05 フラグ回収は迅速に★
~前回のあらすじ~
・巨乳になりました&パンツはいてませんでした。
・牛の名前は〝ミノコ〟に決めました。
股間のムスコが旅立ったと言っても、その跡地は具体的にどうなっているのか。
確認するのが怖い。
だから、今は確認しない。
幸い、生理現象は催していないし。
「そうさ。まだ慌てるような時間じゃない。焦ることなんて全然ないない」
問題を先延ばしにしているだけだと罵りたければ罵るがいい。
心の準備期間っていうのは必要なんだよ。
ともあれ森の中だ。
ジャングルみたいに
足場は苔
ミノコの背中で大きく伸びをし、物静かで、しっとりとした森の空気を肺一杯に吸い込んでみた。……美味い。体内の淀みが一気に抜け落ちていくかのようだ。
とはいえ、深呼吸で腹は膨れない。
「【ルブブの森】だっけ。腐海の森って感じじゃないけど、下手に歩き回っても遭難するだけだろうし。というか、既に遭難してると言えなくもないのか」
さて困ったぞ。
近くに川でもあれば、とりあえず喉の渇きだけでも潤せるんだけど、それを探し当てるサバイバル知識なんて、オレには無い。自力で火をおこすことすらできない生粋の現代っ子だ。
いきなりの手詰まりに唸っていると、ふと、牧場体験で、園長さんが牛の特性について語っていたのを思い出した。
『鼻がいい動物と言えば犬を思い浮かべるだろうけど、実は牛も嗅覚が鋭いんだ。匂いにとてもデリケートな生き物で、エサが臭いと食べてくれなくてね。その点、人間は臭い食べ物が好きだよね。チーズとか、納豆とか、OLが丸一日穿いていたストッキングとか。え? 最後のはオジサンだけだって? いやいや、これが意外といるんだなあ』
あの牧場、ニュースになった記憶はないけど、今も経営しているんだろうか。
余計なことまで思い出してしまったが、どうやら牛の嗅覚は、人間よりもずっと優れているらしい。それなら闇雲に散策するより、進路はミノコに任せてしまった方が賢明かもしれない。どうせ、もう迷子も同然なんだし。
「ミノコの好きに動いていいぞ。果物の匂いとか、お前の鼻で探してみてくれ」
「ンンモォ~」
言葉が通じる前提で、普通に話しかけてしまった。
早くも自分の中にある常識の
でも、本当に通じているんじゃないだろうか。
オレには、ミノコが気怠そうに、「仕方ないなあ」と返事をしたように聞こえた。
ミノコが、のっし、のっし、と歩き出す。
「はは、熊に跨った金太郎にでもなった気分だ」
まさしく牛歩の速度だけど、手綱や
(イラスト:もきゅ様)
それにしても、と思う。
一見、早朝のジョギングコースにしたいくらい爽やかな森なのに。
「迷い込めば、生存率50%未満の森か」
原因として考えられるのは、やっぱオークだよな。オレが想像しているとおりのモンスターだとすれば、こんな細腕ではひとたまりもない。野犬一匹にだって負けそうだ。 遭遇しないことを祈るしかないな。
「なんとか人のいる町を探すなりして、安全な居住地を確保しないと」
社会の歯車から解き放たれたいとか、ナメたことを言ってられる状況じゃない。漫画もゲームもネットも諦めるから、衣食住のある文明人らしい生活がしたい。
そこに辿り着くまでの課題が多すぎて、頭が痛くなってくる。
「ん、なんだ?」
かしかしと頭を掻いていると、指が何か硬い物に引っ掛かった。
これって。
えー。げー。うわー。
「
ミノコと同じ。と言っても、たけのこの里くらい小さいけど、左右のこめかみの少し上に一つずつ、人間であれば絶対に存在しない物が突き出ていた。
そっかー。
オレはとうとう、男でも、日本人でも、そして人間でもなくなったのか。
…………まあ。
「胸に比べたら、それほどショックでもないな」
むしろ、角ってカッコ良くない? 爪みたいに伸びてきたりするんだろうか。
「へへ、ミノコとお揃いだな」
スン、スン、とミノコは鼻をヒクつかせるだけで、特に感想は無いようだ。
そんな感じで、角については、わりとあっさり受け入れられた。
他にも何かあるだろうか。
鏡が無いので、見えない部分はぺたぺたと手で触れて確認していくしかない。
目と耳と鼻と口は、以前と数も位置も同じ。パーツにおかしなところはない。
第三の眼が額に――。
とか、ちょっとドキドキしたけど、そんな物は無かった。
でも手探りじゃ、どんな顔つきをしているのかまではわからない。
カッコイイ系とか、もう高望みはしない。
だからせめて、人里に下りても違和感が無い程度に普通であってください。
「あ」
考えてる間に、人間とは違うところを、もう一個発見。
背中に何かついてる。
強引に首を後ろへ捻ると、肩甲骨の辺りに黒い物が見えた。
「これは、羽かな」
……………………え、羽?
鳥みたいな羽毛じゃなくて、蝙蝠のような翼だ。
翼があるってことは、まさか。
そうだよ。淫乱なイメージが先行して忘れてたけど、サキュバスは飛べるんだ。
じゃあ、オレも? オレも大空を自由に飛び回れちゃうの!?
ドラゴンじゃないけど、飛行能力なら大大大歓迎なんですけど!!
果てしなく膨らんでいくロマンに輝く目で、もう一度背中の翼を見た。
そして、すぐに落胆した。
「あー」
…………これは、ちょっと無理かな。
角もそうだけど、ちんまい。
肩幅よりも小さく、とても自重を浮かせられそうにない。
試しに肩に力を入れると、ピコピコと翼を動かすことができた。
でも、飛べそうな気配は全くなかった。
「飛べないなら、翼なんてあっても邪魔にしかならないっての……」
一瞬でも夢を見た分、がっかり感もひとしおだ。
ぐでーっと、ミノコを抱き締めるようにしてうつ伏せになると、胸が圧迫されて苦しかったので、余計に気が沈んだ。
そこから、体感で一時間くらい歩き回っただろうか。
のんびりした散歩も悪くなかったけど、収穫は何も無かった。
収穫は何も無かった。食べ物も、人工的な道も見つからない。時折、地面に生えている草木にミノコが鼻を近づけたりはしていたが、一度も何かを食んだりはしなかった。
「うー、腹減った……。
そういや、食べてる途中で死んだんだっけか。
最後の晩餐くらい、ごちそうさまをするまで待ってほしかった。
「ミノコ、オレに気を遣わなくてもいいからな。食べられそうな物があったら食べちゃえよ。お前の腹が膨れてくれないと、オレも……て、どうした?」
ミノコの耳がピンと立ち、足を止めて顔を真横に向けた。
つられて、オレもそちらに目をやった。
ガサガサ。
風もないのに草葉の動く音がした。
次の瞬間、体中から、ドッと汗が吹き出した。
密集した樹木の向こうから、ゴフッ、と何者かの荒い息遣いが聞こえたのだ。
近づいてくる。
狼の遠吠えに羊が怯えるように、本能が警鐘を鳴らしている。
やって来るのは、リスやウサギみたいな小動物じゃない。
生物として、自分よりも圧倒的に強大な何かだ。
「勘弁してくれよ……」
茂みを掻き分けて現れたのは、森の中では保護色になる緑色の太い腕だった。
人間の首くらいなら、簡単にへし折ってしまえるだろう大きな手が、樹木の幹を掴み、バキッ、と抉り取った。
「――――っ!?」
そのアクションだけで、心臓が止まりそうになった。
オレは今、心底ビビってる。
向こうの世界にだって、熊だとか、虎だとか、自分の力が絶対に及ばない動物は存在した。だけどこんな風に、檻を隔てるでもなく正面から相対したことなんて、ただの一度だってない。だから、全身を射竦める本物の恐怖というものに、オレは生まれて初めて直面している。
「ゴフゥッ……グフゥ……」
白い息を吐きながら、ヌゥ、とそいつは顔を出した。
目に映る威容に気圧され、オレは瞬きどころか、冗談抜きで呼吸を忘れた。
巨漢も巨漢。ミノコに乗っているオレと、目線がほぼ同じ高さにある。
腕と同様に、禿頭に至るまで全身が緑色。眼光は鋭く、牙は口内に収まらない。温厚な性格を微塵も期待できない、凶悪極まりない形相。
身に着けているのは、動物の皮で作ったと思われるボロボロの腰巻のみ。人間のプロレスラーが、スレンダーに思える胸厚な上半身は、見せつけるようにして外気に晒されている。
どうしてくれるんだよ。マジで遭遇しちゃったじゃないか。
「ゴッフ……グゥフフゥ……」
獲物を見つけたことを喜ぶように、現れた怪物が口の端を吊り上げた。
ああ……終わった。あの職員、恨んでやる。
やり直したばかりの人生なのに、もう幕を下ろすことになりそうだ。
父さん、母さん、先立った先で、息子がさらに先立つ不孝をお許しください。
あれがオークだという確証はないけど、まあ、オークだろう。
漫画やゲームだと豚面で描かれたりもするけど、この世界のオークは鬼みたいな顔立ちをしていた。
強面なのはともかく、豚よりは多少なりとも人間に近いと言えなくもない。
案外、世間話が好きで、気さくな性格をしていたりなんてことは。
ない、だろうな。完全に捕食者の目をしていらっしゃる。
どうにも、頭が全力で現実逃避したがっているらしい。
「ゴフゥゥ…………――――グフォッ!?」
自分の最期が頭にチラつく中、対峙していたオークが突然、喉を詰まらせたみたいな声を出し、逃げるようにして後方に飛びすさった。
何事かと思いきや、距離を取ったオークは、剥き出しになっている牙をギリギリと擦り鳴らし、喉を唸らせて警戒心を露わにした。
チワワの如く脅えきったオレのどこに敵意を感じたというのか。
なんなんだよ。オレが何したって言うんだよ。なんでそんな睨むんだよ。
「グ、グガァアアアアッ!!」
咆えられた。超怖い。チビりそう。これは絶対死んだ。
確実な死を予感し、般若心経なりを唱えようとする。そこで気づいた。
オークが見ているのは、オレじゃなかった。
「ミノ……タウ、ロス?」
喋った。その視線は、真っ直ぐミノコに向けられている。
そうか。ミノコがミノタウロスに似ているから。
オークの反応からして、ミノタウロスは本来、こんな森にいるようなモンスターじゃないわけだ。だから跳び上がるほど驚いた。
そして、威嚇しておきながらも襲って来ないところを見ると、強さの格付けとしては、オークよりもミノタウロスの方が上なのだと予想できる。
オークの視線を浴びているミノコは恐怖心が麻痺しているのか、それとも置かれている状況を理解できていないのか、まるでうろたえた素振りを見せていない。
その落ち着き払った態度が、オレをいくらか冷静にさせてくれた。
「グフルルゥゥ……」
「動くな! 妙な真似をしたら、このミノタウロスをけしかけるぞ!」
大声で牽制すると、オークが巨体をビクリと強張らせ、唸り声を潜めた。
いいぞ。オレの言っていることを理解できている。
「それでいい! こちらから危害を加えるつもりはない!」
争いが目的ではないことを告げると、オークは、反応を窺うように声のトーンを落として言った。
「…………森を荒らス奴、許ざナイ」
よし、会話もできる。
異世界で日本語が通じるというのも妙だけど、転生者への待遇がどうのと言っていたし、現地でコミュニケーションが取れるくらいの配慮はされているわけだな。
「森を荒らすつもりなんてない。たまたま迷い込んだだけなんだ。森を抜ける道を教えてくれたら、すぐにでも出て行く」
内心ではガクブル。心臓が破裂しそうなくらいバクバク鳴っている。
それにしても、オレの声、なんとかならないのか。
精一杯凄んでいるのに、威圧感が半減どころの話じゃない。
「……オメの匂い……人間と、違ウ。魔物カ?」
「そ、それがどうした?」
「本当に、迷い込んダだけなら、見逃ス。魔物同士で争ウ理由、無イ」
「あ、オレ、サキュバス! 魔物魔物! ほらほら! な? な?」
サキュバスは魔物ってことでいいんだよな? オレは剣呑な態度を一変させて、小さな角がよく見えるよう、髪を両側から持ち上げた。
自分から魔物だと名乗ることに若干の抵抗はあるけど、命には代えられない。
魔物同士は仲良くするのがルールなんだろうか。なんだよもー、そんな平和的な取り決めがあるなら、前もって教えておいてくれよな。
「サキュバス? ミノタウロスとサキュバスが、どうしで、ごんな所にイル?」
「あーと、それは、話せば長くなるんだけど」
転生って、この世界では認知されている現象なんだろうか。
されてないなら、説明しても、逆に信用問題に関わる胡散臭さが残りかねない。
オークはまだ、オレたちを森の侵略者ではないかと疑っている。
滅多なことを言えず、言葉に詰まっていると、
ゴギュギュギュルルル。キュゥ。
ミノコとオレの、空気を読まない腹の虫が盛大に鳴き、沈黙を破った。
シリアスな場面だっただけに、強烈に恥ずかしくて顔から発火しそうになる。
心なしか、オークが呆れた顔をしているように見える。
だけど幸いなことに、この場では腹の音が、下手な言葉よりも説得力があった。
「腹、減っでルのカ?」
「あ……うん……。実は、何か食べられる物が無いか探してたところで……」
隠すことでもないので、オレは正直に答えた。
だけど、この森がオークの縄張りなら、食べ物を見つけても、勝手に食べるのは許されないだろう。せめて、森を抜ける道だけでも教えてもらいたいけど。
そんなことを考えていると、オークが意外な申し出をしてきた。
「暴れないど、約束スルなら、何か食わせでヤル」
「マジで!? ご馳走してくれるのか!?」
「約束、でぎルのカ?」
「する! します! ミノコも、大人しくできるよな!?」
「ン~モ」
場合による、でいいのかな?
イマイチすっきりしない返事だけど、ひとまずは同意を得たということで。
「……ついで来イ。
「ありがとうございます! 感謝です!」
オーク様様。思わず敬語に変更しちゃう。
一時はどうなることかと思ったけど、見た目で判断しちゃダメだな。
今まで、オークは悪役と決めつけて良い印象がなかった。でも、話せばちゃんとわかる種族じゃないか。なんとなく、あのハゲ頭も愛らしく見えてきたぞ。
先導するオークの後ろを、ミノコに乗ったままついて行く。
「この森って、危険区域なんですか? そんな感じはしないですけど」
「……穏やがな森ダ。だども、だまに森の動物を狩ろウどスル魔物や人間がいル。そういう連中は、オデが追い払ウ」
つまり、このオークは、森の管理人みたいな存在なのか。
ますますもって、オークの評価が右肩上がりだ。
変態アラサー職員め、何が生存率50%未満だ。さては、オレをビビらせるために噓をついたな。
オークの方はまだ安心できないのか、時折、振り返ってミノコを気にしている。
その様子を見ていると、なんだか悪い気がしてきた。
本物のミノタウロスが、どんな気性をしてるのか知らないけど、ミノコに危険はないことを、オークに話しておくべきか。厚意に甘えているのに、プレッシャーをかけ続けるのは申し訳ないもんな。
と、思った矢先だった。
「オメ、人間の雌より、イイ匂いがスル。グフッ」
ミノコへ向けるものとは全くの異質。
オレを値踏みするように、全身に絡みつく粘っこい視線を送ってきたオークが、じゅるりと舌なめずりをした。
「そ、そう?」
背筋が凍りそうになった。
今のは、オークなりのジョークか、もしくは褒め言葉だったんだろうか。
それとも、魔物なら言われて喜ぶ台詞だったとか?
とりあえず、ミノコがミノタウロスとは似て非なる存在であることは、しばらく黙っていることにした。