須藤靖(すとう・やすし) 東京大学教授(宇宙物理学)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。1958年高知県安芸市生まれ。主な研究分野は観測的宇宙論と太陽系外惑星。著書に、『人生一般二相対論』(東京大学出版会)、『一般相対論入門』(日本評論社)、『この空のかなた』(亜紀書房)、『情けは宇宙のためならず』(毎日新聞社)、『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)などがある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ノーベル賞受賞者の名にちなむ「フェルミ推定」で考えた
本格的な研究を行う前にその本質を把握し、さらに先に進む価値があるかどうかを判断したり、重要な問題点が何なのかを突き止めたりするために、このような概算は極めて有用である。実際、そのような論理的思考ができる人間は、しばしば「物理のセンスがある」と評価される。フェルミはそのような推定に特に秀でた学者だったので、フェルミ推定という名前が広まったのだろうが、物理学を専攻する学生は、日常的にこの種の訓練を受けている。
そこで試しに、日本にピアノ調律師が何人いるかをざっくりと考えてみた。日本で定期的にピアノを調律する家庭の大多数は、ピアノ教室に通う小中学生をもつ家庭であろう。学年が上がるほど割合が下がるかもしれないが、平均すればクラスの1割程度がピアノを習っていると考えるのはさほどおかしくなさそうだ。日本の子供の数は、1年に100万人程度なので、100万×9(学年)×0.1=90万が、比較的頻繁に弾かれている、したがって調律の対象となるピアノの台数となろう。それらが、平均2年に1回調律されているならば、1年間に45万台が対象だ。
ピアノの調律師が1日あたり午前と午後の2台調律するとしよう。1週間に5日働くならば、1人あたり 1年間で2×365×5÷7=500台の調律ができる。したがって、調律師は約千人であると推定される。
ちなみに、インターネットで検索したところ、一般社団法人日本ピアノ調律師協会のサイトが見つかった。そこで、失礼を顧みず会員数を尋ねるメールを出したところ、「会員数は約2200名です。以前は全国のピアノ調律師の3分の1は弊協会会員であろうといわれておりましたが、その根拠はあまりに乏しいといわざるを得ません。ひと昔前には全国にピアノ調律師1万人などと言われたこともあったと聞きますが、年々減っていると考えて間違いありません」との丁寧な回答を頂いた(さぞかし怪しいやつだと訝しく思われたことであろう)。
というわけで、私の推定値は、現実の調律師の数分の1以下であることがわかった。この程度の推論では桁が合えばまあ良しとすべしとも言える。しかし、その結果の比較をもとに、以上の推定のどこに問題があったのかを検証できることのほうが重要だろう。言われてみれば、かなり適当な仮定をしていることは確かだ。高校生以上でピアノを定常的に弾く人数を無視している。小中学校や大学の音楽室、一般のピアノ発表会やプロのコンサートなど、より頻繁に調律を必要とする台数は無視できるのか。一方、調律師は必ずしもそれを専業としているだけでなく、副業としている方も多いのでは、などなど。実際は、推定の2~5倍程度だとしたら、その違いは仮定の甘さによるものと思われる。
この例題をもとに、いよいよワクチン接種問題に応用してみよう。
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