【連載企画】英国移民コミュニティーにおけるヒンドゥー・マジョリティとムスリム・マイノリティの相克【第一回】
第一回 内政と市長
令和三年七月七日
アウグスト・ジグムント
序に代えて
英国とは、近代以来「統治」に特化してきた国家である。「ディヴィデ・エト・インペラーDivide et Impera」とは、ラテン語で「分割して統治せよ」の意であるが、これは古代ローマ帝国において帝国の統治の基本方針であった。「帝国」を維持する最も簡単な方法は、支配下にある人間同士を対立させるものであるということを、ラテン人は見抜いていた。
近代英国は、かつて人類史上存在せず、そしておそらく今後も存在し得ないような規模の巨大帝国を建造するにあたって、古代ローマ帝国の統治方法から学び、そしてそれを悪くどいまでに徹底させた。その統治の一番の被害者が、他ならぬインドとパキスタンである。
両国は英国からの独立に際して血みどろの戦いを繰り広げ、将来長きに渡る禍根を残した。その原因を作ったのが、分割統治をもってしてヒンドゥー教徒たちとムスリムの間に対立を生み出した英国であったことは、否定しようがない。
とはいえ、両国の独立に際して最後のインド総督であったルイス・マウントバッテン伯爵の頭を最も悩ませたのは、頑なにパキスタンの分離独立を主張した初代パキスタン総督のムハンマド・ジンナーであったことも、事実として指摘されねばならない。ジンナーの強硬姿勢を前にしたマウントバッテンは統一インドの独立構想を諦め、ガンジーのみが締め出された場でネルー・ジンナーらとともに両国の分離独立で合意した1。
ガンディーの意志に反する形での分離独立に突き進んだジンナーのこの強硬姿勢が、その後の両国民の様々な分野や場所における対立の遠因となったように、筆者には思えてならない。英連邦に所属する両国の国民の多くは戦後、連邦構成員の権利に則り英国に移住した。
現在、両国の移住者の子孫は2世・3世となって英国に在住しているが、皮肉にも、両系移民の関係は「分割統治」時の関係を引き継いでいるように思われる。そしてインドという「強者」に対するある種のパラノイアに突き動かされるようにして如何なる手段も辞さないという、自称「弱者」パキスタンの外交の根幹にある態度は、残念ながら現在の英国におけるパキスタン系移民にも共通しているように思えてならない。
異色の女性内相
筆者が前回のリース=モグ院内総務に関する記事において指摘している通り、現英国女王陛下政府の第2次ジョンソン政権・内閣主要4閣僚Great Offices of State(首相・財務相・内相・外相)は、おしなべて若齢である。60歳以上の閣僚は1人もおらず、なんと財務相であるリシ・スナクに至っては41歳という、実質的に首相の次に重要な閣僚の年齢としては通常考えにくい速さでの出世を果たしている。
しかし、現内閣の異色さは年齢にとどまらない。なんと4閣僚のうち財務相および内相の両者は、インド系移民の子孫である。すなわち、現英政府内閣の主要閣僚の半数はインド系移民である、ということになる。この事実は、現在の英国保守党にヒンドゥー・ロビーがいかに大きな影響力をもっているか、ということを如実に示している。
前回記事に書いた通り、ジョンソン政権以降、英保守党は明確に「保守化」しているが、このような人事もその傾向に影響を与えていると考えられる。
というのも、例えば前述のリシ・スナクが財務相に任命される以前に同職を務めていたのはパキスタン系移民のサジド・ジャヴィドであったが、彼は第1次ジョンソン政権の終焉と第2次ジョンソン政権への内閣改造にあたり、首相との方針の相違から辞任を申し出ており、この内閣改造とともに政権は急速に保守化しているからである2。とりわけ現内相であるプリティ・パテルPriti Patel(49)はインド系保守派の代表格であり、前回紹介したリース=モグにも劣らぬ強硬保守派である。
その点において、彼女は英国移民コミュニティーにおけるヒンドゥー・マジョリティの好例であると言えよう。
プリティ・スシル・パテル(The Right Honourable – Priti Sushil Patel MP)は1972年にロンドンで生まれ、エセックス大学を卒業した。91年に保守党に入党、2010年に保守党候補としてエセックス州ウィザム選挙区から出馬して当選する。2016年のブレクジット国民投票において離脱派として活動し、2019年には前述のように内相に任命されて今に至る。
パテルの政治的立場は、繰り返しになるが端的に言って強硬保守派のものである。離脱投票に際しては保守党内において移民規制を訴える旗振り役となり、それもあってかジョンソン政権においては出入国問題を管轄する内相に任命されている3。またリース=モグなどと同様、同性婚に対しては反対する立場を明確にとっており、キャメロン政権下でなされた同性婚合法化法案の採決に際しては、反対票を投じている4。
とはいえ、恐らくパテルの政治的立場で最も興味深いのは彼女自身のアイデンティティを巡るものであろう。英国においてはよく非白人系の政治家は「黒人もしくはマイノリティ・エスニシティに属する者」BME(Black and Minority Ethnic)というカテゴリーに入れられるが、パテルはこのようなカテゴリーに括られることを、自身の英国人性を無視するために「侮蔑的」である、として拒否している5。パテルを「ヒンドゥー・マジョリティ」と筆者が呼称するのは、このためである。すなわち、パテルはよくリベラル左派が無条件に行う移民の「マイノリティ化」を拒否し、マジョリティに属することを選択する立場をとっているのである。彼女の保守的立場はここにおいて最も象徴的に現れている、と言えよう。
「市民の申し子」としてのロンドン市長
2016年より現在二期目を務めている現ロンドン市長であるサディク・カーン(The Right Honourable - Sadiq Aman Khan)は、現首相であるジョンソン氏がロンドン市長を退任したのに伴い、市長に選出された。1970年にパキスタン移民の子孫として生まれ、法曹としてのキャリアを経て2005年に労働党から出馬して国会議員となった。
その後10年近くの代議士としての期間を経て、現在の市長職に至る。
カーンの政治的立場は、端的に言って左翼リベラリズムである。そして自らのアイデンティティに基づいて「イスラモフォビア」に対抗する反差別的な市長、というのが彼の基本的な自己イメージである。イギリスのEU離脱に強硬に反対し、トランプ前大統領に対して徹底的に批判的な姿勢をとるなどのカーンの市長としての第一期の活躍は、ロンドンのリベラル層が自らのリーダーに求める姿勢そのものであった6。離脱派のキャンペーンを「キャンペーン・ヘイト」と呼び、トランプ前大統領の入国を阻止するべきだなどと唱えたカーンは英米の保守派に強く敵視され、2010年代後半の英米両国において保守派が政権を握っていた時期にリベラル左派の最右翼として名を馳せた。
カーンは自らが「マイノリティ」の側にあることを強調するためであれば、自らのムスリムとしてのアイデンティティを希薄化させかねないことであっても躊躇なく行う。例えば2013年の同性婚合法化法案には、カーンは一部のムスリムから強い批判を受けながらも賛成票を投じている。カーンは自らの移民の子孫としてのアイデンティティ、またムスリムとしてのアイデンティティを「マイノリティ」であることを強調するためにしか、そして、そのアイデンティティをもって保守的な政策に反対するためにしか利用していないように思われる。
内相と市長
以上が、現英国における2人の有力なそれぞれインド系およびパキスタン系移民の政治家の紹介である。この両者が示すのは、現在の英国において保守においてはインド系移民が、革新においてはパキスタン系移民が大きな影響力をもっている、ということである。
その構図は、まるで印・パ両国の何十年にも渡る対立がそのまま英国に持ち込まれているかのようですらある。次回の記事においては、特に革新派に大きな影響を与えるパキスタン・ロビーが関わることになった英国政界における大きなスキャンダルを取り上げたい。
アウグスト・ジグムント
1Ziegler, Philip (1985). Mountbatten: The Official Biography. London: HarperCollins. ISBN 978-0-00-216543-3.
2https://www.theguardian.com/politics/2020/feb/13/sajid-javid-resigns-as-chancellor-amid-boris-johnson-reshuffle
3https://www.thetimes.co.uk/article/boris-johnson-goes-to-work-as-prime-minister-nh55w33c0
4https://www.bbc.com/news/uk-politics-21346694
5https://www.bbc.com/news/uk-politics-43350527
6https://www.theguardian.com/us-news/2019/jun/01/donald-trump-state-visit-red-carpet-unbritish