この件ですね。まぁ、分析が杜撰なので細かくツッコミを入れておこうと思います。1000円払ってローデータを買おうかとも一瞬思いましたが、ミソジニストに収益を与えることは避けるべきでしょうし、そもそも本当にデータをとっていると信用する義理もありませんでしたので止めておきます。

 ただ、購入した誰かがデータをメールで送ってくれるなら「本物の分析」をお見せしますよ(©美味しんぼ)。いうてさほど高度なことをするわけじゃないんですけど。

 ちなみに、クロス・マーケティングで約1000人集めて3万円で済むのか少し疑問があります。個人な感覚ではもう少し高くてもおかしくない気がするので。ただ、たった3問で募集したことはさすがにないので、どういう計算になったのかはよくわかりません。

 なお、以下の引用は全て『VTuber「戸定梨香」に関するインターネット調査(全文無料・ローデータ有料)』からです。

好感度

 まずVTuberの好感度から。この点に関してはさほど言うべきことはありません。見た通り、男性や若者で好まれる傾向があるというだけですから。

 ただ、この後全ての分析に言えることですが、年齢を階級で分けてグラフを書くような分析は妥当ではありません。この階級の区切り方でいくらでも恣意的に分析できるからです。年齢のような連続変数は連続変数のまま分析すべきです。

 あと、グラフでは全体の平均から点線を延長させて比較しやすいようにしていますが、これにあまり意味があるとも思えません。重要なのは全体の平均との差というよりは、むしろ同じ年代での男女の差とかでしょうから。

 そもそも、このようないわば「素の好感度」が本件にどれほど関係あるかも疑問です。キャラは好きだけどこのキャンペーンには向いてないだろうという判断は普通にあり得ることなので。

採用の問題性

 分析の中で最も恣意的だったのが、2つ目の項目である採用の是非を問うものです。ここでは以下のように分析されています。
 「問題があると思う」が28.9%。それ以外の71.1%(「問題がないと思う」28.8%、「どちらともいえない」42.3%)は問題があるとまでは思っていない(注)。「問題があると思う」の比率は、「40代以上の女性」で高い。交通安全啓発活動のターゲットではない中高年女性が過敏に問題視している。
 もちろん、「どちらでもない」を「問題がないと思う」と混ぜてしまうのは誤りです。ここでは、問題があると思う人とないと思う人が同程度いると考えるべきでしょう。「どちらでもない」を「問題があるとまでは思っていない」と解釈できるなら、同じように「問題がないとまでは思っていない」と解釈することも可能なはずだからです。

 この点に関して、彼は以下のように言い訳をしていますが……。
 一部、私の結果の見方が以下の点で恣意的だという指摘がありました。
(中略)
 そもそも本調査の問題意識は、議員団体の抗議が世の中の一般的な感覚なのかどうかを検証することです。そのため「問題があると思う」人が一部なのか、多数なのかを確認することが重要になります。ですので検証の手段としては「問題があると思う人たち」と「それ以外(「問題がないと思う」+「どちらともいえない」)の人たち」に分ける必要があります。
 言い訳になっていません。もし、「問題がないと思う」+「どちらともいえない」を「わざわざ抗議しない人」であるとみなし、この割合をもって「抗議は一般の感覚から外れている」と主張するならば、「問題があると思う」+「どちらともいえない」を「積極的に賛成しない人」であるとみなし、この割合をもって「おかしいと思わないのは一般の感覚から外れている」と主張することも可能だからです。要するに、彼は自らの理屈に食われることになるわけです。

 ついでにいうと、議連の抗議が「一般の感覚」から外れては駄目だという前提自体が偽物です。抗議はジェンダーバイアスを否定するものであり、バイアスは一般的に広まっているからこそ問題になるのだと考えれば、この手の抗議はむしろ、常に一般の感覚から外れていることになってしまいます。しかし、当然ながら、そのことは抗議の正当性とは無関係です。

 もし「一般の感覚から外れているからだめだ」という主張するのであれば、統一教会と関係してまで議連に抗議の署名を送った自分たちもまた「一般の感覚から外れているからだめだ」と言われることになるでしょう。

 さらにこの分析にはもう1つの問題があります。それは、『交通安全啓発活動のターゲットではない中高年女性が過敏に問題視している』と言いつつ、何をもって過敏だと言えるのか全く議論していないことです。おそらくは、中高年女性の否定的な反応が平均より多いことをもって過敏だと言っているのですが、本当にそれでいいのでしょうか。

 最も「問題がある」と思っているのは40代女性であり、割合にして42.5%です。これは28.9%と約10ポイントの差があります。では、10ポイント差があれば過敏だと言っていいのでしょうか。「問題がある」と思う10代女性の割合は10代男性に比べて約10ポイント多いわけですが、では10代女性は過敏に反応しているのでしょうか。

 逆のこともいえます。20代男性が「問題ないと思う」割合は全体より10ポイント以上高いわけですが、これを「鈍感である」とどうして表現しないのでしょうか。一方の逸脱は過敏というのに、もう一方の逸脱にはなぜネガティブな形容をしないのでしょうか。

 この問題は、次にも指摘する、データからわかる事実と価値判断の混同という初歩的な誤りによるものです。

抗議は当然か

 3つ目の項目は、抗議が当然か行き過ぎかという問いです。この結果について彼はこのように表現しています。
 「当然だと思う」が25.2%、「どちらともいえない」が43.5%、「行き過ぎだと思う計」が31.3%。「行き過ぎだと思う」の比率は、10代~20代で非常に高く、フェミニズム的な理屈による抗議は、若者からはドン引きされている。
 しかし、ドン引きという表現の是非を置いておいても、この結論は極めて怪しいものです。というのも、10代女性が「行き過ぎだと思う」割合は、30代男性が同様に思う割合と大差ないからです。正確には、男性が抗議を否定的に見る傾向があると考えるべきでしょう。抗議の内容からしても当然の結果だと思われます。

 このような粗雑な分析と表現は、おそらく彼の脳内が結論ありきだからでしょう。「抗議は中年ババアのいちゃもん」というストーリーが脳内に組み込まれているため、それを否定する数字を見ることができなくなっています。

 数字を虚心坦懐に見る限り、年齢と性別には交互作用がありそうです。男性は年齢に限らず一定程度否定的な反応がある一方、女性は年齢による変化がかなり綺麗に出ています。

結論の大きな誤り

 さて、彼は最後に結論を書いていますが、実は、この結論はデータに関係なく否定できるものです。
 今回の調査結果では、VTuber「戸定梨香」は、交通安全啓発活動のターゲットである若者で比較的好まれており、また、約7割の人は問題があるとまでは思っていないことがわかった。一方、中高年女性が過敏に問題視しており、若者と中高年女性の世代ギャップが浮き彫りとなった。
 交通安全啓発活動のターゲットである若者を差し置いて、ターゲットではない中高年女性の意見(全国フェミニスト議員連盟の抗議)を尊重して、VTuber「戸定梨香」の交通安全啓発活動への起用が取り止めになったことは本末転倒な事態であろう。
 全国フェミニスト議員連盟に必要なのは、自分たちの世代の感覚で理解できないものを、"公開質問状"という形の実質的圧力で排除しようとすることではなく、異なった世代の感覚を理解しようという寛容な姿勢なのではないだろうか。
 というのも、差別問題に対し、みんなは差別だと思っていないから差別ではないという主張はなんら正当性を持たないからです。こんなことは本来、いちいち説明するまでもないと思います。もしこの理屈が通るなら、「日本人の8割が賛同するので、オタクはキモいから排除します」という主張も差別ではなくなってしまいます。彼らはそれでいいのでしょうか。

 なぜこのような稚拙な結論に至ってしまうのかは推測するほかありませんが、おそらく「データはすべてを語る」というドグマが、彼らのような「アナリストもどき」の中に存在するからではなかろうかと思います。VTuberの表象が差別的であると主張したときに、私に対し「そう言えるデータを出せ」と迫ってきた人すらいます。もちろん、その表象が差別的かどうかはデータで示すものではありませんから不可能です。

 このような稚拙なドグマは、彼らに対し、仮に学級新聞のアンケート並みの調査であっても「真理を掴んだ」という満足感をもたらします。同時に、データにならないあらゆるものを考えることなく全否定できるという利便性ももたらします。そしてこの利便性は、差別がおおむねデータで示しにくいものであるために、女性差別とも極めて相性がいいのです。そう考えれば、このようなドグマが彼のようなインセルの心をとらえるのも当然と言えるでしょう。

 しかし、調査とは本来、そこまで甘いものではありません。自分の仮説を立証するためにどのようなデータをとるべきか考え、予断なくデータをとるための質問文や項目の提示順序を考え、対立仮説を潰すための項目も考え、ようやくゴーサインが出るというものです。この程度のごっこ遊びでは、何万円払ってもデータと呼べるものは取れないでしょう。

 こんな分析見ちゃいられませんよ。明後日ここに来てください。本物のデータ分析をお見せしますよ。「データ」があればね。