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未邦訳のようなので翻訳してみました。A.N.Whitehead の "A Polytechnic in War-Time" です("The Organization of Thought" 1917所収)。原文は ここ で読めます。
ホワイトヘッドが「人の幸せとは何か」ということを、これほど直截に語っているテキストは他にないという点で貴重です。ホワイトヘッドの芸術論、商業論、国家論、進化論を少しづつ含んでいる点でも興味深い。また、戦時下での講演という緊迫感も特異です。
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戦時下の工芸学校
A POLYTECHNIC IN WAR-TIME
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
A.N.Whitehead
自治区工芸学校における表彰式講演。1917年2月、於サザーク自治区。
Address at the Prize Distribution, Borough Polytechnic Institute, Southwark, 16th February, 1917
〔自治区工芸学校 Borough Polytechnic Institute は1892年設立。他教育機関との合併や校名の数度の変遷を経て、現在のロンドンサウスバンク大学 London South Bank University 〕
去年一年間の本校の活動について校長から報告がありましたけれども、わたくしの話を始めるにあたりまして、その成果がどんな点で素晴らしかったのかということに、みなさんにまず注目していただきたいのであります。
たいへん困難な一年でした。
教職員の一部は軍隊へ行っておりますし、授業は激減してしまいました。
〔英国の第一次大戦への参加は1914年8月4日、1918年11月に戦争終結〕
そうしたあらゆる困難にもかかわらず、私たちは非常によくやったのであります。
まず、試験の平均点が良かった。目下の状況を考えれば、驚くほど良かったのです。
理事たちは、平均点の高さを大いに重要視しています。
教育の効果を一番よく証明するものなのですから。
また、生徒個々人の成功も、それぞれ着目すべきものでした。
私たちは――「私たち」と申しますのは、私たちはこうした成功を一つになって喜んでいるからです――80ポンドのLCC奨学金を二つ獲得しました。第一位が一人、奨学金が十九人。その他にも、いくつものメダルや賞、資格を獲りました。
こうした全ては、きわめて満足すべきことであります。
教え方が効果的であったこと、そして生徒の側も懸命に学び、きちんと出席したことを物語っているのですから。
以前より、本校の実力は、本校と結びつきのある人すべてにとって誇りの源でありました。私たちは、その実力の水準を維持したのです。
さて、こうした素晴らしい学業のすべてが、誰も何の努力もすることなしに、独りでに生じるなどということはありません。
このような実績は、熟練の教師陣と事務体制とが必要なのです。
彼らは、昨年度、大いなる困難のもとにありながらも、懸命に働いてくれました。私たちは、そのおかげの上出来の成果を祝うために、ここに集ったのです。
私自身も、教えるということについて、なにがしかを知っている者であります。
教えるということは、非常に骨の折れる仕事でありますし、絶え間ない献身がなければ成功はありません。
私は、教師のみなさんの気持ちを確かに代弁しているものと思います。また私は、教職員の紳士淑女の昨年度中の功労への心からの感謝をあらわすにあたりまして、理事のみなさんの気持ちをも表わしているものと思います。
表彰式は、いつでも喜ばしき式典であります。私たちがここに来たのは、私たちの成功について考え、私たちの生徒を祝福するためであります。
一年度のうちには、理事の会合がいろいろありますけれども、私たちの友たる学生たちに向かい、彼らがよく勉強して素晴らしい成果を得たことに、私たちがどれほど喜んでいるかを伝えるという、この式典よりも喜ばしい集いはありません。
この夕べにおいて、私はまた、二重に幸せな地位にあります。同僚たちから、その代表者となって、私たちの祝意を受賞者たちに伝える役目を依頼されたからです。
あなた方はよく勉強し、よい結果を残しました。あなた方はみな、確かにこの成功に値します。
あなた方にとってのみならず、あなた方の家族、仲間たち、級友たちにとっても、これは喜びなのです。
本校で成績優秀であったことは、自分の仕事で技能を身につけることに役立ち、ひいては、生活の糧を稼ぐことに役立つことでしょう。
生活の糧を稼ぐという営みは、平均としてみれば、社会に対する奉仕を証明するものとして、ちっとも悪くはないものです。
自分の商売において技能を磨き、自分の人生の歩みを立派なものにした人であれば、一般的に言って、国に貢献した市民であると十分に信ずるに足る理由となるのです。
産業界における成功が尊敬されなくなる日が来るとすれば、その国にとって悪しき日です。
しかしながら、もし自分の人生という航海の方位磁針を、個人の成功という極北にのみ向けて舵を取ってゆくならば、人生における最大の好機を逃すことも、また間違いありません。
温和な気候は南方にあります。何を言っているのかと申しますと、人は、他者と親切に手助けしあう関係のなかに、自らの幸せの最も大きな部分を見つけるのです。そのようにこそ決意しなくてはならない。
世界のなかの自分の小さな隅っこを、自分が来たときよりも少しだけ見目よく、少しだけ幸福なものにしてから立ち去るということ。これが、私たちの野望であるべきなのです。
言い古された話であることは十分に承知しております。
しかし、言い古された話が真実であることもあります。そしてこれは、全世界で最大の真実なのです。
この、温かい親切さの感じというものこそ、幸福の感覚です。
幸せな人とは、自分自身のことは忘れていて他の人たちを想っているような、そういう様々な思考でいっぱいになっている人のことです。
「自然とは、万人がその隣人と競合する闘争の舞台でしかない」というのは、真実ではありません。
相互扶助の精神に満ちている共同体こそが、最も繁栄し、最も長続きするのです。
国の未来はあなた方が担います。あなた方の成功の頂点は、未来の仕事の約束を得ることにあります。これは見過ごされがちな仕事であり、意気を挫かれつつなされる仕事です。しかし着実に、そして朗らかになされる仕事なのです。
この理想なしには民族は衰えます。この理想を維持し、成長させること。国はそれをあなた方に頼っているのです。
乗り越えがたく見える障害にも、意気を挫かれてはなりません。
生きることにまつわる様々な制約条件が、私たちみなのあり方に大きく影響しています。そうした様々な制約条件は、私たちの意思によって、私たちの活力によって、そして私たちの意図の純粋さによって修正されます。
もし、どれだけ強く感じたかということを、記憶の長さで測ってもよいとするならば、表彰されることの喜びは非常に深く刻みこまれるものです。
みなさんのご両親の多くが生まれるよりも前、あるいは、ご両親がまだ産着にくるまれていたときのこと。四十年に余る長きを経てもなお、私はまるで昨日のことのように思い出します。私は生まれて初めて、学校で賞をもらったのでした。
そのときに自分が居た、中世の昔に建造された教室を瞼の裏に見ることができます。校長を見ることができます。そして仲間たちを見ることができます。
おそらく、みなさんの幾人かは、一世代が過ぎたあとも、今夜の光景を覚えていることでしょう。このスタンリー体育館は、モード・スタンリー女史〔1833-1915 恵まれない若者の支援、女性福祉に尽力〕を記念して建てられました。私たちの福祉のために多大なる精力と思考を捧げた人であります。
隣接するエドリック会館は、エドリック・ベイリー〔1842-1920 事務弁護士、政治家〕から名前を受けています。本校の父であります。ミリス氏と、スミス女史は、初代の校長と初代の教育長であり、私たちの繁栄の設計者であります。
レナード・スパイサー氏は、われわれの理事長であり、世界にその名を知られ、またその有名さに比例して尊敬もされている会社にして家族の一員であられます。〔James Spicer & Sons Limited (文房具卸)の Evan Spicer (地方行政監察官)が当校設立に尽力。その家族か〕
そして、みなさんにとってこの集会が決して忘れ得ないものとなる、もう一つの理由があります。それは、私たちが今夜、少人数の集いとなっているそのわけが、その理由です。
スペインのアルマダ艦隊が英国海峡に乗り込んできたとき。ナポレオンがドーバー海峡のこちら側の浜辺を注視していたとき。英国の歴史における、かつてのそういった瞬間にも等しい致命的な災厄の只中に、私たちはここに集っているのであります。
目下の危機は、こうした先例にさいして私たちの自由を守ったのと同じ勇気によってのみ、克服されます。
したがいまして、今夜、この偉大なる工芸学校を形作る、私たちの社会のさまざまな部門の活動を思い返してゆくと、私たちの思考は、さらに遠くへと及んでゆくのです。
技能や活力、そして知識が、あなた方の武器です。
あなた方には、自分の権利についての健全な理解が必要ですし、他の様々な階級が有する権利や抱えている困難についても健全な理解が必要です。
英国の偉大さは、あなた方の偉大さ。英国の成功は、あなた方の成功です。
戦争の武器庫はウリッジ〔ロンドン東部。陸軍士官学校と兵器工場があった〕にあります。この工芸大学は平和の武器庫です。あなた方が自分の生活を征服するための武器がここにあるのです。
〔おわり〕
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【訳者より】
・Lowe の『ホワイトヘッド伝』によると、当校の生徒の多くは労働者男女。ホワイトヘッドは理事 governer の一人となることを引き受け、重要な委員会の委員にもなったとのこと。『ホワイトヘッドの対話』XXIX節にも、この工芸学校に「客員教授としてたびたび行っていた」というホワイトヘッドの発言があります。
・この時期の英語および英国の状況の知識に欠けることもあり、うまく訳せている自信はありません。おかしな点があればご教示いただけますと幸いです。
・「 The crown of your success is the promise of future work, often unrecognised work, done under discouragement, but done steadily and cheerfully. 」を、「あなた方の成功の頂点は、未来の仕事の約束を得ることにあります。これは見過ごされがちな仕事であり、意気を挫かれつつなされる仕事です。しかし着実に、そして朗らかになされる仕事なのです。」と訳しましたが、うまく意味が取れていない感じがします。大事な一文だと思うのですが…。
ホワイトヘッドが「人の幸せとは何か」ということを、これほど直截に語っているテキストは他にないという点で貴重です。ホワイトヘッドの芸術論、商業論、国家論、進化論を少しづつ含んでいる点でも興味深い。また、戦時下での講演という緊迫感も特異です。
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戦時下の工芸学校
A POLYTECHNIC IN WAR-TIME
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
A.N.Whitehead
自治区工芸学校における表彰式講演。1917年2月、於サザーク自治区。
Address at the Prize Distribution, Borough Polytechnic Institute, Southwark, 16th February, 1917
〔自治区工芸学校 Borough Polytechnic Institute は1892年設立。他教育機関との合併や校名の数度の変遷を経て、現在のロンドンサウスバンク大学 London South Bank University 〕
去年一年間の本校の活動について校長から報告がありましたけれども、わたくしの話を始めるにあたりまして、その成果がどんな点で素晴らしかったのかということに、みなさんにまず注目していただきたいのであります。
たいへん困難な一年でした。
教職員の一部は軍隊へ行っておりますし、授業は激減してしまいました。
〔英国の第一次大戦への参加は1914年8月4日、1918年11月に戦争終結〕
そうしたあらゆる困難にもかかわらず、私たちは非常によくやったのであります。
まず、試験の平均点が良かった。目下の状況を考えれば、驚くほど良かったのです。
理事たちは、平均点の高さを大いに重要視しています。
教育の効果を一番よく証明するものなのですから。
また、生徒個々人の成功も、それぞれ着目すべきものでした。
私たちは――「私たち」と申しますのは、私たちはこうした成功を一つになって喜んでいるからです――80ポンドのLCC奨学金を二つ獲得しました。第一位が一人、奨学金が十九人。その他にも、いくつものメダルや賞、資格を獲りました。
こうした全ては、きわめて満足すべきことであります。
教え方が効果的であったこと、そして生徒の側も懸命に学び、きちんと出席したことを物語っているのですから。
以前より、本校の実力は、本校と結びつきのある人すべてにとって誇りの源でありました。私たちは、その実力の水準を維持したのです。
さて、こうした素晴らしい学業のすべてが、誰も何の努力もすることなしに、独りでに生じるなどということはありません。
このような実績は、熟練の教師陣と事務体制とが必要なのです。
彼らは、昨年度、大いなる困難のもとにありながらも、懸命に働いてくれました。私たちは、そのおかげの上出来の成果を祝うために、ここに集ったのです。
私自身も、教えるということについて、なにがしかを知っている者であります。
教えるということは、非常に骨の折れる仕事でありますし、絶え間ない献身がなければ成功はありません。
私は、教師のみなさんの気持ちを確かに代弁しているものと思います。また私は、教職員の紳士淑女の昨年度中の功労への心からの感謝をあらわすにあたりまして、理事のみなさんの気持ちをも表わしているものと思います。
表彰式は、いつでも喜ばしき式典であります。私たちがここに来たのは、私たちの成功について考え、私たちの生徒を祝福するためであります。
一年度のうちには、理事の会合がいろいろありますけれども、私たちの友たる学生たちに向かい、彼らがよく勉強して素晴らしい成果を得たことに、私たちがどれほど喜んでいるかを伝えるという、この式典よりも喜ばしい集いはありません。
この夕べにおいて、私はまた、二重に幸せな地位にあります。同僚たちから、その代表者となって、私たちの祝意を受賞者たちに伝える役目を依頼されたからです。
あなた方はよく勉強し、よい結果を残しました。あなた方はみな、確かにこの成功に値します。
あなた方にとってのみならず、あなた方の家族、仲間たち、級友たちにとっても、これは喜びなのです。
本校で成績優秀であったことは、自分の仕事で技能を身につけることに役立ち、ひいては、生活の糧を稼ぐことに役立つことでしょう。
生活の糧を稼ぐという営みは、平均としてみれば、社会に対する奉仕を証明するものとして、ちっとも悪くはないものです。
自分の商売において技能を磨き、自分の人生の歩みを立派なものにした人であれば、一般的に言って、国に貢献した市民であると十分に信ずるに足る理由となるのです。
産業界における成功が尊敬されなくなる日が来るとすれば、その国にとって悪しき日です。
しかしながら、もし自分の人生という航海の方位磁針を、個人の成功という極北にのみ向けて舵を取ってゆくならば、人生における最大の好機を逃すことも、また間違いありません。
温和な気候は南方にあります。何を言っているのかと申しますと、人は、他者と親切に手助けしあう関係のなかに、自らの幸せの最も大きな部分を見つけるのです。そのようにこそ決意しなくてはならない。
世界のなかの自分の小さな隅っこを、自分が来たときよりも少しだけ見目よく、少しだけ幸福なものにしてから立ち去るということ。これが、私たちの野望であるべきなのです。
言い古された話であることは十分に承知しております。
しかし、言い古された話が真実であることもあります。そしてこれは、全世界で最大の真実なのです。
この、温かい親切さの感じというものこそ、幸福の感覚です。
幸せな人とは、自分自身のことは忘れていて他の人たちを想っているような、そういう様々な思考でいっぱいになっている人のことです。
「自然とは、万人がその隣人と競合する闘争の舞台でしかない」というのは、真実ではありません。
相互扶助の精神に満ちている共同体こそが、最も繁栄し、最も長続きするのです。
国の未来はあなた方が担います。あなた方の成功の頂点は、未来の仕事の約束を得ることにあります。これは見過ごされがちな仕事であり、意気を挫かれつつなされる仕事です。しかし着実に、そして朗らかになされる仕事なのです。
この理想なしには民族は衰えます。この理想を維持し、成長させること。国はそれをあなた方に頼っているのです。
乗り越えがたく見える障害にも、意気を挫かれてはなりません。
生きることにまつわる様々な制約条件が、私たちみなのあり方に大きく影響しています。そうした様々な制約条件は、私たちの意思によって、私たちの活力によって、そして私たちの意図の純粋さによって修正されます。
もし、どれだけ強く感じたかということを、記憶の長さで測ってもよいとするならば、表彰されることの喜びは非常に深く刻みこまれるものです。
みなさんのご両親の多くが生まれるよりも前、あるいは、ご両親がまだ産着にくるまれていたときのこと。四十年に余る長きを経てもなお、私はまるで昨日のことのように思い出します。私は生まれて初めて、学校で賞をもらったのでした。
そのときに自分が居た、中世の昔に建造された教室を瞼の裏に見ることができます。校長を見ることができます。そして仲間たちを見ることができます。
おそらく、みなさんの幾人かは、一世代が過ぎたあとも、今夜の光景を覚えていることでしょう。このスタンリー体育館は、モード・スタンリー女史〔1833-1915 恵まれない若者の支援、女性福祉に尽力〕を記念して建てられました。私たちの福祉のために多大なる精力と思考を捧げた人であります。
隣接するエドリック会館は、エドリック・ベイリー〔1842-1920 事務弁護士、政治家〕から名前を受けています。本校の父であります。ミリス氏と、スミス女史は、初代の校長と初代の教育長であり、私たちの繁栄の設計者であります。
レナード・スパイサー氏は、われわれの理事長であり、世界にその名を知られ、またその有名さに比例して尊敬もされている会社にして家族の一員であられます。〔James Spicer & Sons Limited (文房具卸)の Evan Spicer (地方行政監察官)が当校設立に尽力。その家族か〕
そして、みなさんにとってこの集会が決して忘れ得ないものとなる、もう一つの理由があります。それは、私たちが今夜、少人数の集いとなっているそのわけが、その理由です。
スペインのアルマダ艦隊が英国海峡に乗り込んできたとき。ナポレオンがドーバー海峡のこちら側の浜辺を注視していたとき。英国の歴史における、かつてのそういった瞬間にも等しい致命的な災厄の只中に、私たちはここに集っているのであります。
目下の危機は、こうした先例にさいして私たちの自由を守ったのと同じ勇気によってのみ、克服されます。
したがいまして、今夜、この偉大なる工芸学校を形作る、私たちの社会のさまざまな部門の活動を思い返してゆくと、私たちの思考は、さらに遠くへと及んでゆくのです。
私たちの思考は、陸を進み、海を渡り、本校が前線へと送り出した勇敢なる部隊を、私たちの脳裏に描き出します。私たちのメンバーのうち、800名を超える者が、軍旗の下に集っているのです。
戦う人々が私たちのためにしてくれていること。世界全体のためにしてくれていること。そして、英国の未来のためにしてくれていること。それは、あまりにも圧倒的であり、言葉でもってこれを十分に称賛することはできないほどです。
私は、ただ一つのことを述べたいと思います。
過去になされた、偉大な行い。厄災との遭遇。冒険。不屈の勇気。愛国心。自己犠牲。尊い大義のために耐える苦しみ。そうした事蹟について読むとき、みなさんの一人ひとりがこう言えるのです。「自分もまた、そういう英雄たちを知っている」と。
同胞のなかにいます。同僚のなかにいます。生徒のなかに、仲間のなかにいます。家族のなかにいます。
斃れた者たちのために記念碑を建て、未来の時代時代へと十分に彼らの犠牲の記憶を伝えるのは、私たちの役目となります。
この目的のためには、たった一つの記念碑があります。それで十分なのです。その記念碑とはつまり、彼らがそれのために死んだ大義です。
英国の偉大さ。英国の未来。それは彼らによって、私たちの手に残されました。
これをよく守ろうではありませんか。
一国の偉大さは、その一員たる男女の生の偉大さに他なりません。
辺りを見回して、「誰が偉大な英国人であるべきか」などと考えてはいけません。自分自身が偉大でなければならない。英国を偉大にするのは、今宵、ここに座っているあなた方なのです。これが目標であり、この代わりになる務めなどあり得ません。
耐え抜いたこの苦しみに値するような新しい英国。それを形作るために必要となるのは、人々みんなの活力の集合です。
幾日か前に私は、エジプトでキチナー卿〔英国の元帥。ボーア戦争の総司令官。1850-1916〕のもと、長年働いていた男に質問しました。キチナー卿の偉大さを、もっともよく表すしるしは何であると思うか、と。
彼はこう答えました。「キチナー卿が手がけるものは、それが何であれ、重要なものになった」と。
そうです、これが全ての秘密なのです。自分の機会をしっかりと捉えて、それを重要なものにするのです。
私たちは、ここ、自治区工科大学にいます。
このことは、どんな好機を表しているのでしょうか。
この学校は、社交的な集いの中心であり、娯楽の中心であり、教育の中心であり、討論の中心であります。
こうした側面のいずれの一つも、私たちは失うわけには参りません。
その全てが、私たちの求める偉大さの一部なのです。
その全てを第一級のものにしましょう。
まずは、社交や、気晴らしの側面を考えてみましょう。
まさかとは思いますが、「偉大であるためには鈍感であらねばならない」などとは思わないでいただきたい。
一つの国家を測るテストとしては、その国が娯楽をどのように形作るのかということに優るものはないのです。
三世紀前に、アルマダ艦隊に勝利〔1588年〕したあと、ここサザーク地区〔ロンドンのテムズ川南岸〕は、幸先よくスタートを切りました。
シェイクスピアが、ここに自分の劇場を持ち〔1599年サザーク地区にグローブ座を開業。現在も200m離れた位置に復元されている〕、この自治区で上演するために戯曲を書いたのです。
彼はこのあたりの道を歩いていました。もしあなたが、ウエストミンスター〔ロンドン中央部の自治区〕でシェイクスピアに会ったら、彼はたぶんこんなことを言うでしょう。「これからエレファント亭に行こうかと思ってね」と。
〔エレファントは、サザーク地区の円形交差点にあった馬車宿の名前。シェイクスピア『十二夜』には、「宿を取るなら南の市外のエレファント亭が一番でしょう」という台詞も登場する〕
そして今日でさえ、「オールドビック座 Old Vic」〔ロンドンのテムズ川南岸にある劇場〕でかかる芝居は、シェイクスピアの作品を正統に演じたものを観るには、ロンドンで最高の劇場なのです。
シェイクスピアの劇に対してサザーク地区がなしたことは、他の芸術に対してもできるはずです。この学校を、サザーク地区の活力として使うのです。
芸術にかかわることを企てるにあたって、私たちが中心でないことがありましょうか。私が言っておりますのは、私たち自身の芸術の企てです。私たち自身によって考え出されて、私たち自身によって享受され、私たち自身によってやり通される芸術です。
私たちそれぞれが創造したものを、私たちがお互いに常に喜ぶというわけではないでしょう。しかし、私たち自身が努力するというのが偉大な点なのです。
もちろん、あらゆる努力は、準備を要しますし、刺激を要しますし、他の人たちが何をしているかという知識を要します。
現在のところ、――戦争によって一時中断はされていますが――絵画芸術において大きな革命が、世界中で進行しています〔印象派を指すか〕。
その中心は、パリとイタリアとロンドンとミュンヘンです。その起源は極東、中国と日本に発します。
どんな革命とも同じように、この革命に対しても賛否の二派があります。保守派と革命派です。私たち自身の、すぐ近くの部屋にあるフレスコ画の数々は、ロンドンにおけるこの運動の初期段階を代表するものです。
これについての全てを知らずにいられるでしょうか。この運動のさまざまな段階や、相反する流れの、具体例となるような色々な絵の貸出を受けて、古い流派を代表する様々な例と比較するべきではないでしょうか?
とはいえ、絵画というものは、芸術というものの一つの側面に過ぎませんし、自分でやってみることが一番簡単な芸術というわけでもありません。
音楽、ダンス、朗読、文芸、彫刻、模型製作といった芸術もあります。刺繍、製本、婦人服仕立て、室内装飾といった、装飾にかんする多様な芸術もあります。
この目録は、不十分なものではありますが、二つの重大な真実を語っています。「芸術と気晴らしは切り離せない」ということ。そして、「芸術と商業は切り離せない」ということです。
この目録は、私たちが娯楽として考えるものと、商業として考えるものを含んでいます。それはダンスから始まり、室内装飾で終わったのでした。
そうしたすべてを美しくしましょう。
美しいものには威厳があります。
あなたのダンスのリズムを楽しみ、あなたの刺繍や、あなたの製本の美を賞賛しましょう。
人は何をするのであれ、卓越した理想像を持つべきです。
芸術と仕事を分け離ててしまうことは、いかなる場合においても、ただ誤りであるばかりではありません。商売としてもきわめて不味いのです。
我らが勇敢なる盟友、フランス人は、パリを世界の芸術の中心地にしました。
フランス人は、装飾にかんするフランスの生産品を、大きくて儲かる商売へと築き上げ、それを維持しています。フランス人が有する三つの性格が、その主な理由となっています。
まず第一に、彼ら自身が芸術を楽しみ、かつ崇めています。
第二に、彼らは途方もない精力で骨身惜しまず働きます。
そして第三に、フランスの男はみな、そしてフランスの女性はさらにもっと、常識的感覚というものを、莫大な蓄えとしてその身に宿しているからです。
私たちの産業と、私たちの常識的感覚を、商業の中で、それが必要とされるところで活かすためには、デザインと技能の学校における厳格な訓練が必須です。
私たちは、そうした学部もここに有しています。
でも、あなた方自身が自然な気晴らしとして芸術と美を楽しむのでなければ、そうした訓練のすべては失敗なのです。
訓練のための技術学校というのは、深く狭い井戸のようなものです。私たちの様々な本性のうち、表面を流れているものではなく、それよりも深いところにある地下水脈に触れるまで、慎重に掘り進めてゆくのです。
しかし、眩しく暖かい太陽が、まず広大なる海洋から蒸気を吸い上げ、自由に吹き渡る風が、雲をあなたこなたへと運び、そしてついには偶然であるかのごとくして、遠く離れた丘陵で破れ、降り注ぐ雨となって大地を濡らすことがなければ、せっかく掘り当てたその井戸も枯れてしまいます。
私がいま芸術について述べましたことは、他の職業や、他の研究にも当てはまる喩え話です。
これは単なる喩え話なのではありません。喩え話以上のものです。文字通りの真実なのです。
芸術への愛は、卓越したものへの愛です。偶然の力が生み出した不格好なものに対する、デザインされたものの勝利を味わう喜びなのです。
真っ当な仕事をするエンジニアなら、自分の作った機械の美しさを愛でるものです。様々な部品どうしの調整や、素早く滑らかな動作に現れる美をです。
エンジニアはまた、知識のおかげで予測や洞察ができるようになる、その感覚が大好きです。
人々はこう言います。「機械や大規模商業が、いまの世の中から美を追い出している」と。
私はそうは思いません。
新しい美が加わりつつあるのです。より知的な美です。眼を喜ばせるのと同じくらい、知性を喜ばせる美なのです。
ロンドンの奇観は、いつみても新たな驚きであり、人々をまごつかせます。
ロンドンには公園があり、宮殿があり、大教会があります。しかし、人を驚かせるという点では、商業施設や、工房や、工場を超える場所はどこにもありません。
今から数年のあいだに、今後数世紀にわたる世界の未来が決定されることでしょう。
この戦争の様々な戦闘は、民族どうしの競争対立の、ほんの手始めなのです。そして、いろいろな民族がそれぞれ代表している、さまざまな生活様式のあいだの競争対立なのです。
私たちは信じています。英国は、海を超えたところにある島々や大陸に散らばっている様々な人々や共同体と共に、人の生き方の、限りなく貴重なあり方を代表している、と。人間性、自由、自治、寛容と親切の感覚に基づいた良き秩序、平和な産業。そうしたもののあり方を代表しているのです。
この闘争は最終的には、世界中の工房が決着をつけることになるでしょう。
あなた方の手にかかっているのです。
政治家や皇帝たちは、あなた方が成し遂げた結果を公式化するに過ぎません。
戦う人々が私たちのためにしてくれていること。世界全体のためにしてくれていること。そして、英国の未来のためにしてくれていること。それは、あまりにも圧倒的であり、言葉でもってこれを十分に称賛することはできないほどです。
私は、ただ一つのことを述べたいと思います。
過去になされた、偉大な行い。厄災との遭遇。冒険。不屈の勇気。愛国心。自己犠牲。尊い大義のために耐える苦しみ。そうした事蹟について読むとき、みなさんの一人ひとりがこう言えるのです。「自分もまた、そういう英雄たちを知っている」と。
同胞のなかにいます。同僚のなかにいます。生徒のなかに、仲間のなかにいます。家族のなかにいます。
斃れた者たちのために記念碑を建て、未来の時代時代へと十分に彼らの犠牲の記憶を伝えるのは、私たちの役目となります。
この目的のためには、たった一つの記念碑があります。それで十分なのです。その記念碑とはつまり、彼らがそれのために死んだ大義です。
英国の偉大さ。英国の未来。それは彼らによって、私たちの手に残されました。
これをよく守ろうではありませんか。
一国の偉大さは、その一員たる男女の生の偉大さに他なりません。
辺りを見回して、「誰が偉大な英国人であるべきか」などと考えてはいけません。自分自身が偉大でなければならない。英国を偉大にするのは、今宵、ここに座っているあなた方なのです。これが目標であり、この代わりになる務めなどあり得ません。
耐え抜いたこの苦しみに値するような新しい英国。それを形作るために必要となるのは、人々みんなの活力の集合です。
幾日か前に私は、エジプトでキチナー卿〔英国の元帥。ボーア戦争の総司令官。1850-1916〕のもと、長年働いていた男に質問しました。キチナー卿の偉大さを、もっともよく表すしるしは何であると思うか、と。
彼はこう答えました。「キチナー卿が手がけるものは、それが何であれ、重要なものになった」と。
そうです、これが全ての秘密なのです。自分の機会をしっかりと捉えて、それを重要なものにするのです。
私たちは、ここ、自治区工科大学にいます。
このことは、どんな好機を表しているのでしょうか。
この学校は、社交的な集いの中心であり、娯楽の中心であり、教育の中心であり、討論の中心であります。
こうした側面のいずれの一つも、私たちは失うわけには参りません。
その全てが、私たちの求める偉大さの一部なのです。
その全てを第一級のものにしましょう。
まずは、社交や、気晴らしの側面を考えてみましょう。
まさかとは思いますが、「偉大であるためには鈍感であらねばならない」などとは思わないでいただきたい。
一つの国家を測るテストとしては、その国が娯楽をどのように形作るのかということに優るものはないのです。
三世紀前に、アルマダ艦隊に勝利〔1588年〕したあと、ここサザーク地区〔ロンドンのテムズ川南岸〕は、幸先よくスタートを切りました。
シェイクスピアが、ここに自分の劇場を持ち〔1599年サザーク地区にグローブ座を開業。現在も200m離れた位置に復元されている〕、この自治区で上演するために戯曲を書いたのです。
彼はこのあたりの道を歩いていました。もしあなたが、ウエストミンスター〔ロンドン中央部の自治区〕でシェイクスピアに会ったら、彼はたぶんこんなことを言うでしょう。「これからエレファント亭に行こうかと思ってね」と。
〔エレファントは、サザーク地区の円形交差点にあった馬車宿の名前。シェイクスピア『十二夜』には、「宿を取るなら南の市外のエレファント亭が一番でしょう」という台詞も登場する〕
そして今日でさえ、「オールドビック座 Old Vic」〔ロンドンのテムズ川南岸にある劇場〕でかかる芝居は、シェイクスピアの作品を正統に演じたものを観るには、ロンドンで最高の劇場なのです。
シェイクスピアの劇に対してサザーク地区がなしたことは、他の芸術に対してもできるはずです。この学校を、サザーク地区の活力として使うのです。
芸術にかかわることを企てるにあたって、私たちが中心でないことがありましょうか。私が言っておりますのは、私たち自身の芸術の企てです。私たち自身によって考え出されて、私たち自身によって享受され、私たち自身によってやり通される芸術です。
私たちそれぞれが創造したものを、私たちがお互いに常に喜ぶというわけではないでしょう。しかし、私たち自身が努力するというのが偉大な点なのです。
もちろん、あらゆる努力は、準備を要しますし、刺激を要しますし、他の人たちが何をしているかという知識を要します。
現在のところ、――戦争によって一時中断はされていますが――絵画芸術において大きな革命が、世界中で進行しています〔印象派を指すか〕。
その中心は、パリとイタリアとロンドンとミュンヘンです。その起源は極東、中国と日本に発します。
どんな革命とも同じように、この革命に対しても賛否の二派があります。保守派と革命派です。私たち自身の、すぐ近くの部屋にあるフレスコ画の数々は、ロンドンにおけるこの運動の初期段階を代表するものです。
これについての全てを知らずにいられるでしょうか。この運動のさまざまな段階や、相反する流れの、具体例となるような色々な絵の貸出を受けて、古い流派を代表する様々な例と比較するべきではないでしょうか?
とはいえ、絵画というものは、芸術というものの一つの側面に過ぎませんし、自分でやってみることが一番簡単な芸術というわけでもありません。
音楽、ダンス、朗読、文芸、彫刻、模型製作といった芸術もあります。刺繍、製本、婦人服仕立て、室内装飾といった、装飾にかんする多様な芸術もあります。
この目録は、不十分なものではありますが、二つの重大な真実を語っています。「芸術と気晴らしは切り離せない」ということ。そして、「芸術と商業は切り離せない」ということです。
この目録は、私たちが娯楽として考えるものと、商業として考えるものを含んでいます。それはダンスから始まり、室内装飾で終わったのでした。
そうしたすべてを美しくしましょう。
美しいものには威厳があります。
あなたのダンスのリズムを楽しみ、あなたの刺繍や、あなたの製本の美を賞賛しましょう。
人は何をするのであれ、卓越した理想像を持つべきです。
芸術と仕事を分け離ててしまうことは、いかなる場合においても、ただ誤りであるばかりではありません。商売としてもきわめて不味いのです。
我らが勇敢なる盟友、フランス人は、パリを世界の芸術の中心地にしました。
フランス人は、装飾にかんするフランスの生産品を、大きくて儲かる商売へと築き上げ、それを維持しています。フランス人が有する三つの性格が、その主な理由となっています。
まず第一に、彼ら自身が芸術を楽しみ、かつ崇めています。
第二に、彼らは途方もない精力で骨身惜しまず働きます。
そして第三に、フランスの男はみな、そしてフランスの女性はさらにもっと、常識的感覚というものを、莫大な蓄えとしてその身に宿しているからです。
私たちの産業と、私たちの常識的感覚を、商業の中で、それが必要とされるところで活かすためには、デザインと技能の学校における厳格な訓練が必須です。
私たちは、そうした学部もここに有しています。
でも、あなた方自身が自然な気晴らしとして芸術と美を楽しむのでなければ、そうした訓練のすべては失敗なのです。
訓練のための技術学校というのは、深く狭い井戸のようなものです。私たちの様々な本性のうち、表面を流れているものではなく、それよりも深いところにある地下水脈に触れるまで、慎重に掘り進めてゆくのです。
しかし、眩しく暖かい太陽が、まず広大なる海洋から蒸気を吸い上げ、自由に吹き渡る風が、雲をあなたこなたへと運び、そしてついには偶然であるかのごとくして、遠く離れた丘陵で破れ、降り注ぐ雨となって大地を濡らすことがなければ、せっかく掘り当てたその井戸も枯れてしまいます。
私がいま芸術について述べましたことは、他の職業や、他の研究にも当てはまる喩え話です。
これは単なる喩え話なのではありません。喩え話以上のものです。文字通りの真実なのです。
芸術への愛は、卓越したものへの愛です。偶然の力が生み出した不格好なものに対する、デザインされたものの勝利を味わう喜びなのです。
真っ当な仕事をするエンジニアなら、自分の作った機械の美しさを愛でるものです。様々な部品どうしの調整や、素早く滑らかな動作に現れる美をです。
エンジニアはまた、知識のおかげで予測や洞察ができるようになる、その感覚が大好きです。
人々はこう言います。「機械や大規模商業が、いまの世の中から美を追い出している」と。
私はそうは思いません。
新しい美が加わりつつあるのです。より知的な美です。眼を喜ばせるのと同じくらい、知性を喜ばせる美なのです。
ロンドンの奇観は、いつみても新たな驚きであり、人々をまごつかせます。
ロンドンには公園があり、宮殿があり、大教会があります。しかし、人を驚かせるという点では、商業施設や、工房や、工場を超える場所はどこにもありません。
今から数年のあいだに、今後数世紀にわたる世界の未来が決定されることでしょう。
この戦争の様々な戦闘は、民族どうしの競争対立の、ほんの手始めなのです。そして、いろいろな民族がそれぞれ代表している、さまざまな生活様式のあいだの競争対立なのです。
私たちは信じています。英国は、海を超えたところにある島々や大陸に散らばっている様々な人々や共同体と共に、人の生き方の、限りなく貴重なあり方を代表している、と。人間性、自由、自治、寛容と親切の感覚に基づいた良き秩序、平和な産業。そうしたもののあり方を代表しているのです。
この闘争は最終的には、世界中の工房が決着をつけることになるでしょう。
あなた方の手にかかっているのです。
政治家や皇帝たちは、あなた方が成し遂げた結果を公式化するに過ぎません。
技能や活力、そして知識が、あなた方の武器です。
あなた方には、自分の権利についての健全な理解が必要ですし、他の様々な階級が有する権利や抱えている困難についても健全な理解が必要です。
英国の偉大さは、あなた方の偉大さ。英国の成功は、あなた方の成功です。
戦争の武器庫はウリッジ〔ロンドン東部。陸軍士官学校と兵器工場があった〕にあります。この工芸大学は平和の武器庫です。あなた方が自分の生活を征服するための武器がここにあるのです。
〔おわり〕
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【訳者より】
・Lowe の『ホワイトヘッド伝』によると、当校の生徒の多くは労働者男女。ホワイトヘッドは理事 governer の一人となることを引き受け、重要な委員会の委員にもなったとのこと。『ホワイトヘッドの対話』XXIX節にも、この工芸学校に「客員教授としてたびたび行っていた」というホワイトヘッドの発言があります。
・この時期の英語および英国の状況の知識に欠けることもあり、うまく訳せている自信はありません。おかしな点があればご教示いただけますと幸いです。
・「 The crown of your success is the promise of future work, often unrecognised work, done under discouragement, but done steadily and cheerfully. 」を、「あなた方の成功の頂点は、未来の仕事の約束を得ることにあります。これは見過ごされがちな仕事であり、意気を挫かれつつなされる仕事です。しかし着実に、そして朗らかになされる仕事なのです。」と訳しましたが、うまく意味が取れていない感じがします。大事な一文だと思うのですが…。
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