今回は労働価値説の話をしたいと思う。
難しい話は出来るだけしたなくないので、労働価値説とは簡単に説明すると手間ヒマ(労働)をかけて作り上げた商品やサービスは価値がありとする経済学説である。
これはアダムスミスから言っていた事だが、基本的にはマルクス経済学の根幹であった。
マルクス経済学で作り上げた共産主義国は労働は神聖な行為であった。ソ連の国旗には鎌とハンマーという労働の象徴が描かれていた。
国家の価値観というものは非常に影響力が大きいのもで、この労働価値説の影響が共産主義国の技術進歩の停滞をもたらしたものと思われる。例えば、新しい機械を発明して生産性を2倍にしても、労働価値説の評価基準である手間ヒマを少なくするものであるから、全く評価されないどころか、労働という神聖な行為を奪ってしまうのだから非難すら浴びかねないのである。
共産主義国が自由主義の国から技術進歩が著しく遅れた原因はこの辺にあるものと考えられる。
それでは現在の日本の話に戻りましょう。同一労働同一賃金とかいう議論がなされたりしています。これも労働価値説の影響でしょう。また一億総活躍社会とかいうスローガンで女性や老人やさらには外国人労働者まで入れてどんどん働かせましょうという政策もこの労働価値説の影響でしょう。
知らず知らずのうちに、多くの人たちが労働価値説という古びた共産主義思想に洗脳されているのです。
逆に私の基本的な考え方は、需要価値説という考え方をとります。要は、どんどんとお金を無駄遣いして財やサービスを消費していけば、それに対して生産活動が生まれて、価値が生まれてくるという考え方です。
現在の生産はロボットや人工知能や機械が多くを行なっています。そしてその範囲は今後の技術進歩によって広がる事はあっても狭まる事は無いのです。もちろん労働というものが生産活動の一部を担っているのは事実です。しかしどんどんと人間が担ってきた部分は技術進歩で代替可能となってきているのです。
ここまで来たら、人間は開き直って労働などという時間の浪費活動はやめて、ロボットや人工知能や機械に任せてしまってはどうでしょうか。そしてどうしても人間にしか出来ない部分だけ人間がやればいいのです。
当然、そうなると労働によって所得を得るという考え方も古臭いものになります。中央銀行に国債を買わせてそれを財源に無償で国民にどんどんとお金を配ってあげればいいのです。
私の需要価値説によれば、政府や企業が国民がお金をどんどん無駄遣いして需要を増やせば増やすほどGDPは上昇し、国家の富は増えるのです。
もちろんそのお金を人工知能などの技術進歩の活動に使えば、技術は上昇し、もっともっと需要を増やしてもインフレにならない状況となります。
皆さん、発想の転換をしましょう。