第4講のまとめ
同居中に生じた、精神的DVの面前DVが子どもの心を壊し、別居後の後遺障害となってあらわれることは、世の中にもっと知られてもよいと思う。
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【第5講】DVと児童虐待は同時に起こっているということ
昨日の講座では、「DVはあるけど虐待はない」は、「DVも虐待もある」よりも深刻な事態である。それは、「自分のクラスにいじめはあるけど、私には関係ない」と言っているのと同じだと書きました。今日は、DVと児童虐待は同時に起こっているということについて、もう少し具体的に見ていきたいと思います。昨日も引用しましたが、内閣府の政府広報による説明がとても分かりやすいので、本日もここから引用してお話ししたいと思います。
この事例は、一番、社会的に認知されている類型だと思います。配偶者に対してふるう暴力を子どもにも見せ、子どもに対してふるう暴力を配偶者に見せることは、被害者側からみれば、自分が受けた暴力の痛みと、大切な人を暴力にふるわれたくないという思いとの相乗効果で、怒らせないよう最大限の注意をはらって顔色をうかがうことになりますので、支配のための手段として有効で、多く用いられてきたことも事実だと思います。
この類型において、DV被害者と虐待されている子どもはともに被害者という立場に置かれるため、協力関係になりやすく、一緒に頑張ることで耐えてしまい逃げ遅れることもありますが、一緒に決意して家を出るという場合もあります。この類型で、別居にいたった場合に、離婚後共同養育をせよという意見はさすがに出にくいのではないかと思っています。
実際の事件では、子ども達は、調査官調査において、目撃したDVと自分の受けた虐待について語り、自分の意思で面会交流を拒否して間接的なものにとどまることも多いと思います(間接交流も行わないということは性虐待でもないとありえないのが、この国の家裁の実務です・・・)。
この類型の加害者像として、すぐにカッとして感情をコントロールできないタイプである場合も多く、逃げた妻子には面会もしないし養育費も払わないという解決も多いと思います。私は、それで良いと思っています。こういうタイプに、養育費を払わせようとして執着心を呼び起こすようなことを国が要求することは危険です。養育費なんていらないから、関係を断ちたいという被害者の意思を尊重して欲しいと思います。
問題なのは、こうなることが目に見えて明らかだから、子どもが赤ちゃんのうちに家を出るという事案です。子どもに対する虐待が顕在化していないので、加害者は、「私は子どもには暴力をふるっていない。夫婦と親子は別だ。私は安全な父親だ。」と言って正当化します。この類型が、DV家庭のステレオタイプでありながら、実際に生じていない段階で逃げると正当化されてしまう。この国の意識が遅れていて、子どもの安全のことなんて何にも考えていないんだなと思うところです。
この事例は、前回の【第4講】で触れた、面前DVの事案です。この構図だと、一見すると、子どもへの虐待はないように見えます。でも、DVを目撃することは、子どもの心を壊します。面前DVは、子どもに対する直接の虐待です。そして、そこで目撃されるDVが身体的暴力であるときより、精神的暴力であるときの方が深刻だという話を前回にしました。子どもが暴力を止められない無力感を感じる場合もありますし、怒られる母親が悪いと思って軽蔑する場合もあります。私の経験では、この類型の方が、子どもがDV加害者から直接虐待を受ける場合と比べて、精神的な回復が遅い場合が多いと感じます。
夜中、喧噪から耳を塞いで子ども部屋で震えていたという子どもの話を何度も経験してきました。翌朝、なにごともなかったかのように、加害者が優しい笑顔で「おはよう」といい、被害者は泣きはらした顔をしている。子どもは何事もなかったかのように振る舞います。気付いているけれど知らないふり。でもそれでは、罪悪感が生じてしまうから、子どもは、防衛的に何も感じなくなっていくことがあります。DVの加害者が、大声で怒鳴っている様子が録画されている画面に、無邪気にピースサインをした笑顔の子どもがうつりこんでいることがあります。これは、現在の家裁の実務では虐待とは扱われず、面会交流が禁止制限されることはありませんが、私は虐待だと思います。
この類型の特徴は、親が他方の親に対して、否定的な価値観や感情をもち、それに基づく上下関係を子どもに見せつけるという構造です。これは、「差別」の構造ではないかと思っています。私の私見ですが、「差別」を見せつけることは、子どもの心を壊します。なぜ、これが、虐待の類型に入っていないのかと思うほどです。誰かに対する差別を子どもの見せつけることは、子どもに対して直接の暴力が向かう場合よりも、虐待としての威力が大きいように思います。その最たるものが、「教育虐待」ですが、それは次回、取り上げます。
これは、DV被害者からの児童虐待の構図です。男性が家事や育児を積極的に担うケースが増えて、共同親権を求める人が増えてきたと言われることがありますが、私は、全然そう思いません。個人的には、家事や育児をやろうという男性の意欲をつぶしたいとは思いませんので、なるべく親切に接したいと思っていますが、性別役割分業は日本の家庭に根強く残っていることを重く受け止める必要があります。野々村友紀子さん、二丁拳銃の川谷修士夫妻夫妻が出演したしくじり先生でも、家事や育児の認識のずれは大きく、「ゴミ捨て」という家事ひとつとっても、「ごみの移動」「ごみの散歩」にとどまっているのではないかと指摘されているところです。
令和2年版男女共同参画白書でも、6才未満の子どもを持つ夫婦の場合、妻が無業の世帯で約9割、夫妻ともに有業の世帯でも約8割の夫が家事をしておらず、妻の就業形態にかかわらず、約7割の夫が育児をしていません。そして、これは、2011年、2016年との比較でもほとんど横ばいです。男性が家事や育児に参加して、女性が社会で活躍できるような実態は存在していません。家事も育児も女性が担って当然視する社会で、男性はそもそも育児にほとんど関わっていないという場合も多く、「弱い者たちが夕暮れさらに弱い者をたたく」ということが生じているのです。女性からの虐待が多いという背景には、男性が、婚姻時において、そもそも家事・育児を担ってこなかったということに目を向ける必要があります。
この場合の離婚後の親権者は誰にすべきでしょう。
共同親権?
良い訳がありません。婚姻時共同親権だったから虐待になっているのです。
子どもがトラウマになるほどの虐待がある場合には、いくらそれがDV被害者だからといって、親権者としては相応しくないということになるでしょうし、DV被害者が重篤な精神障害があり、子育てができるような状態でない場合もあります。DV被害者だからといって、親権者になれるわけではないというのがこの事案です。
DVもあって、両親からの虐待を受けるケース。DV加害者による子どもへの虐待を知っていて放置するようなこともこれに当たります。前回、ご紹介した、2018年3月の東京都目黒区の船戸結愛ちゃんの虐待死事件や、2019年1月の千葉県野田市の栗原心愛さんの虐待死事件でも、父親から母親へのDVが確認されていますが、母親は加害者として刑事罰に処せられました。
この類型は、まず逃げ遅れます。
逃げ遅れているから、こうなったとも言えます。
1個目に紹介した類型が熟成して、こういう状況になるのです。
悲しいことですが、こういうことを言われたことがあります。
「私に対する暴力が、子どもに向かうようになって、少しホッとしてしまったんです・・・。」
鬼母だと批判することは簡単でしょう。
でも、私は、そう思いません。
頑張ったんです。耐えて、耐えて。
もっと早く、誰かが、逃げていいよって言ってあげたらよかったのに。
この段階にいたると、DV被害者は、自分の意思や気力でこの歪んだ家族関係をなんとかしようとは思わなくなります。祖父母などがみかねて、ご相談にきて発覚する場合がありますがまれです。児童相談所が子どもを一時保護する流れが多いのだろうと思います。
そして、最後の類型がこれ。「面前DV」の類型のところでも触れましたが、DV加害者の矛先が配偶者のみに向かい、子どもには溺愛という形を取ることがあります。DVを見させられ続けた結果、子どもは母親を軽んじて、DV加害者と一体になって母親を無力な存在として扱います。
まだ、未就学の年齢の子どもが、法律相談についてきて、母親に向かって「まだ?いつ終わんの?いい加減にしろよ」と言って背中を蹴るようなシーンに出くわすことがあります。皆さんはどう感じるでしょうか?子どもは天使とは限らず、DV加害者予備軍でもあります。
事務所のスタッフにお願いして、子どもを別室に連れていってもらい、疲弊した母親に、「もうこれ以上頑張らなくていい。子どもを置いていくという選択肢もある」ということがありますが、私の発言に誰もがびっくりして、「先生、何を言ってるんですか?置いて行くことなんてできませんよ」と言います。
何故、この母親はそう言うのでしょう?自分勝手ですか?離婚を有利に進めるため?子どもはパパに懐いていて、舎弟のようです。この子のパパは良いパパですか?この子を連れて家を出るママは非難されますか?離婚後、共同親権だったらどうなりますか?
上記の例は、子どもが幼少な例を出しましたが、子どもが中学性以上に成長してくると、生命・身体に危険が生じる場合もあります。子どもをおいて、一人で逃げると、社会的には散々な評価を受けるけれど私はその母親を責める気持ちになりません。
本当に、よく頑張っているもの。
皆さん、分かりますか?
今日は、この連載を書きながら、過去の依頼者が何人も思い浮かんで、私は涙がとまりません。DVのある家庭で、子どもは心を壊しています。DVは家族の問題です。DVは夫婦の問題で親子とは関係がないなどということは、DV加害者への加担にほかなりません。
ということで今日は、これでおしまいです。
連載も残すところあと2回です。
お付き合いくださって、ありがとうございます!!