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  • コンパとお酒

    2014-07-08 10:56

    二次会について調べているうち、学生がコンパで酒を飲み始めた時期は何時頃なのだろうかという疑問が湧いたので調べてみた。

    コンパの発祥は旧制高校の一高で、当初は金を出しあい芋や菓子などを食べ馬鹿騒ぎをする程度のものだった。

    食べ物にも流行があり、大正五年に出版された『寮のさゝやき 一高三高学生生活 (丘の蛙 磯部甲陽堂)』に書かれた落書によると、この当時は南京豆が流行していたようだ。



    大正6年の時点で会費は7銭以下、現代だとアンパン3個を買える程度の価値しかなく、たいした事は出来ない。

    実体はよく分からないのだが、晩飯を食べ終り暇になるのが8時あたり、消灯時間が11時あたり、若いから寮の食事だけで腹が満せるわけがない。そのうち小腹も減ってくる。毎日勉強してられるわけもないが、得に娯楽があるわけでもない。そんなわけで暇潰しにコンパの様なイベントを開催していたのであろう。

    それじゃ酒はというと、もちろん飲んでいたが、同じく『寮のさゝやき』によると、コンパではなく慰労会など特別なイベント時で登場する。




    ところで慶應大学の寄宿舎では、紅茶パーティーというのが一時期、流行していた。


    校風漫画 近藤浩一路 博文館 大正6年

    これもたいした費用(恐らく総額で20銭程度)もかからず、頻繁に開催することができたからこそ、流行したイベントなのかもしれない。

    それではコンパに酒が導入されたのが何時なのかというと、はっきりしたことは分からない。高等学校への入学時は16歳程度であり、コンパで酒を飲むより甘い物のほうが嬉しいという人口のほうが多かっただろう。高等学校から大学に輸出されることによって、コンパに酒は付き物というようなことになったのかもしれない。次に引用するのは同志社大学の事例だ。

    同志社大学マンドリンクラブ低音パートは、1910年(明治43年)に一人の神学部の学生が寮内に楽器と共にビールを持ち込んで紹介し数名のものと新聞紙を囲んで宴会を始めたことに端を発する。1919年にクラブが独立しそれと同時に低音パートも発足する。そして1922年に春秋3回の私宴会(低音コンパ)を開くことを決めてその第一回低音コンパを2月25日に開催した。・
    http://smd.teion.org/about.php

    こういうことは調べれば調べるほど、よく分からなくなってくる。

    昭和8年(1933).10.25〔高1ら40人のゴルフ場征伐事件〕
     宮城県仙台市のゴルフ場で、第二高等学校1年生(満17歳前後)30数人、2,3年生数人が暴れて小屋を壊し椅子を燃やして、グリーンのカップに脱糞までした。いつも軍事教練を受けてる陸軍射撃場で夜中にコンパを開いていたが、隣のゴルフ場に反感を抱いていたため酔って襲ったもの。
    http://kangaeru.s59.xrea.com/senzen.htm

    というように昭和に入ると高校生もコンパで酒を飲んでいる。ところが太平洋戦争に入り、酒が手に入りにくくなると、明治のコンパに戻っている。

    優勝コンパをやる。三十程おくれて八室でやる。うまいおかずに、パン、芋、動けんだけ食べる。豪勢なものである。実にうれしい一時。七時半迄芋を食べて、食興の中に打ち過す
    http://gakutodoinnikki.blog86.fc2.com/blog-category-45.html

    どちらにしろ、みなで南京豆を齧りながら馬鹿話をするというコンパは、娯楽も飯の量も少ない寮生活であるからこそ成立したイベントで、すでに滅んでいる。
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  • 味噌汁に異常なまでに執着する明治のオッさんが学生のことを心配しすぎた結果

    2014-07-07 20:00

    学生衛生 後藤角太郎 丸山舎書籍 明治四三年

  • 西郷隆盛が二次会に出席してた

    2014-07-07 12:08

    明治のフィクションの世界で、西郷隆盛が二次会に参加していた。

    西郷隆盛 野花散人 立川文明堂 1911年

    ちなみに結婚式の後に開催される二次会ではない。飲み足りないから次の店に行こう的な意味での二次会である。『二次会』という言葉は比較的新しい言葉だと思っていたため、かなり違和感があった。

    『二次会』がいつからあったのか軽く調べてみると、西郷隆盛以前に新食道楽という本で使われていた。こちらは園遊会の後の『二次会』である。

    新食道楽 佐藤緑葉 著明治堂 1909年

    というわけで、少なくとも明治の四〇年代には『二次会』が存在していたことがわかる。

    これ以前に使われていたのか、調べてみたがよく分からない。明治の辞書などをざっと見た限りでは『二次会』を発見することは出来なかった。与謝野晶子の現代語訳源氏物語では使われていたが、こちらは大正時代だから上で挙げた例よりも新しい。もちろん源氏物語の原文に『二次会』は出てこない。

    どうやら花柳界でも使われていたようなので、江戸時代の作品なら出てきそうだが、私が過去に読んだ範囲内では『二次会』という言葉を見た記憶がない。