第1講のまとめ
DVは行為ではなく、人間関係。権力によってパートナーを支配する構造そのもの
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【第2講】支配のためには様々な形態の暴力がふるわれる【前半】
(STOP共同親権・STOP面会交流強制さんから引用)
本日は、DVの種類について、もう少し細かくみていきたいと思います。
こうやって、分類すると、行為がどれに分類されるのかが気になると思いますが、DVの本質は、「権力によってパートナーを支配する構造そのもの」なので、分類分けをしたいというよりは、「暴力」とは、こういう様々な手段があるのだということを理解するための概念だと捉えていただければと思います。上記の「権力の支配の車輪」の図を参考に考えてみましょう。
1 身体的暴力
殴る、蹴る、首を絞める、物を投げつけるなどの身体的暴力が、DVにあたることは、誰でもわかると思いますが、それは、支配のための一つの手段にすぎません。身体的暴力は、社会的には、問答無用にダメなことと決まっているので、身体的暴力を手段として支配するという方法は、支配のスキルが低いように思います。むしろ、身体的暴力の場合、感情をコントロールできなくて、暴力をふるってしまうような場合が多いと思います。そうであっても、暴力を受けた方からすれば、キレると何をするか分からない人であるという恐怖感を生じることになるので、支配ー従属関係に陥っていきます。
若手の弁護士さんがお読みになるかもしれないので、少し脱線しますが、身体的暴力の聞き取りのときに、「身体的暴力を受けましたか?」と聞いて、「はい、ありません。」という答えがあっても、実は身体的暴力を受けていることがあります。若手の頃に、そうやって聞いていて、申立書にも身体的暴力の有無に〇を打たなかったのに、調停で、「殴られたことは?」「はい、あります」、「蹴られたことは?」「はい、あります」と言うので、「あれ?身体的暴力はないって言ってませんでしたか?」と尋ねると、「あぁ、それはないです。リンチみたいなことはないです。」と言われたことがあります。暴力は、エスカレートし、その感覚が麻痺してしまう。気をつけましょう。
そして、問題なのは、非身体的暴力です。以下は、いずれも「暴力」です。
「暴力」は手段。その手段は様々ある。
このことを、共同親権推進派は理解していません。
2 性的暴力
夫婦間レイプ、避妊しない、意に反した性行為を求めるなどは、性的暴力にあたります。証拠もなく、法的手続きにおいてほとんど認定されません。しかし、これは、DVを理解する上で非常に重要な暴力です。#MeTooやフラワーデモなどを通して、家族間における性暴力が可視化されてきました。性暴力被害は「魂の殺人」と言いますが、その表現は正しく、意に反した性行為は人間の尊厳を大きく傷つけます。その被害の大きさは、現行刑法の犯罪として有罪となるような強制性交にあたるかどうかという手段の態様とは関係ありません。繰り返しになりますが、意に反した性行為が人間の尊厳を大きく傷つけるのです。具体的な話をします。性的な話になるので、心当たりのある方は、ここから先はは読まずにお休みください。
(ケース1)
深夜に及ぶ長時間の説教。「言いたいことがあれば言えよ」と言われ、でも言い返したら倍返し、黙っていても、「何だその顔は」と責められる。外が少し明るくなってきて、「おい。もう4時だぞ。どうしてくれるんだ。」「ごめんなさい。ごめんなさい。全面的に私が悪かった。本当にごめんなさい・・・」優しい声で、「わかればいいんだよ。」頭をよしよしされて、ベッドにつれられてするSEX。
(ケース2)
風俗店で働いて、深夜2時に帰宅。その日の日当を夫に渡して、SEXをする。前に拒んだら、3歳の子どもが寝ている部屋で電気をつけられて、暴力をふるわれてレイプされそうになった。だから拒むことはやめた。疲れているし、早く終わりたい。だから、自分でスカートを脱いで下着を脱いで、頭に布団を被ってSEXが終わるのをまつ。これが毎日のルーティン。
(ケース3)
手術を必要とする入院から帰宅して、自宅での安静が必要だというのに、夫から、口淫を頼まれる。驚いて断ると、「病気になんかなりやがって。仕事もできない、金にもならない、家事もできない。よく断れるよね?SEXできないだろうと思って、口でいいって言ってんのが優しさだってわかんない?何の役にもたたないな。」「・・・そうだね。わかった。」と言って口淫に応じた。
これらのケースは、その行為だけ切り取ってみれば、合意で行われているように見えます。しかし、これらはすべて意に反する性行為であり、受けた人の心を壊します。その被害は甚大で、眠れない、食欲がない、吐き気がする、不安や恐怖で落ち着かない、フラッシュバックする、外出できないなどの症状が生じることがあります。
例えば、裁判で、婚姻関係の破綻が争われるときに、「妻は突然家を出て行きましたが、前日まで、性行為をしていました」などと、夫婦仲が良かったことを示すために主張されることがありますが、翌日には家を出て行くほど嫌いだったのに、求められれば性行為に応じざるを得なかったというべきであり、むしろ、支配-被支配の強さを表す事実だというべきでしょう。
そして、この被害は、被害者本人も自覚できていないこともあります。屈辱的すぎて脳が被害であることを受け付けず、被害であると自覚することを拒んでしまうのです。被害申告するまでに10年かかるという場合もあります。また、自覚していても、依頼したばかりの弁護士に話すことを躊躇してしまうこともあります。身体的暴力や暴言、不貞などの証拠があるような場合には、離婚のためにわざわざ性的暴力の話を繰り出す必要もありません。離婚が成立し、依頼者が挨拶にきて、「先生、実はね、一番つらかったのは、夜の営みだったんですよ」と打ち明けてくれることもありました。
ここからは、特に、弁護士の方に言いたいことですが、DVを受けたという申告を受けて、何があったのかを聞いても、なにかしら決め手に欠くようなもやもやとした話しかしないときに、上記のような意に反した性的暴力を受けていた可能性は少なからずあります。いじめでも、戦争でも、人を屈服させるときに、性的な辱めをするのは、それが強い支配の最終形態だからです。
だから、絶対に言ってはいけない。
暴力を聞き取った後に、「その程度のことで」と・・・。
人は、一番しんどいことを話すときには、内容と感情を一致させないことがあります。
小さいことを深刻な口調で話す人は、重篤な被害が言い出すことができないでいる場合もあるし、苛酷なことを笑って話す人は平気なわけでなく、屈辱的すぎて心が被害であると受け付けることができなくなっていることがあります。
そして、性的DVのケースでは、子どもへの説明がとても難しい。性的DVをする人の中には、娘に対して過度な愛情を注ぐケースがあります。そして、こういうケースでは、子どもも父親になついていることが多いのです。幼少の子どもに性的暴力の話をするわけにもいかない。そもそも性的暴力の証拠もない。PTSDを発症していて、自分が面会交流にたちあうことなどできないけれど、性虐待は支配欲が引き起こすと言われていて、娘と二人で会わせるのも怖い。こういう場合にの面会交流は、まず拒めません。「神経質な母親」と切って捨てられてきたと思います。
3 精神的暴力
女性をおとしめる、罵る、「私はダメな人間だ」と思わせる、「私は頭が変だ」と思わせる、心理的な駆け引きをする、罪悪感を抱かせる。これは精神的暴力です。「女は社会で役にたたない」、「高卒でえらそうにするな」、「親のすねをかじって大学にいった苦労知らず」など属性をバカにするということもよくみられます。
私は、モラルハラスメントという言葉もほぼ同じ意味で使っています。「モラルハラスメント」は、マリー=フランス・イルゴイエンヌ著『モラルハラスメント-人を傷つけずにはいられない」』が翻訳されたことで広まった概念で、「同一集団内おいて、二重性を持たせた身振りや第度、ほのめかしの言葉などを通して、ある人の人格を否定し、尊厳を傷つけていくことであり、自分と相手との差を濫用し、自らの優位性を作り、保持しながら行う人権侵害行為」と定義されています。
精神的暴力の具体例を挙げます。
(ケース4)
引越後、本棚に夫の本を並べたところ、「こんな並べ方ある?統一感ってもの考えない?」とダメ出し。何度もやり直すが、気に入ってもらえないので、「どうしたらいいの?」と聞くと、「そんなことくらい自分で考えてよ。俺は仕事で疲れてる」と言い、教えてくれない。
要するに、自分で考えて並べてもバカにされるし、並べ方を聞いてもバカにされる。どうしたってバカにされるのです。こういうことが何度かあると、何事にも、「これは聞いた方がいいのか?それとも聞かない方がいいのか?」と逡巡するようになります。正解はなんだろう。配偶者の機嫌が良いときですら顔色をうかがってしまい、常に脳がフル回転していて、生きているだけで疲弊してゆきます。
これが、「暴力」である、ということを理解する必要があります。
そして、DVが、「親密な関係」を濫用し、「第三者の目」が届かないことを利用しながら、「支配的関係」を継続させることで成立させることを可能にしていることを考えれば、その目的を達成するためのもっとも功利的な方法は精神的暴力ということになります。この点が突発的な暴力とDVを区別しなければならない理由です。実は、この点が理解できているかを区別する簡単な方法は、暴力の程度を主たる基準にしているかしていないかということです。DVという言葉が取り扱おうとする問題群を考えるのであれば、その本質のひとつが精神的暴力にあるのは当然で、暴力の程度を云々することにプライオリティがおかれるのであれば、わざわざDVというアイデアを用いる必要がありません。DVを軽視している人たちがよく「ビンタ一発でもDVなんておかしい」と言い出すのは、暴力の程度にプライオリティを置いている証拠です。
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本日は、以上になります。明日は、「支配のためには様々な形態の暴力がふるわれる【後半】」です。お読み下さり、ありがとうございました。
非常にわかりやすいサイトです。合わせてご覧ください。
(いつもサポートありがとうございます)
今回の論考は、アヒル王子@確認の呼吸さんからの助言を参考にいたしました。
(参考というか転記ですね・・・)