親民社

後期ゆとり世代の一所感

遥かなるカンダハールに寄せて
令和三年七月十二日
アウグスト・ジグムント

 21世紀の最初の20年間とは、世界的な「テロとの戦い」の時代であった。9.11以降、世界は常に抽象的で不透明な「戦争」状態にあり続けた。あるときにおいては、この「戦争」は永遠に続くかのように思われた時期すらあった。しかしながら、今20年の年月を経て、この時代が終わらんとしている。この事実を我々はどのように考えれば良いのだろうか。そして何より、物心ついて以降、今までの人生の大半の年月をこの「戦争」とともに過ごしてきた、筆者を含む我々「後期ゆとり世代」は今、何を認識し、どこへ向かっていくべきなのだろうか。本稿においては、そのあたりのことを少し分析し、考えたいと思う。
 9.11の日、世界貿易センターに旅客機が突入した日のこと、そしてその映像の原型のようなものが、筆者の脳裏には朧げながらも明確に残っている。それはまだ筆者が物心ついて間もない子供の頃のことであった。妙に眠れない晩に目が覚めて、明かりのついているリビングへ出るとそこでは父親がテレビを食い入るように眺めていた。モニターには、特に面白みもないデザインのビルの一部が焼けただれ、そこから黒煙が上がっている映像が映し出されていた。父は入ってきた私を認めると、一言「大変なことになったぞ・・」とだけ、口を開いた。

 無論、この記憶が正確なものであるという保証はできない。なにせ、20年近く前のことである。筆者の構想力が色付け、補正し、編集した上で残っている記憶に過ぎないかもしれない。しかしながら、明確に言えるのは、筆者の政治意識の原像にある光景が上記の記憶である、ということである。9.11は、筆者が子供ながらに初めて明確に「政治」というものに接した瞬間であった。そしてそれ以来、「政治」は常に亡霊のように筆者につきまとい、ふとした時に必ず意識の上へと浮かび上がってくるのであった。

 ジョージ・W・ブッシュ以来、長きにわたってアメリカ合衆国という国家は明らかに嫌悪の対象であった。その感情は何も、昭和の意識の高い学生たちが『資本論』を読み漁り、ナイーブで(バカな)な若年時代に周囲から影響されて真実に「気づき」、「悪しき米帝」を打倒すべし、と考えるようになっていったようなものほど成熟したものではない。もっと直感的なレベルの嫌悪。それはまた、「反戦平和」の理念に則った高尚な感情でもなかった。いうなれば、もっと単純な、なぜ余所者たちがずっと別の国に居座っているのだ、というような不快感だったように思う。一体何を根拠として、何を理由に彼らがずっと他国を占領し続けるのか。なぜそこの兵士たちは嬉々としてそのために死んでいくのか。それがずっと理解できないままであった。
 思えば、2009年にはイラクからの撤退を明言したオバマに大いなる期待をかけ、しかしながら変わらず様々なネオコン戦争を続けた彼に失望し、それをひっくり返すかのように登場したトランプに熱狂し、元来民主党系のネオコンであったにも拘らず最終的には理性的な判断を下してアフガニスタンから撤退する判断を下しているバイデンに敬意を覚える筆者のこれまでの政治意識の変遷は、20年前の9.11の原像に規定されていたのだろう。

 では、20年前に本格的に開始され、そして今まさに終わらんとしている「テロとの戦い」とは、一体なんだったのだろうか。冷戦の終焉とともに、資本主義世界の「外部」は消失した。それは「資本主義・自由民主主義」のセットが世界全体を覆い尽くすことを意味していた。しかもそのセットは冷戦期の西側世界におけるように社会保守主義によって抑制されたものではなく、むしろ別の形でマルクス主義を取り込んだものであった。その最たるものは「反差別と多様性」である。冷戦期においては、資本主義の「外部」が東側世界であるならば、マルクス主義という「徹底された近代」の「外部」にある、保守主義によって「抑制された近代」が西側世界に他ならなかった。しかしながら、皮肉ながらも西側世界が勝利したはずのポスト冷戦期は、「抑制された近代」が消え失せ、「徹底された近代」が全面化して行く時代であったジョージ・H・ブッシュのような政治家たちが担っていた新保守主義・ネオコンサバティズムは、そのような近代の全地球化、すなわちグローバリズムの尖兵に他ならなかった。
そして90年代という時代は、そのような全地球の近代化が問題なくなされるだろうという楽観的な期待に満ちた時代であったに違いない。


 しかしながら、2001年に突如としてその楽観的なムードを打ち破ることが起きた。9.11である。ほとんどの「外部」が地球上から消滅しつつあったときに、過激なイスラーム主義という、近代以来誰も見たことのなかったような、近代そのものに対する「外部」が登場し、「徹底された近代」であるアメリカ合衆国の心臓部に破壊的な攻撃を仕掛けたのである。そこから当時のブッシュ大統領の下アメリカ合衆国はこの「外部」を徹底的に抑圧し、消滅させるべく「対テロ戦争」に突き進んでいく。

 指摘されねばならない重要な事実は、「対テロ戦争」がテロと同等、もしくはそれ以上に、「民主主義の敵」を消滅させるための戦争である側面があったことである。その敵は何もタリバンやアルカイダのような完全に近代の外部にある統治システムに限られず、イラクのフセイン政権、シリアのアサド政権、そしてリビヤのカダフィ政権のような明らかに近代的な独裁国家もそこには含まれていたのだった。かつて共和党ネオコン派の代表格であったマケイン上院議員が「イラク侵攻を躊躇するのはヒトラーとの戦争を躊躇したチェンバレンと同じことだ」と言っていたのは、その事実を象徴しているだろう。そして、それらの国家の独裁体制を崩壊させることに、アメリカは少なからず成功したことは事実である。イラクに関しても、のちにISなど新たな敵が出現したりしたが、それらを抑え込むことには概ね成功した。その上で、イラクにおける「民主主義」の注入も、大方うまく行ったと言っても差し支えない。しかし、アフガニスタンに関してはそうではなかった。
 テロの本丸であり、「民主主義の敵」の中心地であるタリバン支配下のアフガニスタンは、前述の独裁国家らとは根本的に異なる統治システムを備えていた。法体系から警察から何まで、あらゆる統治システムは完全に前近代的であり、不義を犯した女性は石打を持って処刑されるなど、まるで古代の中東地域に時代が巻き戻されたかのようであった。「主権」概念が存在しない以上、民主主義や国民国家やらが誕生する土壌は皆無であり、統治の基幹は唯一、イスラム教の法学と神学のみであった。そしてアフガニスタンの多数派を占めるパシュトゥーン人たちはそれをほとんど問題としなかったのである。山岳民族の特徴だろうか、国民国家がなくとも生活することのできるシステムを確立していた彼らにとっては、むしろタリバンの支配の方が好都合ですらあった。ナショナリズムのような最低限の近代性すらないこの国へと、アメリカは大々的に攻撃を仕掛けていった。しかしながら、たとえオサマ・ビンラディンを殺そうが何をしようが、状況は一向に好転しなかった。アメリカ合衆国も、アメリカによって構築された「民主的」な新政府も、タリバンの支持基盤であるパシュトゥーン人たちからすれば自らの生活慣習を破壊しにきた侵略者でしかなかった。それゆえ多くのパシュトゥーン人たちがアメリカを敵視する状況は変わらず、いたずらに損害だけが積み重なって行った。そしてついに、アメリカは音を上げた。

 ポスト冷戦期そのものである「平成」という時代は、3つの時期に分けられると思う。最初の10年は、冒頭に述べたように全地球が問題なく全面的・徹底的に近代化するであろうと無邪気に考えられていた時期。次の10年は、突如として現れた「前近代」という名の「外部」からの攻撃を受けて、それに応える形でその「外部」を徹底的に抑圧・消滅させようとする時期。そして最後の10年間は、その試みが崩壊していき、最終的には近代がおそらく19世紀以来初めて、明確に前近代に敗北を喫する時期である。
 この事実は、深刻な重みを持って認識されなければならないように思われる。なぜなら、繰り返すように近代史上初めて近代原理が前近代原理に明確かつ完全な敗北を喫する瞬間を、我々は目の当たりにしているからである。アフガニスタンにアメリカが侵攻した理由の一つに、「女性の権利の抑圧」があったことは、周知の事実であろう。このことからわかるのは、今や国民国家が大嫌いなリベラル左派ですら、「反差別」も国民国家を含む近代性がなければ成り立たないという絶対的な事実である。タリバンは、こういったあらゆる近代的原理を拒否する。そして、彼らが明確に近代主義の前衛党とも言えるアメリカに対して勝利を収めたのである。これは凄まじく大きな重みを持つ、歴史的瞬間である。
なぜなら、アフガニスタンから「無条件に」全面的に撤退することをもって、事実上アメリカはタリバンに対し、「自由に女性を差別していい」と言っているからである。今やリベラル左派の金科玉条となっている「平等(その内実が極めて「不平等」なものであるにせよ)」は、完全に打ち破られてしまった。

 それだけではない。近代以降その「普遍性」をもって圧倒的な優位と影響力を誇ってきた「民主主義」という名の統治システムも、今やその根幹を揺るがされている。もともと民主主義の圧倒的な力の源泉は、「意見を異にする人間でも立場を代表することが可能である」という事実、もしくはそのような事実があると信じられた神話であった。
しかしながら、タリバンはアフガン政府のそのような民主主義の利点をもって自らの統治機構に組み込もうとする試みも、徹底的に拒否する。当然だろう、マジョリティであるパシュトゥーン人を支持基盤としているタリバンがわざわざ自分たちの権限を制限するようなシステムに進んで参画する理由など、どこにもないのである。この現実を前に、アメリカ合衆国も、アメリカの出先機関であるアフガン政府も、途方に暮れている。そしてアメリカにはもはやそれをどうにかする気もない。これはとんでもない出来事である。

 今アフガニスタンにおいてタリバンが世界に対して突きつけているのは、近代性というものが決して絶対的な勝者でも普遍的に受け入れられうる原理でもなんでもない、という冷厳な現実である。この意味において、我々は今現在、巨大な歴史の転換点に立っていることは、間違いないだろう。近代原理の想像以上の脆さを、我々は今目の当たりにしている。

 であるからこそ、この事実を真摯に正面から見据え、そのことをしっかりと受け止めた上で、今後どのように我が国が未来を切り開いていくべきか、真剣に考えなければならないように、筆者には思われる。
歴史の中を生きるとは、今現在の出来事の歴史的意味を真剣に解釈し、分析することに他ならない。
 はっきり言う。これをすることの方が、何の役にも立たない、下らない「大反省会」に熱中するよりも、はるかに有益であり、必要性があると。それがある「世代」に突きつけられている問題であるならば、尚更である。



アウグスト・ジグムント