この件です。
荻野稔はこの件を、自身が被害者であると規定して解釈しているようですが、私はそのような対応は極めて不誠実なものであると考えています。なぜなら、後述するように、こうした殺害予告にまで今回の騒動が至ってしまったのは、ひとえに彼自身の言動によるところが大きいからです。
確かに、殺害予告という1点だけをとれば、彼は被害者です。ですから、こうした批判を「被害者の非をあげつらい叩いている」とみる人もいるでしょう。そこまでいかずとも、あまり上品な批判ではないと思う人は多いかもしれません。しかし、そうした批判は甘んじて受け入れるとしても、やはり、荻野の振る舞いは不誠実なものであると批判しなければなりません。
なぜなら、彼の振る舞いは今回の騒動にかかわる2つの勢力の非対称性に乗じ、相手方の訴えや被害、立場を簒奪して利用することで相手の口を塞ぐものだからです。意図的であるかどうかにかかわらず、こうした振る舞いは公人のものとしてまったくふさわしくありません。
詳細はこれから書きますが、本件を極めて端的に例えるならば、「ドナルド・トランプに煽られて議会を襲撃した人々のなかに、そのついでとばかりにホワイトハウスを襲撃した人がいたとして、ではトランプは被害者として振る舞ってよいか」というものです。このような状況下でトランプが被害者で振る舞うことに、一切の憤りや不快感を覚えない人は、ここから先の記事を読んでも時間の無駄でしょう。逆に、何らかの違和感を覚えるのであれば、その違和感を言語化するためにも、以降の記事を読むことをお勧めします。
殺害予告?
東京都大田区役所に「(大田区議会議員の)おぎの稔を殺す」などと書かれた脅迫メールが届いていたことが10月1日わかった。おぎの稔議員がTwitterで明かした。まず、本件について事実関係を振り返っておきましょう。脅迫に関して明らかになったのは10月1日のことで、この時点でわかっている脅迫の内容は上に引用した太字の部分のみです。これについて、荻野は自身への殺害予告であるとブログで主張しました。
おぎの議員によると、脅迫メールには、大田区役所など3か所について「10月1日15時34分に爆弾積んだプリウスで突っ込んで爆破する」といった、リアリティに欠けるような記述もあったという。おぎの議員は30日に警察に被害届を提出、警察や大田区が警戒したが、この時間には何事も起きなかったという。
おぎの議員はキャリコネニュースの取材に答え「民主主義である以上、暴力や脅迫に訴えることは許されないと思います」と話した。
(中略)
「アンフェ議員がネットでイキってるので、大田区役所、徳島県庁、株式会社Art Stone Entertainmentに15時34分に爆弾積んだプリウスで突っ込んで爆破する。イキリオタクに生きる価値なし」
「署名をやめて辞職したら、やめてやる」
【独自】大田区役所に脅迫メール「おぎの稔を殺す」「プリウスで爆破する」→何も起こらず。脅迫された議員に背景を聞いた。-キャリコネニュース
しかし、この主張に対し違和感を覚えた人がいました。対象が建物だけなのに自身への殺害予告と説明するのはおかしいのではないかという指摘です。この指摘自体は不当ではないものの、後述するある前提を考えなれければいささか無理のある指摘だと思う人もいるでしょう。というのも、自身の勤める建物に爆破予告があったことを自身への殺害予告だと解釈するのも、さほど不当ではないからです。
しかし、この情報の発信者が荻野稔であるという前提を置けば話は変わってきます。
そもそも、荻野は寸借詐欺にかかわった疑惑など様々な問題を抱えながら、それを「オタク区議アピール」でうやむやにして議員活動を続けている、極めて不誠実な人物です。これも後述しますが、Twitterでの発信もミスリード、デマ、差別などを用い、聴衆を不必要に煽り立てる傾向にあります。そうした人物の発信を最初から疑ってかかるのは一般的なネットリテラシーの作法だといえます。
結果として、荻野が後出しした情報からこうした疑いは晴れましたが、そもそも疑われたのが荻野の普段の振る舞いのためであることは否定できません。
そしてこの殺害予告ですが、十中八九本気のものではなく、荻野自身もそのことをわかっているとみなすべきでしょう。その理由は複数あります。
まず第一に、ネット特有の文脈です。すでに複数の指摘があるように、今回の予告にはネットスラングとして用いられる要素がいくつもありました。つまり、ネタとしての要素が強いものであると言えるわけです。こうした予告が本気であるとは考えにくいでしょう。
また、そもそも東京の施設と四国の施設を同時に車で爆破するという計画にも無理があります。極めて実行可能性の低い計画であり、脅迫犯はあくまで悪ふざけとして脅迫したに過ぎないことが示唆されます。
もちろん、明らかに悪ふざけでも一応は本気のものとして対応しなければいけないのがこの手の犯罪の厄介なところです。ですから、悪ふざけでも許される行為でないことは言うまでもありませんが、書いておかないと理解できない馬鹿が大挙して押し寄せたので、改めて書いておきます。
荻野もまたこの脅迫が本気ではないとわかっているという点は、彼の言動を見れば理解できます。詳しくはまた後で書きますが、彼は今回の件を「利用」しさらに周囲への誹謗中傷を煽るような振る舞いをしています。もし殺害予告を本気だととらえて恐れているなら、こんなことはできないでしょう。仮に、本気だととらえてもなおやっているのだとすれば、彼はとんでもない馬鹿か恐怖心の欠如したサイコ野郎のどちらかだということになってしまいます。私は別にどっちでも構いませんが、公平を期すために彼にとってもっとも都合のいい想定、つまり馬鹿でもサイコ野郎でもないという想定をすることとします。
「被害」を生み出した煽り
前の節で、殺害予告にネットスラングが使用されていることを指摘しました。このことは、殺害予告がネットの文化と近しいところから登場したものであることも示唆しています。それはつまり、荻野の支持者に近いところから出てきたものであるということです。そもそも、彼は今回の騒動に関して、相当暴力的な煽りを繰り返してきました。一例をあげると、
映画に登場する殺人鬼のセリフをもじった文章で、全国フェミニスト議員連盟とのさらなる「戦い」を煽り
ネットスラングにはなっているものの、直接的に暴力を煽るような発言をしています。
こうした事例について、直接的に署名とかかわっているわけではないとか、単なるネタであるといった言い訳が出てくるかと思いますが、全く意味のないたわごとです。暴力を振るうという社会的に極めて重い犯罪行為をネタのように軽いものとして扱いながら、相手への攻撃を煽ればどのような結末が待っているかは、常識的な理解力を持った大人ならわかることです。そして事実、同様のことが起きました。
こういう背景がある以上、荻野への殺害予告もまた、彼自身の煽りによって生み出された側面があることは否定できません。直接的に関係していることを証明するのは無論不可能でしょうが、彼が暴力を軽く扱う土壌を作ったために出てきたものであることは明白です。
ですから、最初に例えたように、荻野の被害は自らが育てた怪物に自らも襲われたにすぎないのです。そのことを棚に上げて純粋な被害者であるかのように振る舞うのは不誠実です。まず、軽率な行動によって関係機関にも迷惑をかけることになってしまった点を謝罪することから始めるべきでしょう。
「セカンドレイプ」という言葉を使ってはならない
さて、こうした批判を行うと必ず湧いてくるのは以下のような反応です。確かに、一応は被害者である荻野の振る舞いを取り上げ、そこに非や責任を見出すことは、外形的にはセカンドレイプに似ています。しかし、似ているだけにすぎません。それどころか、この件を語る際にセカンドレイプという言葉を使用することは、極めて女性差別的な発想に基づき、また女性差別的な機能を有することを指摘しておかなければなりません。
もちろん、そもそも荻野のことを批判することが二次加害なわけがないのですが、それはいったんさておきます。
そもそも、セカンドレイプという言葉は、性犯罪被害者に対する二次加害を告発するための言葉です。二次加害の背景に女性差別的な思想があることから、当然、この言葉は性差別を告発する言葉でもあります。
一方、今回殺害予告をされた荻野は、女性差別的・アンチフェミニズム的な発言を繰り返してきました。第一、彼が代表者になった署名それ自体も女性差別的な動機に基づくものです。当人は否定するでしょうが、上で指摘したような煽りを含めて考えれば、これは確定的な事実です。
そしてすでに指摘したように、今回の殺害予告は彼の煽りによって引き起こされた側面のあるものです。彼の煽りが女性差別的な動機に基づくことを考えれば、彼は自身の女性差別の巻き添えを自ら食らったと言い換えることもできます。
こうした「被害」に対する批判に再反論する際に、セカンドレイプという言葉を用いることは適切ではありません。それは、セカンドレイプという性差別を告発するための言葉を、女性差別を擁護するために使用することになるからです。これは差別主義者が被差別者の抵抗のための言葉を奪い取る構図になるでしょう。
また、この件にセカンドレイプという言葉を用いる人は、荻野が区議という立場にあり、公の場で繰り返し行った言動によって自らの被害を招いたことを無視しています。被害者が私人であれば、被害の背景にどれほど愚かな行為があったとしても批判するなという意見にも一理あります。しかし、被害者が公人であれば、その背景を批判しなければいけない場合もあります。もちろんその批判も差別に加担することにならないように慎重に行われるべきです。しかし、「被害者」自身が差別的な扇動を行い、その結果として自らも巻き添え被害を食らったというような場合において、被害者であることを盾にその背景すら批判するなというのはあまりにも無理のある要求です。
こうした事例にもセカンドレイプという言葉を使用することは、この言葉に「大暴れした人物の自業自得な被害」を擁護するための言葉であるかのような印象を付与することになり、この言葉の信頼性を毀損することになります。ありていに言えば、セカンドレイプという言葉が「なんとなく胡散臭い言葉」になることに加担することです。もしこの言葉が胡散臭いとみなされるようになってしまえば、女性は二次加害を告発するための重要な手段を失うことになるでしょう。
こういう背景を考えれば、私の批判をセカンドレイプだということは、的外れであるばかりか、自らが女性差別的な動機に基づいて荻野を支持していることを示唆するものであるとすら言えます。
更なる煽り
さて、上でも指摘したように、荻野は十中八九殺害予告を本気のものだと考えていません。なぜなら、この騒動に乗じて更なる煽りを繰り返しているからです。その発端は、上でも引用した田川氏に対するものです。氏は荻野の発言の妥当性を順当に疑っただけですが、なぜか荻野はそのあとに送られてきた殺害予告が氏のせいであるなどと意味不明なツイートをしています(一部のツイートは削除した模様)。
その結果、荻野のフォロワーが田川氏に大挙して誹謗中傷を働くという状態になっています。
そして、私も被害にあいました。こういうツイートをした直後に
こういう引用があり
こういう有様です。荻野は自分の思い通りに動くフォロワーを大勢抱えて本当に気持ちいいでしょう。ちなみに、当該ツイートへのリプは現時点で120以上、引用RTは230以上でほぼ誹謗中傷という事態です。
私のはしゃいでいるという発言は、まさに、こうして荻野が自身のフォロワーを批判的な相手方にけしかけているところを指摘したものです。もしこうした振る舞いを面白半分ではなく、本気で正しいことをしていると思って行っているのであれば、それは相当恐ろしいことです。いや、面白半分でも十分悪いんですが、面白半分ならまだ自分の振る舞いが正当なものではないという自覚がある分ましだと言えるでしょう。
もし本気でこのような行為が正当だと思っているのならば、自らは周囲の人々を焚きつけて煽り、多量の誹謗中傷で黙らせる一方、自分がそうした焚きつけの巻き添えを食ったら被害者面という非対称的な振る舞いをしているということになります。それは公人として妥当なものではありません。
同時に、こうした振る舞いは女性差別の非対称性にも漬け込むものです。これもまた広く知られた事実ですが、一般的には女性(およびフェミニズムに親和的な男性)のほうがこうした誹謗中傷の被害にあいがちです。そうした被害の多くは語られることはありませんが、それは女性差別故に被害そのものがまともに取り扱われなかったり、被害の告発が別の被害を呼び寄せる、つまり正しい意味でセカンドレイプを受ける恐れがあるためです。
一方、男性にはそうした恐れがなく、皮肉にもフェミニズムが有害な男らしさを解体しつつあるおかげで、こうした被害を公言しやすい状態にあります。この結果何が起こるかと言えば、男性の被害は重視される一方で女性の被害が無視されるという、いつもの女性差別です。荻野は自らの被害を最大限大きなものとして語ることで批判を封殺し、その一方で相手方への攻撃を面白半分なテンションで煽ることで被害を矮小化しています。
こうした性差別の構造に乗じた振る舞いを放置することはできません。荻野は公人の立場にふさわしい人物ではなく、自らの言動の責任を明確に取らなければいけないことを改めて強調します。