【史記】良賈深蔵若虚




老子者、楚苦県厲郷曲仁里人也。
[書き下し]老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。
[口語訳]老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人である。
  • 老子(生没年不詳、紀元前6世紀か): 春秋時代の思想家。道家の祖。『老子』の著者とされる。色々と謎な人物。三人いたという説や、世を捨てた後ローマに向かったとか、本姓「李」なのに何で「老」子なのか(他の「~子」は基本的に姓+子)といった感じであり、後世の研究者はもとより『史記』の著者である司馬遷ですら、この記録を残しながらも、老子についての記述には懐疑的だといいます。





名耳、字耼、姓李氏。
[書き下し]名は耳、字は耼、姓は李氏。
[口語訳]名は耳、字は耼、姓は李氏であった。

周守蔵室之史也。
[書き下し]周の蔵室を守るの史なり。
[口語訳]周の蔵書室を管理する記録官であった。
  • 「周」: 中国の古代統一王朝。この時代には、尊重されているとはいえ、かなり衰えていた。
  • 「守」「蔵室」「史」などの意味は口語訳の通り。老子は周王室の図書室の管理者をしていたということ。

孔子適周、将問礼於老子。
[書き下し]孔子周に適き、将に礼を老子に問はんとす。
[口語訳]孔子は周に行き、礼について老子に尋ねようとした。
  • [句法]~」将に~んとす: 「(今にも)~しようとする」。再読文字。置き字「於」も含む文だから、書き下し文などの問題にしやすいです。
  • 「適」の読みは覚えておきたいところ。

老子曰、「子所言者、其人与骨皆已朽矣。
[書き下し]老子曰はく、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽ちたり。
[口語訳]老子が言うことには、「あなたが言うことは、その人と骨と全部すでに朽ち果ててしまっている。
  • 「已」の読みは要チェック。

独其言在耳。
[書き下し]独り其の言在るのみ。
[口語訳]ただその言葉だけがあるのだ。
  • [句法]独~耳」独り~のみ: 「ただ~だけだ」。限定の句法。この文丸ごと書き下し・口語訳を問われることがあります。
  • 「其言」がどのようなことかを問われることがあります。孔子が老子に何を尋ねにいったのかを踏まえておきたいところです。

且君子得其時則駕、不得其時則蓬累而行。
[書き下し]且つ君子は其の時を得れば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行る。
[口語訳]かつ君子は機会を得れば馬車に乗り、機会を得なければ風に吹かれて飛ぶヨモギのように彷徨ってどこかへ行く。
  • 「且」「則」の読みを問われることがあります。
  • 「駕」の意味は「馬車に乗る」ですが、そこから転じて、そういうことができるくらい高い身分・官職を得ることを指します。そこから「其時」とはどういうことかを類推することができます。
  • この文も、つまりどのようなことを言いたいのかが分かりづらいとされる個所ですので、初見で考えるなら「駕」などを糸口にして想像していくほかありません。

吾聞之、『良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚。』
[書き下し]吾之を聞く、『良賈は深く蔵して虚しきがごとく、君子は盛徳あるも容貌愚かなるがごとし。』と。
[口語訳]私はこう聞いている、『良い商人は深く収蔵して商品はないかのように見せ、君子は高い徳があってもその容貌は愚か者のように見えるものだ。』と。
  • タイトル回収の文。このエピソードの真偽はともかく、老子はこの一言で孔子を諫めようとします。今の感覚だと違和感を覚えるかもしれませんが、この後に続く文で老子は孔子の行く末を案じてのアドバイスだということが見て取れます。実際、孔子の晩年は諸国に自分の政治思想が受け入れてもらえず、弟子二人に悲劇的な先立たれ方をするというものでした。
  • 「賈」の意味は覚えておきたいところ。「若」はこの文では「ごとし」という助動詞ですので書き下しの際はひらがなとなります。

去子之驕気与多欲、態色与淫志。
[書き下し]子の驕気と多欲と、態色と淫志とを去れ。
[口語訳]あなたの驕りたかぶった気持ちとたくさんの欲、それにもっともらしく振る舞う態度と顔つきに限度を考えず行おうとする志を捨て去りなさい。
  • 」の使い方に注意。訓点付けの問題には特に注意が必要です。
  • 当時の孔子が相当ギラギラしていたことがうかがえる叙述。『史記』において孔子の事績は「孔子世家」に収められている、つまり「王侯」扱いされているのです(老子は「老子韓非列伝」)。思想家ですが、現実世界とも相当リンクした剛腕の政治家だったという評価です。孔子はまた身長2メートル越えの巨漢として伝わっており、外見からして目立たないわけがない、相当な存在感だったものと思われます。

是皆無益於子之身。
[書き下し]是れ皆子の身に益無し。
[口語訳]このことはすべて、あなた自身にとっては利益がない。
  • 「是」は前の文に示されている「子之驕気与多欲、態色与淫志」。

吾所以告子、若是而已。」
[書き下し]吾の子に告ぐる所以は、是くのごときのみ。」と。
[口語訳]私があなたに告げられることは、これくらいのものだけである。」と。
  • 「若是而已」は書き下し(全文ひらがなで問われることもあり)を問われます。「若是」「而已」の読みをそれぞれ問われることもあります。書き下す際は「若」がこの文でも助動詞「ごとし」ですので、ひらがなで書き下す必要があります。

孔子去、謂弟子曰、「鳥吾知其能飛。魚吾知其能游。獣吾知其能走。
[書き下し]孔子去り、弟子に謂ひて曰はく、「鳥は吾其の能く飛ぶを知る。魚は吾其の能く游ぐを知る。獣は吾其の能く走るを知る。
[口語訳]孔子は(その場を)去って、弟子に言ったことには、「鳥については、私はそれが飛べることを知っている。魚は、私はそれが泳ぐことができるのを知っている。獣は、私はそれが走ることができるのを知っている。
  • ~」能く~(す): 「~できる」は重要。

走者可以為罔、游者可以為綸、飛者可以為矰。
[書き下し]走る者は以つて罔を為すべく、游ぐ者は以つて綸を為すべく、飛ぶ者は以つて矰を為すべし。
[口語訳]走るものは網で捕えることができ、泳ぐものは釣り糸で捕えることができ、飛ぶものは糸のついた矢で捕えることができる。
  • 「可」(べし)は、ここでは可能の意味。
  • 「矰」(いぐるみ)は、矢に糸をつけた狩猟道具で、鳥を射る際に糸を絡ませるものです。Gogle画像検索でだいたいのことは分かります。

至於竜、吾不能知其乗風雲而上天。
[書き下し]竜に至りては、吾其の風雲に乗じて天に上るを知る能はず。
[口語訳]竜に至っては、私はそれが風雲に乗って天に昇るのを知ることができない。
  • [句法]不能~」~(する[こと])能はず: 「~することができない」。不可能を表す否定の句法。少し前に「~」能く~(す) が出てきていますので、書き下しなどを問われることがあります。

吾今日見老子、其猶竜邪。」
[書き下し]吾今日老子を見るに、其れ猶ほ竜のごときか。」と。
[口語訳]私は今日老子に会ったが、まるで竜のようであろうか。」と。
  • [句法]~」猶ほ~のごとし: 「まるで~のようだ」。この文ではこれに疑問の「邪」が絡んでいますので注意が必要。






[テキスト]
老子者、楚苦県厲郷曲仁里人也。名耳、字耼、姓李氏。周守蔵室之史也。孔子適周、将問礼於老子。老子曰、「子所言者、其人与骨皆已朽矣。独其言在耳。且君子得其時則駕、不得其時則蓬累而行。吾聞之、『良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚。』去子之驕気与多欲、態色与淫志。是皆無益於子之身。吾所以告子、若是而已。」孔子去、謂弟子曰、「鳥吾知其能飛。魚吾知其能游。獣吾知其能走。走者可以為罔、游者可以為綸、飛者可以為矰。至於龍、吾不能知其乗風雲而上天。吾今日見老子、其猶龍邪。」