12世紀のセブンリベラルアーツ
七つのリベラルアーツ。
アリスマティック(Arithmetic)━━計算。
ジオメトリー(Geometry)━━幾何。
ミュージック(Music)━━音楽。
アストロノミー(Astronomy)━━天文。
ロジック(Logic)━━論理。
レトリック(Rhetoric)━━修辞。
グラマー(Grammar)━━文法。
12世紀の日本に七つのリベラルアーツはなかった。今の日本人も、リベラルアーツと聞いてパッと計算、幾何、音楽、天文、論理、修辞、文法を連想しない。なぜなら「自由」「芸術」「科学」「進化」を含めて、標準語は19世紀からの誤字と誤用だらけだから。本来のアートは【人の手(による大きな分類)】。薄っぺらな日本は「美術」に狭め、「芸術」の勘違いで崇拝している。現代のアーツはヒューマニティズと同じで━━本来は《学》がつかないが━━文学、言語学、歴史学、音楽、哲学、宗教学、法学、政治学などを含む。が、芸術や人間性に「政治と法と宗教と哲学と歴史と英語」を含める日本人はいない。日本人はアーツ&ヒューマニティズを嫌い、集団でこれらの話を潰す傾向がある。この時点で、日本人は西洋人と競う前に負けている。自ら人間性そのものを否定する民族。それは太平洋戦争より惨めな負けだ。敗戦日の9月2日さえ、天皇と政府とメディアがグルで「終戦の日は8月15日」と洗脳する。
BABEL
日本が蓄積していないもの、天皇、貴族、武士、僧侶、尼僧、神官、巫女が知らないもの、リベラルやアーツやサイエンスは、才能や努力で身につけられない。日本人は知る努力をせず、「芸術」「科学」「進化」「文系理系」などのバベルの塔に引きこもり、外に出ていない。日本人が建てた現代日本は勘違いでできたバベルの塔かつパノプティコンだ。塔の住人は現代から隔離され、歪んだ感情と奇妙な理屈に支配され、【世間】という世界にない監視員に見られている。日本はバベルの塔を破壊され、無知無法な【世間】の監視員は言葉を奪われなければならない。フーコーのそれと違い、日本的な監視は「知/権力」でなく、「無知/無権力」の【世間の塔】による。【世間の塔】は、外にない囚人用の価値観━━恥、努力、頑張る、仲間、仲良し、甘え、悔しい、六道、転生など━━で洗脳する。
比叡山延暦寺のサタン
どんな哲学者も、近世になっては大低世界を相待に見て、絶待の存在しないことを認めてはいるが、それでも絶待があるかのように考えている。
━━『かのように』森鴎外
ソーシャルやコミュニティは、インディヴジュアラティのリバティ🗽を敬うシティが条件だ。しかし、京都や鎌倉や江戸や村町にこれら全てがなかった。伊勢や高野山や比叡山にリバティ🗽とコミュニティとコミュニケーションの元がなかった。社会、共同体、個人、自由、市民という悪質な誤訳は現代性が欠落している。むしろ空海は十三仏で十三番目なる明星天子で悟り、最澄も明星尾(明星天子の木)から比叡山の薬師如来像を掘った。十三なる明星天子(虚( 空蔵( )とは十三なる明星( 天( 使( だったサタンのこと。最澄はインドや中華にない「絶待( 止( 観( 」を振りかざした。最澄は心の瞑想たる「止( 観( 」を物質をも支配する絶待( 的呪術と主張したのだ。これは明星( 天( 子( が絶待仏( もとい、絶待神( たらんとする悪魔だから。そして聖書に「絶対神」「絶対的正義」の語はない。天台宗の比叡山延暦寺の旧名「一乗( 止( 観院( 」、その薬師如来の正体はサタンの化身。織田信長━━(天照に神璽を与えた)第六天魔王(大己貴( )とされた者━━が天台宗を絶滅させれば良かったのに。天皇や皇族や貴族の好む密教がどちらも悪魔崇拝なことで、その後の伝統宗門も帝釈天( や四天王のような提婆( 、悪魔( となった。逆に、後の天使となった阿修羅( は、人間以下の修羅道の生き物と貶められた。十三なるサタンの智慧は「悪魔( が上、天使( が下の六道」「神々に生まれ変われる」という嘘。嘘つきは絶対を振りかざしたのは仏教でなくキリスト教だと嘘を重ねる。「絶対的な」の原語「absolute( 」は、たとえば主権と誤訳される語、【朝鮮国は自主の邦にして日本国と平等の権を保有せり】という「帝超( (sovereignty( )」につける。これはネーションの最低条件だ。