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この記事は前編の続きになります。
こうした特徴をまとめてみるとその原理主義者の掲げる原理主義の内容も見えてきます。
ここまで読んでくれた人には2014年がやたら出てくることに気付いた人もいるかもしれません。
実は原理主義者と呼ばれる人がイメージするクッキー☆像の源流は2014年のクッキー☆に集約されています。
もっと言えばクッキー☆原理主義とはRIM一家、UDK姉妹のキャラを至高とする考えです。
安直に思われるかもしれませんが、RU、KNN、BNKRG、SNNN、YMN、UDK、MZ、AZS、RIの誰かを主体とした動画を作ってみてください。
例え素材や演技など二次創作的なネタに溢れていても、個人情報や誹謗中傷に繋がるようなネタを入れなくても。
恐らく古典派認定されたり、少なくとも原理主義的な批判は見られないと思います。
RIM一家、UDK姉妹及びそのメンバーのキャラは2014年にUMO兄貴とチョコアイス兄貴の作品によって大いに流行りました。そしてその時期はクッキー☆の住人が爆発的に増えた時でもあります。
そうして増えた住人の多くがUMOチョコアイスの作品や彼らの作品に感銘を受けた投稿者の作品に強く影響を受け、当時のノリをクッキー☆の本質だと思い込みます。
しかし、それまでのネタがRIM一家、UDK姉妹のネタに移り変わったようにこのネタも材料屋ブームや二軍淫夢ブームの潮流に取って代わられてしまいます。
そしてRIM一家、UDK姉妹の頃のネタをあまり見なくなってしまった事に対して鬱憤を溜め、その矛先をRIM一家UDK姉妹に取って代わって材料屋やそれと同時期のネタに向けていきました。
養殖論争とは実は「天然派vs養殖派」の対立ではなくこの「RIM一家UDK姉妹ファンvs材料屋+αファン」の対立が本質になります。
その為例えクッキー☆やクッキー☆☆のキャラであるHSI姉貴やDIYUSIが流行っても、それがどれだけ生放送など声優そのものの活動によって生まれた素材や内なるHNSのような中の人ネタを使おうと
「キャラが面白いだけ」「声優の要素がほとんど無い」「TDN東方」と評して突き放しているわけです。
逆に迫真マスパや高気圧ガール、カッチャマやKNNマントなどその劇中での役割や素材、MMDの見た目と言った要素ばかりを使っている状況であっても、クッキー☆らしいと認識されていきます。
クッキー☆でハセカラネタを見るようになったのもこの時期だったことを考えるとハセカラや嫌儲思想の広がりがこの頃クッキー☆にも及んで来ていたのかもしれません。
この影響でクッキー☆に限らず従来のアングラジャンルが更にアングラさを求めるようにもなっていたのかもしれません。
しかし、クッキー☆はその存在そのものがそれまで淫夢から原理主義に反すると批判もされてきた身です。
ノンケを他界隈の住人への蔑称として使用していながら、自分たちが扱うネタは東方と女性ネット声優というノンケそのものです。
その劣等感に対して「クッキー☆は声優をイジメるからノンケとは違う!」とそれまでの歴史を脚色してまでクッキー☆のアングラさを強調しその立場の安定を図っていった側面もあったと思います。
ただ、結局は外部からやって来た考えであり、建前上はこうしたアングラさを至高としているような人でも、養殖声優とレッテルを貼った人物の個人情報が出てきたときに話題にすべきか否かで迷いが生まれている様子を見る限り、自覚しないまま新しいネタに恐怖し拒絶している事が行動に現れています。
原理主義者の心理はこうした新しいネタがクッキー☆の主流になってしまい、自分がクッキー☆において玄人ではなくなってしまうという恐れによる拒絶です。
だから、新しく出た、発掘された作品を養殖と否定し、新しい声優を養殖声優と言って拒絶します。こうする事で自分の知識の範囲外の存在がクッキー☆に持ち込まれないようにしたわけです。
そしてその理屈の基盤を固める為に、原理主義を決めていきました。新しい事への拒絶が目的である以上、この目的に合わせる為に原理主義は変化します。
原理主義が人によって時代によってコロコロ変わるのは原理主義自体を目的としていないからです。
RRM姉貴のように明らかな養殖声優とレッテルを貼っていたものの面白い言動や個人情報が出た事でアングラと言う側面では条件を満たしてしまい、
RRM姉貴は「面白いから養殖から外す」「クッキー☆と知らずに応募したから天然」などと言ったような後出しの理屈で整合性を図ろうともされたわけです。
そしてこれは養殖、天然に限った事ではありません。2014年以降東方に詳しくない人がクッキー☆に増えた事で、東方のネタを拒絶するようになりました。
投稿者をネタにする事もALISON兄貴や朗読兄貴と言った存在を例外として突き放して拒絶する人も現れました。
クッキー☆関連のスレでは新たな話題で盛り上がる度に、その話題を派生スレを作って隔離していきました。
こうした活動において、別に何をクッキー☆とすべきかとか、何がクッキー☆独自のネタなのかとか、売名の有無だとか、ALISON兄貴や朗読兄貴が自分から自分をネタにしていたのかどうかとか、
どの程度のネタは派生スレとして分けるべきなのかとか、そんな議論や理論は意味がありません。
そこにある真意はどれも自分がよく知らないネタが流行ってしまい、自分が置いてけぼりを食らわないようにしたいだけです。
そしてそんな自分の及ばないネタを内輪ネタ、馴れ合いと突き放しているだけです。ネタに普遍性がない以上どんなネタだって内輪と呼ぶ事が出来ますし、馴れ合いとレッテルの貼られる交流はコミュニティの基本的な要素です。
つまり何にだって内輪とも馴れ合いとも言う事が出来ます。
更にこうした自分たちが勝手に複雑化させていった理論を分かりやすくするために、嫌いなものは嫌いなもの同士、好きなものは好きなもの同士を
結び付けてまとめ上げてしまいます。
嫌いなもの→ホモガキ=新参=学生=ツイカス=声優に媚びるノンケ=チョコ★が好き=DIYUSIが好き=しりり☆から入った=クッキー☆に無知=良識派=…
好きなもの→匿名=古参=声優を虐める=初代、☆☆が好き=RIM一家UDK姉妹が好き=自分語りを嫌う=クッキー☆に詳しい=過激派=…
と言ったように何でもかんでも一列に並べてしまい、尚更その認識は実情から離れて原理主義はそれに合わせるように変えられてしまいます。
そしてRIM一家UDK姉妹こそ天然クッキー☆と思い込んでいるのに新しい天然クッキー☆が出ないとそうとしかならないような当たり前の状況に嘆くという意味不明な状態にも陥るわけです。
クッキー☆について何でも知っている玄人になる必要はどこにもありません。クッキー☆にはまだまだ自分の知らない世界があるだけです。
投稿者ネタが流行ろうが新たな養殖声優が流行ろうが、東方の新キャラが出てこようがRIM一家やUDK姉妹が好きならそれで良いんです。
好きなものを求めて摂取したり、生み出していればそれで済む話です。クッキー☆とはどうあるべきかを考えたり、クッキー☆ではないと認定したり、別スレに分ける必要はありません。
所詮クッキー☆はネットに転がる糞みたいな娯楽に過ぎません。そんな娯楽に自分の嫌いなものに向けて対処したり、独自の正義や倫理観を主張する意義はどこにもありません。
娯楽は娯楽らしく楽しむものであり、それは自分の好きなものであるはずです。
これを読んでくれた人が自分の好きな事に没頭する意欲を増してくれればと思います。
何故このような認識の齟齬が生まれたのか
そもそも何故こうしたクッキー☆への認識が生まれて行ったのでしょう?こうした特徴をまとめてみるとその原理主義者の掲げる原理主義の内容も見えてきます。
ここまで読んでくれた人には2014年がやたら出てくることに気付いた人もいるかもしれません。
実は原理主義者と呼ばれる人がイメージするクッキー☆像の源流は2014年のクッキー☆に集約されています。
もっと言えばクッキー☆原理主義とはRIM一家、UDK姉妹のキャラを至高とする考えです。
安直に思われるかもしれませんが、RU、KNN、BNKRG、SNNN、YMN、UDK、MZ、AZS、RIの誰かを主体とした動画を作ってみてください。
例え素材や演技など二次創作的なネタに溢れていても、個人情報や誹謗中傷に繋がるようなネタを入れなくても。
恐らく古典派認定されたり、少なくとも原理主義的な批判は見られないと思います。
RIM一家、UDK姉妹及びそのメンバーのキャラは2014年にUMO兄貴とチョコアイス兄貴の作品によって大いに流行りました。そしてその時期はクッキー☆の住人が爆発的に増えた時でもあります。
そうして増えた住人の多くがUMOチョコアイスの作品や彼らの作品に感銘を受けた投稿者の作品に強く影響を受け、当時のノリをクッキー☆の本質だと思い込みます。
しかし、それまでのネタがRIM一家、UDK姉妹のネタに移り変わったようにこのネタも材料屋ブームや二軍淫夢ブームの潮流に取って代わられてしまいます。
そしてRIM一家、UDK姉妹の頃のネタをあまり見なくなってしまった事に対して鬱憤を溜め、その矛先をRIM一家UDK姉妹に取って代わって材料屋やそれと同時期のネタに向けていきました。
養殖論争とは実は「天然派vs養殖派」の対立ではなくこの「RIM一家UDK姉妹ファンvs材料屋+αファン」の対立が本質になります。
その為例えクッキー☆やクッキー☆☆のキャラであるHSI姉貴やDIYUSIが流行っても、それがどれだけ生放送など声優そのものの活動によって生まれた素材や内なるHNSのような中の人ネタを使おうと
「キャラが面白いだけ」「声優の要素がほとんど無い」「TDN東方」と評して突き放しているわけです。
逆に迫真マスパや高気圧ガール、カッチャマやKNNマントなどその劇中での役割や素材、MMDの見た目と言った要素ばかりを使っている状況であっても、クッキー☆らしいと認識されていきます。
アングラへの意識
同人や声優批判への糾弾も見られるようになったのも2014年のこの辺りで、理由は詳しくわかりませんが、クッキー☆でハセカラネタを見るようになったのもこの時期だったことを考えるとハセカラや嫌儲思想の広がりがこの頃クッキー☆にも及んで来ていたのかもしれません。
この影響でクッキー☆に限らず従来のアングラジャンルが更にアングラさを求めるようにもなっていたのかもしれません。
しかし、クッキー☆はその存在そのものがそれまで淫夢から原理主義に反すると批判もされてきた身です。
ノンケを他界隈の住人への蔑称として使用していながら、自分たちが扱うネタは東方と女性ネット声優というノンケそのものです。
その劣等感に対して「クッキー☆は声優をイジメるからノンケとは違う!」とそれまでの歴史を脚色してまでクッキー☆のアングラさを強調しその立場の安定を図っていった側面もあったと思います。
ただ、結局は外部からやって来た考えであり、建前上はこうしたアングラさを至高としているような人でも、養殖声優とレッテルを貼った人物の個人情報が出てきたときに話題にすべきか否かで迷いが生まれている様子を見る限り、自覚しないまま新しいネタに恐怖し拒絶している事が行動に現れています。
原理主義者の心理はこうした新しいネタがクッキー☆の主流になってしまい、自分がクッキー☆において玄人ではなくなってしまうという恐れによる拒絶です。
だから、新しく出た、発掘された作品を養殖と否定し、新しい声優を養殖声優と言って拒絶します。こうする事で自分の知識の範囲外の存在がクッキー☆に持ち込まれないようにしたわけです。
そしてその理屈の基盤を固める為に、原理主義を決めていきました。新しい事への拒絶が目的である以上、この目的に合わせる為に原理主義は変化します。
原理主義が人によって時代によってコロコロ変わるのは原理主義自体を目的としていないからです。
RRM姉貴のように明らかな養殖声優とレッテルを貼っていたものの面白い言動や個人情報が出た事でアングラと言う側面では条件を満たしてしまい、
RRM姉貴は「面白いから養殖から外す」「クッキー☆と知らずに応募したから天然」などと言ったような後出しの理屈で整合性を図ろうともされたわけです。
そしてこれは養殖、天然に限った事ではありません。2014年以降東方に詳しくない人がクッキー☆に増えた事で、東方のネタを拒絶するようになりました。
投稿者をネタにする事もALISON兄貴や朗読兄貴と言った存在を例外として突き放して拒絶する人も現れました。
クッキー☆関連のスレでは新たな話題で盛り上がる度に、その話題を派生スレを作って隔離していきました。
こうした活動において、別に何をクッキー☆とすべきかとか、何がクッキー☆独自のネタなのかとか、売名の有無だとか、ALISON兄貴や朗読兄貴が自分から自分をネタにしていたのかどうかとか、
どの程度のネタは派生スレとして分けるべきなのかとか、そんな議論や理論は意味がありません。
そこにある真意はどれも自分がよく知らないネタが流行ってしまい、自分が置いてけぼりを食らわないようにしたいだけです。
そしてそんな自分の及ばないネタを内輪ネタ、馴れ合いと突き放しているだけです。ネタに普遍性がない以上どんなネタだって内輪と呼ぶ事が出来ますし、馴れ合いとレッテルの貼られる交流はコミュニティの基本的な要素です。
つまり何にだって内輪とも馴れ合いとも言う事が出来ます。
更にこうした自分たちが勝手に複雑化させていった理論を分かりやすくするために、嫌いなものは嫌いなもの同士、好きなものは好きなもの同士を
結び付けてまとめ上げてしまいます。
嫌いなもの→ホモガキ=新参=学生=ツイカス=声優に媚びるノンケ=チョコ★が好き=DIYUSIが好き=しりり☆から入った=クッキー☆に無知=良識派=…
好きなもの→匿名=古参=声優を虐める=初代、☆☆が好き=RIM一家UDK姉妹が好き=自分語りを嫌う=クッキー☆に詳しい=過激派=…
と言ったように何でもかんでも一列に並べてしまい、尚更その認識は実情から離れて原理主義はそれに合わせるように変えられてしまいます。
そしてRIM一家UDK姉妹こそ天然クッキー☆と思い込んでいるのに新しい天然クッキー☆が出ないとそうとしかならないような当たり前の状況に嘆くという意味不明な状態にも陥るわけです。
結局どうすればいいのか
未知のネタを恐れない事です。別に自分の知らないネタを知っておく必要はありません。クッキー☆について何でも知っている玄人になる必要はどこにもありません。クッキー☆にはまだまだ自分の知らない世界があるだけです。
投稿者ネタが流行ろうが新たな養殖声優が流行ろうが、東方の新キャラが出てこようがRIM一家やUDK姉妹が好きならそれで良いんです。
好きなものを求めて摂取したり、生み出していればそれで済む話です。クッキー☆とはどうあるべきかを考えたり、クッキー☆ではないと認定したり、別スレに分ける必要はありません。
所詮クッキー☆はネットに転がる糞みたいな娯楽に過ぎません。そんな娯楽に自分の嫌いなものに向けて対処したり、独自の正義や倫理観を主張する意義はどこにもありません。
娯楽は娯楽らしく楽しむものであり、それは自分の好きなものであるはずです。
これを読んでくれた人が自分の好きな事に没頭する意欲を増してくれればと思います。
最後にこうした論争でよく見られる言葉の正しい定義も紹介します。これらはクッキー☆内でしか通用しないので外部で使用する際は注視してください。
また、本来の定義と意味が変わっているという事は、それだけ定義を重視していないことになります。
その為、それがどんな意味であるかを考察する事は無意味な事だと思ってください。
(例:これはボイスドラマと言って良いのか否か←そもそもクッキー☆では多くのボイスドラマではない作品をボイスドラマと呼んでる)
また、本来の定義と意味が変わっているという事は、それだけ定義を重視していないことになります。
その為、それがどんな意味であるかを考察する事は無意味な事だと思ってください。
(例:これはボイスドラマと言って良いのか否か←そもそもクッキー☆では多くのボイスドラマではない作品をボイスドラマと呼んでる)
ボイスドラマ:映像の無い音声のみで構成された劇。
クッキー☆においては映像主体であってもボイスドラマと呼んでいる。
クッキー☆においては映像主体であってもボイスドラマと呼んでいる。
囲い:配信者を特定のリスナーにのみ配信させたり、配信そのものをやめさせるなどの独占行為
クッキー☆においては単なるファンに対するレッテルとして使用される。
クッキー☆においては単なるファンに対するレッテルとして使用される。
馴れ合い:会議などにおいて利害の一致する者同士が裏で取り決めを行う出来レース
クッキー☆においては単なるコミュニティに対するレッテルとして使用される。
クッキー☆においては単なるコミュニティに対するレッテルとして使用される。
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>>6
実際クッキー☆は分からない事だらけです。私もそうです。
ただ今の時点の私にとっても知れば知る程無駄な知識だと実感するので、その無駄さが少しでも伝わり、今をより楽しんでくれれば幸いです。
同じ世界にいるから荒れやすいというのはあるでしょう。クッキー☆に限らずどこでもそうだと思います。
それは悪い面でもあり良い面だとも思っています。
>>7
特に効果はないようでしたね。
実際今回の文は投稿して早々に文を修正していたりと出来はかなり甘くまだまだ改善の余地はあったと思います。読みづらいですし。
初めから反対意見の側に立とうとする相手を説得できるほどの自分に実力があるとは思っていませんが、せめて中立や中立に近い反対派、迷いのある反対派ぐらいまでは響く表現が今後出来るよう精進していきたいです。
実際クッキー☆は分からない事だらけです。私もそうです。
ただ今の時点の私にとっても知れば知る程無駄な知識だと実感するので、その無駄さが少しでも伝わり、今をより楽しんでくれれば幸いです。
同じ世界にいるから荒れやすいというのはあるでしょう。クッキー☆に限らずどこでもそうだと思います。
それは悪い面でもあり良い面だとも思っています。
>>7
特に効果はないようでしたね。
実際今回の文は投稿して早々に文を修正していたりと出来はかなり甘くまだまだ改善の余地はあったと思います。読みづらいですし。
初めから反対意見の側に立とうとする相手を説得できるほどの自分に実力があるとは思っていませんが、せめて中立や中立に近い反対派、迷いのある反対派ぐらいまでは響く表現が今後出来るよう精進していきたいです。
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非常に興味深い内容で面白かったです。
「自分がよく知らないネタが流行ってしまい、自分が置いてけぼりを食らわないようにしたいだけ」がためにコミュニティにしがみつき,腐す層が厚くなっていくのは様々なアングラ(というほどではないがマイナー)系ジャンルではよく見てきました。
クッキー☆など(や淫夢もそうかも知れませんが)ネットミームの生まれやすいジャンルでは,基本的に語録で発言するなど細かなルールとも言えないくらいの細かで様々な文脈が存在し,外部から何かを迎え入れる文化がない(つまり,しれっと入ってくることを推奨する)こともあり,自浄作用がないと考えられます。
こういったジャンルがメジャーにならないのは,アングラさやグレーさというよりは,新規を迎合しない閉鎖的(以外にもあると思いますが)などのコミュニティの構造思想にあるかもしれないと考えさせられました。
小さく閉鎖的な世界は楽しいものですが,多くの人間を抱えられるような類の世界ではないのかもしれないですね。
「自分がよく知らないネタが流行ってしまい、自分が置いてけぼりを食らわないようにしたいだけ」がためにコミュニティにしがみつき,腐す層が厚くなっていくのは様々なアングラ(というほどではないがマイナー)系ジャンルではよく見てきました。
クッキー☆など(や淫夢もそうかも知れませんが)ネットミームの生まれやすいジャンルでは,基本的に語録で発言するなど細かなルールとも言えないくらいの細かで様々な文脈が存在し,外部から何かを迎え入れる文化がない(つまり,しれっと入ってくることを推奨する)こともあり,自浄作用がないと考えられます。
こういったジャンルがメジャーにならないのは,アングラさやグレーさというよりは,新規を迎合しない閉鎖的(以外にもあると思いますが)などのコミュニティの構造思想にあるかもしれないと考えさせられました。
小さく閉鎖的な世界は楽しいものですが,多くの人間を抱えられるような類の世界ではないのかもしれないですね。