296 来ず、行き先いずこ?
――二か月後にスタンピード起こるから泊まり込みで特訓したいやつは覚悟決めて俺んとこ来い。
ロスマンが家に届いた手紙を開くと、たった一文だけ、そう書かれていた。
送り主の名前など何処にも書かれていない。しかし、よほど急いでいたのか荒々しい殴り書きで、元一閃座相手にこのような不躾な文章を送ってくる男など、一人しか思いつかなかった。
「やれやれ」
どうしたものかと悩んでいると、息子のレイヴがじっと手紙の中身を覗き込み、それから途端に目を輝かせ始める。
レイヴはロスマンに対して滅多に何かを要求するようなことはしない。親に気を使っているというわけではなく、要求するほどに熱を入れていることがなかったのだ。
だが、前回の夏季タイトル戦の出場と、今回ばかりは例外だった。
無言の圧力とでも言うべきか、ロスマンに向けられたレイヴの視線は、口ほどにものを言っている。「絶対に行く」……と。
レイヴはセカンドの大ファンである。セカンドに影響されるあまり、セブンシステムを見よう見まねで研究し、たった半年で極めて高いレベルで模倣してしまったほどだ。そんな憧れのセカンドから直々に教わることのできるチャンスなど、まさに千載一遇。
「……やれやれ」
ロスマンは暫しの沈黙の後、全てを諦めたように呟いた。
それを肯定と捉えたレイヴは「っし」と小さく声を漏らし、ガッツポーズを見せる。
彼ら親子はまだ、スタンピードの恐ろしさを知らない。
ヘレス・ランバージャックは、この日、旅に出る予定であった。
彼には放浪癖がある。セカンドと出会うよりも前から、メイドのマリポーサと二人旅をして、世界各地を渡り歩いてきた。
彼の斬新な発想や、剣の勢いや、常識を捨てて挑戦できる柔軟性は、この旅によって養われている。
次のタイトル戦までの間、彼は普段通りあてもなく旅をしつつ、ダンジョンを転々とし、己の剣術に磨きをかけるつもりだった。
「ヘレス様、このような手紙が届いておりました」
出発の朝、食後にコーヒーを飲むヘレスへと、マリポーサが手紙を差し出す。
「…………」
ヘレスは、手紙の中を見て、暫し沈黙する。
それから、ふぅと溜め息を一つついて立ち上がり、こう口にした。
「マリポーサ、行き先を変えるぞ。少し寄り道をする……二か月ほどだ」
元霊王のヴォーグは、行き詰まりを感じていた。
ビンゴ大会で獲得したメモ紙を参考に、【盾術】は既に全習得している。
経験値を稼ぎ、スキルランクを上げる日々。彼女自身でも驚くほどの勢いで成長していた。しかし、何をどれだけ頑張ろうと、あの男の成長速度に追いつける気がしない。
更に強力な魔物をテイムしようと、新たなスキルを覚えようと、セカンド・ファーステストに勝てるビジョンが全くもって浮かんでこないのだ。
原因は明白だった。「全てにおいて劣っている」――それが、大勢の観客の前で、言い逃れできないほどにハッキリと証明されてしまったからだ。
何度も何度も心が折れかけた。やめてしまおうかとも考えた。それでも【盾術】を全習得し、毎日毎日努力を続けているのは……セカンドの
彼女自身、その感情がなんなのか理解できていない。嫉妬、怨恨、恐怖、尊敬、憧憬。様々な思いが混ざり合い、現在の彼女がある。ただ一つ言えることは、セカンドのせいで、毎日が辛く、苦しく、そして楽しいということだ。
「……ふぅん」
だからであろうか。ヴォーグがその手紙を目にした時、彼女自身も不思議なくらいに落ち着いて、すんなりと、参加を決意できた。
この合宿への参加が、行き詰まりを感じていた自分の訓練のブレイクスルーになり得るという確信があったのだ。
スタンピードについては、祖父母から話を聞いたことがあった。非常に恐ろしい災害だと、彼女は知っている。
それでも、参加するメリットの方が大きいように思えて仕方がない。
スタンピードさえ、セカンドたちがいればなんとかなってしまうのではないかという、変な期待もあった。
ヴォーグは、居ても立ってもいられず、さっそく荷造りを始める。
途中、ふと何かに気付き、首を傾げながら呟いた。
「私、彼に依存しているのかしら……?」
タイトル戦が終わった後、散々な日々を過ごしている者もいる。
彼ら兄妹も、そうだった。
ラデンとカレン、四鎗聖戦では二人とも惨敗。兄のラデンに至っては、たったの三手、約十秒でセカンドに敗北した。四鎗聖戦最短記録である。
生き恥だと、ラデンは嘆いた。
カレンも、当初はそう感じていた。
しかし……数日過ごしてみて、カレンは明確な変化に気が付いた。
周りの人が、なんだか優しいのだ。
「大変だったなあ! でもありゃ仕方ねえよ! 事故に遭ったとでも思うんだな! ハハハ!」
酔っ払った大柄な男に、そんな声をかけられたこともあった。
これまでは、四鎗聖保持者のダークエルフと、その妹として、何処か近づき難い雰囲気を纏っていた二人。だが、大敗という経験が、二人のことを周囲の人々にとって身近な存在にしてくれた。
変化は、それだけではない。
反差別活動をしている中、それを利用しようと甘い言葉をかけてくる連中が少なからずいた。
ラデンとカレンは、貴族が嫌いである。しかし、貴族のように強い立場になりたかった。
ゆえに、一部貴族たちとの交流も、確かにあった。反差別活動には、貴族の協力も必要不可欠。そう割り切って考えていた。二人は貴族を利用しているつもりだった。
しかし、利用されていたのは、兄妹の方である。反差別的主張など、貴族にとっては政治的支持を集めるためのネタに過ぎない。言わば、ダークエルフをエサにして、人と金と利権を釣っていたのだ。ラデンとカレンは、その広告塔として申し分無かった。
それが、今や。貴族の誰一人として、二人に声をかけてこなくなった。
理由は単純、セカンドが名指しで大々的に批判したからである。
切実に訴えていたダークエルフの二人と、それを利用しようとしていた悪徳貴族たち。そのような図式となって理解され、世論は大きく傾く。
同時に、王国民の多くが、ダークエルフや獣人の差別問題に対して、自分なりの考えを持つための良い機会となった。
反差別活動を腐敗させないためにはどうすべきか、組織単位どころか、個人単位で、皆が意識するようになったのだ。
八冠王セカンド・ファーステストの影響力は、それほどまでに大きい。ただ、世論がこのような方向へと動いたのは、とある軍師の活躍もあったことは言うまでもない。
「……ねえ、どうする?」
「…………」
ラデンとカレンは、悩んでいた。
二人を散々な目に遭わせた男から、手紙が来たのだ。
否、散々な日々
「私たち、これ以上穢れなくて済むって、あの時そう思ったわ」
「!」
カレンが口を開くと、ラデンははっとしたような表情で顔を上げる。
シャンパーニ・ファーナとの会話の中で、カレンはそう感じたのだ。自分の信じる何かに背かずに生きる――とても単純で、とても難しい生き方。そんな辛い生き方、真似できるはずがないと、あの時、カレンはそう感じたのだが……。
「私、行くよ」
最も変化したのは、彼女の周囲ではなく、彼女自身であった。
支度を始めたカレンに対し、ラデンはまだ決断できずにいる。
彼の中には、ずっと、セカンドから言われた言葉が引っかかっていた。
「どっちが
それは、彼の急所であった。最も突かれたくない部分だ。
自覚があったのだ。四鎗聖戦のついでに、反差別活動をしていると。
どちらにも真摯に向き合いたかった頃もあった。しかし、四鎗聖を獲得し、貴族たちと肩を並べるほどに強い立場となってからは、明確に「ついで」だった。
ラデンは、疲れてしまったのだ。そして、自分を恥じている。意志の弱い自分を。
「…………」
カレンが合宿へと旅立つ日まで、ついにラデンは決断できなかった。
そんなラデンへと、カレンはあえて言葉をかけず、静かに家を出ていった。
「宿や馬車の予約、手間をかけた。御者も引き受けてくれてありがたい。これはほんの気持ちだ」
「そんな、アルフレッド様! こんなにいただけません!」
「構わない。君はそれだけよく働いてくれたということだ」
弓術師アルフレッドは、従者に手間賃を手渡した。
これからアルフレッドは、弟子のミックス姉妹を連れて、帝国へと武者修行に出かける。
実に四か月の長期日程だ。そのための宿や馬車の予約は、既に押さえてある。
本気の合宿だ。アルフレッドは、セカンドの期待に応えるべく、本気でこの半年を修行に費やす腹積もりだった。そして、ディーとジェイも、そんな師匠に付き合う覚悟は決まっていた。
「……お師匠様、こんな手紙が」
「ん?」
いよいよ旅立ちという時、家を出る際にポストを見たジェイが、手紙を手にそんなことを言う。
アルフレッドは、無言で手紙に目を通すと、仕方がなさそうに微笑み、馬車の御者席に座る従者に対して口を開いた。
「すまないが、行き先を変更する。それと……もう一つ仕事を頼みたい」
「ど、どうかなさいましたか?」
「日程を全てキャンセルする。これはキャンセル料だ、押さえてしまった宿と馬車に支払いを頼む」
「!?」
困惑する従者と、首を傾げるミックス姉妹。
アルフレッドは、キャンセル料の数百万CLを従者に手渡してから、こう言った。
「友が呼んでいる」
「――宮廷魔術師団は、これより二か月間、新たな訓練を始動し、個々の戦力の底上げを徹底する!」
訓練場に集められた宮廷魔術師団は、第一宮廷魔術師団長ゼファーによる宣言を聞いて、俄かにざわついた。
新たな訓練とはなんなのか、二か月間も何をするのか、想像がついた者は一人もいない。
その直後、ゼファーの口から出た言葉に、皆が度肝を抜かれる。
「第一宮廷魔術師団特別臨時講師セカンド・ファーステスト八冠の訓練施設をお借りし、週五日の訓練を行う。週に一度は八冠より直接のご指導をいただく。場合によっては、ダンジョンの周回や、新規スキル習得なども視野に入れている」
「!?!?!?」
誰もが耳を疑った。
八冠王セカンド・ファーステストに会えるだけでなく、家まで行き、指導まで受けられるというのだ。
宮廷魔術師たちは、興奮のあまり、集会ということも忘れて大声で喜んだ。
しかし……数名、顔色の優れない、鋭い者もいる。
その中の代表的な一人、チェリが、小さな声で呟いた。
「二か月後、いったい何が起こるんですか……?」
「陛下、猶予はありません。宮廷魔術師団のみならず、第二騎士団は総員、セカンド八冠のご指示のもとで訓練させるべきかと」
「わかっています、クラウス。しかしそれでも足りない」
マインはクラウスの提案に一旦頷くも、「いや」と一言、思考を続ける。
セカンドからスタンピードの概要について聞かされていたマインは、「数で対抗するだけではどうにもならない」ということをよく理解していた。
加えて、他国と比べ、キャスタル王国はスタンピードが発生する可能性のある場所が三か所と多い。数を揃えても、結局は分散されて、効果が薄くなってしまう。
そのうえ、第二騎士団総員という大勢の訓練が、どれほど効果的か疑問が残る。少人数で訓練を実施した方が、セカンドからの教えをより効率的に吸収できるのではないかとの考えもあった。
そして、長考の後、マインは方針を口にする。
「……決めました、クラウス。第二騎士団は、セカンドさんに訓練内容のみ考えてもらいます。セカンドさんの家へと向かい、より濃密な訓練を受けるべきは、少数精鋭の第一騎士団です」
「!」
マインの決断に、クラウスは驚きを隠せず顔に出した。
確かに、第一騎士団は第二騎士団と比べよりエリートの多い集団と言える。人数も少ないため、より密度の濃い訓練が期待できるというのも頷ける。
だが、それよりも、何よりも。
「陛下、私は賛成できません。陛下の守護が手薄になるではありませんか」
そう、第一騎士団とは、近衛を意味する。国王マイン・キャスタルの警護が手薄になるようなことがあってはいけないと、クラウスは即座に反対した。
そんなクラウスに、マインは悪戯っぽく微笑んで、口を開く。
「これから二か月間、ボクはセカンドさんの家で執務しようと思います。普段から迷惑かけられてばっかりなんだから、これくらい許してもらわないとねっ」
「セカンド氏ぃ!! 来たでやんすよセカンド氏ぃ!!」
ある日の朝、ファーステスト邸をとある汗だくの男が訪れた。
ムラッティ・トリコローリである。彼は手紙を受け取ってすぐに、喜び勇んでファーステスト邸へと直行したのだ。
「ようこそお出でくださいました、ムラッティ様。ご主人様は現在、外出中でございます」
「あっ……す、あー……っすか、っす」
あ、すみません、ああ、そうですか、了解です。ムラッティはそう言ったつもりであったが、対応したメイドには一切伝わっていない。
「ムラッティ様がいらした際、ご案内するよう仰せつかっております。どうぞこちらへ」
「お、おふっ、ざっす」
ムラッティはぺこぺこと頭を下げて恐縮し、メイドの後ろを付いていく。とても元叡将とは思えない謙虚さに、メイドは思わずくすりと笑った。
それから暫く移動し、到着した先は――図書室。
ファーステストの図書室は、プリンターの出現で大いに進化した。
セカンドの頭の中にある、ありとあらゆるスキルの習得方法が、使用人によって清書された文章となり、それが何部も印刷されて本となり、ついには「貸出可」となったのだ。
「こちらが図書室です。貸出も行っております、お好きな本をお選びいただいて構いません。では、ご宿泊いただくお部屋へとご案内いたします」
「……フォ……フォォォォォォォッ……!?」
まさしく天国だった。
ムラッティは【魔術】に関係ありそうな本を片っ端から手に取ると、大興奮で立ち読みする。
「ムラッティ様、図書室は二十四時間開放しておりますので」
「ぉあっと! 失敬どひゅーん」
我を忘れて読み耽るあまり、メイドを待たせていることを忘れてしまったムラッティ。謝りつつ、両手いっぱいに本を抱えてメイドの後に続いた。
道中、ムラッティはふと気になり、メイドに話しかける。
「と、ところで、セカンド氏ぃは、いっヒィ、一体全体、いずこへ……っ?」
彼が何を言っているかギリギリ理解できたメイドは、事前に耳にしていた話を口にする。
「現在、ご主人様は刀八ノ国を訪問中です」
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