渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

前輪沈めの意味

2021年09月06日 | open

フロントブレーキの使い方
(本間ライディングチャンネルから)


ビヨンチョさせない走り方。
旋回はとうに開始しているのに
前輪沈めのための操作を継続
させている。(ブレーキランプ
の点灯で現認できる)
私の場合、ロードではリアは

まず使わない。信号で止まった
時に手を離している時くらい。




本間氏は分かりやすく説明して
いるが、このフロントの沈め
曲がりは1980年代の乗り屋に
とってはごく常識的な事だった。
レーシングライダーはあたり前田

のクラッカーだが、街乗り人でも
峠屋でも乗り屋は全員やっていた。
箸の持ち方は誰でも知っている
ように。

二輪のカラクリの物理的認識の
常識が人々の中で消滅しかけて
いる今、本間氏の解説動画は、
もしかすると最近オートバイに
乗り始めた人たちには新鮮に
映るのかもしれない。

速度によりビヨンチョが出る
地点は異なる。
どうだからどこの場所でレバー
を放す
などというのは教えよう
がない。時にはクリップ付近ま
で引きずることもあれば、キャ
スターとキャンバーの関係から
別な場所でリリースする場合も

ある。状況によりすべて異なる。
また、それを画一的な回答として
訊こうとするのは
マニュアル脳
であり、感知力と想像力と「人が
言っている事」をきちんと聞く
力が無い事の証明だ
。本間氏は
動画の中で「どの状態の時」と
説明している。

その状態になるのは、実相は
走行条件
によって千差万別で
あるのに、
どの場所でブレーキ
を放すのか
というのを求めるの
は、予め自分
の中で「決められ
た地点でブレ
ーキレバーは放す
もの」という
決めつけを誰かが
肯定してくれる
ことを期待して
いる「最初から
決まった答えに
沿うかどうか」
しか判断基準が
ない精神の病の
症例を示している
事になる。危険な状態にある。


ビヨンチョにならない所といった
ら各人のバイクでビヨンチョに
ならない所だ。他人が知ることは
できない。教える事もできない。
自分自身で見つけろ、てやつ。
浅く引きずることもあれば、速度
とアングルによって長く引きずる
こともある。速度やRやカントや
路面のミュー等々ですべて変化する。

ただ、どの速度域でも完全に直線
のみで前輪沈めを終える事はほぼ
無い。次に車が道を回るのである
のなら。

そして、「回る」のと「曲がる」
のは似ているが、これまた両者は
別物であり、両者には別な
ファク
ターが入ってくるので、その差異
や識別と対処法に意識と知力を
働かせる、という
難題が待って
いる。


二輪の操縦と運転って、簡単じゃ
ないのよ。深いの。
でもある面から見ると簡単なの。
すべて全部が物理
だから。
神がかり的なものではなく、物
理的なカラクリと仕組みと挙動
の理由とを認識すればいいだけ
の事。
但し、対処の仕方はいろいろな
方法があるので、それには「知見」

が絶対に必要になる。知識や蘊蓄
やネットの知識集めとかでは
なく、
確固たる自分自身の知見ね。カタ
ログ覚えの知識のコレクター(これ
全く無駄。英単語を覚えても文法
知らないと会話できなかったり
文章を読めないのと一緒)ではな
く、正しい実理の抽斗を沢山持っ
ているという事
が必要になる。
二輪の走行考察や研究というのは
かなり知的能力が必要になるのよ。
「こうに違いない」とか、「これ
はこうだ」とか「あいつはこうだ」
とかの現実が見極められない決め
つけ脳内妄想による捏造体質だと、
二輪車はまずまともに運転できない。
ただ乗って、バスの代わりに移動
するだけ。

本間さんが確かなライダーである

のは、よく「妄想してます」と
いう表現を使っているでしょ?
理解している事には「こうだ」
「こうではないか」と断定や推量
を働かせるけど、不確かな知らない
事や推測については「妄想して
ます」という人食い文言でコース
アウトの退避エリアをあえて設え
て保険領域を言質の中に作って
いる。

これ、確かな人がやる思考表現
方法。
こうしたまともな脳の働きをし
ない
人たちは、見てもいない事
を事実であるとして
断定したり、
自分が大多数の代弁者で
あるか
のような誇大妄想をしたり、

決めつけで人の心の中を断定し
たり、存在した事実や事象を自分
は認めたく
ないがゆえにその事実
事象の体験者を嘘つき
呼ばわり
して自己の心の闇の安寧
を図ろう
として個人攻撃したりする。
現に世の中はそうした病的粘着者
たちの犯罪的(あるいは犯罪その
もの)な言動の事例だらけだ。

まあ、そこまで行くといろんな
累計に類別できる精神病なんです
けどね。完全に。
でも、結構、病みの闇心の持ち主
今の時代多い。
ネットが唯一の心の支えなのだ
ろうが、たいていは真性サイコ
パス
と化している。
そんなのが、免許証持って公道
をウヨウヨ走っている。

なおさら、健常に正確な二輪の
運転
操作が大切になる。
二輪運転者には絶対条件がある。
「パブリックストリートでは絶対
に転ばない事」
これに尽きる。

オマケ。
リアブレーキの使い方


ロードレースのみならず、公道で
も「走行操縦」の為にはリアブレ
ーキなどは必要ない。
ただし、物の動きとして、コンマ
何秒かリアを先にかけてからフロ
ントをかけるとスイングアームの
突っ張りによりフロントダイブ
する量が減るので、それでリア
ブレーキを意図的に使えることは
ある。(あくまで低速の場合)
だが、ほぼ使わない。フロントの
ダイブをどのように制御下に置い
て圧をかけて使うかのほうが走行
旋回では重要だからだ。
特にキャンバースラストの変化
への適切な対応の際には、フロ
ントの制動減速の使用とキャンバ
ーの兼ね合いの意識下での選択が
重要になってくる。
結論としては、ブレーキの使用
頻度はフロント100対リア0と
なる。走行中は。
止まってる時はリアブレーキ
おっぺしてる時もあるよ、私は。
特に緩斜面の道路の信号で手を
ハンドルから離す時には。
ちなみに、信号は停止してもなお
ギヤを入れておくのがセオリー
とされてはいるが、私はローバー
旧ミニやコースでのピットイン
と同じように、停止前にNに入れ
ている。ブレーキのみで停止させ
る。
「エンジンブレーキ」などは停止
の時のみならず、走行中も一切
意図的には使わない。クランクへ
の逆負荷をかけたくないから。
走行中はブリッピングを使うが
時には半クラも事と次第によって
は使う。乗っているのが完璧な
バックトルクリミッターを装備
していないから。
とにかく、前進の制動は前ブレー
キのみ、車体の意図的キャスター
変化による旋回能力の保持にも
前ブレーキを使う。
ブレーキは減速だけでなく車体
アングルや前のめりを使う時
にも使う。
スロットル開度は120のアングル
があるように、ブレーキも超絶
の微妙なタッチで使う。
もちろん、四本指でクソ握りなど
は一切しない。制御不能だし、
親指の付け根だけでグリップを
支える時間が存在するのは危険
だから。
教習所は他にも実に嘘教えが多い。
白バイ隊員でも、競技選手は公道
任務で指四本がけ前ブレーキなど
は使用していない。二本がけだ。
なお、本日、県警交機の白バイ
隊員を見た。
おもいっきり背骨は脱力して
ごく自然に弓なりに曲げていた。
フワリと力を抜いて。
まるでカチコチとは無縁の練達
の武術者のように。

なお、これも減速での速度調整
目的よりもフロント荷重増しを
作り出しての旋回力を得る走り
方をしている例。寝かし込みは
ヌペ~ッとではなくスパッと
一気にアングルを決めるやり方。
レイアウトによりその操作を選択
していないコーナーもある。
その一気寝かしは、コーナー進入
でカクンと車体がインに動く動き
がそれ。フルバンクまでは必要
ないのでフルバンクアングル取り
はやっていない。
ミルクロード~大観峰 2021夏 <ダイジェスト版>


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