
禰豆子よしよし
ハロー、ガイズ。
これは『鬼滅の刃』に根本的に欠けている世界の一般常識の話。なぜ日本が近代化できず、男女平等━━世界120位/153ヵ邦(2021年)になるか、根っこの話。日本の根幹、漫画に出てくる語やそのバックボーン。
日本人にとってはブラザーフッドやシブリングすら聞き慣れない。シスターは年齢で姉や妹に分かれない。ブラザーも年齢で兄や弟に分かれない。時代的に、日本アニメの英訳では性差のないシブリング(ブラザー&シスター)が好まれる。すでに炭治郎と禰豆子の兄妹と噛み合わない。
後先。欧米のスクールは先生生徒や先輩後輩の後先語がない。いや、日本語にも先輩後輩の造語は無かった。
上下。西洋には目上目下、年上年下、上司部下の上下語がない。いや、日本語にもこれらの造語は無かった。
右。世界━━西洋と中東とインドとアフリカ━━では、右が善で、左が悪だ。聖書やクルアーンでは、右が天使と天国の側、左が悪魔と地獄の側だ。仏典も右が善行、左が悪行。Rightは正しさと右を表し、肯定の返事「正に」としてyesより使われる。「権利」は日本人がrightから誤訳した造語。フランス語「droit 」、イタリア語「diritto」、ドイツ語 「recht」も「正しさ=右」を表す。
左。日本だけ、左が上で、右が下だ。天照は黄泉で穢れたイザナギの左眼から生まれた。月読は黄泉で穢れたイザナギの右眼から生まれた。八百万のカミガミは、皆、左上右下。雅楽の左舞は右舞より上。左大臣は右大臣より上。着物は左が上。ご飯は左に配膳。日本仏道は、仏典の左右を逆転させ、左を善行、右を悪行とした。左の太陽は、悪魔の太陽。
ラヴ。人を姉妹や兄弟の上下に分けない。ステューデンツを後先の上下に分けない。人を目上目下や年上年下や上司部下の上下に分けない。大統領や大臣や大人の大語を造らない。左の悪魔太陽を崇めない。
マザー。普通は呼びかけに使わない。マムと呼びかける。幼児語はマミー。
ファーザー。普通は呼びかけに使わない。ダアドと呼びかける。幼児語はダディ。チャーチのファーザーはファーザーと呼ぶ。ファーザーに「神」や「様」はつけない。神父様はひどすぎる誤訳。
ワールド。世界と違い、まず人間を含める。ザをつけると、クニや人種で区別しない語となり、「We Are the World」で人類の歌になる。
チャイルド。原語は胎。ザをつけると、クニや人種で区別しない語となり、「We Are the Children」で楽しい歌になる。
ピープル。ザをつけると、クニや人種で区別しない語となり、共立(憲法)やニュースの基本単位としても使われる。ザ・ピープルを国と民で差別する「国民」に変える島があったなら、そこは悪魔の島に違いない。
ネイチャー。天地を分ける力。原語は生。自と然の字を含まない。生はまず人間を表す。「ナチュラル・ロー(生法)」は、イコールとヒューマン・ライツの源。ネイチャーはあるものすべてを指す。生は全体なので、生が豊か、生が貧しい、生が多い、生が少ない、生が美しいとは言わない。現代日本語の自然はネイチャーの勘違いから広まった生き恥語。
プリンス。一番、頭のこと。王の子という字面ではない。起源は血統や役職と無関係なプリンケプス(第一人者)。各ジャンルで一番になればプリンスと呼ばれる。
プリンセス。プリンスの女性形。
エンペラー。キングより格下で血統が不要。
キング。エンペラーより格上で血統が必要。
女王国。いわゆる魏志倭人伝、『三国志』魏書では、女王ヒミコや女王イヨが治めた国全体を倭国と呼び、より多くは女王国と呼んでいる。が、日本の文科省は『三国志』魏書にない「邪馬台国」という嘘で子供たちを洗脳し、男尊女卑のため「女王国」と言わない。魏国で「台(臺)」は皇帝の宮殿を指す。義国の皇帝が、卑しい女王や邪な馬の国に「皇帝の台(臺)」を認めるというトンデモ説。文科省がトンデモ説の温床。『三国志』は絹が普及した3世紀の女王国を書いた。実際、九州からは1世紀の庶民の墓から絹が出土する。近畿の日本国は8世紀でも絹を税として物納できなかった。近畿の日本国は、女王国を継ぐ九州の女領主を「土雲」と呼び、後世に「土蜘蛛」と蔑称した。日本国は絹を知らず、女神や女王や女領主を持たない成り上がりだったので、女神や神器をよそから盗って建国した。平安時代の源頼光(948-1021年)が中華刀の膝丸を蜘蛛切に改称するほど、日本国の成り上がりと、高貴なる土雲お姉ちゃん問題は続いていた。
日出ずる処の天子。これは『隋書』の俀国の話で、日本国側の記述にない。倭国とも異なる俀国は、兄を天とし、弟を日とする仏法国だったが、隋国に倣い、それを改めた。そう、俀国では弟が太陽で、お兄ちゃんが天だった。日本国が日出ずる国ならば、天はお兄ちゃんであり、天照お姉ちゃんではない。日出ずる国ならは、日は弟であり、風海や常世のスサノオではない。日出ずる国ならば、王は毎日結跏趺坐する仏法徒。仏法僧を排除した伊勢神宮は日出ずる国に反する。俀国は男王の多利思北孤であり、日本国の推古天皇(在位592〜628年)ではなかった。日本の建国は飛鳥浄御原令の689年であり、推古の時に天皇号はまだない。隋の裴世清が記した俀国の風物は日本国と異なり、冠位十二階も異なる。日本書紀は隋国を大唐と呼び、隋国を知らない。また、日本国は大唐以前の中華を呉や漢と呼び、漠然と大唐と呼ばなかった。隋国を知らない虚言国、日本国は日出ずる国の俀国ではない。文科省は日の丸や君が代を強く推奨する一方、小・中・高学校の歴史教科書に日本国の建国年を載せず、学習指導要領に日本国号について一言もない。
倭。『万葉集』で倭と読む。『万葉集』に大和という地名は一首もない。後世に、日本国は大和国を作り、日本国がヤマトと標榜した。ところが、『旧唐書』東夷によると、日本国の遣唐使は、唐国において「日本国は倭国と別」「日本国はかつて小国で倭国を併合した」と言っている。『新唐書』では日本国の遣唐使が「日本国は小国で倭国に国号を奪われた」と言い、日本の使者は不人情で疑わしいと書かれている。どちらにせよ、日本国の使者が「日本国は倭国と別」「日本国は小国だった」と認め、他に国々があったと認めている。小国の日本国は侵略で成り上がった国。
聖徳太子。推古天皇(在位592〜628)より目立つ聖徳太子は、その『三経義疏』が三経とも中華の経のほぼ丸写しと証明されている。その寺の様式も、文字もその時代にない嘘だと証明されている。『隋書』は聖徳太子も推古天皇も小野小町も登場しない。推古や聖徳太子や日出ずる国ジャパンは卑しい噓であって、誇りではない。
憲法。「Constitution(共立)」の悪意ある誤訳。共立は生きた体、人体をも示す。『日本書紀』の十七条憲法は、聖徳太子が民に押しつける一方的で機械的で無生命な法。共立は人々が自ら投票で選ぶもの、生きたルールのルール。日本国以外の大戦敗戦邦は、共立を改正している。
和。聖徳太子が十七条憲法で押しつける支配構造。天皇が天、臣が地。民は草。その「上和らぎ下睦びて」が和の精神。和の精神は犯罪。和は国際人権規約で、法的拘束力がある犯罪。
草薙剣。すでに本物は壇ノ浦の戦い(1185年)で壇ノ浦に沈み、失われた。失くした後で、本物は別にあるという偽書が造られた。
八咫鏡。すでに本物は失われた。
八尺瓊勾玉。璽とも言われ、大日本国の根拠とされる。『平家物語』剣巻では、第六天魔王から譲られたものとされる。
三種の神器。伊勢のしきたりにない後付け。三種の神器の箱は開けたことがない。偽物だから開けられない。
第六天魔王。色々な後付があるが、八尺瓊勾玉と結びつけれる第六天魔王は、国譲りの大己貴命に当たると思われる。リアルで国や璽を譲るわけがなく、日本国が国と璽を奪いながら「国譲り」の嘘をついた結果が今日も続く「魔王」。
魔王。仏典用語。西洋ファンタジーにない定型。シューベルトの『魔王』は、原語「Erlkönig(エルフ王)」。『指輪物語』の「魔王(Witch-king)」は、「冥主(Dark Lord)」サウロンの僕しもべで、西洋ファンタジーに勇者と魔王という定形はない。
朕。「帝高陽之苗裔兮朕皇考曰伯庸━━『楚辞』離騒」とある。昔は民も一人称に《朕》を使い、民も《詔》や《璽》を使っていた。なのでわたしは《朕》と言う。
民。「民(目を針で刺された奴隷)」が起源で、西洋にない言葉。古来から、日本は民を青人草と呼び、人と区別した。古代ローマと異なり、民は政と権と選挙を知らない奴隷側だった。もちろん西洋に民主主義や国民や市民や人民と公民や庶民などの奴隷語はない。朕は国民や庶民ではない。
国。漢帝国の高祖たる劉邦に避諱し、《邦》を《国》で代用した帝国主義。
京。世界ではすべてをと京とみなし、国民ではなく京人と呼ぶ。東京や京都の人だけが京人というのは中世の発想。日本国はまだ中世。
北海道。アイヌモシリ。日本国が1869年に植民地化したヨソのクニ。日本国の一部ではない。日本一国を名乗り、ヨソのクニを否定していいと勘違いしてる異常人種は日本人だけ。
沖縄県。琉球王国。日本国が1879年に植民地化したヨソのクニ。日本国の一部ではない。日本一国を名乗り、ヨソのクニを否定していいと勘違いしてる異常人種は日本人だけ。
初代天皇。歴代天皇は仏法徒。歴代天皇の位牌をすべて預かる京都市東山区の泉涌寺。なぜか、初代天皇、日本国を実質建国した天武とその子孫の位牌はない。天武は『古事記』『日本書紀』の編纂させ、天皇の称号を定めた者なのに、子孫ごと偽帝扱い。「平安時代になってからの記録を調べると、歴代の天皇陵に対する奉幣の儀が、天武系の天皇に対しては、まったく行われていない」。天武系の御陵は御陵ですらないという天皇家の伝統。初代天皇が偽帝で記紀が偽神話。では、天皇と偽神話を大義にした明治維新と政府は何だったのだろう。仏法徒の天皇家が国家神道で、日本神話や日本建国や天皇や日出ずる国やヤマトが素晴らしいという話は何だったのだろう。
牛頭天王。江戸時代、一般的に「テンノウ」と言えば牛頭天王だった。牛頭天王は、江戸時代の公式行事、五節供(正月・ひな祭り・こどもの日・七夕・重陽)のテンノウだった。天皇を知らない九州の天皇原理主義者たちは、国家転覆後すぐに名指しで牛頭テンノウを消し去り、五節供を公で禁じた。今では正月のテンノウが誰か分からない馬鹿な日本人だらけとなった。
牛。丑。ゴータマとは最高の牛。シッダルタは苦行努力をやめ、牛乳入り粥を食べてから菩提樹の下で悟ったとされる。反ブッダの邪教とは、牛乳を飲まずに苦行努力を奨め、ゴータマの角持つ者に煎り豆をぶつけ、ゴータマと虎の方角を不吉な方角として封じ、ゴータマ三つ刻を不吉な時刻と嘘つく教えだ。こんな邪教を信じたり、都市計画に使う為政者は悪魔崇拝者に違いない。
天。帝釈天や四天王は悪魔として有名だ。帝釈天は正義の神、アスラ王の娘たる舎脂を強姦した。アスラ王はもちろん正義と娘のために怒ったが、天を装う悪魔たちは「正義をやりすぎると悪になるよ?」「アスラは阿修羅」と侮辱を重ね、強姦魔の帝釈天に加担した。この悪魔帝は天照よりも征夷大将軍を含む武士に崇拝され、日本は権力者や上級国民の強姦が無罪になる魔国と化し、今に至る。
明星天子。別名、虚空蔵菩薩。空海(774‐835年)に取り憑いた明星の悪魔ルシファー。空海本人が明星による神秘体験を記している。虚空蔵菩薩は不吉な十三を象徴数とし、智慧を司り、善行を詰めば神々に生まれ変わると嘘で誘惑する。ルシファーも、イヴに禁断の実を食べれば神々に生まれ変わると噓で誘惑した。歴代天皇家は真言宗であり、ルシファー崇拝者だ。
儺。両面宿儺。坂口安吾は『安吾の新日本地理 飛騨・高山の抹殺』で両面宿儺を「初代天皇たるべき人」と書いている。安吾はヒダに注目し、『風土記』の記述がないヒダこそ、記述にしたらまずい秘密があると察した。三国時代の蔡邕(133-192)が書いた『蔡中郎集』「独断」は、儺━━四つ目の面をかぶり、火と桃弓と矢で鬼を駆逐する大晦日、そして東北鬼門について記されている。
鬼。源頼光や頼光四天王、いわゆる渡辺綱(953-1025)や坂田金時(金太郎)、その助言者たる安倍晴明(921〜1005)が嘘を上塗りする。草薙剣持つ八岐大蛇に関する嘘を、女王国側の土蜘蛛に関する嘘を上塗りする。酒呑童子は伊吹大明神(八岐大蛇)の子であり、草薙剣の正当所有権があったから源頼光が殺した。仮に酒呑童子の「人の子の血を飲み、人の子の肉を食べる」がクリスチャンの聖餐で、茨木童子の茨が、茨の冠をかぶり、右手に葦杖持つ厩戸生まれの王にかけたものなら、剣はクリスチャンのものだろう。
火。古来の儺、節分の起源は大晦日で火を用いて百人以上で行う宮中行事だった。加えて正月は、鬼の目を毬杖(ペルシャのポロ杖)で打つ行事、小正月は三毬杖を集めて焼く新年祭で、明らかに拝火教の新年祭の形態がある。正月の中心人物、蘇民将来は「蘇民」が名前で、「将来」が家名の西方人。元々、正月は日本神話でも仏道でもない。
神。《神》は雷のカミの事。《申》も雷のカミを示したが、《言》の用法が強まり、《神》が使われるようになった。日本神話では、雷神を鬼として、桃を雷神に投げて追い払う。一方で、武御雷や菅原道真の天満大自在天神、武士の主神とも言うべき雷神の帝釈天など、強力な雷神信仰が絶えなかった。
1300年前の呪いをそのまま引きずる日本人はシスターフッドもブラザーフッドもシブリングも分からない。太陽の呼吸と刀を使うお兄ちゃんが、妹のために鬼を滅する。すると、子供たちの心に、姉妹上下のないシスターフッド、兄弟上下のないブラザーフッドが入らなくなる。子供たちは、大蛇や土蜘蛛や鬼こそ本物で、日本は偽物なんだよ、という真実が見えず聞こえなくなる。
エゴ。エラダ(ギリシャ)語の原文では、イエス・キリストが会話で自らを「εγώ」と言う。エラダ語は動詞に人称が入るので、通常は「エゴー」を使わない。エゴーはキリストの良い一人称で、悪い自己ではない。
悪魔。デヴィル。イエス・キリストは会話で「διὰ(」とも言う。ディアボロスのディア。ディアボロスは英語デヴィルの元。英語は「διὰ(」を中傷と噓つく。英語デヴィルと英語エゴは、イエス・キリストの否定。
神。エローヒームの改ざん語。ヘブライ語原文では、複数形で単数形扱いの「אֱלֹהִים(」、つまり「壱神々(」が2,000回以上登場し、2,000回以上「神」に改ざんされている。壱神々(の一人称は「We」と複数形。この「We」はイスラムのアッラーにも継承された。壱神々(は両性と男性と女性を含む(。
人。アダム。壱神々(は、自分たちに似せて、両性アダム、男性、女性の三者をクリエイトした(創世記1章)。壱神々(は、男性と女性の「彼ら」を祝福してアダムと呼んだ(創世記5章2節)。アダムは男ではなく無性あるいは両性。
救世主。キリスト。別名「アダムの子」。両性なるアダムの子が、英語では「男の息子(the Son of Man)」と男尊女卑語に改ざんされている。キリストが男尊女卑の道具にされている。

日本人は、シスターフッド、アルファウーマン、ウーマンリブ、フェミニズム…何も始めることはできない。なぜなら、ポストモダンも、モダンも、前近代すらもはじめていないから。日本はすべてを返上する時が来た。天照、天皇、天叢雲剣(、八尺瓊勾玉(、邪馬台国、日出ずる国、葦原中国(、ヤマト、アイヌモシリ、琉球国、左右、日本すべてを元に返す時が来た。何もかも日本のものではなかった。神仏すべてが間違っていた。左の神々は悪魔で、菩薩も諸天も悪魔だった。大蛇や土蜘蛛や鬼や魔王が良い者だった。三種の神器の箱も、泉涌寺の秘密も、開いて確認する時が来た。「日本国」や「日本人」の名を日に返し、アイヌモシリや琉球邦との連邦、葦原連邦(と葦原人(として再出発する日が近い。ここは海外から、右手に葦杖(持つイエス・キリストにちなみ、カラモス連邦島と呼ばれるだろう。
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