第七章30 『自称英雄ナツキ・スバル』
族長を譲ると、そう宣言したミゼルダの表情は毅然としたものだった。
野性味の濃い、目力の強い美貌の覇気は衰えず、初めて彼女を目にしたときの印象と寸分変わらない。どこまでも、強い女であるという印象そのままだ。
その印象のままに、ミゼルダは右足を失い、族長の座を退くことを決めた。
「――――」
色濃く無念を宿しているのは、そんなミゼルダの周囲にいるものたちの方だ。
族長であるミゼルダの強さを身近で見てきた『シュドラクの民』、彼女らの悔しさと喪失感は、簡単に拭い去れるものでは決してない。
クーナは常からの無愛想さに拍車をかけた無表情となり、いつものんびりとマイペースを崩さないホーリィも沈んだ顔つきだ。涙目のウタカタが唇を噛みしめて俯き、他のシュドラクたちも一様に沈鬱な表情を浮かべている。
しかし、中でも最も大きく取り乱していたのは――、
「あ、姉上、無理でス。私に族長なんテ、務まるわけガ……」
「――タリッタ」
「姉上だから務まった役目でス! 私にそんな器はありませン……っ」
嫌々と首を横に振って、タリッタがそう必死に訴えかける。
ミゼルダ直々に次の族長に指名された妹、日々の言動の端々からも彼女が姉を敬愛し、崇拝に近い心情を抱いていたことは想像がつく。
それだけに、ミゼルダが足をなくした事実を受け止め切れず、タリッタはひどく狼狽していた。その動揺ぶりは、あるいは当事者のミゼルダ以上にすら思えるほどだ。
「……私の、力不足です」
タリッタの悲痛な訴えに、弱々しく己を責める声があった。
それは負傷者だらけのフロアの端、杖をついて立っている憔悴した様子のレムだ。
この場で唯一、治癒魔法が使える存在として重宝されたレムは、多くの負傷者を救うために右へ左へ駆けずり回っていた。それがどれだけ過酷を極めたかは、血に塗れたレムの衣類と乱れた髪、疲労の窺える表情からも察することができた。
もっとも、当人はそれを認めず、最初にねぎらったスバルの言葉にも「大丈夫」の一点張りだったが。
とはいえ、レムの力不足を責める権利は誰も有さない。
彼女がいなければ、アラキアの襲撃から死者を出さない結果など引き出せなかった。そのことは全員が理解している。
故に――、
「レム、お前が気に病む必要はなイ。帝国の『将』と戦イ、片足で済んだのは運が良かっタ。……いヤ、お前の助力あってのことダ」
「ミゼルダさん……ですが」
「私はお前に感謝していル。それ以上の言葉はなイ」
他ならぬミゼルダに重ねて感謝を告げられ、レムはそれ以上何も言えない。
押し黙るレムの傍らには、その長い金髪を乱したルイが寄り添っている。そっと裾を摘まんでいるルイの肩に手を置いて、レムは静かに目を伏せた。
レムの感じている自責の念と無力感、それがスバルには痛いほどわかる。だが、スバルが何かを口にするよりも、黒髪の美丈夫が前に進み出る方が早かった。
「ミゼルダ、考えを変える気はないな」
前に出たアベルの問いかけに、オブジェクトに座るミゼルダが頷く。
彼女は包帯の巻かれた足の切断面に指で触れながら、
「あア、変える気はなイ。シュドラクとヴォラキア皇帝との盟約は守られル。この先のことハ、私ではなくタリッタ……いヤ、族長に聞くがいイ」
「――。わかった。ミゼルダ、大儀であった」
「フ」
退任の意を固めたミゼルダ、彼女の答えに腕を組んだアベルが理解を示す。それを受け、小さく吐息したミゼルダは相好を崩した。
微かな笑みを浮かべて、彼女はアベルを上目に見ると、
「どうせなラ、微笑んでみせロ。それが美形の務めというものダ」
「――。ふん」
「それでいイ」
足をなくした直後にも拘らず、ミゼルダはあまりにも強かった。
その彼女の姿勢に、傲岸不遜なアベルすらも不敬を責めず、笑ってみせたほどだ。
それは玉座を奪われた皇帝が、森で暮らす女戦士に敬意を示した何よりの証だった。
そして――、
「――聞ケ、我が同胞たちヨ!」
笑みを浮かべた表情を引き締め、顔を上げたミゼルダが声を上げる。
その猛々しい声音を聞いて、シュドラクたちが一斉に姿勢を正し、傾聴の姿勢へ。
「先ほども告げた通リ、私は族長の務めを果たせヌ! よっテ、我が妹であるタリッタに族長の役目を譲り渡ス! 皆、タリッタに従エ!」
「――――」
「これが私ノ、族長としての最後の命令ダ。――父祖の誓イ、祖霊の誇りに感謝ヲ」
「「――感謝ヲ!」」
ミゼルダの結びに、シュドラクたちがそう復唱する。
彼女たちの風習や長年の習俗といったものの知識はない。しかし、門外漢で部外者のスバルにも、それが継承の儀式だったと感覚でわかった。
短く、格式張るものでもない、実利と観念的なものの合わせ技たる継承。
ここに『シュドラクの民』の族長は、ミゼルダからタリッタへと継承されたのだ。
「姉上……」
「沈んだ顔をするナ、族長。お前の迷いは我らの迷イ。お前の躊躇いは我らの躊躇イ。お前の死ハ、我らの死となル」
「――――」
歩み寄り、表情の晴れない新族長のタリッタをミゼルダが激励する。
それがタリッタの気持ちを一度で楽にするわけではない。だが、もはや縋っても状況は変わらないと、タリッタもそう理解したのだろう。
しばらくの沈黙ののち、タリッタは無言ながらもおずおずと頷いた。
「――――」
それを見たミゼルダの瞳に過った複雑な感情は、頭を下げたタリッタの見られなかったものだった。――そして、彼女以外の誰が言及してもならない聖域だった。
△▼△▼△▼△
「……正直、意外だった」
族長の交代劇と被害報告が終わったところで、スバルはそうアベルに声をかけた。
呼び止められ、主語のない感想をもらったアベルは眉を顰め、不愉快そうに「何がだ」と簡潔にスバルの真意を問い質す。
「考えねばならぬことが多い。貴様まで俺を煩わせるな」
「いちいちきつい言い方するなよ。……ただ、意外だったんだよ。お前がミゼルダさんの戦線離脱をあっさりと認めたのが」
「――――」
「てっきり、片足をなくしたぐらいでなんだ。俺のために死ぬまで働け、って言い出すんじゃないかと思ってたもんだから」
極端すぎる意見だと思いつつも、スバルは正直な気持ちをアベルに伝える。
玉座を奪還するために『シュドラクの民』を手勢に加え、最悪、城塞都市グァラルを毒で汚染することも考慮していた皇帝だ。
アベル――否、ヴィンセント・ヴォラキアならば、そうした態度も辞すまいと。
「たわけ。斯様に強いて、いったい何の意味がある」
しかし、罵声も覚悟で本音を告げたスバルに、アベルの答えは冷静だった。
鼻白むスバルの前、アベルは遠目に話し合うシュドラクを眺めながら、
「そも、俺は部下にできる以上のことを望まぬ。己が最善を尽くせと命じても、己の限界以上を吐き出せなどと妄言の類であろう」
「――――」
「評した以上の働きなど、こちらの計算が狂うだけだ。部下には以上も以下も求めん。そして、ミゼルダは己が領分を果たした。ならば、俺が与えるのは褒賞だけだ」
言葉で発破をかけ、褒美で実力以上を引き出し、ねぎらいで次を約束させる。
てっきり、スバルは権力者とはそうして部下を従えるものと思っていた。だから、アベルの答えはスバルの思い描くそれとは真っ向から相反するものだ。
部下に実力以上の働きを求めない。
それはある種、部下にとっては働きやすい環境のようであり、同時に寂しい環境であるとも思えたからだ。
「無論、評価に値せぬ働きには罰を以て報いる。信賞必罰、意味はわかるな」
「……それ、俺には罰を与えるって意味か?」
「貴様が俺の部下であれば、そうだろう。だが、貴様は俺の部下か?」
真正面から見据えられ、スバルはアベルの言葉に目を見張った。
もちろん、スバルの心情的にアベルの部下になった覚えなどない。プリシラとの話し合いで、アベルはスバルを軍師扱いしていたが、拝命するつもりもなかった。
「軍師って肩書きに惹かれないわけじゃないが、お前の部下なんて願い下げだ」
「であろうよ。貴様は俺の部下ではない。故に、信賞必罰の範疇に当たらん」
「そう考えると、お前は俺のなんなんだ……」
結果的に同行を余儀なくされているが、本来、スバルとアベルとの間には主従関係もなければ、もっと湿度のある関係性が結ばれたわけでもない。
流れで運命共同体となっているだけで、問題が取り除かれれば道は分かれる間柄。
味方や仲間、戦友というのとも全く違う。強いて言うなら女装仲間だ。
「勝手に俺を友呼ばわりしたものもいたが、貴様はそうではあるまい」
「ああ。俺は人見知りだから、簡単には友達にならない」
今の状況を考えれば、ここで友達呼ばわりしてくる相手はよほどの善人か詐欺師かのどちらかだろう。フロップは前者というだけだ。
そして――、
「俺はプリシラと話の続きがある。貴様は貴様の領分を果たせ」
「俺の領分……」
「言われずともわかっていよう」
切れ長な瞳に切り裂かれ、スバルの視線がアベルを外れ、部屋の隅へ向かう。
そこでは床にぺたりと座り込んだレムの姿がある。俯いた表情は遠目に確かめることができなかったが、放っておけないのは間違いない。
アベルに先に言われた、というのがいささか癪ではあるが。
「プリシラと揉めて、また戦いが始まるのは勘弁だ。口の利き方に気を付けろよ」
「多くのものは、その言葉は俺ではなく貴様が弁えるべきだと忠告するだろうよ」
憎まれ口をさらなる憎まれ口で返され、スバルは会議場に戻るアベルと別れる。
ミゼルダの足の件で『シュドラクの民』の在り方が変わるため、その事情も込みでプリシラとの対話に臨む必要が出てくるだろう。
もっとも、アベルとプリシラの天上人同士の会話にスバルの出る幕は少ない。
優先すべきは、スバルにしかできない語らいだった。
「――レム、今いいか?」
軽く深呼吸して、気を落ち着けてからレムの下へ向かう。
膝を折り畳み、壁に背を預けて座っているレムは、そのスバルの言葉にわずかに身じろぎすると、ぼんやりとした薄青の瞳にこちらの姿を映した。
「……あなたですか。いつになったら着替えるんです」
「着替えよりレムの方が優先だ。この話が終わったらすぐにでも着替えるよ」
「そうですか。では、話は終わりです。着替えてきてください」
「そんな大雑把な!」
取り付く島もなく、すげない対応をするレムにスバルが声を上げる。と、そんなスバルの声にレムは目つきを鋭くして、「静かにしてください」と言った。
それから、彼女は自分の左肩に寄りかかる少女の方を顎でしゃくり、
「眠っているルイちゃんが起きてしまいます。気遣ってください」
「それは……」
「それとも、そのぐらいの気遣いもこの子にはかけたくありませんか?」
「嫌な言い方するなよ。俺が悪かった」
小さな寝息を立てて、レムに寄り添っているルイ。
白い服の各所を血で汚したルイも、負傷者を治療して回るレムを手伝っていたと聞いている。レムの態度やウタカタから聞いた話なら、拙いながらもちゃんと言う通りに動いていたとのことだった。
当然、スバルの内心は複雑ではあるが。
「その姿で険しい顔をされると、調子が狂いますね」
「あ、ああ、悪い。化粧もぐちゃぐちゃだし、見苦しいよな」
「見苦しいのはお化粧がちゃんとしていたときからそうです」
「とほほ……」
相変わらず辛辣なレムの物言いに、スバルは肩を落として凹んでみせる。それから、スバルはゆっくりとレムの右側、ルイと反対側に腰を下ろし、並んで座った。
ちらと、レムの抗議の眼差しが飛んでくるが、それは意識的に無視して、
「レム、よくやってくれた。お前のおかげでみんな助かったよ」
「……力不足も痛感しました。本音を言えば、不甲斐ないです」
「レム……」
ねぎらいの言葉に応じて、レムが自分の両手を悔しげに見下ろす。その白い指を眺めながら、レムは弱々しく唇を噛んでいた。
「不甲斐なくなんてない。記憶だってあやふやなままなのに、立派に治癒魔法も使えるようになって大勢助けてくれた。なのに……」
「わかるんです。本当なら、この魔法はこんなものじゃなかったって」
「こんなものじゃなかったってのは」
「治癒魔法、です。今、私が使っている魔法は感覚的なもので、言い換えれば独学です。ルイちゃんが補助してくれて、何とか形になっていますが……」
レムの、その先の言葉は続かなかった。
その先が続かないのは、言わずともわかっていることであり、口にすればそれが自分を傷付ける刃となることと、痛みがわずかながらでも自分を慰めるとわかっているから。
弱音は、口にすれば自他を傷付ける。代わりにほんの少しだけ、胸のつかえは軽くなる代物だ。そしてレムは、自分が軽くなるのを厭うている。
真に自分の力不足が、他者を救えなかったと自責していることの証左だ。
「――――」
そのレムの心情が、改めてスバルには痛いほどわかる。
もっとできたはずだという後悔は、下手に届かない壁よりよほど我が身を苦しめる。それが誰かの、自分ではない誰かの未来に関わることならなおさらだ。
――ミゼルダが足を失った件は、スバルの胸の奥にも重たいものを残している。
命ではない。だが、四肢のいずれかを失うことの大きさは想像に難くない。
直近では、まさしくアルが左腕をなくした隻腕の男だ。水門都市プリステラでは、戦いの最中に『暴食』と対峙したリカードが片腕を失っている。
ひどくショッキングな出来事だが、起こり得ないほど縁遠い悲劇ではないのだ。むしろ、戦いに身を置く立場なら、身近な悲劇と言う方が適切かもしれない。
それでも――、
「きつい、な」
「……はい」
スバルの渇いた呟きに、すぐ横のレムが小さく頷く。
反発のない素直な首肯は初めてに等しい反応だったが、生憎とそれを喜べる心情にない。と、胸の奥にしこりを抱えるスバルに、レムがちらと視線を向けた。
「以前の……以前の私なら、どうだったでしょうか」
「……記憶があるときのレムなら?」
「はい。そのときの私の治癒魔法なら、ミゼルダさんの足は……」
残せたのか、と続けられるはずの言葉、それにスバルは目をつむった。
レムの心情はわからないではない。ただ、記憶の有無がレムの治癒魔法にどこまでの影響を与えているのか、その判断は門外漢のスバルには付けづらい。
仮に治癒力を数値化できたとしても、スバルにそれを評価することは困難だ。
ただし――、
「――――」
じっと、薄青の瞳に切実な感情を宿したレムがスバルを見ている。
彼女の求める答え、それがスバルの用意できるものなのかはわからない。スバルの目の前にあるのは二択、以前のレムなら『できた』『できない』の二つだけ。
そのどちらが、レムにとって救いになってくれるのか。
――否、どちらと答えれば、レムがこれ以上傷付かずに済むのか。
「……記憶があっても、どうにもならなかったと思う」
「――――」
「治癒魔法だって万能じゃない。その中で、レムは最善を尽くしたはずだ」
数秒、しかしスバルの中ではもっと長く感じられる苦慮の末、そう答えた。
たとえレムに記憶があったとしても、万全の状態の治癒魔法だったとしても、ミゼルダに足を残してやることはできなかっただろうと。
事実がどうか、ではない。
たらればの話をし始めればキリがない。確かにレムはミゼルダの足を救えなかった。だが、ミゼルダ以外の多くの負傷者、その命を救ってくれた。
その功績が褒められるべきであって、自分を責める謂れなんて何もないのだ。
むしろ、責められる謂れがあるとすれば――、
「俺の方が力不足だった」
「え……」
「考えが足らなかった。もっと、色々と真剣に吟味すべきだったんだ」
吐き出したスバルの答えを聞いて、レムが丸い瞳を大きく見開いた。
そんなレムの前、スバルは強く奥歯を噛みしめ、両手で自分の顔を覆う。
力不足を呪うのであれば、その咎はスバルにこそ降り注ぐべきだった。
「全部、俺のせいだ」
偉そうに『無血開城』を謳っておきながら、現実は程遠い結果を招いた。
アラキアの乱入で大勢の負傷者を出し、さらに彼女の身柄の奪還を受けて都市の衛兵にも複数の死者を出してしまった。身内に犠牲者こそ出なかったが、ミゼルダのなくなった足を見て、どうして『無血』などと言えるだろうか。
失敗した。失敗に失敗を重ね、挽回する機会を逸して失敗を積み上げた。
求めたのは最善のハッピーエンド、それなのにスバルの目の前にあるのはそこそこのハッピーエンドか、あるいはそこそこのバッドエンドと呼ぶべきものだ。
先ほどのアベルの言葉に倣えば、信賞必罰――罰されるべきだ。
スバルがアベルの部下だったなら、それこそ首を刎ねられて不思議のない惨状だ。
――最悪、『死に戻り』してでも。
と、そんな考えが脳裏を過るほどに。
そうした場合、直近で舞い戻る可能性が高いのは、グァラルでトッドと繰り広げた血みどろの攻防戦の最中だ。――思い出せば、恐れで全身が総毛立つ。
それでも、あの恐怖の瞬間に立ち返ったとしても、それで取りこぼしてきたものを拾い切ることができるのならば――、
「……どうして?」
不意に、考え込むスバルの鼓膜をそんな言葉が打った。
とっさに顔を上げれば、じっとこちらを見つめるレムの瞳と正面からかち合う。
直前まで自責の念で潤んでいたレムの瞳、それは何故か、より強い自責を宿してスバルを真っ向から見つめていたのだった。
「どうして、これがあなたのせいになるんですか」
レムの眼差しに動揺し、身動きを封じられたスバルへと言葉が重ねられる。
彼女は潤んだ瞳のまま手を伸ばし、惨状と化した都市庁舎を示しながら、
「ミゼルダさんの足も、ルイちゃんやウタカタちゃんのケガも、ミディアムさんやフロップさんの傷も、何もかもあなたのせい?」
「それは、そうだ。俺がもっと、入念に準備してたらこうはならなかった」
「あなたは策を考えて、無謀に見える計画でちゃんと成果を出しました。二将の方をしっかりと押さえて、誰も戦わせずに都市に入れることができた。計画通りに」
「でも、そのあとが……」
「――そのあとのことなんて!」
食い下がるスバルに、レムが眉を立てて声を大きくする。とっさにレムが振り向き、そのせいで寄りかかっていたルイの体が彼女の膝の上に落ちた。
微かに身じろぎして、小さく唸るルイは目を覚まさない。そのルイの肩を支えながら、レムはわずかに息を弾ませ、改めてスバルを見た。
「そのあとのことなんて、誰にも見通せませんでした。あの半裸の女性が現れるのも、それが大暴れするのも全部、予想のできないことでした。それなのに」
「――――」
「それなのに、どうしてあなたがその全部の責任を負うんですか」
どうして、と重ねて問われ、スバルは息を呑んだ。
どうしてなのかと言われれば、それが力を持ったモノの責任なのだとスバルは思う。
レムが自分の治癒魔法の力不足を嘆いたように、スバルも自分の権能が補えなかったことを悔やみ、嘆くことがある。『死に戻り』は、その範囲がより大きい。
スバルが力を行使すれば、未来はより良くも、悪くもなり得るからだ。
ただし――、
「それは……」
――それは、たとえ相手がレムであっても伝えることのできない真実だ。
レムに限った話ではない。
スバルの有する権能のこと、これだけはどれだけ胸襟を開いた相手であっても伝えることはできない。――否、心を通わせた相手にこそ話せない。
話せば、その相手を死に至らしめるかもしれない真実など、明かせるものか。
痛みは、怖い。『死に戻り』を打ち明けようとすることで与えられる痛みは恐ろしい。
心の臓を掴まれる激痛など、誰が何度味わったところで慣れるものか。
しかし、真に恐ろしいのは痛みではなく、喪失だ。
失うことよりも怖いことなど、この世に存在するだろうか。
それを極限まで恐れるからこそ、この権能はナツキ・スバルに与えられたのではないのか。
「……どうして、あなたは私を庇ったんですか」
「え……?」
押し黙り、答えの返せないスバルに見切りをつけたようにレムが言葉を続ける。
一瞬、何のことを言われたのかわからず、スバルは目を瞬かせた。
「あの半裸の女性に襲われたときです。柱を倒して、それも通じなくて……あの女性が向かってきたとき、あなたは私の前に立ちました」
アラキアに襲われるレムを救うべく、スバルは無我夢中で彼女の前に立った。
両手を広げ、あらゆる脅威をレムに近付けまいと必死だった。あの瞬間、スバルはアラキアに命を奪われたとしても、それでも構わなかった。
一秒でも長く、レムに自分より長生きしてほしかった。
それは――、
「無血開城を献策した結果も、あの場で私を庇ったことも、ミゼルダさんが足を失ったことさえ、あなたは全部、自分で抱え込もうとして……」
「――――」
「その全部ができるほど、あなたは強い人間じゃない。……最初こそ、そのおぞましい臭いで警戒していましたが」
そこで言葉を区切り、レムが一度、自分の膝の上のルイへと視線を落とした。
その金色の髪を優しく撫でてやりながら、レムは息を詰めると、そっとその視線をスバルへと向け直して、
「私も、ルイちゃんも、アベルさんやミゼルダさんたち、ミディアムさんやフロップさんもみんな、意思のある人間で、あなたが守り抜こうと息巻く必要なんてありません」
「ぁ……」
「そんな何もかも、一人でやり切ろうなんてしないでください。。私たちの行いの責任を、あなたが取る必要なんて」
畳みかけられる言葉に圧倒され、スバルはパクパクと口を開閉する。
何を言われているのか、脳が速やかな理解を拒否している。ただ、これ以上は聞いてはならないと、正体不明の焦燥感がスバルの心を焼いている。
力不足を呪ったスバルへと、切実な感情を宿して食い下がるレム。
それ以上、言わせてはならないと――、
「あなたは特別な人間じゃ――」
言わせてはならないとわかっていたのに。
「――あなたは、英雄じゃないんですから」
△▼△▼△▼△
ふらふらと、ふらふらと、スバルは彷徨うように都市庁舎の中を歩いていた。
目的地を定めていない。そもそも、いつから歩き出したのかさえ明瞭ではない。気付いたら歩いていて、何なら今も意識は曖昧模糊とした中にある。
「――っ」
不意に、硬い衝撃と正面からぶつかった。
見れば、足下だけ見つめて歩いていたせいで壁にぶつかったらしい。何もない壁に額を打ち付け、スバルは痛む額を押さえ、息を吐いた。
それから何気なく、ぶつけた額をもう一度、その硬い壁にぶつける。
硬い衝撃と鈍い音がして、スバルは脳にじんとした痛みが走るのを感じる。
そうして脳を外から揺すってやると、じんわりと全身に染み渡ってゆく澱みのようなものが遠ざかっていくような、そんな感覚が味わえた。
その調子で、スバルは何度も、何度も、額を壁に打ち付ける。
打ち付け、打ち付け、打ち付け――、
「――おいおい、やめとけよ、兄弟」
打ち付けようと引いた肩を後ろから掴まれ、そんな声をかけられる。
見れば、振り向いたスバルの視界、こちらを眺めている鉄兜越しの視線とぶつかった。相手はスバルの肩を掴んだまま、その首の骨を鳴らし、
「死にてぇ気持ちはわかるがよ。何べんやってもキリがねぇぜ、そんなもんはよ」
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