親民社

「丘の上に輝く町」の腐壊

「米国の世紀」の終焉に寄せて
令和三年九月五日
アウグスト・ジグムント




登古鄴城(古鄴城に登る)
岑参(しんじん)

下馬登鄴城 (馬を下りて鄴城に登れば)
城空復何見 (城空しくして復た何をか見ん)
東風吹野火 (東風 野火を吹き)
暮入飛雲殿 (暮には入る 飛雲殿)
城隅南對望陵䑓 (城隅 南のかた望陵台に対えば)
氵章水東流不復囘 (氵章水東流して復た回らず)
武帝宮中人去盡 (武帝の宮中 人去り尽くす)
年年春色爲誰來 (年年の春色 誰が為に来る)1



 1980年に公開されたアメリカ映画「ブルース・ブラザーズThe Blues Brothers」はアメリカ・コメディ映画の傑作として高名な作品である。
ハリウッド映画に可能なアクションの要素をふんだんに盛り込んだ本作品は、同時にシカゴという都市への愛の告白であり、賛歌でもある。本作品の中で演奏される「愛しき故郷シカゴSweet home Chicago」という楽曲は、その愛の表明に他ならない。
巨大な高層ビルが立ち並ぶ都市の中を、アメリカにしかありえないような幅を持つ高速道路を2人のコソ泥が逃げ回り、それを何十台もの警察車両が追い回す……アメリカにしかありえないようなスリリングなアクションと、その面白可笑しさ。
シカゴは、アメリカは、80年という年においては、そのような強い文化的魅力を放つことができた。

今や、この五大湖とイリノイ州の華は、アメリカの各大都市で上昇し続ける犯罪率の代名詞のような存在である。異様に高い税負担、年間平均8万の人口減少、全米最低クラスの起業率……かつてかのアル・カポネが拠点を構えた街とは思えない衰退ぶりである。

 シカゴだけではない。かつてアメリカの工業を支えた五大湖周辺の各州・地域は今やラストベルトと化している。
特にデトロイトの凋落たるや、惨憺たるものがある。かつて200万近くの人口を誇ったこの都市は今や70万までにそれが減少し、全米トップクラスの犯罪率を記録する。製造業種の破産申請は止まることを知らず、市内では無人となった一軒家が朽ち果て、道路は荒れて草木に覆われ、周囲には用途がなくなった電信柱が寂しく立ち尽くす。
まるで戦場の跡地のような郊外は空き地が点在し、エリー湖に流れるデトロイト川からは寂しく風が吹き込み、そしてそれらのゴミ溜めのような空き地に集まるホームレスたちがドラム缶の周囲に集って何とか暖を取ろうと試みる……。


 栄華を誇った街の衰退は、実に何とも佗しいものである。

 20世紀とは誰もが認めるように、アメリカの世紀に他ならなかった。軍事的にも文化的にも、アメリカの持つ影響力とそれに伴う移民を引きつけ続ける魅力は強烈なものであった。
誰もがアメリカの発する「自由」に憧れ焦がれ、そこでの成功を夢見た。例え多くが失敗に終わり破れる運命にあったにせよ、20世紀のアメリカにはそのような夢を人々に見せる力があった。
そう、例え強烈な差別を受けていたアフリカ系のアメリカ人ですら、ミュージシャンとして、スポーツ選手として、自らの得意分野の能力を最大限発揮できれば、世界に自らの名声を響かせることができた。
20世紀のアメリカは、まさしく17世紀のピューリタン移民を率いたマサチューセッツ植民州知事、ジョン・ウィンスロップが述べたように、「丘の上に輝く町Shining city on a hill」であった。


 その任期の最期に際して、ソ連の打倒による冷戦の勝利の最大の立役者であった第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンは、国民に向けた退任演説の最後に次のように述べた。


「この(丘の上に輝く)町は今、この冬の夜に外からどう見えているでしょうか?8年前に比べてより豊かで、より堅牢で、より幸福なものとなっています。しかし、それだけではないのです。200年の時を経ても(…)この町は未だに花崗岩の尾根にしっかりと堅牢に建ち続け、どのような嵐に見舞われようともその輝きを失っていないのです。この町は、あらゆる自由を享受するにふさわしい人々、あらゆる住処を失って家を求めて暗闇を彷徨い続けている、巡礼者達を惹きつける磁石であり、灯台であり続けているのです。(…)我が友人の皆さん。我々はやり遂げました。我々はただいたずらに時が過ぎるのを眺めていたのではありません。我々は違いを見せたのです。我々はこの町をより強く、より自由にして、そして次世代に引き渡すことに成功したのです。総合的に見れば、悪くなかったでしょう。ええ、全く、悪くなかったと断言できます。それでは皆さん、さようなら。あなたがたに、そしてアメリカ合衆国に、神のご加護があらんことを。」


 アメリカの建国神話を愛国主義に載せて最大限に前面化させたこの演説の締めは、冷戦の勝利をもたらした指導者が述べるにふさわしいものであった。
そして冷戦期において、公民権運動の激化やベトナム戦争の混迷に見舞われながらも、アメリカが世界中の人々、特に共産主義の牢獄に閉じ込められた東側世界の人々の多くにとって「惹きつける磁石であり、灯台」であったことは、紛れもない事実なのである。自由を奪われた東側の人々にとって、アメリカから発し、そして西ベルリンにその片鱗を見せる自由の光は、希望の光そのものであった。
そして、レーガンが退任した89年というのは、20世紀の初頭以来アメリカが世界に放ち続けていた鮮烈な光の強度がその最高潮を迎えた瞬間であった。

 しかしながら、この89年という絶頂を経てその後30年間に渡り、アメリカは衰退し続けていくことになる。ソ連なき世界に唯一の超大国として躍り出て以降、アメリカはその建国神話が生み出す光を一体どこに向け、どのように活用すればいいのか、全くわからなくなった。民主主義という名の光の一光線をむしろ暗闇の中に生きる(けれども特に光を求めているわけでもない)人々の目に無理やりその光を照らし込むことこそが(逆にその人々を盲者にするだけにせよ)正しい活用法であると考えた連中が主導権を握った時期すらあった。
そして、それらの試みは悉く失敗しただけに終わった。今、バイデン政権の惨憺たるアフガニスタンからの撤退に際して、我々はアメリカが発する光がどんどんと弱まり、消え失せんとしている様を目の当たりにしている。一体、かの国に何が起きてしまったのか。

 20世紀のアメリカ合衆国ほど、「偉大さGreatness」に固執した国家はなかった。この「偉大さ」はともすれば排他的な「唯一絶対性」にも取られかねない危険をはらんだものではあったが、そうであってもアメリカ国民を、そして世界中の人間を惹きつける強烈なマントラであった。
貧困と人種差別の撲滅と、それを実現するための巨大な福祉国家の建設を目指したリンドン・ジョンソン第36代大統領の「偉大な社会Great Society」計画は明らかにソ連を意識し、それを超えて世界で最良の国家を目指さんとする試みであったし、公民権運動を率いたキング牧師も愛国主義者の立場からこの計画を全面的に支持した。
そして、64年の大統領選挙において共和党候補のバリー・ゴールドウォーターを支持する応援演説において、特にジョンソンの福祉国家案を強く批判したレーガンですら、大統領に就任して以降は特に反人種差別を遂行した60年代の諸政策をアメリカのみに取れる政治選択であるとして、ソ連に対して誇りその優位を主張した。

繰り返すが、まことに20世紀のアメリカ合衆国ほど、保革の差異を超えて「偉大さ」に固執した国家は、歴史上他に存在しなかった。そして、激しい人種差別やベトナム戦争における屈辱とそれに伴う社会の大混乱、70年代後半のカーター政権期における惨憺たる数々の外交政策の失敗を経てもなお、アメリカはそれらを乗り越えていった。そしてついに、80年代においてロナルド・レーガンという類稀なるカリスマを得たアメリカはそれらを乗り越えてソ連を打倒し、上に挙げた退任演説においてレーガンに「我々の精神は復活したOur spirit is back」と言わしめた。

 皮肉なことに、バイデン大統領が誕生した際に、大統領本人や大半のメディアは似たような「アメリカは復活したAmerica is back」というフレーズを、トランプ打倒に欣喜雀躍しながら使っていた。
まるで、カーター政権打倒後にレーガン政権下で共和党がしていたかのように。
しかしながら、すでにバイデンこそが21世紀のカーターになりつつある。そしてそのアメリカにもたらす甚大なダメージは、おそらくカーターがもたらしたそれとは比にならないだろう。

 ともかくも、かつて20世紀アメリカにおいて、「偉大なGreat」という形容詞とその名詞化は、決して使用を憚られるものでも何でもなかった。
むしろリベラル・革新の側の方がジョンソン政権の例に見られるように、積極的に使用したものであった。しかしながら、今やこれらの単語は(特にトランプ以後)ポリティカリー・インコレクトなものとすら見なされている。かつて公民権運動やキング牧師に見られた何らかの宗教的愛国心は、BLMのような新たな反差別運動には見るべくもない。
むしろ、「アメリカの偉大さ」を自己否定することの方が、同国におけるリべラル左派の共通信条とすら、なりつつある。かつて、アメリカの偉大さに寄与するためになされていた反人種差別運動は、全く異なるものとなってしまった。


 筆者には、ここに現代アメリカが抱える諸病理の象徴が思えてならない。思うに、20世紀後半の冷戦期において、人種差別の克服や屈辱的な敗戦の克服といった「進歩」は、アメリカという国家が自己肯定を行い、より強大化していく上での神話形成の一端を担っていたのである。
しかしながら、冷戦以後、特に21世紀に入って破滅的な「対テロ戦争」に突き進んでいって以来、これらの「進歩」は(特にLGBTなどのマイナー・シングルイシューの政治における最重要化などをもって)どんどんと空回りしていったと言わざるを得ない。
そしてこれらの「進歩」は、BLMに典型的に見られるように、もはやアメリカ国家の自己否定と弱体化のための手段でしかなくなった。かつてソ連に対する優位を主張するために利用された公民権運動の成果は、今やBLM跳梁跋扈するアメリカに対する中国の安定性と優位性を際立たせる格好の宣伝材料でしかない。

 党派対立に関しても同様である。60年代、ケネディ・ジョンソンの両大統領の下でかつての南部政党としての性格を完全に脱した民主党は、人種差別撤廃・福祉国家建設・大きな政府の三本柱をもってアメリカにおける「リベラル」の性格を決定的に規定した。
そしてそれに対応するかのように、共和党は(アメリカの)保守政党としての性格を強め、反−反差別・反福祉国家・小さな政府を掲げる政党となっていった。両者の隔たりは大きく、特に福祉国家のイシューは冷戦期の両者の対立の重要なファクターであり続けた。
しかしながら、そのような重大な差異がありながらも、ソ連という敵を打倒する上で国民は党派の垣根を超えて団結できた。

今や、これらの差異はアメリカ国家内における激しい州間対立、連邦政府と野党派州政府の対立要因でしかない。文化戦争は収まるところを知らず、文字通りの戦争になるのも時間の問題であるという空気すら漂う。そして何より、保革の両者が「自由世界の盟主」であり続けることにほとんど興味を見出していない今、中国という甚大な脅威を目の当たりにしても、両党派が団結する理由は何もないに等しいのですらある。
惨憺たるアフガニスタン撤退の光景は、その証左に他ならない。合衆国が台湾を見捨てるのも、残念ながら時間の問題であろう。
そしておそらく大半の米国民は、その事実を何とも思わないようになるだろう。


 上に羅列した事項は、「米国の世紀」がほぼその完全な終焉に近づいていることの、これ以上ない証左である。空高くそびえる摩天楼の輝きをアメリカが世界に見せつけてきた20世紀は、誰もがアメリカに夢を見た時代であった。
もはや、そのような夢をアメリカにみる人間は、ほとんどいない。「丘の上に輝く町」は文字通り、腐壊し始めている。
それらの摩天楼が苔に覆われるのも、時間の問題だろう。我々が目の当たりにしているのは、「諸行無常」の響きと、その儚さである。我が国がこの町の光に何らかの救いと希望を見出さんと試み続けることの可能な時間は、極めて限られている。

この事実を正面から受け止めて行動する勇気と気概が我が国には求められている。

かつて栄華を極めた武帝曹操支配下の曹魏の都城も、盛唐の時代には廃墟と化していたところを詩人に悲嘆をもって詠まれていたように、あらゆる盛者は朽ちゆく定めにあるのだから。



親民社論説委員 アウグスト・ジグムント


1唐詩選(上)、岩波文庫、2017、161-163頁
2https://www.reaganlibrary.gov/archives/speech/farewell-address-nation