前回『教科書への介入はスルーなのにVTuberへの「批判」は「弾圧」扱いして騒ぐオタク共のどうしようもない愚かさについて』や『山田太郎と統一教会の繋がりに関する覚書』などで、VTuberの戸定梨香が警察とコラボした動画が批判された件を取り上げました。あれからもう2週間近く経つというのに、問題は沈静化の気配すら見せません。
さて、元々動画に抗議をしていたフェミニスト議連は、動画が性的客体化にあたり女性蔑視的であることを理由としていました。その主張への賛否は様々にあるでしょうが、抗議に対する反応を見る限り、こうしたオタク文化で広報を行うという行為の背景に女性蔑視があるという点に関しては、事実だと言わざるを得ないと思われます。
言い換えれば、フェミニスト議連は抗議を公開し、その抗議への無茶苦茶な反応を可視化することで、意図してかどうかはさておき、オタクたちの中にある女性蔑視を暴き立てたと言えます。これは、山田太郎をはじめとする表現の自由運動の背景に反社会的カルトが関係していたことが明らかになったことを含め、望外の成果と言えるのではないでしょうか。
当然のことですが、議連の抗議は「警察という行政」に向けられたものです。そのことは抗議の宛先が行政関係者に限られており民間には向いていないこと、質問項目では動画の採用理由や採用経緯といった行政の判断を尋ねていることからも明らかです。確かに、前文ではVTuberの服装などに言及はしていますが、これはあくまで、行政が採用するにふさわしくない理由を述べただけだと読むべきです。
もし、議連が本当にVTuberそのものを批判したいのであれば、VTuberの事務所も抗議の宛先に含めるでしょうし、YouTubeでの活動にも言及するでしょう。VTuberが活動拠点とするYouTubeは、広報動画がターゲットとする松戸市よりも圧倒的に広く影響力も甚大であり、性的客体化の影響を及ぼす範囲だけを考えれば、コラボ動画それ自体よりも強いと考えられます。にもかかわらず、抗議ではこのようなことに全く触れていないことからも、議連が民間の活動それ自体には介入する気がないことを示唆しています。
こうしたわかりやすい事実、抗議文さえ読めば理解できることがあるにもかかわらず、この抗議に反発する人たちは、「VTuberに」介入されたことにしたがります。以下のように、そのことを前提とする報道すらされる有様です。
「署名」の中でも特に稚拙で意味不明なのが、質問の2つ目『VTuberが地域の交通安全啓発をすることが、なぜ「性犯罪誘発」につながるのか』でしょう。言うまでもなく、議連の抗議は「VTuberが交通安全啓発をすると性犯罪誘発に繋がる」とは言っていません。過度に性的に強調された表象の利用が繋がると言っているのです。
また、質問の4つ目ではVTuberのモデルを利用することをセクシャルマイノリティの権利などと絡めて論じていますが、そのモデルを広報に使用する妥当性とは全く関係のない論点であり、なぜこのような論点が登場するのかの意味も分かりません。(この問題については『なぜ自由戦士はVTuber問題に身体性を持ち出してしまうのか』でも論じました)
とまぁ、このように、彼らの「署名」は全体的に議連の抗議と全く対応しておらず、回答を困難たらしめるものです。実際、フェミニスト議連はこの「署名」には回答しておらず、動画の削除は警察の判断であるというただの事実を指摘するにとどまっていますが、当然の対応でしょう。
というのも、前述のように、「署名」に賛同している人々は大元の抗議文を読みこなすことすらできていないからです。これは抗議の内容に賛同するかどうかにかかわらず、何が主張されているのかを正しく把握することができていないということです。
相手方の主張は一切把握しないが、自分の主張は把握され対応されるべきだという理解は極めて自分勝手な二重規範です。自分の主張を理解してほしいなら、少なくとも相手の主張を理解してその通りに解釈したうえで、それに対応する反論を生み出さなければいけません。
相手の主張を無視しているのに、自分の主張は無視されるべきではないという態度は、言い換えれば自分の主張は相手の主張よりも価値があると理解しているということです。フェミニスト議連の抗議が女性蔑視を根本としている一方、「署名」が擁護する表現が男性オタクに親和的なものであり、かつ「署名」の賛同者も男性が中心であることを考えれば、これは男性が自らの主張の価値を女性の主張よりも上位に位置付けるという、女性蔑視的な態度であることは明らかです。
それと同時に、女性に対し男性への対応を求めるという振る舞いは、女性は男性をケアすべきだというステレオタイプや性規範に基づく発想であるとも理解できます。彼らの行為は、男性を感情的に慰撫するのが女性の役割であるはずなのに抗議というかたちで感情を逆なでし、「署名」をしても反応することがないという身勝手な立腹と、(一方的に)期待される役割を果たさなかった女性に対する罰を与えいるというミソジニーを背景とした振る舞いであると解釈することも可能です。
最初に、フェミニスト議連の抗議がオタク文化の背景にある女性蔑視を暴き立てたと言いましたが、これがその最初の例です。オタクたちが理不尽な怒りと支離滅裂な主張を繰り返せば繰り返すほど、彼らが支持するVTuberの広報動画の背景に女性蔑視があるという議連の主張は妥当性を帯びることになります。何とも皮肉なことです。
我々は通常、意味不明な主張に出会うと、なぜそのような主張に至ったのかを考えます。そして、その支離滅裂な文章に論理で一定の補助線を引き、何を言いたいのかを推測します。これはそれこそ、私がブログで行っていることです。
彼らも実は、自分たちがこれと同じことをやっているつもりなのではないでしょうか。女性が行う主張は必ず非論理的であるという前提に立ち、その主張をそのまま受け取るのではなく、自分の頭の中にある「合理的な論理(と思っているもの)」を用いて勝手に補助線を引き、そのために文章の理解が滅茶苦茶になってしまうのではないでしょうか。
もちろん、彼らはやっている「つもり」なのであって「やっている」わけではありません。私は、その主張がなぜおかしいのかをまず指摘しますが、彼らはしません。あるいは、してもそれが支離滅裂な理論だったりします。そこに大きな違いがあります。
とはいえ、こう考えると納得できるところも出てきます。例えば、前述のように「署名」はVTuberのモデルを使用することとセクシャルマイノリティなどの問題を絡めた、本来無関係な論点を出しています。これは「女性は無知なので、3Dモデルが身体性を超越することを知らないに違いない」という勝手な判断や、「服装のことを持ち出しているのでこういうことが言いたいに違いない。それが文章に現れていないのは、彼女たちの文章表現が稚拙だからに違いない」といった思い込みがあると理解すれば、一応は理解できます。
それこそ「署名」の制作者がそうであるように、その文章を書いた人が無知であったり文章表現が稚拙であると考えるべき証拠がそろっており、実際にその文章もおかしいのであれば、こうした補助線を引く作業は必要です。しかし、フェミニスト議連の抗議はそこまで問題のあるものには思えません。何より、「署名」が提示している補助線こそ意味不明であり、補助線というよりは落書きに近いものになってしまっています。
にもかかわらず、「署名」の主張こそが妥当であるという思い込みは、男性が論理的で女性がそうではないというステレオタイプからきているとしか考えられません。もしあの文章を、製作者を伏せて読ませてオタク以外の人々に判断を求めたならば、そういう理解になるでしょう。
フェミニスト議連の抗議には賛否があり、性犯罪を助長というのは言い過ぎではないかという意見もあります。私は、抗議の対象が警察であるが故の言及であると思われるので言い過ぎとまでは思いませんが、まぁ、そういう意見も理解はできます。
しかし、「署名」の主張はそうした妥当なものからは遥かに逸脱しており、賛同者の行為は暴力的な様相すら呈しています。議連の主張が100%正しいとはもちろん言いませんが、あの抗議が誘発した人々の振る舞いを見る限り、オタク文化を広報に利用する発想の背景に女性蔑視があるという指摘は妥当だったということになるでしょう。
これで、議連の議員に脅迫などをする人が出るのであれば、性犯罪を助長という指摘もあながち間違いではなかったということになりそうです。オタクはそれでいいのでしょうかね。
さて、元々動画に抗議をしていたフェミニスト議連は、動画が性的客体化にあたり女性蔑視的であることを理由としていました。その主張への賛否は様々にあるでしょうが、抗議に対する反応を見る限り、こうしたオタク文化で広報を行うという行為の背景に女性蔑視があるという点に関しては、事実だと言わざるを得ないと思われます。
言い換えれば、フェミニスト議連は抗議を公開し、その抗議への無茶苦茶な反応を可視化することで、意図してかどうかはさておき、オタクたちの中にある女性蔑視を暴き立てたと言えます。これは、山田太郎をはじめとする表現の自由運動の背景に反社会的カルトが関係していたことが明らかになったことを含め、望外の成果と言えるのではないでしょうか。
抗議文すら全く読まない
まず前提として、議連の抗議に反発する人々が、実際のところ議連の抗議を全く読んでいないことを指摘しておきましょう。当然のことですが、議連の抗議は「警察という行政」に向けられたものです。そのことは抗議の宛先が行政関係者に限られており民間には向いていないこと、質問項目では動画の採用理由や採用経緯といった行政の判断を尋ねていることからも明らかです。確かに、前文ではVTuberの服装などに言及はしていますが、これはあくまで、行政が採用するにふさわしくない理由を述べただけだと読むべきです。
もし、議連が本当にVTuberそのものを批判したいのであれば、VTuberの事務所も抗議の宛先に含めるでしょうし、YouTubeでの活動にも言及するでしょう。VTuberが活動拠点とするYouTubeは、広報動画がターゲットとする松戸市よりも圧倒的に広く影響力も甚大であり、性的客体化の影響を及ぼす範囲だけを考えれば、コラボ動画それ自体よりも強いと考えられます。にもかかわらず、抗議ではこのようなことに全く触れていないことからも、議連が民間の活動それ自体には介入する気がないことを示唆しています。
こうしたわかりやすい事実、抗議文さえ読めば理解できることがあるにもかかわらず、この抗議に反発する人たちは、「VTuberに」介入されたことにしたがります。以下のように、そのことを前提とする報道すらされる有様です。
■公的立場にある議員が民間の表現活動を阻害このような、大元の抗議文すら全く参照しないという態度は、彼らが行った「署名」にも表れています。この署名の具体的な内容は、広く表現の自由を守るオタク連合の公式HPのブログ『相手の主張を曲解し、差別主義者に同調する議員や組織に「表現の自由」を論じる資格はない』でも指摘しましたが、ここでも代表的な問題点を簡単に振り返っておきましょう。
(中略)
抗議文書と公開質問状の賛同者有志代表に名を連ねている大田区議・おぎの稔氏は日刊ゲンダイDIGITALの取材にこう語った。
「全国フェミニスト議員連盟の方々は現職議員が多い。動画を公開して削除したのは千葉県警ですが、民間企業が絡んだものを公的な立場にある議員が圧力をかけるような形で取り下げさせてしまったことが問題です。
(中略)
おぎの議員のコメントからも分かるように、戸定梨香はあくまで民間企業が企画したものであり、例えるならばアイドルが一日署長をするようなニュアンスに近い。
Vチューバーが所属する事務所はほかにも存在し、バーチャルなだけで立ち位置的にはアイドルや芸能人などと何ら変わらない。その前提での議連の抗議ならば、同じようにミニスカートやおへその見える衣装、そして踊るたびに動く胸の現役アイドルたちにも、同じような抗議をすべきだろう。
Vチューバーをめぐる「フェミニスト議連」の抗議に署名6万件 なぜ反感を買ったのか?-日刊ゲンダイ
「署名」の中でも特に稚拙で意味不明なのが、質問の2つ目『VTuberが地域の交通安全啓発をすることが、なぜ「性犯罪誘発」につながるのか』でしょう。言うまでもなく、議連の抗議は「VTuberが交通安全啓発をすると性犯罪誘発に繋がる」とは言っていません。過度に性的に強調された表象の利用が繋がると言っているのです。
また、質問の4つ目ではVTuberのモデルを利用することをセクシャルマイノリティの権利などと絡めて論じていますが、そのモデルを広報に使用する妥当性とは全く関係のない論点であり、なぜこのような論点が登場するのかの意味も分かりません。(この問題については『なぜ自由戦士はVTuber問題に身体性を持ち出してしまうのか』でも論じました)
とまぁ、このように、彼らの「署名」は全体的に議連の抗議と全く対応しておらず、回答を困難たらしめるものです。実際、フェミニスト議連はこの「署名」には回答しておらず、動画の削除は警察の判断であるというただの事実を指摘するにとどまっていますが、当然の対応でしょう。
お前の話は聞かないが、俺の話は聞け
このような議連の対応に、「署名」運動をした人々はカンカンのようです。しかし、そのような態度は不誠実と言うべきでしょう。というのも、前述のように、「署名」に賛同している人々は大元の抗議文を読みこなすことすらできていないからです。これは抗議の内容に賛同するかどうかにかかわらず、何が主張されているのかを正しく把握することができていないということです。
相手方の主張は一切把握しないが、自分の主張は把握され対応されるべきだという理解は極めて自分勝手な二重規範です。自分の主張を理解してほしいなら、少なくとも相手の主張を理解してその通りに解釈したうえで、それに対応する反論を生み出さなければいけません。
相手の主張を無視しているのに、自分の主張は無視されるべきではないという態度は、言い換えれば自分の主張は相手の主張よりも価値があると理解しているということです。フェミニスト議連の抗議が女性蔑視を根本としている一方、「署名」が擁護する表現が男性オタクに親和的なものであり、かつ「署名」の賛同者も男性が中心であることを考えれば、これは男性が自らの主張の価値を女性の主張よりも上位に位置付けるという、女性蔑視的な態度であることは明らかです。
それと同時に、女性に対し男性への対応を求めるという振る舞いは、女性は男性をケアすべきだというステレオタイプや性規範に基づく発想であるとも理解できます。彼らの行為は、男性を感情的に慰撫するのが女性の役割であるはずなのに抗議というかたちで感情を逆なでし、「署名」をしても反応することがないという身勝手な立腹と、(一方的に)期待される役割を果たさなかった女性に対する罰を与えいるというミソジニーを背景とした振る舞いであると解釈することも可能です。
最初に、フェミニスト議連の抗議がオタク文化の背景にある女性蔑視を暴き立てたと言いましたが、これがその最初の例です。オタクたちが理不尽な怒りと支離滅裂な主張を繰り返せば繰り返すほど、彼らが支持するVTuberの広報動画の背景に女性蔑視があるという議連の主張は妥当性を帯びることになります。何とも皮肉なことです。
愚かな主張だろうという思い込み
ところで、こうした支離滅裂な反応や読解に至ってしまうもう1つの原因に、「女性は愚かで感情的である」という別のステレオタイプの影響もあるのではないかと、私は予想しています。我々は通常、意味不明な主張に出会うと、なぜそのような主張に至ったのかを考えます。そして、その支離滅裂な文章に論理で一定の補助線を引き、何を言いたいのかを推測します。これはそれこそ、私がブログで行っていることです。
彼らも実は、自分たちがこれと同じことをやっているつもりなのではないでしょうか。女性が行う主張は必ず非論理的であるという前提に立ち、その主張をそのまま受け取るのではなく、自分の頭の中にある「合理的な論理(と思っているもの)」を用いて勝手に補助線を引き、そのために文章の理解が滅茶苦茶になってしまうのではないでしょうか。
もちろん、彼らはやっている「つもり」なのであって「やっている」わけではありません。私は、その主張がなぜおかしいのかをまず指摘しますが、彼らはしません。あるいは、してもそれが支離滅裂な理論だったりします。そこに大きな違いがあります。
とはいえ、こう考えると納得できるところも出てきます。例えば、前述のように「署名」はVTuberのモデルを使用することとセクシャルマイノリティなどの問題を絡めた、本来無関係な論点を出しています。これは「女性は無知なので、3Dモデルが身体性を超越することを知らないに違いない」という勝手な判断や、「服装のことを持ち出しているのでこういうことが言いたいに違いない。それが文章に現れていないのは、彼女たちの文章表現が稚拙だからに違いない」といった思い込みがあると理解すれば、一応は理解できます。
それこそ「署名」の制作者がそうであるように、その文章を書いた人が無知であったり文章表現が稚拙であると考えるべき証拠がそろっており、実際にその文章もおかしいのであれば、こうした補助線を引く作業は必要です。しかし、フェミニスト議連の抗議はそこまで問題のあるものには思えません。何より、「署名」が提示している補助線こそ意味不明であり、補助線というよりは落書きに近いものになってしまっています。
にもかかわらず、「署名」の主張こそが妥当であるという思い込みは、男性が論理的で女性がそうではないというステレオタイプからきているとしか考えられません。もしあの文章を、製作者を伏せて読ませてオタク以外の人々に判断を求めたならば、そういう理解になるでしょう。
フェミニスト議連の抗議には賛否があり、性犯罪を助長というのは言い過ぎではないかという意見もあります。私は、抗議の対象が警察であるが故の言及であると思われるので言い過ぎとまでは思いませんが、まぁ、そういう意見も理解はできます。
しかし、「署名」の主張はそうした妥当なものからは遥かに逸脱しており、賛同者の行為は暴力的な様相すら呈しています。議連の主張が100%正しいとはもちろん言いませんが、あの抗議が誘発した人々の振る舞いを見る限り、オタク文化を広報に利用する発想の背景に女性蔑視があるという指摘は妥当だったということになるでしょう。
これで、議連の議員に脅迫などをする人が出るのであれば、性犯罪を助長という指摘もあながち間違いではなかったということになりそうです。オタクはそれでいいのでしょうかね。