SOUL REGALIA   作:秋水

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※19/12/16現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第二節 遠征。異常事態(イレギュラー)発生中

 

(なかなか剣を捨てられないな……)

 生暖かさすら感じる血の香りを感じながら、小さく嘆息した。

 遥か遠い昔。滅びゆく黄金の国で愛剣を手放してから幾星霜。

 知らぬ間に迷い込んでいたこの世界でも戦いは続いた。

 妙な異形どもに滅ぼされつつある世界で、数多の英雄たちを育て、まとめ世界の果てへと攻め入って。

 平定まであと一歩と言ったところで、焦燥にかられついに動き出した自らの末裔たちと敵対し。

 末裔に唆された民に手酷い裏切りにあって多くの戦友を失って。

 何とか落ち延びた戦友やその一族を引き連れ、末裔とその下僕どもの追撃を退けて。

 そして、今はかつての仇敵――いや、それから派生したゼノスたちのために。

 まったく、どんな因果なのやら。

「私の言葉がわかるな?」

 見張りの喉をかき切ってから、救出対象の首輪を断ち切ってやる。

「あなたハ……」

「敵ではない。信じられないだろうが、ここで死にたくないのなら、どうか従って欲しい」

 言いながら、牢の鍵を開けてやる。

「傷は平気か?」

 幸い暴れられることはなかった。

 牢の中に踏み入り、可能な限り刺激しないよう静かに声をかける。

「え、ええ……」

 その者が頷くのを見届けてから、はめられた枷を切断する。

 かつての愛剣には及ばないまでも、それなりの業物だ。

 この程度の真似はできる。

「あなたハ、人間なのデスか?」

「見ての通りさ」

 人ではない。

 人ではないが、もはや人間と関わっている時間の方が長くなりつつある。

「苦労したな」

 痛めつけられ、また汚されてもいるその体を静かに抱きしめる。

 やはりこの姿(人間)に恐怖を覚えるのだろう。しばらく体をこわばらせていたが……

 背中をさすっているうちに体から力が抜け、小さな嗚咽が聞こえてきた。

 まったく、愚かな事だ。

(いや、人ばかりを責められはしないか……)

 おそらく、末裔たちも気づいていない。

 この者たちが何者なのか。一体何故生まれたのか。

 その誕生が何を意味するのか。

 ……もっとも、私たちとてすべてを見通しているわけではないが。

(超越存在、か……。愚かな事だ)

 在りし日の我らが王達ですら、全能でもなければ万能ですらなかったというのに。

 そして、今や火は潰えた。

 ならば、我らもまた闇より生まれたただの一匹へと戻る時が来たのだろう。

「すまないな。そろそろ、ここを離れなくては」

「はイ……」

 いつまでもこうしてはいられない。

 この者を連れだせば、いずれ騒ぎになる。

 私一人なら物の数ではないが、傷ついたこの者を抱えていてはいつも通りには戦えない。

「いたぞ!」

「逃がすな!」

 地下牢から抜け出し、あと一歩で脱出と言ったところで発見されてしまった。

 どうにも運が悪い。舌打ちしながら、その者を抱えて外壁を飛び越える。

(流石に多いな……)

 まぁ、物の数ではないが。

 予定された脱出経路に従って駆け抜ける。

 合流地点まで駆け抜ければ、私の役目は終わりだ。

「あとは任せた。……すまない」

「ああ、心得ている。……よくやってくれた」

 長年の戦友とすれ違う。

 この男なら、あの程度の弱兵など何人いても問題ではない。

 多少体は衰えたとはいえ、剣の冴えが曇ったわけではないのだから。

 戦闘音はごく短い間に途絶えた。

 ただ――

「ひぃいいいいぃぃ!?」

 船上から逃げ出した兵卒が、こちらに向かってくる。

 どうにも運が悪い。こちらに来なければ、死なずに済んだというのに。

「た、たすけ――」

 悲鳴は、途中で途絶えた。

 その哀れな兵卒は、()()に倒れていく。

「これで終わりだ」

「だろうな」

 代わりに降り立った戦友に、肩をすくめて見せる。

 本来、このような戦い――そう呼ぶ事もできない殺戮は、この男が好むものではない。

 むしろ、その誇りを傷つけるだけだ。

 何とか避けたかったが……最後の最後でドジを踏んでしまった。

 私の勘が鈍ったのか、それとも『火』が潰えた結果なのか。

 何であれ、嘆息せざるを得ない。

「あ、あの。あなたハ――」

 それがこぼれ出るより少しだけ早く、救い出した彼女が小さく声を上げた。

 この者が無事だったのが、せめてもの慰めになってくれればいい。

 ――と、思っていたのだが。

 運命とやらは、まだ私達を弄ばねば気が済まないらしい。

 これもまた因果応報ということか。人の運命を、散々に弄んできたが故の。

「クオンさんト、同ジ剣技デスね……。お知合イなのデスか?」

 思わず、顔を見合わせていた。

 その名前にはどうしようもなく覚えがあった。

 加えて、我が戦友(とも)()()()()を使えるとしたら――

(まさか、今再びこんなところでその名前を聞こうとはな)

 どうやら、また『時代』が動こうとしているらしい。

 今度は一体どんな事になるのやら。

(まったく、私たちが超越存在とは笑わせるな)

 未来など見通せない。

 私達とて所詮は運命とやらに翻弄される一匹でしかないのだから。

 

 

 

 時は少しさかのぼり、神会(デナトゥス)三日前。

 とある少年が最初の冒険を成し遂げた翌日のことである。

 

(う~ん……。予定よりちょっと遅れそうだね)

 地上ではとっくに日が暮れてた頃、所謂『夕方』へと移り変わりつつある一八階層を見やり、胸中で呟いた。

 ガレス率いる二班とは合流できたが、ベル・クラネルたちを地上に送っていったリヴェリアとアイズは未だ戻ってこない。

 もちろん、あの二人なら道中で何か異常事態(イレギュラー)が起こったところで乗り越えてくるだろうから、地上でのやり取りが難航しているのだろう。

 それも仕方がない。何しろ、たった一ヶ月前にもミノタウロスが『上層』に出現している。その元凶である僕らが再びその報告に向かったのだ。ギルドからあらぬ疑いをかけられたとしても、仕方がないことだった。

 まして、それを撃破したのがLv.1、しかも単独(ソロ)で、となれば信じろという方に無理がある

と言わざるを得ない。

 加えて言えば――

(確か彼の所属は【ヘスティア・ファミリア】だったね)

 つまり、主神は神ヘスティア――ロキが言うところの『ドチビ』ということになる。

 その呼び方から分かるように、この二柱(ふたり)はあまり良好な関係とは言い難い。

 あるいは、そちらでも揉めているかもしれない。

(……もっとも、神ヘスティアは神格者のようだし心配無用かな)

 神ヘスティアと交流のある神ヘファイストス――の、眷属である椿の話からすると、ロキ(神同士)の関係を、リヴェリア(神と人の間)に持ち込む手合いの神ではなさそうだ。

(とはいえ、もうこの時間だ。最悪、合流は明日の朝かな)

 一八階層で足止めというのは想定外だったが、深刻な影響をもたらすようなものではない。

 唯一の懸念は高騰しているティオネたちの『士気』が下がることだが……今の様子なら、欲求不満で暴走し始めることを心配した方がよさそうだった。

 と、なると――

(うん。ちょうどいい機会だ)

 一仕事できるかもしれない。

 あまり期待できないが……うまくいけば、遠征の成功率を大きく高められるだろう。

「ガレス、少し留守にするよ。多分、リヴェリア達が追いつく前には帰ってこれると思うけど」

「うん? まさかお主まで暴れだすのではないじゃろうな?」

 主力陣で唯一あの『冒険』を見ていないガレスは、合流してからずっとティオネたちの様子に首を傾げている。

「流石に僕がそれをやると収拾がつかなくなるなぁ」

 苦笑してから、野営地――と、言っても精々調理用の焚火くらいしかないが――を見回す。

 幸い、探し人はすぐに見つかった。

「レフィーヤ。手伝ってほしい仕事があるんだ」

 食材の入った籠を調理係に届けたところで、声をかける。

「は、はい! ですが、まだリヴェリア様とアイズさんが……」

「いや、いいんだ。遠征とは直接関係ないからね。二人が合流する前に片付けておきたい」

 もっとも、完全に無関係とも言い難い。

 あるいは、今のオラリオに迫りつつある『何か』の真相。それに最も近い場所にいる一人かも知れないのだから。

「えっと、それで私は何をすれば……?」

「以前君も参加した二四階層における『モンスターの大量発生』の調査。それに加わった()()()()()と接触したい」

「は、はぁ……。もちろん、私は顔を覚えてますけど……」

 レフィーヤの反応は今一つ冴えない。

「向こうが覚えているかどうかは、ちょっと……」

 ……何というか。どこかで覚えのある光景だった。

 ともあれ、彼女がいれば件の人物も探せる。

(ホークウッド、か……)

 レフィーヤを連れてリヴィラの街に向かう途中、最後の一人の名前を胸中で呟く。

 その人物についても、ある程度情報を集めている。

 色々と話を聞きたいというのもあるけど……それ以前に、アイズやベート、レフィーヤ達が無事に生還できたのは、彼の助力あってのことだ。

 もっとも、互いに接点のない冒険者同士。その()()はあくまで取引によるものだ。

 それはいい。むしろ当然の話だ。確かに結果論という側面もあるが……レフィーヤの判断は適切だったと言っていい。

 唯一の問題は、その対価を充分に渡していないという事だ。

 報酬を払う前に、彼は姿を消したという。

 もちろん、無給ではない。道中で手にいれば魔石やドロップアイテムのいくらかを持ち去っている。

 だが、試算したところ、それだけでは当初の契約金には届いていないという。

(まぁ、あれこれと探られるのを嫌がったんだろうけどね)

 何しろ、その場所にはオラリオでも屈指の切れ者である【万能者(ペルセウス)】までいた。

 余裕を取り戻せばただでは返さなかっただろう。

 それを見越し、崩落する食糧庫(パントリー)からの脱出における混乱に乗じて、レフィーヤ達からも脱出したというところだろう。

 それくらいの真似は容易いはずだ。

 何しろ――

(あの【正体不明(イレギュラー)】を容易いと言ってのける相手とほぼ互角、か……)

 たった一人で【ヘルメス・ファミリア】の精鋭を半壊させ、アイズとベートを一太刀で下した男とほぼ互角に渡り合ったという。

 それほどの実力者なら、混乱の中でアイズとベートの隙をついて離脱するくらいは造作もない。

 だが、実力に反して聞き覚えのない名前だった。

 今のオラリオにおいて、ほぼ無名ということだろう。

(……いや、それは違うか)

 中小派閥――特に、第二級冒険者(Lv.3)以上がいない、もしくはごく僅かな派閥の中ではそれなりに名が売れているようだ。

 ただ、本人が所属する派閥は結局分からずじまいだった。

 本人の話からすれば【エブラナ・ファミリア】らしいのだが……そもそもエブラナという神に心当たりがない。それは僕だけではなくロキも同じだった。

 それどころか、ギルドに問い合わせても該当なしとのことだ。

 となると、

「あの、団長。無所属(フリー)の冒険者って、本当にあり得るんですか?」

 そういう事なのかもしれない。

「それはあり得るよ。例えば僕たちはロキから『神の恩恵(ファルナ)』を授けられているわけだけど、だからといって必ずしも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からね」

 もちろん、派閥に所属するのが一般的ではあるが。

 神は人に恩恵を与え、人はそれによって神を養う。派閥の最も基本的な構造はそれだ。

 つまり、恩恵を与えてもその相手が養ってくれないなら神の方が損をしているという事になる。

 ただ、そういう神がいないわけではない。

 それに――

「彼がやっていることは無所属(フリー)のサポーターと同じようなものだからね」

 例えば、無所属のサポーター。いわば所属する派閥が見つからない冒険者見習い。

 事情は色々とあるだろうが……大雑把には概ね二つに分けられる。

 日々の糧を得るため、頼み込んでとりあえず『恩恵(ファルナ)』」だけを授かる場合。

 その場合は、所属する派閥が見つかってからそれまでの『代金』を支払うという形になる。

 もう一つは『試用期間』だ。『恩恵(ファルナ)』は与えられるが、書類の上では所属していない。

 どちらもギルドから見れば無所属となる。

「そういう事もあるんですね」

 ……問題はその『試用期間』がいつまで経っても終わらない事もある、という事だが。

 この辺りは同胞(パルゥム)がよく陥る事態なので、嫌でも知っている。

 もっと言えば、運よく派閥に所属できても専門サポーターから脱却できない場合も多い。

「他に賞金稼ぎや旅人達が前者と似たような方法をとっていることもある。そちらについては僕もあまり詳しいわけではないけどね」

 ごく身近なところにそうやって旅をしてきた子たちがいるだけで。

 あるいは、リヴェリアもいつかはそういう生活に戻るつもりなのだろう。

 それこそ、傍らにいる少女が充分に育った頃には。

「ただ、彼の場合、ギルドにとっては悩みの種だろう。もちろん、把握していればの話だけど」

 それもまた、単純にギルドの規則によるものだが。

 ギルドが冒険者および迷宮の管理を担っているのは今更言うまでもないことが……冒険者の管理は原則として派閥単位となる。

 確かに冒険者登録こそ個人で行っているが、その際にも派閥の記入は必須だ。

 前述のような状態の場合のまま冒険者登録が可能だったか。さすがにその辺は覚えていない。

 ……ただ、少なくとも徴税に関しては大いに問題となるだろう。

 言うまでもなく、ギルドへの税金もまた派閥単位で課せられている。

 例え結成したばかりで眷属が一人しかいない派閥であっても同じだ。

 先述のサポーター程度なら目を瞑れるだろう。基本的に彼らが自分で魔石や迷宮資源を持ち帰ってくることはない。

 いや、無所属のサポーターという名義でダンジョンに潜る()()()もいるだろうが……彼らが挑めるのは『上層』のごく浅い部分だ。ギルドの収益にとってすれば微々たるものでしかない。

 ただ、彼の場合は『下層』でも充分に戦える。つまり、莫大な価値を秘めた魔石や迷宮資源を持ち帰ってこれるわけだ。ギルドにとっても、無視はできない。

(税率をどうやって算定するかだな。それと、どこに請求するか)

 派閥の等級によって税率は算定される。

 そして、その等級を左右する要因には当然ながら団員のランクが含まれていた。

 仮に眷属が一人しかいない派閥でも、その眷属がLv.2となれば等級は最低値のⅠからHへと格上げになるほど影響力を持った項目である。

 等級とはその派閥の名声そのもの……信頼と実績の証だ。基本的に、高いに越した事はない。

 だが、それを蹴ってまで、ランクアップの報告をしない派閥が存在する理由もここにある。

 また、等級が上がると税金が高くなるばかりか定期的に遠征に赴かなくてはならなくなる。

 厳密には遠征に限らないが……結果がどうであれ負担であることに変わりはない。

 二重に――あるいは、その『成功』を妬む者たちの台頭を含めて三重に――課せられる負担を嫌がる派閥は決して少なくない。

 だからこそ、仮に露見したところで――その結果罰則(ペナルティ)を課せられても――ほとんど改善される事はなかった。

(オラリオにいるLv.2とLv.3は、ギルドの公表より少し多いんじゃないかと睨んでるけど……)

 あるいはLv.4すらも。

 もちろん、あくまで個人的な予想だが……それこそ【ヘルメス・ファミリア】という事例もある。

 決してありえない話ではないはずだ。

「いずれにしてもその辺りはギルド側の問題だ。神との契約だけで見るなら充分に可能だよ」

 もっとも、件の人物の場合、本当に()()()()()()()()()()()()()という疑問すらあるが。

 と、それはともかく。

(『落穂拾い』か……)

 件の人物は、巷ではそう呼ばれているらしい。

 正式な二つ名ではなさそうだ。アイズの『戦姫』ないし『人形姫』、クオンの『灰色の悪夢(アッシュ・オブ・シンダー)』と同じく通り名なのだろう。

 正式な二つ名は不明。そもそも存在しているかどうか。

 レフィーヤ達の話からするとLv.3らしいが……これはどうにも信じがたい。

(話を聞くだけでもLv.3の戦闘能力じゃないのは明らかだからね)

 そもそも本当に『冒険者』なのかどうなのかも不明だ。

 ……実際のところかの人物は『冒険者』というよりは『傭兵』に近い。

 積極的にダンジョン探索を行うのではなく、手頃な冒険者を捕まえては臨時パーティを組み、その対価を経ているようだ。

 商売相手は主に中小派閥。『中層』を探索するパーティとなる。

 本人の到達階層もあまりはっきりしないが、同じくレフィーヤ達の話から推測するに二七階層辺り――つまり『下層』の上層部までといったところだろう。

(完全に()()()()()()冒険者をやっている手合いだね)

 もちろん、手頃な階層で資金集めをすることを忌避するものではない。金策が必要な時というのは必ずある。『冒険』をするには元手も必要なのだ。

 ただ、彼の行動はまさに()()()()()()()()冒険者といったところだった。

 到達階層を増やすでもなく、未知を求めるでもない。そして、おそらくは遠征の義務も負っていない。その気になればもっと深い階層まで足を運べるだろうにそれすらしない。

 ()()()()()で、手堅く日々の糧を稼いでいるだけ。

(それでついた通り名が『落穂拾い』か)

 冒険者の取りこぼしたものを拾い集めるだけだから『落穂拾い』。

 そういう事らしい。

(なるほど、ベートが嫌うわけだね)

 達観した上に陰気。罵られても意に介さない。しかし、実際にはLv.詐欺を疑うほどの実力者。

 レフィーヤの話を統括すれば、そういう人物像が浮かび上がる。

 まずもって彼との相性は最悪だと言えよう。

(それを思えば、今この時に……っていうのは下策かな)

 もっとも、今回の遠征はこれまでとは意味合いが違う。

 オラリオに迫る脅威を知るためにも、成功させなくてはならない。

 それを思えば、可能な限りの手を打つべきだろう。

「さぁてお立合い! 今日も懲りずに未知に挑んだ勇敢な冒険者どもにパッチ商会からの大感謝! 今なら出血奉仕の特別価格。三割引きでの大安売りだ!!」

 詐欺だの高すぎるだの、嫌なら買うなだのと罵声が飛び交う中に、景気のいい――そして、勢い任せのでたらめな――うたい文句が響き渡る。

 確かに三割引きになっているようだし、大安売りと言っていいだろう。

 ……リヴィラの街を基準とするなら、だが。

 例えばポーションは、地上でなら同じ値段で三本は買える。

 それでもゾロゾロを冒険者たちが群がっていくのだから、他の店の暴利が分かるというものだ。

 殺人事件の陰りも、食人花(ヴィオラス)の襲撃の痕跡もすでになく、今日もリヴィラの街は相変わらずのようだった。

「あ、あの酒場です」

 その強かさに苦笑しながら雑踏を進むと、レフィーヤが一軒の建物を指さした。

「ボールスさんの話だと、あそこで客引きをしてるそうです」

 ここから地上に戻る冒険者を待っている、ということだ。

 気力、体力に加えて物資も充実している往路よりも、全てが消耗している復路の方が危険を感じることが多い。

 どの瞬間(タイミング)から復路と定義するかにもよるだろうが……新たな階層に進出して苦戦し、逃げ戻る途中で半壊した――と、いうパーティはよく聞く。

(撤退時が一番危険だからね)

 最悪なのは敗走した時だ。バラバラになって各個撃破される。

 そうなれば、ほぼ全滅は確定したも同然だった。

 その状況を復路――つまり、帰還中と言っていいものなのかどうなのか、という問題にもなるが……まぁ、その辺りはこの際置いておくとしよう。

 実際、何とかリヴィラに辿り着いたはいいものの、酷く消耗し、しかし物資の補給もままならずここで立ち往生――と、いうパーティは案外多い。

 そういう場合は、リヴィラの住人よりは良心的な――それでも往々にして高くつくが――他の熟練パーティに加えてもらうというのが一般的だ。

 その辺りを客層にしているなら、少なくとも食いはぐれる心配はない。

「いらっしゃい」

 紫煙と安酒とすえた汗、そして微かな血の匂い。

 いかにも冒険者向けの酒場といった空気の向こう側から不愛想な声が届く。

 いまひとつ力不足な――あるいは、あえてそうしているのか――魔石灯が照らす店内は、まだ『昼間』だというのに薄暗かった。

「う~ん……。いないみたいです」

 その中を見回して、レフィーヤが呟いた。

「いつもはあのカウンター席の隅にいるみたいなんですが……」

 魔石灯の明かりが一番届いていない席を指さして、彼女が呟く。

 確かに、そこは空席だった。もっとも、別に指定席というわけではないだろうけど。

「ちょっといいかな」

 ひとまず店内を進み、店主に声をかけた。

 げっ、【勇者(ブレイバー)】――と、いう呻き声は聞こえなかったことにする。

「ホークウッドという冒険者がどこにいるか知っているかい?」

「ああ? 『落穂拾い』の事なら、いつもの連中と出てっちまったぜ。生きてりゃそろそろ帰ってくるだろうが……いや、この時間ならそのまま地上(うえ)に帰っちまったかな」

 グラスを磨く手を止めないまま時計を見やり、店主が言う。

 なるほど、地上ならとっくに日が沈んでいる頃だ。

 しかし、この時間ならというと、普段から常に地上に戻っているという事なのだろうか。

「いつもの、というと馴染みのパーティがいるのかい?」

 そちらも気になるが、まずはすぐに手の届くところからだ。

 彼が本当にどこかの派閥に所属しているというなら、次にとる行動も変わってくる。

「そりゃ、うちみてぇな安酒場でも常連客はいるんだ。奴にだっているだろうさ」

 それが誰か――とは、流石にそう簡単には教えてくれないだろう。

 ただでさえ、この街では他人の動向を探るのは好まれないのだから。

 だが、この様子なら自派閥のパーティというわけではなさそうだ。

「地上に戻っていないとして、この店で待っていれば会えるかな?」

「ンなもん保証できるかよ。いつくたばるか分からねぇのがこの商売だろうが」

 それはそうだ――と、肩をすくめる。

(さて、どうしたものかな)

 理由が何であれ、遠征中に団長が酒場に入り浸っているというのはよろしくない。

 まして、待っていれば確実に出会えるという保証もないのだ。

 加えて言えば、時間の余裕もない。流石にそろそろリヴェリア達も合流してくる頃だろうし――

(これは出直しかな)

 元よりそこまで期待していたわけでもない。

 落胆を全く感じなかったと言えば、流石に嘘になるが……是が非でもというなら、もっと早くに接触を試みている。

 ……もっとも、件の『大量発生』から遠征予定日の直前まで、団長としてオラリオを離れられない状況が続いていたのも事実だが。

「そうか。邪魔したね」

「そう思うなら酒の一杯も注文ほしいもんだな」

「残念だけど遠征中でね。団長が酔っていると示しがつかないんだ」

 フンと鼻を鳴らす店主に、せめてもの礼として幾ばくかの硬貨を渡して店を出る。

「悪かったね、レフィーヤ」

 来た道を引き返しながら、レフィーヤに声をかけた。

「いえ、そんな……」

 せっかくついてきてもらったが……これでは、無駄足に終わったというよりない。

 もっとも、別に待ち合わせをしていたわけでないのだ。それもまた致し方ないことだろう。

(手ぶらで帰るのも気まずいけどね)

 だが、この街では何を買うにしても高くつく。

 ちらりと視線を向けるが、先ほど威勢よく客引きしていた露天商はすでにいなかった。

 品切れによる店じまい、といったところか。この街では驚くほどの安価なのだから当然だろう。

(まぁ、ああやって短い時間だけで済ませなければ、他の店から苦情が来るだろうしね)

 もちろん、短い時間で楽に稼ぐ、という意味でもあのやり方は合理的と言える。

「ガッハハッ! いや~、今日は儲けたぜぇ!」

「ほんとよ。あんなに葉の茂った白大樹(ホワイト・ツリー)が見つかるなんてぇ!」

「これで高騰している時だったら、なお良かったな」

 入り口辺りに差し掛かると、ちょうど四人一組(フォーマンセル)のパーティが戻ってくるところに出くわした。

 全員がヒューマンの男。もちろん、知らない顔ばかりである。

 ただ、リヴィラで燻っている『平凡』な上級冒険者たちと見ていいだろう。

「まったく、はしゃぎすぎだ。おかげですっかり()()()()()()()()

 豪快に笑う一行の中で、ひとりだけ陰気な声で毒づく者がいた。

 その言い回しが、妙に耳に残った。まるで、地上の時間を気にしているような――

「まぁ、いいじゃねぇか! 一杯奢るぜぇ? お前、どうせいつも安酒ばっかだろう?」

「フン。どのみち安酒(エール)だろう?」

「ハハハッ! そりゃちげぇねえ!」

 リーダー格と思しき大男にバシバシと背中を叩かれその陰気な男が嘆息する。

 彼もまた一見すれば『平凡』な冒険者のようにも見えた。

 身に着けているのは、今時珍しいほどに平凡なチェインヘルム。背負うのはこれもまた平凡なバスタードソード。左手には小盾。

「大体、この街の酒はどれも紛い物だろう?」

「馬鹿言っちゃいけねぇ。地上で同じモンを飲もうとすりゃクソ高いんだぜ。立派な高級酒ってやつだ。それに、ものによっちゃ地上のやつより美味いしよ」

「フン。それでもソーマとやらよりは安いだろう?」

「あんなもん、そこらにいる冒険者の鎧か、それ以上するじゃねえか」

 そう。気になるのは鎧だ。彼が身にまとっている軽鎧。それは――

「あっ! あの人です!」

 傍らのレフィーヤの叫びを聞いても、驚きは覚えなかった。

 ああ、やっぱりか――と、そんな感情だけが胸を素通りしていく。

「げっ、【ロキ・ファミリア】……」

 ともあれ、彼女の叫び声はあちらにも聞こえたらしい。

 こちらに視線を向けた途端、彼らは顔を引きつらせて一歩下がる。

「知り合いか?」

 その中で、件の男だけが怪訝そうな目でこちらを見ていた。

「お前、知らねぇのかよ? ありゃ【ロキ・ファミリア】の【勇者(ブレイバー)】じゃねえか」

「ちなみに、隣にいるのは【千の妖精(サウザンド・エルフ)】よ」

「と、いうか。【ロキ・ファミリア】と言えばオラリオを二分する大派閥だぞ」

 パーティメンバーの言葉にも、彼は肩をすくめるばかりだ。

「ああ、なるほど。知らないわけだな。そんな大物が俺の客になる訳がない」

 えーと……と、レフィーヤが呻く。

 この様子だと、完全に忘れられているらしい。

「あの、ホークウッドさん。お久しぶりです。二四階層ではお世話になりました」

 意を決してレフィーヤが声をかけると、騒ぎはさらに加速する。

「って、てめぇの知り合いじゃねぇか!?」

「これはまさか所謂『お礼参り』というやつなのでは……!?」

「あんた何やったのよおぉおおぉおおおぉ?!」

「揺さぶるな。鬱陶しい」

 掴みかかる三人組を振り払い、ホークウッド――もはや間違いないだろう――が呻いた。

「何やったか知らねぇが、俺達は関係ねぇぞ。こいつはただの臨時メンバーだからな!?」

「そーよ! 所属も違うわ!」

「ああ。よく雇ってはいるが――ぐおっ!?」

「余計なこと言うんじゃねぇ?!」

「……フン、薄情な連中だ」

 全力で無関係だと訴えてくる三人組を他所に、さして気にした様子もなくホークウッドは肩をすくめた。

「それで、何の用だ?」

「えっと、この前の報酬ですけど。多分まだ足りなかったと思うんですが……」

「この前?」

「二四階層でモンスターの大量発生が起こった時です。あの時に私達は食糧庫(パントリー)に案内してもらいました。それに、そこにいた『元凶』と戦う時も」

「……ああ、あの時のお嬢さんか」

 そこまで言って、ようやく思い出してもらえたようだ。

「報酬なら気にするな。……そうだな。不足分は()()()()と思ってくれ」

「て、手切れ金?」

「そんな大物に付きまとわれちゃ商売あがったりだ。何度となく背中を守ってやったあいつらですらあの様だからな」

 うるせぇよ!?――と、三人組が叫ぶ。

「……フン、さっきまで次は宝石樹を探しに行こうなんて調子のいいことを言っていたんだがな」

 それはまた後で話し合おうじゃねぇか!!――とも。

 ……つまり、この三人があの店主が言っていた『いつもの連中』なのだろう。

(この様子だと本当に『常連客』というだけみたいだけどね)

 どう見ても同じ派閥に所属しているようには見えない。

 例え彼らを問い詰めたところで、詳しい話は何も知らないだろう。

「話はそれだけか? なら、もう行くぞ」

 なるほど、これは予想通り手ごわそうだ――と、内心で嘆息してから声をかける。

「まぁ、そう言わないでくれ。僕らとしても報酬を払わないなんて悪評がたつと困るんだ」

「……聞いていなかったのか小僧」

 馬鹿!? そいつ団長だぞ!?――と、さらに若干離れたところで三人組が再び叫んだ。

「手切れ金だと言っただろう」

 遠くからの仲間たち――と、言うべきなのかどうなのか――の忠告に、それなら話は早いと小さく笑ってから、彼は言葉を続ける。

「お前達が関わってこないなら、俺も今まで通り商売ができる。ここで端金をもらうよりその方がありがたい。それとも、形だけでも金のやり取りでもしなければ気が済まないか?」

「別に君の商売を邪魔する気はないんだ。だから、そこまで毛嫌いしないで欲しいな」

 他の同業者から畏怖されているという自覚なら、もちろんある。

 派閥ないし団員が無用な騒ぎに巻き込まれないよう、場合によっては他派閥に睨みを利かせているという事も認めよう。

 ただ、関わるだけで悪評が立つと思われるのは心外だった。

「報酬というのは、未払い分だけじゃない。君のおかげで団員達が無事だったんだ。相応の礼をしたいと思う」

「死屍累々としていたはずだがな」

 そちらは【ヘルメス・ファミリア】の冒険者たちだろう。

 文字通り半壊したと聞いている。

 なるほど、彼にとってはそこまで含めてパーティという事になるか。

「……まぁ、いいだろう。それで、何をしてくれるんだ?」

「実は僕たちは今遠征中でね。手持ちは少ないんだ。だから、別の形でどうだろう」

 もったいぶる必要はない。むしろ、話を長引かせるのは逆効果だろう。

 初手から勝負を挑む。

「具体的には?」

 何だかんだと心配しているのか――いや、それはそれで何だか釈然としないけど――遠くから様子を窺っていた三人組を追い払って。

 さらに近くの路地に入り込んでから、彼が問いかけてくる。

「僕らの遠征に参加してほしい。場所は五九階層。もちろん、遠征の成否に関わらず、金銭としての報酬も払う。ただ――」

 今用意できる最大の手札がそれだった。

()()()()()()()()()()()()()()は下手な現金よりもずっと価値のある報酬だと思うけど、どうかな?」

 到達階層は実力の証明でもある。

 そして、五九階層到達となれば【ゼウス・ファミリア】に次ぐ偉業だった。

 理想で言えばそのまま【ロキ・ファミリア】に加わって欲しいところだが……しかし、その実績(名声)一つあればどこの派閥でも好きなように選べる。

 例え、過去に多少後ろ暗いことがあっても、だ。

 オラリオで名を上げる(力を示す)とはそういう事である。

「他を当たれ」

 だが、彼は一切迷いもせずそう言った。

「不満かな?」

「ああ。五九階層だと? そんなところまで潜ったら流石に()()()()()()()だろうが」

 一日の終わりに酒を飲むのが最近の楽しみなんだ――と、ホークウッド。

「その割には、その酒にはあまりこだわっていないようだけど」

「俺が何を飲もうが勝手だろう?」

 それはもちろん、その通りだが。

「半月ほど我慢してもらえれば、今よりずっといい酒を飲めると保証するよ」

「そいつはご親切に。だが、こんなところで燻っている冒険者風情が、そんな場所に行けるとでも思うのか? お強い【ロキ・ファミリア】の団長様は」

「君なら可能だと判断しているから、こうして声をかけているんだ。それだけの力を、ここで腐らせていくつもりかい?」

「それで、ここにいる連中の代わりにお前たちのお守りをしろと?」

 ああ、この目を知っている。

「【勇者(ブレイバー)】とか言ったか。憐れなことだな」

 それを見透かしたように、彼は陰気に笑った。

「王だ、英雄だと、そんなものは呪いだよ。そんなものに踊らされ、神の飼い犬になって飲む酒はそんなに美味いか?」

 ああ、やはりそうか。

(彼は()()()()()()だ)

 やはり、彼らの力を支えているのは『神の恩恵(ファルナ)』ではない。

 苛烈なまでの神嫌いはクオンの性格や個性によるものではなく、彼と同じ背景を持つ者たちにとっての共通認識なのではないだろうか。

 だとすれば、彼らは一体どこから来たのか。一体何者なのか。

「それと同じことを口にした者がいるよ」

 もちろん、言い回しから何から全く違う。しかし、言わんとしていることは同じだ。

 神の眷属という在り方への疑念。嫌悪。あるいは、()()()

 それとも()()()()だろうか。

 いずれにしても、クオンが時折見せるものとよく似ている。

「ほう。……そいつは、今お前たちのお守りをしているのか?」

 答えを見透かしたまま、ホークウッドが問いかけてくる。

「フン、あの甘ちゃんならやるかもしれんな。あいつは結局、最後まで人間臭いままだった」

 もっとも、俺が知る限りだがな――と、彼は小さく笑った。

 それは、今までのように陰気なものではない。

 まぎれもない賞賛。そして、憧憬と嫉妬……いや、羨望だろうか。

 おおよそ、そのようなものが含まれているように感じた。

「それは【正体不明(イレギュラー)】のことかい?」

「生憎と()()()()()の知り合いはいないな」

 素直に受け取ればクオンではないと、いう事だろうが……、

(彼らは神嫌いだからね)

正体不明(イレギュラー)】とは、オラリオでの呼び方でしかない。

 しかも、名付けたのか神々だ。

 僕達にとって二つ名を与えられるとは名誉なことだが……クオンにとってはどうだろう。

 ひとまずそれが自分を示す呼び方だとは認識しているのは確かだ。

 ただ、これといった感慨があるようには思えない。

「それなら、一体誰なんだい?」

「ただの放浪者だとさ。もっとも、『王の探索者』……いや、【王狩り】なんて御大層な呼ばれ方はしていたがな」

 放浪者。それはクオンが自分を言い表す時に用いる肩書きだ。

 と、なると――

(やはり、クオンか)

 そもそも、彼にとってクオンは『正体不明』などではないのだろう。

 どこから来た何者なのか。そんな事は、とっくに知っているに違いない。

()と再会したら、どうするつもりだい?」

 交渉から外れた言葉を口にする。

 活路があるとすればそこだろうが……活路どころか奈落の底に繋がっている可能性もあった。

「さてな。お前には関係ない」

 話はそれで終わりだな?――と、そう告げると彼は返事も待たず背を向けた。

 奈落の底ではなかったが、活路でもなかったらしい。

(まいったな)

 呼び止めるのは簡単だが、その先の展望がない。

 やはり、彼も名声や富では釣れないらしい。

 では、何を対価にすればいいのか。

(それが分かれば苦労してないか)

 クオンと違い、互いに悪感情がない状態ならあるいは、と思っていたが……やはり、そう単純な問題ではないらしい。

 予想していなかったわけではない。むしろ、その可能性は充分に考慮していたつもりだ。

 ……ただ、それでもここまで鎧袖一触にされては流石に落胆の一つも覚える。

(そもそも、相手が何を欲しているか分からない状況での交渉なんて上手くいくはずがないか)

 もちろん、それを探るところから始まる交渉も何度となく経験しているつもりだ。

 ただ、彼らの場合全くと言っていいほど手ごたえがなかった。

 金も権力も名声も、あるいは神々すら熱狂させる未知ですら、彼らを動かす理由にはならない。

(あとは、欲か野心か……)

 例えばクオンに関して言えば、女をあてがえば――つまり、色欲を攻めれば――口説き落とせる可能性があると一部では今も思われている。

 だが、実際にはそう簡単な話ではない。その程度なら、とっくにどこかの派閥――それこそ、【フレイヤ・ファミリア】なり【イシュタル・ファミリア】なり――が篭絡している。

 金欲を狙うのは無謀極まる。何しろ、単身で五一階層に到達し、『カドモスの泉』を樽で持ち帰れる相手だ。それを上回る対価を()()()()()()となれば、それこそオラリオの年間予算に匹敵するだけの用意が必要となる。もちろん、一時のことなら、もっと安く済むだろうが……それでは今の関係といくらも変わりはしない。

 野心なら……もしクオンが野心家だとしたなら、今頃はオラリオの頂点に君臨しているだろう。四年前の時点で、彼はそれだけの力を持っていた。

(オラリオの『深奥』にはいるのかもしれないけどね)

 ギルド――いや、神ウラノスの私兵、あるいは()()()として。

 だが、何故あの神嫌いがそんな選択をしたのか。

 神ウラノスに示された対価はそれほど魅力的だったのか。

 それとも、そこにある『何か』がどうしても無視できないものだったのか。

(いずれにしても、今の僕には手出しできない場所だな)

 となれば、もはや打つ手なし。

 打開するための手立てが何も思いつかない。

 完全に五里霧中だ。

「ああ、だが」

 少し進んだところで、彼は足を止めてから言った。

「腐っている事への文句なら奴に言ってくれ。なりふり構わず、全てを賭けて挑むと決めた相手があんなに腑抜けてるんじゃ、俺だって腐っているしかないからな」

 それだけ言い残すと、今度こそ彼は路地を後にする。

 今のは野心と呼べるほどのものではない。かといって、欲とも言い難い。

 ただの意地だ。あるいは執念だろうか。

 いずれにせよ、それは他者が干渉できる類のものではない。

(やはり、クオンを中心とした何かの流れがあるね)

 クオンが何かしたというより、オラリオ、あるいはダンジョンの中で息をひそめていたものが、彼の台頭とともに動き始めたのだろう。

(いや、まだ()()()()()()()()()()のか?)

 彼を知る誰もが、()()()()()()()()()()ことに毒づいている。

 動き出したのは、むしろそのせいなのかもしれない。

(だとしたら、最悪だな)

 神ウラノスが警戒している、あるいは企んでいる『何か』は()().()()()()()()()()()()()()()()ではとても足りないという事だ。

 その事実は、オラリオ中の冒険者の心を折りかねない。

(これは、腹を括っていかないとね)

 赤髪の女――怪人(クリーチャー)レヴィスや『人斬り』が企む『何か』。五九階層に存在するという『何か』が、クオン側の『何か』とどう絡んでいるのかは定かではない。

 だが、まったくの無関係という事もあり得ない。

 だとするなら――

(五九階層到達、か)

 この程度は、まだ『冒険』とは言えないのかもしれない。

 実際、クオンにとって五一階層到達など取るに足らないものだろう。

 それでも八〇階層の壁を破れない。その先にある本当の『未知』に挑むには、Lv.7でもまだ足りないという事だ。

 僕達はまだ入り口にも達していない。

 その事実を飲み干し、それでもなお――

(ここでは終われない)

 先へ。まだ見ぬ世界へ。そこにあるはずの名声をこの手に。

 胸を焦がす野心の火が消えることはなかった。

 例え、犠牲を払うことになるとしても、だ。

 

 

 

 不死の呪いは、故郷すら奪う。

 それは、受け入れているかどうかを別として、誰もが知っていることだ。

 何しろ、とある奇跡はその事実をこの上なく明確に突き付けてくるのだから。

 我らが唯一の寄る辺は篝火のみ。火に焦がれることしか、呪われ人には許されない。

(ただ、それでも――)

 郷愁というものは、どうやら不死人にも残っているらしい。

 潮騒に耳を傾けながら、そんなことを思う。

 いや、これは本当の意味で()()と言っていいのかは定かではない。

 何しろ、ここは湖。海ではないのだから。

(……いや、汽水湖だったな)

 それなら、半分は正しいのかもしれない――と、微かな潮の匂いを感じながら呟く。

 とはいえ、今抱いている郷愁は、生まれ故郷に対するものでないのは分かっていた。

 今は遠いドラングレイグでの拠点。

 

 マデューラ。

 

 永遠の黄昏に染まる海を望むその街――正しくは、その名残に向けられたものだ。

 もちろん、今いるこの場所とあの廃墟は似ても似つかない。

 

 港町メレン。

 オラリオから南西に約三kmの場所にある港街。

 楕円を描く巨大汽水湖――『ロログ湖』の湖岸沿いに栄えるこの街は、オラリオの海の玄関口でもあり、輸出入の拠点としても莫大な利益を上げていた。

 それに加えて、オラリオに出回る海産物の多くもここで水揚げされており、それだけでも結構な売り上げだと聞いている。

 

 そして――

「白い砂浜に青い海か。最高だね」

 近年では保養地としても頭角を現しつつあるのだとか。

 まぁ、俺が()()()()()()だった頃に比べればずいぶんと旅も安全になっている訳だし、旅籠街が発展するのも分からないではないが……、

(それにしたって結構な数が来るものだな)

 ここまでの道で見かけた人の多さに、内心で舌を巻いていた。

(いや、単純に立地がいいのか?)

 オラリオの海の玄関口でもある以上、ギルドも支部を置いている。モンスターや野盗が姿を見せればすぐにギルド本部――つまり、オラリオに連絡が入るわけだ。

 しかも、その距離はたったの三km。オラリオ内で別区画に移動するより近い場合もあるほどだ。

 シャクティたちがその気になれば一時間とかからない。

 常日頃から道中の安全を確保し、維持するための労力も少なくて済む。

(そりゃ、人も集まるだろうな)

 三km程度の距離なら、普通の人間だって歩いて半日とかからない。

 交易のため馬車道も整備され、道中の安全も概ね保証されている。

 それなら、確かに来ない理由はないか。

 と、煌めく水面と白い砂浜を見やり、小さくため息をついた。

「と、いうか。ここは海じゃないだろう?」

 あくまで湖だ。名前からして『ロログ湖』なのだから。

「汽水湖だろう? なら、半分は海みたいなもんさ」

 それは否定しかねるが。

 実際、外洋を脅かすモンスターはこの湖の底にある出入り口から出てきたものだと聞いている。

 ここが海に繋がっていないなら、そんな悲劇も起こらなかっただろう。

「さぁて。まずは泳ぐかね」

「水辺にはいい思い出がないんだよな……」

 鎧さえ着込んでいないなら、別に泳げないわけではないが。

「あんたがいい思い出のある場所なんて、そっちの方が希少(レア)だろう」

 それもまた、否定しかねた。

「まぁ、それはそうと……さぁ、行きましょう? ()()()

 言葉に詰まる俺を小さく笑ってから、露骨なまでの猫撫で声でアイシャが甘えてくる。

 

 さて、いったい何故こんな事態になっているのか。

 事の始まりは、昨夜……いや、今日の黎明頃までさかのぼる。

 

 …――

 

 ふと気づけば、死体蛆やなりそこないが蠢き、獄吏どもは徘徊する地下牢にいた。

 覚えがある。ここは、冷たい谷のイルシールと罪の都を繋ぐ場所だったはずだ。

 夢の中で自分は、とある英雄の闇霊を弔い――そして、すぐ近くの牢獄の扉を開ける。

「……ほう、久しいな。きっと忘れられたと思っていたが、嬉しいよ」

 そこに囚われていた黒衣の魔女は、微かに笑って見せた。

 いや、それは違う。実際には、こちらを見てもいなかったはずだ。そもそも英雄の闇霊(未練)と出会った場所も少しばかり違ったかもしれない。

「うん? 貴公……どうやら、あ奴らとは違うようだな」

 死体蛆やらなりそこないに間違えられるのは、流石に不本意だった。

 そんな事を思ったような記憶がある。

「謝罪しよう。人を蛭と見紛うなど、失礼極まりないというものだ」

 だが、ソウルが蠢いたのはそんな理由ではない。

 彼女を知っている。いや、彼女と同じ存在を、と言うべきか。

「それで、貴公。こんな場所に何用かな? ここは異形の住処。私とて、例外ではないのだぞ」

 ああ、それはそうなのかもしれない。

 彼女は深淵に連なるもの。いつか出会った闇の落とし子達。あの王妃デュナシャンドラと同じ存在だ。自身の中に宿る彼女たちの――何より、彼女たちを生み出した深淵の主のソウルがそれを伝えてくる。

 しかし、

「私を助けると?」

 それでも、今自分の目の前にいるのは、もはや自力で歩く事も……いや、立つ事すら覚束ない一人の女でしかなかった。

「私は罪人。人の深淵、その忌み子なのさ。貴公、それでも私を許せるのか?」

 許すも何もない。忌み人ならお互い様だ。

「そうか。変わった男だな」

 そう……確か。本来なら、ここで初めて彼女は微かに笑って見せたのだ。

「だが、まぁよかろう。私も、囚われの身には倦んでいたところだ」

 それはそうだろう。日の光も差さないここは、かつて自分が囚われていた不死院の牢獄よりも居心地が悪そうだ。

 ……もっとも、今や例えここから出たとしても日の光などほとんど消え果てているが。

 その言葉に頷いて、自分は彼女の華奢な身体を抱き上げていた。

 動くことも叶わない――彼女自身の言葉通り、ここから最寄りの篝火まで歩かせる事すら困難だった。不運なことに、『帰還の骨片』も手持ちがない。

 異形どもが蠢く中を進むには少なからず不安だが他にどういう方法もなかった。

「私はカルラ。貴公の申し出、受けさせてもらうよ」

 彼女の腕が首に回され――そして、突然首筋に噛みつかれた。

 

 …――

 

「いってぇ!?」

 目を開く。と、そろそろ見慣れてきた館の天井が。

 それと、俺の首筋に噛みつくアイシャの姿が見えた。

「おはよう」

 やたら冷たい声で、彼女が言う。

「あ、ああ。……どうかしたか?」

「別に。アマゾネスが男を食っちまうのがそんなにおかしいかい?」

「お前らの『食っちまう』ってのはそう言う意味じゃないだろうが。ミルドレッド達じゃあるまいしぃったぁ!?」

 再び噛みつかれ、語尾が悲鳴に転じた。

 いくら不死人でも痛いものは痛い。

 ……いや、戦闘中はしばしば忘れる程度のものではあるが。

「待て待て落ち着け?! 何を怒ってるんだ?!」

 文字通りに食おうとしてくるのは、どこに行っても何故だか一人はいる人喰い共だけで充分だ。

 ……いや、確かにオラリオではまだその系統に出くわしてはいないが。

「別に。どうせ私は金で買われた単なる囲われ娼婦だしね。寝ながら別の女の名前を呟いたって気にしやしないよ、ご主人様」

 そういえば、確かに夢で懐かしい顔を見たような見なかったような。

 ……いずれにせよ、またやってしまったらしい。

 四年前、記憶のほとんどを失っていた頃は大目に見てもらっていたが……流石に今となっては、申し開きもできやしない。

(これはクラーグに知られたらお説教だな)

 女の扱いがなっていない――そう言われるのが目に浮かぶ。

 などと、彼女の顔を思い浮かべたのが悪かったのだろう。

「いっつぅ!」

 もう一度首筋に噛みつかれ、さらに背中に爪が立てられる。

 この感触からして、確実に蚯蚓腫れを起こすだろう。

「それで、いったい今度はどこの女を思い出したんだい?」

 ……何というか。

 女の勘とはつくづく恐ろしい代物だった。

「本当にお盛んのようだねぇ、ご・主・人・様?」

 細く鋭く光るアイシャの瞳に見据えられ、いつだったか、どこかで豹に襲われ、押し倒された時のことを唐突に思い出していた。

 いや、何というか……この際だ。

 せめてそいつは雌ではなかったと思いたい。

 

 …――

 

 と、まぁ、そんなわけで。

 ここ半月ばかりの礼と、諸々の詫び。

 そして、ご機嫌取りを兼ねてこうしてメレンまで足を延ばすことになった。

 もちろん、今の俺達はお尋ね者――ではないにしても、限りなくそれに近い場所にいる。

 おかげで、市壁を超えるのは多少ならず手間だったが……、

(これで大目に見てもらえるんだからありがたい話だよな)

 普通なら、良くて罵声と共に出て行かれているところだ。

 それをこの程度で見逃してもらっているのだから、感謝こそすれ文句など言いようがない。

 

 ちなみに、だが。

 イシュタルたちとの一戦から今まで色々と迷惑をかけ続けている霞も誘ったのだが……、

「そんないきなり休みなんて取れるわけないでしょ、この馬鹿ー!!」

 と、至極正論とともに脛を蹴られた。

 すっかり拗ねられたので、後で何か埋め合わせをしなくてはならない。

 

(まったく、贅沢な悩みだよな)

 どうしてこんな関係が続いているのか、自分でもよく分からない。

 霞にしてもアイシャにしても、もっといい相手……善良で誠実で、何より真っ当な生者の男を選べるだろうに――

「流石はメレン。魚料理に外れはないね」

 ――などと。

 一通り泳ぎ回ったせいでよほど空腹なのか、大きめのサーモンステーキを切り分けては次々に口へと運んでいるアイシャを見ながら、胸中で呟いていた。

「うん? 何だい、こっちを食べたいのかい?」

「いや、そういうわけでは――」

「ほら、あ~ん」

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、アイシャがフォークを差し出してくる。

「遠慮しないでいいのよ、あ・な・た」

 ……本っ当に愉しんでいるようで何よりだ。

(そりゃまぁ、自業自得といえばそれまでだけどな)

 ()()()()()()()()()髪を掻きむしりながら呻く。

 今のところ、どこぞの飲食店店員のようにギルド公認の『お尋ね者』ではない。

 ないが、お尋ね者見習いくらいの立ち位置にいるのも事実だった。

 そんな奴らが、オラリオから三kmしか離れていない――ついでに、きっちりギルドの支部もある――街を呑気に観光するとなれば、変装の一つもしておくのが礼儀だろう。

 そんな訳で、今の俺はアイシャの手によって、極東人と大陸人の混血(ハーフ)辺りに見えるよう変装させられている。

 もちろん、アイシャ自身も同様だ。

 黒く癖のない艶やかな髪は、緩やかに波打つ艶のない金髪に染められていた。

 一方で野生を帯びた美貌は、その美しさはそのままに少しだけ柔和に見える。しかも、何か特別な魔道具(マジックアイテム)を使った訳ではなく、化粧だけなのだから女というのは恐ろしい。

 着込んだ水着――この街では水着で出歩く人間も珍しくないらしい――は、()()()()()()()()()慎ましいものだが……その程度で彼女の色香を隠せるはずもない。

 むしろ、色気は据え置きのまま普段より柔和に見えるせいか、ちょっと傍を離れると男どもが群がってくる始末だ。

 いや、それ自体には文句など言えようはずもない。

 俺だって本来ならそちら側だ。いや、気後れして言い寄ることもままならないかもしれない。

 ついでに言えば、傍にいる男に殺気を向けたくなる気分も分かる。

 分かるが――

(もう少し自重しろよ)

 ――いや、本当に。イナゴじゃないんだから次から次へと群がってくるな。

 まぁ、アイシャがこうして面白半分に煽っているので、連中もある意味被害者と言えるが。

 

 ちなみに。

 一番の被害者は、恋人なり嫁さんなりがいる男どもだろう。

 ついよそ見をしてしまったがために、自分の連れに湖に蹴り落されたり、()()に致命の一撃を叩き込まれる様を何度も見ている。

 

「お前、そういう趣味だったのか?」

 今も四方から放たれ続けている様々な怨念には気づかなかったことにして。

 ひとまず差し出されたフォークに口をつけてから、小声で呻く。

「疑われたら面倒だろう? ()()()()はそれらしくしないとね」

 変装するにあたって、素性の方にも一ひねり加わっている。

 ……まぁ、アイシャが言う通り、新婚夫婦という『設定』である。一応偽名も考えているが……それは今はいいか。

 見ての通り、意外なくらいアイシャは乗り気なのだが、それについては――

『そういう設定にこだわる客は結構いたからね。神どもが言う『ろーるぷれい』ってやつさ』

 ――と、いう事らしい。

 まぁ、確かにこういう演技にもずいぶんと慣れているようだった。

(……本当に世の中には色々な性癖があるらしいな)

 高級娼婦――いや、アイシャ達の場合、厳密にはその定義から外れているはずだが――ともなると、芸達者でなくてはならないという事なのだろう。

「まぁ、お前のおかげで今のところ疑われてはいないな」

「だろう? こういうのはね、ちょっとやりすぎくらいがちょうどいいもんなのさ」

 確かにいろんな意味でやりすぎだろうな――と、もう一つの『設定』を思い出し、胸中で呻いた。

 素性を語る上で避けては通れないのは、俺たちの生業だ。

 こちらは、ある意味素直に冒険者だと名乗っているが……問題は、所属する派閥である。

 まさか馬鹿正直に【イシュタル・ファミリア】とは名乗れない。

 すでに壊滅しているからという理由はもちろん、今ではすっかり悪名が広まってしまっている。

 なので――

(これ、シャクティに知られたらただじゃ済まないよな、絶対)

 何とアイシャは【ガネーシャ・ファミリア】だと錯覚するよう仕向けている。

 いや、もちろんこれ見よがしに吹聴している訳ではない。

『今は完全に休業中だよ。仕事のことは忘れさせておくれ』

 と、深く突っ込まれないように釘を刺しているくらいだ。

 ただ、例えば今泊まっている宿――新婚旅行らしく結構値の張る高級宿を選んでいる―――での受付の際に、

『本当はもう少し早く来る予定だったんだけど、ちょっと予定外の大騒動が起こってね。それも次々に。おかげで半月もお預けにされたよ』

 と、そんな言葉を口にしているだけである。

 これだけなら、別にどうとでも解釈できる言葉だ。

 だが、もはや一部といっても過言ではないほどオラリオに近く、双方の住人が頻繁に行き来するこの街であれば、フィリア祭から続く一連の騒動を真っ先に連想するのは想像に難くない。

 それの影響を受けたとなれば、この二人は【ガネーシャ・ファミリア】に所属する冒険者なのだろう――と、結構な高確率でそう誤解するわけだ。

 ……確かに冒険者がオラリオの外に出るのは難しいと聞いているがそこはそれ。

 事実上それに近いとはいえ、本当に軟禁されているわけでもない。手続きの手間と時間さえ惜しまないなら、都市外に出るのは決して不可能ではない。

 それに――

()()()()()()()()だとは思わないだろうな、普通は)

 それこそ、まともに生き残っているのは俺達だけなのだから。

 その辺りの心理すら強かに利用しているのだろう。

 とはいえ、極論を言えば相手が勝手に誤解しているだけの事だ。

 俺たちは【ガネーシャ・ファミリア】だと明言している訳ではないし、派閥の証文を勝手に使っている訳でもない。

 もちろん所属を偽ることで何かしら恩恵を得ているわけではない――とは流石に言い難いか。こうして信用させるのも『恩恵』といえるのだから。

 だが、少なくともギルドから公的に罰則を受けるような違反行為は何もしていない。

「大した度胸だよな」

 塩焼きにされたドドバスの切り身を突きながら、小さく呟く。

「別にこれといった嘘はついちゃいないだろう?」

 しいて言えば、メレンに来る予定があったってことくらいさ――と、アイシャ。

「それはそうだが」

 もちろん、俺だって根っからの放浪者だ。各地を彷徨う中でそれなりに酸いも甘いも噛み分けたつもりだし、清濁も併せ呑んできたつもりだが。

 ただ、【ガネーシャ・ファミリア】はとにかく一般市民からの信頼が厚い。

 知らない間にこっそりおまけとかしてもらっていたりするのではないだろうか――と、考えると流石にちょっと良心が痛む。

 痛むので、その可能性については深く考えないことに決めていた。

「【象神の杖(アンクーシャ)】とは顔見知りだし、フィリア祭じゃ実際に最前線で働いたんだ。文句は言わないだろうさ」

 と、声を潜めてアイシャが言った。

 まぁ、今まで何度か探りを入れられた――いや、そんなに大げさなものでもないが――のは、どれもフィリア祭の騒ぎに関してだ。

 そちらは俺達も事情を知っているし、最前線で戦ってもいる。

 従って、いくらでも――と、言っても今のところその機会すらないが――受け答えできた。

 もちろん、万が一【イシュタル・ファミリア】やら神罰同盟やらに関して聞かれたところで、機密情報なので――と、言えばそれで済む話だ。

 それでも食いついてくるなら、深入りすると危険だと脅せばいい。

 ……これもまた何も嘘は言っていない。

 何しろ、【イシュタル・ファミリア】や神罰同盟が起こした騒ぎについて、真っ当な住人が気にするのはまず間違いなく闇派閥(イヴィルス)残党が本当に関与しているかどうかだ。

 これは何だかんだとかなりの回数聞かれたが……下手に肯定すると、本当に飛び火しかねない。実際にシャクティ達も、ギルドの公式発表以上の事はまず教えないはずだ。

 もちろん、俺達もそれに準じた対応をとっている。

 時点で言えば、歓楽街の営業再開について。

 神罰同盟とやらを追い回している間も、歓楽街の動向には注意を払っていたが……早々にシャクティ達が占拠してから今に至るまで【ガネーシャ・ファミリア】の管轄下に置かれている。

 それがいつ解除されるかが一つの目安となるだろう。

(どのみちガネーシャに歓楽街の運営ができるとは思えないしな)

 もしやるなら、性質が大きく変わる――それこそ、繁華街がもう一つ出来上がるだけだろう。

 大体、これはもう治安維持というより都市運営の話となってくる。【ガネーシャ・ファミリア】よりもギルドに問い合わせた方がいい。

 問題は『殺生石』――いわゆるイシュタルの『遺産』について探りを入れてくる連中だが……それに関して本気で深入りしてくるなら、その時は俺自身が()()()するつもりだ。

 いずれにしても()()()()()というのは真実だった。

 例え神に盗み聞きされてたとしても、恐らく問題はない。

 もっとも、

(今のところいないけどな)

 幸か不幸か、ほんの少しでも怪しいと感じた奴すらいない。

 そもそも新婚夫婦という設定が効いているのか、歓楽街云々について聞いてくる奴すらほとんどいない。アイシャの目を盗んでこそっと聞いてきた若い男どもが何人かいたくらいだ。

 それ以外の問題は、今のところ何も起こっていない。

「何しろ住民からの信頼は何だかんだ言って全派閥の中でもぶっちぎりだからね。身元を保証してもらうならここが一番さ」

 後ろ暗い連中が向こうから近づいてくることもないしね――と、アイシャ。

「リヴェリアのところじゃ駄目なのか?」

 あの小人どもなら多少迷惑をかけたところで、まったく良心が痛まないで済むのだが。

 むしろ、この程度ならあいつらから被った迷惑の埋め合わせにもならない。

「あそこは無駄に敵が多いからおすすめしないね」

 それもそうか。

 個人的な悪印象を差し引いたとして……それでも、主神からして品行方正とは言い難い。

 ガネーシャやミアハ、ヘファイストス辺りと比較すれば、結構な数の賛同を得られると思う。

 何より、リヴィラの街のボールスにも疎まれている時点で所詮は山師の集団という気がしてならない。 

 ……いや、やはり私情が混じってしまっているのかもしれないが。

(別に治安維持に関わってる訳でもないのにな)

 リヴィラの街の連中は、だいたい脛に傷を持っている。

 その彼らが、ギルド公認の元、常日頃から治安維持に従事しているシャクティ達を鬱陶しく思うのは当然の帰結だ。

 ただ、あの小人どもは違う。派閥の規模こそ巨大だが、本質的にはボールスたちと同じただの冒険者にすぎない。

 それでもなお、シャクティ達と同じかそれ以上に疎まれているとなると――

(いや、商売敵だからってのはあるんだろうが……)

 とはいえ、それだけは説明がつかないように思える。

 何しろ、自分たちは誰も頼みもしないのに嬉々として他人の事情に首を突っ込んで来る癖に、こちらに同じ事をされるのは蛇蝎のごとく嫌うのがあの連中だ。

 脛に傷を持っているボールスたちにとってはやはり煩わしい存在となるだろう。

(ああ、なるほど。ヴェルヘイムが言ったとおりだ)

 確かに、どこにでもいるものらしい。

 逃げる者を追い、隠されたものを暴き、正義を誇る輩は。

 いや、この『時代』ならそれこそが『冒険者の誉れ(未知の探求)』だと笑うのか。

 いずれにしても――

(その報いを受ける覚悟はあるんだが……)

 少なくとも、ウラノスはないと踏んでいるのだろう。

 情報交換も綿密に行っているガネーシャと違い、戦力以上のものを求めてるようには見えない。

 ならば、()()()として、俺も迂闊に関わるべきではないということだ。

(この前リヴェリアにたっぷり『餌』をやったばかりだし、まだ平気……だよな?)

 亡者と『暗い穴』の関係について。他に『火の時代』についてもおまけに付けたか。

 いや、俺がリヴェリア達に『暗い穴』についてあれこれ教えたのは一応純粋な善意からだが……その情報を実際にどんな目的で使うかは向こうの勝手としか言いようがない。

(俺に初めて絡んできた時の真似をすれば、あっさり消されるだけなんだが……その辺、ちゃんと分ってるんだろうな?)

 いや、四年前、あれだけ痛い目を見たのだ。流石に懲りているとは思うが。

 それに、扱いには気を付けるようにと、釘も刺している。最低限の義理は果たしているはずだ。

(まぁ、逆恨みさえしないならあとは好きにさせておくか)

 今の時点で探られているのは俺の腹ではない。

 それに、義憤に駆られて……いや、そのふりをしながら黒教会――かどうかは定かではないが――に喧嘩を売ったとしても。あるいは、その力を求めて亡者に堕ちたとしても。

 どちらにしても、それは本人達が選択した結果だった。

 派閥の運営に対して余所者の俺が何か言う権利はないだろうし、止めてやる義理もない。そもそも、何かしら特別な肩入れをするような関係ですらない。

 何が起こったとして、その責任をこちらに丸投げしてこない限り、俺には関わりのない話だ。

 奴等だってその程度の覚悟は持って冒険者と名乗っているだろう。

(あ~…。いや、後始末を押し付けられる可能性はあるか)

 あの金髪小娘が亡者化した日には、周囲にもたらす被害は相当なものになるだろうし。

 まぁ、それはともかく。

 アン・ディール相手に迂闊に探りを入れた場合も当然似たり寄ったりの結末を辿るだろう。

 どちらにしても俺が優しく見える程度には容赦ない相手だ。

 下手に関われば相応の報いが待っている。

(それとも、まだあの赤髪の美人の尻を追いかけてるのかね?)

 今のところ、これといった騒ぎは聞いていない。なら、その可能性も充分にあるだろう。

 確かに追いかけたくなる尻だったが――と、思い浮かべた辺りで思考を打ち切った。

 下手なことを考えて、またアイシャの機嫌を損ねては本末転倒だろう。

 

 …――

 

 それからしばらくして。

「さて、と。そろそろ宿に戻ろうか」

 すっかり夜の帳が下りた頃、アイシャが言った。

「そうだな。どのみち、この先にはこれといって見所もなさそうだ」

 メレンの街は、楕円を描く湖岸に沿って広がっている。

 その東半分に漁港や貿易港が、そこから少し南下すると遊泳に向いた砂浜がある。もちろん、諸々の観光施設もそこに密集していた。

 おそらく、元々は水夫や商人を狙った旅籠が並んでいたのだろう。そこにオラリオからも富が流れ込み、観光地として整備されていった――と、いったところか。

 その反対、残りの西半分はいきなり水深が深くなるらしく、停泊所から溢れた客船――それと、何とかいう大型船――が停泊する港や、造船所が立ち並んでいるそうだ。

(それはそれで見ごたえがありそうな気もするが……)

 外洋を航行できる大型船ともなれば、それを造るのも大仕事となる。

 ……まぁ、それを見てアイシャが喜ぶかと問われれば何とも返事に困るところだが。

 実際、観光客の受けはあまりよくないのだろう。

 西側に近づけば近づくだけ、人気(ひとけ)がなくなっていく。

 いや、ごく普通の住宅地になっているだけの話なのだが……港周辺の活気と比較すれば、どうしても寂れて見える。

 まぁ、住人にとっては余計なお世話だろうが。

 と、それはともかく。

「優雅に船の旅ってのも悪くないかもね」

 夜の海――と、いうことにしておこう――を見やり、アイシャが言った。

 思えば、船旅にはほとんど縁がない。この三年間の放浪もその大半が陸路だった。

「遊覧船とやらがあるらしいな」

 街の北南を結ぶ移動手段――と、いう側面が全くないわけでもなさそうだが…湖上から街並みを眺めながら短い船旅を楽しむというのが主な目的のようだ。

「へぇ。商人ってやつはどこでも逞しいもんだね」

 何でも商売にしちまう――と、アイシャ。

 まぁ、確かに。そのためだけに船を一隻――いや、何隻あるかは知らないが――用意するのだから大したものだ。

 しかし――

「船旅ってのは優雅なのか?」

 あまりそういう印象はない。

 と、いうより、むしろ陸路よりも危険な気がしてならないのだが。

 何しろ、もし船底が抜かれたら、水底に真っ逆さま。それこそオラリオの地下水路に住んでいる程度のモンスターにすら餌食にされかねないのだから。

(板子一枚下は地獄、だったか?)

 いつかどこかで聞いたことわざを思い出す。

 もちろん、船の性能も上がってはいるのだろうが……しかし、先人が言い残した言葉は本質的に何も変わっていない。例え巨大な帆船でも、暗礁に引っかかれば割と簡単に沈む訳だし。

「情けないねぇ。そんなに不安なら『水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)』でも着込んどきな」

「水中でも動けるようになる装備だったか?」

 それは、隠し港をうろついている時に欲しかった。

 そう。特に――

「そんな便利なものがあるなら、幽霊船に乗った時に欲しかったよ」

 浸水する船底で『流罪の執行者』どもとやりあっている時に。

 水に足を取られ、著しく動きを制限されたのを思い出しながら呻く。

 いや、それにしても――

(……あれだけ浸水してよく沈まなかったよな、あの船)

 船底で戦っている間だけでも腰まで浸水していたというのに。

 まぁ、真っ当な水夫など一人も乗っていない、文字通りの『幽霊船』だ。元よりまともな船であるはずもないが。

「……幽霊船に乗ったって。本気でとんでもない場所を旅してきたらしいね」

「まぁな」

 とはいえ、大鴉やデーモンにぶら下げられて空の旅よりは確かにいくらか快適だった。

(とも言い難いか?)

 アノール・ロンドを一望した時は、流石に感動を覚えた。

 ……そこにどんな地獄が待っているかなんて思いもしないで。

(他に()()()といえば、下男亡者の籠くらいか)

 ……つくづくまともな乗り物には縁がないらしい。

「ま、確かに海のモンスターはほとんど野放しだからね。【ポセイドン・ファミリア】の連中が始末して回っちゃいるそうだけど、それこそ焼け石に水ってやつさ」

 それはそうだろう。いくら何でも広大すぎる。

 そして、この湖は海のモンスター達にとっての故郷と言っていい。

 飯屋で聞いた話だと、漁礁はほぼ壊滅状態というのが現実らしい。

(この五年で多少立て直したとも聞くが)

 観光業に力を入れているのは、漁業に代わる飯のタネが必要だからなのかもしれない。

 もっとも、そう簡単なことではない。この街で目玉となるのはやはりこの巨大な湖だろう。

 水質もよく、泳ぐと心地よいが……やはり、どうしてもモンスターに注意する必要がある。

 俺たちのように自衛できればいいが、そうではない人間では気楽に楽しむ事はできまい。

 漁場としても保養地としても、結局はモンスターの存在が壁となるわけだ。

(しかし、だとするなら……)

 先ほどから燻る疑問に、内心で首を傾げる。

 道中でアイシャに軽く教わっただけだが……どうやら、この街の統治構造はかなり複雑らしい。

 この『時代』において、統治機関と聞けば、まず連想されるのはギルドだが……実際のところ、その強制力が及ぶのはオラリオに籍を置く派閥だけというのが原則だった。

 つまり、オラリオの外に存在する派閥に対してギルドは強権を振るえない。

(ま、ギルドの影響力が少ないから、こうして安穏と遊び歩いていられるんだけどな)

 遠目に見たギルド支部を思い出しながら呟く。

 そもそも、ギルド支部は地域によって役割が異なる。

 この三年間で見かけた中でいえば、周辺に棲息するモンスターの情報を集め、商隊や旅人に危険地帯を教え、注意喚起を促し、あるいは経路の相談に応じるなど案内所のようになっていた支部や、モンスターではなく普通の猪だの鹿だのが畑を荒らすからどうにかしてくれ、という冒険者依頼(クエスト)が貼りだされているような平和な支部もあった。

 もちろん、ギルド本部と同じく、周辺の冒険者――というか半ば傭兵だが――を集め、種々の依頼を出している場所もあったが。

 では、この街に存在する支部は、どういった役割を担っているのか。

 それは、魔石製品の交易を中心とした、オラリオに関係する事項の管理だった。

 この街がオラリオの海の玄関口なら、ギルド支部はその受付窓口というわけだ。

 本部が司っている都市運営、冒険者およびダンジョンの管理、魔石や迷宮資源の売買の中で言えば、最後の売買だけにしか関与していない。

 では、都市運営を担っているのはどこか。

 そちらも、別に変ったことはない。多くの街と同じく、当主が統治しているというだけの話だ。

 名前は……確かマードック家とか言ったか。街の開闢から今現在までモンスターの脅威に晒されながらも、ギルドに自治権を明け渡していない剛の者だ

 とはいえ、気迫だけでモンスターどもを追い払えたら誰も苦労しない。自治を保つには、武力――少なくともモンスターに対抗するための戦力がどうしても必要となる。

 それもまた、別に何もおかしなことはない。元より戦力――軍事力は独立自治を保つための絶対条件なのだから。

 この街においてそれを担っているのが、漁師たちを統括する【ニョルズ・ファミリア】である。

 水辺は彼らの縄張りだと思っておけばいい――とは、アイシャの言だが……つまりは、冒険者及びダンジョンの管理に相当する部分はここが受け持っている。

 もちろん、ダンジョンがあるわけではないので、迷宮管理というのはあり得ない。モンスター対策とでも言い換えれば、少しは分かりやすくなるだろう。

 モンスターが跋扈する湖や外洋で漁をするなら、『神の恩恵(ファルナ)』はほぼ必須となる。海神であるニョルズとその眷属たちが勢力として頭角を現すのは、むしろ必然だった。

 加えて、彼らは都市外の派閥であるため、原則的にギルドの制御を受ける必要がない。

 実際、歴代当主がよほどの人徳者なのか、それともギルドによほど人望がないのか、彼らは長年に渡ってマードック家に肩入れしている。マードック家以下この街の住人にとっては英雄同然。逆にギルドにとってこの派閥は目の上の瘤といったところか。

(まぁ、港町で水夫や漁師が力を持つのは当然だろうな)

 オラリオで冒険者が幅を利かせているのと、本質的には大差ない。

 この街を最も潤しているのが船乗りたち、というだけの話なのだから。

 もっとも、彼らもまた実質的にはただの一派閥に過ぎない。

 それも、オラリオで幅を利かせている派閥と違い、あくまで漁業に特化している。派閥というより、漁師たちの共同体といった方が適切だろう。

 その性質上、所属する人数だけで見ればシャクティ達にも迫る勢いらしいが、それだけだ。別にマードック家の私兵というわけではない。そもそも、戦闘自体が専門外となる。

 まぁ、もとより屈強な体を求められる船乗りたちが『神の恩恵』を得たなら、外のゴブリン――いや、この街ならレイダーフィッシュ辺りを例に挙げるべきか――を追い払うくらいは造作もないだろう。……群れでさえなければ。

(あとは、商人どもか……)

 もっとも、これは特別視する必要もない。

 何しろ文明圏において、こいつらが幅を利かせていない場所を探す方が難しいのだから。

 だが、あえて言うならこちらも二分ないし三分割されているようだ。

 何度でもいうが、この街はオラリオと諸外国の交易の拠点の一つだ。海路を使用する商会はほぼすべてこの街にも関係してくるといっていい。

 その中には、ギルドの息がかかったものも存在するし、代々マードック家と友好関係にあるものも存在する。さらに、新規に参入した者たちも影響力を持とうと画策しており、こちらはこちらで日々縄張り争いを繰り返している――と、いうわけだ。

 まぁ、聞きかじっただけの知識なので、多少ならず誤解している部分があるかもしれないが……要するにオラリオではギルドが一手に担っている都市運営、モンスター対策、魔石売買をそれぞれ別の勢力が担っていると考えておけば概ね間違いないだろう。

 しかも――

(ま、反発されるだろうな)

 三勢力の中で、ギルドだけが余所者だった。

 しかも、この街を潤す『金』は魔石売買(ギルド)だけがもたらしているわけではない。

 マードック家と【ニョルズ・ファミリア】だけでも、ある程度の収入は維持できる。

 もちろん、昔から大幅に投資して云々と、ギルドにも言い分はあるようだが……それはギルド側の都合でもある。それを盾に強権を振るえば反発されるのは至極当然の結果だ。

(ウラノスが直接運営しているなら、また話は変わるんだろうが……)

 実際には、ウラノスはほぼ組織運営に口を出さない。

 ギルドを統括しているのはギルド長……何とかいう老エルフだが、こいつは権威主義、拝金主義、血統主義と三役揃えた清々しいまでの俗物だった。

 いや、そのエルフ(血統)からも『エルフの恥』呼ばわりされているのでより極まっている。

(あのオッサン、冒険者じゃない俺まで支配できると思ってる節があるからな……)

 俺が取引を交わしているのはウラノスとガネーシャであって、ギルドではないというのに。

 ウラノスが渡してくる報酬はギルドの金だから、まったく無関係とも言い難いが……しかし、そもそも冒険者登録していない俺がギルドに従う理由はない。少なくとも、理屈の上では。

 ダンジョンの出入りは――確かに特例扱いだが――ウラノスから直接許可が出ている。

 それに伴い『特例』として魔石や迷宮資源の買取はしてもらっているが、それはむしろ()()()()()()()()に従っているに過ぎない。

(ソウルに放り込んでおけば没収される事もないしな)

 最初の頃、そうやって持ち出した『下層』や『深層』由来の魔石や迷宮資源を闇市で叩き売りしていたのがよほど堪えたらしい。

 ちなみに、それに関しては相応に罰金を科せられた。そして、すでに全額払い終えている。

 と、それはともかく。

 迷宮資源の売買に関しても『特例』として、()()()()()()()()()()()()が課せられている。

 つまり、魔石の換金はギルドで。それ以外についても、できればギルド。そうでなくても、信頼がおける正規の派閥での売却を――と、言うわけだ。

 俺とギルドの繋がりはただそれだけだ。それだけなのだが……、

(それからしつこく面倒な冒険者依頼(クエスト)を押し付けようとしやがるし……)

 もちろん、向こうにだって言い分はあるだろう。

 だが、それを加味したところで押し付け方が実に嫌らしい。

 直接依頼してくるなら突っぱねようもある。だが、向こうもそれは百も承知らしく、シャクティ達を経由してくる。彼女たちも一応仕分けしてくれているようだが……逆に言えば、届くのは彼女たちが必要と判断した依頼ということになる。

 具体的に言えば、下手に突っぱねると何らかの被害ないし犠牲者が出かねない。

(まったく、失礼な話だ)

 いくら俺だって、その類のものなら仮にあの老エルフが直接頼みに来たところで易々と無下にはしないというのに。……まぁ、それでも多少余計に吹っ掛けはするだろうが。

(あいつら、実はグルなんじゃないだろうな?)

 いい加減締め上げたいところだが……しかし、相手は都市運営に携わる権力者だ。いくらオラリオが腕っぷしがものを言う街だからと言って、そう簡単に〆ていい相手ではない。そんなことをしては本物の無法地帯になり果てるだろう。いや、暗黒期とやらが再来するというべきか。

 それに、ウラノス公認とはいえ俺がダンジョンから利益を得ているのは事実である。冒険者の真似事をしている以上、を全く無視されては向こうの立場がないというのも確かだろう。

 ギルドの権威失墜がオラリオの治安悪化に繋がるとなれば、こちらとしても問答無用で全てを突っぱねるのは躊躇われる。

 つまるところ、これからもオラリオに留まる以上、程よく拝んでおく必要があるわけだ。

 ……まぁ、その辺をまんまと付け込まれている節もあるが、こればかりはどうしようもなかった。

 閑話休題。

 そんな奴が首魁をやっている以上、自分(ギルド)に服従しないこの街に対してあの手この手で嫌がらせをするのは火を見るより明らかだ。

 今までちらほらと耳にした話からすると、一番痛いのが関税らしい。

(そりゃそうだろうな)

 ただでさえ漁獲量が減っているのに、最大の取引先に買い叩かれてはかなわない。

 かくして、千年に渡りマードック家とギルドは犬猿の仲というわけだ。

 いや、それはこの際どうでもいいのだが――

(こんな状況で、一体どうやって立て直したんだ?)

 胸中に浮かんでいるのは、実に素朴な疑問だった。

 この街の窮状は概ねモンスターが原因だ。改善するには、少なくともモンスターどもを減らすしかないが……この状況ではギルドが手助けをするはずもない。

 オラリオの冒険者が外に出るのは容易ではないから、当主が個人的にどこぞの派閥に依頼した、という事もないだろう。

 大体、ギルドないし派閥の協力を得たなら、そいつらがうろついていなければおかしい。仮に常駐していないにしても、多少ならず街の噂になるはずだ。この街に限らず、オラリオでもだ。

 しかし、今のところ一切見かけないし、そういった話もついぞ聞いていない。

(しいて言えば【ポセイドン・ファミリア】がどうこう聞くが……)

 それは、彼らが常駐してくれなくなったせいで悪化したという話でしかない。

 状況の改善にこの派閥が関わっていないのは明らかだ。

 と、するなら――

(まぁ、弛まぬ努力ってやつかな)

 ダンジョンの中と違って、壁や床から無尽蔵に湧いて出てくる訳ではない。

 通常の動物と同じ形で繁殖するなら、それより早く狩り続ければ数も減るだろう。

 普通の動物とは違うが……まぁ、ロスリックではデーモンまでが滅びていたのだから。

(……もっとも、あれは別に人間が乱獲した結果って訳でもないはずだが)

 いや、闇の子――その母体である深淵が『人の力』だというなら、あながち無関係でもない。

 それに、最後の生き残り……『デーモンの老王』たちを殺したのは俺たち(人間)だ。

 まぁ、それはともかく。

 そのニョルズという神がいつ下界に降りてきたかは知らないが……少なくともこの街は、開闢以来ずっとこの湖とともに生きてきたのだ。

 余所者の俺には思いもつかない手段を用いたとしても驚かない――

「――――」

 ――と、その瞬間。とっさにアイシャを抱えて、その場を飛び退いていた。

 その後を追うように特大の縄のような何かが水面を突き破って襲い掛かってくる。

大海蛇(アクア・サーペント)……? いや、違う――!?」

 アイシャが呻いた。

 蛇ではない。これは巨大な植物だ。

食人花(ヴィオラス)だと?」

 怪物祭やリヴィラの街で姿を見せた仇花……どこぞの小人達が言うところの『新種』だった。

 そいつらが、暗い湖面から鎌首をもたげている。

 数は三体。この程度なら、別に問題にはならないが――

「――――」

 着地を待たず、預かっていた大朴刀をソウルから取り出してアイシャに手渡す。

 その頃には、彼女は腕をすり抜けて食人花(ヴィオラス)へと飛び掛かっていた。

「はぁあッ!」

 まだ【ステイタス】が機能しているとはいえ、Lv.3のアイシャ一人では少し手ごわい相手だ。

 そうでなくとも、お互いに素性を誤魔化している身。誰かに見られるのは好ましくない。

 手早く済ませるとしよう。

「―――――」

 アイシャの真似――と、いうわけではないが。

 カタリナの英雄たちも愛用した特大剣――ツヴァイヘンダーを取り出して両手で構える。

 わざわざ間合いを詰める必要はない。アイシャにじゃれついている奴以外は、こちらに向かってきている。

 まだ水中に伏兵がいては面倒だ。最も内陸側の一体に狙いを絞り、体ごと振り回すような横薙ぎの一撃を叩き込む。

『ウヴォオオ―――!』

 顔面――『花』を叩ききられ、割鐘の悲鳴を上げるその雑草に、素早く【大火球】を打ち込む。

 大声など挙げられては人が寄ってくるかもしれない。そうなれば、色々と面倒だ。

「―――――」

 炎に包まれ悶える雑草を巻き込むように、もう一体が突撃してきた。

 盾もないのにまともに迎え撃つ気はない。横に飛び退きやり過ごしてから、無防備になった胴体――だか茎だか――に両手で構えた特大剣を振り下ろす。

 鋭さと重量を兼ね備えたその刃は、(まき)を割るような容易さでその茎を両断した。

「――――」

 思い描くのは、炎の憧憬。偉大なる王を裏切った都が遺し、とある魔術師を魅了した炎。

 すなわち【罪の炎】。

 収束する劫火は、のたうつ食人花(ヴィオラス)どもをたやすく飲み込み、断末魔の悲鳴すら許さずに焼滅させた。

「さっさとくたばりなッ!」

 その頃には、アイシャもまた食人花(ヴィオラス)との戦闘を終えようとしていた。

 もちろん、今のアイシャなら一対一で負けることはないとは思っていたが……思ったよりも戦闘の展開が早い。

(いきなり実戦投入とはね)

 その理由もはっきりしている。

 何しろ、アイシャの体からは深紅の陽炎が立ち上っていた。

 間違いなく【内なる大力】だ。

 それを食人花(ヴィオラス)相手にいきなり試すとは、相変わらず見事な度胸だ。

 それこそ、少し心配になるほどに。

(ヤバくなったらすぐに援護に入るとしよう)

 伏兵の気配に注意を払いながら、ひとまずソウルから万能薬を取り出しておく。

 モンスターの攻撃を受ければ、当然ながら体の自壊はさらに加速する。

 普段なら耐え凌げるはずの一撃が()()()になったのは一度や二度ではなかった。

「ったく……」

 幸いというべきか、当然というべきか。

 ともあれ、アイシャの生命が燃え尽きる前に食人花(ヴィオラス)が息絶えた。

 ……そして、伏兵の気配はない。

「これは本当に多用できないね」

 放ってやった万能薬を一気に飲み干してから、アイシャが毒づく。

 時間にして二八秒。定めた上限ギリギリといったところか。

「まぁな。最後の切り札にするよりは、強襲して速攻で片をつけるために使うべきだろう」

 防御は考慮しないどころか積極的に投げ捨てていくという、清々しいまでの攻撃特化。

 どう考えても長期戦には向かない呪術だった。

 とはいえ――

「焦ると別の意味で命に関わるけどな」

「だろうね。ただ突っ立ってるだけで体にガタが来るってのに、攻撃まで喰らった日には最悪、そのまま死んじまいそうだ」

 勝負を焦って突っ込んで反撃を喰らった日には最悪、一撃で篝火送り(即死)だ。

 それを実感したのか、アイシャも体の調子を確かめながら呻く。

「しかし、何だってこいつら、こんなところにいるんだ?」

 燃え残った食人花(ヴィオラス)の魔石を拾い上げて呟く。

 似たような姿の別種――と、本気でそう思っていた訳ではないが……、

(もしそうだったなら、単なる土産話で済ませられたんだがな)

 流石にこいつらとなると、無視もできない。

(また面倒なことになりそうだな)

 まさか野生という事もあるまい。一体何故この街に巣くっているのか。

「へぇ。本当に気味の悪い色をしてるね」

 自分で仕留めた食人花(ヴィオラス)の魔石を摘出して、アイシャが言った。

「ああ。イシュタルは何も言わなかったのか?」

 問いかける頃には、食人花(ヴィオラス)の体はすっかり灰となっていた。

 石ころ一つ取り出すだけで灰になってくれるというのは、本当に楽でいい。

「少なくとも私は聞いた事がないね」

 あっさりと肩をすくめてから、逆に訊ねてきた。

闇派閥(イヴィルス)どもがあのモンスターの飼い主だってのかい?」

「今のところ、そう考えられてはいるが……」

 しかし、それはそれで違和感がある。

 四年前、シャクティ達に押し付けられて何度かその闇派閥(イヴィルス)とやらと殺しあった事がある。……あるが、どこぞの飲食店店員が大暴れしたのがとどめとなり、どいつもこいつも、もはや虫の息もいいところだった。

 実際、シャクティ達が討伐に乗り出したのも、現在の脅威を取り除くというより、過去の悪行のツケを支払わせるためだ。

 もちろん、連中とて起死回生を企んでいただろうが……主力を軒並み失い、最盛期にはそれなりにあったらしい連携も完全に失っていた連中など、まさに烏合の衆そのもの。

 当時の俺にとっても、さほど脅威ではなかった。

(あいつらが、新種のモンスターを()()()()()とは思えないな)

 ダンジョンで時折生じる『強化種』なら、まだ可能だろう。

 だが、魔石そのものを変質させられるとは思えない。

 と、なると――

(あの女……)

 ハシャーナを殺した赤髪の女を思い出す。

 食人花(ヴィオラス)を従えていた彼女は、どう考えても真っ当な人間ではない。

 また、フェルズたちがいうところの『宝玉』の番人だと考えていいだろう。

 そして、その『宝玉』がモンスターを変質させる……そう、例えば五九階層でさらなる変容をしつつあったあの怪物を生み出すとするなら――

()()がいるな)

 闇派閥(イヴィルス)残党は下っ端。連中に『新種』を提供している何者かがいると見ていい。

 例の赤髪の女はそちらの戦力だろう。

(だが、そうなると……)

 あの闇霊もそこに与している可能性を考慮する必要がある。

 そして、それはあまり喜ばしい事ではなかった。

闇派閥(イヴィルス)関係はこの『時代』の脅威、とは言っていられなくなるな)

 特にあの闇霊は、今の俺よりもはるかに手練れだ。

 冒険者では、例えオッタルでも一人では手に負えまい。

 数で圧倒すればいいだろうが……はてさて、何人が道ずれにされることか。

(それに、一度や二度殺したくらいで堕ちるようなタマでもないだろうな)

 もちろん、亡者化したから安全になるわけでもない。手当たり次第に襲ってくる亡者の方が、考え方によっては遥かに厄介だろう。

 完全に殺しきるまで、一体どれだけの死人が出るか見当もつかない。

(やれやれ……)

 この機会に少しこの街を調べてみるべきか。

 いや、しかし――

「そういや、噂の殺人犯ってのはいい女だったらしいね?」

 ……誰から聞いた。

 いや、歓楽街の中核にいたアイシャならどこで耳にしていても驚きはしないが。

「あんたって奴は本当に……」

「いや、待て!?」

 確かにいい女だったが。

 別にだから探そうとしているわけでは断じてない。

「別にそういう理由で探しているわけでは――」

 アイシャの視線に負け、徐々に口ごもる。

 ……我ながら、あまりの説得力のなさに驚きを隠せなかった。

「ええと……」

 これは、別の機会を待つべきだろうか。

 そこまで余裕があるわけでもないのは百も承知だが、割と本気でそれを検討している自分に気づいていた。

「冗談さ」

 アイシャが苦笑した。

「別に【象神の杖(アンクーシャ)】に毒されたわけじゃないけど……流石にあんな化け物を野放しにしておく趣味はないよ。それに、どうやらこれもイシュタルの『置き土産』の一つみたいだしね」

「あの女神がどこまで関わっているかは知れたものじゃないがな」

 出資者の一人。

 本人や取り巻きどもの様子から察するに精々その程度のものだろう。

(結局、闇霊の一人も出て来やしなかったしな)

 アイシャ達の本拠地(ホーム)に攻め込むに際して、あるいは神罰同盟とやらを追い回している時にも、一番警戒していたのは闇霊やあの赤髪の女の乱入だった。

 だが、結局そのどちらもなかった。

 となると、あの美人たちにとって、イシュタルとその取り巻きは切り捨ててもいい程度のものだったと推測できる。

闇派閥(下っ端)の金蔓だからな)

 いや、あちらの組織図はまだはっきりとしないが。

 だが、いずれにしてもイシュタルが中核に食い込んでいたとは考えづらい。

 それどころか――

(むしろ、口封じに使われたか)

 結局、神罰同盟とやらが『殺生石』をどこで知ったのかははっきりしなかった。

 誰かが唆したのは間違いないが……しかし、それはいったい何者なのか。

(今のところ、アン・ディールが最有力だが……)

 イシュタルとその取り巻きまで含めて『試練』だったというだけの話かもしれない。

 だが、こう、何となく違和感がないでもなかった。

「そんなことは、調べていけば勝手に分かるさ」

「そりゃ、そうだ」

 あまりの正論を前に、肩をすくめるくらいしかできる事はなかった。

「っと、流石に騒ぎすぎたね」

「そうだな」

 騒ぎを察した漁師たちが、押っ取り刀で駆け寄ってくる。

 見つかっては面倒だ。早々にこの場からお暇するとしよう。

 

 …――

 

 幸い、それから漁師たちに捕まることも、食人花(ヴィオラス)の飼い主どもに襲われることもなく、宿まで帰り着いた。

 ここまでの道中でも可能な限り警戒してきたから、尾行の心配もないだろう。

「それにしても、奴らどっから出てきたんだろうね?」

 部屋に戻り、戸締りを確認してからアイシャが言う。

「どう考えても迷宮外(そと)で生まれた奴らじゃない。ダンジョンで生まれた本物の怪物だ」

「そうだな」

 いや、あの雑草どもはダンジョンが生み出したモンスターかどうかからして怪しいが。

「オラリオはダンジョンの真上にあるんだ。どうにかして連れ出せるかもしれないけど……いや、地上に連れ出す方が大変かね?」

「どちらかといえばそうだろうな。モンスターの売買には専門経路がある」

 剣闘用のモンスターの半数は都市外(そと)から連れ込まれたものだ。

 流石に詳しくは知らないが、専門の流通経路があるのは疑いない。

 ならば、あとはいくら積むかの問題でしかないだろう。

 ただ――

「何だってこの街に運び込まれたんだ?」

「そりゃ……まぁ、ここは交易の要だしね。どこぞの『怪物趣味』の奴向けに密輸しようとしたのが逃げ出したってところじゃないかい?」

 アイシャの言う『怪物趣味』というのは、簡単に言えばモンスターに欲情を感じる異常性癖だ。

 その性質上、獣姦よりも忌避されている。

(相手による気もするけどな)

 俺も――別に欲情を感じたりはしないが――例えば、一角獣(ユニコーン)辺りは綺麗な獣だと思う。他にドラゴンやグリフォンあたりはここでも紋章としてしばしば用いられているはずだ。

 それに――

(レイとかフィアとかラーニェとかはごく普通に美人だよな)

 顔見知りのゼノスたちを思い浮かべる。

 と、いうより。リド達と行動を共にしているゼノスは総じて美形だと思う。

 少なくとも、モンスターらしい醜悪さは感じられない。

(そう思う俺も『怪物趣味』とやらなのか?)

 声に出さないまま、笑い飛ばす。

 少なくとも、彼女たちが嫌悪される理由など思いつかなかった。

 そもそも、ここは獣の耳と尻尾を生やした獣人がごく当たり前に存在する世界なのだ。

 それが鱗や翼に変わったから何だというのだろう。

 と、それはともかく。

「いや、だが。いくらなんでもあいつらは狂暴すぎるだろう?」

「そんなこと、私に言われてもねぇ」

 窓辺に置かれた安楽椅子を軋ませながら、アイシャがあっさりと肩をすくめる。

 まぁ、それはそうだろうが。

 言われてみれば、どこぞの金持ちが豹だの獅子だのを飼っていると聞いた事があった気もする。

「もう一つの可能性としては、湖底の封印が解けたか……」

 ロログ湖の湖底には、ダンジョンに通じるもう一つの出入り口があるらしい。

 ウラノスが祈祷を捧げる神蓋(バベル)から離れたこの場所の封印が完成したのは何とたった一五年前のことらしい。

 もちろん、それより前から封印はされていたらしいが――

(そりゃ、海中モンスターで溢れるだろうな)

 千年間、ウラノスや他の冒険者連中が絶えず睨みを利かせていた地上の出入り口(オラリオ)よりはいくらか抜け出しやすい場所だったというわけだ。

「流石にそんなことになっていればウラノスが騒ぎそうだが……」

 とは思うが、実際のところどこまで『目』が届いているか定かではない。

 案外感づいていない可能性もある。

 とはいえ――

「だが、潜って確かめにいく訳にもいかないしな」

 別に金づちという訳でもないが、とても地上のようには戦えない。

 大体、鎧を着込んでいる人間にとって、水中なんて死の世界とほぼ同義だ。

「そうだねぇ。『潜水』の発展アビリティでもありゃいいんだけど。もしくは、それこそ『水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)』でも着込むか」

「本気で一枚くらい買っておけば良かったな」

 とはいえ、水中戦など心得がない。ダンジョン内の水場――例えば、二五から二七階層辺り――に落ちれば、溺れなくてもほぼ間違いなく殺される。

 これまで通り、落ちないように気を付けるべきであり、それで済むならわざわざ護布を用意する必要もない。

「私は持ってるよ。『下層』の入り口だけじゃなくて水に関わる冒険者依頼(クエスト)には必需品だからね」

 ああ、それが本当の水商売か――と、あまりにつまらない冗談をつい思い浮かべてしまった。

「とはいえ、ここには持ってきてないけどね。流石にそこまで本格的な()()()は想定してなかった」

 自責の念に責め苛まれていると、アイシャが肩をすくめる。

「そうだろうな」

 本拠地(ホーム)から逃げ出す際、アイシャ達の私物もある程度持ち出している。

 それらは今、俺が拠点としている館に用意したアイシャの私室――と、言ってもほとんど使っていないが――にあるので、どのみちすぐには使えない。

「まぁ、この街なら買って買えないことはないだろうけど……」

 それはそうだろう。発展アビリティとやらが発現するのはLv.2から。

 Lv.1の漁師にとってはほぼ必需品。少なくとも、身に着けていて損はない代物だ。

 探せば取り扱っている店の一つくらいは見つかるだろう。

 ただ――

「……流石に悪目立ちしそうだな」

 浅瀬で水遊びするにはどう考えても過分な代物だ。

 羽振りの良い豪商ならまだしも、一介の旅行者が買うとなるといささか不自然な話となる。

 ただでさえ身分を偽っている身だ。可能な限り目立つ真似はしたくない。

「それが駄目なら、それこそ【ニョルズ・ファミリア】の協力を仰ぐしかないだろうね。連中なら、ウンディーネ・クロスか『潜水』の発展アビリティはほぼ必須だろうし」

 鍛冶師(スミス)が『鍛冶』の発展アビリティを持ってるのと同じさ――と、アイシャ。

「その方が無難かな」

 もし何者かが食人花(ヴィオラス)を持ち込んでいるなら、いくら『神の恩恵(ファルナ)』を宿しているとはいえ、漁師たちでは荷が重い。……と、思う。

 水夫というのは総じて屈強な体つきをしているので、いまひとつ自信がないが。

(何であれ、専門家の助けがあった方が楽だろうしな)

 その【ニョルズ・ファミリア】なら、土地勘もあれば人脈もある。

 俺たち二人でこそこそ嗅ぎまわるよりよほど効率的だろう。

 ただ――

(問題は、俺達がその【ニョルズ・ファミリア】への伝手がないんだよな)

 いや、探せばアイシャの『客』だった奴もいるかも知れないが。

 それだけでは協力を仰ぐことは流石にできない。

 特に今の俺達は限りなく『お尋ね者』に近いのだから。

 それに――

「いきなりそれを申し込みにいくのはお勧めしないね」

「ああ、分ってるよ」

 水辺は彼らの縄張り――と、アイシャから教わったことを改めて思い出す。

 もしあれが『密輸品』だったとするなら、【ニョルズ・ファミリア】が関与している可能性は極めて高くなる。のこのこと協力を仰ぎに行けば、そのまま湖底に沈められかねない。

(まぁ、俺は別にそれでも困らないが)

 篝火を確保している今なら、手段としては決して悪くはない。

 何しろ、この上なく明確な証拠が得られるのだから。

 もっとも、それを実行するなら、まずはアイシャの安全を確保してからだが。

「ま、その辺の判断は明日の街の様子を見てからでも遅くないだろうね」

「そうだな」

 漁師町の朝というのは総じて早いと聞く。

 明日の昼頃には、相応に街の話題になっているはずだ。

「さて、と。それじゃ今日はそろそろ寝るとしようか」

 安楽椅子から立ち上がり、アイシャが言った。

「そうだな。流石に疲れた」

 水浴びならともかく、泳ぐなんていったいいつ以来だろうか。

 ……いや、それを言うなら遊楽を楽しむこと自体がか。

「慣れないことをするってのは疲れるものだな」

「はっ! 何言ってんだか。明日も連れまわしてやるから覚悟しな」

 それは、今から覚悟しておかねばなるまい。

 俺たち(不死人)にとって生など持て余すばかりの代物だ。

 それを謳歌する術など、もはや何一つ覚えていないのだから。

「さ、おいで。あなた」

 そういえば、そういう『設定』だったか。

 寝台(ベッド)に座り、両手を広げて笑うアイシャにふと思い出す。

「たっぷり可愛がってあげるよ?」

 まぁ、何というか……。

 どんな設定であれ、攻めの姿勢を崩さない辺り、流石はアマゾネスと言うべきなのだろう。

 

 

 

 灰に煙るダンジョンの広間(ホーム)

 茫漠たる闇の中を剣閃が奔り、血飛沫とともに竜の首が落ちる。

 それより早く翻り、黒犀の巨躯が左右に断ち切られた。

 流れるような連撃。

 いや、二の太刀要らずの剣戟が繰り広げる連殺には、得も言われぬ美しさすらあった。

「ああ、まったく。獣の血ばかりでは張り合いがない」

 口では嘆きながらも、その人斬りの刃が止まることはない。

 何かを斬ることに無上の歓びを感じる。この男はそういうものだ。

 断末魔の叫びすら許さない死の刃は、血を吸うほどに切れ味を増していくようにすら見えた。

「嫌なら引っ込んでいろ」

 忌々しいが、剣の扱いに関して言えば学ぶべきことがまだ多い。

 その体捌きを真似るようにして、竜どもを屠っていく。

 啼いては途絶え。啼いては途絶え。

 ……この人斬りのように、無言で殺すにはまだ至らない。

「いやいや。そうはいくまい。姫君に皮剥ぎ人の真似事をさせるなど、武人の名折れよ」

 灰に埋もれた魔石を拾い上げては噛み砕いていると人斬りが笑う。

「誰が武人だ」

 この人斬りはそんな気取ったものではない。

 ……もっとも、その武人とやらも所詮は殺しを鬻ぐ同類でしかないが。

「しかし、せめてもう少し活きのいいものを用意してもらいたいところよ。これではただの屠殺ではないか」

「なら、いつも通り狩りにいけばいいだろう」

 いつもであれば、猫のような気まぐれさでいなくなっては、ダンジョンのどこかで()()()()()()()を思う存分に斬り刻んでいるはずだ。

 それがモンスターか、それとも冒険者(人間)かは私が知ったことではないが。

「む? そなたがここに留まるよう言ったのではないのか?」

「……何の話だ?」

 本人は姫君などと呼ぶが、そんなものはただの戯言だ。

 実際には別に私が従えているわけではない。……従えているわけではないが。

「近々出陣の下知があると聞いたのだが。先だっての『アリア』とかいう娘たちが近々五九階層にくるのであろう?」

 しかし、私が指示しない限り、勝手気ままに動き回るというのが現実だった。

「それはそうだが……」

 逆に言うなら、私の名を出せばある程度動きを制御できるという事にもなるが――

「私はよく知らぬが、あの異形にとって貴重な『餌』なのだろう。邪魔な取り巻きを始末しつつ、娘だけは五九階層に導けとそういう事なのではないのか?」

 それを誰から聞いた?――と、尋ねるより早く、

『ソウダ』

 様々な肉声が重なり合った、薄気味悪い声がした。

 男のようでもあり、女のようでもあるその声がした方へと視線を転じる。

 紫紺の外套(フーデッドローブ)を身にまとい、不気味な紋様が施された人影がいた。

『【剣姫】達ハ既ニ『深層』ニ向カッタ。何故動カナイ』

 苗床(プラント)――冒険者どもに合わせて言えば、食糧庫(パントリー)で対峙しておよそ半月ほどか。思ったより早い――とも感じるが、その一方でずいぶんと時間をかけたとも思う。

 とはいえ。こちらの準備はまだ整っていない以上は、思ったより早いというべきなのだろう。

「お前も知っているだろう。この体は酷く燃費が悪い」

 そこに加えて、苗床(プラント)での一戦では、『アリア』のランクアップと人斬りの『同類』という二つの要因から、想定を大きく上回るほどの消耗を強いられた。

「『アリア』達から貰った傷も深い。私は休む」

 散乱していた魔石を一通り平らげ、次の食事へと手を伸ばす。

 あれからだいぶ魔石を喰らったが、まだ気怠さが抜けない。

「いや、面目ない」

 カラカラと声を上げて人斬りが言葉だけの謝罪をする。

「まさかこのような場所でファランの剣士と剣を交えられるとは思っておらなくてな。ついはしゃいでしまった」

 この人斬りと互角かそれ以上に渡り合えるのだから、あのファランの剣士とやらは厄介だ。

 少なくとも、今の私では勝てまい。

(人間とは見た目によらないものだな)

 見た目で言えば、草臥れて冴えない中年――リヴィラの街で管を巻いている凡百の冒険者どもと大差ないというのに。

「しかし、聞いての通り我が姫君はまだ不調の様子。無理強いをさせるとあれば、いかにエイン殿と言えど、黙ってはおれんな」

 それは、いつも通りの口調だ。特別殺気立ったわけでもない。

 だが、この人斬りはそのまま誰かを斬り殺せる相手である。

 この男にとって、それは息をするようなものなのだから。

『……(エニュオ)ニ逆ラウツモリカ』

 仮面(エイン)がそれを知らないはずもない。

 精一杯の負け惜しみを口にする。

「無論。別に私は()()に仕えているわけではないからな」

 言うまでもないが、人斬りは最初から抜刀している。

 あとはこの男が、その気になるかどうか。

 そして、その気になった時点で仮面(エイン)の命は終わりを迎える。

「それに()()()()()()()()()()であろう。そろそろ自ら動かれてはいかがかな?」

 この人斬りの誓約とやらがもたらすあの赤い宝玉の事だろう。

 確かに、話を聞くだけでも厄介な代物だった。

『ッ……!』

 ほんの一瞬だけ、仮面(エイン)が殺気にも似た怒気を放つ。

 だが、そんなものは自分の死を呼び込むだけのものだと分かっているだろう。

 即座に霧散させると、舌打ちを一つ残して立ち去る。

「ふむ……。勝手に応じてしまったが、これでよかったか?」

 充分に気配が遠のいてから、人斬りが問いかけてくる。

「構わん。奴等が私達を利用するのは勝手だ。その代わり、私達も勝手に動く」

「なれば良かった。ああ、好きに動けるというのは実に良い。彼奴等の思惑に従うままでは、折角の死合もつまらんからなぁ」

「別にお前を楽しませるためではない」

 と、言っても無駄だろうが。

 嘆息するより先に、食人花(ヴィオラス)どもが新たなモンスターを運んでくる。

「さて。では、気を取り直して我が姫君の慰安に努めるとしようか」

 そして、再び人斬りの刃が闇に鈍く煌めいた。

 

 …――

 

「巡回兵より報告! 五〇階層に侵入者です!」

 その一言に、砦に緊張が走った。

「何者か?」

 周りの者どもを鎮めるのは別の者に任せ、先を促す。

「【ロキ・ファミリア】の旗印を確認したとのことです!」

「また奴等か!?」

 その報告に、宥め役の一人があっさりと憤激した。

 どうにもこやつは、将らしい立ち振る舞いが身につかない。

「ええい! 何度も何度も我らが領土を脅かしおって! またしばらく民草が安らかに眠れぬ日々が続くではないか!」

 武人としてみれば有能なのだが……何であれ、感情的すぎる。

 もっとも、その激情こそが勇猛さを支えているとも言えるが。

「それで、彼奴らの動きは如何様か?」

 その猛将を宥めてから、別の者が冷静に問いかけた。

「現在、五一階層へ続く道の途中に野営地を築いております」

「で、あれば今まで通りか」

「だが! 着実に奴等はここに近づいておる! ただでさえ数で劣るというのに、背後から襲われては流石にかなわんぞ!」

 その言葉には一理ある。

 騎士団などと見栄を張っているが、その規模は辛うじて連隊と呼べるかどうか。

 数の上では騎士団どころか大規模な野盗の群れにも劣りかねなかった。

 ……もっとも、少数精鋭が基本となるこの『時代』らしい編成とも言えるのだろうが。

(つくづく手勢が足りんな)

 しかし、この広大な()()()を戦場とするなら、この程度の人数では全く足りない。

 だが、ゼノスが誕生する確率はまだ決して高くはない。それらと生きて合流できる可能性まで含めれば、人員の確保は困難を極めるのは言うまでもない。

 感情的なものとは全く無関係に、歩兵一人と言えど無駄死にはさせられないのが現状だ。

(あちらは兵力が整いつつあるというのに……)

 少なくとも兵数で言えば、あちらが一枚上手だった。

 今のところ質では辛うじて勝っているが……それとて、()()がほとんど出てこないからだ。

(もっとも、牛頭のデーモンだけでも難敵だがな)

 だが、その程度なら、こちらもまだやりようがある。

 人数に関しても対処法はあるが、その手法――生み出した異形どもに任せるというのは、とにかく汎用性がない。

 それこそ、現状では拠点の守護を任せるか、デーモンにぶつけるくらいなものだろう。

 その結果、巡礼地の多くがモンスターどもに加えて、デーモンと異形が跋扈する魔境へと変貌しているが、それも致し方ないことだ。

 無論、異形作成に関して改善の余地は思いつくが……そちらに避ける時間が限られている。

 問題はいくつもあるが、何よりいわゆる『汚れ仕事』を任せられる人材が少なすぎた。

 ……それもまた、らしくもない感傷に邪魔されている面があるのは自覚しているが。

(もし彼奴等に背後から刺されれば、ほぼ間違いなく私たちは壊滅する事になろう)

 戦況は膠着状態。余裕などほぼないに等しい。

 この状況では、たかが冒険者と言えど決して無視できないが――

「【ロキ・ファミリア】であれば捨て置け」

 下知を下すと、辺りが騒然となった。

「彼奴等の今回の狙いは五九階層にいる異形と見てよい。アレを始末してくれるなら、私たちとしても助かる。そうであろう?」

 二四階層の異変にも【ロキ・ファミリア】の者どもは関わっている。

 そこで何かしらの情報を得ているのは間違いあるまい。

「それは、そうですが……」

「それに、彼奴等は飢狼の群れも同じ。迂闊に関われば、後々まで続く禍根となろう」

 少なくともあの小人にとって、ゼノスの存在は()()()()()

 遭遇すれば、まず間違いなく皆殺しにされる。私達ではなく、『ウラノス派』――つまり、私たちが庇護し切れていないゼノス達の者たちがだ。

 そうなっては、私達も多方面作戦を展開せざるを得なくなる。

 ……少なくとも、彼奴等への報復が終わるまでは。

(蓄積した不満は限界に近いからな)

 もし今度大規模な被害が出れば、まず間違いなく『ウラノス派』は暴走する。

 それどころか、この場にいる将兵たちですら。

(しかし、その蛮行を黙認すれば、まず間違いなく士気が維持できまいな)

 だが、多方面作戦を展開などすれば、今度は戦力不足が致命的なものとなる。

 その隙をあの女が見逃すはずがない。

 であれば、よほどのことがない限り兵は動かせん。

「それよりも問題となるのは、あの者どもがどう動くかだ」

 あの女の手下――いや、同盟者か。

 何であれ、あちらにも切れ者がいるのはもはや疑いない。

(私より後の時代を生きたものだろうがな)

 あの女と同盟関係にあると思しき連中の兵装には残念ながら見覚えがない。

 だが、あちらはこちらが何者か察している節がある。

 であれば、そう結論付けていいであろう。

(柄にもなく里心など出すべきではなかったな)

 せめて軍旗の意匠だけでも変えておくべきだったのだ、と内心で嘆息する。

「動きますか?」

「私たちが察知している以上、あちらも勘づいているであろうな」

 と、なれば全く無視をすることはあるまい。

 あちらに戦力を割いてくれるなら、それはそれでいいが……、

(まさかそんな単純なことはすまいな?)

 まだ見ぬ『切れ者』の幻影に問いかける。

 その程度の指し手であれば、恐れるに値しない。

(だが、手を打たねば)

 彼奴等が()()()()我らの領土を嗅ぎつけてくるやもしれない。

 その程度の嫌がらせなら、さしたる手間でもなかろう。

「五〇階層領の警備を強化させろ。だが、極力交戦は避けること。そして、万が一交戦を避けられない場合は()()()()()()()()()を徹底させろ」

 現時点で人間どもと交戦するなら、間違っても目撃者を生かして返すわけにはいかない。

「交戦を避ける、ですか?」

「いかにも。今は我らの存在を知られないことが最優先となる」

「では、【ロキ・ファミリア】にはこのまま侵攻を許すと?」

「仕方あるまい」

 と、肩をすくめてから続ける。

「貴様らの『悲願』を成就するには、相応の準備がいる。忌々しいが、今冒険者どもを襲うのは好ましくない。物事には手順というものがある故な」

 情報戦というものだ。

 例え彼奴等の蛮行に抗うためであっても、こちらから手出しするのは悪手となる。

 彼奴等は自分たちの蛮行を棚に上げ、こちらを糾弾するであろうし、地上の者どももそれを盲信するのは明白である。

「だが、このまま黙って見ている義理もない」

 しかし、何かしら手を打たねばこの者たちも納得すまい。

「『ウラノス派』の頭目は確かリドと言ったな。そやつと接触して警告するとともに、連携を密にできるよう関係を強化せよ」

 何であれ、当面の間は『ウラノス派』には今まで通り自衛してもらうよりなかった。

 だが、完全に放任しては互いに乖離していくばかりだ。

 ただでさえ数で劣るゼノスたちが二分されている状況は好ましくない。

「また、並行して新たな拠点の発見と、王都の拡張を急ぐよう王に進言しよう。『ウラノス派』の者どもを迎え入れようにも、それができなければ始まらん」

 しかし、現実問題として今の私達の領土では彼ら全てを迎え入れられるほど広くなかった。

 無論、詰め込めば何とでもなるであろうが……それでは『国』とは言えん。

 加えて、話は単純な居住地に限らない。必要な物資や食料にも波及する。

 この穴倉の性質上、拡張するだけでも余計な手間がかかるが……拡張すればするだけ冒険者どもに発見される危険まで高まっていく。

 新たな領土を開拓するという手もあるが、充分な広さの場所を確保できるとすれば、近づく冒険者が少ない『深層』領域を最有力候補とするしかない。

 開拓作業は困難を伴う。仮に成功したとして、今度はそこに移住させるために部隊を編成しなくてはならない。

 いかにゼノスと言えど、全員が『深層』領域のモンスターをまともに相手にできる訳ではない。

 領土に関していずれの選択を取るにしても、速やかに秘密裏に安全に移住を成功させる必要があることに変わりはない。であれば、『ウラノス派』の頭目との連携は必須となろう。

(しかし、移住に応じるかどうか……)

 彼らが拠点としているのは『下層』から『中層』にかけて。

 地上進出を夢見る彼らにとって、『深層』への移住は悲願に逆行する行為でしかない。

 ……無論、心情的なものではある。だが、それを全く無視しては立ち行かないのも事実だった。

(意思の統一を図っておかねば、内乱が起こりかねん)

 現状でそんな事になれば目も当てられない。

 それが武力を伴うかどうかは別にしても、だ。

(だが、これもまた経験か)

 少なくとも、ゼノスたちにはまだ本当の『外交』は任せられない。

 だが、いずれは自らこなしてもらわなくてはならない。まだどうにか余裕があるうちに、同胞同士で経験を積んでもらうべきだった。

「『ウラノス派』との関係強化ですか……。それは、地上との交渉のために?」

 その胸の内を見透かしたかのように、伝令が立ち去ってから、とあるゼノスが問いかけてくる。

「いかにも。地上へ移住するには相応の準備が必要だからな」

「そのためにギルドと交渉する、というのは分かりますが……。しかし、認めるのですか?」

「認めさせるのが『外交』というものだ」

 そして、今はそのための下準備を行っている段階だ。

 ……もっとも、そちらに関してはこの二〇年ばかりの間に、ある程度仕上がっている。

 あとは、仕掛ける機を見極めればいい。

「それに、『説得』するのはウラノスだけでよい。地上にいる他の者どもを納得させるのはウラノスの仕事よ」

 ギルドがオラリオの管理者(支配者)なのは明白である。

 で、あるならその頂点にいるウラノスこそがオラリオの『王』である。【ロキ・ファミリア】は『有力諸侯』かもしれないが、それだけだ。

 ウラノス()指針(覚悟)を固めさえすれば、それに逆らうのは『謀反』でしかない。

 ……もし彼奴等がそれを選ぶなら、それならそれで打つ手はあるが。

「大人数を納得させるには、それができる相手を口説き落とせばよい。これもまた交渉の基本の一つだ。よく覚えておけ」

 統括者とはそのためにいる。

 それがまともに機能しているなら、有象無象を個別に説得して回る必要などどこにもない。

 機能していないなら――

(それこそ好機)

 意思の不一致を起こした烏合の衆など敵ではない。

 漬け込み、食い漁るなど容易いことだった。

(オラリオさえ従えれば、この者たちの『悲願』は達成されたも同然だからな)

 それもまた、理屈は同じだ。

 軍事、経済両面からオラリオは世界を支配している。そこを抑えたなら、逆らえる国は多くない。

(そのためには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだがな)

 何しろ、【ロキ・ファミリア】は『有力諸侯』だ。その影響力は侮れない。

 で、あるなら――

(彼奴等は代替え不能な『手札』となる。いや、『糧』というべきか)

 その『収穫』は然るべき時に、然るべき場所で、然るべき形で行うべきだった。

 

 …――

 

「ほう、地上の凡夫どもが近づいていると?」

 伝令の報告に思わず声を上げていた。

「確認するが、【王狩り】ではないな?」

「はっ。旗印は【ロキ・ファミリア】のものです」

 その名には覚えがあった。

 地上に存在する最大戦力の片割れ。この『時代』にしては数も充実していると聞く。

「場所は?」

「現在は五〇階層に陣を敷いております」

「ふむ。いつもの『遠征』とやらか……」

 地上に放った草からの報告では、その派閥の到達階層は五八階層。

 となれば、目的地は五九階層と見るべきか。

(まだ入り口には遠いが……)

 七〇階層まで到達するとなれば、無視はできなくなるが……現状ではどういうものでもない。

(さて、一働きしてもらうべきか?)

 おそらく【ドラン騎士団】の拠点は――あるいは本拠地は――五〇階層辺りに存在する。

 彼奴等を唆して、探らせるという手もあるが……。

(いや、今からでは仕込めんな)

 無論、方法が全くないわけでもないが……しかし、【ロキ・ファミリア】となると話は少し面倒だ。

「確か『エニュオ』一派が求めている『餌』が所属しているはずだな?」

「はい。そちらも存在を確認しております」

 と、なればここで余計な手出しは『同盟関係』に傷をつける事になりかねない。

(地上の雑事に関わっているだけの余力はまだないな……)

 カインハースト家の――と、言ってもその全てではないが――協力により、兵士の数は揃いつつある。

 だが、まだ本当の意味で騎士団と呼べるほどの数ではない。

 加えて、質もまだ弱兵ばかりと言わざるを得なかった。

(ここは、同盟の維持を優先すべきか)

 そもそも地上に【王狩り】が居座っている今、下手に手出しするのは危険だ。

 確かに、あの男は力を失っている。それはまず間違いないだろうが……だから安全と言える様な手合いではない。

 おおよそ勝ち目などないはずの相手を、悉く討ち滅ぼしてきたが故の【王狩り】だ。

 今のままでも、あるいはここまで到達するやもしれない。

 そして、地上勢力への手出しはそのきっかけになりかねなかった。

(もっとも、件の派閥とはあまり良い関係ではないはずだがな)

 しかし、あの男はずいぶんとお優しい。可能性が皆無とまでは言い切れない。

 現状でその危険を冒すだけの理由はなかった。

 とはいえ、何もしないとあってはそれこそ『同盟関係』に影響を及ぼしかねない。

 と、なれば――

「ここはひとつ、エニュオ一派に恩でも売っておくか」

 直接手を下すのは、蜥蜴の尻尾に任せるべきであろう。

 無論、まだ『外征騎士』は用意できていないが……方法としては変わりない。

()()()()()()()()牛頭のデーモンを一匹放っておけ。場所は五八階層だ」

 前回地上に送られた者どもを曲がりなりにも撃破している。

 あの時と同程度のものなら、程よく消耗させる程度で済むと考えてよい。

「一体でよろしいのですか?」

「構わん。とどめは彼奴等に譲る。それもまた義理立てというものだ」

 我らが王妃様が先走ったせいで、デーモンの存在はすでに露見している。

 それにダンジョンの中で異形に襲われて壊滅しただけなら、あの男とて目の色を変えて飛び込んでくることはない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんなことは、巡礼地ではよくある話なのだから。

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、評価いただいた方、感想を書き込んでいただいた方、ありがとうございます。
 次回更新は18年12月下旬から19年1月上旬頃を予定しています。
 18/12/17:一部改訂。誤字・脱字・文字化け修正
 19/10/02:誤字修正

―あとがき―

 祝! 原作14巻発売!
 まだ未読の方もいるかと思うのであまり内容には触れませんが、とにかく今回も凄いですね!
 まずは怒涛の戦闘シーン。全員恰好良かったですが、特にアイシャ姐さんとヴェルフが凄い! 
 そして、もうリューさんがメインヒロインでいいんじゃないでしょうか。むしろ、もしPC版のゲームなら絶対にイベントシーンに突入して(以下検閲削除)
 シリーズ最大ページ数――実際一番厚いのが見て分かるくらいですが――とのことですが、他にも見所満載で気づけば一気に読み切っていました。
 う~ん、次の巻が早くも待ち遠しい!
 
 …と、多分皆さんも盛り上がっている最中に更新というのはかなり躊躇われるのですが。
 いえ、予定通りに更新できていればギリギリ避けられたんですけどね。
 今回もちょっと難産だったので…。
 更新が遅れ、申し訳ありません。
 
 と、そんなわけで第二節更新です。
 主人公たちは一足先にメレンへ。
 お尋ね者(見習合い)達の逃避行――と、言うには割と呑気な様子ですが。
 むしろ、この二人が慌てふためき始めたら、メレンが地図から消える時も近いかもしれませんね。
 一方のロキ・ファミリアはヤバい方々に目をつけられてます。しかも、まだ気づいていないという…。彼らの命運はいかに。
 それと、新たにダークソウル3からホークウッドさんが参戦となります。
 いえ、名前が出たのが今回というだけですが。
 また、一応補足ですが、彼は別にロキ・ファミリアを嫌っているわけではありません。
 パーティメンバーの反応が多少悪影響を及ぼしていますが…冒険者とオラリオに流れ着いている不死人達の間に概ね存在する意識(価値観)のズレが影響した結果です。
 それについてはもう少し先で触れる予定ですが…少しネタバレをすると、交渉がうまくいかない原因は、フィンだからこそ気づけない、といっていいかと。
 もちろん、ここで言う不死人の価値観云々はあくまで本作に限った設定ですので、念のため。
 ンな事考えているわけねーだろ!――と、いうツッコミは…ええと、優しさという名のオブラートでなるべく厚く包んでから届けていただければと。
 
 と、そんなわけで今回はここまで。
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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