ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

ホワイトヘッド「セレブリティ・アット・ホーム」(1886年)
閉じる
閉じる

ホワイトヘッド「セレブリティ・アット・ホーム」(1886年)

2017-06-13 02:36

    現存するなかではホワイトヘッドによる最初の著作物です。未邦訳だと思います。

    ケンブリッジ大学の週刊新聞『Cambridge Review』1886年2月10日号に掲載されたものです。このとき24歳(正確には、満25歳になる五日前)。ケンブリッジ大学トリニティ学寮の特別研究員(フェロー)に選ばれ、数学教師となってから二年目です。

    その他の情報は最後にまとめました。

    ==============================


    セレブリティ・アット・ホーム
    A CELEBRITY AT HOME


    天気の番人
    TIE CLERK OF THE WEATHER.



    わたしは月の男〔訳注1〕 とは、口もきかないくらい疎遠な仲だった。疎遠どころか、こちらの知るかぎりでは、向こうはわたしのことを気に止めたことさえなかった。

    そうやって無視されることは、かれが他人に対して打ち解けるのが常であったのなら、わたしの自尊心を傷つけもしただろう。でも、かれは誰に対しても同じように高慢に見下すような態度であったから、わたしはそのことで一度も自分の頭を悩ませずに済んだ。


    しかし、天気の番人は、月の男とはまったく種類の異なる人物であった。天気の番人は喋り好きだったのだ。

    わたしはかれと、一時はずいぶん親しい仲だった。

    かれの背の高さは5フィート8インチほど。中年を過ぎていて、黒づくめの服を着ていた。しあわせな生活をしていたころには、冗談のわかる男でもあった。

    にもかかわらず、ちょっと悲嘆しやすい気質も持っていたから、たまに気分が不安定になることもあった。


    他の多くの善良な人たちと同じように、かれもまた、科学の進歩のせいで職を失ってしまっている。

    かれは新しい考え方を習得することがぜんぜんできなかった。そして、三年前の夏の天気の管理をしくじって大恥をかいたこともあり、辞職に追い込まれたのだ。

    この出来事があって以来、すっかり気難しい性格になってしまった。

    わたしが一人でいるとき、かれはよく不平をこぼしたものだ。

    可哀想な老人。落ち目になった人はそうなるものだけれども、かれに構うような人はもうほとんどいないのだ。


    「もし、わしが実在さえしていればな」と、かれはわたしに言ったことがある。「わしだって頑張れたと思うさ。

    たとえばあんただってそうだろう。いまの仕事がなくなったって、生きていくだけなら、仕事は何百もあらあな。新しい仕事は、そりゃ好きにはなれないかもしれないよ。でもわしに言わせりゃあ、」

    と興奮気味に大声になる。「やれるはやれるんだからな。耕夫だか、坊さんだか、漁師だか、何だかは知らないよ。でも、面白くなくたって気にしなきゃいいのさ。あんたはそこにいられるんだから。生身の体でさ。でもな、」

    と、また陰鬱で静かな口調へ戻る。「わしは天気の番人なんだ。天気の番人でなきゃ、何でもなしだ。キューの奴ら〔訳注2〕 のせいで辞めさせられて、わしはもう天気の番人じゃあない。いまのわしは、いったい何だ?」

    わたしはこんな問いに即座に答えられるほど自分の頭がよいと思ってはいないから、かれが自分で続きを言うのを待った。

    「そうさ。ずっと昔から、先のことが心配になってはいたのさ。わしの地位ってのは、最初っから居心地のいいもんじゃあなかった。みんなの思考のなかにしか居場所がないってのは、ひどく惨めなもんさ。

    自分じゃどうにもならなくて、まったくもって人頼りだ。なにをどう考えてみたって、これより話がましにはならねえや。

    まるで、死んだ実証主義者の霊魂みたいに〔訳注3〕 、ひとの頭から頭へふらふら渡り歩いてるんだからな。なんてったって、どこか落ち着く先を見つけるのにだって、ずいぶん苦労することがあるんだ。

    わしにとっちゃ、子供ってのがいちばんの友達さ。

    輪っか転がし〔訳注4〕をしたいのに、雨が降って家の外へ出してもらえないときなんかに、母親が言うわけさ。〈お天気の番人さんにお願いしてごらんなさい、雲をどかしてくださいって〉なんてな。


    そうすると子供は窓のところへ立って、お天気の番人って誰だろう、話しかけてもいいのかしら、なんて考える。

    そこでわしが、できる時には、ちょっと晴れ間をつくってやるのさ。そうすると子供がわしのことを、いい子を助ける親切なお爺さん、と考えてくれるようになることもあるわけさ。だがなあ、お前さん、」


    かれは泣きそうな顔になった。わたしは湿気の高まりを手に感じたような気がしたけれども、もしかしたらそれは、ただ雨粒が一つと、木の葉を揺らす風の一吹きだったかもしれない。「お前さんみたいにわしのことを考えてくれる奴はほんとに少ない。ほとんどの子は、学校へ上がるころにはわしを忘れちまうのさ。」


    天気の番人は骨の髄までイングランド人であり、どこからどう見ても、まるで隠居した専門家みたいに見えた。そして実際に、隠居した専門家なのであった。

    在職時は、かれは六週間かそこらに一度は英仏海峡を渡り、向こう側の天気の世話をするだけはしてやっていた。

    だが、よその国を好くことは決してなかった。

    「ほんとにたまげるよ。むこうじゃ、ほとんどなんにも起きやしないんだから」。外国のことでわたしと雑談しているとき、かれはそう言ったことがある。「よそには意気ってもんがないよ。イングランドの天気が本当で本物さ。イングランドに比べりゃあ、むこうで何が起きようが、そうだな、地震みたいないかさまでもやれば、ようやっと真鍮と黄金くらいの違いにはなるわな」

    かれと太陽とのあいだには常に確執があり、この天体に対してはいくら罵っても飽き足りないようであった。一緒に仕事をしなければならなかっただけに、ますます憎さが募ったものらしい。

    どうも、太陽が引っ張り上げた水を、かれがぜんぶ地上に降らせるという、そういう契約になっていたようであった。

    「このごろは過剰生産で経済が悪くなってるとかいう話だが」と彼は言ったものだ。「わしの見てきたことに比べれば、そんなのは何でもないんだ。

    太陽のやつってのは、引っ張りあげるばっかりで、誰もそれを止められやしない。

    それを全部、わしがまた下ろしてやらなきゃいけないんだから、えらい仕事になったこともあるよ。

    何年も放っておいたら、どうにも手がつけられなくなっちまうからな。

    ずっと昔は、どうにもこうにも最悪の場合には、坊さんたちが聖像だの聖水だの出してくるもんだから、わしもときどきは、取り決めにないこともしてやったさ。こっそりな。

    だがなあ、今は、科学者の奴らが自然法則だなんだと言ったり、雨量計を作ったりして、そういうことは全部やめになっちまった。わしはもう年寄りだってのに、辛い思いをさせられたもんだ。」


    天気予報の新しいシステムという話題にかすりでもすると、それは何よりも速く、あっという間にかれをカッとさせたものだった。

    わたしの記憶が間違ってなければ、「あんな与太話」というのが、あるときかれの口を出た評言そのままである。

    「わしのころはな」とかれは言った。「わしのやりたいことを、やりたいようにやったもんさ。

    そりゃ確かに、太陽が引っ張り上げたぶんは降ろさなきゃならなかった。でもそんなのは、前もって進めておけばな、あとはわしの好きなようにできたんだ。わしはな、自分が何をするのか、五分以上前に考えたことなんてなかったんだぞ。どうしてそんな必要がある?

    お前さんにゃ何度も言ったことだが、だってわしには、自分の頭があるんじゃないんだ。ひとの頭のなかにいつも居たんだからな」


    最近は、めっきり会いにこなくなってしまった。

    実は、最後に会ったとき、かれをひどく怒らせてしまったのだ。

    わたしは、昔は月が天気になにか関係していたのかどうかを、かれに訊ねていた。

    「もちろんそうさ」とかれは言った。「少しはいじらせてやったよ。

    太陽とは違うからな。月のやることなら、わしの好きなときに止めさせられるんだから。

    月のことはな、わしはこう思ってたわ」。クックッと笑いながらかれは続けた。「月が一年かけて上げた水を、わしは一晩で露にして下ろせる、ってな。

    口では言わないよ、調子を合せてやるのが親切ってもんだからな。たまには、小さな雲の一つや二つを溶かすのは見逃してやったのさ、満月のときはな。」

    次にわたしが訊いてみたのは、新月は天気の変わり目になると信じられているが、それは何か根拠あってのことなのか、ということだった。

    「全然まったくないね」とかれは笑った。「でも月はそう考えていたし、わしもわざわざ否定はしなかった。まったくのナンセンスなんだがな」

    その次がまずかった。運悪く、わたしはその日の午前、ある冴えない少年を相手に気象学の初歩を教えていたせいで、ちょっと気が立っていたのかもしれない。つっけんどんにこう返してしまった。

    「ナンセンスなことだらけだったみたいだものな、あなたの時代は」と。

    この短気な老人は一瞬のうちに怒りに燃え上がり、雷の大音響とともに去ってしまった。わたしには止める間もなかった。


    それ以来会っていないけれども、かれはあまりうまく行ってないんじゃないかと思う。なぜといって、彼に友達は何人もいないし、どうしているかもほとんど聞こえてこない。

    それで、かれのことを思い出せるかぎり、紙に書いておくのがよかろうと思ったのだ。この老人がすっかり忘れ去られては可哀想だから。


    W.〔訳注5〕



    〔おわり〕


    ============================


    訳注1 月の男 the man in the moon
    月にいるとされる男。月面の斑点が人の顔のように、あるいは、柴を担いだ男の姿(犬を連れていることもある)のように見えることから。日本でいう月の兎にあたる。

    訳注2 キューの奴ら those Kew people
    キュー観測所 Kew ovserbatory は、ロンドン南西部のリッチモンドにある王立観測所 King's observatory の愛称。Kew というのは、近くのキュー植物園のことであるが、実際にキュー植物園の中にあるわけではない。水星の観測を目的として1769年に竣工。1842年に英国科学振興協会の管理下となり、初代名誉所長フランシス・レイノルズが多くの気象観測器具を発明。1862年に始まった英国初の天気予報でも、レイノルズの発明した気圧計が用いられた。1871年からは王立協会へと管理が移った。

    訳注3 死んだ実証主義者の霊魂みたいに like the soul of a departed Positivist
    実証主義において死後の霊魂不滅は不可知とされるのが当然であるから、「死んだ実証主義者の霊魂」という表現は不可解である。A・コントやJ・S・ミルが死後の霊魂不滅をアクロバティックとさえみえる抽象的な形で確保しようとしたことを揶揄した表現であろうか?〔参考 長谷川悦宏「 J. S. ミルの宗教思想」

    訳注4 輪っか転がし trundle its hoop or spin its top
    輪っかを縦に転がして棒ではたきながら走る遊びのことと推測した。用例が1833年の遊びの物理学の本に一つあった以外に見つからず、確証はありません。

    訳注5 この記事の署名は「W.」のみである。これがホワイトヘッドの執筆であることは、ホワイトヘッドの娘ジェシーの証言による(Lowe 1985, p165)



    ============================


    【訳者より】

    ホワイトヘッドの書いた文書として、現存するもののなかで最初のものです。未邦訳だと思います。
    〔これより早いものとしては、タイトルのみ確認される流体力学の論文があります)

    この記事はケンブリッジ大学の週刊新聞『Cambridge Review』1886年2月10日号に掲載されました( Cambridge Review, vol.7, pp.202-3. ここ で読めます)。このとき25歳(正確には、満25歳になる五日前)。ケンブリッジ大学トリニティ学寮の特別研究員(フェロー)に選ばれ数学教師となってから二年目です。
    ホワイトヘッドの伝記執筆者ヴィクター・ロウによると――「埋め草 space-filler や書評用の小さい活字で掲載されているが、もっとましな扱いを受けてしかるべき作品」(Lowe 1985, p164)

    主人公は大学で気象学を教える先生であることが読み取れます。一人の少年に気象学を教えた、という記述しかありませんが、当時のケンブリッジ大学やオックスフォード大学では、学寮(カレッジ)の特別研究員(フェロー)が、教室での講義のほかに、個人指導教官(チューター)を兼務したのです。

    ちなみに、ケンブリッジ大学のトライポス試験にホワイトヘッドと同年に合格したキングス学寮の Charles Chree は、1893年から32年間、キュー観測所(訳注3参照)の所長にもなりました(Lowe 1985, p164)。この人が主人公のモデルという可能性もなくはありませんが、Chree が気象学の研究をするのはむしろ1893年以降のようです。

    この主人公の視点から、天気の番人という存在との親交が描かれています。

    科学以前の時代と科学の時代。自然と人間。去りゆく老人と現役の学者。想像的存在と実在的存在。友誼とその終わり。童話と大人向けファンタジー。それらの対比が輻輳し、両方の極を視界に収めつつそのあわいに立ち、作用と反作用、終わりと始まり、そして移行の過程が描かれるというその構造がすでに見事であり、若さに似合わぬ落ち着き払った筆致に独特のユーモアが滲むという、何から何まで、あまりといえばあまりにもホワイトヘッド的な作品です。そういうふうに後年のホワイトヘッドをここに読み込むことが許されるとすればですが。


    ●訳題「セレブリティ・アット・ホーム A CELEBRITY AT HOME」について

    V・ロウは、このタイトルは、エドマンド・イェーツ(1834-91 ジャーナリスト・作家)が経営し主筆した社交界の週間新聞『ザ・ワールド』の人気連載「Celebrities at Home」ここ で読めます〕からきたものと見ています(Lowe 1985, p164)。これは有名人の自宅や職場の描写とそこでのインタビューを内容とする企画であり、したがって、「セレブリティ・アット・ホーム」は、「有名人のお宅訪問」または「有名人の面会日」といった意味です。
    ホワイトヘッドのこの作品では、有名人である天気の番人の自宅や職場の描写で始まらないので、最初はタイトルを裏切っているかにみえます。しかし読んでいくうちに、天気の番人は人間の「思考のなか」、それも今や主人公のところくらいにしか居場所がないことがわかり、おかしみと哀しみを帯びたタイトルへ変貌するという仕掛けになっています。
    この日本語訳のタイトルも、カタカナではなく「有名人のお宅訪問」でよいのかもしれませんが、一種のパロディであることがわかりにくい上、必要以上にふざけたタイトルに見えてしまう気がして、このようにしました(まだ迷っているので、のちほど変えるかもしれません)。


    ●天気の番人 the Clerk of the Weather という訳語について

    クラーク・オブ・ザ・ウェザーというのは、天候を支配する力を擬人化した存在であり、童話や、おどけた言い回しのなかに現れます。私の調べた範囲ではランダムハウス大英和辞典のみ記載があり、「お天気の神様」という訳語が提示されています。

    ホーソーンの短編「クラーク・オブ・ザ・ウェザー訪問記 A Visit to the Clerk of the Weather 」 (1836)では、地球とは別の星に住む、年齢六千歳、見上げるほどの巨人で、冬将軍(ジャックフロスト)や春の女神ともかかわりあいつつ、無数の惑星の天候に責任を負う老人として描かれています。これは極端に強大に描かれた例ですが、ホワイトヘッドによるこの作品を含め、どんな童話や物語に登場するときでも、天候を司るという大きな力を持っていることは変わりません。その点では「天気の神様」と訳してもよいかもしれません。

    しかし他方で、クラークを「神」と訳すことにはやはり違和感があります。クラークというのは書記、店員、事務員、役人、聖職者などを意味し、さらには「the Clerk of the Closet =国王(女王)付き牧師」や「the Clerk of the House=英国下院事務総長」まで、いろいろな地位を表しますが、どれほど偉くても、やはり組織の役職の一つにすぎません。
    また、キリスト教圏で母親が子供と話す場面を、「ほら、お天気の神様にお願いしてごらんなさい」などと訳したら、異端の雰囲気を漂わせることになり、不穏です。そのようなことを考慮すると、「天気の管理人」「天気のお役人」「天候局長」といった訳語が考えられます。

    以上のように、大きな力を持つという側面と、あくまで役職にすぎないという側面を併せ持つ単語を探した結果、日本銀行が「通貨の番人」、司法機関が「法の番人」などと呼ばれることから連想して、ここでは「天気の番人」と訳すことにしました。

    ちなみに、科学的天気予報の先駆者である ロバート・フィッツロイ(1805-1865)は、まさに「クラーク・オブ・ザ・ウェザー」というあだ名をつけられて有名人となり、賞賛や揶揄の対象となりました。この場合もやはり「天気の番人」が適訳ではないでしょうか。


    〔おわり〕


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。