親民社

【提言】皇立學術院・皇立文化芸術院 

日本学術会議任命拒否問題は何が「問題」か
令和三年五月八日
親民社總裁 山内雁琳(元名も無き市民の会関西支部長)
名も無き市民の会機関紙『新世紀ニューディール第4号』(名も無き市民の会、2021年1月23日)より転載

令和二年一〇月一日、発足間もない菅義偉政権より異例の発表がなされた。
内閣府の特別の機関である日本学術会議がその前月に推薦した会員候補一〇五名のうち、六名の任命を行わないと加藤勝信官房長官から明らかにされたのである。
任命拒否された六名の学者は何れも平和安全法制や特定秘密保護法、普天間基地移設問題などで政府に対して異議を唱えてきた人々であり、すぐさま野党はその点から「明確な違法行為」「言論弾圧」「学問の自由の侵害」だとして政府批判を加速させていった。それに対し、菅総理からは「総合的かつ俯瞰的な活動を確保する観点」から任命拒否を行なったと説明した。
日本学術会議法の法文解釈を巡っても問題が生じている。
政府は、総理大臣による会員の形式的任命を実質的なものと考えることは法解釈の変更ではないと説明したが、そうした読み替えに対する疑義もまた矢継ぎ早に繰り出された。
その後も各学会からの任命されないことについての緊急声明が相次いで提出されるなどする内、政府では日本学術会議を行政改革の対象にすることが決定され、野党からは日本学術会議の独立法人化が提案されるなどの動きもあり、尚も同様の応酬が続いている。
野党ないし批判者達は大仰な言葉に飾られた理窟に訴えかけるばかりで、政府に対する明瞭かつ有効な反論を持ち得ず、政府もまた何処までも歯切れが悪い受け答えを続けるばかりで、明確な理由を口にしない。
議論の焦点は結局の所、平成二十九年に日本学術会議から提出された「軍事的安全保障研究に関する声明」を巡る問題に収斂しているように思われる。これは、安倍政権下の平成二十九年に、自民党国防部会の意向で前年度の三億円から一一〇奥円に予算が増大した防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」で、軍事技術への研究協力を学術界に促したことに対するものであった。政府ないし与党としては、この声明が面白くなかったことは明白であろう。

井上科学技術担当大臣も、任命拒否問題で世情が揺れる最中、学術会議側に直々に「デュアルユース(軍民共用)」を提案しているのである。菅政権による任命拒否は、「デュアルユース(軍民共用)」を拒否し続ける日本学術会議、ないしは広く学術界の動向に釘を刺すための決定打であったかのように映る。内閣府の特別な機関であるのにも拘らず、同じ政府機関である防衛装備庁の計画に明確に反対するというのは些か奇妙に思えるが、それには事情がある。
まず本邦の戦後において、平和主義の名が左翼勢力に横領されてきたことをここで想起すべきである。
経緯から言えば、戦後間もない昭和二十四年に成立した日本学術会議は、戦前に科学者が戦争遂行の国策に利用されたことへの反省から生まれたものであると言われる。昭和二十五年と昭和四二年には既に、戦争を目的とした研究はこれを絶対に行わないと声明を発表している。
政府機関の一部でありながら反政府の姿勢を取り続けるという、この体制を作り上げたのは、民主主義科学者協会という共産党系の左翼学術組織である。通称「民科」と呼ばれるこの組織は、戦後長いこと会議を席捲していた。
そのヘゲモニーは、戦後三十三年にも亘って会員の席を占めていた、元農林官僚の農学者福島要一の存在に象徴されているだろう。
彼等は自分達のシンパで会員を固めていたのである。このような傾向は、最早過去の話という訳ではない。
北海道大学による船の摩擦抵抗を減らす研究が防衛省の推進制度に採択されながらも(日本学術会議と一体化していると言われる)「軍学共同反対連絡会」の圧力により辞退することになった経緯を、同大学名誉教授の奈良林直氏が証言している。
ちなみにこの度任命拒否に遭った六人の学者の内、三人の法学者(松宮孝明氏、岡田正則氏、小澤隆一氏)は今尚残っている民科法律部会の元理事である。 ここまで経緯を概観してみれば、政府の本音は明らかである。しかし、それを直接言う訳にはいかないから、「総合的かつ俯瞰的な活動を確保する観点」と述べるだけで任命拒否の具体的な理由を述べないのだろう。
しかし、飽くまでも政府は説明責任を果たすべきである。しかし、政府の諮問機関である筈の日本学術会議の一部会員候補が任命拒否されたという事実を取って、「学問の自由の侵害」と言い立てるのも筋が通らない話ではないか。そもそも「学問の自由」は全ての国民に保障されているものであって、政府の諮問機関の人間のみに保障されているものでは決してない。況んやその政府の諮問機関が特定の政治勢力と一体化し、特定の種別の学術研究を妨害していたとすればどうか。

日本学術会議問題と「あいトリ」問題

振り返ってみれば、これと類似した構図は、令和元年に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」における「表現の不自由展」、とりわけ「平和の少女像」(慰安婦像)や昭和天皇の肖像に関する作品(大浦信行「遠近を抱えてPartⅡ」)を巡る問題にも見られたものではないか。
この展示に関しては、国民感情を著しく逆撫でする作品が展示されている展覧会に公共の施設が使われ公金が投入されているという論点、政治プロパガンダと表現の自由の主張を混同しているという論点などが持ち出されて批判が相次ぎ、激しく「炎上」、一旦展示が中止される次第となった。
リコール反対派の大村秀章愛知県知事とリコール推進派の河村たかし名古屋市長が激しく対立するなど、広域な地方自治体のレベルで深刻な政治的不和を引き起こした事件としても異例であった。 勿論、この案件は当事者が政府機関ではないという点において日本学術会議任命拒否問題と大きく違っている。
とは言え、あいちトリエンナーレは文化庁の助成金を得て開催されるイベントであり、国家や地方自治体が関わる期間や催事における公共性の確保と憲法で保障される自由権の双方に関わっている点では類似した問題であると言える。
公共圏は原則的に特定の政治的・宗教的勢力による支配を含まないものとして考えられるべきであるが、自由権の行使と保護は必ずや特定の政治的・宗教的な色彩を帯びることとなる。自由の主張そのものは公共性の確保をその形式的な内容とするが、その主張の行使は必ずや特定の立場の実質的な擁護を伴う。日本学術会議任命拒否問題と「表現の不自由」展問題の双方において、まさにこの捩れが問題になっていた。
公共性の一種の簒奪を公共的な自由の名目の下で訴える「反権力」的な特定勢力が出てきた結果、状況が権力側に有利に働き、結果的には公共的な自由が切り縮められやすくなってしまうという顛末を辿っているように私には思われる。

自由権による公共圏の簒奪

このように「公共性の簒奪」は、いとも容易に起こってしまうのである。日本学術会議任命拒否問題では、内閣府の諮問機関であるにも拘らず、防衛省・防衛施設庁といった他の政府機関に関わらぬよう研究者全員に勧告していた。
また、政府を批判する識者達は、国民全員に認められている筈の「学問の自由」を恰も防衛研究に反対する学者から成る日本学術会議に限定しているかのような口振りであった。美術館や展覧会など公共施設における「表現の不自由」を告発するあいトリの展示もまた、これまで実際、多数の非難によって「炎上」し、公共の場から取り下げられてきたサブカルチャー作品やそこに想を得た広告などが全く取り上げられていなかった。
これでは、恰も表現の自由は自分達のような現代アートに限られてあると言わんばかりである。少なくとも、そう見られても仕方ないであろう。
更に考えねばならないことに、あいトリにおける文化庁助成金の取り下げないしは額面の引き下げを巡る問題、そして日本学術会議任命拒否問題における政府の決定など、時の政府による行政権の行使は公共圏と自由権の微妙な関係に介入し、支配的な力を発揮することになる。学術や芸術など公共的な自由の確保が重要な活動において、その力が一方的に増すことは重大な問題である。
しかしながら、学術や芸術が多くの場合政府の公金を交付されることで活動を継続するものであり、公的なプロジェクトに参画して日本の文化百般の興隆に貢献する役割を担っていることもまた否定し難い。学術や芸術は自由に行われることで国家とは別の公共的な役割を担うものであるにせよ、国家から支援され時には国家の企画に参与する以上は、その使命までを抛棄してしまうことが「公共性の簒奪」であると見られても仕方ない。公金の支援を受け、公的なイベントに参加する学者や芸術家は、自分の信念に従った活動を展開しつつもそれがそのままに「世界に冠たる日本学術・日本芸術」の隆昌に貢献するようにしなければならないのである。

 

 

以上のように考えた時、国家の中核でありつつ、時の政権やそれに帰属する行政権力と切り離されている機関によって、学術や芸術が支援され、また担われる必要性が浮かび上がってくる。
本邦において、そのような意味で公共を作り出している権威は、皇室を除いて他に存在しない。
位階勲章褒賞など日本国の栄誉大典を担っているのは天皇陛下であられるし、数多くの公益法人の名誉総裁を担っておられるのは皇室の方々である。「国民統合の象徴」である天皇陛下とその皇族からなる皇室に帰属することにより、時の政権から距離を置きながら同時に国家的な役割を全うすることが初めて可能になるのではないだろうか。私が提案したいのは、まさにそうした機関、謂わば日本の王立アカデミーである。この機関を「皇立学術院」並びに「皇立文化芸術院」と名付けたい。

「皇立学術院」「皇立文化芸術院」構想

「皇立学術院」と「皇立文化芸術院」は、皇室に直属する国立シンクタンクの研究機関・文化機関、並びに大学院大学である。これらの機関は、「世界に冠たる日本学術・日本芸術」を目指して広く内外で活動することで、国家社会の発展に寄与し、我が国の世界史的課題を果たさんとすることを目指す。
学術に関しては同様の機関として、既に国際日本文化研究センターなど人間文化研究機構(総合研究大学院大学)がある。或いは学術や芸術において功績顕著な人物を優遇するための名誉機関として、文部科学省の特別の機関である日本学士院、そして文化庁の特別の機関である日本芸術院がある。
「皇立学術院」「皇立文化芸術院」は、これらの機関を皇室直属とし、拡充することによって作るのが良いと思われる。 戦後、天皇陛下を始めとする皇族の方々は多忙なる公務の傍らで学問にも打ち込んでこられ、学術研究者としても多大なる業績を収められている。そのような皇室の方々を学術研究者や芸術家の共同体の代表者として戴くことは、単に国家的な権威を立脚点とするに止まらない意味を持つと思われる。
皇室が行っている国際親善、所謂皇室外交に関しても、「皇立学術院」「皇立文化芸術院」からは大きな貢献を成すことができると思われる。政治的意図が極力配された国際親善活動は、まさに学術や文化芸術の使命とするところでもあるだろう。またそれは、「世界に冠たる日本学術・日本芸術」を構築するに当たり、欠かすことの出来ない活動でもある。両院は、国際親善活動に際して皇族の方々を扶翼することで、世界の文化発展や平和維持に対し実質的な寄与を行うことが出来るだろう。
名も無き市民の会は、天皇皇后両陛下に京都に再び還御頂くという東西首都構想を提唱している。時の政治権力による干渉を遠ざけ、関西を我が国の伝統に基づく文化の地として再興することを目したこの構想は、「皇立学術院」「皇立文化芸術院」の設立により、具体性を帯びることとなる。現在、「選択と集中」を原理として進められている学術行政・文化行政により、若手を中心とした多くの業界関係者は弱肉強食の科研費・学振・補助金獲得を強いられており、漸く資本に連絡出来た一部を除いては苦境を歩まされている。
皇室の権威の下に公金を賄い運営される両院の設立は、そうした若手の学術・芸術関係者達を支援し、自由な環境において、新たな才能として育成することとなる。そして、その中心地が関西となれば、ヒト・モノ・カネの東京一極集中を緩衝し、より広い国土の広がりの中で我が国の未来を考えられるようになる筈である。 また文化資源管理に関する公的な事業は多くが地方自治体によって担われてきたが、この二十年の行政改革の中で真っ先に予算・人員削減の標的となってきた。近くに例を取れば、大阪維新の会による府政・市政のコストダウンにより、大阪の文化資源管理行政の多くが立ち行かなくなったことは記憶に新しい。文化資源管理はその性質からして恒久性を持つ事業でなければならないにも拘らず、時の政治権力の意向に左右されやすいのである。
「皇立学術院」と「皇立文化芸術院」の設立は、時の政権の意図に左右されない公的支援による統一的な文化資源管理を進めることに寄与するだろう。 我が国において、国家共同体の不偏不党の公共性を形成する大黒柱となっているのは、現行の制度的にも伝統的にも皇室に他ならない。また、特に江戸時代以降数百年に亘って、皇室は長く学問と文化に専念されてきた歴史がある。「皇立学術院」「皇立文化芸術院」の設立は、そのような日本の歴史的使命によって要請されるものであると言える。

文化政策・産学連携・軍民共用を担う機関としての各種連絡会

「皇立学術院」「皇立文化芸術院」の設立に併せて、日本政府もまた、同院にて得られる多大なる知見と作品を国益増進のために可能な限り摂取・活用すべきである。そのために内閣府主導の下、両院と各省庁との間に、各種の連絡会を設けることを私は提案したい。
また「皇立学術院」「皇立文化芸術院」の設立に合わせた各種連絡会の設立は、公共圏においてその自由が担保される側面と、政治権力や政策立案に関わる側面とを切り分ける利点を持つ。 まず文化政策について言えば、我が国は「クールジャパン」の決定的な失敗に見られるように、文化外交や文化輸出政策、並びにソフトパワーを活用したインテリジェンス政策において大きく遅れを取ってきた。この点に関しては、フランスのアリアンス・フランセーズ、イギリスのブリティッシュ・カウンシル、ドイツのゲーテ・インスティトゥート、スペインのセルバンテス文化センターなどのような国際的な文化促進団体を設立することもなかった点が悔やまれるものである。
「統一戦線工作」の一環として教育の名を借りて世論戦宣伝を行う中国の孔子学院が急激にその勢力を伸張する中、我が国の文化外交が基本的には民間なり地方自治体なりの自助努力に頼り切っているという消極的な在り方をなしていることは国益の観点からも大きな懸念が寄せられて然るべきである。
そこで、皇立学術院や皇立文化芸術院と、外務省ないしは文化庁の連絡会を設立し、海外の各所に日本の文化促進団体を建設すべきである。この文化促進団体は、上記の各国文化促進団体のように、世界における日本語教育や日本文化の普及促進を担うことになる。これらの団体を、皇立学術院や皇立文化芸術院の成果を逸早く世界に弘め、国際的な学術交流や文化交流を国家主導で本格化するための縁とするべきである。文化輸出政策の橋頭堡を構築し、「世界に冠たる日本学術・日本芸術」を確立するために、これは必須の機関である。
産学連携についても、政策的な遅滞という点では全く同様である。この分野は、統一的な計画や大規模な支援が無く進められてしまったことで特許ビジネスなどを巡る単なる投機的な狩場と化してしまっている。このような状況下においては、資金力のある企業が、年々予算が減少している大学よりも遥かに有利な立場を得ているのである。そのせいで、一部を除いた大学の研究者側は圧倒的な不利を強いられている。こうした問題の本質については、例えば、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長も各所で危機を訴えている通りである。
皇立学術院という国家に帰属する純粋な学術機関は別に担保し、そこと政府の緊密な連携の上で内閣府及び経済産業省主導の連絡会を組織し、統一的な産学連携政策を打ち出す必要があると思われる。この連絡会は、存分な研究開発費を調達しつつ、統合的に大規模な技術開発を促進するための事業計画策定と公共投資を行う。とりわけ医療や防災の分野において、最新の学術成果を援用したテクノロジーの進歩が常に期待されている。これからの産学連携は、官産学の連絡会による連携を通した大規模な公共投資によって推進すべきである。
防衛省・防衛施設庁の主唱する「デュアルユース(軍民共用)」についても、純粋な学術機関とは分離した行政組織として運営される内閣府主導の連絡会を組織し、計画的に遂行すべきであろう。自衛隊の装備の近代化は、我が国の防衛ないしは周辺地域での事態に対処するために強く求められているが、防衛予算不足や研究者の人材不足などの都合によって遅々として進められていない。他方で周知のように、中国の大規模な軍拡と膨張主義は我が国の周辺事態を脅かし続けている。具体的に言えば、中国艦船による尖閣諸島など日本海域への侵入は頻度を増しており、また航行する艦船の数も増加している。皮肉なことに、「デュアルユース(軍民共用)」を拒否するところから始まっているこの度の日本学術会議問題は、平和主義の名の下、日本の防衛政策の遅滞をむしろ助長する結果になってしまっているのである。
この問題は先に述べたように、公共圏と自由権の名目上の両立と後者による前者の簒奪、そしてそこに強硬に介入する政治権力の絡み合いの中で生じたものである。
しかし、政治的な意図の関わらない皇立学術院において純粋な学術研究の場を開くと同時に、それとは別に、学術関係者個人の意向により日本政府の防衛政策に寄与することが可能な連絡会を組織することにより、学術の独立を確保しつつ、学術的成果をこれまで以上に政策に援用することが可能になる。安全保障に関わる研究もまた、原則的にそれに関わらない場が保証され始めて、それ以外の場で正当に行うことが可能となるのではないか。少なくとも私には、安全保障関連の研究に関する政府の逼迫した需要と、平和主義を維持したいという多くの学術関係者の意向を調停するためには、制度的に両者の関わる機関を分立させる他にないと思われる。 文化学術に関する皇室付属機関を設けると同時に、文化学術の政策的な活用を行う機関を別に設立することにより、公金が投入される領域について、公共圏と権力を分立させたまま、両者の健全な協力関係を築くことが可能となる。

そして、その双方において目的に応じた発展と維持を図ることが目指されるのである。日本学術会議任命拒否問題とあいトリ「表現の不自由」展問題、この双方の問題は、公共圏と自由権と政治権力という三者の切り分けが出来なかったからこそ生じた問題であったと言える。
「皇立学術院」と「皇立文化芸術院」、そして両院と政府との間の各種連絡会の新設は、これらの問題を制度的に解決する機縁となる。そしてこの構想が実現すれば、我が国の文化学術をこれまで以上に興隆し、世界に冠たる日本学術・日本芸術を目指すための基盤を形成出来るであろう。

 

 

「世界に冠たる日本学術・日本芸術」のために皇立学術院・皇立文化芸術院を!天皇陛下万歳!