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私が著作権を軽視する理由 ~著作権は消滅する編~
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私が著作権を軽視する理由 ~著作権は消滅する編~

2021-07-01 23:22
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私は著作権はそう遠くない未来に消滅するものだと考えています。
今回はこうした私の著作権観について記します。

とは言え前回も言った通りこれは私の主張したい事とは少々ズレます。
主張したい事は前回の記事に書きました。
今回はただ私が著作権に対してどのように認識しているかを補足するものなので、
ああいった文を書いた人はこんな考えの人なのかと思う程度で良いですし、
読まなくても結構です。

著作権とは?

そもそも著作権とは何なのでしょうか。
著作権法第一条には著作権の目的が描かれています。
この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

長々と書いてありますが、要は「文化の発展に寄与すること」を目的としています。
ただ、こんなものが建前だと言うことは誰もが察する事だと思います。
ここで言う文化の発展の寄与とはつまり、文化の発展には作品を世間に循環させる健全な市場が必要で、
そしてその市場を支える企業、企業を支える利益を安定させる事が目的という事です。
要はプロの創作者を抱える企業を守る為の法律です。

だから著作権には隣接権やら権利の売買やら作者の死後も一定期間認めらる等、
その権利は必ずしも作者に留まりません。
作り出された作品は幾度となく使いまわされ、利益を生み出し続け、
多くの人にその儲けを行き渡らせます。
また、市場が危うくなれば著作権も強化されたりもするわけです。
例えば音楽教室の演奏にも使用料を払うべきではなんて話も持ち上がったりもしました。
これまで音楽教室ではこうした楽曲は無断使用されまくっていたわけですが、
これにより今まで音楽の世界は暗黒の時代を歩んできたとは誰も思ってはいないでしょう。
単にそれだけ市場が危うくなり、藁をも掴む気持ちで、
そうした今まで気にも留めていなかった事にすら利益を求めようとしたんだと思います。
結局この話は認められなかったように、白い目で見られることが多かったようですが、
長期的な観点とかはともかく、少なくとも市場を守るという著作権の本音の目的を考えれば、
納得するかは別として、その意図は理解はしやすいと思います。

一方で訴えたら逆に時間や金が損するような訴える価値の無い程の金銭の絡まない、
絡んでも少額の作品には一次二次問わず著作権は存在しないも同然と言えます。
ましてや著作権は親告罪です。
今では当然のように世に出回っていますが、
アニメアイコンやキャプチャーした画像や動画の使用などは勿論、
手描きの二次創作であってもネット上という個人的、家庭内の利用に収まらない利用であれば本来著作権侵害に当たります。
ファンアートだとかリスペクトだとか宣伝になるからだとか
そんなものの有無なんて関係ありません。
それ言い出すと本来取り締まりたいパチモンや海賊版すら
あれこれ理屈並べられるだけで取り締まりづらくなってしまいますから。

それらは偏に利益に繋がる、損害が薄い、関心が無いなど本人の意図はともかく権利者が訴えないから犯罪として扱われないだけです。
実際同人作品であっても、稀に権利者が気に入らなければ、
大抵は大人しく引き下がるからそれ以上話が大きくならないとは言え、
警告を貰うといった事態もあるわけです。

そもそもプロであっても、ちょっとしたパクリは割とよく見かける事だと思います。
そして例えバレバレでもすっとぼけつつ、パロディとして認められることを期待し、
K9999のように怒られたら素直に引き下がるといった手段を取る事が多いと思います。
そういう面でもネット上で主張される著作権は、
実際に扱われている著作権よりも、過敏に騒ぎ立てられているとも言えます。

前回多すぎて数行まで省いて済ましていた内容は大体このようになります。

そして二次創作もまた著作権違反である事にも関わらずそれを棚に上げ、
あるいはその自覚すらなく、
アマチュア創作者が利己的な感情に基づいて著作権を血統書かのように扱い、
本来の目的である商業的な観点からも離れて、共有された目的も無い、
合理性の欠いたルールになってしまっていると、
前回の記事では話題を繋げていきました。
まだ読んでおらずこの話に興味のある方は前回の記事を読んでください。

著作権の前提条件の崩壊

実際、作品の制作、そしてそれを世に広めるにはそれなりの資本が必要になります。
漫画一つとっても、道具や資材は勿論アシスタントや編集者など人材も確保し、
技術の習得にも時間や労力を費やします。
そして完成してもそれを本にして量産し、それを店に届け、
店で売れるよう広告も必要になります。
資本が足りなければ折角世に出してもその周辺地域、
街一つしか広まっていないなんて状況すらあります。
そこで著作権によって作品に繰り返し利益を生み出す安定した価値を付与するようにして、
資金源を確保できるようにしているわけです。

創作者の望みは一つは創作活動そのものと、その作品を多くの人に伝える事だと思います。
少なくともネット上で創作活動をしている人なら、そのような欲求は持っているはずです。
しかし、創作者1人だけでは限界があります。
回し読みで友達の間に広めるのが精いっぱいという事もあるでしょう。
ましてや傾向としてそうした創作者は人より友達が少ないものです。
また、作る事に関しても限界はあります。
それは技術や資材、人材に道具といった限界は勿論、
創作をするうえでは時間や労力も必要になりますから
その分、仕事など自分の生活に必要な時間も確保できるよう制限しなければなりません。
そこでプロの創作者となって創作そのものを仕事にする事で、
本来仕事に費やす時間と労力を創作と併合し、その問題も解決しているわけです。
だからこそ上記のように著作権によって作品の価値を高め安定させ、様々な企業と協力し、
それによって、創作に制限が生じても、自分以外に人間に著作隣接権が生じても、
売買などによって著作権が自分の手から離れてしまう可能性があっても、
自分だけでは作れないもの広められない事の為に、そうしたリスクも飲むわけです。

しかし、時代は変わりました。
インターネットの普及で誰でもクリック一つで世界中に作品を広める事が出来るようになりました。
どんどん便利なツールが誕生して創作の敷居も下がっています。
創作も発表方法もプロで無ければ用意できないような資本を必要とせず、
趣味の範囲で出来る事が増えました。

そうなれば当然資本を確保する必要性も薄れてきます。
ただでさえ門が狭く、制約の多いプロにわざわざならずとも、
創作欲を満たせるようになりました。
一方プロからしてみれば、創作と流通の敷居の低下で商売敵がどんどん増えていきます。
それも単なる商売敵ではなく、金にならなくても、金を払ってでも作品を世に出したいという
創作そのものを娯楽と見て目的にしているアマチュアすら同じ土俵で勝負しなければなりません。
そのような相手に対して価格勝負ではまず勝てません。
クオリティで勝負しようにも優秀なツールの普及で素人でもできる事は増え続けています。
創作によってちょっとした金銭のやり取りを行う敷居は下がり続けるでしょうが、
それで生涯食っていく敷居は上がり続けるだろうと思います。

実際YouTuberにskeb、noteと個人で金銭の売買をする光景はよく目にすると思います。
私は詳しくありませんが音楽もそうなのでしょう。
そしてそれらは必ずしも金銭が必要とされず、無料で公開されているものも多いはずです。
というより大体無料だと思います。
そして料金の有無が作品の良さ、特に個人の好みにおいて差を生み出すとは限らない、
要は無料でも良い作品はいっぱいあるし、
有料でも必ずしも良いとは限らない事も実感している人は多いと思います。

このように私が言うまでもなく作品の商品価値は既に曖昧になっていることだと思います。
そして、そんな作品の商品価値を維持するための存在である著作権もまた
その存在意義を失い、そう遠くない未来に消滅、
あるいは形骸化して力を失っていくのではと考えています。

これは決して悪い事だとは思っていません。
少なくともプロにならなった、なれなかったアマチュアという大半の人にとっては、
創作も発表も敷居が下がってやれることが増えたのですから、喜ばしい事でしょうし、
今、創作活動をしている人の大半は私が書くまでもなく既に実感していると思います。

そしてプロの創作者もまた、プロとしての実力がある限りは、
著作権が失われたぐらいじゃその地位は揺らがないと考えています。
身につけた実力は権利の有無なんかで失うものでもありませんし、
自ら生み出せるという事は、ノウハウの蓄積においても調達の速さにおいても
模倣している側よりも大きなアドバンテージを持っています。
勿論、著作権が残ろうが消えようが激化するであろう競争において、
アマチュアを蹴散らすプロ相応の実力がある限りですが
厳しい言い方にもなりますが、私は創作者とは創作をしている者であって、
創作をしていた者は創作者だった者と見ています。
だからプロの創作者がプロの創作者である限り、
著作権が無くてもやっていけると見ているわけです。

著作権が失われて困るとすれば、創作者に資本を提供する側だった企業や
過去の作品に支えてもらっているプロとかでしょうか。
そして今後も規制強化やら取り締まりでこうした流れを阻止しようと様々な動きもあるでしょう。
しかし、創作活動はその行為そのものが娯楽でもあります。
この前提がある限りは維持よりも消滅の方が分があるように思えます。

おわりに

私はこのように予想しているから、別に著作権という法律を消滅させようと行動する気はありません。
前回指摘した事もあくまでアマチュアが掲げる著作権は著作権の体を成していないから不要というだけです。
そもそも持論に従えば何もせずとも自然と著作権が消失するか形骸化するはずです。
それで食ってるプロなら何か行動をする必要があるのかもしれませんが、
アマチュアである私が何かする事はありません。
またそんな予想なので外れたところでどうするという事もありません。
いずれにしろ私は権利に縛られないというアマチュアの恩恵にあずかりながら、
アマチュアらしく細々と創作を続けていくだけです。

また私は目指していませんが、プロを目指す事にも否定的なわけではありません。
著作権が無くてもアマチュアを蹴散らすような、
資本を費やしただけのある作品を生み出し続ける創作者を目指す事もまたとても素晴らしい事だと思いますし、
そうした創作者が活躍してくれることを願っています。

長々と書きましたが著作権に対する一連の記事はここまでになります。
先述したように今回の記事は単なる自己紹介的な前回の補足であり、
主張したい事は前回の記事で大体書き終わらせたつもりです。
人によっては攻撃的に見える記述もあるかもしれませんが、
私の思いとしては、これまで様々な創作者の、
特にアマチュア同士における醜い争いをネット上で目にしてきた中で、
どうすれば皆でもっと楽しい創作活動が出来るのかという考えが根底にあります。

アマチュアがアマチュアらしく振舞うのは良いでしょう。
プロがプロの立場として振舞う事ももっともだと思います。
しかし、アマチュアがプロのように振舞う事で、
その不相応な立場によってそうした醜い争いを生むのではと考え記事としてまとめました。
そして、アマチュアらしい立場というのは互いに利用し合えると立場であり、
それがアマチュアの恩恵だとも記しました。

私の考えに共感した事しない事様々だと思いますが、
この記事によって楽しい創作活動に向かう手助けに少しでもなれればと思います。



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かつてインターネットが普及しなかった時代では文化の発展にコスト(主に普及の面で)がかかり、著作権はそのコストの支持基盤(企業)の存続のために存在し得た。
ただインターネットが文化の普及を担う完全なインフラとなり得るのであれば、その支持基盤は不要であり畢竟存続させるための著作権も不要となる。
人々は優れた創作から発露した自由で新たな創作を連綿と紡ぎ、受け手はそれを取捨選択する。
実際はまだ今日においては万人が創作を享受し、評価しうる圧倒的利便性のプラットフォームが存在しないことや、騙りや誹謗中傷への保護機能が個人では機能しづらいことからまだまだ実現には遠い世界だとは感じますが、いつかはそうなると面白いですね
一連の記事を改めて読みましたが10月7日でこの思惟足跡が消えるのが惜しいですね。ただジャンルの性質上消えるのもまた道理、いえ残さざるべきものなのかもしれません。このジャンルに漂う自虐的でもあり破滅願望的でもある刹那性は我々を惹きつけてやまない要素の一つなのですから
1ヶ月前
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