第6講のまとめ

 DVは、「自分だけを特別と思いたい自己保身の病」であり、家族への過干渉という特徴があり、「教育虐待」に親和的。支配の最終形態は性的支配。DV家庭における性虐待は少なからずあって深刻。

 

【第7講】 DVの実情-家族は安全であるべきだけど、時として危険

 

 プライベートで弁護士であることが知れると、「相談にのってもらっていい?」と言われ、話しをきいてみると、相当なモラハラがあり、離婚にいたったママ友が何人もいます。見知らぬ弁護士に相談をするのにはハードルが高いけれど、知り合いに相談できるならと、それまで表に出すことがなかったモヤモヤを話してくれる。それを私が聞いてみると、明らかにモラハラで、離婚すべき事由にあたる。子どもにとっても有害ではないか。これを洗脳というなら、そうかもしれない。古くさい脳みそを洗うという意味では・・・。

 

 角田光代さんの小説、『坂の途中の家』のような家庭は、日本中にごろごろと転がっています。チョ・ナムジュさんの小説、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで、韓国の実情ではあるけれど、他人事に思わない人も多いと思います。女性から男性に対するDVがあることを否定しませんが、一般化すれば事態を見誤ります。今朝、ちょうど、映画『RBG 最強の85才』を家族で観ていましたが、「男性のみなさんお願いです。私たちを踏みつけているその足をどけて下さい。」と言いたくなる状況がまん延していることを認識できないような人は、滅んでくださって大丈夫です。社会が進むとき、バックラッシュはつきものです。

 

 ところで、平成29年内閣府の調査によれば、DV被害の経験は以下のとおりです(平成29年内閣府調査、男女とも含む)。DVは特殊な人間だけに起こりうる問題ではなく、日常的に、身の回りで起きている社会問題だといえるでしょう。

・身体的暴行 17.4%(何度もあった3.7%)

・心理的攻撃 13.4%(何度もあった5.8%)

・経済的圧迫 6.8%(何度もあった3.3%)

・性的強要  6.0%(何度もあった2.2%)

・上記いずれかの行為を1つでも受けた26.2%(何度もあった9.7%)

 

 

  私は、共同親権導入に反対するためにツイッターを始めましたが、私の目標は、学校・職場・家庭という集団のなかで、個人が個人として尊重される社会の構築にあります。個人の尊重は憲法13条で保障されている人権ですが、憲法に記載されている人権は、当然に与えられてきたものではなく、かつて侵害されてきた人権のカタログだから、不断の努力で護りぬくことが必要です。

 

 DVの構造は、自己保身という動機のもと、圧倒的な力の差で相手を押さえつける人間関係そのものだと申し上げてきました。DVのある家庭では、日常生活のすべてにおいて自分の言動が批判的に審査され、一言発するにも、「ばかにされないか」、「怒られないか」、「揚げ足をとられるのではないか」など、脳をフル回転させて緊張感にさらされます。DVの被害者が、「機嫌のいいときもあるんです」などと言うことがありますが、よく思い出してください。加害者の機嫌がいいときですら、「いつ地雷を踏むだろう」とドキドキしていて、心安まるときなどなかったはずです。DVは、人権問題なのです。

 

 DVのある家庭では、「力による支配」という構造により、人と人との虚偽が近く、個人の尊厳をふみにじる過干渉が生じています。そして、その近すぎる距離を、加害者も被害者も「愛情」だと勘違いして、共依存状態に入る・・・。母親がボコボコに殴られているのに、別居すべきでないと言いに来た子どもに、その理由を尋ねると、「家族だから」、「絆があるから頑張らなくちゃダメだ」などと言います。「家族の絆」などというものは、自然的に生じるから尊いのであって、スローガンとなるとき、それは「暴力」なんだと思います。

 

 家族について定めた憲法24条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と記載されていますが、それは、婚姻にあたって当事者の合意だけでは婚姻できず、女性の地位が低くて、家族の従属的な地位しか有してこなかった歴史を表しています。家父長制のもとでは、婚姻時においてすら家長による単独親権制度がとられ、妻や子どもの意思は尊重されませんでした。尊重がないということは、人と人との境界線があいまいで、ここに過干渉が生まれます。

 

 過干渉は、時として重篤な被害を生み出します。

 平成29年の犯罪情勢によれば、殺人で検挙される者の11人に一人は妻を殺した夫です。殺人の検挙件数930件のうち、配偶者間は157件、うち夫によるものが87件。傷害の検挙件数19051件のうち、配偶者間は2682件、うち夫によるものが2482件あります。

 

 

 以下は、令和元年度の犯罪情勢ですが、殺人(既遂)の検挙件数248件のうち、配偶者間の事件は53件に及び、殺人既遂事件の5分の1をこえています。安心安全であるべき家族が、家族であるが故に危険であるという現実を軽視するべきではありません。

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 個人の尊厳がまもられていない家族から、子どもを連れて家を出るという行動は、「支配からの卒業」を意味します。そもそも、婚姻という状態は、当事者の合意を基礎としているわけですから、エンゲージしたら最後、その都度の合意が不要になるという制度ではありません。日常生活において無数に生じる論点について、それぞれの意見を尊重できる関係であるという大まかな確認のもと、婚姻関係における意思決定においては、その都度の合意とリスペクトが不可欠です。それが出来なくなるときに「離婚」となるのでしょう。その局面において、「共同」を強要することは、「支配からの卒業」の妨害にほかなりません。


 「家族」は時として危険だということを直視することは精神的な苦痛をともないますが、それでも、目を開いて見ていかないといけない。現行民法は、婚姻時共同親権制度を採用しているわけですが、離婚後においては共同を解き、単独親権制度を採用しながら、民法766条で、親権がなくても監護権が持てることを規定し、親権者でない者による共同養育・共同監護を可能とする規定を設けています。離婚時において、一番関係が悪化しているという現実に正面から向き合った制度設計なんだろうと思います。

 

 勘違いされたくありませんが、私は、離婚後の共同監護・共同養育に反対しているのではなく、それができない関係に「共同」を強要することに反対しているのです。家庭が安全な場所であるというのは、「家族神話」であって、離婚後の家族の全てにお花畑を描くことが加害者の後押しになっていることに私たちは気付くべきだし、家族から逃げることを抑圧することは、家父長制的な価値観を離婚後においてまで押し付けるべきではありません。子連れ別居した配偶者に対して、「連れ去り非難」することと、離婚後共同親権が両立することはありません。

 

 離婚に応じない相手方を説得するときに、裁判官が、「お気持ちわかりますが、気付いてしまった女性は後戻りできないんですよね。」と言ったことがありました。

 家族の解体は、悲しいことではありません。

 個人が尊重されない家族の継続が強要される方がよっぽど悲しい。

 家族が苦しい、重たいというときに、「その程度のこと」ということに抗いたい。

 だって家族だもん。そこは、一番弱い人基準でよくないですか?

  

  以上で、DVに関する基礎講座は終わりです。 

  ゴールデンウィークも、残すところあと1日です。

  皆様、良い1日をお過ごし下さいね!

  

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