お天気は曇り。
でも雨は降らなさそうです。
朝は疲れを感じましたが、
リウマチの薬で調整をしたら、
タイミングがよかったのか、
ラクになりました。
皆様からいただいたメッセージで、
昨日の朝リウマチについて、
番組でやっていたと知りました。
観たかったねぇ。
と主人と昨夜言っておりまして、
また機会があれば観てみたいと思っております。
リウマチは上手に、
付き合っていかなければならないから、
大変だと考えると悲観的になってしまいます。
早めに自分の身体の悲鳴を察して、
先に抑えることも、
大切なのではないかと、
経験からそう思いますが、
しかし身体の症状はそれぞれ違うから。
何が正しいとかではなく、
自分に合った方法で、
乗り越えていくしかないかな。
ただいろいろと考えてラクな方法は、
見つけた方がいいですね。
生活の質を向上させるためにも!
痛い・怠いを我慢するのはツライです。
ラク=さぼり
こういうイメージが、
どうしても世の中には、
まだまだあるかも知れません。
でも
ラク=さとり
だと思えば気ラクな
今日この頃です。
私たちの年齢だと、
今までに相当悩んだり、
辛い思いをしたりと。
かなりの苦行を経験してきたから、
もう悟りの精神で生きても許されますね^ ^
だからラクすることは、
さぼりではなくて「さとり」なんですよ(笑)
ちなみに「悟り」とは、
他人のことを評さず、
自分を他人と比べず、
自分にも他人事にも興味がなく、
一切の執着もなく、
ありのままの自分で生きていく。
まぁ、全て悟るのは、
この年齢では早いのかも知れませんが…
人生の結びまでには、
このような精神まで到達できていたいなぁと、
そう思っておる次第です。
上手くラクすることは「悪事」ではありません。
この一年ほど娘からよく、
こんなことを言われるようになりました。
ゲームなのか、
何なのかよくわかりませんが、
携帯電話やゲーム機本体を渡されて、
「これどれでもいいから、
好きなタイミングで押してみて」
そして何も考えず無の状態で押します。
「うわぁ、お母さんやっぱ無は強っ!」
だって何かわからないままで、
押してと言われて押しているんですもの(笑)
昨日もそんな感じで、
携帯の画面を押さされ、
「お母さん、欲がない人だから、
いいの出すわ〜」
と言われて、
ちょっと待って。
「お母さんって欲ない?」
と私が聞いたら、
彩月が携帯を引き続き触りながら、
こう続けて言いました。
「うん、病気してからあんま必死になって、
何かや物ごとをやってないじゃん。
前はキビキビしてたけど、
今はふわんとした感じ」
言われてみればそうかも知れない。
転がり込んでくるもの、
降りかかってくるものに対処し、
対応していってるだけで…
守るものは欲ではなく、
本能ですし…
確かに「よく」はないかなぁ。
でも「らく」に生きているから、
そうみえるのかなと思ったのでした。
脱力感で生きましょう^ ^
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