親民社

【書評】保守主義者たるとは  

ロジャー・スクルートン著『保守主義者たるとは何か』(2014)評
令和三年五月九日
アウグスト・ジグムント


序論

本書評は、イギリスにおいて保守党の政策決定に大きな影響力を及ぼした故ロジャー・スクルートン教授の保守思想が、本人によって簡潔にまとめられた『保守主義者たるとは何か(原題:How to be a conservative)』を取り上げたものである。
教授は英国本国において大きな知名度と高い名声を誇り、死に際しては現在のイギリス首相・ジョンソン氏をはじめとして多くの有力保守党政治家が追悼コメントを出したにも関わらず、本邦における関心は低く、メディアに取り上げられることはほとんどなかった。
拙稿は、そのような状況下において、少しでもこの現代イギリスにおける保守主義の大物を本邦に紹介せんとする試みの一環として、今回筆者が執筆した次第である。

まず、スクルートン教授の簡単な人物紹介をさせて頂きたい。教授はその功績に応じて英国政府よりナイト爵位、チェコ・ポーランド・ハンガリー政府より勲章を受勲しているが、ここに彼の2つの顔を見出すことができる。
一つは英語圏において評価された優れた美学者としてのものであり、もう一つは東欧諸国において高く評価された保守主義の思想家、というものである。拙稿において重要となるのは教授の後者の顔であるが、そのような評価を教授が確立するに至るまでの道のりは次のようなものである。
1944年、イギリス・イングランドのリンカンシャー州のバスリングソープに生まれた教授は、同時期において典型的であった、イングランド北東部の社会主義的信条を持つ労働者の家庭に生まれ育った。大学時代においてフランス・パリに留学した教授は1968年の学生運動を目撃し、それに強い反発を覚えて自身の保守主義的性向を意識するようになる。1971年からロンドン大学のバークベック・カレッジにおいて美学の教員として教鞭を執る傍ら、保守主義の知識人として様々な活動を展開するようになり、80年代においてはチェコを中心として、東欧の知識人反共グループと接点を持つようになる。これらの活動が評価されて、冷戦終結後に前述の受勲に至るのである。
90年代以降は主に英米を行き来しながら様々な言論・研究活動を行い、2010年代には一時期イギリス保守党の顧問にも任命されている。2019年、癌により永眠し、前述のように多くの著名人から追悼コメントが寄せられた。

Roger Scruton: Conservative thinker dies at 75

本論

さて、以上の紹介を行った上で本書そのものの論評に入りたい。
まず第1章「これまでの旅路」に関して触れておきたい興味深い部分は、教授が自身の父について述べるところである。教授の父は冷戦期のイングランド北東部に典型的な労働党支持者であり、社会主義者であった。それゆえ保守党を嫌悪し、貴族層は皆打倒されなければならないと考えていたが、同時にノルマン・コンクエスト以前の「古きイングランド」、すなわち汚される以前の自らの住む土地に深い愛着を覚えていたという。景観保護活動に精力的に参加し、郷土詩人の詩歌を愛吟したという父の姿は、教授によれば極めて保守的なものであった。ここに2019年の英国総選挙において、大挙して保守党を支持したイングランドの労働者階層の姿を見出すことは困難ではないだろう。
この父の姿に自らの保守主義の源流を見出した教授は、冒頭に述べた自らの生涯を語る。その中で重要な契機となるのは、冒頭にも述べた冷戦末期のチェコはプラハにおいて行なった講演である。教授はそこで「打ちのめされたプラハのインテリゲンチャの成れの果て」の姿を見て、彼らに尽くさねばならないと決意する。そうして教授は強固な東欧における反共知識人のコミュニティを形成するのである。 以降は冒頭に述べた教授の生涯を詳しく述べたものであるので、割愛する。

 

第2章「我が家から始めて」においては「一人称複数(first-person-plural)」の感覚が保守主義の真髄である、という議論が中心に据えられる。
本章において教授は、まずアダム・スミスの『国富論』における議論を批判し、全てを市場経済に還元しようとする試みは社会主義的な計画経済の試みと何ら変わらない、と断ずる。その上でスミスの議論に対抗する形でエドマンド・バークを引き合いに出し、社会とはトップダウンの計画ではなく、下からの漸次的形成によって発展していくものだ、と主張する。ここに教授の「社会保守主義者(social-conservative)」としての姿を見出すことができよう。
英国特有の、リバタリアニズムには全面的に賛同し得ない反新自由主義的な保守主義者の姿である。
次に教授は啓蒙期における社会契約説を批判し、それが「一人称単数(first-person-singular)」の立場に過ぎないと断ずる。何故ならば、教授によれば社会契約を前提とする「社会」には、契約能力の無い死者や未生者は含まれ得ないからである。教授は社会契約ではなく、「社会員(membership)」であることこそが、社会を構成する柱であると主張し、死者も未生者も参与可能な社会財産権こそが社会を維持するのに必要なものであるとする。
その上で教授はこの社会員概念を持たない社会主義者たちを強く批判し、彼らには一人称複数の感覚がない、と主張する。

 

この第2章における「一人称複数」の議論は、次章に引き継がれる。第3章「ナショナリズムの本質」において、教授はナショナリズムと保守主義がどのような関係にあるかを論ずる。この章において教授は(元来左翼思想である)イデオロギーとしてのナショナリズムの「危険性」を認めた上で、保守主義的な観点から「国民(nation)」が何であるかを、次のように説明する。
すなわち、庶民からすればそれは単に「一人称複数」の前提の上で成り立つ、歴史的に成立した隣人たちによって構成される集合体以外の何物でもないのである、と。この説明と定義を前提として教授は、近代的・世俗的原理としてのナショナリズムを、民主主義を成り立たせるために必要不可欠な原理として擁護する。すなわち、教授によれば前近代的・宗教的な共同体意識では一定程度の隣人意識を作り出すことは可能であるが、しかし同時に異なる宗教間での対立をも生み出すがゆえに、国民統合のためには、国民が総体として同意するところの世俗的な法と立法体系、すなわち民主主義が必要なのである。
このような議論を行った上で教授は欧州連合(EU)に懐疑の目を向けて以下のように疑義を呈する。すなわち、欧州連合は第二次大戦以降に「危険な」ナショナリズムを克服する手段として生み出されたが、果たしてそれはナショナリズムに代わる何らかの「一人称複数」の感覚を作り出すことに成功したのか、と。教授は明確に否、と答えた上で、国民の同意ではなく条約によって成立した連合は、その立法と法体系の正当性に関して常に疑義を突きつけられている、と主張する。
上記のような強いEU批判を行った上で、教授は再び民主主義と国民(国家)の強い結びつきを論じる。
前章に引き続き教授は人間同士の繋がりとは「隣人」である感覚を持つこと(neighbourliness)であるとして、この感覚を維持するには「境界線」が必要である、と主張する。というのも、教授によれば民主主義及び国民国家と三位一体の関係にある境界線、すなわち国境は、我々を囲む法体系がどこの馬の骨かもわからないトランス・ナショナルな官僚機構ではなく、我々自身によって形成されているのだと感じるために必要不可欠だからなのである。そしてこのような主張を行った上で、教授はしばしば批判される「国民の神話」を一種の必要悪であるとして、「高貴な虚構」と呼称することで擁護する。
上記のような教授の主張は、2000年前後以降、特に本邦において盛んに唱えられた「ポスト・国民国家」論や、現在における欧州連合のジレンマを鋭く炙り出している、と言えよう[1]。何らかの「公共圏」を形成することはいかなる政治体系を作る上でも必須のものであるが、冷戦後に盛んに唱えられた「国民国家の終焉」の議論とそれに基づいて唱えられた「トランス・ナショナルな市民」の理論をもとに形成された欧州連合は当初は期待の眼差しを持って眺められていた。
しかしながら、果たして結果的にこの連合は互いを皆隣人と感じる「EU市民」の形成に成功したのだろうか。筆者には、現在の欧州連合の姿を見る限り、とてもそうは思えない。むしろ、誰に主権が帰属するか、ということに関して常に国民国家と欧州委員会・欧州議会の間で衝突が起きている状況を見ると、完全に失敗したように思われてならない。その意味でも、教授の指摘は傾聴に値するだろう。

 

上記の「国民」概念に関する議論を行ったのちに、教授は経済システムに関する議論を行う。
第4章「社会主義の本質」において、スクルートン教授はまずリバタリアニズムに近い立場からの社会主義批判を展開する。その要点は、国家(権力)の限界なき肥大化と、国家財政への過度な負担という二つの要素に対する批判である。これらは典型的な英米の自由主義的保守派の見方であり、MMTなどに理解を示すことのできる我が国の一部の保守派とは立場が明確に異なるといえよう。このようなリバタリアン的立場に基づく社会主義批判が確かに国家権力の肥大化を警告する役目を果たしていることは事実であり、傾聴に値するものであることは間違いない。
しかしながら同時に、この立場に基づく国家財政の肥大化に対する批判は、(例えば現在の米国に見られるように)コロナ禍のような緊急事態において必要となる即座かつ迅速な財政出場に対しても教条主義的な反発になりかねない可能性がある。さらにこの立場の大きな問題点は、明確にマルクス主義的イデオロギーとは一線を画するケインズ経済学をも「社会主義」として一括りにしてしまう傾向にあることである。このことからも、英米のリバタリアン的立場は例えば我が国における社会保守主義とは相容れないものであることは明らかだろう。
以上のような大きな問題点をはらんでいるとはいえ、興味深いのはその次に教授が展開する社会主義における平等至上主義に対する批判だろう。教授はこの中で「(社会主義におけるゼロサム的な見方は)怪我を負わされたことではなく、失望から生じる。その見方は常にルサンチマンを掻き立てるような、(自身とは)対照的な成功者を探し求めるのである」と述べる。その上で国家権力が生み出す平等ではなく、慈善の精神こそが調和的社会状態を生み出すことができるのだ、と説く。
上記のような教授の見方は、英米において広く受け入れられている古典的自由主義の考え方と、そこから生じるリバタリアニズム的保守主義の考え方に忠実に則ったものである。しかし単にそれのみならず、そこには英国社会の階級体系の擁護という側面があることも忘れてはならない。というのも、米国の保守主義と異なって、英国の保守主義には、貴族階層のノブレス・オブリージュこそ英国を偉大たらしめているのだ、という意識が明確にあるからである。この保守主義は、資本主義によって誕生したブルジョワ階層の、社会主義的な階級闘争に反対する手段としての保守主義、などというものとは大きく異なることは述べておかねばならない。それは前近代な階級社会の擁護であり、王権を制限するアリストクラシーが英国政治を形作ってきたという伝統を踏まえたものである。ここに、そもそもフランスのように近代的で「平等」な市民社会を前提としない英国の保守主義の真髄を見ることは不可能ではないだろう。