一色登希彦@ishikitokihiko·15時間いつかそういう時が来るだろうとは思っていたのだけど、現実に見知ってる知人の、その身内という近さの人が、 「ワクチン接種直後に体調不良となったまま亡くなった」 出来事が起きました。 当然(というのが酷薄なんだけど)、ワクチン接種との因果関係が認定される可能性はゼロに近いはず。(続1254369
一色登希彦@ishikitokihiko·14時間コロナ禍と、国や社会のさまざまな対応(というか不手際)と、それからワクチンの登場と接種(のブーム)に関して、思想信条関係なく間違いなく言えることのひとつは、 「たとえ本当にワクチン接種が原因で死んでも、誰もその因果関係は認めないし責任は取らないよね」 ということ。(続1128221
一色登希彦@ishikitokihiko自分はワクチン接種に関わりたくない。その理由は先述の一点に尽きる。 医療関係者や「専門家」が大きな声で「ワクチン接種」の正義を謳うけれど、じっさいは誰ひとり、「ワクチン接種が原因で死ぬ可能性」をきちんと科学的に否定できてはいない。 「その点には目をつぶれ」としか言ってない。(続午後2:05 · 2021年9月25日·Twitter for iPad139 件のリツイート3 件の引用ツイート298 件のいいね
一色登希彦@ishikitokihiko·14時間返信先: @ishikitokihikoさんつまり 「黙ってロシアンルーレットに加われ」 と言われているようなものです。 もちろん、元の問題である強いウィルスに感染して命を落とす可能性だってある。 でも、なら、それはもう、 「この世界に生きていたら、いつどんな心身の危機があるかわからない」 という話に還ってしまうのでは? (続1108215
一色登希彦@ishikitokihiko·14時間社会保障というのは、 「この世界に生きていたら、いつどんな心身の危機があるかわからない」 ことを前提にして、社会全体で、それを防止する法整備や、出来事が起きてしまった際にその個人に「保障」をすることであって、決して 「ロシアンルーレット始めます、黙って加われ」 なんかではない。(続2163329
一色登希彦@ishikitokihiko·14時間少なくとも本邦、社会の不整備や業務上の人為過失などで生命財産の危険や損失を受けた個人に対して、「社会の不整備や人為の過失との因果関係」を認めてただちにその補償にあたる…という体制はものすごく未発達で、そういう状況の中で万一の補償が保障されていないワクチン接種なんて近寄れない。(続1101202
一色登希彦@ishikitokihiko·14時間でも人によって、自己や外界のどこにフォーカスするかで価値観が変わるのだろう。 社会の安定を重視すると「個人レベルの多少の不自由は我慢しろ(時には死ね)」という立ち位置になるのだろう。 個人とか自身の自由に焦点を当てれば、「大声で私の自由を踏みにじるな(国家潰れろ)」となる。 (続182154
一色登希彦@ishikitokihiko·13時間自分の浅学でも、神サマ死んで、産業革命と資本主義手に入れて、「私(と私の社会)」が主語になっていたこの数百年の社会が変容してゆく時なのだろうなとは思う。 身内を喪った知人には「お悔やみ申し上げます」と言う以外に何もできない。 僕は自分の生死の権限を自分の手の内に残し続けたい。了190208