愛国者のための経済ブログ

丹羽春喜先生小野盛司先生に学びました。経済を中心に論じて行きたいと思います。ヘリマネを財源ととするベーシックインカムによるデフレ脱却を目指しています。

「勤労の義務」廃止論

私は、いわゆる国民の「勤労の義務」は廃止すべきであると考えている。

まず「勤労の義務」というのはその起源はスターリン憲法から来ているようである。これについては八木秀次先生が解説しているので参照下さい。
http://www.sankei.com/life/news/140104/lif1401040018-n1.html

そして、これからの時代は技術進歩によって人口知能やロボットがどんどんと人間から労働を奪っていく事が確実になります。日本で最高権威のある民間シンクタンクである野村総研によれば、10年から20年後には現在の労働の約半分は人口知能やロボットで代替可能と予測しています。
https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspx

情けない事に自民党や日本第一党の憲法改正草案にも「勤労の義務」というのが出てくるのです。保守派の人まで知らず知らずに共産主義者に洗脳されているという事なんです。

以前にも言いましたが、一生遊んで暮らせる不労所得や資産を持つ者が労働をしてしまうと、貧しい者の生活の糧を奪い、労働供給量の増加によって、
労働供給量の増加→賃金の低下→購買力の低下→消費の低下→GDPの低下
というプロセスで経済を悪化させる事になるのです。むしろ労働なんてしないで余暇を満喫して貰った方がいいのです。

また私は、ヘリマネを財源とするベーシックインカム論を提唱しています。ベーシックインカムは労働しないで無条件に金銭を給付する事を認める制度です。「勤労の義務」というものがあるとベーシックインカムを推進する上でも障害となるのです。

アメリカの経済要求は日本の国益になる場合が多かった

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アメリカのいわゆる対日経済要求について、日本経済を破壊するための謀略であるという様な論者が結構いる。左翼陣営だけでなく、むしろ保守派の論客と言われている人達にもこの様な考えの人が多い。しかしながら、私は全体としてみれば、むしろ日本経済にとってメリットになる場合の方がはるかに多かったと考えている。

日米経済摩擦の歴史は長く、1960年代後半の繊維製品、1970年代後半の鉄鋼製品、1980年代のカラーテレビやVTRをはじめとする電化製品・自動車(ハイテク製品)などのありとあらゆるものが問題になってきたわけである。また1990年代の日米構造協議や最近ではTPPの問題などもある。

しかし問題の本質は日本の過剰な経常黒字・貿易黒字体質であり、それは日本経済の貯蓄過剰体質である。アメリカが日本に対して内需拡大を要求して来たのは、かなり本質を突いたものであり、それはまた日本の国益にも繋がるものである。(私は1970年代からすでに日本経済はデフレ体質になっており、アメリカはそれを見抜いていたと思われる。)アメリカは決して日本経済の破壊を目的としたものではなく、共存共栄を目的に要求してきているようである。

例えば1980年代のアメリカの経済要求は内需拡大と働き過ぎの解消であった。それによって前川レポートというのが出された。私はこれは日本国民の幸福や日本経済の成長にとってかなりプラスになったと思っている。私は、日本人の働き過ぎつまり過剰な労働供給量が低い賃金水準とそれによる購買力の低下につながっていたと思っている。アメリカの対日圧力で、週休2日制が導入された。私は週休2日制なんてケチな事は言わず、世界に先駆けて週休3日制くらい導入すべきだったと思っている。

またそれに引き続く、1990年の日米構造協議において日本に対して内需拡大が要求された。当時の海部内閣はこれに応え、10年間で総額430兆円という「公共投資基本計画」を策定した。

1990年代の前半のバブル崩壊期において、株や土地は激しい資産価格の下落をもたらしたが、日本経済はかろうじて0〜2%の成長率で済んだ。これは公共事業を増額した事で、資産デフレのマイナスをカバーしたからである。つまり公共事業の増額が無ければ1990年代前半から激しいマイナス成長に入っていた可能性が高い。

そして、1997年から橋本内閣において、消費税増税公共事業の削減の開始などが行われました。その結果、日本経済は大きく落ち込みました。日本の自殺者数は、1997年の2万4391人から、1998年には3万2863人へと急増しました。経済的理由による自殺が大幅に増加したことによるものです。

私は、もしアメリカの要求による10年間で公共事業430兆円というものが無ければ、1990年代の前半の段階で自殺者3万人を超えていたものと考えています。つまり、アメリカの経済要求は結果的に日本人の命を経済的理由による自殺から救っていた事になるのです。

オウム真理教事件を振り返って

今日は経済以外の話をさせていただきます。

1995年(平成7年)、今から21年前に地下鉄サリン事件を始めとする一連のオウム真理教事件で日本中が大騒ぎになった年です。

若い人には想像出来ないかもしれませんが、当時はインターネットがありませんでしたのでテレビや新聞の情報をうのみするしかありませんでした。また当時は北朝鮮拉致事件も明らかになっていませんでしたし、今とは比較にならないくらい平和ボケしていました。

今から、当時を思い浮かべると色々なものが見えてくると思います。

当時のテレビには江川紹子とか有田芳生とかまたは左翼系の弁護士がオウム真理教と戦う人物として登場しました。ですから、今では想像出来ないかもしれませんが有田芳生を、「悪と戦うカッコいい人」くらいに思っていました。

今考えると、オウム真理教事件は、北朝鮮の間接侵略であったと思っています。いわゆるオウム真理教の施設、いわゆるサティアンから全人類を殺害できる程のサリン原料や軍用ヘリが見つかっています。これはどう考えても、海外の関与があったとしか思えません。しかし、当時はオウム真理教の単独犯として報道されました。今でもそう思っている方も多いと思います。

どうも当時のテレビに登場していた有田芳生とか江川紹子等の人物は、オウム真理教への追及が北朝鮮には及ばないように情報誘導していた様ですね。これも今だからわかる話ですが。

インターネットがなかった時代は本当に恐ろしいですね。

国民が怠け者になった方がいい

OPEC石油輸出国機構)というのがあります。中学の社会科の教科書でも出てくるので当然御存知だと思います。産油国が石油を高く売るために、産油国どうしで談合して石油の産出量を決める組織です。

要は産油国は石油を高く売るためには販売量を減らした方がいいという事です。

これは労働市場にも言えると思います。労働者が販売価格(賃金)を上げるためには、労働供給量を減らした方がいいという事です。つまり、労働時間を減らしたりだとか、働いている人がニートになったりする事です。つまり、国民が怠け者になった方が、労働力を企業に高く売る事ができるという事です。

考えてみれば、当たり前の話だと思うのですが、この事を主張する経済学者や経済評論家を見た事がありません。

ほとんどの経済学者や経済評論家は労働供給量は増えた方が経済成長に寄与すると主張しています。

以前に述べましたが、私は国民が怠け者になった方が経済が成長するという考えを持っています。

労働供給量の増加→賃金の低下→購買力の低下→消費の低下→GDPの低下

労働供給量の減少→賃金の上昇→購買力の上昇→消費の増加→GDPの増加

となっているのではないかと考えています。

外国人労働者を受け入れた方が経済成長に寄与すると考える人が多いですが、私は逆に上記のメカニズムで経済成長を低下させるものだと考えています。外国人労働者は全面的に禁止するべきだと考えます。

それだけではなく、政府は1億総活躍社会と称して、女性や高齢者を労働市場に呼び込もうとする政策をやっています。これは経済成長を悪化させるものだと考えます。

現在政府は、女性を労働市場に駆り出すために、配偶者控除の廃止だとか、年金の3号廃止だとか、専業主婦の待遇を悪化させる政策をやっています。私は逆に専業主婦(有閑マダム)を優遇する政策をして、女性をできる限り労働市場から撤退させる政策をやった方が良いと考えています。

また、高齢者について年金支給年齢を引き上げる方向で動いています。私は、逆に年金支給年齢を65歳から60歳に引き下げて、高齢者をさっさと労働市場から撤退させるべきだと思います。

また、一生遊んで暮らせる不労所得や資産を持つものについては、労働を厳しく制限するべきだと考えます。一生遊んで暮らせる金を持つ者が働いたら、貧しい者の生活の糧を奪う事になります。ニートは賞賛されるべきものなのです。

 

山崎元氏のベーシックインカム論は意味が無い

http://diamond.jp/articles/-/10608

「国の予算は、新しい支出に対して厳しく「恒久的財源」を求めるが、財源の問題はどうか。一人月5万円のベーシックインカムだとすると、年間に必要な財源は約75兆円だ。これは、巨額に見えるかも知れないが、現在の社会保障給付は既に年間約90兆円ある。年金、雇用保険などで既に負担している保険料も含めて税金に置き換えてベーシックインカムの財源とすることができれば、健康保険など医療関係の支出約30兆円を除外して、追加財源は15兆円程度で実施可能だ。消費税で賄うなら、5%程度の税率引き上げでいい。また、税金を払う人もベーシックインカムを受け取るので、お金の出入りに重複があり、見かけほど負担が増えるわけではないから、規模的には月5万円以上のベーシックインカムも実現可能だろう。」
ここは山崎元氏の趣旨の引用

山崎元という人も、ベーシックインカム論を唱えている。しかし私はこの人のベーシックインカム論には、反対というか意味が無いと思っている。

山崎元氏のベーシックインカム論の最大の欠点は、その財源を現在の社会福祉の廃止や消費税の増税に求めている事だ。

この人もやはり、財源を租税などで求めなければならないと思い込んでいるのか、あるいは、日銀の国債保有、ヘリマネ、通貨発行権というものについて知らないふりをしているのかのどっちかであろう。

現在はデフレ状態であるから、財源を通貨発行権等に求めるのが望ましのである。

しかも、例えば公的年金を廃止してそれを財源にベーシックインカムを行うとしようとしよう。公的年金はそれがもらえる事を見込んで払い込んでいたのである。いわば既得権である。そんなものを廃止するなんて政治的に不可能である。その他の福祉だってほぼ同様に既得権益化しているのである。別に既得権益とは必ずしも悪いものでは無い。人間は誰でも自分の利益は守るのである。結局、そしてベーシックインカムの実現は難しい事を本人が認めているのである。

私は、ベーシックインカム論者であるが、やはり通貨発行権(シニョリッジ)に求めなければ意味が無いと思っている。現在の福祉をベーシックインカムに変えるだけでは、ただ同じパイを奪い合っているだけに過ぎないのである。私はとにかく全体のパイを増やさなければならないと思っている。

積極財政は政治的に難しい

ケインズは、かれの主著『雇用、利子、貨幣の一般理論』(1936年)のなかで、経済が不況・停滞に苦しんでいるようなときには、失業者たちを集めてきて、無用な大きな穴を掘らせ、すぐにまた、それを埋めさせるといった無意味な仕事でもよいから働かせて、賃金を支払ってやればよい。そうすれば、そのことが、そのような失業労働者たちの消費支出の拡大をもたらすから、不況・停滞の克服に役立つであろうと述べている。

これは経済学的には正しい事でありながら、ものすごく評判の悪い事である。だから逆に政治的には実行するのが非常に難しい事でもあるのである。

江戸時代のような封建時代なら、以前に述べた徳川綱吉徳川家斉のように君主が贅沢をして景気を良くする事ができた。しかし、今の政治家が公費をつかって贅沢をしようものなら、たちまち非難され、選挙で落選の憂き目に遭うだろう。

公共事業を増やすにしたって、費用対効果ばかり問題にされ、なかなか増やすのは難しいのである。たとえ、1人の通らない道路や1人も乗らない新幹線に使ったとしても、その建設した会社の売り上げになり、そこで働く社員の給与となるのだから、経済効果はあるのであるが、その様には判断されないのである。

では、救貧政策に遣うべきだろうか。例えば、生活保護について、「母子家庭で子供2人で、月に29万円貰っている家族」が問題になりました。確かに、国民一般の生活水準から見れば、働かないでそれだけ貰っていたら、国民感情から見れば腹が立つのは当然である、しかし、生活保護もそこから消費支出になっているのであり、生活保護費を減らせば、経済学的にはマイナスになり、GDPも減少するのである。

世界大恐慌のとき、ドイツではナチスヒトラーが独裁権を握って、やっと大規模な軍備や公共事業の拡大でやっと不況から回復できたのである。民主主義下では、いろんな意見が出て来てしまって、なかなか大規模な財政出動が難しいのである。アメリカでもやはり大東亜戦争の開始で大規模な軍需支出によって景気が回復したのである。民主主義をやめるか、大戦争が起こるか出なければ大規模な財政出動は難しいのかもしれない。そう考えると、絶望的な気分になってくる。

経済学的にはとにかく何でもいいから政府がもっともっとお金を遣わなければならないのである。しかし、なかなか政治的に増やすのが難しいというのが実情でなのである。

供給よりも需要を増やす方がはるかに難しい

多くの人達は経済を成長させるためには生産設備とか労働力とかの供給力を増やさなければならないと思ってしまうようです。

私は逆に消費だとかの需要が増えないから経済が成長しないのだと思っています。需要が増えれば、企業は設備投資を行なって自然と供給力を増やすと考えます。ですからまず需要を増やす事を最優先に考えなければならないとおもいます。しかし、実は需要を増やす方が供給を増やすよりはるかに難しいと考えています。

昭和20年に日本は大東亜戦争に敗戦しました。日本中が空襲であらゆる生産設備が破壊されました。確かに敗戦直後の時期は生産力が不足していました。生産力を増やす事が急務でした。

しかし、その生産力不足の時代はせいぜい3年〜4年程度でした。昭和24年2月にアメリカからGHQの経済顧問としてジョセフ・ドッジという人物が訪れ、この人が財政金融の引き締め政策をやってデフレに陥りました。いわゆるドッジ・ラインです。この影響で日経平均は最安値を更新しました。そして昭和25年に朝鮮戦争が始まりました。この戦時需要のおかげで日本は復興するわけです。

要は、生産力のなど大東亜戦争であれだけ破壊されても、3〜4年という短い期間であっという間に復活してしまうのです。その後はむしろ需要の増加が経済成長を促進しました。つまり供給不足の問題など需要が増えれば自然と後からついてくる状況になったわけです。

一方で、現在の日本はバブル崩壊以降26年間ずっと、経済成長率が平均1%程度のデフレ不況が続いています。需要さえ増やせば、経済成長が出来る状態であるにもかかわらず、財政出動をさせようとすると、それに対して必ず「税金の無駄遣い」だとか「財政出動は効果がない」だとか「国債の残高が増えている」とかいう反対論が出てきて、必ず妨害されてしまいます。その結果、26年間ろくに経済成長が出来なくなってしまったのです。

アメリカでも1929年に株式が大暴落を起こし、いわゆる世界大恐慌に陥ります。この時、歴史教科書にはニューディール政策でアメリカで経済は復活したと書かれていますが、実は財政出動に反対する意見が大きく、復活は出来なかったのです。ようやく1939年に1929年の経済水準を回復します。

つまり、その間の10年間はGDPは1929年よりも低い水準だったのです。1939年にヨーロッパで戦争が発生してその戦時需要でようやく戻ったのです。その後、1941年に大東亜戦争戦争が勃発します。アメリカ経済は大東亜戦争の戦時需要によって高度経済成長を迎えます。つまり、大戦争が発生して国家の危機に陥るくらいでないと、必ず財政出動に反対する意見が出てきてなかなか大規模な財政出動を行うという決断が出来ないのです。大東亜戦争の戦時需要でアメリカ国民の生活は戦争が始まる前よりもはるかに豊かになりました。

この歴史を考えると、需要を増やす事は供給を増やす事よりはるかに難しいようです。