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  • 俺の歌を聴け #7

    2013-02-15 20:5518

     歌い手の朝は早い。就寝中に休養した声を目覚めさせるため、常温に戻した水をゆっくりと流し込み喉を潤す。それからカーテンを開け、時間をかけて丁寧にストレッチを行う。特に上半身は念入りに。そして広背筋を伸ばしながら僕は「ラクダのこぶを殴りたい」と囁いてみる。自分の声のコンディションを確かめるための作業だ。勿論本当にラクダのこぶを殴りたいわけじゃない。それは何だっていい。「冬はマウスを握る右手の指先が冷える」でも「マイリス余裕でした」でも構わない。
     僕は今日も声の調子は悪くないようだと思いながら、台所まで歩くとストックしてあるネギを取り出し、その鮮度を確認する。そして他の殆どの歌い手がしているのと同じように、ネギを首に隙間なく巻いていく。

     ネギを首に巻いたままジャージに着替え、僕は朝のジョギングに出かける。全身の筋力をバランス良く維持しておく必要があるからだ。よく歌ってみただからといって、喉だけを鍛えようとして自分の喉をひたすら殴り続ける歌い手が多いようだが、僕はそんな前時代的なトレーニングは行わない。

     30分ほど近所の公園を走った後、家に戻ってシャワーを浴び、棚から蜂蜜の瓶を取り出す。家族に使われないように、瓶にはきちんと「蜂蜜(歌い手専用)」と明記してある。そしてスプーンを使い蜂蜜をぺろぺろと執拗に舐めていく。蜂蜜は喉にいい。このまま熊になってしまうんじゃないかと思うくらい真剣に舐める。

     べたついた口元をそのままに、僕はマイクを手にして大学へ向かう。別に歌うわけじゃない。手にマイクを馴染ませるために、いつもマイクは握っている。それはとても歌い手的な事象であるといえる。
     電車の中ではよく他人の視線を感じることがある。同じ車両に歌い手が乗っていれば気になるのも分かるが、歌い手にもプライバシーがあるということは認識しておいてもらいたいものだ。唐突に「首のそれなんですか?」と聞かれたこともあるが、加工食品ばかり流通している弊害であろう、最近の若者は本物のネギを見る機会がないようで、僕はそれは寂しいことだと感じた。
     
     
     教室では青山麗子がいつものようにノートに向かって熱心に考えごとをしているようだった。「うぽつです」と僕が声をかけると、彼女は露骨に顔をしかめ、視線をノートに戻し「その手に持っているマイクはなんなの?」と質問をした。僕はその真意を推し量りかねながら口を開く。
    「歌い手がマイクを持っている、これはごく自然なことなんじゃないかな。むしろマイクを持っていない状態の歌い手に違和感を持つべきだ。僕たちが歌ってみたものを届けられるのは、このマイクのおかげなんだ。歌い手とマイクは切っても切り離せない存在で、ただの物質として扱うべきでないと僕は思っている。僕達は当然マイクを尊重すべきだし、常に対話をしておく必要があるんだ。僕がマイクを忘れても、マイクが僕を忘れないようにね」
     彼女はその答えに全く満足していないようで無反応だった。だから僕は話を続けた。
    「もちろん僕だって四六時中マイクを握っているわけじゃない。食事中や睡眠中はケースに戻すし、お風呂のときも湿気は悪影響だからマイクは置いておく。あるいはもう1本のマイクを握っているときもね」
    「今度セクハラしたらあんたの動画荒らすわよ」
     僕のウィットに富んだジョークはお気に召さなかったようで、彼女は鋭い眼光で僕を牽制してきた。やがて彼女の周りにはたくさんの友人が集まってきて、何事もなかったように彼女はいつもの人懐こい青山麗子に戻っていった。
     誰かが「なんかこの辺ネギ臭くない?」と言い、同調した周りが笑い声をあげていた。それをぼんやりと眺めながら僕は、「それは歌い手の匂いだ」と小さく教示した。



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  • 俺の歌を聴け #6

    2013-02-08 22:3424

     歌唱力。声質。知名度。雰囲気。運。私と有名歌い手との差は一体なんなのか。講義が始まるまでの休憩時間、教室で私は考え付く限りの要素をノートに書き出していく。分からない。いっそ私の容姿のアドバンテージを生かすために、写真でもアップしてやろうか。どうせ顔を隠して投稿している他の歌い手は森三中みたいなルックスをしているに違いない。黒沢歌うまいもんな。

    「君はまだ歌い手ですらないよ」

     後ろから断言される。冷たい啓示のような声だ。後ろから。後ろから?
     男が私のノートに書かれた文字を見ている。逸らさない。それは電気メーターの検針員のように、明確な義務感を携えた視線だった。

     見られた。見られた見られた見られた。私のノートを。レイコンヌ神歌い手計画書を見られた。なんなんだ。なんなんだこいつ。
    「ちょっと来て」
     混乱した私は、そいつの手首を掴み、最短距離で教室を飛び出た。



    「あんた人のノートを勝手に見るなんて非常識でしょ」
     私は何を言ってるのだろう。こんなこと言いたいわけじゃない。でも何を言えばいいか分からない。私は混乱している。
    「僕が歌い手で何故君が歌い手ではないのか。そのことに真摯に向き合わなければ、君は永遠に歌い手にはなれない」
     そしてこいつも何を言ってるんだろう。ここは大学なのに。モラトリアム真っ盛りの男女が非生産的な営みを操業し続けるキャンパスなのに。リアルなのに。歌い手?その単語をここに持ち込むの?そんなことがあっていいの?私は歌ってみたをやっていることは誰にも言っていない。歌い手の恋人にさえ隠しているのだ。
    「さっきから何言ってるの?私はあんたの・・・」
    「平瀬勇一。あるいはブレイブワンだ。あんたではない」
     前にも教室で絡んできた男だと気付く。なんで私がこんな中二感溢れる男と関わらないといけないの。
    「ねえ、お願いだからここで歌い手とか言わないでよ。それにあんたみたいな中二ネームの投稿者にどうこう言われたくない。私はまだこれからなの。私はいつかニコファーレに立てるような有名歌い手になるのよ」
     私は疑いなく混乱している。こんなことを口に出して言うなんてどうかしてる。私は青山麗子で、今はレイコンヌではないのに。
    「そのなんとかファーレっていうのはなんだい?」
     幼児が無垢な疑問を口に出すときのような間抜けな表情で、平瀬勇一が聞いてくる。
    「ニコファーレ。六本木にあるニコニコの施設よ。あんた歌い手なのに知らないの?」
     なんで私がこんなやつと普通の会話らしきものが成立してしまっているのだろう。
    「それでそのシコファーレっていうのが何で歌い手に関係あるんだい?」
    「ニコファーレ。公式のイベントとかやっているじゃない」
    「うーん、やっぱりなんでそのニコフェーラが歌い手に関係しているのかまるで分らないな」
    「ニコファーレ。ねえ、さっきからわざとよね?わざと言ってるよね?というか今私、訴えれば弁護士なしで勝てるレベルのセクハラ受けてるよね?」
    「君は歌い手についてきちんと理解すべきだ。あのノートに書いていたことは何だい?歌い手について何一つ記してはいない。あれは歌い手ではなく歌い足だ。もちろん歌い足などというものはこの世界に存在しない。僕はメタファーとしてそれを言及している。それくらい違うんだ。乖離している。君が早くそのことに気が付かなければ、歌ってみたは君に何も与えない。それどころか君はスポイルされていくだろう」
    「分かった分かった、私はもう教室に戻るから」

     一方的な講釈を聞きながら冷静さを少し取り戻した私は、抱えていたノートに羞恥を覚えながら背を向ける。平瀬勇一はそれを意に介さず続けた。
    「もう一度言うけど、君の歌い手感は間違っている。そのノートに書いていることで優れているのはレイコンヌという投稿者名くらいだ。あとは全部駄目だ。前にも言ったと思うけど、僕はこう見えて目はいいからしっかり内容が見えた。この眼鏡をかけているときは視力は5.8くらいあるんだ」
     私は足を止めて振り返る。
    「レイコンヌが優れているって、そんな訳ないでしょ」
    「そうかな、だって素敵な名前だよ」

     色々考えて付けた名前だった。本名の麗子と、大好きなレ・ミゼラブルのエポニーヌとを組み合わせて決めた投稿者名だ。投稿する前、高校生だった私は、一生懸命考えて、わくわくしながらその名前を付けたのだ。そこから私の素敵な歌ってみたが始まると信じた名前だ。投稿してから今まで、無記名のコメント達に散々馬鹿にされ続けた名前だ。誰からも、褒められたことのない名前だ。
    「ブレイブワンの次くらいに素敵な名前だと思うけどな」
     平瀬勇一は真顔で首をかしげる。
    「あんたなんかと比べないでよね」
     そう言って、私は平瀬勇一に対して初めて微笑んだ。


  • 俺の歌を聴け #5

    2013-02-07 21:5523

     煙草の匂いが染みついた練習スタジオの待合室で、俺は儀式のようにスマートフォンを操作している。さっさと部屋に案内しろと念じながら、時間の過ぎるのが妙に遅く感じる。
    「今日は何か練習ですか?」
     空気を読まない店員が話しかけてきた。勘弁してくれ。
    「ええ、ボーカルの仮歌を録音しようと思いまして」
     舌打ちをしそうになるのを堪えながら俺は愛想良く答える。実際は歌ってみたの録音だが、大幅な嘘はついてないだろう。
    「普段はギターも弾くんですけどね。今日は歌だけ」
     後ろめたさからか、思わず余計なことを付け加えてしまった。楽器なんて音楽の授業でリコーダーを吹いて以来何一つやったことはない。

     ほどなく練習を終えたバンドの集団が、100メートル先の人間に向かって話すようなボリュームの声で喋りながら出てきた。すれ違う時に俺の持っている鞄を一瞥し、そのあと値踏みするような視線を投げられた気がした。楽器を持っていない人間が一人でスタジオに入るのを嘲笑されたのではないか。そんな被害妄想すら浮かんでくる。溜息を一つ吐き、俺は会社に出社するときと同じ表情で部屋に入り重い扉を閉めた。


     帰り道、ノートPCやマイクが詰め込まれた鞄を抱えながら足取りは重い。今日は失敗だった。使える音源がまるで録れなかった。投稿を重ねるたび、自分の歌の拙い部分ばかりが気になるようになってきた。休日の時間を潰して、俺は一体何をやっているのだろう。確かに投稿した動画の数字が積み重なっていくのを見るのは嬉しいものだが、今はただ消耗しているだけのような気がする。動画の投稿を通じて広がった交流もあるが、別にここにしか居場所が無いわけじゃない。ただの趣味の一つだ。やるべきことは無数にあり、会うべき人の選択も時間が足りないくらいだ。俺は一体誰に向かって歌っているのだろう。歌っている動画を投稿して何になるのだろう。それを倦怠期の団地妻がマカロニを茹でながら聞いていても、自意識の肥大した高校生が金曜の深夜にニキビを気にしながら聞いていても、動物園の毛ヅヤの悪いシンリンオオカミが狭い檻の中で暇潰しに聞いていても、俺には関係ない。

     ランキング上位に食い込む俺でさえこんな気持ちなのに、こいつは一体何をモチベーションに動画投稿なんて出来ているのか。
    「ブレイブワンだけど、トーナっち、コラボ何の曲しとく?」
     俺はいつものようにそのメールを削除する。というよりなんでこいつ距離縮めてきてるんだ?こっちは完全に無視しているのに。大体「ブレイブワン」とかいうハンドルネームがダサ過ぎる。中二臭いにもほどがあるだろ。昨日たまたま生放送を聞いてみたが、過疎放送なのにひたすら喋っていて内容もまったく意味不明だった。こいつが生卵の白身が嫌いでよく混ぜることと、乳首を洗濯バサミで挟むことの必要性について一家言持っているようだということしか分からなかった。そして自信に満ちた声で歌い手について的外れな持論を語っていた。なんなんだ。一体なんなんだこいつは。なんで誰も聞いていないのに発信できるんだ。なんで乳首を洗濯バサミで挟む必要があるんだ。なんで俺は、こいつの事がこんなに気になるんだ。