第2講のまとめ
身体的暴力、性的暴力、精神的暴力は、いずれも支配のための手段であり、非身体的暴力は軽い暴力ではない。
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【第3講】支配のためには様々な形態の暴力がふるわれる【後半】
DVの本質は、「権力によってパートナーを支配する構造そのもの」
昨日は、「1 身体的暴力」、「2 性的暴力」、「3 精神的暴力」について説明をしました。
今日も、「権力の支配の車輪」の図を参考に、DVの種類について、もう少し細かくみていきたいと思います。
4 経済的暴力
女性が仕事を持つことを妨害し、経時的に従属させること、生活費を渡さないこと、女性の金銭を取り上げること、こと細かなレシートチェック、家族の収入や財産について女性に何も知らせないことはいずれも経済的暴力にあたります。
令和2年版男女共同参画白書によると、6歳未満の子どもを持つ共稼ぎ夫婦の8割の夫が家事をしていません。また、妻の就業状態にかかわらず、約7割の夫が育児をしていません。ケア労働のほとんどを女性にうけおわせる社会構造のもと、結婚や出産で労働力率が下がる日本ならではの特徴は、M字型カーブと呼ばれています。職場でのセクハラやマタハラも横行しています。令和元年における男女間賃金格差は、男性=100とする女性女性は74.3%であり、先進諸外国の80~90%と比較すると依然として大きく、育児休業取得者の割合は女が 83.0% なのに対して、 男性 は7.48%に止まっています。国ぐるみで、経済的暴力を後押ししているように思います。
女性が結婚し、出産するということは、仕事上のキャリアを積むことができないというリスクを生み、将来的な賃金にも大きな差を生じさせることになりますが、離婚時に精算されるのは、別居時までに形成した財産にとどまり、将来的な格差が公平の観点から精算されることはありません。DV家庭でよく聞かれる、「俺くらい稼いでから言え」という言葉は、男女不平等な社会背景を前提とすれば、正当化される余地がありません。
家庭内での賃金格差は、扶養者と被扶養者という意識を生み出し、上下関係に陥りやすくなります。経済的に優越的地位があるにもかかわらず、日本の男性の幸福度が低いことを、専業主婦による男性に対する搾取とする拗れた主張を目にすることがありますが、男性が働いて得た金銭を、「俺の金」と捉え、生活費を支払うことを被害的に考えることに問題があります。日本の男性の幸福度が低いのは、支配的であることを強くて良いことだという価値観に縛られて、不必要な劣等感にさいなまれているからであって、その勝ち負けの物差しから脱却する必要があります。
話が脱線しているように感じるかもしれませんが、経済的暴力を本質的に理解するためには、経済分野による男女の非対称性を正しく認識は不可欠です。家族でありながら、生活費を懇願するということは、とてもみじめで、将来への不安から、屈服するしかなくなるのです。養育費を請求することに対して、「養育費乞食」と呼ぶ共同親権推進派がいたようですが、養育費を支払わないことが経済的暴力にあたり、そのような侮蔑を行うことが精神的暴力にあたります。しかし、現在の家庭裁判所の実務では、別離後DVという概念はまだ一般的ではありません。
5 暴力を正当化する
上記の「権力と支配の車輪」の右下には、暴力の分類の一つとして、「否認、矮小化、責任転嫁 」が挙げられています。DV被害者が大けがをしていても、「俺は知らない。やってない。証拠があるのか。」と否認する。「少し押したら勝手に転んだんだ。」と矮小化する。「俺だって怒りたくて怒ってるんじゃない。お前が怒らせたんだ。」と責任転嫁する。これらは、DV加害者の特徴として説明されることが多く、経験が浅いうちは、これが「暴力」だということが良くわかりませんでした。しかし、経験を積むうちにはっきりと、これこそが支配を強力にする「暴力」そのものであるということが身にしみてわかるようになりました。
DVとは、「俺は悪くない」という自己保身の病なので、否認、矮小化、責任転嫁は、DV加害者の性質そのものです。
DVの加害者も過去を遡ればDVや虐待の被害者という場合が多いと思います。DVの連鎖と呼ばれる現象です。そのメカニズムは専門家から色々な知見が出ているところですので詳しく述べることはしませんが、DVや虐待がある家庭でサバイブするためには、自己保身のために都合の良い嘘をつかないといけない場合が多く生じます。良心の呵責から嘘を正当化する事が日常化し、自分は絶対に正しいという鎧でがんじがらめとなり、意見を言われただけでも自分が否定されたのではないかと怯えるという人格形成の結果であるという説明が、私にはしっくりきています。
もう一つの類型として、溺愛による万能感を植え付ける子育て、具体的には家父長制の考え方のもとで長男を溺愛する家庭でもDV加害者をうむリスクが生じます。一定の世代の方にしか分からないと思いますが、ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の冬彦さんのような親子関係です。マザコン息子がDVをふるうという事案を経験して思うのは、あのドラマを視聴していた当時は、狂気だと思って観ていましたが、実はリアルで、脚本家の方は丁寧な取材に基づいて書かれたのだろうと思います。そして、溺愛という愛情は、他者への差別意識の裏返しであることが多く、親からの賞賛を得続けるためには、◯◯家の長男に相応しい自分でなければならず、自己保身のために嘘をつくことが平気になっていきます。親も、「そうだね、お前は悪くない」などと言ってしまうため、親子揃って嘘を正当化していくことになります。
そして、被害者にとって、暴力をなかったことにされることほど屈辱的で、無力化されることはありません。暴力の正当化は、DV加害者の特質であるとともに、被害者を無力化する強力な手段となります。そして、被害者を無力化する目的で発した、「俺は知らない。やってない。証拠があるのか。」「少し押したら勝手に転んだんだ。」「俺だって怒りたくて怒ってるんじゃない。お前が怒らせたんだ。」という言葉は、DV加害者自身にも向かっており、自己保身で始まったはずの言葉だったのに、言っているうちに確信にかわり、その自信満々な様子に、、無力化された被害者はさらに打ちのめされていきます。
そして、「でっち上げDV」「虚偽DV」「DVは気のせい」「思い込みDV」という暴力の否認。「DVと親子の問題は別」という矮小化。「実子誘拐」「連れ去り」「離婚ビジネス弁護士」「片親疎外症候群」という責任転嫁。共同親権推進派が口にする言葉は、いずれもDV加害者に親和的です。語れば語るほど、妄想スイッチがオンになって、脳内で暴走していく、それをたきつける人がいる。
6 まとめ
以上みてきた「暴力」が、複合的におこるのがDVです。それは、日常的に、どこにでも存在しています。DVは人間関係ですから。パートナーを支配するために様々な形態の暴力がふるわれます。爆発期とハネムーン期を繰り返すうちに、被害者の方でも、今度こそ治るのではないかと期待してしまったり、むしろ怒らせる自分が悪いのではないかと自分を責めてしまい、加害者と離れることができません。そして、暴力は、エスカレートしていきます。それはゆっくりと進行していくので、渦中にある当事者が気付くことが遅れます。
今日はここまで。
次回は、DVが子どもに与える影響について、お話しします。
お読み下さってありがとうございました。