「ストーリーというウイルス」が市場を支配する時

「欲望の資本主義」が迫る「人の心に巣食う習性」

単に、恨みや強欲によって、敗戦国ドイツ、オーストリアに巨額な賠償金を課そうとする戦勝国。しかし、ヨーロッパの基層にある変化に想像力をめぐらし、さらにドイツ国民の置かれた惨状にこそ注視しなければならないはず、とケインズは説く。

過去半世紀の間に生まれていた政治的、経済的な不安定性と向き合うことなく、感情に任せてことを進めれば、致命的な悲劇が生まれかねないことを、ケインズはさまざまなレトリックを繰り出して説得力を持って語るのだ。実際、ケインズの洞察を裏付けるように、その後、財政窮乏によるナチズムの台頭を招き、第2次大戦の悲劇を生むことになるのは歴史が物語るところだ。

「パリは悪夢だった。そこでは誰もが病的だった」
「ヨーロッパの声なき戦慄は、イギリスに伝わっていない。ヨーロッパは離れており、イギリスはヨーロッパの肉体の一部にはなっていない」
(『ケインズ全集2 平和の経済的帰結』早坂忠訳)

文学的な表現で、講和会議での連合国側の姿勢への不信感、そして母国イギリスの鈍感な交渉姿勢を嘆く文章は、大衆の精神分析であり、人間の性を見つめた文明批評となっている。「声なき戦慄(せんりつ)」をいかに感受するか? 問いは古びない。

「感染力ある物語」は人の解釈を歪めていく?

実は、ケインズのこの逸話を引用したのは、異色の経済理論を展開するイェール大学教授ロバート・シラーだ。現代のコロナ禍の中で先行きが見えない経済状況について番組で尋ねたとき、ノーベル経済学賞を受賞した異才は、こんな言葉を口にした。

「ストーリーは、まるでコロナウイルスのように広がります」(シラー)

不透明な状況での株価の変動、突然の暴落など、人々の心の動きがどう反映されるのか? 彼はそれをパンデミックになぞらえて語った。

「大きな経済事象は 人々が耳にするストーリーによって引き起こされます。ストーリーは国によって異なることもあれば世界中で同じこともある。それは感染病に似ています」(シラー)

ストーリー、物語、語り口、そして、それらを包含する概念としての「ナラティブ」なる言葉がある。なんと日本語を当てはめてよいのか、悩むところだが、「感染性のある物語」というところだろうか。もともと文芸理論で用いられた「ナラティブ」なる概念を用いて、シラーは経済現象の新たな解読を試みる。

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