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俺の歌を聴け #最終話
Audacityの録音ボタンを押す。目に映るのはマイクだけだ。歌詞は頭に入っている。息が続くまで歌う。一時停止。再生。ノイズが入った。リテイク。水を少し飲む。録音ボタン。歌う。一時停止。再生。滑舌が悪い。リテイク。wavファイルのアイコンがアスファルトを濡らす雨のようにデスクトップを埋めていく。長時間装着したままのヘッドフォンで耳が痛い。とりあえず服を脱いでみる。歌にブレイブワンという存在を乗せるため。衣擦れの音など出ることはない。僕は今、名実ともに全裸で歌っている。
歌を繋げる。コンプレッサーをかけ音量を調節する。リバーブはどうするか。もう少しリバーブった方がいいか。あまりリバーブらない方がいいか。巻き戻す。再生。エフェクターをかける。巻き戻す。再生。
Aviutlでエンコードをする。エンコード待ち時間も、勿論服は着ない。公園で遊ぶ子供を見守るように、進捗率の表示を凝視する。やがて指定した場所へ律儀に出力してくれる。動画が完成する。カタルシス。何度訪れてもたまらない瞬間。カタルシス。まるで1週間便秘だった後の、ものすごいデカイやつが放出された時のような。カタルシス。
アップロードのボタンを押す。勿論まだ全裸だ。動画の投稿が完了するまでが歌ってみただからだ。もう後戻りはできない。今回はどんな反応がされるのだろうか。新しくブレイブワンに気付く人はいるのか。波形ソフトのように僕の心境は上下する。また僕という歌い手が試される時が来るのだ。
100人の歌い手がいれば100の歌い手になる理由がある。あるいは100人の歌い手がいれば1000の理由がある。そして歌い手というものに対する考え方も無数にある。歌い手だけじゃない。何だってそうだ。どう受け取られるかは分からないし、それは自由だ。それでも僕はただ歌い手として存在している。本当は何者でもないのかもしれない。だけど何者でもない人間じゃないやつなんて、一体何処にいるんだ?
エンコードが完了し、その動画は全世界で視聴が可能になる。最初の再生は、いつも僕の役目になっている。誰も抜け駆けしようとはしない。僕のファンは控え目な人が多いのだ。マウスを正確に動かし、投稿した「倒錯センシティブを歌ってみた【ブレイブワン】」を再生する。
演じられたレゾンデートル
誰が言った? 何処で読んだ?
残された無価値な倒錯と乳首
知らないで 擦り減って 消え去って
振り向いた その先に
許したのは君と ありふれた僕のCHIKUBIしばらくしてから、動画を確認する。最新の人気曲だけあっていつもより再生やコメントが多いようだ。そのコメントは殆どが最初の20秒の中に密集している。きっと後半は聴き惚れていてコメントどころではなかったのだろう。「うぽつです。3点」「声が気持ち悪いので顔も気持ち悪そう」「音痴の歴史を感じる・・・」といった熱心なコメントが並んでいる。そして一つだけ、群れからはぐれた羊のように、ラスト3秒の位置でコメントが付いていた。それは「伝わりました」という一言だけだった。
それは、終わらない愛の歌だ。
「知ってるよ」と僕は呟く。何千何万。無数にいる歌い手。無数にある動画。その中で君は僕の歌に辿り着いた。天文学的な確率だ。でもきっと君は聞いてくれる、そんな気がしていたんだ。尋ねたいことがたくさんある。この4分間、君は退屈しなかっただろうか。どんな場所で何を思いながら動画を開いたのだろうか。刹那でも、ブレイブワンという存在は君に必要とされたのだろうか。
勿論そんなことは聞けない。僕はただの歌い手だから。大義など無く、故に掲げない。僕はただ歌い、そしてそれで完結する。
「知ってるよ」と僕はもう一度呟く。君が泣けない時に、僕が泣こう。君が笑えない時に、僕が笑おう。君が歌えないときに、僕が歌おう。
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俺の歌を聴け #15
大学の食堂でヘッドフォンを装着した平瀬勇一がマイクを手にし、声を出さずに歌っていた。テーブルには食べ終えた皿とスプーンが置かれている。皿には米粒が一つも残っておらず洗いたてのように綺麗だったが、口の周りについたケチャップからいつものオムライスを食べたのであろうことは推察された。
「次に歌ってみる曲でも聞いてるの?」
私が話しかけると、平瀬勇一はヘッドフォンを外し、「どうして分かったんだい?」と言って不思議そうに私を見つめた。
「まるでエスパーみたいだ。君は歌い手よりエスパーの方が向いているんじゃないか?」
誰でも分かるだろと思いながら私は黙って紙ナプキンを差し出す。「そういえば私、コンデンサーマイクを知り合いの歌い手の人にもらったから前のやつが余ってるんだけど、あんたいる?あんまりいいマイク使ってないみたいだから」
「ああ、あの歌い手の恋人にもらったんだね」
「どうして知ってるの?」
「どうしてって、そんなの定期的に後ろの席から君のスマートフォンを覗き見てるからに決まってるじゃないか」
もう怒る気にもならない。私はすっかり平瀬勇一に慣れてしまったのだろうか。
「そうよ。最近仲直りしたの。それも知ってるかもしれませんけど」と皮肉を込めて私は言った。
「なるほど、仲直りをして愛の合唱をしている訳だね」
「いちいち歌ってみたに絡めなくていいわよ」
「そして夜のコラボレーションだね」
「ねえ、今度セクハラしたらほんとにあんたの動画2chに晒すからね。まあでも、その、少し感謝もしてるのよ。仲良くなったのはあなたのおかげでもあるような気が何故かしてるの。本当によく分からないんだけど。だから、その、ありがとう」
「それはよかった」と平瀬勇一はいつもと同じ平板な口調で言った。私はこんなことを言うつもりではなかったのだけれど、気が付くと話し続けていた。
「私、最初はあなたが私に気があるんだと思ってたの。自慢みたいに聞こえるかもしれないけれど、そうやって私に声をかけてくる男子は今まで山ほどいたから。ねえ、これ本当に自慢じゃないのよ」
私は自分の顔が赤くなっていくのを感じる。
「でも全然違ったわね。あなたはただ歌が好きなだけ。間違っていることも色々あるけど、一貫性はあると思う。ちょっと羨ましいくらい」
私の言葉を聞いた平瀬勇一は少し間を置くと、脈略なく「うぽつです」と言った。
「いつも思ってたんだけどその挨拶なんなの。それ動画を投稿したときにするコメントでしょ?投稿なんかしてないわよ」
平瀬勇一は首を少し振って立ち上がり、私を見て少し微笑んだ。
「君は情弱なんだね。でも、本当の意味は知らなくていい」
私の部屋。とても個人的な部屋。今日は親フラも祖父フラもない。私は自分のコミュニティ「レイコンヌのお部屋」で生放送を始める。
「レイコンヌちゃんこんばんわ」「レイコンヌちゃんきたよー」「わこつ」「初見です」「ほらレイコンヌちゃん、初見さんだよ^^」次々といつものようにコメントが流れる。私は息をゆっくり吸ってから、「初見の童貞さんこんばんわ!」と元気よく挨拶をする。コメントが一瞬完全に止まり、そのあと勢いよく流れだした。「今・・・なんて?」「レイコンヌちゃんキャラ変わった?」私はそれに構わず歌い出した。さきほどの言動のせいか、いつもよりコメントは荒れ気味だった。
「下手くそ歌うな」とコメントが流れる。
いつもなら心の中で呪詛の言葉を吐きつつもスルーしている。しかし私は言葉にしてみることにした。ごく自然に、そうしようと思っていた。
「下手だと歌ったら駄目なんですか?誰がそんなこと決めたんですか?何時何分何秒地球が何回回った時?」
言ってやった。みんなのレイコンヌが恐ろしく子供じみた反論を言ってやった。
「ネットに流して歌ってるんなら批判も受け止めろよks」とコメントが流れる。
「ネットにコメント流してるんならそのコメントに対する批判も受け止めろよこのチンカス臭いマンが!」と私が言う。
「歌手でもないのに歌うな」とコメントが流れる。
「オブザーバーでもないのにコメントすんなこの歌うな厨が!」と私が言う。
幼い言葉の応酬が続く。私の息はあがっていた。それでいて頭は意外と冷静だった。常連さんがドン引きしていくのをネット越しにも感じる。「あー伸びたいなー。心底伸びたいなー」
私は誰に言うのでもなく、独りごとのように呟いている。
「別に伸びなくても、歌ったこと自体に意味があるんじゃないかと思う」というコメントが流れる。もっともだ。きっと正しい。私はその正しさを欲しているのだ。
「そういうのは伸びてから考えたいの」
そう答えた私は多分間違っている。そして意識的にその間違いの経験をしてみたいと思った。そこからでないと、私は多分始められない。
いつも差し出された。選んでいたようで、私は何も掴んではいなかった。我に返ると、全てが浅薄に思えた。不安だけが積み重なっていった。表面だけじゃなく、与えられた大切な言葉もあったのに。大切な人がいたのに。私はそれよりも、自分を守るために他人の価値観を否定するのにいつも必死だった。打算も自分だ。虚栄も自分だ。そしてそれ以外の自分もある。きっとある。この得体の知れない感情が出力され続ける妙ちくりんな場所でそれが見つかるかは分からない。でも私は此処にもう少し居たいと思っている。剥き出しの自分をぶつけるんだ。あのネギを首に巻いた男のように。
マイクが繋がれているのを確認する。私は目を閉じる。
だからお願い。私の歌を聴いて。
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俺の歌を聴け #14
キャンドル・拓也と二人だけで会うのはこれが初めてだった。駅前の居酒屋は月曜の夜だというのに人で溢れ、アルコールと煙草と喧騒が混じり合った酷く現実的な匂いが漂っていた。
「それでトーナはなんで歌い手やめようと思ったんだ?」
キャンドル・拓也は軟骨唐揚げを食べながら俺に尋ねた。その声に悪意や攻撃性はなく、純粋な好奇心から発せられた問いのようだった。俺はなんと答えたものか逡巡する。
「拓也さんって小さいころ習い事とかしてました?」
「うん?そろばんやってたな。あと習字」
「部活はこれまで何やってました?」
「中学はバスケで高校はテニス。ああ、あと小学校のとき野球も少しやった」
「好きだったアイドルは?」
「おいおいトーナ、一体なんの話をしてるんだよ。俺は今歌ってみたの話をしてるんだぜ。モー娘だよ」とキャンドル・拓也は急かすように言った。
「ねえ拓也さん。10年続くものってなかなか無いですよね。それが終わるのに、大した理由なんてないんです。だからといってそれがどうでもいいことだったかというと、そういう訳でもない。それはその時にあるべきものだった。そういったもの全てによってその人は形成されるんです。そして多分、俺の歌ってみたもそうんなんですよ」
キャンドル・拓也は黙ってジントニックの氷を鳴らしながら、俺の言ったことについて考えているようだった。
「なるほどね。俺はてっきり、最近の歌ってみたがつまらなくなってきたからだと思っていたよ。最近の歌ってみたは、なんていうか、ニコニコできないんだよな」
いい大人の口から「ニコニコできない」という言葉が出てきたことに驚きながら、俺は「そうですね、和歌を詠んでいた頃は良かったですね」と言った。俺の冗談は通じなかったようで、キャンドル・拓也は気にせず話を続ける。
「俺自身、もう全然歌ってみたを投稿していない。メジャーデビューもしたし。俺は前よりずっと頑張っているよ。ただしCDを買ってくれる人に対してだ。ライブに来てくれる人に対してだ。なあトーナ、俺は間違っているのかな?」
キャンドル拓也の望む答えが分からず、「別にいいと思いますけど」と俺は言った。本当に別にいいと思った。
「おまえもサラリーマンだから分かってくれると思ったよ。俺は顧客に向かって歌ってるんだ。タニマチをいかに離さないかに注力するんだ。俺だって昔は違ったよ。投稿が全てだった。でももう見えてる景色が違うんだ。ただのニコ厨の姿はもう見えないんだよ。マイリスを増やすことよりも、確定申告の方に関心があるんだ。勿論この先どうなるかなんて分からない。分からないってことを俺は分かっているんだ。でも俺は乗った。流れに乗った。乗るしかないこのビッグウェーブに、と思って乗った。でもこの波は無人島に流れ着くかもしれないんだぜ?」
キャンドル・拓也はだいぶ酔っているようだった。
「ねえ拓也さん、そろばんやってたとき、自分が将来テニスをするって思ってました?」と俺が言うと、キャンドル・拓也は少し考え込んで、「もういいよ、その話は」と言って笑った。
それから自然と歌ってみたの話は終わり、政治やスポーツや整髪料、歌ってみた以外にろくに共通点も無い二人は持ち合わせた浅薄な知識で色々な話をした。二人で演劇をしているような作為のある会話だったが、俺はそれも悪くないと感じていた。この目の前の前髪をいじっている男も、迷っているのだ。誰だってそうなんだ。
外気は冷たく、終電を急ぐ人で駅前は喧騒に包まれていた。
「多分俺もおまえも嘘が嫌いだろうから、また今度なんて簡単に言わない。もうこれっきり会う機会はないかもしれないからな。ただ今だから言うけど、俺は結構おまえのことが好きだったんだぜ。だからもう会わないとしても、俺がおまえを重要じゃないやつだと思っているとは考えないでくれ」とキャンドル・拓也は前髪をいじりながら真剣な顔で言った。
「またそろばんの話しましょうか?」と俺が言うと、キャンドル・拓也は呆れたような笑顔になり前髪から手を放す。
「分かったよ。じゃあそろそろ行くか。そうだ、もうすぐ1stアルバム「君のハートにキャンドルサービス」に続く俺の2ndアルバム「キャンドルが消える前に」が出るから、店頭で見かけたらよろしくな」
「多分10円でも買いませんね」
俺が即答すると、キャンドル・拓也は愉快そうに笑った。
「なるほど、俺達は嘘が嫌いだからな。やっぱりおまえのこと、結構好きだったぜ。なあ、最後にお前の名前教えてくれないか」
「真田直人」
「俺は野口健太郎だ」と言い残し、キャンドル・拓也は駅へと消えていった。
拓也じゃないのかよ、と俺は呟いて、ゆっくりと歩き出す。
人それぞれの歌ってみたがある。何を求めて歌ってみるのだろう。再生数だろうか。そう考える人がいてもいい。キャンドル・拓也はそれに近い種類の人間だろう。走り続けるしかない性分なのだ。
あの男は。たくさんの迷惑メールと、一つの勇気を俺に与えたあの男は。多分そんなものは別に全然欲しくないのだろう。
そして俺は何を求めていたのだろう。100再生であれば苛立っていたに違いない。だからといって100万再生が欲しかったわけでもない。我ながら煩雑な性格だ。「俺はおまえらと違って現実的なんだよ」と独りごとを言い、しかし自分が不幸でないことも知る。きっともう少しシンプルに考えた方がいい。例えば歌って忘れるとかはどうだろうか。
深夜の繁華街を出鱈目に歩く。探す必要もなく悪趣味な原色のカラオケ店の看板は煌々と夜の道を照らしていた。きっと俺の手はまだ、マイクの感覚を覚えているだろう。
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