規制をしても不快感は減らない
表現の規制、今は児童ポルノ禁止法の改正が流行ってるけど、個人的にはあんまりどうでもいい感じがする。
まず俺はどこで児童ポルノ売ってのか知らない。知らん場所で児童ポルノを買う奴よりも、電車の中でスポーツ新聞の風俗コーナーを正々堂々と読むオッさんのが不快だと思う。児童ポルノを好きな人が、児童ポルノを誇示するため、児童ポルノが印刷されたバットを振り回して殴りかかってきたら不快だし規制が必要だけど、そういうことはまずない。
そもそも児童ポルノがダメならダメでいいけど、それなら熟女は良いのかって話があって、コンビニの雑誌コーナーに『花開く禁断の性! 濃厚ド淫乱五十路婦人』みたいな文字列とともに、迫力ある熟女がおかしな格好している写真が印刷された表紙の雑誌が置いてあるのもかなり不愉快だと思う。子供の人権を守れってのは分かるけど、こちらの五十路婦人は濃厚ド淫乱呼ばわりされますよ、この人の人権は薄めだけどいいんですか? とかそういう話になってしまう。
基本的に規制って不快感を減らす目的でなされるわけではないので、社会全体のストレスが増えることが多い。児童ポルノの規制だと、児童ポルノ好きな人は児童ポルノが減少して嫌な気持になるし、規制しても児童ポルノはどっかにあるんだから、児童ポルノが大嫌いな人の不快感は減らないし、今でもイライラしてる人が多いのに、ますます自殺者が増えてしまう。
それだけでなく、規制が厳しくなると変態性欲野郎の人口が絶対に増える。これは歴史が証明していて、俺は明治の小説が好だから、明治の小説の事例を出します。
表現規制をすると変態が増える
明治の表現の規制ってのはなかなか難しくて、国による規制と、習慣というか考え方から来る自主規制があった。この辺りの話はきちんと書くのはダルいので、雑に説明すると、明治時代に性的なの書くのはダサくて頭悪い感じだった。
人間は誰でも格好良く見られたいから、ダサくて頭悪いって思われるような小説を進んで書く馬鹿はいない。それでも性的なものを読みたい人はいる。書くと金が儲かる。しかしダサくて頭悪いと思われるから書きたくない。それでも金は欲しい。しかしダサくて頭悪いとは思われたくない、一体どうしたら良いのかッ!! こういう感じに普通の人が苦悩しすぎた結果、変態性欲野郎となり『かわいそうな小説』が生産されるようになる。
『かわいそうな小説』に、性的な場面は特に出てこない。しかしひたすら女の人がいじめられ続ける。いじめるのは姑だったり、甥だったり色々なんだけど、とにかくいじめられる。
吾妻太夫後日の怪談 夢郷庵主 明治三五(1902)年
これは女の人が傷口に味噌を塗られたうえ、縛られたり殴られたりしている場面。『かわいそうな小説』では、こういう感じのが延々と続く。かなり退屈で今の人だとすぐ飽きると思う。
今回紹介したのは、明治三五年の作品で、多分だけど最初期のもの、大正時代までこういう『かわいそうな小説』は続いて、いろいろバリエーションが出てくる。複雑なものだと、没落した華族の奥さんが狂ってしまい山奥の部屋に閉じ込めるだとか、お金持ちの家の幼い娘さんが色々あって貧しい飴売になって歌を唄わされるだとか、嫁と姑が延々と勝負するとかいろいろある。
そのうち国やら社会に反抗して、性的なの書くのは格好良いみたいなってくる。そうすると抑圧がなくなり変態が減る。
それでもこの時代に発生した『かわいそうな小説』の影響はわりとずっと続く。俺が子供の頃には、ひたすら女の人が酷い目にあるドラマだとかアニメがあった気するけど、あれも『かわいそうな小説』のバリエーションだと思う。一度発生した変な風潮はわりと長く続く。
規制で変態を増やしても良いのか?
規制するのは気分良いし都合も良い。
しかしながら表現を規制すると、浮世絵みたいな感じの変なタッチで描かれた着衣の女が足の裏を曲げてるイラストを観て、そこから異様な想像力で女性のオルガズムを連想し、異常に興奮する国民が増える。おかしな頭の国民では今後の厳しい国際競争に勝つことは出来ないし、日本は滅ぶ。そんなわけで私は児童ポルノ禁止法改正案に反対をします。