親民社

【座談会】文化政策の今日と明日

2020年秋口某日

京都某所で三人の若手研究者がつどった。

普段であれば酒席でも設けるのであろうが、どうやら今日は違うようだ。

4万字を越す長編の座談会だが、ぜひとも、文章量に屈せずお読み頂きたい。

以下、本文

 

山内雁琳 親民社總裁(元名も無き市民の会関西支部支部長)
吉川弘晃 総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程 日本学術振興会特別研究員
鈴木健吾 東京大学総合文化研究科博士課程 日本学術振興会特別研究員

※吉川先生と鈴木先生は団体外部からの専門家ゲストです

令和三年五月八日
名も無き市民の会機関紙『新世紀ニューディール第4号』(名も無き市民の会、2021年1月23日)より転載

第一部 

 

雁琳(以下、雁): 皆さんこんにちは。名も無き市民の会関西支部長の永觀堂雁林です。今日は文化政策の今日と明日について考えていくという座談会を収録させて頂いております。ゲストとしてお呼びしたのは次のお二人でございます。お一人は吉川弘晃先生です。よろしくお願いします。 

 吉川弘晃(以下、吉): よろしくお願いいたします。

 雁: もう一人は、鈴木健吾先生です。よろしくお願いします。 

 鈴木健吾(以下、鈴): よろしくお願いいたします。 

 雁: 最初にそれぞれの自己紹介からしていただきましょうか。吉川先生お願いします。 

 吉: ご紹介にあずかりました吉川です。総合研究大学院大学文化科学研究科というところで大学院生をやっています。また日本学術振興会の特別研究員(DC1)を兼ねております。博士論文で主に扱っているのは、戦間期の日本とソ連の文化交流並びに当時の世界におけるソ連イメージの形成史です。よろしくお願いします。 

 雁: よろしくお願いします。では鈴木先生お願いします。 

 鈴: 東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程、鈴木健吾と申します。日本学術振興会特別研究員も兼ねております。高度経済成長期を中心に、戦後日本の考古学史・史学史、もう少し広げて科学運動史みたいなものを専門にしています。小熊英二さんのような研究と思って頂いて結構です。私自身が学歴的に歴史学と文化政策学の学位を学士と修士でそれぞれとっていることと、文化財、特に考古学の歴史は戦後の埋蔵文化財に関わる制度とか行政を見なければいけないということで、文化財政策はお話できるかもしれない、と思っております。力不足ではありますが、よろしくおねがいいたします。

 雁: お願いいたします。お二人は文化財政策についての内外の専門家であるわけでございます。吉川先生は海外と日本の国際文化交流史を専門にされており、それに関係して海外の文化外交・文化政策、とりわけ日ソ関係におけるそれについての研究をされていると。鈴木先生は戦後の日本国内における文化財保護や考古学をめぐる文化政策、それをめぐる様々な議論について研究されている。ということでいわば、内の、国内の文化政策についてのご専門ということで、このように私から整理させて頂くのですけれども。昨今、文化政策という分野がですね、色々な所で注目をされているということがございますけれども、一口に言って文化政策とはどういったものなのでしょうか。 

 吉: 国際関係から見た文化政策(文化外交とか広報外交とか様々な呼び方がございますが)というのは、その対象となる国や地域の人々の心や精神を自国の利益に相応しい方向へと向けさせる、もしくはそれに適合させる、そういったものと思ってもらえれば良いでしょう。それはプロパガンダと同じじゃないか、というんですけれども、それについてはおいおいお話できればと思います。 

 鈴: 文化という言葉は定義が難しいように、文化政策という言葉も定義が難しくて。例えば紀元二千六百年とかそういったものを文化政策ではないと言うことはできないと思うんです。ただ、戦後日本という枠組みで考えると 元来、博物館・公民館・図書館のおゆなハコモノと紐付いているもの及び考古学や歴史学的な調査というような、歴史文化政策みたいなものがあったと思うんですが、日本の製造業が斜陽になって「文化で稼ぐ」という話が小泉内閣あたりからだんだん出てくるにつれて、劇場とかアートとか、そういうものの比重が大きくなってきている。2020年における疫病によってそれがどうなっているのかなという状態であると思います。 

 雁: なるほど。そこで国際関係における文化政策というものと国内における文化政策というものの大きな違いと、その接合点というものをお二人の話を伺っていて思いつきました。一つの違いから申し上げると、国際関係においてはやはり外交であるという側面が重視されていく。対して国内においては、博物館・美術館・図書館、あるいは遺跡発掘などの調査、それから文化財保護のような行政的なものというように、文化という言葉は外交や行政という二つの領域に関わる。これが今の話を聞いて、私の理解する所なんですけれども。

 吉: 一つ補足してもよろしいでしょうか。『ソフトパワーのメディア文化政策』(新曜社、2012 年)という本を今日持ってきました。本書の編著者の一人の佐藤卓己先生(彼はメディア史研究を日本で確立した一人です)が今仰ったような国内・国外の文化政策について論じています。彼は国家の行う文化政策について、国内向けのものを「文化政策」、国外向けのものを「メディア政策」に分けています。簡単にまとめれば、まず国内においては基本的に中心の機能としては選別という機能があって日本というものを大事にすると。文化政策だったら高級文化というものを大事にしていく。神社とかお寺とかそういったものですね。その形式はどうなるかというと保護主義となる。 となると、ある種国民国家的なものに収斂していく。これに対してメディア政策っていうものは選別ではなくてむしろ拡散。これはむしろさっき言った文化政策の中の個別的なものを重視するというものではなくて、要は普遍的なものを重視する。多文化主義というようなものですね。対象としては広がりやすいものじゃないといけませんから。ポピュラー文化になったり、新聞雑誌とか博覧会とか流通させやすいものですね。そういったものを実現させるための形式として、自由主義になったりであるとか、あと文化産業になったりだとか、日本においては成功してるかどうかわからないけど「クールジャパン」であるとか。トランスナショナルなものですね。以上の構図をそのまま鵜呑みにしていいかわからないですが、議論の叩き台としては上手くできていると思いますね。 

 雁: なるほど。ということは文化政策と言われているものは選別。こういう言い方をしていいか分からないですが、国粋というか、その国固有の文化なるものを保全し、顕揚していくというような感じになっていくと。同一性を確保していく、もっと言うと民族と国家の同一性を確保していくための政策だということですね。対してメディア政策というものは、拡散。多文化主義的にいろんな国の文化の中で私の国の文化もあるよね、ということを主張していく。 こうなると拡散力が必要なものとしてポピュラーなもの、つまり大衆文化やサブカルチャーといったものが増えていくということがあると思うんです。それが自由主義的に国家をまたいで発信されていく。ちょっと興味深いと思ったのが、同じ文化政策と言っても、これって全く逆のことをやっているわけですよね。 

 吉: 佐藤先生の議論で分かりにくかった点は第一に、対内的な文化政策と対外的なメディア政策の二つがどのように関係するのかということ 。あともう一つは、その国独自の文化を強調する「文化」(ドイツ語でKultur)という概念を国内の文化政策に当てはめ、そうじゃなくてむしろ人類全体が共有する(すべき)普遍性を重視する「文明」(フランス語でcivilisation)を国際的なメディア政策というものに当てはめている。しばしば言及される「文化」対「文明」の二元論は、特に第一次世界大戦期の独仏間のイデオロギー対立を一つの起源とする歴史的なものである以上、その概念の運用には注意及び再検討を要する。これが二つめです。 

 雁: なるほど。大きな違いがあるように見えたけれども、これは一面的な整理用の図式として考えられたものであって必ずしもこの限りではないということですね。 

 吉: そうですね。