ブログの理念と著者のプロフィール

はじめまして、ひろです。

 

ブログを見つけて頂きまして、本当にありがとうございます^^

この出会いが

あなたの人生を変えるきっかけになる。

そんなブログであり、

あなたの大切な時間を使って読んで頂いている、

それを思い浮かべながら

誠実な思いで一文一文ブログを書いていきます。

 

 

どうぞ、最後まで見て行ってください!

 

 

ちょっと長くなるので
目次に目を通していただいて

全体の流れを掴んで

からの方が分かりやすいと思います。

 

◎目次
はじめに

幼少期 愛情を受けていた 好奇心旺盛でセミとり大好き

小学校 気が弱くていじめられっ子

中学校  公務員になりなさい 中学時代

高校 母の死

大学 ラクロスを止める

社会人 ポンコツ社員お金稼ぎたくて不動産の営業にいじめられる

 

自己紹介させていただきます。

 

僕は現在26歳の会社員です。

 

今は会社員で、すきま時間や

休日を使ってネットビジネスをしています。

 

212o年12月に月収200万を達成し、独立を目標にしています。

2020年7月から、ネットビジネスとしてせどり始めて

実績としては、2ヶ月目で55万円の売上げを

上げることができました。

 

しかし、作業がかなり大変だったため、せどりを完全にやめました。

 

そこから自動化して稼ぐネットビジネスの世界絶対的確信を持ち

現在は年収3億円の起業家からネットビジネスを学んでいます。

 

そしてTwitterを始めて

現在月収94万円を達成することができました。

今は名古屋でマーケター職をしながらネットビジネスをしています。

 

セミナーを開催して、

ネットビジネスで稼ぎたい人にアドバイスをしまくったり

ビジネスに悩んでいる人の相談に乗ったりもしています。

 

感謝の声も増えてきて

毎日が楽しくなってきました。

そして着々と仕組みを強固にして

仕組みから得る収益を伸ばした先に、

独立を目指しています。

 

 

これだけ聞くと一体何を学んでいるんだ?
と、怪しいと思われるかもしれません。笑

 

僕が今学んでいる内容は、FXやMLMではなく

ネット上に自動的に売り上げが上がる

仕組みを作ることなんです。

なぜ僕がネットビジネスの中で
せどりで稼いでいたにも関わらず
仕組み化したビジネスモデルを選んだかというと

 

それはお金だけでなく、時間も
手に入れたいと考えたからです。

 

例えばせどりのように莫大な作業がかかる
商品の仕入れをやめてしまったら
収入が減ってしまいます。

 

そういったビジネスモデルは
どれだけやっても、一生労働です。

 

せどりとして副業して
このままでは、本当の意味で自由に生きていくことができないと気づきました。

 

インターネットの恩恵を最大限に活かして
自動化して収入を得る仕組みを構築しています。

 

僕の理想の人生について
箇条書きで書いていきます。

・時間やお金を気にせず大好きな人、大切な人のもとにいつでもいられる生活

・同じ志を持った仲間と一緒に一生心に残るような熱い経験をする

いつでもどんな時でも心に余裕を持って困っている人に手を差し伸べられる状態

・行きたいと思った時に時間にとらわれず、世界遺産や絶景を見てまわれる生活

・レストランに行っても全く値段を気にすることなく、美味しいご飯を食べられる生活

・普段会えないような人に出会って、心置きなく未知の世界の話が聞ける生活

・一生周りの目を気にせず、しがらみに囚われない自立した生活

好きな時間に起きて好きな時間に寝られる生活

・プレッシャーが全くない生き生きとした完全ストレスフリーな状態

・やりたいことやりまくって「もうやり切ったわ!」って最期を迎えられる人生

・お金に出し惜しみせずに、好きなものを好きなだけ注文できる生活

・自分の健康のために即決でマッサージしたり、整体に行けるお金がある

こうやって見ていただくと
お分かりかもしれませんが

 

僕の理想とする人生は
お金にも時間にも場所にも決して縛られることのない
本当に自由な生活を送ることです。

 

よく言いますよね
「お金が全てじゃない」って

 

その通り。
世の中にはお金よりも大切なものって
たっくさんあります。

 

お金をどれだけ稼いだとしても
決して手に入らないものだってあります。

 

だからこそ、僕はお金のことで絶対悩みたくありません。

 

お金があって不幸になるよりも
お金がなくて不幸になってしまう
その可能性の方が絶対高いです。

僕は、

お金がなくて、やりたいことを諦めた。
お金がなくて、人と揉めた。
お金がなくて、救いたかった人を救えなかった。
お金がなくて、自分に優しくできなかった。

 

今思い出すだけでも悔しくて悔しくて
悔みきれない経験を何度もしてきました。

何回も絶望しました。

 

だからこそ、「お金が全てじゃない」
なんて絶対気安く言えないし

 

幸せであるための第一歩として
お金は必要だと思っています。

 

だって、僕はこれから
自分を幸せにしてあげたいし、

守るべき人を守りたいし、
幸せにしたい人を幸せにしたい。

お金にも、時間にも囚われない
自由な人生を送りたい。

 

やりたいこと全部やり切ったわ!!!
って心から思える人生にしたい。

 

 

 

僕には
たくさんのやりたいことがあります。
たくさんの夢があります。

あなたにも、どんな些細なことでも
お金と時間があったらやりたいと思っていることや
夢があると思うんです。考えて見てください。

 

でも、やっぱお金と時間がねぇわ。

 

あなたはそう思うかもしれません。
僕もそう思います。

 

その理想と現実のGAPを埋める手段として
僕はネットビジネスでの起業の道を選びました。

 

決して叶えられないことではありません。

 

実際にネットビジネスを通して
叶えている人はちゃんといます。

 

この世界に飛び込んでみて気付きました。
やるか、やらないか。
それだけなんです。

 

僕は理想の自分に近づいていくため
現実を見ながら、一歩前へ、また一歩前へ
進んでいきます。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

僕は今でこそ、
この瞬間を全力で生きたい
スーパーポジティブ人間です。

 

僕には実績がありません。
だからこそ学び
みていただく方の喜んでもらえるように

ブログを読んでいただいた方の少しでもお役にたてるように
気持ちを込めて書いていきます。

 

どんどん読みたいブログを読んでください。

このブログのコンセプトは
金銭的自由
身体的自由
精神的自由
時間的自由

 

4つの自由度を高める具体的な方法

 

年収3億円の起業家から学んだことを
このブログを通してお伝えしていきます。

僕が活動をする上で
僕という人間がどんな人なのかを
共有することで

より理解して頂けると思うので
過去の物語を今からお話していきますね。

 

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〜地方の街で長男として育つ〜

幼い頃は
好奇心旺盛で、わんぱくな坊やでした。

 

長男として生まれたこともあり、
父からも母からも、両方の祖父母からも可愛がられ、
大事に愛情を注いで育てられました。

 

◎小学生〜気の弱いいじめられっ子〜

子供の頃の僕は、大人しいがゆえに
かなり気が小さく人に言いたいことが言えない

そんな子供でした。

ガチガチにいじめられっ子でした。

学期が変わって席替えをするときは
いつも、クラスのガキ大将見たいな
気の強い子の隣にならないよう

「この子の隣だけはやめて。。」
と心の中で祈っていました。

いじめっ子の隣になった時はいじめられて
とても辛い思いをしていました。

 

ラムネの瓶をいじめっ子に強奪され
家の前で空瓶を割られたりしていました。

それを見兼ねた母も僕を心配していました。

「つらい、学校に行くの嫌や、、」
と涙をボロボロ流してました。

毎日母や父、学校の先生にも
いじめられている悩みを相談して
困らせていました。

そんなこんなで
僕は気が弱すぎる性格であるが故に
「嫌だ」とは言えず、いい子にして

逃げに逃げて親や先生の言う事ばかりきく
人間になっていきました。

そんな僕はいよいよ中学生になります。

 

 

◎中学生
〜いい子にしていれば、うまく行く〜

気が小さい僕は、真面目だった。
いや、小学生時代にいじめられ、
気が小さかったからこそ、真面目だったのかもしれない。

怒られないよう、いじめられないように

みんなの前ではいい子。

先生の前でもいい子。

両親の前でもいい子。
にしていました。

たぶん、小中の同級生に
ぴろはどんな印象だった?と尋ねれば
みんな、真面目で良いやつって答えると思います。

そんなこんなで僕は
真面目に勉強をしてました。

 

成績は、いつもトップクラス
生徒会や学級委員をするという

いわゆる「ザ、優等生」でした。

なぜ、そんなに優等生だったか?

 

それには家族の話が必要です。

僕の家族の話をすると、
僕の父も、母も薬剤師で
いわゆる安定志向。

 

さらに、
父方のおじいちゃんは大手企業の元取締役、
母方のおじいちゃんは大手企業の子会社の社長。

おまけに親戚はほとんど慶應とか有名大学、公務員、

会社のお偉いさんみたいなエリートばかりでした。

 

 

家自体は父しか働いていなかったので、
生活は割とカツカツで
決してお金持ちではありませんでした。

 

当然、父も母も僕に

「ちゃんと勉強して、将来は公務員か、大企業か、ちゃんとした資格をとって、安定した職につきなさい」がお決まりのフレーズでした。

 

特に母は特に厳しく、
宿題をやっていないと大激怒されました。

とても怖かったのを覚えています。

 

僕は親の言うことを信じて、
ひたすら真面目に勉強に取り組んでいました。

また、いじめられっ子の僕にとって
勉強して、いい子にしていることはメリットだった。

 

ある程度勉強できれば、「あいつは優等生」
みたいなキャラがつくからだ。

ちょっと中学生カーストのちょい上位みたいな。

 

いじめられたくない。
その思いもあり
僕は何かに逃げるようにして勉強した。

 

だから
「真面目に勉強していれば、うまくいく」
そう信じていました。

 

その結果
典型的な無難で、王道のレールに乗った
人間ができあがりました。

本当だったら、今頃先生か、大企業に勤めて
何の変哲のないレールにのった人生を歩んでいたと思います。

僕は家族の期待通り、
地元の進学校に進みます。

ただ、高校時代

僕の人生は一変しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎高校生
〜母の死、人生のどん底〜

実はその頃母親は隣の県の
実家にもどっていました。

その理由は、母親は重度の躁鬱を患い
病院に入院していたためです。

母はもともと明らかに普通の人より
気分の波が激しく

時にヒステリックになり
時にひどく落ち込むことがありました。

入院した時にそれは、
先天性のものだと診断されました。

高校生になった僕は、反抗期だったこと
勉強がかなり大変だったこと

部活の野球で日々忙殺されていて、
なかなか母と連絡をとることが
できませんでした。

 

《母が亡くなったのは、高校1年生の夏の出来事》です。

僕は部活が終わり、一緒に住んでいる
祖父母に「早く家に帰ってきて、
話すことがある。」と言われました。

「なんだろうと」と少し嫌な予感を感じながら
自転車を走らせて家に帰ってきました。

帰るとリビングには父も、弟も、祖父母も
みんな集まっていました。

 

夜電気がついた部屋なのに
まるで、暗闇の中にいるような雰囲気でした。

お母さんが亡くなったんだって。
そう祖母に言われました。

僕はその瞬間、祖母がなにを言っているのか
わかりませんでした。

《母は自ら命を絶った》のです。

その事実をようやく理解して、
僕は頭が真っ白になりました。

僕たち家族はこの日から
光の見えない深い悲しみで包まれました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この出来事から僕の人生はどん底に
落ちました。

母の死のショックから立ち直れない日々が続き、

高校での成績は一気に落ちて最下層に、

当時好きだった彼女には「ぴろくんかわっちゃったね」とフラれ

家族は父と祖父母はその出来事がきっかけで

喧嘩の毎日

中学1年生の多感な弟は母の死のショックからか鬱で不登校に、

野球部に所属していましたが、部活に身が入らず
最後の夏にベンチにすら入れず。

本当に
何をやってもうまくいかない。
自信がなさすぎて自分が嫌いになっていました

僕の高校時代はずっと地に堕ちた気分でした。

どーせ俺は何したって上手くいかないんだ。

知らず知らずのうちに、それが口癖だった。

そんな劣等感とコンプレックスの塊みたいな
悲しい人間になっていました。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

そんな中

ただ一つ、母という大切な身近な人の死によって
心から感じたことがあります。

それは「人生は有限である
ということでした。

どんな最期だとしても
人間はなからず死ぬ。

自分の時間は限られている。
高校生ながら強烈に感じました。

小さい頃から弱虫で、気が小さい。
高校生の時は何やっても上手くいかない。

 

そんな強烈なコンプレックスの
塊みたいな人間でしたが、

 

なんとかして、今よりも人生好転させたい
後悔のない人生を歩みたい。
そんな思いは何となく抱いていた気がします。

 

「人生好転させたい。」

僕は学校でも、ビリの成績でしたが
そう思って、必死の思いで勉強して

晴れて憧れだった関西の有名私大に合格しました。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

〜ぴろの極貧時代到来〜

僕の学生時代はお金がなくて、
かなり貧困に苦しんでいた思い出しかないです。

気が弱くて、自信がない。
さらにはお金ない。というコンプレックスが
見事に加わりました。

「どんだけコンプレックスあるねん。」
という感じですね。

貧乏を味わったのは大学の
部活でラクロスを始めてからです。

僕は何か全力で頑張れる部活がしたいと思って、
ラクロス部に入部しました。

ラクロスは大学から始める学生スポーツ。

新しいスポーツがとても新鮮で楽しかった。
毎日練習して全然できなかったことができるようになる。

 

「うおぉ、めっちゃ楽しい!!」
僕にとって、とても刺激的でのめり込みました。

 

大学の授業をそっちのけで
朝から晩までラクロスの事を考えていました。

ただ、大好きなラクロスをするのにネックがありました。

 

それは部活をするのに十分なお金がなかったことです。

ラクロスって費用に結構お金がかかるんです。

当時の僕は大学では、2万円の格安の家で、仕送りなし。
住んでいる家はオンボロアパート

台風がきたらコンセントの穴から風がビュンビュン吹いてくる
ようなアパートでした。

 

部活しながら、バイトしまくる。

大好きなラクロスにつぎ込見ました。

バイトできる時間も限られていました。
毎月、月4万円の給料を手に取りながら

 

「よっしゃ、今月はどうやって乗り越える俺!?」
そんな感じで毎月耐えるようにして生活していました。

 

僕は部活をしてめちゃくちゃ冷え性になりました。

 

ちょっとよくわからないかもしれませんが、
理由は交通費を抑えるために原付を乗り回していたからです。

 

原付って、秋から冬に乗ると
アホみたいに寒いんです。

僕だ冬という季節はまるで氷河期みたいな感覚でした。笑
そのおかげで冷え性になりました。

 

部活の土日はほぼ遠征でした。

くそ貧乏だった僕には電車移動でお金を使うことが、
選択肢にありませんでした。

だから、どれだけ寒くても気合で原付をビュンビュンと
走らせました。

それを見てチームメイトはドン引きしていました。

また、僕は部活のチームメイトとの
金銭的格差に苦しみました。

部活をしている友人らは
皆、家がお金持ちが多い印象でした。

バイトをそんなにしなくても
十分お金に困らず、
部活に没頭している人が多いように思えました。

 

対して僕は、死に物狂いで
大好きな部活のために毎日貧乏生活が
あたりまえと思っている。

 

僕は彼らと比べて
劣等感をこじらせます。

 

「羨ましい」が言えませんでした。

「毎日必死で生活してないのに
何だよこいつら。」

いつしか僕の性格は貧乏なせいで
ひん曲がっていました。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

それでも粘って部活を頑張ってました。
しかしある日を境に「もうムリだ」と思い、部活を辞めました。

そのきっかけは骨折したことです。

練習中に接触して倒れた時です。
「い、痛えぇ」
小指を見たら90度関節が曲がっててビビりました。

僕は整骨院に行き治療しましたが
すぐに整骨院に通うのをやめました。

 

理由は、お金を使いたくなかったから。

 

練習から離れて
必死で自力で骨をつなげようとしていました。

 

でもその時に思いました。
俺なにしてんだろ。。。」

 

やりたい事をやっているのに
お金がないコンプレックスで
性格がひん曲がり、
身体もボロボロ。

ふと我にかえって、
何をしているのかわからなくなり
お金に支配されている自分に気づきました。

その瞬間一気にやる気がなくなりました。

これだけ一生懸命取り組んできたのに
やめる時は本当に悔しくて、
辛かったですが、部活を断念することにしました。

お金なかったら、
やりたいことができない。

性格もねじ曲がる。
お金がない苦しみを痛いほど感じました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

そんなこんなで
部活を辞めてから僕はバイト戦士になりました。

朝は携帯ショップの店前でひたすら旗を振る仕事
夜は居酒屋で永遠にあげもの揚げて、ひたすら皿洗い
みたいな毎日。

必死でお金を稼ぐ。

そんで持って
飲み会とか、旅行行ったり
だらだらした自堕落学生生活を送っていました。

特に面白くもなく、ただ毎日は過ぎ去っていきました。

そんな
僕はいよいよ社会人になります。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー
大手メーカー営業時代〜超絶パワハラ地獄〜

「お金に困るような生活なんて
絶対嫌だ。」

気が弱くて、怒られるのが嫌でビビリ。そんな僕。

 

でも貧乏に強烈なコンプレックスを抱いていた僕。

新卒で、成果次第で1000万円以上稼ぐことが可能な
大手の有名住宅メーカーに就職するを決めました。

 

僕は誰かを説得させたり、
プレッシャーに弱いタイプで、営業職に
ビビりまくりでした。

でも「お金を稼ぐにはこれしかない。」
そう思って実力主義の厳しい営業の道を選びました。

そこで待っていたのは、本気で地獄のような
パワハラの毎日でした。

「なんでアポ取れへんのや?」
毎日アポイントが取れなければ
夜の11時まで叱責

叱責が終わったと思えば強制飲み会。
からの吐くまで飲まされる。

「お前は本当にポンコツだな?」

朝は先輩の送り迎えから始まり
、仕事中は永遠に怒られる。
飲み会で寝不足。

「お前体力なさすぎだろ?
社会人無理なんちゃうか?」

そんな罵倒の毎日でした。

 

気が弱い僕は、怒られるのが
耐えられなかったし、
飲み会もことわれなかった。

だから小学生の時のようにいじめられました

毎日怒られるたびにしんどくて
後頭部がジーンと痛む感覚が続きました。

 

半分鬱だったのかもしれません。

今まで色んな、苦しい経験をしてきました。

しかし、ここまで身体的にも精神的にも
時間的にも不自由でしんどい経験はありませんでした。

まさに地獄です。

何度も絶望しました。

僕は2年間この環境に耐えました。

しかし、寿命を削るような毎日に対して
このままだと本気で死ぬと感じて
転職しました。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー
〜ビジネスとの出会い。そして価値観の崩壊。〜

そんなこんなで僕は
転職してもなお、人生に絶望していました。

「気が弱くて、ビビりな俺には
お金を稼ぐなんて無理なんだ。」

半ば人生を諦めていた。そんな気分でした。

 

そんなある日の夜、YouTubeで
大学時代にPCたった一台で起業した
という人の動画に出会いました。

この1本の動画が僕の人生を
大きく変えることになります。

 

その人は20代にしてネットビジネスで
年収3億円に成り上がったという人でした。

ネットビジネスはPC1台でも稼げる

インターネットの力を最大限利用してできる。

彼は20歳からビジネスを始めて
働かなても自動化してしまえば、収入が増え続ける状態になった。

21歳でリタイアして遊びまくり、
でも暇すぎで仕事を再開。

ほぼ労働なしで、爆烈に稼いでいる。

 

そんな話を聞いて
「モウ、ワケワカラン。」
そんな衝撃でした。

それと同時に
「いや胡散臭すぎるわ。。」
そう思っていました。

 

正確には
「そんなこと信じたくなかった。」
というのが正直な気持ちだったのかもしれません。

 

でも、何とかして人生を変えたかった僕は
その人の動画を聞き、ブログを
読み漁りました。

メルマガも登録しました。

 

ザクザク入ってくる新しい知識。
かんたんに崩れていく価値観。

本当にネットビジネスで稼げるんか?
そう思って、ネットビジネスで稼いでいる人に
何人にも直接メッセージを送り、会ってみたりもしました

おそるおそる話を聞いてみる。

 

すると
そこには実際に時間にも
お金にも、自由な生活を送っている人ばかりでした。

 

「本当にそんな世界があるんだ。。。」

 

「自分で稼ぐ力をつけて、時間にもお金にも
縛られた生活を脱出するにはネットビジネスしかない!」

 

そう思ってブログを開設し、
ネットビジネスの世界に飛び込みました。

その1週間後には
有料商材を買って知識に投資しまくっていました。

 

完全に初心者からでしたが
数十万とネットビジネスに投資しました。

 

「これが自分の生きる道だ!」
僕にはそう思えてならなかったのです。

 

そして、脳裏には今のどうしようもない
状況から何としてでも抜け出したい気持ち。

 

それと、亡くなった母の分まで
後悔なく強く生きていきたいという気持ちが
ありました。

 

それが僕がネットビジネスに
ひたすら取り組んだ原動力でもありました。

 

情報に僕が投資したことは
正解で、

 

初めからビジネスの仕組みというのものを知って
成功の方程式を知りました。

 

才能や人脈、もともとある資金が
ないとできないわけではない。

 

ちゃんとビジネスには
論理に基づいた、誰でもちゃんとやれば
できる原理がある。

 

一時的や流行に依存する
稼ぎ方ではない。

 

 

この先ずっと不労所得として
安定して富を生み出していくことができる
不変のビジネスモデル。

 

それを作ってしまえば
時間からもお金からも自由になり、
好きなように人生を生きることができる。

 

ビジネスは運やギャンブルではない。
ちゃんとした科学だ。

 

再現性がある。
ちゃんと頑張れば、
自分でビジネスの流れを作ることができる。

気が弱くて、何をやっても
ダメで自信がなかった僕

 

たった数時間教えてもらうことで
手に入れた財産。

 

僕はこれに胸が躍りました
死んだ目が輝きを取り戻し、
躍動する感覚。

「絶対いける、、、、!!」

チャンスは目の前にある
PC1台さえあえば。

「よっっしゃ!やってやるぞぉぉ!」

気がつけば今1ヶ月半ほど
立つところです。

本当に気が弱くて、スキルもない
弱々しく人生に絶望していた自分。

 

そんな僕でしたが

 

目の前にチャンスが巡ってきた時、
そのチャンスを思い切って
掴み取った。

 

そして今、人生が好転してきています。

 

まだ僕はビジネスを始めて
2ヶ月足らずですが
着実に力をつけています。

 

見ていてください。
もっとビッグになっていきます。

 

そして、僕には
ネットビジネスを通じて
体現したいことがあります。

 

それは
「死ぬまでわくわくに
挑戦し、人を自分を幸せにする。」

 

ということ。

「人生は有限です。
母を亡くして僕は強く感じたこの世の真理です。

たくさん今まで苦労してきた
僕だからこそ、

この僕の情報発信を
見てくださっている
皆さんにとって

少しでも限りある人生をより良くする
手助けになれたらと心から思っています。

 

ーーぴろの物語おわりーー

ここまで読んでいただきまして
誠にありがとうございました。

ここまで読んでくださった方は
きっと人生をもっと良くしたい。
そう思っているんではないでしょうか?

ワイ毎日幸せだし、そんなの
どーでもいい〜。
みたいに思っている人は

僕のことなんでガン無視しているはずです。

僕の考えや、経験
理念や人生観に共感頂けた方には
きっと役に立てるはずです。

 

最後に僕の情報発信についてです。

このぴろのブログやメルマガでは

年収3億円の起業家」から日々学んでいる

知識や、実際にぼくがそれを実践してきた、

役に立てる情報をどんどん発信していきます!

また、現役で会社員をしながら
情報発信をしています。

ですので、時間がない!どうやって
ネットビジネスをしようか、、
と悩んでいる方の参考にもなります。

具体的なネットビジネスでの
稼ぎ方やマーケティングのノウハウ
については

詳しく、濃ゆーーーーーく
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みたいな内容ではありませんので
安心してください。

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僕はブログよりも
お一人お一人にしっかり情報を
届けられるメルマガが好きなので

このブログ内では話せない内容
たっくさん話しています。

目の前に巡ってくるチャンスを
掴めるかどうかは、人生の命運を
分けますよ。

僕がそうだったので
ぜひ即行動して、どんどん
人生を変えて行ってください!

以上になります。

ここまであなたの貴重なお時間を使って
読んでくださり本当にありがとうございます。

ぴろ

 

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