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俺の歌を聴け #1
「他の人の動画で僕の名前を出さないで下さい」
それが母親のお腹から引きずり出されたときの僕の第一声だった。もちろん助産師と母親は「・・・産声は?」と怪訝そうな表情で尋ねてきたが、僕にとってそんなことは瑣末な問題だったので静かに首を横に振った。苦労して産んでくれたのに期待に応えられず悪いとは思うけれど。
ともかく僕は、生まれながらにして歌い手だった。そして僕は、大学生になった。それまでの人生に特筆すべきことはない。歌い手として生まれた僕にとって、歌ってみてないそれまでの時間は無為な月日だった。もちろんずっと歌ってみたかったけれど、マイクがないことには歌ってみたはできない。母親にいくら「ドワンゴが僕を待っているんだ」と頼んでも、「そんなことより勉強しなさい」と一蹴された。母親は歌ってみたよりも勉強の方が大切だと信じ込んでいるらしい全く偏執的な俗物だった。
こんなことを言うと時間だけはふんだんに持て余しているニコ厨共に「バイトして買えよwww」と非難されそうだが、彼らは「アルバイトをする社会的適応能力があるならそもそも歌ってみたをする必要性がない」という当たり前の論理にも気付かない愚鈍なネット弁慶なのだ。憐憫の対象だ。
しかしそんなことはもうどうだっていい。僕は大学の入学祝いにマイク等の録音機材一式を買ってもらい、ニコニコ動画に投稿をした。名実ともに歌い手となった。再生数はまだ50くらいだが、一つ「うぽつ」というコメントが付いており、一見全く意味不明な言葉だがおそらく「上手くて、ポテンシャルがあるから、付き合いたい」の略でつまり交際の申し込みだろうから、他の有象無象のニコ厨がこの真の歌い手に気付く日もそう遠くないだろう。大学のキャンパスは相変わらず喧騒に満ちていて僕をうんざりさせたが、しかし今日はどうしても講義に出席する必要があった。学生の学習意欲に対し不相応に広い教室で、僕は彼女の姿を探した。
前から7列目の端の席に彼女は丁度座るところで、幸いなことに周囲にその友人達はいなかった。彼女は吸引機のようにいつも人間に囲まれているのだ。「やあ」
僕はなるべくフランク且つ紳士的な微笑を作り彼女に話しかけた。
「・・・ええと、誰?」
「あの平瀬勇一さ」
彼女は不服そうに沈黙した後で、叱責するような口調で言った。
「あのヒラセユウイチって、どのヒラセユウイチよ」
なるほど、と僕は思った。本名を言ったところで彼女に伝わるはずもない。僕のミステイクだった。
「これは失礼、ブレイブワンさ」
「・・・え?」
彼女は本当に分からないといった表情で聞き返した。急なことで動揺しているのかもしれない。
「ブレイブワンさ。歌い手の」
「・・・何を言ってるか分からないんだけど」
僕は混乱した。僕の方こそ彼女が何を言っているのかさっぱり分からない。
「だから歌い手のブレイブワンさ。君、歌い手好きだろう?知っているんだ。僕は後ろの席から覗き込んで君がスマートフォンでツイッターしてるのを見てたんだ。わりと目はいい方なんだ、こう見えて。ツイッターのプロフィールに歌い手が好きだって書いてたよね?そして今君の目の前にいる僕が、僕こそが、歌い手のブレイブワンさ。コメントしてくれただろう?付き合ってくださいって。君は歌い手が好きで、僕は歌い手で、僕の動画に付き合ってくださいって書いてるってことは、つまりそういうことなんだろう?」
「冗談は顔だけにして」彼女は苛立ちを隠そうともせず席を立ち教室を出て行った。最近の大学生の学習意欲の低下はやはり由々しき問題のようだ。僕はテキストとノートを開き、教授の独りごとのような講義を聞きながら、次はもう少し歌にリバーブを深くかけた方がよいだろうかと考えていた。
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