは、逃げられることだった。
『斬空』で飛んでいく自分には空中で方向転換するすべがない。
ウートベルガに逃げられてしまったら、それこそ空まで飛んだ意味がなくなってしまうところだった。
しかし、作戦は成功した。
クロを殺したと錯覚したウートベルガは、自分のふところに入ることを許している。
まさかクロが『不死』だとは思うまい。
このまま最大威力の戦技で、一発でウートベルガを仕留めてみせる。
クロは貫かれた痛みを堪えて時を待つ。
そして、油断のままにクロを迎え入れようとしたウートベルガは、
「――――ッ!?」
クロの体を貫いている指を、自分で
「テメェ、生きてやがるなッ!?」
異常なまでの警戒心。
スライムの
「…………ッ」
「ナメんなよ、オレさまに小細工は通用しねェッ!!」
液状の生物であるスライム。
体の一部を切り離したとしても痛みは無いだろう。しかし、スライムの体も無限にあるワケじゃない。指の部分とはいえ、喪失感は多分にあるハズだ。
クロも何度か経験した。
痛み以上に、体の一部を喪失するという不快感はすさまじい。
それはスライムであっても同じこと。
しかしウートベルガがそれを躊躇なくやってのけた事実に、クロは戦慄した。
空の上に隠れ潜み、毒をまき散らしていた行動から推察して、痛みをおそれ、自分の手を汚さず、安全な場所から高みの見物をするタイプかと勝手に想像していたが、さすが特級と言うべきか。
自身の傷を厭わないタイプ。
この相手は、生粋の戦士だ。
やはり、尋常な相手じゃない。
「いきなり捨身の攻撃ってか? ハッ、なかなかイカレてやがんなッ!」
ウートベルガが真っ赤な目をギラつかせる。
2人の距離が近づく。
小細工はもう効かない。
方向転換はできない。
まっすぐ敵に向かって飛んでいく。
「来やがれッ」
ウートベルガは迎え撃つ気だ。
やがて互いが互いの間合いに入り――
「ハアアアアアアッ!!」
「オラッ!!」
――半月斧と豪腕が激突する。
「ぐぅぅ……ッ」
強い。
信じられない。
『斬空』に乗ったスピードからの突進力、そして半月斧での全力の振り下ろし。
ウートベルガはそれを、ただの力任せの振り上げで、この体を半月斧ごと弾き飛ばしてきた。
なんという力か。
これがスライム?
冗談じゃない。
ヴォゼにも引けを取らない怪力だ。
「人間のクセにやるじゃねェか!!」
ウートベルガは「ケッケッケ」と笑いながら、さらに空高く舞い上がったクロを睨む。
「お前も、スライムのクセにやるじゃないか」
「ハッ」
眼下のウートベルガを見下ろして、クロも精一杯の虚勢を張る。
内心の驚愕を悟られてはいけない。
「今度は外さねェぞ」
雲の上に立つ格好になったウートベルガが、まっすぐに指を向けてくる。
その狙いは――
「ココなら、間違いはねェだろ?」
――クロの
心臓なら狙いがズレる可能性もあるだろう。
だがココだけは、頭だけはどうにもならない。
「――――――――」
気づいたときにはもう刺さっていた。
クロの脳天を貫く、ウートベルガの鋭い指。
的確な攻撃だ。
ああ、たしかに人間を即死させるならこれ以上無いぐらいにベストな部位だ。
しかし、クロには通じない。
「――つかまえた」
脳天を貫く指をがっしりと掴む。
額から流れる血は、吹き荒ぶ風によって散らされていく。
「…………は?」
今度はウートベルガが戦慄する番だ。
絶対に殺したと思った相手が生き返ってきた。ウートベルガといえど、その埒外な事実におどろきを隠せない。
しかも、
「今度はお前が向かってこい」
がっしりと掴んだウートベルガの指を、縄を引くように、渾身の力で引き寄せる。
「うおおおおおおおおッ!?」
指を切り離すなんて猶予は与えない。
額に刺さるほど固められた指は容易なことでは切れやしない。
雲もまたウートベルガの体の一部なのだろう、一緒に引き上がってくる。
クロは半月斧を握り直し、次の攻撃に備える。
「……そ、そんなバカなッ! なんで死にやがらねェ……ッ!
なんだテメェ、なんなんだテメェは……ッ!!」
ウートベルガは暴れるが、それでも引き寄せられる力には抗えない。
度重なる『死力』によって、クロもまた尋常ならざる怪力を有している。
「……テメェまさか、『
「当たり」
ようやく、この瞬間が来た。
ウートベルガの想定外の動きに翻弄されたが、千載一遇の好機をもぎとった。
すなわち、戦技『薪割』――その一撃を与えられる条件を整えること。
――貴公の戦技は『無属性』の攻撃だ――
地下牢の看守室で、マーガレッタがそう教えてくれたのを思い出す。
食事中でのことだ。
悪魔の話、エリクシアの話、グリモア詩編の話。そしてジズの話が終わったあと、クロはマーガレッタに戦技の講義を受けていた。
エーテルの使い方、その闘い方、それらもろもろ何も分かっていない自分が、エリクシアを守るためにどうすればいいのか、グレアロス砦で最も強い彼女に教えを請うのは当たり前の流れだった。
デオレッサの滝でヴォゼに使った技は、他に類を見ない新しい『戦技』なのだという事実もここではじめて知った。
『薪割』という名をつけたのは、その会話をおもしろがって聞いていたガラハドだ。
普通、攻撃というものはさまざまな『属性』に当てはめられる。
分かりやすいのは魔法だ。
エリクシアが使っていた氷を扱う魔法の『水属性』。
あるいは炎を操る『火属性』など、大別すると8属性が存在する。
詳細としては、火水土風光闇、そして念と無だ。
魔法として扱われる前6つは、精霊が宿るとされている自然現象である。
魔法ではない『念属性』は、その名のとおり思念の力。
エーテルの力を使った武具での攻撃――すなわち『戦技』だ。
エーテルを剣技によって飛ばすマーガレッタの『斬空』も、エーテルを剣に付与して斬撃を見舞うシャルラッハの『斬鉄』などの戦技も、すべて『念属性』に属することになる。
そして最後の『無属性』。
これはハッキリ言うと、ただの殴打や斬撃のことである。
エーテルを一切纏わない、力任せの攻撃だ。
クロの『薪割』は、シャルラッハの『雷光』と非常によく似ている性質らしい。
攻撃を重ねることで、その威力を増していく『薪割』のエーテルが作用するのはあくまでクロ自身の体だ。
同じく、神速の突進を実現する『雷光』もまた、シャルラッハの足にエーテルが作用している。『雷光』での攻撃が『念属性』になるのは、剣が折れないように、彼女がエーテルを武器に纏わせているからだ。
それは単純に威力の底上げという意味でもあるし、そうしないと『雷光』の度に武器を新調しないといけなくなる。
そんなエーテル技術を知らないクロこそが未熟だとも言えるだろう。
――我には、魔法は効かぬ――
思えば、未熟だったからこそ、ヴォゼに『薪割』の攻撃が効いたのだろう。
ヴォゼのアレはつまるところ、エーテルを使う攻撃のすべてを無効化、あるいは軽減する『特性』なのだろう。
そして、今回の相手はスライムだ。
スライムの『特性』は、エーテルを使わない攻撃の無効化にある。
その体は液状で、ただの殴打や斬撃では、殴ったり斬ったりはできない。
『無属性』攻撃への絶対的耐性。
それがスライムの生まれ持った『
不定形の魔物には『属性攻撃』しか通らない。
ウートベルガも例に漏れないだろう。
ヴォゼとは対照的な性質だ。
エーテルを覚えて数日。まだ巧く扱えないクロにとっては最悪と言っていい相性の敵だった。
そこでクロが提案したのが、デオレッサの魔法による『属性付与』だった。
デオレッサと水竜が使っていた『雷』は、細分化された属性として『雷属性』と呼ぶこともあるが、正確には光と火の『複合属性』となる。
雷の魔法を半月斧に撃ってもらい、帯電させた状態でウートベルガに攻撃する。
そうすれば、シャルラッハが使っている、エーテルを武器に付与する効果と同様のものになる。
「…………」
クロは半月斧を握る自分の手を見る。
焼け焦げて炭化する寸前で、再生して、また焼けている。それの繰り返し。
デオレッサの雷は、クロを常に攻撃し続けている状態になっている。
エリクシアではこれを実現するのは不可能だった。
彼女なら、クロに攻撃することはできないだろう。
不死のハズなのに、クロが傷つくのを酷く嫌っていた
あのコは性根が優しすぎる。
聖女と、そう呼べるほどの精神性だ。
逆に、この提案をしたときのデオレッサの喜び様は、むしろこっちが不安になるほどだった。
遠慮容赦がまったく無い雷の魔法をなんの躊躇もなく、満面の笑みで半月斧に浴びせかけてきた時は、さすがのクロもトラウマになりかけた。
機会があれば、デオレッサに道徳の心を教えなければならないと切に思う。
危ういところもあったが、かくして準備は整った。
これまであったさまざまな要因を引っさげて、クロ・クロイツァーはウートベルガと対峙する。
「――――」
半月斧を天高くかざす。
紫電の光を放ちながら、武骨な半月斧が闇夜を照らす。
◇ ◇ ◇
戦場の真っ只中にいたアヴリルは、異変に気づいて空を見上げた。
「月……?」
アヴリルの瞳に、稲妻色に染まった『半月』が映る。
神々しいまでの輝きは、まさしく人狼の聖地に相応しい。
けれどアヴリルは知っている。
それが本当の月ではないことを。
「まさか……そんな」
驚愕のままに、アヴリルがつぶやく。
そんなバカなことが。
たしかに確認した。
たしかに彼は死んでいた。
心臓の鼓動は永遠に止まっていたハズだった。
間違いようのない事実。
動き出すハズがない。
生き返るワケもない。
「クロイツァー殿」
教会で安らかに眠っているハズの彼が、そこにいる。
あんなにも雄々しく、あんなにも逞しく、空の上で強敵と闘っている。
興奮とはまた違う昂ぶりの感情がアヴリルのなかに渦巻いていく。
「クロイツァー殿、クロイツァー殿ッ!!」
彼に聞こえるハズもないが、気がついたら何度も何度も彼の名を呼んでいた。
死んだハズの彼が蘇った。
奇跡としか言いようがない。
空の上のその闘いを、アヴリルはまるで眼をキラキラさせた子供のように凝視した。
一方、戦場から少し南東に外れた場所で、シャルラッハは何気なく空を眺めた。
ハイドラゴンとの闘いから戻り、再び戦場へと繰り出そうとしていた矢先のことだった。
「……ふ、ふふ」
そこにある姿は見えなかったが、シャルラッハには
笑いが堪えられない。
嬉し涙が止まらない。
「アハハハハッ!
ウソでしょう? あなた、死んでいたじゃないですの」
デオレッサの滝から帰る途中で、背負っていた彼の鼓動が消えていくのを、この身で感じている。
教会で、彼の死を何度も確認した。
開かない眼。動かない口。
冷たく、体温のない硬くなった肌をいまでもこの手が覚えている。
「なんでそこで元気に闘ってるんですの!」
ポロポロと流れ出る涙をぬぐいながら、泣き笑いのような声でシャルラッハが空の彼に問う。
「人の気も知らないで。まったく……」
まったくもって信じられない。
その姿を見て、さっきまで疲れ果てていた自分に活力が戻っているのもまた、信じられない。
「何があったか、あとでぜんぶ聞かせていただきますわっ!」
そう言って、シャルラッハは再び戦場へと返り咲く。
雷光のように、華やかに。
◇ ◇ ◇
空の上の決戦は佳境に入る。
クロ・クロイツァーが斧を振りかざす。
「戦技『薪割』――」
頭上に構えられた半月斧は、雷を
力を最大に込めて、両手で柄を握りしめる。
「オオオオオッッ!!!」
それを見て、ウートベルガが吼えた。
逃げ場はない。
真正面からこの一撃を凌ぐつもりだ。
ああ、できるものならやってみろ。
雷属性の戦技。
自分のすべてが込められた、この一撃を。
英雄への渇望の具現を。
諦めることができなかった弱者の意地を。
止められるものなら止めてみろ。
「――『
全力で振り下ろす。
強烈極まりないその一撃は、防御するウートベルガの腕をへし折り、その体に届く。
これこそはクロ・クロイツァーの必殺技。
ガラハドが地下牢で、クロの戦技に『薪割』と名付けたのにも意味がある。
名は体を表し、無秩序に流れるエーテルの方向性を決め、より強力な威力を得る。
そして、言霊となったそれを紡ぎながら放たれる技はこれまでの比ではない。
マーガレッタとガラハドにそう教えられた。
『薪割』をさらに細分化した技の名を決める時、クロは自然と頭に言葉がよぎった。
大斧での攻撃で、大きな技といえば3つだ。
『薙ぎ払う』か『叩き潰す』か『打ち上げる』か。
このうち、クロがこの慣れない半月斧でできるコトといえば前者2つだった。
そして名付けたのが、薙ぎ払いの大技『
そしてこの、叩き落としの大技『
何を考える間もなく出てきた名前。
自分でもどうしてそんな名が思いついたのかは分からない。
おそらく理由としては、動作のイメージがピッタリだったのだろう。
木を横から何度も叩く、
鉄を上から何度も叩く、鍛冶の仕事。
マーガレッタやエリクシアからはテキトーすぎると言われてしまったが、シャレた名前をつけられるセンスなんてクロには無い。
でも、これでいいと思った。
気に入ってしまった、と言ってもいい。
そうして直感に従い、自分だけのオリジナル技を編み出した。
それが功を奏したのは、その威力を見るに明らかだった。
「グォアアアアアアアアアアアッ!?」
ウートベルガの体に深々と斬り込んだ半月斧。
帯電していたデオレッサの雷が、その衝撃によって大きく弾けて周囲を照らす。
その尋常ならざる威力によって、ウートベルガがすさまじい勢いで落下していく。
「ナメんじゃ……ねェぞォオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
しかし、ウートベルガは歴戦の猛者。
空から落下しながらも、その戦意に揺らぎは微塵も無い。
「……今のでも、仕留められないのか……ッ」
なんたる耐久力か。
デオレッサの雷付与をした、全力を込めた『薪割』の一撃でも倒すに至らない。
特級の魔物のすさまじさを痛感する。
「ハァ……テメェも……ッ……落ちやがれ」
ウートベルガはクロの額に突き刺さって貫通したままの指を、いつの間にか鉢巻きのように巻き付けていた。
「うあ……ッ!?」
ウートベルガに引っ張られて、クロもまた真っ逆さまに落ちていく。
「不死で……殺せねェなら、食ってやる……ッ」
下方向への急激な負荷のなか、ウートベルガの指が縮まっていく。
両者の距離も同じように縮まっていく。
「細切れにして、オレさまの腹ん中に閉じ込めてやる。そうすりゃ……死んでても生きてても同じことだろ……?」
「…………ッ」
マズい。
コイツ、発想がヤバい。
とんでもないコトを考える。
おそらく瀕死手前の状態で苦しまぎれに思いついたコトだろうが、『不死殺し』としては上出来すぎるやり方だ。
対象を自分の体に取り込んで即座に吸収、消化していくのがスライムの捕食だ。
もし不死の自分が捕食されればどうなるか。
毒の体であるウートベルガの体内で消化される。
スライムの消化は異様に早いと聞く。
消化で溶かされた体を『再生』したとしても、すぐにまた消化されてしまうだろう。
戦技の威力でないとダメージがほとんど通らない防御力を持つウートベルガだ。体内からの脱出はまず困難と思われる。
ウートベルガに食べられた時点で終わりだ。
エーテルが無くなるまで延々と養分になってしまう。
そのあとはもう悲惨だ。
再生もできず、脱出もできず、死ぬこともできず、ウートベルガの体の一部となってしまう。
「クソマズそうだが、そこは我慢してやるよ……ッ!!」
ウートベルガの腹部がガパッと大きく開かれる。
現れたのは、まるで食虫植物のような口だ。
これに囚われたら万事休すだ。
「…………ッッ」
捕食されるという事実に、クロの本能が最大限の警告を放つ。
おそろしい、というよりも、おぞましい。
「………くッ、そ……」
ウートベルガの指の収縮は、クロの抵抗を阻害する。
身動きのし辛い空中で、慣れない負荷をかけられて、まったく動きがとれない状況に陥っていた。
2人の距離はどんどん縮まっていく。
邪悪の象徴のようなウートベルガの大口が迫ってくる。
そこへ、
「――――ガッ!?」
突然の乱入があった。
ウートベルガへの強烈な一撃。
「――――え?」
こんな空の上、急落下している2人に割って入るもの。
それは『斬空』だった。
「……ッッ、あの女の仕業かッ!!」
「副団長……っ」
窮地を救ったのは、地上にいるマーガレッタが放った攻撃だ。
それを理解して、クロは気づく。
自分が独りで闘っているワケではないことに。
自分は弱者だ。
実力では決して特級の魔物には勝てないことは分かっている。
そんなコトは最初から知っている。
現に、不死じゃなかったらウートベルガの初手の一撃で死んでいる。
そもそも、こんな空の上に辿り着くことすら不可能だった。
誰のおかげでここまで来られたのか。
そう。
仲間のおかげだ。
頼もしい仲間が
こうやって自分を援護してくれる。
ああ、それは。
なんて心強いことか。
「……………ッ!!」
声なき声で雄叫びを上げ、半月斧を再び振りかぶる。
デオレッサの雷付与は健在だ。
クロの戦意に呼応するかのように雷が激しく光る。
ウートベルガとの距離はもう目の前だ。
すでに互いの間合いに入っている。
「……チッ、油断も隙もねェなッ!!」
割って入った『斬空』によって意識が逸れていたウートベルガがこちらへと向き直る。
そんなことはお構いなしに、クロはまっすぐに半月斧を振り下ろす。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
必殺の名を呼ぶ余裕は無い。
ただ戦意のままにクロは猛る。
計3度目の『振り下ろし』。
クロの『薪割』は同じ攻撃をすればするほど威力が高まっていく。
これはヴォゼ、そしてキュクロプスを打倒した時と同じ回数の重撃だ。
当たればウートベルガといえどタダでは済まない。
「ハッ、ボケがッ!」
クロの攻撃が当たる寸前。
ぐにゃり、とウートベルガの体が変形する。
「そう何度も同じ攻撃を食らうかよッ!!」
液状の体がここに来て脅威を見せる。
自由自在に体を変形させて、クロの攻撃を避けたのだ。
「さあ、おとなしく食われろやッ!!」
ウートベルガの体の口が、信じられないほど大きく開く。
口内、その上下左右には凶悪なほどに尖った牙が、獲物を迎え入れようと邪悪に輝いている。
「――『
クロが呟く。
そして振り下ろしの反動そのままに、くるりと宙を一回転。
「――――なッ」
ウートベルガがはじめて、恐怖にひきつった声を上げた。
なぜなら、いま一回転したクロから、強大極まりないエーテルの波動を感じたからだ。
「くらえ――」
空振りした半月斧がクロと共に一回転をして、頂点に達する。
そして、間髪容れずに、再び『振り下ろし』の攻撃が放たれる。
「待――――ッ」
これより行われるのは四度に渡って重ねられた振り下ろしの一撃。
二重から三重になるだけで、すさまじいほど威力が上がる『薪割』だ。
クロ自身でさえコントロールが効かないほどの破壊力が、この半月斧に溜まっている。
「――『
ズドンッ、と。
ウートベルガの腹に半月斧を食い込ませる。
「――――ぐぶッ」
尋常じゃない剛撃。
爆弾よりも激しく。
巨人の一撃よりも重く。
落雷の衝撃よりもなお強く。
幾重もの魔法を凝縮したかのような、超威力の攻撃。
そのままウートベルガを引っかけたまま、地上へと急速度で落下していく。
クロは全力以上の力を込めて、
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
地上へ向けて、ウートベルガを叩きつけた。
半月斧に付与されたデオレッサの雷が、最後の輝きを放つ。
衝撃の度合いがすさまじすぎて、もはや音にもならない大爆発が起こった。
「ハァ……ハァ……ハァ…………」
しばらくして、クロが立ち上がる。
周囲を見ると、まるで霧のように、土の粉塵が立ちこめている。
「これ……は……」
地面を見ると、『薪割』の衝撃で大地がえぐれていた。
まるで隕石が降ってきたかのような巨大なクレーターができている。
自分はその中心、もっともえぐれている爆心地にいた。
まさしく『
四重の攻撃のすさまじさに、クロ自身もおどろいていた。
幸いにも、マーガレッタに言づてに来た伝令兵に、『黒い雲の真下周辺から離れろ』という副団長命令を他の兵士たちに伝えさせている。
あれから随分時間は経っている。
この近くにグレアロス砦の兵士たちはいないハズだ。
万が一の事態に備えてのマーガレッタの判断だったが、彼女の先見には頭が上がらない。
「…………」
あらためて周囲を見る。
このあたりの魔物はいまの衝撃で吹っ飛んでしまっているようだ。
半月斧はすぐ近くの地面に突き刺さっていた。
デオレッサの雷付与は消えている。もうエネルギーのすべてを使い切ってしまったのだろう。
「……ああ、またこうなるんだ……」
自身を見て、クロが言う。
両腕が無かった。
消し飛んでいる。
戦技『薪割』、その四重の衝撃に、自分自身の体が耐えられなかったのだ。
捨身の攻撃にもほどがあるだろう。
「……『薪割』を使うなら、三重までだな」
再生しつつある腕の痛みに耐えながら、クロはもう『次の闘い』を考えていた。
「アガ……ッ……ぐゥ……」
「っ!?」
声が聞こえて、クロは自分の足下を確認する。
そこには真っ黒な水たまりがあった。
「ウートベルガ、まだ生きてるのか」
「ケッ、ケケケ……」
もはや人型にもなれないほど損傷しているのか、水たまりのままでウートベルガが笑う。
「……やる、じゃねェか……テメェ……」
「…………」
「……まさかオレさまを、倒しちまうなんてよ……。
いいぜ、認めてやるよ。テメェは、ゴミじゃ……ねェ」
ようやく。
やっとの思いだ。
デオレッサの魔法、マーガレッタの戦技、そして度重なる『薪割』での攻撃。
ここまでして、ようやくウートベルガを撃破した。
「……テメェが……『
水たまりとなったウートベルガは、ゆらゆらとその水面を震わせる。
しかし、何も起こらない。
「ああ、ちくしょう、もう『同期』すらできねェ……。悪ィな兄弟、先に逝くぜ。まったくよォ……損な役割をしちまった……ぜ…………」
その言葉を最期に。
完全に、ウートベルガが息絶えた。
「…………ハァ」
クロはばたりとその場に倒れた。
特級の魔物を倒した。
この魔物の軍団の、親玉を倒したのだ。
「……疲れた……。特級の魔物っていうのは、こんなに強いやつらばっかりなのか。先が思いやられるなぁ……」
特級のオーク、ヴォゼ。
特級のスライム、ウートベルガ。
どちらも信じられない怪物だった。
魔境『アトラリア』には、あんなやつらが山ほどいる。
自分は、それらをなぎ倒しながら『最奥』まで行かなくてはならない。
「ハァ……」
まったく先が見えない未来を想い、
クロは今日何度目かの大きなため息を吐いた。